ありふれた日常へ永劫破壊   作:シオウ

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理想の世界

 チュンチュン、チュン

 

 

 朝を知らせる鳥のさえずりが、カーテンの隙間から陽の光と共に薄暗い部屋の中へと侵入し、いつものありふれた日常の始まりを告げる音色がベッドの主の意識をゆっくり覚醒させる。

 

 つい最近あるストレスから解放され、ぐっすり眠れるようになった主が目覚ましが鳴るより先に目を覚ます。

 

「んん、朝か……」

 

 ベッドの主、藤澤蓮弥は起床した後、二階の自室から一階のリビングに降りてくる。そこには朝食の準備をしている母親と、珍しく遅い時間までいる父親が新聞を読みながらコーヒーを嗜んでいた。

 

「おはよう、母さん」

「あら、蓮弥。おはよう。朝ご飯もう少しでできるから少し待ってなさい」

 

 そう言われて自分の席に座り、コーヒーサーバーの中身をカップに注ぐ。朝から香ばしい良い匂いが部屋の中に漂う。

 

「父さんもおはよう。今の時間までいるなんて珍しいな」

「ああ、おはよう、蓮弥。少し予定がズレたみたいでね。おかげで今は久しぶりのゆったりしたモーニングタイムだ」

 

 蓮弥の父親、藤澤敦は考古学分野の教授をしており今朝も早くに出るはずだったのだがどうやら予定が変わったらしい。

 

「何かあったのか?」

「なんでも謎の遺跡が発見されたということで考古学分野の人間の予定は狂いっぱなしだ」

「へぇ、けど楽しそうじゃないか」

「まぁね。いくつになっても新しい発見というものは胸が躍るモノだ」

「けど……たまには家族サービスもしてくださいね。はい、朝食よ」

「ありがとう、母さん」

 

 どうやら今日の朝食はエッグベネディクトらしい。ふわふわの焼き立てのイングリッシュマフィンの上にカリカリのベーコン、半熟のポーチドエッグが乗っており、その上にオランデーズソースがたっぷりかかった代物だ。パンから焼くところが流石母さんだと思い、この場にいない最後の一人が遅れてやってきた。

 

「ああー、もうやばいやばい。夜遅くまで動画見てたら寝過ごした。みんなおはよう!」

 

 元気よく階段から降りてきたのは妹の茉莉。これで藤澤一家全員が揃ったことになる。

 

「はい、おはよう。茉莉も朝ご飯は食べて行くのよね」

「もち。お母さんの料理を食べそこなうなんてありえないしね。お弁当は」

「もちろん作ってあるわよ。そこに置いてあるから忘れずにもっていきなさい」

「茉莉……一応ここに父さんもいるんだが……」

「あれ? 本当だ。どうしたのお父さん」

「今頃気づいたのか、はぁ……」

「ごめんごめん。お父さんもおはよう。もちろん兄さんもね」

「ああ、おはよう」

 

 がっくりしている父に謝る妹。それを微笑ましく見守る母親。

 

 これがいつもの光景。蓮弥が心の底から欲している。ありふれた光景そのものだった。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~

 

 蓮弥が今日は一日晴れかなとどうでもいいことを考えながら通学路を歩いていると、交差点で見知った顔に出会うことになる。

 

「よう、おはよう。ハジメ、それと白崎」

「おはよう、藤澤君」

「……蓮弥か……ああ、おはよう」

 

 元気よく挨拶した香織とは裏腹に、今にも倒れそうな顔をしたハジメが力なく挨拶を交わす。

 

「おい、どうしたハジメ。いつにもなく倒れそうなんだが」

「聞いてくれ、蓮弥。僕の家はもう駄目だ。完全に香織に乗っ取られてしまった」

 

 ここで合流した南雲ハジメと白崎香織は恋人一歩手前の関係にある。

 

 いまから数ヵ月前。ハジメが階段から落ちて怪我をするという事件をキッカケにハジメと香織は急接近した。当時の蓮弥からしたら今更感があったことなのだが、どうやら香織が本格的にハジメへの想いを自覚したらしく、周りの目を気にせず熱烈アプローチをし始めたのだ。

 

「それで、家を乗っ取られたってどういうことだよ」

「朝身体にかかる重さで目が覚めたら、ベッドの上の僕に覆いかぶさるように香織がいてね。『全くハジメ君たら……いつまでも寝てると、悪戯しちゃうゾ♪』なんて幼馴染の起こし方テンプレ集に乗っているような挨拶をされて……」

「お、おう」

「おまけにいつの間にか両親はすっかり香織に懐柔されて合鍵まで渡してるし。朝の挨拶だって明らかに父さんが仕込んでるし。母さんは僕の買い溜めしたゼリー飲料を勝手にアシさんに配った挙句「ハジメの昼の胃袋事情は香織ちゃんに一任した」とか言ってくるわけ。……僕の家なのに……なんで僕にプライベートがないんだろうね」

 

 どうやら香織の猛攻はついにハジメの両親にまで及んだらしい。ほぼ外堀を埋められている状況に蓮弥は何も言えずに相槌を打つしかない。

 

「ふふふ。菫さんともすっかり仲良くなれたし、これはもう両親公認の仲と言っても過言じゃない気がするんだけど、どうかな?」

「決してそのような事実はありません」

「もう、ガード硬いなぁ。けーど、もう少し、もう少しでハジメ君の大事なところまで……ふふふ」

 

 蓮弥からしたら学年の二大女神の一人である香織から既に告白までされていて保留にしているハジメも中々頑固だと思う。

 だが同時にハジメの気持ちも少しわかってしまうのだ。なにしろ香織のハジメに対する迫り方はちょっと怖い。なぜかハジメのスケジュールを分単位で把握してたりするところが、ハジメが中々告白の返事ができないところなんじゃないかと蓮弥は思う。

 

「こら、香織。また南雲君にストーキングしてるんじゃないでしょうね」

「あ、雫ちゃん。おはよう。やだなもう。ストーキングだなんて人聞きの悪い。私はハジメ君オタクなだけだよ」

 

 そして少し歩いたところで合流した雫が挨拶より先に香織の態度を注意する。この辺りは普段と変わらない。相変わらず面倒見のいい八重樫さんだ。

 

「はぁ、もう言っても聞かないから言わないけど。超えちゃ駄目な一線は弁えなさいよね」

「いや、八重樫さん。そこは香織にもっと強く言ってほしいんだけど」

 

 ハジメがもう少し咎めてほしそうに雫を見るが、雫は軽く無視する。何度言っても香織がやめないので諦めてしまったようだ。

 

「おはよう、蓮弥」

「ああ、おはよう、雫」

 

 そして蓮弥の方を向き挨拶を交わす。雫の朝練がない日は必ず行う日常のやり取りだ。()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ!」

 

 突然頭痛が起き、蓮弥が頭を抱える。それを見た雫が少し心配そうな顔で蓮弥の顔を覗き込む。

 

「ちょっと蓮弥。大丈夫?」

「……ああ、一瞬頭が痛くなったけど……なんかもう平気だ」

「全く。大方、夜遅くまでゲームでもしてたんでしょ。そんなんだから寝不足で頭痛の一つも起きるのよ」

「ほっとけ」

 

 なぜ雫のセーラー服姿を懐かしいと思ったのか。学校がある日には毎日見ているだろうに。蓮弥は少し寝不足かと勝手に納得することにした。

 

「そういえば、ハジメ。パンテオンのガチャだけどな。昨日の黒円卓ピックアップでラインハルト引いたぞ」

「えっ!? マジで!?」

「ああ、これだ」

 

 蓮弥がスマホで、Dies_irae_PANTHEONを起動し、その画面を見せる。そこには最高レアの聖槍十三騎士団黒円卓第一位、首領ラインハルト・ハイドリヒが黄金の髪を靡かせる様子が表示されていた。

 

「なん、だと。ちなみに何回ガチャ回して?」

「聞いて驚け。呼符一枚だ」

「またッ!? これで何回目なのさ! つい最近呼符一枚で無慙引き当てたばっかりなのに。僕なんて無慙を引くために何人の諭吉が犠牲になったのか……今回のハイドリヒ卿は資金不足で引けなかったし。くそぅ、コウハに高級猫缶を奉納したら引けるというのはデマか! あれ結構高かったのに」

「いや、それはデマだろう。ま、日ごろの行いって奴なんじゃないのか」

「ぐぬぬ、このリアルラック超人め。今運を使い果たして、今度の水着イベントで盛大に爆死して泣きを見るがいい!」

「そうならないために水着イベントでガチャを回す用の資金はとってあるぞ。水着マリィ欲しいからな」

 

 蓮弥とハジメが夢中になっているのは神座万象シリーズという元エロゲーが元ネタのスマホゲームであり、ハジメとはこれがキッカケで仲良くなったようなものだ。

 

「こら、蓮弥。歩きスマホしない。それに……いい加減こっちを見なさいよね」

「わかったよ。急に機嫌悪くしなくてもいいだろ」

 

 蓮弥とハジメがスマホゲームの話題で盛り上がり始めると少しずつ機嫌が悪くなった雫が蓮弥に注意を始める。その様子をニヤニヤ笑ってみていた香織がツッコミを入れる。

 

「ふふふ、雫ちゃんはね~。恋人の藤澤君が朝からハジメ君とばっかり話して、自分に構ってくれないから拗ねてるんだもんね~」

「なッ!? ちょ、違ッ、そんなことで拗ねたりなんか……こら香織ぃ!」

「えへへ~」

 

 そう、香織の言う通り、蓮弥と雫は蓮弥の()()()()()()()をキッカケに恋人同士になっていた。

 

 

 今まで何となく友達以上、恋人未満の関係を続けていたのだが、()()()()()()()()()()()()十七歳の誕生日に蓮弥から告白することで、無事二人は恋人同士になった。そのせいで一部で第二次義妹襲撃事件が起きたり、ライトサイドとダークサイドが聖妹戦争したり色々騒がしかったが、付き合い始めて数ヵ月、ようやく大人しくなってきたところだった。

 

 

 蓮弥は香織にアイアンクローをかます雫とそれを苦笑いで見ているハジメを見て思う。

 

 これこそが日常であり、自分の世界に、非日常なんていらないと。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~

 

 一緒に登校した四人が同じクラスの人間なので各々自分の席に向かうと近くの席の谷口鈴が何やら雑誌を読んでいた。隣には鈴の親友である恵里が控えめに座っている。

 

「おはよう、鈴ちゃん。一体何を読んでるの?」

「あ、おはようカオリン。これはね~、最近流行りの占い師、KARUMAの占い本だよ。結構当たるって有名なんだよ」

 

 表紙には腕に顔のついた蛇のようなイレズミをした、黒と白が交互に交ざったような奇妙な髪をした男が載っていた。『俺がお前の運命、占っちゃるけぇの』とキャッチコピーが書かれている。

 

「ああ、それか。私、その人苦手なのよね」

 

 雫が苦い顔をして言う。以前雫の家でテレビを一緒に見ていた際に出てきた時は、見るのも嫌なのか即チャンネルを変えたくらいだ。雫曰く人間的相性が悪そうとのこと。

 

「へぇ~、確かこの人の占いをキッカケに結婚したっていう人、結構いるらしいね。私にも見せて」

 

 それに対して香織は興味深々だった。今は鈴から雑誌を借りて恋愛コーナーを読んでいる。

 

「これでハジメ君との恋愛運を占っちゃお。それじゃあまずはハジメ君の運命の人からね。えーと、ハジメ君の身長と体重はと」

「いや、香織さん? 勝手に僕の運命を占わないでほしんだけど……」

 

 そうやって淀みなくハジメの運命の人を占おうとする香織、なぜハジメの現在の身長や体重をミリ単位グラム単位で知ってるのかは指摘してはいけない。ハジメも既に諦めモードだった。

 

「これだね。えーとハジメ君の運命の人は………………」

 

 機嫌よく見ていた香織が急に停止する。一体何事かと雫が香織が見ているページを覗き込む。

 

「…………金髪赤目ロリータって書いてあるわね」

「…………」

 

 場に沈黙が満ちる。なぜだろうか、蓮弥は心なしか教室の空気が冷たくなっている気がしてくる。雑誌を握りしめる香織を中心に。

 

「ふ、ふふ、ふふふ。そうだよね。所詮占いだもんね。こんなもの真面目に信じる方がどうかしてるよ」

「ちょッ! ちょっとカオリン!? その雑誌、私まだ読んでないんだけど!?」

 

 万力の握力で香織が雑誌を思いっきり握り締めているせいで今にも雑誌が破れそうだった。

 

「落ち着きなさい香織。大体ロリータはどうかはわからないけど、金髪赤目なんて現実に存在するものなの?」

「そ、そうだよね。もしかしたらハジメ君の好きな二次元の話なのかも。いくら何でも現実に存在していない人に負けるわけがないよね」

 

(それはそれで、ハジメの運命の人が二次元キャラってことになるけどな)

 

 蓮弥が内心考える。二次元の世界ではそれこそ溢れるほどいるようなキャラだと思うが、現実となるとそうはいかない。特に赤目はアルビノという特異体質が由来で起きるそうで吸血鬼が太陽に弱く、目が赤いことの由来の一つらしいと神座万象シリーズで言っていた。

 

「ところが……いるんだよね、それに該当する人が」

 

 割と良いところで丸く収まりそうになっているところに爆弾が投下される。投下した人物は鈴の隣ににこやかな笑顔を浮かべながら座っていた中村恵里だった。

 先の発言の後、恵里は顔に手を伸ばし、眼鏡を取ってしまう。

 

 恵里の纏う雰囲気が変わった。

 

「僕の調べた情報なんだけどさ。近い内に、この学校に外国人留学生が来るらしいよ。しかも同級生。以前、学校見学に来ていたんだけど、その女子生徒の特長が金髪赤目の西洋人形みたいなロリ入ってる美少女だという話だ」

 

 眼鏡をかけている恵里はいかにも大人しそうな文学系美少女なのだが、眼鏡を取ると口調と性格が変わってサディスティックな一面をのぞかせるようになる。かなりの情報通であり、噂では亡者の如く恵里に従う情報提供者がそこら中にいるらしい。

 

「マジか……ちなみに中村さん。何組になりそうとかわかる?」

「ちょッ……!? ハジメ君!?」

 

 ハジメがそれとなく恵里に聞いてみる。どうやら結構興味があるらしい。

 

「どういうことなの!? 金髪? 赤目? ロリータ? 一つも私に該当してないけどそんなに私のことが嫌いなのかな? かな?」

 

 香織がすさまじい剣幕でハジメに迫りながら揺らす。あんまり大声を出すものだから増えてきたクラスメイトが何事かと思わず振り返る。

 

「ぐぇ、く、苦しい。そうだ、蓮弥は? 蓮弥の運命の人って誰なんだろうね」

「おいハジメッ、逃げたいのはわかるが、俺に押し付けるなよ!?」

 

 とっさにハジメが蓮弥を巻き込む。蓮弥としては気持ちはわかるがあまり巻き込まないでほしいと思ってしまう。

 

「それならさ、藤澤君の運命の人を占ってみなよ、シズシズ」

「えっ、いや、その、私は別に……そういうの信じてないし……」

 

 と言いつつ雫が雑誌のページを捲り始める。蓮弥は何だかんだいってこの恋人が占いなんかにも興味深々であることを知っている。自分は似合わないと思っているが、顔を赤くしてそわそわしながらページを捲る雫の顔は青春そのものだ。

 

「いやー、青春真っ盛りですなーシズシズは。さて、藤澤君の運命の人は……えっ!?」

「…………銀髪巨乳修道女(シスター)

 

 再び場の空気が硬直したのがわかる。先ほどまでハジメに詰め寄っていた香織すら一時停止して雫の方を見ている。

 しばらく硬直していた雫だが、何を思ったのか突然自分の筆箱から十五センチの定規を取り出して軽く素振りを始める。そして何やら準備が整ったようで雑誌に向けて振り下ろそうとした。

 

「ちょッ!? シズシズ待ってッ!? 何をするつもりなの!?」

「……八重樫流をもってすれば定規も立派な刃物になるわ。ここにはシュレッダーがないから細かくバラバラにしないと」

「だからまだそれ読んでないんだってば!? お願いだから自重してッ!」

 

 どうやら軽く暴走しているらしい雫にどうしたものかと蓮弥はちょっと遠い目で他人事のように思っていた。蓮弥は窓の外の雲の数を数え始める。

 

「おっと、それもいるねぇ~。近くに十字教関連の教会ができるのは知ってるだろ? そこに赴任してくるシスターさんが僕達と年の近い推定Fカップの銀髪美人さんらしいよ」

 

 そこで再び恵里による爆弾が投下される。恵里がこの場がもっとカオスになればいいのにと愉悦を浮かべていた。

 

「そうか……確かできる予定の教会って帰り道ずらせば通るな」

「なッ、ちょっと蓮弥どういうことッ!? やっぱりおっぱいなの? そんなにおっぱいが好きなのッ!? それだったら別にその銀髪シスターの方に行かなくても、私だってFカップあるしッ! スタイルだって、こう言っちゃなんだけど蓮弥がやってるゲームキャラの大半に勝ってる自信が……」

「冗談だ。それに教室でおっぱい連呼すんな。八重樫雫らしからぬ発言で周りが驚いてるだろ」

 

 蓮弥と雫は恋人同士だ。付き合って数ヵ月経つ上に二人の関係は相当親密なので、蓮弥は雫が二次元顔負けのスーパーモデル体型をしているのをすでに知っていた。だが同時に他の女性も少しは興味があると言うのも男の性なのだ。それが珍しい人種であればなおさらである。

 

 だがそうこうしている内にとっくにホームルームの時間を過ぎていたらしく。蓮弥達の背後にクラスの担任と一限の世界史を担当する副担任でもある畑山愛子先生が苦笑いを浮かべていた。

 

「おい、お前らぁ。私の前で恋愛相談とかいい根性してるな~。おい白崎、お前恋愛暴走事件を引き起こして一ヵ月毎朝道場掃除させられたのもう忘れたのか。どうやらまたやりたいらしいな、今度は二ヵ月くらいがいいか? 八重樫もだ。剣道部のエースが愛だの恋だのうつつを抜かしてると……お前だけ練習時間倍に増やすぞ」

「「ごめんなさい。それは勘弁してください」」

 

 生徒の恋愛事情にやたらうるさい担任のおかげで──恵里情報だと、また良さそうな男に振られたらしい、蓮弥としては素体はいいのだから万年ジャージを何とかしろと言いたい──何とかホームルームを終え、一限の世界史に乗り出すことができた。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~

 

「なんというか最近一日があっという間だよな」

「なによ、急に。年寄みたいなこと言って」

 

 放課後、蓮弥と雫は一緒に下校していた。雫の部活が終わるのを待っていたので既に日は落ちている。

 

「そのまんまの意味だよ。昔は一日がもっと長いと思ってたんだけどな」

「そういうものじゃないの? こうやって私達は少しずつ大人になっていくのよ」

「そうだといいけどな」

 

 それから雫とたわいもない話をして歩き続ける。ハジメと香織の恋模様。香織と雫が別の男と付き合う──片方は今のところ片想いだが──ことで、完全フリーが周知の事実になり、以前までの八方美人の代償に学校中の女という女から恋人の座を狙われて辟易としている光輝の様子だったり、実は少しいい仲になりつつある龍太郎と鈴の話だったりと学生ならではのありふれた会話を続ける。

 

 

 そう、このままありふれた日常が永遠に続くのだ。

 

 

 蓮弥の世界に……異能なんていらない。

 

(本当にそうか?)

 

「蓮弥……どうしたの?」

「いや、何か……変だ」

 

 なぜだろう。蓮弥の頭の中で何かが警鐘を鳴らしている。それが何なのかはわからないが何かいけないことのような気がする。

 

「あれ? ここって」

 

 ふと雫が声を漏らしたので蓮弥も横に目を向ける。そこには教会が聳え立っていた。

 

「まさか……道を間違えたのか」

 

 なぜだろう。蓮弥はどうしてもここに入らなければならない理由を感じていた。()()()()()()()()()()()()、勝手に足が教会の方に向いていく。

 

「蓮弥、待って!」

「雫?」

 

 雫は蓮弥の目を見つめる。まるで何か言いたいことがあるけど言えないという切なそうな顔をする。

 

「……やっぱり……私だけじゃダメなのね」

「雫?」

「あーあ。少しくらい独り占めしてみたいと思ってたんだけどな~」

「おい、雫。だから何の話を」

「なんでもないわ。わかってたことだもの。さあ、行きましょう、蓮弥。あの子が待ってる」

 

 そう言って雫は蓮弥と足並みをそろえて教会の中に入る。

 

 そこはステンドグラスが月明かりに照らされて幻想的な光景を醸し出していた。複数の椅子が置いてあり、部屋の中央には一つの像が存在していた。

 

 磔にされた、美しい女の子の像が。名もなき聖女の像と名付けれたそれを見た時、蓮弥は思わず口に出していた。

 

「ユナ?」

 

 その言葉がキッカケで蓮弥の頭がはっきりしてくる。そう、ようやく思い出したのだ。この世界が何なのか、自分達が何をしていたのかを。

 

「そうか……これも大迷宮の試練の内か」

「そうよ、ここは夢の世界。多分だけどその人が見たい理想の世界を映し出すんじゃないかしら」

 

 隣にいる雫がこの世界について説明してくれる。その様子から、彼女が蓮弥の生み出した夢の住人ではないことを物語っていた。

 

「お前は……本物の雫なんだな」

「そうよ。修行中の身とはいえ、私は盧生だもの。相手が解放者だろうと夢の扱いでは負けないわ。私の試練は入った瞬間、解法で破壊して攻略済みよ」

「それで時間を持て余したお前は、俺の夢が気になって潜航してきたと」

「…………ちょっと気になっただけよ。蓮弥がどんな夢を見ているのかなって」

 

 どうやらここは夢の世界であるらしいと蓮弥も理解する。そう思うとユナの内界や雫の夢に近い場所のように思える。そしてこの場所が蓮弥の理想を映す鏡の世界なのだとしたら。

 

「もし、俺がエイヴィヒカイトなんて異能力を授からずに、平和を謳歌できてたらって感じか。たぶんあのまま進んでたら引っ越してきたシスター役のユナとも知り合ってたんだろうな。そういえばユナは?」

 

 蓮弥の夢ならユナもいるかもしれないと思ったが、雫も首をかしげる。

 

「わからない。けどここにはいないみたいね。ユナに限って何かされてるとかないと思うけど……」

「だったら早くここから出るぞ。俺がその意思を固めた以上、脱出できるのがセオリーだろ」

『その通りです。あなたは試練をクリアーしました』

 

 蓮弥が思った瞬間、空間に声が響き渡る。

 

『だけど忘れないで、現実で積み重ね、紡いだものこそが君を幸せにするのだということを』

 

 そういってこの空間が光に満ちていく。どうやら無事この試練を突破したらしい。このまま光に身を任せていれば次の試練にたどり着くのだろうと蓮弥は予想する。

 

 そうして蓮弥と雫はこの空間から離脱しようとして……

 

 

 

 ドクン

 

 

 

『なんだこれは……実に下らない茶番だな』

 

 

 

 空間が闇に包まれた。

 

「なッ!?」

 

『現実で積み重ね、紡いだものが幸せを産むだと。下らん戯言を。貴様らの幸せなど、俺の役に立つこと以外あるわけなかろう』

 

 それは……まるでどす黒い闇。この世界を染め上げ、何もかも台無しにする底なし沼のような黒。

 

 

『いい夢は見れたか塵屑共。なら次は……俺が本物の悪夢(絶望)というものを教えてやる』

 

 そして、蓮弥と雫の間に亀裂が走る。まるで二つの世界に分かたれたかのように。光に包まれ上に昇る蓮弥と、闇に足をとられ、底に沈んでいく雫。

 

「なッ、待ってろ! すぐに助けてやる!」

 

 蓮弥が創造を発動し、この世界の異常を破壊しようととするが、一瞬遅かった。

 

 蓮弥と雫のいる世界が完全に分かれ、遠ざかっていく。

 

「雫──ッッ!!」

 

 ゆっくり下に落ちる雫に向かって必死に手を伸ばす蓮弥を見ると、雫はかつてと逆だなと場違いにも思ってしまう。ならやることも蓮弥と同じでいいだろう。

 

「私は大丈夫。必ずみんなを連れて帰るわ。蓮弥はユナと合流して待ってて!」

「……わかった。必ず戻って来い。信じてるからな!」

 

 雫は強い意思を秘めた目で蓮弥を見て宣言する。これしきの試練を乗り越えられず、いつまでも蓮弥に甘えてばかりもいられない。それに……何となくだが、この声を相手に雫は逃げてはいけないと思ったから……

 

 現実に帰還するであろう蓮弥と裏腹に、雫は夢のさらに深い階層へと落ちていった。

 

 

 ~~~~~~~~~~~

 

「さて、ここはどこなのかしら?」

 

 全て闇という状況から目が見えるようになったことで雫は辺りを見回す。

 

 そこはおそらく洞窟だろうか。天井の高さは5、6メートルくらいはあり、横幅は十メートル。今となっては懐かしいオルクス大迷宮を思わせる通路だった。

 

(駄目ね。やっぱり解法でも出られない)

 

 一応雫は夢を崩す要領でこの世界を破壊できないか試してみたが無理だった。どうやら無理やり脱出することはできないらしい。おそらくこの世界を構成している何かを見つけなくてはならないのだろうと推測する。

 

「っ……ここは……」

 

 声のする方向を見てみると硬い床に倒れていたハジメが目を覚ますところだった。

 

「南雲君、無事?」

「八重樫か? ここは一体どこだ?」

「わからないわ。私も今落ちてきたところだから」

 

 そしてよく見てみると周辺に人が固まって寝ていることがわかった。

 

 雫がざっと見た限り、蓮弥とガハルド以外の人は揃っていることを確認した。

 

「ユエ……調子はどうだ?」

「……ん、ハジメ?」

「ああ、俺だ」

「……本物のハジメ?」

「はは、何でそんなことを聞くのか何となく理由はわかるけど……それはユエが判断してくれ。今、目の前にいる俺がユエにとって本物か。それとも偽物か」

 

 どうやらユエが目を覚ましたらしく真っ先に近寄ったハジメがユエの無事を確認する。会話のやりとりを聞く限り、どうやら試練の内容は似たようなものだったことがわかる。

 

「ちなみに、俺は今、俺の腕の中にいるユエが正真正銘、本物のユエだと確信してるぞ」

「……どうしてそう思うの?」

「違和感を何も感じないからな。……俺の内側の深いところ、きっと魂とかそんな場所が訴えてるんだ。今、腕の中にいるのが紛れもなく南雲ハジメの特別だって」

「ふふ……私も、私の深いところが、今、私を抱いている人がハジメだって言ってる。さっきの質問は忘れて?」

「まぁ、寝起きだしな」

「……そっちの私はどうだった?」

「うちの高校のセーラー服が死ぬほど似合ってた」

 

 

 二人がイチャイチャし始めたことに微妙にイラッとした雫が二人に介入することにした。

 

「おほん。二人ともイチャイチャするのは他所でやってくれないかしら。あと水を刺すようで悪いけど、ここはまだ夢の中よ」

「は?」

 

 ハジメが思わずユエを見る。もしかして散々カッコいいこと言っておいて実は偽物でしたというオチを警戒したのかもしれない。

 

「安心していいわよ。ここは夢だけどユエも私も本物だから」

「おい、それは一体……」

「ふざけんな──ですぅ!」

 

 ハジメの疑問に答える前に威勢の良い声と共にシアが起き上がる。勢いよく立ち上がったところで周囲を見渡すシア。

 

「あれ? ここ、どこです?」

「おはよう、シア。俺もよくわからん。さっき目覚めたばかりだからな。その辺りの事情を八重樫に聞こうとしてたんだが……」

「それは後にしましょう。今はみんなを起こすことが先決よ」

 

 雫はまずみんなを起こすのが先決だと周囲に倒れている仲間を順番に起こしていくことにした。

 

「悪くはないが……微妙に妾の趣味とは違うのじゃ──」

 

 次に起きたのはティオだった。その発言から大体どんな夢を見ていたのか察したハジメ達は、思わず無言となり蔑んだ眼差しを向けていた。

 

「う、ん。……あれ? 雫ちゃん?」

「おはよう、目が覚めた?」

 

 次に目覚めた香織は何やら周りをキョロキョロ見渡している。どうやらまだ若干寝ボケているらしい。

 

「雫ちゃん……ハジメ君を入れるための箱は?」

「そんなものはないし作らせないから。良い加減目を覚ましなさい」

「はぅ」

 

 雫はとっさに創形したハリセンで香織を叩いた。

 

 それから光輝、龍太郎、鈴、優花、真央が目覚め、一応ここにいるメンバーが全員目覚めたことになった。

 

「今のが夢? そうか、俺はまだ未練を……」

「ちくしょう。もう少しで勝てたのによ」

「そうだよね。私がちゃんとしなきゃいけないんだもんね。うん、大丈夫。頑張れるよ」

 

 光輝が何やらぬぐいきれない未練を思い、龍太郎は素直に悔しそうにし、鈴は切ない顔から一転して気を引き締める。

 

「えーと、それで……私達はまた次の場所に転移したのかな?」

「いいえ、それは違うわ香織。ここはまだ、夢の中よ」

 

 そして最後に、真央がこの場所を夢の中だと断定する。その迷いない言葉に周りの仲間は少し困惑しているようだった。

 

「えーと、つまりここが夢だとすると……もしかして皆さん偽物なんですか?」

「いいえ、シア。ここは夢だけど、みんなは本物よ。どうやら夢界(カナン)の三層以降の階層に落とされたみたいね」

「雫……どう言う意味?」

 

 シアが夢だと言われたことで周りを訝しむが、雫が仲間を警戒する必要はないと真央の言葉に補足を入れる。ユエが何故雫や真央が夢だとはっきり理解しているのかここで一度整理したそうだったので、雫は自分の知識を少し披露することにする。

 

「えーと、夢と一口に言っても種類があるのよ。正確には見ている夢の深さが違うと言うか……つまりここは普通の人が見ている夢より深い夢で、みんなと夢で繋がっているのよ」

「すまん。よくわからん」

「そうね。ごめんなさい。私も上手く説明できる自信がないわね」

 

 とはいえ、雫とてこの辺りの理屈はよくわかっていないので上手く説明できない。ハジメ達もいまいちよくわかっていないと言ったような態度を見せている。以前伯父が何か言ってた気がするが、雫は伯父のいうことだからと真面目に聞いていなかった。それを少し悔やむ雫に真央が補足を入れる。

 

「夢は全部で八階層あるとされるわ。第一層『モーゼ』、これが普通の人間が見ている夢の階層。寝て起きたら忘れる夢と思ってくれたらいいわ。次に第二層『ヨルダン』。明晰夢、かつ連続夢の世界で昨日見た夢の続きを今日見れるといったような感じの世界よ。この階層から意識の断絶という現象とは縁がなくなるわね。そして第三層『エリコ』。この階層から他人と夢を共有できるようになるわ。そうね……ネットゲームを思い浮かべてくれたらわかりやすいかも。今まではオフラインで完結していた夢を夢界というサーバーに各自接続することで他の人間と出会えるようになる感じかしら」

「なるほど。つまり俺達は全員現実では眠ってて、夢の世界とやらで意識が繋がっている状態ということか」

「その通り」

 

 真央の説明でようやく理解できたらしいハジメ。ネットゲームがわからないこの世界出身者はともかく、現代地球でネットに関わらないものなどいないので光輝達も一定の理解を示している。

 

「真央あなた……一体何者なの。どうして私でもわからないことを……」

「ごめんなさい。一応決まりだから詳しくは話せないのよ。けど、あえて言えることがあるとすれば……私は、石神静摩の部下よ」

「伯父さんの!?」

「さて、無駄話はここら辺にしておきましょうか。まずは現状を把握しましょう。確認するけどついさっきまで理想の夢の世界にいたことは理解しているわよね?」

 

 真央が一旦話を切り、ここにいる全員に起きていることを共有するために口を開く。

 

「そうだな。俺は理想世界を否定したらいつの間にかここにいたって感じだ」

「ハジメと同じ……魔王様なハジメは名残惜しかったけど」

「私はハジメさんやユエさんと一緒に戦う決意をしたらここにいました」

 

 どうやら雫達と同じく、各自理想の夢を見せられてそれを拒絶できれば目覚められるはずだったらしい。

 

「私はその……ちょっといい夢見れたかな。うん、頑張らないと」

「優花がどんな夢を見たのか大体察するけど……そう簡単にはいかないからね」

 

 優花が名残惜しそうにしていることを考えるに、間違いなく蓮弥が関係していることを察した雫は軽く牽制を入れる。夢は侮れない。夢で起きうることは全部現実で起きうるかもしれないことなのだ。こんな状況だが譲れないものはある。

 

 

「妾も同じじゃよ。正直妾は結構危なかったのじゃ。あの飴と鞭の使い方。どうすれば妾が喜ぶのか熟知しきった手腕には感服せずにはおれん。少し妾の好みとズレてなければ危なかったのじゃ」

 

 どうやらティオはこの世界でも相変わらずらしいと周囲の人間が冷たい目でティオを見る。しかもどうやらティオは相当危なかったらしく、話す内容を想像するにドMのド変態がどうやったら喜ぶのかというのをまるで我が事のように熟知しきっていた夢だったらしい。

 

「そういえば蓮弥が言ってたわね。ミレディの話から察すると、この大迷宮の主であるリューティリス・ハルツィナは解放者版ティオだって」

「あっ」

 

 みんなが察したと言わんばかりにティオを見る。

 

「つまりドMのド変態同士息があったということか。そいつが死んでて良かったな。ティオが二人になるなんて想像するだけで寒気がしてくる」

「絵面がやばい」

「お主等容赦ないのぉ、あふん」

 

 ハジメがドMが二人になった時のことを想像して鳥肌を立たせている。ティオがそれを聞いて反応しているが、そういうところだと全員言いたそうにしていた。

 

「となるとアレかな。ドSだっていうメイル・メルジーネさんがハジメ君ポジだったのかな?」

「なんか聞いてたら解放者って結構色物集団なんだな。うん? そういえば蓮弥はどうした? それにおっさんもいないよな」

 

 何やらミレディが聞いたら怒りそうなことを言ったハジメが、今になって蓮弥がいないことに気付いたらしい。どうやら理想の夢から覚めて寝ぼけていたのはハジメも同じのようだった。

 

「蓮弥は上手く脱出したと思うから今頃、現実の方から私達のことを何とかしようとしていると思う。あの人はどうかは知らないわ」

「藤澤はそれでいいとして、どうして私達だけなのかは気になるけど、それは後回しでいいかもしれないわね(それにあいつもいないし。こういう時、解法使いのあいつがいれば頼りになるのに)」

「確かにここでじっとしてても始まらねぇ。まずは奥に進むぞ」

 

 そう言ってハジメが先導して前に進む。雫は一応後方を警戒して殿の位置に付くことにした。この世界が夢の世界なのだとしたら何が起きてもおかしくはない。雫にとって良く知っていることだった。

 

 

 ~~~~~~~~~~~

 

 そして歩くこと数十分。一際開けた場所に出たことでそれを発見した。

 

 一つはおそらく出口。洞窟の先から光が溢れだしており、本能的にそれが出口なのだと誰もが思った。

 

 

 そしてもう一つは……

 

「なッ……」

「なんだ、これ?」

 

 この世界で彼らが不本意にも見ることになったものとは少し様相は違っていたが、そこには確かに、一つの死体が転がっていた。

 

「これって……ミイラ?」

「博物館とかに飾ってある奴?」

「気色わりぃ、なんだよあれは」

 

 香織がその存在をミイラだと定義する。鈴が言うように世間一般的には博物館などで見ることができるものである。だがそれを見つめる皆の表情は固い。龍太郎なんかはわかりやすく嫌悪感を示している。

 

 

 そう、彼らはそのミイラに不気味さを感じていた。本来ミイラとは分類的には”物"にあたる。誰もがそれを人間の死体だとわかっているはずなのに、博物館に飾られて観光に利用されているような代物だ。死体でもここまでくれば恐怖など早々感じない。はずなのに……

 

「あのハジメさん。私の気のせいですかね。あれ、何か私達を睨んでません?」

「なんだか嫌な感じじゃの。妾でもアレはごめん被るのじゃ」

「……気持ち悪い」

 

 皆は得体のしれない恐怖を感じていた。それはこの世界の住人も地球人も関係ない。ここに来るまでに皆が皆、それ相応の人の死や死体と言ったものに触れてきたにも関わらず、今までにないほどアレに死の恐怖を感じている。

 

 

 あれは穢れている。触れてはならないと誰でもわかる。だが、そのミイラは出口と思わしき場所の近くに横たわっており、アレを無視して先に進むわけにはいかない。

 

「なんだかよくわからねぇが、何さっきからガンくれてんだ。舐めんじゃねぇぞ! ああ!」

 

 挑発されていると判断したハジメがミイラに威圧を叩き返しながらドンナーを抜き放ち、そのミイラに向けて構える。臨戦態勢は整っている。何が来ようと臆せず相対できる準備はできていた。

 

「なっ、南雲!?」

「なんというか……流石だぜ」

「あんな気味の悪い物相手でも、まるで物怖じしてないし」

 

 光輝や龍太郎が驚愕やら納得やらを浮かべてハジメを見る。優花は少し呆れが混ざっていたが。

 

「それでこそハジメ、私達にできないことを平然とやってのける」

「流石ですぅ。確かに、あんな死体にビビってられませんよね!」

「はぁ、はぁ、たまらぬ。妾も後でその蔑むような目を向けてもらえぬかの」

 

 だがこのいつものらしさを失わないハジメの行動により、どうやらユエ達の恐怖が多少晴れたらしい。

 

 

 怖気づいたら負けだと言うのがハジメの基本的な戦闘スタイルだった。それはオルクス大迷宮の奈落の底での経験が根底にある。戦いというのは基本的にビビった方が負けなのだ。より戦術的な話をするなら即断速攻。つまり相手より一歩早く行動すること、それが勝敗をわけることになるということをハジメは良く知っていた。

 

 

 まずは相手を威圧する。それによって相手が怯めばその隙に攻撃できるし、それで平然としているなら相手の力量がわかるというもの。逆に相手の威圧に怯めばその瞬間こそが命取りになることもあるし、逆に心が負けていなければ常に頭を動かすことによって起死回生のチャンスを狙うこともできる。

 

 

 そして先制攻撃だ。まずはこちらから攻める。罠を警戒する必要はあるが、罠を張っている敵に時間を与えればそれこそ敵の思う壺だ。そして自分の攻撃に対して、相手がどう出るのかを分析し、それに適合した戦術を頭の中で組み立てて最適化し、再度実行する。筋一本でも、コンマ一秒の速さでも、一滴の魔力でも、半歩先の先読みでも、相手を上回れば生き残れる。頭の回転の速さに自信があったハジメが、奈落の底で築き上げてきた精神面での戦闘スタイルだ。

 

 

 この効果は仲間にも及ぶ。どんな相手にも怯まない。常に前進を続けるハジメの姿は周りにも影響を及ぼす。現に今までの戦いでもハジメのその啖呵や行動が仲間の勇気になった事例は多数ある。

 

 

 

 だが……

 

 

 

 

 

『見下したな……この俺を』

 

 

 

 何事にも絶対というものはない。物事には相性というものがある。ある敵には通じたからと言って他の敵にも同じやり方が通じるとは限らないのだ。

 

 

 そう言う意味で言うなら、今回の敵は言ってしまえばハジメとは……

 

 

 相性最悪だったとしか言いようがなかった。

 

 

 

 

(かわ)(しぼ)()(こや)セ。()()ルガ(ごと)(しず)(こや)

急段、顕象──

 

 この詠唱でとっさに反応したのは二人。

 

 一人は雫。彼女は今の詠唱らしきものでそれが己に類する力であること、何らかの協力強制が成立し、邯鄲の奥義と言えるものが発動しようとしていることがわかり、とっさに防御系の夢を全力で行使した。

 

 そしてもう一人が真央。彼女も雫と同じくこれから起きることを察していたが、彼女はもう一歩先に踏み込んでいる。

 

 

 なぜなら真央はこの詠唱を知っていたから。第二次世界大戦で猛威を振るったと伝え聞く、邪悪な祈りを。

 

「この詠唱。そんな、まさか……。駄目ッ! 逃げて!!」

 

 顔を真っ青にしながら真央は無駄だと知りつつもそう叫ぶしかなかった。

 

 

 

 

 理想の夢という心地の良いぬるま湯の時間は終わった。

 

 

 これより始まるのは地獄の亡者の狂騒曲。

 

 

 既に一世紀も前に滅びたはずの逆十字の始祖が、時を超え世界の壁すら超え。

 

 今この時に蘇る。

 

 

生死之縛(しょうししばく)玻璃爛宮逆サ磔(はりらんきゅうさかさはりつけ)

 

 

 (やみ)が、洞窟内に溢れだす。




悪夢が今、始まる。

この詠唱を見て「ひぇ……」って思ってくれた人がどれくらいいるのだろうか。初見の人は技名を調べてみると、どれだけやばい状況なのかわかると思う。\(^o^)/

次回推奨BGM、柊家の朝の食卓のテーマ

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