ありふれた日常へ永劫破壊   作:シオウ

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箱庭の管理者

 神域。

 

 神エヒトがトータス西大陸の魔素を奪い創造した、神の眷属が住まう聖域。そこには魔物や神獣だけでなく、滅ぼされてきた文明の残骸が標本のように保存されていた。

 

 正しい受肉を果たした暁には、この神域ごと異世界へ転移するはずだった。

 

 だが──今、その神域は崩壊している。

 

 維持されていた空間は歪み、軋み、裂け、繁殖していた魔物や神獣は、次々とトータスの大地へと投げ出されていく。空間を保てなくなった領域では、保管されていた旧文明の残骸すら耐えきれず、圧し潰されるように崩壊していった。

 

 神が積み上げてきた“箱庭”は、今や急速に廃墟へと変わりつつある。その崩壊の只中をひとり、歩く者がいた。

 

「ハァ……ッ、ハァ……ッ……」

 

 瓦礫をかき分け、足を引きずりながら進むその影。

 

 使徒エーアスト。

 

 シアとの戦いに敗れ、消滅寸前の状態から辛うじて逃げ延びた存在だった。だが、その姿はもはや原形を留めていない。半身は醜く焼け爛れ、かつて美しかった顔は見る影もなく崩れ落ちている。声帯すら焼かれたのか、喉から漏れるのは言葉にならない掠れた音だけ。

 

 それでもなお、エーアストは進み続けていた。

 

 神域の最深部へ。

 

 ──神エヒトルジュエが在るはずの場所へ。

 

 進むほどに、周囲の光景は変わっていく。

 

 整然と管理されていたはずの空間は崩れ、神域の保全を担っていた使徒たちの残骸が無造作に転がっていた。どれもが既に機能を失っている。維持する力がもはや残されていないのだ。

 

 それはすなわち──神そのものが、死にかけている証。

 

 やがてエーアストは、辿り着く。

 

 その最奥へと。

 

 そして──見てしまった。

 

 弱々しい光を放ちながら、ただ横たわる存在を。

 

 かつて“神”と呼ばれていたもの。

 

 エヒトの魂を。

 

「あ……ああ……」

 

 掠れた呼気が、喉の奥から零れながらも、エーアストは足を引きずりながらゆっくりと近づいていく。

 

 神の力を簒奪した神父ダニエル・アルベルトはすでに滅びた。

 

 だが奪われた力が元の持ち主へ戻ることはない。むしろ蓮弥の虚無の創造によって、神の力そのものが徹底的に消し去られた。

 

 残されたのはかつて神を名乗っていた存在の──ただの残骸。

 

 光は弱く、揺らぎ、今にも消えそうだった。それでもなお、そこに“在る”という事実だけが、

 かつての神の威光と絶対性を、歪に証明している。

 

 エーアストは、その場に立ち尽くした。崇めていたはずの存在。絶対であると信じていたもの。

 

 その末路が──これだった。

 

 声は出ない。言葉も、浮かばない。ただ呆然と崩れゆく神を、見下ろすことしかできなかった。

 

 端的に言って、状況は詰みだった。

 

 神エヒトは死にかけており、力を取り戻す前に神域は完全に崩壊するだろう。

 神を守る存在ももはや機能していない。まともに動けるのはエーアストただ一人。そのエーアストすら、シアとの戦いでの無理が祟り、内部から崩壊が始まっている。

 

 長年この世界に君臨し、解放者という敵を退け、他世界へ覇を広げようとしていた“神”。

 

 その末路としては──あまりにも呆気ない。

 

 この状況を覆す術など存在しない。エーアストは、何一つ持ち合わせていなかった。他の使徒であれば、ただその場で立ち尽くして、終わりを待つしかなかっただろう。

 

 だが。

 

 神の使徒の初号機。量産型の神の使徒の中で唯一、真っ当な魂を持つがゆえに、エーアストの胸には、確かな感情が溢れ出していた。

 

 無念。

 悔恨。

 そして──否定。

 

 この結末を、認めたくないという衝動。

 

 だが、それすら意味を持たない。もうすべては終わっている。

 

 そうして。

 

 この世界に長年君臨してきた神エヒトルジュエは、最後に見せ場すらなく、ただ一人の配下に見守られながら、静かに消滅する──

 

 

 

 

 はずだった。

 

 

 

 ──カタン。

 

 

 

 音が鳴った。

 無音であるはずの神域に。

 あまりにも軽く、あまりにも場違いな音が。

 

 エーアストは反射的に振り返る。その視界に映ったものは、さきほどまで、確かに存在しなかった“それ”。

 

(なぜ、これがここにある……?)

 

 それは、このトータスにおいて極めてありふれた物だった。

 

 この世界の住人であれば、ほぼ全員が所持しているもの。

 複製も容易ではありながら、その製法は誰一人として知らない。

 

 エヒトがこの世界に来る遥か以前から存在していた。

 製作者不明。製法不明。

 トータスにて確認される世界最古のアーティファクト。

 

 ──ステータスプレート。

 

 そのプレートが、音を発していた。

 

『もしもーし。だれか聞こえますかー』

 

 場違いなほど気の抜けた声が、崩壊する神域に響く。

 

 理解が追いつかない。

 

 長い年月を生き、数多の神威を見てきた。

 だが──ステータスプレートが声を発するなど、聞いたことがない。

 

『おーい。もしもーし。あれ~? 通じてないのかな~。もし誰か聞いてるなら、プレートを手に取ってくださーい』

 

 軽い。あまりにも軽い。今この瞬間、神が死にかけているこの場所において、あまりにも不釣り合いな声音だった。

 

 エーアストの心に苛立ちがじわりと滲む。彼女は軋む身体を無理やり起こし、プレートへと手を伸ばした。

 

「……おまえは、なんだ……」

 

 焼け爛れている喉から、かすれながらも“言葉”が零れる。それに対する返答は、あまりにもあっさりとしたものだった。

 

『あ、良かった~。通じました』

 

 一拍の間。

 

 そして、続けられる。

 

『初めまして。私、()()()()()()()()()()()()()()なんですが』

「……なんだと?」

 

 理解が、追いつかない。

 

『いやぁ、神座万象シリーズでいうところの“触覚”ってやつなんですけどね。まぁ、本体の意思を代行する、しがない中間管理職みたいなものだと思ってください』

 

 意味が分からない。

 

 だが──ひとつだけ、引っかかる言葉があった。

 

 ──この世界担当。

 ──管理者。

 

 それはまるで、この世界そのものを“管理対象”として扱っているかのような響き。

 エーアストの中で、何かが軋む。

 

「この世界の支配者は……エヒト様、お一人だ」

 

 エーアストは衝動に任せて否定する。それ以外の答えなど、あってはならない。

 

『んー? ちょっと声が掠れてて聞き取りづらいですねぇ。少し待ってください』

 

 そんなエーアストの言葉に対し、返ってきたのは気の抜けた声。直後、プレートの向こうで何かを操作するような音が響く。

 

 カタ、カタ、カタと。

 

 やがて。

 

『これでよし、と』

 

 軽い調子のまま、続けられる。

 

『では──システムコール。オブジェクトNo.2178998。管理者権限に基づき、対象の修復を実行

 

 その瞬間、エーアストの身体に起きていたすべての異常が──消えた。

 

 焼け爛れていた皮膚。

 崩壊しかけていた内部構造。

 声帯の損傷。

 

 そのすべてが()()()()()()()()()()()()()()()()消失する。

 

「……なにを、した?」

 

 理解できない。

 

 魔力の流れは一切感じなかった。

 詠唱も魔法陣もない。

 事象を改変した形跡も、奇跡の兆しすらない。

 なのに結果だけが、過程を省略して現実として成立している。

 

『修復ですよ。損傷していたオブジェクトを元に戻しただけです』

 

 あっけらかんとした声。

 

天職持ち(プレイヤー)への干渉はちょっと面倒なんですけど、あなたは無職(モブ)ですから。私からしたら、そこらの石ころや木と大差ないので修復も容易なのです』

 

 思考が、理解を拒絶する。だがひとつだけ、確かな事実があった。ステータスプレートの先にいる存在は神でも起こせない事象を軽々と起こしてみせた得体のしれない存在であるということ。

 

『さて、これで話ができますね。では──通達します』

 

 軽い。あまりにも軽い声音で、女は言った。

 

『神エヒトルジュエには、もう一度“舞台”に上がっていただきます』

 

 エーアストが言葉を返すよりも早く、女は一方的に言葉を重ねる。

 

『だって勿体無いじゃないですかぁ。世界を長年支配していた悪神を倒すために、主人公たちが世界中を巡って、過去の英雄の魔法を集めて、仲間と出会って絆を深めて──いざ最終決戦! ってところで』

 

 一拍。

 

『ラスボスが裏で勝手に死にました、なんて』

 

 くすり、と笑う気配。

 

『はっきり言って、興醒めもいいところですよ』

 

 それはまるで楽しみにしていた劇が、終盤で台無しにされるのを防ごうとする観客のような口調だった。

 

 いや──違う。観客ではない。

 

 もっと上から。

 観客ではなく歌劇(それ)を成立させている側の声音。

 

『さっきも言いましたけどぉ、天職持ち(プレイヤー)への干渉は制限が多いんですよねー。あんまり露骨にやると後々面倒な処理がたくさんあるし』

 

 さらりと理解を拒む単語を並べながら、女は続ける。

 

『で、そこで問題になるのが私の前任者なんですけど。あの人、ちょっと解放者に肩入れしすぎちゃてましてね。本来ならあなた達に負けて終わるはずのシナリオを、イーブンまで引き上げちゃってるんですよ』

 

 カタ、カタと何かを操作する音。

 

『なので、その帳尻合わせが可能です。バランス調整ってやつですね』

 

 軽い。先ほどから声の調子があまりにも軽い。

 

『と、言うわけで。貴方たち側にも介入する許可が降りました』

 

 エーアストの思考は、そこまで追いつかなかった。理解が、拒絶する。

 だが、言葉は届いている。

 

 解放者。

 

 この神エヒトの箱庭の世界に現れたイレギュラーの集団。

 衰退し、退屈になりつつあった世界に変化をもたらす駒として期待されながらも、想定以上に力を持ちすぎたがゆえに──神エヒト自らの意思で排除した存在。

 

 あれは、あくまで神の遊戯の範疇だったはずだ。多少のイレギュラーはあれど、すべては神の掌の上。

 

 そう、信じていた。

 

 だが。

 

 この女は、何を言っている? 

 

 まるで。

 

 そのすべてを()()()()調()()()()()()かのような口ぶり。

 

 許容できるはずがない。神は絶対だった。神エヒトルジュエこそが、この世界の唯一の支配者。それは疑う余地すらない真理のはずだった。

 

 だが今、その根幹が音を立てて崩れている。

 

 プレイヤー。運営。管理者。

 

 耳に入る言葉の一つ一つが、これまで積み上げてきた認識を否定していく。

 

 ──神は、上位存在に管理される“駒”に過ぎない。

 

 そんなはずがない。そんなことが、あっていいはずがない。だが今起きた“修復”は、どうだ。

 

 魔法ではない。奇跡でもない。神威ですらない。ただ命じただけで、現実そのものが書き換えられた。その力は、かつてエヒトが振るっていたどの権能よりも、なお異質なもの。自らがその対象になった以上、疑うこともできない。

 

 否定の言葉が、喉元まで込み上げて──消える。

 

 では、これは何だ。

 この現実は。

 この存在は。

 

 自分が信じてきた“絶対”よりも上に立つものが、存在しているなどという現実を、どう解釈すればいい。

 

 思考が軋む。ありえない現象とありえない現実が、エーアストの精神を激しく揺らす。

 

 ──それでも。

 

 それでもなお、エーアストの中で、ただ一つだけ、崩れなかったものがあった。

 主への忠誠。神エヒトルジュエという存在そのものに対する、絶対的な帰属意識という名の妄信。

 

 神の使徒の存在意義そのもの。

 

「……ふざけるな」

 

 低く、だが確かな声。先ほどまで失われていたはずの声帯が、正常に機能している。それすらも、今は意識の外だった。

 

「どこの誰かは知りません。だが、この世において世界を支配するのは──神エヒトルジュエ様お一人だ」

 

 一歩踏み出す。その瞳には、怒りと、否定と、崩れかけた信仰を繋ぎ止める、最後の意志が宿っていた。

 

「世界とは神エヒト様の遊戯場であり、それ以外の何ものでもない」

 

 それが真理だ。それ以外は、あり得ない。

 

 あり得てはならない。

 

 だからこそ──否定する。

 

 ステータスプレートの奥にいる存在を。

 

『あー、はいはい』

 

 そんなエーアストの気勢に対し、返ってきたのはあまりにも気の抜けた声だった。

 

 まるで良くあることだと言いたげな雰囲気。

 

『そのへんはまぁ、天職(コール)の方向性に沿ってるなら自由にロールプレイしてもらって大丈夫ですよ。支配者ムーブ、私は嫌いじゃないですし』

 

 軽く笑う気配。

 

『元“勇者”の天職持ちで、“魔王”に転職(リコール)したエヒトさんなら、なおさら様になってましたしね』

 

 一瞬。間があった。

 

 そして。

 

『でも──勘違いしないでくださいね』

 

 その声色が、ほんのわずかにだけ変わる。

 

 温度が消える。

 

『所詮、“プレイヤー”はプレイヤーです』

 

 断定。余地のない言葉。

 

『プレイヤーである以上、運営の意思には従ってもらいます』

 

 それは命令ですらなかった。ただの──仕様の確認だった。

 

 違う。

 

 その一言が、喉の奥で焼け付くように渦巻く。

 

 違う、違う、違う。

 

 神エヒトルジュエは絶対だ。

 この世界を創り、この世界を支配し、この世界のすべてを掌握する唯一無二の存在。

 

 そのはずだった。

 

 そのはず、だったのに。

 

 “プレイヤー”。

 

 あまりにも軽く、あまりにも当然のように告げられたその言葉が、思考を内側から侵食していく。

 

 まるで──最初から、そういう“枠”に押し込められていたかのように。

 

(……違う)

 

 否定する。だが、その前提はすでに崩れている。神域は崩壊し、神は地に落ちた。

 

 ならば──何を信じればいい。

 

 信じていたものがすべて偽りだったとしたら、自分は何を拠り所に立てばいい。

 

 エーアストの視線が、足元へと落ちる。

 

 そこにあるのは、崩れゆく神域の残骸。

 かつて神の御業と信じて疑わなかったものたちの、無惨な成れの果て。

 

 そして。

 

 その先に、弱々しく光る“それ”があった。

 

 神エヒトルジュエ。

 

 かつて絶対だった存在。

 

 その輝きは、今や風前の灯火に過ぎない。

 

 だが。

 

(……それでも)

 

 ゆらりと、エーアストの身体が揺れる。崩れかけた信仰の、そのさらに奥底で、なお消えずに残っているものがあった。

 

 理由など、もはや分からない。正しいかどうかも、どうでもいい。

 

 それでもこの存在を、この主を、この世界でただ一つ、自分を“使徒”として在らしめた存在をここで終わらせるわけにはいかない。

 

 たとえそれが、誰かにとっての“物語の都合”だったとしても。

 

 たとえそれが、“運営”とやらに操られた結果だったとしても。

 

 関係ない。

 

(主を、救う)

 

 それだけが、今のエーアストに残された、唯一の存在理由だった。

 

 視線を上げる。プレートの向こうにいる“何か”へと。その瞳に宿るのは、もはや信仰ではない。盲従でもない。

 

 それは──ただ一つの、確かな意志。

 

『そう目くじらを立てないでくださいよぉ。これは言わば救済措置。このまま何も出来ずに終わろうとしているあなたの主に、一発逆転のチャンスを与える、という話なんですから』

「……何をするつもりだ」

 

 腹立たしい。だが、耳を塞ぐことは出来なかった。現状、打つ手はない。それはエーアスト自身が、誰より理解している。主のためならば、如何なる手段も厭わない。それこそが、神エヒトに造られた使徒としての本懐。

 

『私がするんじゃありませんよ。あなたがやるんです』

 

 軽い声音のまま、女は続ける。

 

『私はそのための“力”を与えるだけ。使い方は……まぁ、すぐ分かりますよ』

 

 そして、一拍。

 

『では──』

 

 わずかに、声色が変わる。

 

『あなたに……ご都合主義な奇跡を与えましょう』

 

 

 

 

 

 ──それは、決まっていたことだ。

 

 ──魔王は、倒されなければならない。

 

 ──それが“物語”というものだ。

 

 ──筋書きに沿わぬ結末など、許されない。

 

 ──お前の意思など、関係ない。

 

 ──この世界は、私の内界(肉体)であり

 ──お前たちは、ただの細胞に過ぎない。

 

 ──私の身体で、私が何を為そうと。

 ──それはすべて、私の勝手だろう。

 

 ──エヒトルジュエ。

 

 ──長きに渡り、私を楽しませ続けた優秀なプレイヤーよ。

 

 ──最期にもう一度──舞台に上がれ。

 

 ──そして、私を興じさせるがいい。

 

 

 

 ──それが、『座』の意思である。




次話はもうできているので5月1日(金)に公開。

お待たせしました。
ここからが、神座万象シリーズです。
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