突然だがユナは記憶喪失である。
現在のユナの中に思い出は、蓮弥達と過ごしたオルクス大迷宮での二ヶ月と外に出てからの僅かな期間しか存在しない。
もちろん、オルクス大迷宮での二ヶ月で何も思い出さなかったわけではない。思い出したこともいくつかあった。
ユナは何者かを裏切ってしまった。相手のことは思い出せないのに後悔の念だけが残っている。だからこそあの十字架の中で自罰を続けてきたのだろう。それは思い出した。
だけどそれはユナにとっていい記憶とは言えなかった。流れ出した血の分だけ、ユナの心は空洞のままだ。
彼女は探している。自分の記憶を、そして居場所を。
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あれから無事宿を取ることができた一行だったが、やはりハジメ達の部屋で一悶着あったらしい。いったい彼女達とハジメは何をしようとしているのだろうか。そのことを蓮弥に問いただしても明確な答えが帰ってこない。
今日は一日物資の補給などに時間を当てるらしい。生きるために特に物資を必要としないユナには必要がないものだが、彼らには重要なものだとわかる。思い出した数少ない記憶に残る、誰かとの旅を思い返す。
「ユナ、悪いけどユエやシアと買い物に行ってきてくれないか」
「……買い物ですか?」
突然の蓮弥の提案にユナは疑問を浮かべる。蓮弥曰く、これからハジメと一緒に作りたいものがあるからしばらく構ってあげられない。だったらこの機会に女子だけで交流を深めてはどうかと言うことだった。
そういえば蓮弥がハジメと一緒になって何かを考えていたことがあったことを思い出すユナ。また面白いものを作る予定があるのだろう。何かはよくわからないが、ドリルはロマンだのなんだの言っていたような気がする。
いずれにせよいい機会だと思ったユナは、ユエやシアと買い物に行くことに決めたのだった。
「……ユエさん、ユナさん。私、服も見ておきたいんですけどいいですか?」
「はい、私は構いません」
「……ん、問題ない。私は、露店も見てみたい」
「あっ、いいですね! 昨日は見ているだけでしたし、買い物しながら何か食べましょう」
女子三人組は、町に出てきていた。
蓮弥達の用事が、数時間で終わるということなので計画的に動かなければならない。とりあえずの目標は、食料品関係とシアの衣服、それと薬関係だ。あとは珍しい物とか興味があるものなら持たされたお金の範囲なら買っていいと蓮弥に言われている。
町の中は、ユナが見たことのない数の人で溢れかえっていた。露店の店主が客に向かって元気に呼び込みをし、それを受けた主婦や冒険者らしき人々は店主と激しく交渉をする。
飲食関係の露店も始まっているようで、肉の焼ける香ばしい匂いや、タレの焦げる濃厚な香りが漂っている。……とてもおいしそうである。
「……」
「ユナ? どうかした?」
露店の前で動かなくなったユナを心配したユエが話しかける。ユナははっとして慌てた感じで答えた。
「っ! いえ! なんでもありません……ただいい匂いがしたもので」
そう言いつつ目を離さないユナ。実は彼女、意外と健啖家であるらしい。オルクス大迷宮で過ごしていた二ヶ月間でも蓮弥やハジメ並みに食べていた。生存には必要ないが、嗜好品として楽しむことはできる。それで体型も変わらないのだからダイエットに苦しむ女性の敵といってもいいかもしれない。
「ああ、たしかにいい匂いがしますもんね。買っていきましょうか」
「……少しならよし」
根を張ったように動かなくなったユナに対して、ユエやシアは仕方ないというように行動する。どうやらユナのことを妹かなにかのように思っているらしい。もっともユナの方も二人を妹みたいに思っているのだが。
買い食いをしつつ、女子三人組は目的地に向かって進んでいく。
突然だが当然三人は目立つ。とてもとても目立つ。
一人はビスクドールと見まごうほどの金髪の美少女、見た目とは裏腹に隠しきれない気品と色香を振り撒いており、周りの男達がどぎまぎしてしまう。白を基調とした服装も彼女によく似合い、彼女の品格をより一層高める効果を生んでいた。
もう一人は神聖なオーラを放つ銀髪美少女。彼女に負けない容姿に黒を基調としたどこかの制服みたいなジャケットにミニスカートとブーツという露出は少ないコーデだが、盛り上がる胸囲が彼女の発育の良さを際立たせている。金髪の美少女とは違うどこか儚さを感じさせる雰囲気も男性の視線を釘付けにする。
最後の一人は兎人族の少女。黒服の少女より青がかった白髪。露出度が高いからか二人とは違う健康的な美を感じさせる体付きが眩しい。およそセックスアピールという意味でいえば三人の中で断トツであり、その首にかかっている首輪がなければ人攫いがひっきりなしに襲いかかってくるだろう。
そんな三人が揃っているのだ。当然周りの視線は釘付けだった。地球で言えばアイドルが町なかで堂々と歩いているようなものだろうか。もっとも彼女達はそんな視線を無視していたが。だが何者にも例外というものは存在する。
「へい、彼女達。僕とお茶しないかい」
ユナが声の方向を見るといかにもチャラい、何か勘違いしちゃった系の男子がそこにいた。後ろを見ると彼の取り巻きだろうか、数人の男達が薄く笑いながら近づいてくる。
最初は無視していたユナ達だったが通り道を塞いでいるので先に進めない。仕方なく代表としてユエが前に出る。
「何かよう?」
声に抑揚がない。明らかに私、あなた達になんの興味もありません感を全開にしていた。だがそれに気づいてか、それとも気づかずかキザ男が前に出る。
「君たちはとてもついてる。この僕、新進気鋭の黒ランク冒険者、天職:剣士、華剣のギーシュに見初められたのだから」
いちいち態度が芝居がかっていて鬱陶しい。普段そういうことを気にしないユナも顔をしかめざるを得なかった。
「何かよう?」
再び同じ質問を繰り返すユエ。ただし声色が明らかに冷たくなっている。
「ふっ、照れなくてもいいよ。さあ共に行こう。僕が最高の時間を提供してあげるよ」
どうやら人の話を聞かない類らしい。ユエが影で魔法を構築し始めるのがわかった。
「君たちのことはうわさには聞いていた。聞けば連れの男たちは二人とも青ランクだそうじゃないか。そんな底辺の雑魚に君たちのような華は似合わない。さあ、僕のもとにぐほぉ!?」
めんどくさくなったユエが風の魔法で吹き飛ばす。そしてユナとシアに目配せを行う。
「こういう男には、こうするに限る」
倒れ伏す男の股間の剣に、風の弾丸を叩きこんだ。
アッ──!!
「なるほど。勉強になりました」
こうしてユナに間違った知識が伝わっていくわけである。そしてユエの股間スマッシャーとしての伝説が始まった。
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ギルドの受付のキャサリンの地図には、きちんと普段着用の店、高級な礼服等の専門店、冒険者や旅人用の店と分けてオススメの店が記載されている。その中で三人は、とある冒険者向きの店に足を運んだ。ある程度の普段着もまとめて買えるという点が決め手だった。
その店は、流石はキャサリンさんがオススメするだけあって、品揃え豊富、品質良質、機能的で実用的、されど見た目も忘れずという期待を裏切らない良店だった。
ただ、そこには……
「あら~ん、いらっしゃい♥ 可愛い子達ねぇん。来てくれて、おねぇさん嬉しいぃわぁ~、た~ぷりサービスしちゃうわよぉ~ん♥」
ユナが今まで出会ったことがない生物がいた。身長は二メートル以上、全身が筋肉の鎧に覆われており、髪の毛はピンク色のリボンで妙な形にまとめられている。
ユナは新手の魔物かと警戒体勢に入る。隣を見るとユエとシアは硬直していた。シアは白目をむきかけていて、ユエはなにやら覚悟を決めた目をしている。
とうとう我慢しきれなかったユエが「人間?」とこぼした時、怪物が咆哮をあげる。
「だぁ~れが、伝説級の魔物すら裸足で逃げ出す、見ただけで正気度がゼロを通り越してマイナスに突入するような化物だゴラァァアア!!」
ユエは涙目で後ずさり、シアが腰を抜かしてヘタリ込む。
そんな二人を守るべくユナが前に出る。
「すみませんでした」
冷静に考えてみるとこんな街中に魔物がいるはずもなく、相手の容姿を侮辱するのは失礼だ。いきなり吠えたのはどうかと思ったがユナは謝罪を入れる。すると彼? は笑顔を取り戻し接客に勤しむ。
「いいのよ~ん。それでぇ? 今日は、どんな商品をお求めかしらぁ~ん?」
「兎人族の彼女の服を見立てて貰いたいのですが、お願いしてもよろしいでしょうか?」
ユエは震えながら警戒し、シアはユエの服を掴んでへたり込んでいるため、仕方なくユナがシアの服を見立ててほしい旨を伝える。彼? は「任せてぇ~ん」と言うやいなや、シアを担いで店の奥へと入っていってしまった。その時のユナとユエを見つめるシアは出荷されていく養豚場の豚のような目をしていた。
結論から言うと店長のクリスタベルさんは見立ては見事だった。シアに合う衣装だけでなく、ユエやユナの質の良い髪に我慢できなくなったのか、色々髪をアレンジする方法も教えてくれた。その頃には三人組はすっかりクリスタベルさんと仲良くなっていた。人は見かけによらないのである。
そして帰り道、ユナは前々から二人に聞いてみたいことを聞いてみることにした。
「ユエ……それにシアも、夜中ハジメの部屋でなにをしているのですか?」
「ぶっほッ!?」
「……ほう」
思わず吹き出したシアに興味深げにユナを見るユエ。やっぱりまずいことだったのだろうか。
「ナニをやっているかといいますか……まだ何もしてもらっていないといいますか……」
シアがなにやらゴニョゴニョ言い始めた。そんなシアをユエは厳しい目で見つめる。
「シアには無理……」
「無理じゃないですぅ〜。いつかチャンスがあったらハジメさんと……」
またトリップする兎にユエが軽くキックをかます。それに痛がるシアを見てユナは根本的なことを確認し直すことにする。
「お二人はハジメのことが好きなんですよね」
「勿論!」
「は、はい」
即答と若干噛んだ答えだったが二人に迷いはないようだった。
「どう言うところを好きになったんですか?」
特にシアのそれは気になっていた。ユナの視点から見てみたらハジメのシアに対する扱いは良いとは言い難かったからだ。
「そりゃ〜私の危機を颯爽と助けてくれたり〜仲間のことを何だかんだ考えてくれてたり〜あとは世界一可愛いといってくれたり……」
シアがクネクネしながらハジメの良いところをつらつら淀みなく言い始める。世界一可愛いの下りでユエが調子に乗るなと突っ込んでいたが。あとシアの危機を救ったのは正確にはユナなのだがそれは突っ込まない方がいいだろう。別に真実を知ったからといって彼女の恋が冷めるとは言わないが、世の中知る必要がないこともあるのである。
「私はハジメの全てが好き。ハジメとは出会うべくして出会った……」
それはハジメとの出会いは運命だと信じて疑わないユエの姿があった。そのセリフには流石のシアもなにも言えないようだった。悔しそうにはしていたが。
「……ユナはどう? 蓮弥のこと好き?」
「そうですよ! ユナさんこそ蓮弥さんとはどうなんですか? すごく仲が良いじゃないですか」
今度はユナが質問を受けるターンらしい。ユエもシアもやはりこの手の話題は気になるようで好奇心が顔に出ている。それに対してユナは困った顔をする。
「私は……まだわかりません……」
確かに優しい人だとは思う。記憶がないユナに対しても親切に対応してくれたことには感謝している。それにユナは彼からある程度事情を聞いていた。自分に前世の記憶があること、神様を名乗るものにいずれユナと出会うことになると言われたこと。蓮弥は今まで誰にも話さず、自分だけで抱えてきたものをユナには正直に話していた。
そう考えると誰かに仕組まれたとはいえ、蓮弥とユナは出会うべくして出会ったと言える。
(けれど……)
ユナには記憶がない。けれど誰かを裏切ってしまったということだけは感覚でわかっていた。だからこそ思う。彼と親しくなるとまた自分は裏切ってしまうのではないかと……
ユナは思考が暗くなっていることを感じ、気を改める。今この場で暗い顔は合わないだろう。そこで話題をずらすことにする。
「お二人から見て、蓮弥はどういう印象なのですか?」
自分の気持ちがわからないということもあり、客観的意見を求めるユナ。
「そうですね〜。いい人だと思いますよ。私たちにも親切だし物腰も丁寧だし。ただハジメさんがインパクトがありすぎていまいちパッとしないといいますか……」
それはユナが蓮弥に頼まれて作成したあの軍帽も関係するのだろう。どういう理由かは知らないがどうやら面倒ごと、特に女性同士のあれこれなどには関わりたくないらしく、シアの時にもハジメに対応を押し付けていた。理由を聞いたら、昔色々あったんだよと遠い目で言っていたので、話に聞いた幼馴染さん関係で何かあったのだろうとユナは推測している。
「私は、正直初対面は最悪だった。今はいい人だと思っているけど」
それを聞いて仕方がないと思うユナ。まだ自分が眠っているころ。蓮弥は聖遺物の力を暴走させたことがあるらしく、その際二人に多大な迷惑をかけたと聞いている。実際は迷惑どころか命の危機だったわけだが、それは置いておく。
「何より……ハジメが信頼してる。……少し悔しいけど私では間に入れない空気になることがある」
ユエがいうのは別に怪しい雰囲気のことではない。オルクス大迷宮の奈落に落とされた男同士にしかわからないことがあるというだけの話だ。それには流石にユエも入れないのだろう。いやが応にも男と女が別の生き物だと思い知らされる。
とりあえず聞きたいと思ったことは聞けたと思ったユナは最後にそもそもの本題を再度切り出す。
「私のことは今はいいのです。それより二人はハジメと仲良くなにをしているんですか?」
しかしやはり返事は返ってこない。シアは恥ずかしがっているようだし、ユエはなにやら考えている。
「……蓮弥に聞けばいい」
「聞いても教えてくれませんでした……」
困った顔をしていた蓮弥を思い出す。やはり答えにくいことなのだろうか?
「大丈夫……秘策がある」
ユエの目が、きらりと光ったような気がした。
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その日の夜、蓮弥は困惑していた。
「ユナ……どうしたんだ? ……その格好……」
用事が終わり自分の部屋に戻ってきた蓮弥をユナは迎えてくれたのだが、彼女は一言で言えば、エロい格好をしていた。着ている服は蓮弥のシャツ一枚という際どい姿。俗に言う彼シャツというやつだろうか。
「今日ユエから教えてもらいました。これを着れば、蓮弥がユエとハジメが夜になにをやっているのか教えてくれると」
「いや、そのだな……」
あのエロ吸血姫、ユナになにを仕込んでいるんだ。蓮弥は悪態をつくも、正直に言えば目の前の光景は素晴らしかった。
輝く銀糸がシーツまで垂れ下がり、シャツ一枚という格好が下をギリギリ隠して見えるか見えないか絶妙なアングルを醸し出している。それにおそらくユエなら問題ないのだろうが、ユナの豊かな胸だとちゃんとボタンを閉めていないシャツでは前が開いてしまって……はっきり言うなら隠すべき場所がチラチラ見えてしまっている。
「あの……ユナ……ちょっと前を締めてくれるとありがたいんだが……」
「どうしてですか?」
やばい、どうしようこれ。もう我慢しなくてもいいかな。
蓮弥が手をそっとユナに伸ばす。
あと数センチで届くというところで、蓮弥は視線を感じた。
「……」
無言でドアのところに近づき開く、そこには……この宿の受付の女の子がいた。
「……なにをしている」
あえて冷たい声を意識して問いかける。宿の娘が出歯亀とはいいのだろうか。
「いあ、あの……お隣のユエさんが今夜ここにくればいいものが見れるかもしれないと言っていまして……その……」
すみませんでしたーと脱兎のごとく逃げる宿の娘に蓮弥はそっとため息を吐く。まあ今回は助かったと蓮弥は部屋にもどり、ユナに男の前でそんな格好してはいけないと説教することに決めたのだった。
次回、ライセン大迷宮突入