ありふれた日常へ永劫破壊   作:シオウ

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大変おそくなりました。活動報告にも書きましたが長年の相棒であったPCが逝ってしまい、執筆活動に支障が出たことが原因です。

宣言通り今回からハジメとユエ編が始まります。


アヴァタール王国

 300年前──それはまだ、ユエが自らの運命に翻弄される前。

 

 

 トータスの大陸の南西の果てに存在するアヴァタール王国は総人口10万人程度の小国でありながら、当時最古の歴史を誇る国だった。

 

 長い歴史故に幾度か王族が代わり、国の名前が変わることがあったが、南大陸に住む先住民族『魔族』の一種である吸血鬼族が納める国であるという点はいつの時代も変わらない。

 

 晴れることのない霧と凶悪な魔物、凶悪な自然トラップが複数存在する世界でも有数の危険地帯、『紺碧の大地』に囲まれるように存在するその国は、巨大な段々畑のような石灰色の大地の上に、豊かな緑や水と共にある美しい国であった。

 

 自然の要塞に囲まれ、護りに長けた地形に辺境でありながら肥沃な国土を持つ、そんな国にアレーティアは誕生した。

 

 当時は乱世であれど比較的穏やかな時代であり、当時の国王夫妻も念願の初子ともありアレーティアに対し、惜しみない愛情を注いだ。

 

 そんな環境で育ったアレーティアは健全に成長していく。そう、この時のアレーティアは何の疑いもなく、この幸せがずっと続くのだと信じて疑わなかった。

 

 これはアレーティアが幸せだった頃の一幕の記録である。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~

 

 アヴァタール王国王都、アヴァターラのさらに中心に位置するアヴァタール城、そこに存在した迷路のような中庭に幼いアレーティアは息をひそめるように隠れていた。

 

 

 アレーティア・ガルディエ・ウェスペリティリオ・アヴァタール。

 

 アヴァタール王国の王女である彼女は、御年11歳になる見目麗しい美少女だった。光を受けて輝くような金髪に端正な顔立ち。年齢相応の幼さはあるが、将来成長すれば美しい大輪の花となると誰もが予想するだろう。

 

 

 そんなアレーティアだが前述したように隠れるように中庭に潜んでいる。つまり彼女は何かから逃げていた。

 

「ここなら……」

 

 逃げているといっても暴漢などに襲われているわけではない。そもそもここは王城の一部であり、暴漢など入り込む余地などない。

 

 つまり、非常に私的な理由でアレーティアは隠れていた。

 

 一人になったアレーティアは持ってきた本を取り出す。それはこの国に数多くある魔導書の一つ。トータス最古の歴史を持つアヴァタール王国には他国では失われたとされる貴重な文献などもいくつか存在する。その中でもアレーティアの関心を引き続けるのは魔法に関連するもの。いまだその才覚は目覚めていないものの、後の世界最強の魔法使いとしての片鱗はこの頃から現れていた。

 

 魔導書を読みながら当時の世界の文明や神話、その他自然体系を思い浮かべ、自分ならこんな魔法を使う、今ならこんな魔法が便利そうだ、などを考え新しい魔法を考えたり、実際に作ってみたりする時間がアレーティアは好きだった。

 

 だが、そんなアレーティアの読書タイムはそう長くは続かない。

 

「見つけましたよ。アレーティア」

「ッッ……ミーシャ!?」

 

 アレーティアは恐る恐る声が聞こえた方を向くと、そこには自分の教育係であるミーシャことミシェール・イル・ダスティアが軽い怒りを滲ませるような表情で佇んでいた。

 怒らせると怖い教育係がアレーティアの頭上に佇んでいいる光景に対し、アレーティアは思わず冷や汗を流す。そしてそんなアレーティアを溜息を吐きながら諫めるのはミシェールの仕事だった。

 

「まったく。魔法の授業の時は大人しいのに。さぁ、戻りますよアレーティア。今日は座学の時間です」

「ええー。あれつまらないからやだー」

「つまらないとは何ですか。知識を蓄えることはとても大切なことなのです。いいから部屋に戻りますよ」

「ブー」

 

 この頃のアレーティアはとてもおてんばであり、嫌な授業の時は隙を見て抜け出すなど頻繁に起こしており、決して真面目な方ではなかったのは間違いない。

 

 じっとしているより外で魔法の練習がしたい。そんな年頃のアレーティアは教育係であるミシェールをいつも困らせていた。

 

 どうやら今日も一日王族としての勉強漬けの日になることを幼いアレーティアは悟る。だがその場にアレーティアの救世主になり得る第三者が登場する。

 

「ははは、いいじゃないか少しくらい。私も昔はよく教育係から逃げ出したものだよ」

「ディンリード様」

「ディン叔父様──ッッ!」

 

 不貞腐れていたアレーティアの元に訪れたのはこの国の若き宰相。

 

 ──ティンリード・ガルディア・ウェスペリティオ・アヴァタール

 

 アヴァタール王国現国王ランバートの実弟であり、その才覚は周辺国にもその名が轟くほどであり、現在アヴァタール王国を支える柱の一人だ。

 

 

 優しくて大好きな叔父様の登場にアレーティアが飛び上がるように立ち上がり、ディンリードの胸に飛び込む。

 

「おかえりなさい、叔父様ッ!」

「ああ、ただいま。久しぶりだねアレーティア。しばらく見ない内にまた一段と素敵なレディーになったんじゃないか?」

「ふふん。私だって毎日成長してるんだから。いつかミーシャみたいにボンキュッボンに私はなる!」

「ははは、それは楽しみだ。ところでその言葉はいったい誰に教わったのかな? 少々問題があると思うからその人に私は直々に指導しなければならないと思うんだが?」

 

 半年以上遠征に出ていたディンリードの登場にミーシャは貴族としての挨拶を行う。

 

「お帰りなさいませ、ディンリード様。本日帰還する旨は把握していましたが、ここに来るにはいささか早すぎるのでは? ランバート陛下には帰還の挨拶はされたのですか?」

「そんなものは後でいい。兄上に報告してもつまらない長話を聞かされるだけだからね」

 

 どうやら報告をすっ飛ばしてこちらに直行してきたらしいディンリードに呆れた視線を向けるミーシャ。だがそんな視線も姪と戯れるディンリードにとってどこ吹く風だった。

 

「それより愛しの姪と触れ合う方がよっぽど有意義だ。……もちろん愛しの婚約者ともね」

「……そんなこと言っても絆されません。後で報告書をまとめて王宮に提出してください」

 

 アレーティアを撫でつつミーシャにウインクするディンリード。そんなディンリードに対して視線を逸らしながら苦言を呈するミーシャ。ディンリードは表情を変えずとも照れてるのがわかる婚約者と素直に喜ぶ姪を見てほっと息を漏らす。

 

「ねぇねぇ叔父様。今度はどこに行ってたの? 何かお土産ある?」

「ははは、何か買って帰ろうかと思ったけど、あいにく時間が余りなくてね」

「そうなの? ……残念」

「許しておくれアレーティア。次は必ず珍しいものを持って帰るから」

 

 アレーティアは純粋に残念がっているが、実の両親以上にアレーティアを可愛がっているディンリードが何も用意できなかったと聞き、ミーシャは真剣な表情にならざるを得ない。

 

「やはり、他国は厳しい状況なのですか?」

「いいや。まだそこまでは厳しくはない。だが……やはり聖教教会の信徒が徐々に増えているのは確かなようだ」

 

 ここ数年。魔人族を始めとする南大陸の国家で北の大陸の宗教であるはずの聖教教会の信者が増えている。現状はまだ小規模であり、問題にはなっていないが、この世界で長年行われてきた戦争の火種はいつだって宗教が原因だ。比較的穏やかな時代である現代においても、いつ宗教がきっかけで戦争が起こってもおかしくないのだ。

 

「難しい問題だ。彼らを異端だとして排除するのは簡単だが、異物をいつまでも排斥し続けていれば歩み寄る機会がなくなってしまう。それに排斥がきっかけで戦争に発展するというのは、過去幾度も繰り返してきたことだ」

「200年前の人竜大戦ですか?」

 

 ディンリード達の時代から200年ほど前。世界は竜人族の手で一つに纏まりかけた時代があった。あらゆる人種がかの国に集まり、世界は竜人族を中心に一つに纏まろうとしていたが、それを台無しにしたのは、当時一番竜人族の庇護を受けていたはずの人族による竜人族の排斥だ。

 

 それにより人と竜人との戦争が勃発。その戦いは人族と竜人族だけにとどまらず、南の魔人族をも巻き込み大きな戦争に発展した。

 

 結果、数で劣る竜人族は絶滅し、この世界から姿を消した。残されたのは、竜人族を排斥した人族を愚かだと罵る魔人族と、神の名の元に大儀を成したと勢いづく人族だけだ。

 

「まったく愚かしいことだよ。当時の戦争は記録でしか残っていないが、人族の選択は大きな過ちだったとしか言いようがない。これが神の信託によるものだとしたら猶更ね」

 

 アヴァタール王国に国教となる宗教は存在しない。だがだからこそトータス最古の王国は今も続いているのではないかとディンリードは思わずにはいられない。

 

 果たして、この世に神の教えなど必要なのか。その疑問が年々大きくなっているのをディンリードは感じていた。

 

「もう、二人して難しい話ばっかり!」

「ああ、ごめんごめん。まだアレーティアには早い話だったかな?」

「いいえそんなことはありません。真面目に授業を受けていればついてこれる話です。なので話についていけるように今から授業を行いますよ、アレーティア」

「え~~」

 

 話がうやむやになったかと思えば、再び授業の話になったことに辟易とするアレーティア。物覚えが悪いわけではなくむしろ優れた頭脳を持つアレーティアだが、まだまだ遊び盛りだということだろうか。

 

「はぁ……そういえば、アレーティアのお気に入りの例のパン屋ですが、つい最近新作を出したそうですね」

「っ本当!?」

 

 アレーティアはいつももちもちサクサクのおいしいパンを焼くお気に入りの店の話に目を輝かせる。

 

「もし今日の勉強を頑張れば、ご褒美にパン屋でおやつを買ってきましょう」

「本当!? なら私頑張る!」

 

 急にやる気を出したアレーティアは駆け足で自分の部屋に戻っていく。先ほどまで嫌がっていたのがウソみたいな光景だ。

 

「ふふ……」

「何かおかしなことでも?」

「いや、なに……君も十分甘いじゃないか」

「別に、そんなことは……」

 

 なんだかんだアレーティアを甘やかしてしまう婚約者にディンリードは機嫌良く笑う。

 

「ねぇ叔父様」

 

 機嫌良く笑っていたディンリードに対し、前を進んでいたアレーティアが振り返る。

 

「何か難しい話をしてたけど大丈夫。いつか私の夢が叶ったら全部なんとかしてみせるんだから!」

「ほう、夢と来たか。そのアレーティアの夢は一体何なんだい?」

「まだナイショ。いつか話してあげる!」

 

 そうやって笑顔で駆けていくアレーティアを優しく見守るディンリードとミーシャ。

 

 

 世界の情勢は予断を許さない状況が続いている。だがせめて愛しの姪の世代くらいは、穏やかな日々が続けばいい。ディンリードもミーシャもそう願わずにはいられない。

 

 そのためならどんな苦労も惜しまない。そう思えるのだ。

 

 

 だが、世界は決して優しくはなかった。

 

 アレーティアが12歳の誕生日を迎えた際、奇跡のような才能が目覚め、それが世界に広く知れ渡ってしまう。

 

 そしてその日を切っ掛けにアヴァタール王国の同盟国が次々と同盟を破棄し王国に宣戦布告した。

 

 

 当時のアレーティアは12歳。幼きアレーティアにとって11年もの長きに渡る戦争の火ぶたが切って落とされたのだ。

 

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 廃墟となった町を南雲ハジメとミシェール・イル・ダスティアが歩く。

 

 

 旧王都アヴァターラ。かつての栄華など感じられない死の都を歩く二人の間にはやはり緊張感があった。特にハジメは敵地のど真ん中であることもあり落ち着かない様相を見せている。長くもなく、短くもない時間が過ぎた頃、まるで過去を懐かしむかのようにミーシャが口を開く。

 

「ここは……アレーティア様が好きだったパン屋です。度々授業を抜け出すアレーティア様をやる気にさせる為、ここのパン屋にはお世話になりました」

「……そうか」

 

 店と思わしき残骸を前にて告げられた言葉に、ハジメは改めてここがユエの故郷なのだと思い知る。

 

 かつて、ここでユエは産まれ、生きてきた。知識ではユエの故郷の王国が300年前に滅びたことを知っていたハジメだったが、この廃墟と化したユエがここを訪れた時、何を思ったのか考えざるを得ない。

 

 ハジメはユエから女王時代の話を聞き出そうとしたことはない。ユエ自身が新しい世界で生きることを希望していたし、好んで滅亡した国のことを語りたがらないだろうとハジメが配慮したからだ。

 

 最もその配慮のせいで、ユエの本当の名前を非常に不本意な形でハジメは知ることになってしまったわけだが。

 

 

 そう、今になってハジメはもっとユエのことを知るべきだったと思っている。ユエの恋人でありながら、ハジメはユエの過去をほぼ知らずに過ごしてきたのだ。最後の大迷宮を超えた今なら、内心の臆病さが原因でユエの深いところに入れなかったのだとわかっているが、もっと早くユエとお互いのことを語り合う機会を作れば、ユエが魔力を失うような傷を負うことはなかったかもしれない。

 

「らしくねぇな」

 

 歩いている町の死臭に充てられたのだろうか。ハジメは己が感傷に浸っていることに気づき、一旦思考を落ち着かせる。

 

 これから大事な場面だというのに、この調子では思わぬ不覚をとることもあるかもしれない。だからこそハジメは気合を入れる。

 

 失敗した過去は覆らない。けれど失敗を糧に新たな未来を築いていくことはできるのだ。

 

 そう、だからこそ……

 

 

 目の前にそびえ立つ巨大な廃城にいるであろう最愛の人を取り戻さなければならない。

 

「ここは魔王城アヴァターラ。かつてこの国の中心であった場所です」

 

 朽ちた城。だが300年前は威厳ある城だったのだと伝わってくる佇まい。かつてユエが住んでいた場所。

 

「では、参りましょう。この先に魔王様がお待ちです」

 

 一応警戒していたハジメだが、どうやら待ち伏せられているということはないらしい。それでも敵地であることは変わらないので警戒しながら魔王城を進むハジメ。

 

 当然ながら中も朽ちており、ここで人が住んでいたと考えられない。それでも通路だけは整理されていたが。

 

 しばらくすると階段が見えたので昇り始めるハジメとミーシャ。

 

 一歩、一歩。

 

 階段を進むにつれて、重くなっていく空気。それは雰囲気だけのものではなく、物理的な重さにも表れている

 

 ハジメは感じていた。階段を昇るごとに、暗くて重い魔力が満ちていくのを。先ほどまで死んでいた城ではありえない。確かな存在感。

 

 間違いなく、この上には誰かがいる。それも近づくだけで潰れそうな魔力を放つ者が。

 

「一応伺いますが調子はいかがですか? ここで倒れられると困るのですが?」

「はっ、舐めんな。今更この程度で膝なんてつくかよ」

 

 もし大災害などの規格外と遭遇しなかったハジメならここで潰れていた可能性はあるだろう。だが数多の脅威を仲間と共に乗り越えたハジメは屈しない。ましてやここに最愛の人がいるのならなおさらだ。

 

 そして、ハジメは荘厳な扉の前に立つ。

 

「ここから先はお一人で」

 

 そう言い残し、ミシェールは姿を消す。残されたのは威圧が漏れ出ている扉の前に立つハジメのみ。

 

「まさにラストダンジョンのボス部屋だな」

 

 あえて調子を外したようなことを言い、感情を整える。

 

 心しろ、この先に、間違いなく強大な敵がいる。

 

 その覚悟を持って、両開きの扉に手をついたハジメは扉を開いていく。

 

 ハジメが開いたその部屋は、玉座の間だった。

 

 外見こそ朽ちた玉座の間。一際激しい戦闘があったのか、多種多様の魔法跡が部屋中に残っている。

 

 玉座の間ならハイリヒ王国でも見たことのある部屋だが、その時のハジメは異世界に来た混乱と興奮でいっぱいで、出迎えてくれたハイリヒ王国国王や王女のことなどほとんど印象に残っていない。だが、招かれた場所がもしここならハジメは城主を忘れることなどできなかったであろう。

 

(座っている主が違うと、ここまで違うのか)

 

 そう、本来空席のはずの玉座には一人の男が座っていた。

 

「ようやく来たようだね。待ちかねたよ」

 

 その男は美しい金髪と紅色の目を持つ男だった。漆黒の記事に金の刺繍を愛らった質の良い衣服とマントを着用している。

 

 その威厳ある姿はまさに魔王にふさわしい。並の人間なら姿を見ただけで膝をついてしまいそうな王者の覇気を放つ姿は実に威風堂々としている。

 

 そして、金髪紅目の組み合わせをハジメはよく知っていた。

 

「初めまして、南雲ハジメ君。姪が、アレーティアが世話になったようだね」

 

 玉座に座りながら、ハジメを見下ろすその目に敵意はない。だが何かを見定めるような気配を感じたハジメはいつでも戦闘態勢に移れるように警戒を緩めない。

 

「私の名はディンリード・ガルディア・ウェスペリティオ・アヴァタール。かつてこの地に存在した古の王国、アヴァタール王国で宰相を務めたものであり、魔人族の国、魔国ガーランドにおいて魔王の座に就く者だ」

 

 その名はすでにハジメの中で既知のものだった。

 

 この戦いが始まる前、邯鄲での修行を終えた雫が語った話の中にこの男のこともあったからだ。

 

 魔王ディンリード。ユエの叔父であり、魔国ガーランドの魔王の座に就いていた男。だが雫が体験した夢においてその正体は……

 

「フリード・バグアーは魔人族の魔王はアルヴというエヒトの眷属神と同一の存在だと言っていた。何千年も前から魔国を従えてきた魔王だと。それがユエの叔父だと? つじつまが合わねぇな」

 

 もちろんハジメはフリードから直接この話を聞いたわけではない。ただ雫が夢で経験した通りのことを聞いただけだ。

 

 正直に言えば、ハジメは少なくともこの現実においては、雫の経験した夢の通りではないとほとんど確信していた。

 

 通信機越しにエヒトに起きたことを知っていれば、彼がエヒトの眷属ではないことは明白だからだ。

 

 だがハジメとしてはどうしても聞いておかなければならないことだった。なぜなら、相手の正体次第ではユエの安否が変わってくるかもしれないから。

 

「ふむ。フリードはそんなことを言ったのか? それとも別に情報源があるのか。まぁどちらでも構わんが、あいにく私はエヒトの眷属ではない」

「それを信じる根拠はねぇな。あんたがユエの叔父なら話をすることは構わねぇが。あんたが神の下僕なら話をするつもりはない」

「なるほど。それもそうだ。では……これならどうだ」

 

 ディンリードが指を鳴らすと、突然彼の影が大きく動き出した。それに対して警戒をあらわにするハジメだが、影は大きく広がるだけでハジメの方には向かってこない。底なし沼のように広がる影から何かが浮かび上がってこようとしているのが分かった。

 

 それは十字架に貼り付けにされていた何かだった。まるで樹木に絡みつくヤドリギを連想させるような枯れたミイラのようなもの。ミイラに良い思い出がないハジメは警戒をさらに高める。

 

 ハジメが警戒しているのを察したのか、ディンリードは笑みを浮かべながら木の十字架を自身の横に浮かばせる。

 

「警戒しなくてもいい。もはやこれに何かをする力など欠片も残っていない」

 

 ディンリードは冷たい目をしながら枯れたミイラに視線を向ける。

 

「こやつこそが神アルヴ。神エヒトの眷属神にして長きに渡り魔人族を操り、この世界を混乱に陥れていた元凶だよ」

 

 もっとも、今は搾りカスだけどね。そう続けるディンリードを横目に、ハジメはミイラを観察する。

 

 まるで存在の全てを搾取されたかのように薄い気配だが、ハジメの魔眼石は確かに神の使途特有の魔力を放っているのを感知していた。

 

「これから微かではあるが神の力を感じるだろう。このようなゴミにも利用価値はあってね。これから搾り取った情報と力、それに文字通り皮をかぶることで長年エヒトの目をごまかしてきた。非常に不快な日々だったがそれももう終わりだ。あの神父の計画が進み、神エヒトは力を失った。ならもうこれは……不要だな」

 

「う…………ぐぅ…………がぁ」

 

 どうやら神アルヴとやらはまだ生きているらしい。かすかにうめき声をあげるそれの足元に広がっている影が再び波打つように動く。

 

「遠慮はいらん。跡形もなく……食べてよいぞ」

 

 ディンリードが何かに許可を出した瞬間。陰から巨大な咢が飛び出す。

 

 それは巨大な獣だった。竜にも似ているその姿は放つ魔力だけで奈落の底の魔物とは比べものにならないほど強いことがハジメにはわかってしまう。

 

「あ、ああ。あああああああッッ」

 

 そしてこれから自分の身に起きることを察したのか、枯れ木が声を取り戻して掠れた声で必死に叫ぶ。

 

「た、助け、助けて、エヒ、ト様ッ」

「何、貴様の主もそのうち貴様の後を追う。ではさらばだ。300年の時を共生した忌まわしき者よ。貴様の最期は、獣の餌だ」

 

 ディンリードの指示を受けた怪物はその枯れ木に食らいつき、必死に抵抗した挙句、ハジメに助けを求め始めたアルヴを影に引きずり込んだ。

 

「助けてぇぇ、ひぃやぁぁぁぁぁぁぁ──ッッ!!」

 

 ばき、ぐしゃ、ぐちゃ。

 

 そのような擬音が聞こえてくるような叫び声。数秒影が波打った後、影がディンリードの足元に収束する。

 

「すまないね。見苦しいものを見せた。けど許してほしい。長年の膿を吐き出すいい機会だったのだ」

 

 正直アルヴという奴の生死など微塵も興味がないハジメだが、今しがたディンリードが召喚した魔獣には警戒せずにはいられない。

 

(おいおい、あんな化物が出てくるなんて、聞いてねぇぞ八重樫)

 

 使徒アルヴは夢の中では自分が概念魔法で倒したのだと雫から聞いてはいたが、そこには影から出る魔物という話は出てこなかった。

 

 ハジメは確信する。この男は間違いなく神アルヴより厄介な男であると。

 

「どうやら信じてもらえたようだね」

「別に信じたわけじゃねぇよ。元々お前の正体なんて興味なんかないからな。興味があるのはたった一つだけだ……ユエは今どこにいる?」

 

 ハジメにとって重要なのはユエの安否のみ。相手次第で取る対応が違うだけで、相手が誰であろうともそれは変わらないことだ。

 

「アレーティアは少々準備中でね。君の前に出るにはもう少し時間がかかりそうだ」

「ユエは無事なんだろうな?」

「もちろん。私がアレーティアを傷つけることなどありえんさ」

 

 会話をしながらもハジメは観察することをやめない。この男の狙いがどこにあるのか。ユエを攫った目的はなんなのか。戦力の有無は影の魔獣以外に存在するのか。

 

 それを見透かした上で同じく余裕を持ってハジメを観察するディンリード。二人のやり取りは既に言葉だけではない。

 

「なんのためにユエを誘拐した?」

「誘拐などと人聞きの悪い。300年も会えていなかった愛する姪に一目会いたいというのはそれほどいけないことかな?」

「あんな胡散臭い神父に頼ってか?」

「彼とは利害が一致してね。彼が動きやすいように場を整えるのと引き換えにアレーティアを連れてくるという魂魄魔法を用いた契約を交わしていた。それがある以上、アレーティアが私の元に来たことは必然だった」

 

 話からは嘘は感じられない。少なくともユエに会うためにここに連れてきたということ自体は間違いないようだった。

 

「どうして俺をここに招いた?」

 

 ハジメが気になるのはそこだった。ディンリードからしたらハジメなどは大事な姪を異世界に連れて行こうとする邪魔者だろう。なのにわざわざ使いまで寄越してハジメを連れてきた目的がハジメにはわからなかった。

 

「なに、君には感謝しているのだよ。だからこそ、ここで感謝の意を伝えるために呼び出した。それにアレーティアも自分を守ってくれた恋人に最後の別れの挨拶くらいしたいだろうからね。姪のためでもある」

「なんだと?」

 

 その一言は、決してハジメにとって聞き逃さない言葉だった。だが感情的にはならない。感情を爆発させるのは、全てを聞いてからでも遅くはない。

 

「どういう意味だ?」

「なに、簡単なことだよ。アレーティアはアヴァタール王国の国王だ。この国の主がいつまでも留守では示しがつかないだろう? ……君には本当に感謝している。よくぞアレーティアをここまで護り、導いてくれた。それは神の傀儡に徹する必要のあった私にはできなかったことだ。それに関しては最上級の感謝を伝えよう。だが、いずれ元の世界に帰るであろう君の元に、アレーティアはいつまでもいるわけにはいかないんだ」

「はっ、城主がいなければ示しがつかないか。笑わせるなよ、この国はそれ以前の問題じゃねーか」

「むろん、それは承知だとも。だがアレーティアが真の覚醒を迎え、その真価を発揮できれば、最古にして鬼人の国アヴァタール王国は、必ず蘇る」

 

 アヴァタール王国の復活はできると断言するディンリード。そして、それが何を意味するのかを端的にディンリードはハジメに対して放った。

 

「アレーティアの帰るべき国は、故郷は……ここにある」

 

 

 ディンリードの言葉を受けて、ハジメの脳裏にかつてのユエの姿が蘇る。

 

『……私にはもう、帰る場所……ない……』

 

 奈落の底にいた頃、いつか故郷に帰りたいと願うハジメに対して、ユエが寂しそうに呟いたことがあった。

 

 あの時のユエは自分の居場所を求めていた。大切な人に裏切られたと思い、己の名前すら捨てるほど追い詰められていたユエ。そんな彼女を見かねて徹頭徹尾自分のためだけに行動すると誓っていたハジメはユエに自分についてくるかと尋ねたのだ。

 

 その時はなんとなくだった。寂しい目をしていたからつい誘った。かつて暴漢に対して勢いと厨二病を発揮して土下座したのと同じようなもの。

 

 だから思う。

 

 もし、ユエに帰るべき場所があるのならば、ユエを心から愛し、暖かく迎えてくれる人がいるのだとしたら。

 

 少なくとも表社会では人間しかいない世界に吸血鬼であるユエを連れて行く必要はないんじゃないか。

 

 もし、奈落の底でユエを誘った当時のハジメならあっさりそう思ったかもしれない。

 

 だが、あくまでそれはその時のハジメならだ。今のハジメには、譲れないものがある。

 

「なるほど、確かにな。もしユエに帰るべき場所があるんだとしたら、ユエはそこに住むべきなのかもしれない」

 

 地球人は地球に住み、トータス人はトータスに住む。種族や文化の違いもある以上、それが正解の一つであることは疑いようがない。

 

 だが、ハジメは既に別の結論を出している。

 

「だが、仮にこの国を蘇らせることができるとして、こんな枯れきった国を蘇らせるのに一体どれくらいの年月がかかる? 20年か? 30年か? それとも100年なんてこともあるかもな。あんたやここに連れてきた女が生きている以上、おそらく他にも吸血鬼の生き残りはいるんだろうな。だが300年前の王様でしかないユエが、今を生きるそいつらの未来に対する責任を負う必要がどこにある?」

 

 もしユエの故郷が今もなお健在であれば、そこに暮らすのも選択肢の内に入っただろう。だが、今ここにあるものは、神の怒りによって滅ぼされ、枯れた大地が大半を占める死に切った土地だ。

 

「未練がましいんだよ。この国はとっくに終わってる。そんな終わった国を蘇らせるためにユエが長い時を使うことが正しいとは思わない」

「ほう、ならば我らはこのまま過去の存在として消え去れば良いと? これから邪神の支配なき自由な時代が始まるというのに、竜人族を初めとした他の種族は生き残っているのに。我らだけ負け犬で居続ければいいというのかね?」

「それはお前ら生き残り次第だろ。竜人族を見てみろよ。かつて繁栄を誇った国を滅ぼされても、土地を追われて神さえ気づかない北の果てに住みつかなきゃならなくても、奴らはたくましく生きてる」

 

 当時竜人族の王であったティオの両親は殺され、国は滅亡することになった。それから500年経ってなお、竜人族は国を確立できるほど勢力を取り戻せてはいない。だが里と呼ばれる規模にまで勢力を落とそうとも彼らの誇り高い精神は生きている。

 

「ふむ、なるほど。だが竜人族と我ら吸血鬼では事情が異なる。君は知らないのだ。吸血鬼にとって王族が、王がどれほど重要な役割を持っているのか。だからこそ……」

「それに俺が言いたいことはそこじゃねぇ」

 

 ディンリードの言葉を遮るように、ハジメが口を挟む。言葉の途中で割り込まれた形になったディンリードだったが、たいして不快に思う様子も見せずにハジメに続きを促す。

 

「俺にとって価値がないものでも、ユエにとっては違うかも知れない。だからユエの意思は尊重するつもりだ。もしユエがこの国を本気で蘇らせたいと願うなら、俺はユエの側で、俺にできる最大限の力でユエの助けになる」

 

 もしユエがトータスに留まり、本気で祖国の復興を願うのなら、ハジメはそれを否定しない。ハジメもまたトータスに残り、ユエと共にユエの国を蘇らせるために全力を尽くす。

 

 

 ──それがたとえ、一生地球に帰れないという選択であってもだ。

 

 

 雫によって教えられた可能性の未来でハジメとユエは地球帰還のための概念魔法を習得したが、正直ハジメは今の自分が帰還用の概念魔法を作れる自信がない。なぜならユエが本気でこの世界に留まりたいと願うなら、それだけで帰還の意思が薄れるだろうから。

 

 ユエのいる場所が、ハジメの居場所。

 

 そう、だからハジメが気に入らないのは……

 

「なんで俺がユエから離れる前提で話してんだよ。俺はもう、ユエから離れる気なんて微塵もない!」

 

 ディンリードがユエの傍にハジメがいられないかのように話すことだ。

 

「吸血鬼の国に、人間の居場所があるとでも思うのかね?」

「そんなもん知るか。これから新しい国を作るんだったら、新しいルールで運営されるのは当然だろ?」

「吸血鬼には純血思想が根深いものも多い。当然アレーティアと結ばれることに反対すると思うが?」

「なら反対する奴を納得させる。たとえ荒っぽいやり方になってもな」

「……その程度の力でかね?」

 

 その時、ディンリードの気配が確かに変わる。

 

 以前玉座に座っているディンリードだが、立ち上がったわけでもないのにその姿がいきなり大きくなったかと錯覚するような気配。

 

 ハジメでも丹田に力を入れて踏ん張らないと思わず跪きそうになる王者の覇気。

 

「私が再会した時のアレーティアの体はボロボロだった。体内に存在する魔力生成器官が全損するなどよっぽどのことだ。それはつまり……君がいながらアレーティアはあそこまでの重体になったということだ。いや、そもそもアレーティアがああなったのは君が原因だったか」

 

 どんどん強まるプレッシャーに加え、現在のハジメの泣き所を容赦なく突いてくるディンリード。

 

「要は私は君の力に疑問を抱いているのだよ。アレーティアを目覚めさせ、ここまで連れてきたことは認めるが、果たしてこれからアレーティアを託すに値する力を、意思を持った男なのかとね」

「それで……あんたはどうしたいんだ?」

「愚門だな。言わずともわかるだろう」

 

 明らかな挑発。つまりディンリードはこう言っているのだ。

 

 ──つべこべ言わずにかかってこいと

 

 

 そしてとっくにハジメの準備もできている。

 

 まずは最初の挨拶だと魔人の鎧によるブーストと射撃補正を利用したドンナーによる神速の弾丸をディンリードに叩き込んだのだ。

 




>ミシェール・イル・ダスティア(愛称はミーシャ)
 アヴァタール王国の公爵家の出身であり言わば公爵令嬢。アレーティアの教育係であり、同時にディンリードの婚約者だった。
 ダスティア家は解放者の時代ではダスティア王国という名の吸血鬼の王国の王族であったが、当時の国王が人間の女を愛してしまったこと。そして何より彼らが力を貸した解放者達の敗北(本作では痛み分け)によって立場を落とし、ダスティア家は没落。代わりに当時有力貴族だったアヴァタール家が王位を継ぎ、国名をアヴァタール王国と変えた。没落してしまったダスティア家だが、人間の血が混ざってしまった本家ではなく、純血の分家が家督を継ぎ、元々優秀な血統であったこともあり、アレーティアの時代には公爵まで権威を取り戻していた。

>アレーティア11歳
正真正銘のロリだった頃のユエ。この頃の彼女は夢も希望も持った等身大の少女だった。

>神アルヴ
原作だとディンリードの死体を乗っ取り調子に乗った結果、ハジメの概念魔法を前に無様な姿を晒して呆気なく死亡するが、本作は原作より遥かに気合の入ったディンリードに300年かけて魂を抽出され、搾り滓になったところを獣の餌にされる。果たしてどちらの末路が良かったのか。

>ハジメの主張
王国とかどうでもいいからユエを返せよ

>ディンリードの主張
真意はまだ謎だが、少なくとも出会った時想像以上に身体がボロボロだったアレーティアに思うところがある。アレーティアを託すに相応しい男か試してやるから掛かってこい。

次回、お義父さん、娘さんを私に下さい。
ハジメは上手に挨拶できるかな。

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