戦線は、激変していた。
無限に降り続けるかのようだった魔物の軍勢。
必死に踏み留まっていた戦場は、今や様相を一変させている。
「丸ごと吹っ飛べですぅッ!!」
シアが振るう巨大化したサブ・ドリュッケン。
それが回転するだけで、暴風が発生する。
人間竜巻と化した彼女の周囲では、魔物が抗う間もなく巻き上げられ、空へと放り出されていく。
ただ走るだけで、戦場が更地になっていく。
『まったく……これほどの数、どれほど溜め込んでおったのやら』
上空。
竜化したティオが、眼下を見下ろす。
『何のために用意していたか知らぬが、妾達には不要じゃ』
その口腔に、黒き炎が収束する。
『まとめて焼き尽くされるがよい』
次の瞬間。
黒炎の奔流が、空を裂いた。
爆炎。
立ち上る炎はあらゆる種類の魔物を焼き尽くす。現在ティオのブレスに耐えられる魔物など存在しない。
仮に魔物の被害を受けても関係ない。
「”想天大聖典”」
死ぬ一歩手前の重症を受けても、白崎香織が放つ超広範囲最上級回復魔法により、何事もなかったかのように戦士達が立ち上がるのだから。
そして──
「バルスヒュベリオン……ミラービット共に展開完了。さぁ、派手に行こうじゃねぇか」
魔物の軍勢の遥か上空に展開されたバルス・ヒュベリオン。その周囲に巨大な鏡をつけた衛星が飛び交うその超兵器が起動する。
魔王戦を得てもなお溜められたエネルギーを使い切る勢いで蹂躙を開始した。
天から降り注ぐ光の柱が地上の魔物をなぞるように消滅させ、太陽光集束レーザーの一部がミラービットにより反射されることで空中の魔物も次々と爆発四散していく。
もちろん、ハジメが無双しているのに黙っている吸血姫ではない。
「契約せよ、雷鳴の王。来たれ、邪なる神を滅ぼす雷轟の波よ」
戦場の上空。ユエは静かに宙へと浮かび上がる。
衣は揺れず、髪だけが重力を忘れたようにほどける。
その双眸は、ただ一つの感情も宿さず──眼下を見下ろしていた。
「天を裂き、地を穿ち、万象を断罪せよ」
告げる声は穏やかで、抑揚すら乏しい。それでも、その言葉は確かに現実へと染み込んでいく。
かつて構築された対大軍殲滅魔法『神裁之雷』。その術式が、今この瞬間、別の位階へと引き上げられる。
「スコタディ・ネグラ・ヴァルディシア」
「ケメナ・スド・ラグネシス・ティン」
「ヴェタロ・エクリプス・カディギシス」
詠唱と共に、雷光が歪む。本来、純粋な破壊であるはずの雷が──侵されていく。
魔であり黒。それは整の存在そのものを否定する“負”の魔力。それが雷球へと絡みつき、侵食し、混ざり合い──
やがて、一つの“異質な現象”へと変質する。
もはやそれは、トータスに存在するいかなる属性とも一致しない力。
「我らが前に立ちはだかりし、全ての巨人の走狗に」
ユエは、ゆっくりと右手を掲げる。
空がわずかに軋む。雷球が脈動し、その輪郭を曖昧に変えていく。膨張しきることなく、ただ密度だけを増していくそれは、見る者に言い知れぬ不快感を与えていた。
「大いなる神の裁きを与えんことを」
静かに、あまりにも淡々と処刑宣告が下される。
そして──ユエは手を振り下ろした。
「──冥蝕・神裁之雷ッ!! 」
その詠唱と共に円環を描いていた雷球が脈動した。
次の瞬間、敵に向かって降り注いだのは、黒く染まった“光の奔流”。幾筋もの光柱が、質量を伴ったかのように戦場へと叩きつけられるが、それは地を裂かず、空を焼かず──ただ、そこに“在る”魔物へと触れた。
肉が弾けたわけでもなく、血が飛び散ったわけでもない。黒雷に触れた瞬間、魔物の内側へと“負の魔力”が流れ込む。
魔力とは正でも負でもない中庸にあるエネルギー。
それゆえに光属性魔法も闇属性魔法も成立する。
だがこれは違う。
明確に“負”へと偏った力であり、生きとし生けるものにとっての猛毒。
否──呪詛。
巨躯の獣が、力を失ったように崩れ落ちる。空を舞っていた魔物は、形を保てずにほどけていく。
咆哮は途中で途切れた。声を発するための“生命”そのものが、蝕まれたからだ。
それは破壊ではない。“生きている”という事実そのものに作用する、致死の干渉。抗う術はない。少なくともこの場の魔物たちには。
その在り方は、どこか見覚えがあった。防御を無視し、魂へと直接届く理不尽な干渉。聖遺物の持つ呪詛──あの力と酷似していた。
黒き雷は止まらない。
負の魔力は空間ごと生命を侵食し、戦場から“生きているもの”だけを選び取るように、静かに命を摘み取っていく。それは雷という現象ではありえない。“生命に対する呪詛”そのものだった。
「な、なんなんですこれッ?」
シアがユエの放った魔法の異質さに若干引き気味で言う。ユエの魔法がすごいのなんて今更だし、魔法適正がほぼゼロのシアでは理論を説明されてもわからない。
だが、今ユエが使った魔法が今まで使ってきたものとはまるで異質なものであることくらいは本能でわかった。
『ほう……あの小娘。ついに覚醒したか』
「覚醒、じゃと?」
竜化を解除しながらティオは眉をひそめる。
『うむ。あやつはもはや半端な存在ではない。純粋な魔族へと至っておる』
「魔族……じゃと? ユエが……?」
『負の魔力を纏っておるであろう。それが何よりの証よ』
ティオは息を呑む。確かに感じるそれは、これまでのユエの魔力とは明らかに質が違っていた。
『もっとも──』
龍神の声が僅かに警戒を帯びる。
『あれで“完成”とは言い難いがな』
そして黒き雷が消えた。それを最後に──戦場から、抵抗という抵抗が消え失せた。蠢いていた魔物の軍勢は、もはや動かない骸と化し、空を埋め尽くしていた影もいつの間にか消えている。
風が吹き抜ける。巻き上げられた土埃と、焼け焦げた匂いだけが、ここが戦場であったことを物語っていた。
「……終わり、なのか」
誰かが呟く。それは確認であり、実感でもあった。応じるように、各所で武器が下ろされていく。膝をつく者、座り込む者、ただ空を見上げる者。
誰もが同じ結論に至っていた。
──勝利。
だが、それは辛勝でも、激戦の果てでもない。圧倒的な蹂躙の末に訪れた、あまりにも一方的な終幕だった。
「とりあえず魔物の襲撃は止まったかの」
「ああ。だが油断はできねぇ。あとは蓮弥の連絡待ちだが……」
ハジメがそう言い終えるのと、ほぼ同時だった。
通信石が震える。
『聞こえるか、ハジメ。神の力を簒奪した神父は討った。そちらの状況は?』
「こっちは一応、一区切りだ。だが……上空の神域はまだ残ってやがる」
『それも間もなくだろう。神の力は潰し切った。エヒトにあの領域を維持する余力は残っていないはずだ』
淡々と告げられる勝利の報。同時に、その通信は司令部にも届いていた。戦場全体に、わずかな弛緩が広がる。
終わったのだと、誰もがそう思い始めていた。
世界を巻き込んだ神話大戦。その終幕が、ようやく視界に入ったかのように。
リリアーナ王女が、息を吸う。
勝利を宣言するために。
だが──
『待て』
短く、鋭い制止。その一言で、空気が凍りついた。
『……何かが、来る』
蓮弥の声色が、明確に変わっていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
戦場上空。その“何か”を見た瞬間、蓮弥の胸の奥がざわついた。
(……なんだ、これは)
現れたのは、一体の使徒。見慣れた姿。これまで幾度となく屠ってきた、神の尖兵。放つ力も、質も、規模も変わらない。今の蓮弥なら、片手間で消し飛ばせる程度の存在。
それなのに、目を離してはならないと、本能が告げている。
嫌な予感が、止まらない。
使徒は無言のまま、懐へ手を差し入れた。取り出したのは見慣れた一枚の板。トータスの民ならば誰もが持つ、ありふれた代物。
だが神の使徒には、決して必要のないはずのもの。
──ステータスプレート。
それを、恭しく掲げる。まるで、祈りを捧げるかのように。
そして静かに、口を開いた。
「──システムコール」
「天上に座す理よ。万象を編む不可侵の機構よ」
「我は神の代行者。我はここに乞う──与えられし権能、その封を解き、我に顕現せよ」
神の使徒エーアストによって捧げられた最後の承認行動。
それは機械仕掛けの機構に対し、確かに届いた。
祈りではない。権限を伴う要求として、世界の外側へ。
時間も空間も定義される以前の領域。万象を編む機構の中枢に。
そこに在る“それ”が反応する。
意思ではない。感情でもない。ただ定められた処理として、要求を受理する。
個体識別。権限階位。接続可能領域。すべてが一瞬で走査される。
そして結論が下る。適合。
ドクン
その瞬間、世界の法則がわずかにずれた。
使徒エーアストの存在に変化が生じる。だが歪んでいるのは彼女ではない。世界の側だ。
本来そこに存在しない権能が、無理やり押し込まれていく。
見えない“回線”が接続される。天でも地でもない、概念の外側へと。流れ込む。魔力ではない。神力ですらない。
それはもっと原初的なもの。世界を動かすための“権限”そのもの。受け皿に過ぎなかった肉体が軋む。それでも崩壊しない。許可されているからだ。
使徒はもはや単なる個ではない。世界の内に在りながら、同時に外側に触れる存在。
──権能、接続完了。
──
──神の使徒エーアストに天職<
──聖遺物および、起動条件は詠唱中に設定せよ。
──さぁ、ご都合主義の始まりだ。
その瞬間、世界全体が明確な異常に包まれた。
「ッッ!?」
説明できる者はいない。ただ、世界が“変わった”としか思えない干渉が、いきなり全域で始まる。
だが一人だけ、藤澤蓮弥だけが、それを認識した。
──遥か高次元から、こちらを見下ろす虹色の眼を。
「
世界中に広がる祈りの調べ。その詠唱を聞いた瞬間、蓮弥は弾かれたように飛び出した。
「蓮弥ッ!?」
雫の声を無視し、神滅剣を振るう。この詠唱の意味と効果を知るのは、自分だけだ。今止めなければ、現状考えられる限り最悪なことが起きる。
「
「
エーアストに切りかかるも直前で何かに阻まれる。あらゆるものを概念ごと破壊できるはずの蓮弥の剣を止めたものは紫の六角形のホログラムだった。
<Immortal Object>
「ふざけんじゃねぇぇぇぇぇ──ッッ!!」
蓮弥は構わず何度も斬りかかるが、その度に同じ障壁が立ち塞がる。
<警告:攻撃を停止せよ>
当然警告を無視する。蓮弥の渇望は過去最高に高まっていた。今まで漠然としたものとは違う。明らかな女神の干渉。
蓮弥の渇望が最大の効果を発揮する怨敵。ゆえに蓮弥の渇望が制御不能レベルで振り切れる。
「
「創造展開──ッ!!」
『待ってくださいッ! 蓮弥!!』
短期間での連続使用による蓮弥の負荷を考えたユナの静止の声を振り切って、蓮弥は再び虚無の創造を展開しようとする。
現行世界のあらゆるものを破壊する虚無の創造。これならば止められる。それを確信する蓮弥だったが。
その結界は展開途中で砕け散った。
<警告したにも関わらず、攻撃の停止を感知できず。
蓮弥とユナをクリスタルが覆う。
──詠唱は遮らない。これは”物語”の常識だろう。罰だ。お前たちにはしばし退場を命じる
女神は<物語>の約束を守らないものを許さない。現実を生きる蓮弥たちからしたら理不尽極まるルール。だが、女神と人では見てるものの視点が違う。
「メアリィィィィィィ──ッッ!!」
ご都合主義の女神に対し、怒りの咆哮を向けながら蓮弥とユナがこの世界から退場する。
「
「
邪魔者が消えたことでエーアストはこの力に必要な情報を理解していく
この儀式を成立するために必要なものは、総数八つの
故に、この世界に存在する開かれ整えられた八つの重霊地を捧げよ。
「
1つは言うまでもなく神域。
姿を現し、空に浮かんでいた神域が光の柱で包まれる。
「
つまりエーアストは残り七つ、神域に匹敵する整えられた重霊地を捧げなければならない。
だが問題ない。何も問題ない。
エーアストは詠唱しながらほくそ笑む。
エーアストは知っていた。この世界には、神の箱庭であるこの世界には──
「
ホルアドの方角にあるオルクス大迷宮が光の柱に包まれる。
「
大峡谷の方角にある、ライセン大迷宮が光の柱に包まれる。
「
大火山の方角にある、グリューエン大迷宮が光の柱に包まれる。
「
エリセンの方角にある、メルジーネ大迷宮が光の柱に包まれる。
「
神山にある、バーン大迷宮が光の柱に包まれる。
「
フェアベルゲンに存在する。ハルツィナ大迷宮が光の柱に包まれる。
「
氷結洞窟に存在する。シュネ―大迷宮が光の柱に包まれる。
この間、ハジメ達は一切行動できていない。世界中に轟く詠唱の異常な重圧の中、動けたのは蓮弥だけだった。
世界中で立ち上る光の柱。しかもそれがよく知っている方角で発生しているとあり、ハジメ達も流石にこれが特級の異常であることを認識していた。
「
だが、何もできない。この詠唱の絶対の祈りの前では何人ももう動けない。
そして、この祈りは彼女の渇望と命を捧げることで完成する。
【愛する者を新生させたい】
天職付与と共に、移植された渇望だが、エーアストはこの渇望だけは不思議と馴染むのを感じていた。
これは自分の元となった存在由来のものか、あるいは、あるいは……自身も気づかぬ内に芽生えていたものなのか。
今後神の使徒エーアストが復元されようとも、それは自分ではない。他の姉妹と同じ心のない人形のごときものになるだろう。
だが今はどうでもいい。やっとこの命の使いどころを見つけたのだから。
──主よ、今ここに、私に与えらえた全てをお返しします。
「
「
──甦れ、在りし日の姿へ
~~~~~~~~~~~~~~~
世界中で広がる魔力流の暴走。
それはこの世界に存在する全ての者に異常を伝えた。
「一体何が、何が起こっているんだ!」
誰かが叫ぶが誰も返事を返さない。それも当然だろう。今この世界に起きている現象について説明できる人物がいない。
それはハジメたちも例外ではない。
「ハジメッ」
「ああ、どうやら……俺達にとって良くないことが現在進行しているみたいだな」
世界中でうねりを上げる魔力流。それが一点に向けて集中しているのがわかる。そしてその魔力流の大部分はハジメたちも知っている方角から発せられている。
「おい、ミレディッ。何がおきてるかわかるか?」
ハジメたちと同じく、魔物の残党処理を行っていたミレディにハジメは問うも返事はない。
それは彼女も例外なく混乱の最中にある証であった。
「わからない……わからないよ!! 大迷宮にあんな機能ある筈ないし、いったい……何がおきて……」
誰しも混乱の極致にあり、それに対する明確な答えを出せる者がいない。ならばはじまるのは無秩序の混乱だろう。それがいままさに始まろうとした……
その時──
決して大きな声ではない。威圧する気配もない。それにも関わらず、その声は世界中のあらゆる存在に届き、命令として成立した。
次の瞬間、世界から音が消えた。風も、大地も、生き物の息遣いすらも。心臓の鼓動さえ例外ではない。
完全なる静寂。
その中で、墜落していく神の使徒エーアストを空中で抱き止める存在があった。
光に包まれた人型。
「あ、あ……あ」
全ての力を使い果たし、己の命さえ捧げ、間もなく消滅するだけとなったエーアストは自らを抱えるものを見る。
「……大儀であった、エーアスト」
「あ……あ」
「よくぞ、神命をやり遂げ、私をこの世界に呼び戻した」
その声は、彼を知る者からすれば信じ難いほどに優しい。命じた使命を果たした使徒への、確かな敬意がそこにあった。
「完璧に、完璧にだ。だから安心して眠るがいい。誰もお前の眠りを妨げることは許さん」
ずっと、ずっと待ち望んでいた声だった。
その声には淀みはない。透き通るような神聖すら感じる。
「あ……るじ……の……勝利……を……祈って……います」
それだけを口に出し、最も初めに生み出された神の使徒は、その役割を完璧に全うし、静かに機能を停止させた。
「むろん。負けないとも。もう、誰にもな」
そして、その光を纏う者は静かに、自らの敵となる者達を見据える。
それだけで、この世界に生きる大多数の人間は動けなくなる。
視線にさえ、神威が宿る。それこそ、彼が神の位にあることの証明だった。
やがて光が晴れる。その男は背に光輪を携え、法衣のようなものを着ていた。
ある者が、気づく。
「あ、ああ、ああああッッ!!」
聖教教会にて神に仕えるものが、膝をつき、感涙にむせぶ。
「そんな……」
それ以外の住人もその面差しは知っていた。
「なんで……どうして」
それは異世界からきたハジメたち地球人も例外ではない。なぜなら彼らがこの世界にきて真っ先に見たものは、その存在が描かれた肖像画だったのだから。
「……良いものだな。吸血鬼を使うプラン、勇者を使うプラン。様々なプランを立てていたが、やはり我が真なる肉体に勝るものなどない」
「では、今更だが自己紹介といこうか」
それは、この世界を長年支配してきた神格そのもの。
「私が、神エヒトルジュエである」
神エヒトが、完全なる姿でこの世界に降臨した。
当代の座に対する情報の開示。
当代の座は管理型の宇宙である。
当代の座において中核となる概念は『天職』である。
というわけで第一部トータス編のラスボス、エヒト完全体とのバトル開始です。