ありふれた日常へ永劫破壊   作:シオウ

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本作品を盛り上げるために頑張ってくれたオリ悪役である神父ダニエル・アルベルト。
その結末を今ここに。


その切なる祈りに終焉を

「もう少し……もう少しだ」

 

 神父の視線は、蓮弥ではない。

 ただ、魔法陣の中心──透明なケースに納められた少女の右腕だけを見つめている。

 

 祈るようでいて、祈りではない。

 願うようでいて、願いでもない。

 それは、ただの確認だった。

 

 次の瞬間。

 

【距離は、無限である】

 

 神父の言葉が、空間そのものへと刻み込まれる。

 

 世界が応答した。

 

 蓮弥の感覚の中で、目の前にいるはずの神父の存在が、唐突に遠ざかる。

 一歩踏み出しても届かない。

 二歩踏み出しても近づかない。

 

 数メートルの距離が、無限へと拡張されていた。

 

 神父の神言。

 神性を簒奪したことで可能となった、世界そのものへの命令。

 言葉は現象となり、現象は法則となる。

 

 その法則が、今、蓮弥の前に立ちはだかっていた。

 

 だが──

 

「神滅剣」

 

 蓮弥は止まらない。

 

 大剣を構え、無限へと向けて振り抜く。

 

「──『無限』を、破壊する」

 

 刃が落ちる。

 

 斬ったのは空間ではない。距離でもない。無限という定義そのものだった。

 

 蓮弥の創造は、概念破壊。

 形を持ち、現象として成立した概念ならば──それが無限であろうと、例外ではない。

 

 剣閃が走った次の瞬間、無限は断たれた。

 

「流石ですね。では──これはいかがでしょうか」

 

 神父の声は相変わらず穏やかだった。

 焦りも、怒りもない。

 ただ淡々と、次の手を打つ。

 

【あなたには見えない】

 

 言葉が落ちた瞬間、世界の側が応じる。

 

 神父の姿が、消えた。

 

 いや、違う。

 そこに“いる”という事実は、確かにある。

 気配も、魔力も、儀式の中心に集まる膨大な力も存在している。

 

 だが──見えない。

 

 視界のどこにも、神父という存在が映らない。

 

 斬るという行為は、対象を定めてこそ成立する。

 蓮弥の能力は、斬ることで発動する。

 ならば──

 

 そもそも斬る対象を認識できなければ、斬れない。

 それを読んでの言霊。

 

 認識阻害。

 対象の認識そのものを、世界の側から否定する命令。

 蓮弥の視界から、神父という存在が“概念ごと”削除されていた。

 

「確かにあなたの概念魔法は脅威だ」

 

 どこからともなく、神父の声だけが響く。

 

「概念破壊。触れさえすれば、神エヒトすらも斬り得る力でしょう。だが──」

 

 一拍。

 

「あなたの力は“斬る”ことで真価を発揮する。

 斬れないものには無力。それが道理です」

 

 静かな断言。

 

「……そうかよ」

 

 蓮弥の認識からは確かに神父は見えない。

 

 だが──

 

『蓮弥』

 

 ユナの声が、剣の内側から静かに響いた。

 

『彼の言霊は“認識”の否定。存在の否定ではありません。

 つまり──そこにいるという事実までは消せていない』

 

「だろうな」

 

 蓮弥はゆっくりと剣を下ろす。

 焦りはない。ただ状況を噛み砕くように、息を整える。

 

『ならば、五感以外で“そこにいる”と確定させればいい。私がやります』

 

 空気が震えた。

 

 神滅剣の刀身から、淡い蒼光が滲み出す。静かな光。

 だが、その光は空間の奥へと染み込むように広がっていく。

 

聖術(マギア)8章3節(8:3)──“魂位照応”』

 

 世界の輪郭が、裏返る。

 

 視界ではない。

 光でもない。

 霊的な層──存在の座標そのものが露出する。

 

 気配が線となり、線が形となり、形が“そこにある”と確定する。

 

 ぼやけた輪郭。

 だが、確かにそこに“いる”。

 空間の中央。儀式陣の傍ら。

 

 神父の位置が、歪みとして浮かび上がった。

 

「なるほど……」

 

 わずかに、神父が感嘆を漏らす。

 

『五感ではありません。

 高次元から魂の位置を照合しています』

 

「……つまり」

 

 蓮弥が剣を構える。

 

「そこにいるってことだな」

 

 蓮弥の言葉に反応することなく、神父が沈黙した。

 

『蓮弥』

「ああ……これなら見えなくても──斬れる」

 

 神滅剣が振り抜かれる。

 

 刃が走った、次の瞬間。”見えない”という定義そのものが、断ち切られた。

 

 神父は微笑んだまま、指先で空をなぞった。

 まるで世界の外縁に触れているかのような、傲慢で静かな仕草。

 

「本当に止まるつもりはないのですね。なら……このまま“世界”に潰されるがいい」

 

 神父は静かに、しかし確信をもって告げた。

 

【世界はあなたの敵である】

 

 神言が落ちた瞬間。

 空間が、軋んだ。

 

 最初に異変を覚えたのは足元ではない。

 空気でもない。

 蓮弥の身体そのものだった。

 

「……ッ」

 

 骨が鳴る。

 

 次の瞬間、蓮弥の全身が同時に内側へ押し込まれた。

 

 上からではない。

 下からでもない。

 前後左右でもない。

 

 全方向から、同時に。

 

 筋肉が収縮を強制される。

 臓腑が中心へ圧縮される。

 血液が流れる先を失い、身体の核へ押し戻される。

 

 重力魔法ではない。

 

 黒天窮は、外側から一点へ引き潰す術だ。

 だがこれは違う。

 

 蓮弥という存在そのものを中心に、世界が畳み込んでくる圧縮。

 

 逃げ場はない。

 方向もない。

 ただ「潰れる」という結果だけが定義されている。

 

 膝が軋む。

 立っているだけで、骨格が内側へ折り畳まれそうになる。

 

「……どうしました?」

 

 神父の声は穏やかだった。

 

「これは、あなたという存在を世界から排除するための最適解です。

 現象に形がない以上、斬ることもできないでしょう?」

 

 肺が潰れ、呼吸が浅くなる。

 握った剣の柄が軋む。

 指の骨が鳴る。

 

 だが蓮弥は剣を離さない。

 

「……なるほどな」

 

 歯の隙間から、血混じりの息を吐く。

 

「文字通りの意味で、世界は俺の敵ってわけか」

「ええ」

 

 神父は淡々と頷いた。

 

「あなたを排除するためなら、この世界は重力にも、熱にも、空間にもなります」

 

 その言葉を証明するように、見えないはずの空が裂けた。

 次の瞬間、大気が燃え上がる。

 

 摩擦も、圧縮も、理屈ではない。

 ただ“敵を殺す”ための現象として、大気が灼熱へ変換される。

 

 空間そのものが赤熱し、燃え上がる空気の塊が流星雨のように降り注いだ。

 

 超重力が全身を潰し、同時に灼熱の大気が叩きつけられる。

 逃げ場はない。防げば、世界が壊れる。

 斬れば、世界が裂ける。

 

 つまり、世界そのものを人質に取った攻撃。

 神父が静かに言う。

 

「どうします? 世界を斬りますか?」

 

 答えは、出ている。

 

 これを突破するわかりやすい方法は世界そのものを破壊すること。

 

 この重圧も、灼熱も、空間の圧縮も。

 すべては「世界」が蓮弥を敵として処理している結果だ。

 

 ならば世界を斬ればいい。

 

 だが──それはできない。

 

 世界を殺せば、世界が終わる。

 こんなところで世界を終わらせるわけにはいかない。

 

 神父の行動は的確だった。

 世界を人質に取る。藤澤蓮弥の善性を知るからこそできる行為。

 

「……ッ」

 

 次の瞬間、超重圧がさらに強まった。

 

 全身の骨が同時に軋む。

 筋繊維が裂け、皮膚が内側から破れ、血が噴き出す。

 灼熱の大気が叩きつけられ、肉が焼け、神経が焼き切れる。

 

 防御は意味をなさない。

 回避も存在しない。

 

 世界そのものが蓮弥という存在を潰しにかかっている。

 

 一瞬。

 本当に一瞬で、蓮弥の身体はボロボロになった。

 血に染まり、骨が歪み、立っていることすら奇跡の状態。

 

 それでも神父は振り返らない。

 ただ魔法陣の中心を見つめている。

 

 その直後だった。

 

 蓮弥の身体を覆っていたはずの裂傷が癒えた。

 いや、癒えたのではない。存在ごと消失した。

 

 焼けた肉が元に戻る。

 砕けた骨が音もなく整う。

 流れ出た血が、最初からなかったかのように消える。

 

「……」

 

 神父が、わずかに目を細めた。

 蓮弥がゆっくりと顔を上げる。

 

「言ったろ」

 

 剣を握る手は、完全に元通りだった。

 

「俺は“斬る”ことで成立する」

 

 神滅剣が淡く光る。

 

「だから──」

 

 一度、自分の身体を見下ろす。

 

「今、斬った」

 

 斬ったのは、空間でも世界でもない。

 自分を覆っていたもの。

 

『傷』

『ダメージ』

『疲労』

 

 それら藤澤蓮弥に纏わりついていたすべての概念をまとめて破壊した。

 

「……なるほど」

 

 神父が小さく呟く。

 

「自己への概念適用ですか。それは確かに──」

 

 わずかに、愉快そうに。

 

「反則だ」

 

 蓮弥は肩を回す。

 骨の軋みはない。

 痛みもない。

 

「勘違いすんなよ」

 

 剣を構える。

 

「あんたを殺す程度で、俺は世界は斬らない」

 

 一歩、踏み出す。

 

 超重力が再び襲う。灼熱が叩きつけられる。

 

 だが今度は裂けない。骨も砕けない。

 今の蓮弥に概念魔法以外のダメージは成立しない。

 蓮弥は視線を神父へ向けた。

 

「俺を世界を敵にしたなら──その命令を下すお前を世界から斬り離す」

 

 神滅剣が振り抜かれる。

 

 斬ったのは重力でも炎でもない。

 世界に刻み込まれた、神父の言霊そのもの。

 見えないはずの言葉の構造が、空間の奥で裂けた。

 

 次の瞬間、蓮弥の全身を押し潰していた超重圧が消える。

 燃え上がっていた大気も、狂っていた空間も、まるで最初から何も起きなかったかのように静まった。

 

 世界の改変が、停止する。

 神父の神言が、断ち斬られたのだ。

 

 静寂。

 

 蓮弥はゆっくりと息を吐き、肩の力を抜いた。

 

「……こんなものかよ」

 

 軽く首を鳴らす。

 

「ずいぶん攻撃が直接的だ。

 これだったら──魔王城で戦った時の方が、よっぽど厄介だったぞ」

 

 神父は振り返らない。

 ただ魔法陣の中心を見つめ続けている。

 

 蓮弥はその背を見ながら、吐き捨てるように言った。

 

「そもそもあんたは前線で戦うタイプじゃない」

 

 一歩、踏み出す。

 

「裏で糸を引いて、直接手は下さず──」

 

 蓮弥の脳裏に魔王城での記憶がよぎる。逃げ場を潰し、選択肢を奪う罠。

 あの時の神父は徹底して裏方だった。

 

「策を張って相手を削って、気付いたら詰み。それがあんたの戦い方だろ」

 

 神の力を得た今の神父は確かに強い。

 生半可な相手では神父の影すら踏めないだろうトータスの神域の力。

 

 だが。

 

「神の力を手に入れたからって、急に前線で殴り合うタイプになれるわけじゃない」

 

 剣を肩に担ぐ。

 

「正直なところ、さっきみたいな真正面の力押しの方が──」

 

 少しだけ笑う。

 

「こっちとしては対処が楽だよ」

 

 静かな空間にその言葉が落ちた。

 神父は、まだ振り返らない。

 

 ただ一言。

 

「……そうですか」

 

 小さく、しかし確かに。

 

 その声には、わずかな苦笑が混じっていた。

 

「ずいぶん私のことを理解しているようで。

 ……なら、こちらもあなたのことを解き明かしてみましょうか」

 

 その言葉が落ちた、次の瞬間。

 

 蓮弥の手にある大剣──

 神滅剣の刀身に、細い罅が走った。

 

「──ッ!?」

 

 硬質な音が、遅れて響く。

 

 それほど大きな傷ではない。

 だが確かに、刃を走る微細な亀裂。

 

 神父が、ゆっくりと続ける。

 

「確かにあなたは無敵に近い。

 どれほどダメージを与えても、傷ごとなかったことにされてしまえば手の打ちようがない」

 

 静かな、しかし確信を帯びた声音。

 

「ですが──あなたが振るうその聖遺物は、その限りではない。違いますか?」

 

 蓮弥は答えない。

 

 だが沈黙は、否定ではない。

 

「あなたの使う術式、《エイヴィヒカイト》」

 

 神父は振り返らぬまま、言葉を重ねる。

 

「聖遺物と人間を霊的に融合させ、超常の力を引き出す複合魔術」

 

「……」

 

「素晴らしい。私も古き遺物の管理を長年してきましたが、そのような方法で遺物を使用するなど想像することすらできなかった」

 

「ですが当然、大いなる力にはそれ相応の代償がある」

 

 わずかに、神父の視線が横へ流れる。

 その視線は蓮弥の持つ剣へ向けられていた。

 

「聖遺物を破壊されれば、聖遺物に融合しているあなたの霊核もまた崩壊する」

 

 淡々とした結論。

 

「──つまり、あなたは死ぬ」

 

 静寂。

 

 それは推測ではない。

 確信だった。

 

 蓮弥に直接攻撃を加えても意味はない。

 傷も損傷も、概念ごと破壊される。

 

 ならば。

 

「器を壊せばいい」

 

 神父の声音が、わずかに低くなる。

 

「あなたの力の源。その聖遺物を」

 

 蓮弥が握る大剣。

 聖遺物<罰姫・逆神の十字架(ゴルゴタ・プロドスィア)

 それ自体が、概念領域に属する特級の聖遺物。存在そのものが一つの「概念」だ。

 だからこそ蓮弥は、世界の法則に干渉する力を振るえる。

 

 だが同時にその霊格は高すぎた。一度深く損なわれれば蓮弥自身でも容易に修復できない。

 

 概念破壊はできる。

 だが聖遺物の“格”までは、好き勝手に書き換えられない。

 つまり聖遺物自身への干渉はできない。

 

 それは単なる武器ではなく、一つの神話であり、歴史であり、呪いそのものだからだ。

 

「もちろん」

 

 神父は淡々と続ける。

 

「容易ではありません。その聖遺物は特級。並の概念干渉では傷一つ付けられないでしょう」

 

 わずかに、しかし確実に、先ほどの罅が光を反射する。

 

「ですが──それが可能な相手にとっては、あなたが抱える数少ない弱点の一つとなる」

 

 聖域に沈黙が落ちた。

 蓮弥は剣を握り直す。

 

 罅は浅い。

 致命ではない。

 

 だが、神父にも蓮弥を殺す手段があることを事実として刻まれた。

 

 蓮弥と神父。

 互いに一歩も動かぬまま、場に沈黙と緊張が満ちていく。

 

 その時──巨大な魔法陣が、低く唸るような音と共に脈動した。

 床一面を覆う幾何学紋様が連動し、まるで巨大な心臓のように光を強めていく。

 中心円環が静かに閉じ、光が満ちた。

 

 空間が震え、霊脈の奔流が収束する。

 この世界に本来存在しないはずの概念を体現する術式が、今この瞬間、完全な形で成立する。

 

 神父は動かなかった。

 ただ立ち尽くし、ただ見つめている。

 

 魔法陣の中心。

 透明なケースの中に安置された、少女の右腕を。

 

「……お、おお」

 

 喉の奥から、掠れた息が漏れた。

 それが笑いなのか嗚咽なのか、本人にも判別がつかない。

 

「……ついに」

 

 声は震え、だが確かに言葉となる。

 

「……ついに……」

 

 もう一度。

 今度は、はっきりと。

 

 肩が小さく震え、指先が痙攣する。

 歓喜という言葉では到底足りない。

 

 祈り続けた年月。

 絶望し続けた歳月。

 神に見放され、世界に嘲られ、

 全てを捨てて歩き続けた千年。

 

 その果てに辿り着いた、ただ一つの到達点。

 

「……長かった」

 

 静かな声。

 だがその奥には、壊れそうなほどの感情が詰まっている。

 

「長かった……本当に……」

 

 光輝の顔で、男は笑っていた。

 だがその笑みは勇者のものではない。

 

 一人の──父親のものだった。

 

「……もうすぐだ」

 

 魔法陣の光が収束する。

 神性が収束する。

 世界の法則が、強制的に書き換えられていく。

 

 神が拒んだ奇跡。

 世界が許さなかった再会。

 

 今それを──奪い取る。

 

──沈黙しろ。もはや、お前に語る資格はない

 

かつて我が主であったものよ。奇跡を司る偽りの神よ。

その力、その名、その座を──今この瞬間、私は奪い取る

 

 神父の祈り、それはこの世界に存在する根本の法則への叛逆。

 

聞け。生と死を分かつ世界の理よ。

死を無効とせよ。終焉を撤回せよ。

奪われた命を、あるべき場所へと戻すがいい

 

 これもまた、突如襲い来る理不尽への挑戦。

 

これは祈りにあらず。これは赦しではない。

いまこそ我は、汝の定めた死の理を超越する

 

 だからこそ蓮弥も、その祈りの結末を見届ける。

 

概念魔法(ArsMagna)──

 

死返大聖律(Reviviscence Mortis)

 

 空間に光が満ちた。

 

 白く、眩い奔流が魔法陣の中心へと収束する。

 世界の法則を書き換える神父の渇望が現実へと定着したのだ。

 

 次の瞬間──その光の中心に、一人の少女が立っていた。

 

 長い髪。

 白い肌。

 年の頃は十六、あるいは十七。

 

 失われたはずの命。

 千年前に断ち切られた時間の続きが、何事もなかったかのようにそこに立っている。

 

「……ああ……」

 

 神父の喉から、声にならない息が漏れた。

 

 膝が震える。

 視界が揺れる。

 だがそれでも、彼は歩き出す。

 

 千年。

 祈り続けた年月。

 絶望の底を這い続けた歳月。

 

 そのすべてが、今、報われたのだと──疑う余地すらなかった。

 

「……帰って、きた……」

 

 笑みが浮かぶ。

 崩れそうなほどの歓喜が、顔を歪める。

 

 彼は、駆け寄った。

 

 少女は静かに立っている。

 何も言わない。

 ただ、そこにいる。

 

 だが──

 

 一歩、近づいた瞬間。

 

 神父の足が、止まった。

 

 違和感。

 

 ほんの、わずかな。

 だが決定的な、何か。

 

「……?」

 

 表情が揺れる。

 

 少女は、確かに娘の姿をしている。

 顔も、背格好も、年の頃も。

 

 だが。

 

「……おかしい」

 

 声が掠れた。

 

 視線が、細部をなぞる。

 髪の揺れ方。

 呼吸の間。

 立ち方。

 

 記憶の中の娘と目の前の少女。

 

 一致している。

 はずなのに。

 

「……違う」

 

 胸の奥が、ざわめく。

 

 これは娘だ。

 そうであるはずだ。

 

 だが、触れる前からわかる。

 わかってしまう。

 

 ──違う。

 

「……お前は……」

 

 一歩、退く。

 

 少女は、何も言わない。

 ただ、静かにこちらを見ている。

 

 その瞳。

 

 そこに自分を呼ぶ色がない。

 

 あの日、最後に見たはずのあの光がない。

 

「……違う……」

 

 理解が形を持つ。

 

「……これは……違う」

 

 歓喜が崩れ落ちる。

 

「違う……!」

 

 叫びが漏れた。

 

 後ずさる。まるで目の前の存在そのものを拒絶するかのように。

 

「これは、私の娘ではない……!」

 

 その瞬間。

 

 魔法陣が、軋んだ。

 

 光が乱れる。

 世界を書き換えていた渇望が否定され、崩壊を起こす。

 

 少女が揺らいだ。その顔がわずかに歪む。

 悲しげに。

 

 まるで、最初からそうなることを知っていたかのように。

 

 その姿が消えていく。

 

 光の粒となって、静かに、抵抗もなく。

 

 神父は動けなかった。悲願だった娘が消えようとしているにも関わらず、

 手を伸ばすことも声をかけることもできないまま。

 

 ただ、消えていく姿を見ている。

 

 光が消える。

 

 静寂が戻る。

 

 そこにはもう、何も残っていなかった。

 

「…………」

 

 神父の肩が、わずかに震えた。

 

 その光景を見ていた蓮弥は、神父から目を逸らさなかった。

 

「……やっぱりな」

 

 小さく呟く。蓮弥には神父の願いの結末が予想できていた。

 

 死者は生き返らない。

 

 この世界に死後という概念がどこまで定義されているか、今の蓮弥には分からない。

 だが、仮に死後という概念がこの世界に存在するとしても、魂の行き先は個人の祈りや執念で左右されるものではない。

 すべては、この世界の“座”──根源に連なる領域に委ねられる。

 それが、蓮弥の知る世界の常識だった。

 

 ゆえに、それを覆すには。

 世界の法則そのものを、座から超越するしかない。

 

 おそらく神父の渇望は、神父の概念魔法は、真に迫る境地にまで到達していたのだろう。

 他者が見れば、それは奇跡に等しい再現だった。姿も、声も、仕草も

 ──千年前に失われた少女と、全く違いはなかったはずだ。

 

 だが皮肉にも、誰よりも彼女を愛した神父自身の想いが、それを“本物”と認めることを拒んだ。

 

 どれほど精巧でも。

 どれほど真に迫っても。

 彼にとっては”彼女”でなければ、意味がない。

 

『私には理解できませんが、もしあんな安っぽい偽物でよければ、また作ってさしあげましょうか?』

 

 かつてフェアベルゲンで、神父が蓮弥たちへ向けて吐いた言葉。

 あれは嘲りではなく、むしろ自嘲に近いものだったのだろう。

 偽物では満たされないと、誰より理解していたのは──彼自身だったのだから。

 

「……ふふ」

 

 神父が笑う。

 かすれた喉から漏れるそれは、やがて震えを帯び、形を変える。

 

「ふふふ……あは、あはは……あははははは……!」

 

 歓喜でも絶望でもない、ただ壊れかけた均衡の上に立つ笑いだった。

 そして、ふいにそれは止む。

 

「よろしい。ならば──次だ」

 

 静かに、しかし確固とした声。

 

「私は諦めない。概念魔法で駄目なら、次の手段を探すまでだ」

「この世界以外にも、世界は無数に存在することは既に証明されている」

「ならば巡ろう。いずれ、あの子に辿り着く術を得るその日まで」

 

 執念は、なお折れていない。

 

 蓮弥は何も言わなかった。

 ただ、知っている。

 

 この世界の魂の行方が、誰の手に委ねられているのかを。

 この世界の真の支配者が、すべての魂を管理しているであろうことを。

 

 だからこそ分かる。

 神父の願いが届く場所は──

 

 ここではない。

 

 蓮弥の神滅剣に走る罅が、静かに、しかし確実に広がっていく。

 その不穏な音の中で、ユナが低く声を発した。

 

『蓮弥、調べましたが……光輝の魂は、本当に……』

「……そうか」

 

 言い淀むユナに対し、蓮弥はただ一言で応じる。

 その声音は静かで、そして重い。

 

 雫に何と伝えるべきか──。

 思考の端に浮かびかけたその問題を、蓮弥は意図的に切り捨てた。

 今、優先すべきは目の前の男だ。

 

 終わらせる。ここで。

 神父の千年に渡る長き旅を。

 

「残念だな。あんたに次はないよ」

 

 ピシッ──

 

 神滅剣の罅が、さらに目に見えるほど大きく広がった。

 だがそれは崩壊ではない。むしろ、封じていた何かが内側から解放されつつある音だった。

 

「あんたには分からないかもしれないが、俺の創造は“覇道型”に分類される」

「それにも関わらず、発現した能力は“大剣”だった。この意味が分かるか?」

 

 神父を見据えたまま、蓮弥は淡々と続ける。

 

「俺は無意識に力を制限してたんだよ。全力で振るえば──世界そのものを巻き込んで滅ぼしかねないってな」

 

 だが、と蓮弥は一歩踏み出す。

 

「谷口の協力で手に入れた。結界術の奥義──世界を“区切る”術をな」

 

 空間が、わずかに軋む。

 見えない境界が、戦場と外界とを切り離していく。

 

「自分と世界を分ける。対象とそれ以外を断つ。

 その術があれば──」

 

 神滅剣の罅が、光を漏らす。

 

「ようやく遠慮なく振るえる。これが、俺の……真の創造だ」

 

 眼前にて順手で構えた神滅剣の刃を下に向け、蓮弥は真の創造を解き放つ。

 

 

創造展開(ArsMagna)──」

 

 

 

 

女神転生・神滅之世界(アトラス・グラディトロア)

 

 甲高い破砕音が走った。

 ガラスが世界の外側から割られたかのような音。

 

 蓮弥の大剣が内側から砕ける。

 飛散した破片の中心に、真なる神滅剣が現れる。

 その刃の周囲から、色も形も持たぬ虚無が静かに展開していった。

 

 最初に消えたのは──言葉だった。

 

「     」

 

 とっさに身を守ろうとした神父の神言が消える。

 祈りが形を失う。

 声は発せられているはずなのに、意味が成立しない。

 言語という枠組みそのものが剥離し、思考すら言葉として認識できなくなる。

 

 次に、魔法が消えた。

 

 展開されていた術式が崩れるのではない。

 魔力が枯れるのでもない。

 魔法という現象を支えていた前提が削除され、奇跡が奇跡である理由ごと消滅する。

 術者も術式も、ただの動きに還元され──それすらすぐに無へ溶けた。

 

 続いて、音が消える。

 

 空気の振動が止むのではない。

 振動という概念が意味を持たなくなる。

 心音も、足音も、衣擦れも、すべてが無意味な事象へと書き換えられる。

 世界は沈黙したのではない。

 音という定義が、この場から削除された。

 

 次に、大地が消えた。

 

 足場が崩れるという現象は起こらない。

 崩れるための地面が、最初から存在しなかったことになる。

 上下の区別が曖昧になり、立つという概念が意味を失う。

 空間の広がりそのものが、足場を前提としない虚無へと溶けていく。

 

 空が消える。

 

 天井が落ちるわけではない。

 空間の上部が崩れるわけでもない。

「上に広がるもの」としての空の定義が削除され、

 遠近も、広がりも、果てという感覚も消失する。

 見上げるという行為が成立しなくなり、世界は外側を持たない密閉された無へと収束していく。

 

 光が消える。

 

 輝きが薄れるのではない。

 暗くなる過程すら存在しない。

 光という定義が消え、対となる闇も同時に存在理由を失う。

 明暗の区別が消え、視界という概念が成り立たなくなる。

 

 そして──最後に。

 

 概念そのものが消えた。

 

 存在、非存在。

 内側と外側。

 時間、距離、因果。

 あらゆる定義が順に剥がれ落ち、世界を世界たらしめていた枠組みが、根から消去される。

 

 残るのは──中心にある蓮弥とユナのみ。

 

 極小とはいえ、展開された理は当代の座すら否定する。

 この世界の法則の内側に属する存在が、その否定に耐えられるはずもない。

 

 神父の身体は崩れない。砕けもしない。

 ただ、“存在していた”という事実ごと削除されていく。

 

 輪郭が曖昧になり、認識が揺らぎ、やがて存在という前提を保てなくなった瞬間──

 神父は、跡形もなく虚無に飲まれて消滅した。

 

 それは破壊ではない。

 世界を構成する理そのものに対する、終了命令。

 

 創造という概念が世界を始める力なら、これは世界を“終わらせる権限”。

 

 神という存在ごと、全てを滅ぼし、消し去る力。

 

 ──破壊神の権能。

 

 何も残らない。

 痕跡も、余韻も、記憶すら定義を失う。

 

 

 虚無の中心で。

 真なる神滅剣を携えた蓮弥だけが、確かにそこに立っていた。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 滅びの縁に立った瞬間、世界の色が変わった。

 

 肉体が滅び、魂すらも虚無に溶けていく。

 そんな中、神父の意識だけが不意に別の時間へと滑り落ちる。

 

 そこは、かつて彼が確かに生きていた場所だった。

 まだ全てを失う前の家。

 窓から差し込む柔らかな光。

 食卓に並ぶ湯気の立つ料理。

 

 病に伏す前の妻が、穏やかに笑っている。

 ぎこちなく礼を述べる、まもなく義理の息子になるはずだった青年がいる。

 そして──

 

 最愛の娘が、そこにいた。

 

 まだ幼い頃の面影を残しながらも、確かに成長した姿で。

 振り返り、父を見て、屈託なく笑う。

 

「お父さん」

 

 呼ばれた気がした。

 いや、呼ばれていないのかもしれない。

 これはただの夢だ。

 滅びゆく意識が見せる、最後の残滓に過ぎないのだろう。

 

 それでも。

 

 確かに彼女はそこにいた。

 

 求め続けた存在が、

 千年追い求めた姿が、

 確かに手の届く距離にいた。

 

 場面が静かに移ろう。

 

 季節が巡る。

 時間が流れる。

 

 気づけば娘は、晴れやかな装いをしていた。

 多くの人々に囲まれ、祝福され、隣にはあの青年が立っている。

 

 娘は笑っていた。

 ただ、幸せそうに。

 

 巣立っていく。

 父の手を離れ、自分の人生を歩いていく。

 

 その光景を、神父はただ見ていた。

 

 胸の奥で、何かがほどける。

 

 これが現実かどうかなど、もはやどうでもよかった。

 幻かもしれない。

 死に際の妄想かもしれない。

 

 だが──

 

 確かに、そこにあった。

 

 自分が見たかったものが。

 守りたかった未来が。

 叶えたかった結末が。

 

「……ああ」

 

 小さく、息が漏れる。

 

 それは嗚咽でも、嘆きでもない。

 ただ、安堵だった。

 

「……これでいい」

 

 初めて。

 千年ぶりに。

 

 彼の声から、執着が消えていた。

 

 光が、静かに遠ざかる。

 記憶が薄れていく。

 世界がほどけていく。

 

 最後に見えたのは、振り返って微笑む娘の姿だった。

 

 手を振っている。

 

 ──私をずっと愛してくれて、ありがとう。

 

 そう言われた気がした。

 

 次の瞬間、

 神父ダニエル・アルベルトという存在は、跡形もなく消滅した。

 




死返大聖律(Reviviscence Mortis)
神父の概念魔法。発現した概念は死者創造。
神エヒトの力を使うことで神域に達したこの力は人ひとりを無から創造する境地に達した。
それは光輝の魔法クローンのような期間限定ではない、確かな一つの生命として根を下ろすことのできる真なる奇跡。だが蘇生ではなく創造。死後の魂の管理を座が握っている以上、真の意味で蘇生することは最初から不可能。限りなく本物に近い命は作れるが、皮肉にも世界を歪ませる渇望の持ち主ほど受け入れられないもの。
神父の願いはこの世界では最初から破綻している。

女神転生・神滅之世界(アトラス・グラディトロア)
蓮弥の真の創造。発現は覇道型。現れた真の神滅剣の形状は神剣アフラマズタに近い物。
渇望は『全ての存在を否定する』

流出一歩手前の究極の創造であり、当代の座を否定することにのみ特化した力。
この創造には以前はあった対象によって発揮できる力の上下が存在しない。なぜならこの世界で生きるすべては座の一部に過ぎないから。この力から逃れられるのは自分より格が高い存在か完全にこの世界から解脱した魂のみ。
使えば勝ち確定の力ではあるが、当然使用にはそれ相応のリスクが伴う。
分かる人向けに言えば、マッキーパンチがマッキースマイルに進化した。

>神父ダニエル・アルベルト
ありふれ原作(に限りなく近い)世界では、娘を失った失意の中、ただ人として生きて死んだ歴史に名前が載っていないありふれた誰か。原作には影も形も出てこない。
だが、虹色髪の女の助言により、神代魔法の一つである魂魄魔法を取得。その先にある概念魔法という奇跡に希望を見出し、千年の時を生きた。
実は千年の時を生きたことで魂に自壊衝動が発生しており、蓮弥達を止めるためとはいえ世界ごと壊す大災害解放を進言したり、魔王城での戦いで自分に関する手掛かりになりうる自分の元の体を置き去りにしたのも自壊衝動ゆえ。
元々ただ人が無理に悪役をしていた。この千年魂が休まる瞬間など一度もなかった。それでも娘にもう一度会いたいという祈りだけでここまできた。
最期の最期で会えた彼女が本物だったのかどうかは、ご都合主義の女神が粋な計らいをしているかにかかっている。

>光輝
今、彼の魂をあるものが現世に繋ぎとめている。
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