脳裏に浮かぶのは、遥か昔の記憶。
まだ全員が生きていた頃。
まだ“解放者”という名前に、希望の響きが残っていた時代。
最後の決戦前夜。
神域へ至るための概念魔法が完成し、聖光教会総本山へ最後の戦いを挑もうとしていた、あの日。
「ねぇねぇ、みんなはさ。世界の解放を成し遂げたら何がしたい?」
焚火を囲みながら、ミレディがそんなことを言い出した。
「そうだなぁ……やっぱり元の錬成師に戻るかな。いい加減、受け継いだオルクス工房を再開しないと」
最初に答えたのはオスカー・オルクス。
ミレディと最も長い付き合いになる男。
彼の望みは、案外ささやかなものだった。
母親と、弟や妹達。
家族と共に、錬成の師匠から受け継いだ工房を再び動かす。
それだけ。だが、それだけの願いを叶えるために、彼は神へ牙を剥いた。
「私はまずディーネちゃんを迎えに行ってぇ……その後は気ままに大海原を旅するのもいいかもねぇ」
メイル・メルジーネが、どこか夢見るように笑う。
元海賊らしい願いだった。
未知の海。
未知の大陸。
まだ見ぬ景色。
豪快で、愛情深い彼女の、愛する家族と共にあるであろう彼女らしい未来。
「私は……やはり家族と向き合いたい」
神妙な顔で口を開いたのは、ラウス・バーン。
元白光騎士団団長。
彼には教会側へ残してきた家族がいた。
今は敵として刃を向け合っている。
それでも、エヒトさえ倒せば再び分かり合える日が来ると、彼は信じていた。
「俺は兄上と共に王国の再興だな」
ヴァンドゥル・シュネーが即答する。
神の支配から解き放たれた兄とならば、きっと魔人族史上最高の国を築ける。
そんな確信が、その声音にはあった。
「わたくしも共和国の立て直しですわね」
リューティリス・ハルツィナが優雅に微笑む。
教会との戦争で疲弊した祖国。
だが、もう彼女は独りではない。
だからきっと、再び立ち上がれる。
「自分は……」
「ナっちゃんはいい加減責任を取らないと」
「そうだねぇ。二人のどちらかを嫁にして、もう片方を妾にするかは知らないけど」
「どっちにしろ修羅場ねぇ」
「ロリコンの誹りは避けられねぇが、今更だろ」
「ちょっと待てッ!? なんで自分だけッ!?」
ナイズ・グリューエンの悲鳴が響き、焚火の周囲に笑いが広がる。
最後の決戦前だというのに、緊張感も何もあったものではない。
だが。
だからこそ、愛おしかった。
世界を救うだの。
神を倒すだの。
そんなものを背負いながら、それでも皆、“戦いの後”を見ていた。
生き延びた先を夢見ていた。
「だいたい、言い出した本人がまだ言ってないじゃないか。ミレディ、お前はどうする?」
これ以上弄られたくなかったのか、ナイズが強引に話を振る。
「えっ、ミレディさんの? え~、どうしようかなぁ~。言っちゃおうかなぁ~。ミレディさんの壮大な野望を聞けばみんな腰抜かしちゃうかも──」
「さて、最後の作戦についてなんだが」
「ちゃんと聞いてよぉッッ!!」
「だったら真面目に話したらどうだい」
オスカーが呆れたように言う。
それに頬を膨らませながら、ミレディは笑った。
「えへへ、私はねぇ──」
ああ。
私はあの時……なんて言ったんだっけ?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ハジメとユエの魂を取り込んだエヒトを前にしてなお、ミレディ・ライセンは立っている。
傷だらけの体。
擦り切れた魂。
それでも、その瞳だけはまだ死んでいなかった。
「なぜまだ立ち上がる? 貴様とはもうすでに勝負はついたであろう」
「はっ、な~に言ってんの受けるww。あれがミレディさんの本気だとおもってたのかな~」
あえて明るい調子で言うミレディ。
彼女の言葉はまるきり嘘ではない。
以前戦った時、エヒトは光輝の身体を使っていた。もちろんそれでも倒す気であったが、もうすでにいないはずの存在である自分が、未来ある若者の命を奪い取る葛藤が微塵もなかったとは言えない。
だが今、エヒトは自らの肉体を持って復活した。もう、ミレディを抑えるものは何もない。
「星よ、森羅万象を司る四大の元素よ。ミレディ・ライセンの名のもとに……今こそ我は、汝ら全てを掌握する」
森羅万象に干渉するミレディの奥義。
通常ならそのこの星の神羅万象そのものになったエヒト相手には通じないもの。
だが、ミレディの執念は、エヒトから一部の権能を奪うことに成功していた。
「ほう……」
エヒトは感じていた。自らの体表に、自らと鬩ぎ合いが成立する存在が現れたことを。
「大気は……私の周囲に集い……固まるッ! 」
超高密度の大気を纏い、ミレディはエヒトに迫る。
重力魔法の引力と斥力をも利用したその攻撃はエヒトに当たり、大きく吹き飛ばすことに成功する。
「”極大・天雷槍”」
続けて、極大の雷の槍をエヒトに向かって放つ。それはあっさりエヒトに直撃し、爆音を周囲に響かせる。
だが、ミレディの顔には余裕など少しもない。
(どうして……)
そのまま魔力を練り上げ、エヒトに向けて無数の魔法を叩き込む。
(どうして私は……)
爆炎でエヒトが見えなくなっても打ち込み続ける。
だが……
「……よもや」
当たり前のように、無傷のエヒトが姿を現す。
「よもや貴様……今更この程度の攻撃が、私に通じるとは思っていまいな?」
エヒトは構えてさえいなかった。そのまま宙を滑るように、ゆっくりとミレディへ歩み寄る。
ミレディは歯を食いしばる。
理解している。自分の魔法は確かに届いている。
エヒトの権能を奪い、森羅万象への支配権を一部とはいえ奪取している。
事実として、今の自分は神の領域へ干渉できている。
だが──届かない。
決定的に。
何かが足りない。
魂が、あと一歩“向こう側”へ届いていない。
(どうして……)
ミレディは知っている。
概念魔法に重要なのは、技術ではない。
魂だ。渇望だ。
世界すら捻じ曲げるほどの“願い”そのもの。
ならば、どうして自分は届かない?
なぜ、自分の魂はあと一歩で止まってしまう?
「貴様が今考えていることを……当てて見せようか」
薄く笑うエヒト。
「もはや戦えるのが自分しかいない以上、私を打倒する方法はただ一つ。今ここで自らが概念魔法の領域、すなわち到達者になることだ」
「そのために魂を振るわせている。貴様の周囲数メートルだけとはいえ私の覇道と鬩ぎ合いが出来ているのはそれが理由であろうが、それでも一歩届かない」
「ッッ……」
笑え。
いつものように。
軽薄に。不敵に。誰よりも自由に。
ミレディ・ライセンは、最後まで“解放者”でいろ。そう思うのに口元が、うまく吊り上がらなかった。
「どうした? いつもの軽薄な態度が消えているぞ?」
「……っ、は」
ミレディが、無理やり口角を吊り上げた。
「言ってくれるじゃんか……」
震える膝を叩く。砕けかけた魂を、無理やり奮い立たせるように。
「そりゃ怖いさ。届いてないのもわかってる。アンタが化け物なのも嫌ってほど理解した」
それでもミレディは、エヒトを睨み返した。
「だけどねぇ……ここで諦めたら、全部終わりなんだよ」
仲間達はもういない。
オスカーも。
ナイズも。
メイルも。
ラウスも。
ヴァンドゥルも。
リューティリスも。
そして今。
未来を託した若者達までも消えた。
だから。
「今ここで立つのは、ミレディ・ライセンしかいない」
「“最後の解放者”ナメんな!!」
未だにミレディがエヒトに気勢を上げる中、エヒトは静かにミレディを観察する。
「“最後の解放者”か」
エヒトが、静かにミレディを見下ろす。
「ならば教えてやろう。お前が概念魔法へ至れぬ理由を」
ミレディの瞳が揺れる。
「それは……貴様のその想いが……偽物だからだ」
「ッ──」
息が止まる。その反応を見て、エヒトは確信したように続けた。
「ベルタ・リエーブル……かつて神託の巫女でありながら、最初の“解放者”となった女」
懐かしむように、あるいは過去の記録を眺めるように、エヒトは淡々と語る。
「貴様のその軽薄な振る舞い。人を食ったような笑み。誰よりも自由を愛したような態度」
「その全て、あの女の模倣であろう?」
「なっ──」
「後を継いだ? 違うな」
エヒトはミレディを心を見透かすように眺めた。
「ライセンとして、人を処刑することしか教えられなかった貴様には、それしかなかっただけだ」
「だからこの期に及んで貴様は、極限の意思を見いだせない。貴様の渇望が借り物だからだ」
「ッ……」
言葉が出ない。
否定したい。
だが、未だに概念魔法に到達できない事実と、魂の奥底へ直接突き刺さるその言葉をミレディは即座に否定できなかった。
そんなミレディを見下ろしながら、エヒトは静かに続ける。
「もっとも──それは貴様個人だけの問題ではない」
「……なに?」
「“解放者”そのものが、所詮は幻想だったという話だ」
世界が静まり返る。
エヒトは、まるで過去を振り返るように目を細めた。
「自由の意志の元にあらんことを……だったか」
「そんな貴様に、良いことを教えてやろう」
そして神は、解放者達の理想そのものへ刃を向ける。
「その思想による世界は……私が遥か昔に通り過ぎた過去なのだ」
ミレディの瞳が揺れる。
「貴様らより数世代前の文明」
「私はその時代、極力干渉を控えた。神託も最低限。導きも最小限。世界の未来を、その時代を生きる者達の自由意志へ委ねてみたのだ」
「無論、放置したわけではない」
「文明が滅びかける災厄があれば裏から救い、疫病が広がれば治療に必要な知識を流した。争いが激化し過ぎれば、見えぬところで均衡も取ってやった」
「そうして私によって守られた文明は、見事に発展した」
「今とも、貴様の時代とも、比べられぬほどにな」
そこでエヒトは、皮肉気に笑う。
「そうして育まれた文明。そこに生きる者達は、一体どうなったと思う?」
答えを待つことなく、神は続ける。
「勝手に争い始めたのだ」
神は、ただ見てきたものを語る。
「最初は些細な違いだった。肌の色。耳の形。生まれた土地。信じる文化」
「ただそれだけの違いで、彼らは互いを区別し、優劣を定め、排斥を始めた」
エヒトの声音に感情はない。だからこそ、その言葉は妙に重かった。
「私は何も命じていない」
「異端を殺せとも。他種族を滅ぼせとも。奪えとも。支配しろともな」
「彼らは自由だった。手を取り共に生きる選択もあったはずだ」
「それでも彼らは……自ら争いを選んだ」
それは、人間の持つ原罪なのか。
「富を求め。資源を求め。より豊かな土地を求め。彼らは隣人の喉笛へ牙を立て始めた」
「私の当たり障りのない教えの“解釈違い”だけで宗教対立を起こし、血みどろの殺し合いを始めた時は、流石に滑稽だったぞ」
エヒトの声音はまるで既に見飽きた記録を読み上げているかのようだった。
「そして争いは、文明の進歩を加速させた」
皮肉にも。
「より効率的に殺すため。より遠くを焼き払うため。より多くを支配するため。彼らは技術を磨き続けた」
人類が最も飛躍する瞬間は、いつだって戦争の最中だった。
「そうして最後に生み出されたのは──世界そのものを幾度も滅ぼしうる災厄だった」
ミレディの瞳が揺れる。
エヒトの目には、過去の光景が映っていた。
天を裂く閃光。
蒸発する都市。
焼け落ちる大地。
悲鳴すら残らぬ終焉。
「だから私はその文明を“終わらせた”」
「手遅れになる前に」
「星そのものが死ぬ前に」
それは告白だった。
あるいは数万年という時間の果てに辿り着いた、エヒトなりの結論。
「天罰? 違うな」
「私はただ、全てが壊れる前に盤面を初期化しただけだ」
曲がりなりにも世界を管理したが故の視点。
「そして理解した……人とは、自ら滅びを選ぶ生き物なのだと」
「自由を与えれば欲望に溺れ。力を与えれば争いを始め。知恵を与えれば、より効率的な殺戮へ辿り着く」
エヒトは人間の持つ原罪をその眼で見ている。
「誰かに強制されたわけではない」
「連中は、自らの意志で破滅へ進んだのだ」
エヒトの瞳に浮かぶのは、失望か。
あるいは、数万年積み重ねられた諦観か。
「故に管理が必要だった」
「故に導きが必要だった」
「故に──神が必要だったのだ」
次にエヒトがメスを入れたのは、ミレディが生きてきた時代。
「貴様が生きた時代は、確かに私の干渉が強い時代だった。そこに私欲があったことは否定せん」
エヒトは、静かに続ける。
「だが──その時代に生きていた者達は、本当に全員不幸だったのか? 本当に全員お前たちに助けを求めていたのか?」
「ッ……」
「神を信じ、隣人を愛し、家族と共に平穏に生涯を終えた者は一人もいなかったのか?」
「私の治世で生まれ、恋をし、子を成し、老いて死ぬ」
「それだけの人生を、幸福と呼ぶ者も確かに存在したはずだ」
それをミレディは……否定できない。
子供の笑えない世界に価値はない。それはミレディが解放者を志した理由の一つ。
だが、ミレディとて世界の全てを見てきたわけではない。
世界が歪だったことは間違いない。
神による支配が正しかったとも思わない。
それでも、その歪んだ世界の中で確かに幸福を見出していた者達は存在していた。
ミレディは、それを否定できない。
「結局のところ、貴様らの思想も同じだ」
エヒトの声は冷徹だった。
「それぞれ異なる願いを抱いていたとしても、世界を変えようなどという者達のやっていることは根の部分だと一貫して変わらない」
「自らの理想こそ正しいと信じ、それを世界へ押し広げる」
「つまり──“自分たちの望む思想に、世界に、お前たちはただ従え”ということであろう?」
「ッッ……違うッ!!」
そこだけは、ミレディは即座に否定した。
自分達が信じた未来が。
自分達が託した願いが。
そんな暴力的なものであっていいはずがない。
「で、あろうな」
だが、エヒトはあっさり頷いた。
「だからこそ、貴様らは負けた」
「……っ」
「貴様らは最後まで、旧世界の悉くを塗り潰す覚悟が足りなかったのだ」
「故に究極へ至れない」
「故に、覇道になれん」
覇道。
それは旧時代の全てを踏み潰し、自らの理で世界を塗り替える者。
善悪ではない。
優しさでもない。
ただ、自らの渇望のみを絶対として押し通す超越者の在り方。
世界そのものへ“自分”を刻み付ける者の生き様。
それが、エヒトの言う覇道。
「貴様らは夢を語った」
エヒトが静かに言う。
「自由を。平和を。未来を」
「だが、そのために何を切り捨てるかを最後まで決めきれなかった」
ミレディの表情が、強張る。エヒトは、それを見逃さない。
「たった一人の小娘の命すら捨てられなかった」
「その結果、千載一遇の機会を失ったのだ」
「……ッ」
ミレディの脳裏に蘇る、あの日の光景。
神域へ至る概念魔法のアーティファクト『界越の矢』。
世界を超え、神のいる座へ届く唯一の手段。
ついにエヒトへ辿り着ける。そう確信し、解放者達は神域へ踏み込んだ。
だが彼らを待っていたのは、神の軍勢ではなかった。
泣き叫ぶ民達。
狂乱する無辜の人々。
神威によって理性を焼かれ、壊れながらも助けを求める者達。
その中には、まだ幼い少女もいた。
もし見捨てて進めば、確実にエヒトへ届いていた。
世界を変える好機だった。
だがミレディ達は、立ち止まってしまった。救おうとしてしまった。
その一瞬の迷い。その“人として当然の情”。それこそが運命を分けた。
隙を突いたエヒトによって、『界越の矢』は破壊された。
神域へ至る術は失われ、解放者達は神へ届く手段そのものを失った。
その後は、ただ終わりへ転がっていくだけだった。
狂乱する民を前に動けなくなり。
大災害獄蛇復活によって、戦いそのものが強制的に終わらされた。
あの日。解放者の敗北は決定したのだ。
「所詮、貴様らは器ではなかったのだ」
エヒトが、断じる。
「私を滅ぼし、新世界を築く覇道のな」
そこで、エヒトの纏う空気が変化する。
「だが、貴様はよくやった」
エヒトの声音が変わった。
先ほどまでの冷徹な断罪ではない。
それはまるで、長い時を生きた者だけが向けることのできる、静かな労いだった。
「……」
ミレディは、ただエヒトを睨み返す。
「断言しよう。この世界における我が長き治世の中で、貴様以上に私へ抗い続けた者は存在しない」
エヒトは素直に答える。
「常人では、どれほど魂を補強しようとも三〇〇年が限界。それが、人という種に定められた魂の寿命だ」
「それにも拘らず、貴様は人の身でありながら二千年を超えてなお存在し続けた」
「それは驚嘆に値する」
エヒトは素直に認める。
敵として。あるいは同じ超越へ手を伸ばした者として。
ミレディという存在を。
「故に、貴様には資格がある。我が内界にて、幸福な夢を見る権利がな」
「我の内界で、理想の世界で生きればよい」
「ッッ……誰が……!」
ミレディが吐き捨てる。だがエヒトは、静かに続けた。
「それが受け入れられぬのであれば──」
「今ここで、自害せよ」
ピシッ──
その瞬間。
ミレディは、自らの魂に亀裂が走る音を聞いた。
「死後がどうなるかは、私にもわからん」
「だが、存外……再び会えるやもしれんぞ」
そして、エヒトは最後の言葉を落とす。
「愛しい……かつての仲間達にな」
「あっ……」
ミレディの瞳が、大きく揺れた。
当然だった。エヒトの言葉は、何一つ間違っていない。
人族の魂は、本来どう補強しようとも三〇〇年程度で限界を迎える。
それ以上生き続ければ、魂は摩耗し、自壊衝動を抱き始める。
生きることそのものへ疲れ果て、死を望むようになる。
ミレディは、二千年以上それを押し殺してきた。
仲間達との約束。
解放者としての使命。
世界を救うという願い。
それだけで、自分を繋ぎ止めてきた。
だが。
もし、もし本当に、死の果てでもう一度会えるのなら。
オスカーに。
ナイズに。
メイルに。
ラウスに。
ヴァンドゥルに。
リューティリスに。
それ以外の、数多の愛しい仲間達に。
その想像が脳裏を過った瞬間。
ミレディの魂へ──確かに“死”への渇望が芽生えた。
「あ、あああ」
ミレディは、膝をついた。
今の彼女は、解放者ではなかった。
旧時代最強の魔法使いでも。
神へ反旗を翻した大英雄でもない。
そこにいたのは──ただ一人の少女。
齢十一にして、“解放者”という重責を背負わされた、小さな女の子。
そこでミレディはようやく気付く。自らの渇望に……
あの日、幼くして解放者としての使命を背負わされた少女。
最初はそれしかなかった。
処刑人に徹するために心を殺して生き続けてきた少女。
そんな彼女にとって、ベルタ・リエーブルが齎した光はあまりに眩しすぎた。
光に焼かれた少女は彼女に憧れた。
真似をした。
口調を真似て。
態度を真似て。
笑い方を真似て。
そうしていれば、自分もいつか“人”になれる気がした。
──確かに最初は借り物だった。
エヒトの言葉は、正しい。
だがその背中を追い続けた時間まで、偽物だったわけじゃない。
仲間と出会った。
馬鹿みたいに笑って。
喧嘩して。
夢を語って。
処刑しか知らなかった少女は、そこで初めて知ったのだ。
誰かと生きることを。
だから──
死の淵へ追い詰められた今。
魂の最奥で。
ミレディ・ライセンは、ようやく自分の本当の願いを理解する。
『えへへ、私はねぇ──』
脳裏に蘇る。
あの日。
焚火を囲んだ夜。
皆が未来を語っていた、あの時間。
『こうやってみんなと……ずっと一緒だったらいいな』
「あっ……」
涙が、零れ落ちた。
「みんな……ッッ」
声が震える。
強がりも。
軽口も。
全部、剥がれ落ちていく。
残ったのは──
「助けて……ッッッッ」
たった一人の少女の、心からの叫び。
『『『『『『応ッ!』』』』』』
そして彼らは……その一言をずっと待っていたのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
神の使徒エーアストの選択は、決して間違ってはいなかった。
スワスチカとして捧げられるべき八つの
このトータスにおいて、神域を除きその条件を満たす土地など、七つの大迷宮以外に存在しない。
もし別の土地を無理やり贄としていたならば、神エヒトは不完全なまま目覚めていたことだろう。
故にこれは、必然。
敵対勢力最後の聖域を活性化したのなら。
その恩恵はまた、彼らにも届く。
七つの大迷宮が、輝きを増した。
「……何?」
エヒトが初めて、ミレディから視線を外す。
世界。
その全体へと目を向けた。
七つの大迷宮から放たれた光は、脈動するように世界中へ広がっていく。
だが、その光は迷宮だけに宿っていたわけではない。
民家に置かれた、いつまでも湯の冷めぬやかん。
研がずとも切れ味を失わぬ包丁。
時代を問わず。
場所を問わず。
人々の暮らしの中で使われ続けてきた、無数の道具達。
そこに刻まれていたオルクスの紋章が、一斉に淡く輝き始める。
それら全てが中継点となり、世界規模の術式が形成されていく。
気づけば、エヒトの展開した龍脈接続魔法陣、その上へ。
まるで重ねるように、別の意味を持つ超巨大魔法陣が展開されていた。
『我らは願う』
『自由の意志のもとに』
『涙ではなく笑顔を』
『支配ではなく選択を』
『絶望ではなく未来を』
『そして……次代へ託す希望を』
響き渡るのはまるで合唱。
あるいは、世界そのものを舞台にした大聖歌。
『今ここに繋ごう』
『届かなかった願いを』
『果たせなかった約束を』
『託された想いを』
『全ては次代へ至る道標』
『故に我らはここに、最後の聖戦を始める』
その
解放者。
その中核に存在していた者達の声。
その歌に導かれるように、世界中へ広がっていた光が共鳴する。
七つの大迷宮。
オルクスの秘宝。
解放者達が遺した全て。
それらが一つの巨大術式として連結していく。
エヒトが、初めて明確に表情を変えた。
「……これは」
気づく。
自らの権能が抑え込まれていることに。
星霊として世界へ浸透していた支配力が、確かに削ぎ落とされている。
「心せよッ! 分かたれし七つの光が今一度ここに集う! 」
次に響いたのは、ミレディの声。
先ほどまで、自壊衝動に呑まれかけていた少女ではない。
今の彼女は、半ば恍惚のようなトランス状態で。
ここではないどこかを見つめながら、世界中に散らばる意志を束ねていた。
『「今こそここに……自由のもとに生きられる世界をッ!! 」』
その極限の意思をもって、奇跡の祈りは完成する。
『「
ここに解放者達が遺した最後の聖域が、展開された。
起きた事象は二つ。
一つは、“神の否定”。
この世界は神の所有物ではない。
誰かに定められた檻ではない。
自由の意思のもとに生きる。
その理そのものが、エヒトの覇道へ干渉し、支配力を大きく削ぎ落としていく。
「……それがどうした」
自らの力が大幅に削がれているにも関わらず、エヒトの余裕は崩れない。
「発動した概念魔法の中核はあくまでミレディ・ライセン。ならば今ここで、貴様を殺せばいい」
瞬間。
天体魔法が再展開される。
数十万の軍勢を焼き尽くした太陽の一撃。
それが今、たった一人の少女を殺すためだけに振り下ろされる。
収束する極光。
滅びの柱が、ミレディへ向かって落下する。
だが。
今のミレディには、それへ反応することすらできない。
故に──
「黒傘……二十七式。
その瞬間。
起きた事象は、エヒトすら心底驚愕させた。
自らの放った
問題は──その場に、あり得ざる者達が立っていたこと。
「さて、大仕事よナイズ君。まったく好き勝手やってくれるわねぇ」
「空間掌握……座標固定。準備はできたぞメイル。行けるか?」
「当然ッ! 私を誰だと思ってるのよ!」
現れたのは男女二人。
片方が空間を固定し。
もう片方が世界へ奇跡を行使する。
「時よ、戻れ……この世界をあるべき姿へ……」
「「空間再生複合魔法……
世界が、巻き戻る。
焼かれた大地が。
崩壊した都市が。
滅びた空が。
まるで逆再生のように修復されていく。
エヒトが蹂躙を始める前まで。
「まだだ。リュー、準備はいいか?」
「もちろんですわ! ラーちゃんさん!」
「ラウスさんだ!」
次に現れたのは騎士と女王。
「魂よ、今ここに、困難に抗うため奮い立て……」
「今ここに、彼らに勇敢なる力を……」
「「魂魄昇華複合魔法……
次に起きた奇跡は、死者達へ降り注ぐ。
「ああ? ……これは一体どうなってやがる?」
ガハルド・D・ヘルシャーが呆然と呟く。
自分は確かに死んだはずだった。
だが周囲には同じく死んだはずの兵士達。
騎士達。
皆が立ち上がっている。
「なんだこれ……身体から力が……」
「すげぇ……なんだよこれッ!」
魂そのものを奮い立たせる祝福。
「おいおい、どうやらまだ出番はありそうだな」
ガハルドは笑う。
再び戦場へ向けて拳を握り締めた。
「ぼっとしてんじゃねぇぞクソ神、このまま氷ついとけッ!」
次に現れたのは、巨大な竜。
現代では存在しないはずの種族。
氷結魔竜。
吐き出された絶対零度のブレスが、エヒトの存在する空間ごと凍結する。
変身が解け。
褐色肌に灰色の髪を持つ青年が地へ降り立った。
「……すげぇもんだな。本当に成功させやがったのか」
青年──ヴァンドゥル・シュネーは、自らの手を見つめる。
「確か万に一つも成功しないとか言ってなかったか? ……ちッ。今だけは認めてやる」
「オスカー、お前やっぱり
「全然褒められてる気がしないんだが……」
そして最後に。
眼鏡を掛けた青年が歩み出る。
「正直、成功するかどうかは賭けだったよ。実証実験なんてできないし、机上理論そのものだったからね」
そこで。
オスカーは小さく笑った。
「何より問題だったのは──我らがリーダーが、素直になれるかだった」
その場へ集った六人をミレディは、ただ呆然と見つめていた。
あり得ない。
これは夢だ。
あるいは自分は既に死んでいて、ここは死後の世界なのか。
だが。
聞こえる声は確かに懐かしく。
その全てが、ミレディの魂へ届いていた。
「そして……あれが……そうなんだな」
「あらあら、ようやく辿り着いたわ。腕が鳴るわねぇ」
ラウス・バーンは複雑な表情でエヒトを見る。
人生の大半を信仰へ捧げた男だ。
思うところは多い。
一方でメイル・メルジーネは満面の笑みで、中指を立てていた。
「はぁ、はぁ……お姉さま……エヒト相手にその態度……んん~~」
「お前は死んでも変わらんな……」
久しぶりのお姉さまのドS顔に興奮するリューティリスを頭を押さえながら嘆くナイズ。
「んじゃまー始めるとするか!」
「ずっと言いたいこと決めてたからね」
六人は顔を見合わせ。
そして、時を超えて。
怨敵へ向けて叫ぶ。
『よくもやってくれたな、このクソ野郎!!』
発動した概念魔法。
そのもう一つの効果。
それは。
最後の解放者ミレディ・ライセンのもとへ。
中核たる六人の
こうして。
時を超え。
神へ挑む七人の英雄達が、再び揃った。
>
発動者:ミレディ・ライセン
渇望:自由な世界でみんなと一緒にいたい
種類:覇道型
効果は主に二つ。一つは神の否定。トータスに対して展開された魔法陣内の神の力を否定する。これによりエヒトは星霊としての権能を制限されることになった。
そしてもう一つが
解放者の参戦で、盤面がエヒトが滅茶苦茶やる前に戻りました。ここからがエヒト戦の本戦です。