蓮弥はまどろみから目を覚ました。最近このフレーズが多くなっている気がする。周りを見るとちょうど日が暮れそうになるころだった。そして腹部に重みを感じる。そちらのほうに注意を向けると……
「ユナ?」
ユナが可愛らしく蓮弥の眠るベッドに上半身を預けるように眠っていた。すやすやと眠る顔が愛らしいと思う。蓮弥は思わず彼女の頭をそっと撫でる。サラサラの質の良い髪は夕日を浴びてキラキラ輝いている。
「ん……ふわぁ……おはようございます。蓮弥」
「ああ、おはよう。ユナ」
ユナは起き抜けの顔でそっと微笑む。その儚い雰囲気も相まってどこか名画のようなワンシーンだ。
「……あれからどのくらい経ったんだ?」
ユナに問いを投げる。蓮弥は体感で結構な時間が経っているんじゃないかと予想していた。そうなるとハジメたちがどうなったのかも気になる。
「蓮弥が倒れてから二日目の夕方ですね。ハジメは先にフューレンに帰るとのことです」
「そうか……」
まあ、もともとウィルの捜索が目的だったのだ。イルワを早く安心させてあげることを考えたら、当然の行動だと蓮弥は納得する。
「あとハジメから伝言があります。『だいたいの事情はユナから聞いた。俺は先にウィルを送り届けにフューレンに戻る。俺にさんざん迷惑かけたことと先生に色々吹き込んだ罰として、じっくり説教されてから追い付いてこい』、だそうです」
「……なるほど」
どうやら愛子に色々吹き込んだことがばれたらしい。どうしたものかと悩んでいると扉がノックされ、部屋に誰かが入ってくる。
「失礼します、ユナさん。藤澤くんの様子は……」
入ってきた愛子は起きている蓮弥を見て固まる。そして下を向いて沈黙してしまう。
「あー、先生おはよう、いやもう夕方だからこんばんわ、かな」
なんといっていいかわからない蓮弥は何とか話を続けようとする。すると目に涙を溜めた愛子がきっと睨みつけてきた。その怒っているのか喜んでいるのか色々ない交ぜになったその顔を見て、えらいものを押し付けられたと蓮弥は心の中でそっとため息を吐いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
蓮弥が起きて数時間後、すっかり外は暗くなっていた。
そしてその間、蓮弥はずっっっっっっっっっっっっと愛子の説教を正座で受けていた。どうやら意趣返しかどうか知らないが、蓮弥が魔物を食い止めるために相当無茶を働いたとハジメが吹き込んだらしい。しかもやっかいなことに、所々心配しただの、無事でよかっただの混ぜられるとこちらもなんて返したらいいかわからなくなる。正座は苦にもならないが、蓮弥の心は結構まいっていた。
「……だいたいあなたはですね……」
「わかったわかった。もうしないし反省してる。それより先生に話したいことがある」
「なんですか? 今の先生は簡単にはぐらかされな……」
「実は山脈の道中で黒いローブを被った人物を見かけた」
「!?」
流石にこの話題は無視することはできないだろうと持ち掛けた話だった。
「まさか……その人はどこに?」
「悪い先生。途中で会ったんだが魔物相手に手いっぱいだったんだ。まんまと逃げられた……多分清水だと思う」
「そうですか……」
行方不明だった生徒の手がかりが見つかった喜びと悲しみが同時に来たような顔をする愛子。そう、なぜなら……
「それじゃあ、やっぱり今回の事件の犯人は……」
「……ほぼ間違いなく清水だろうな」
そう、今回魔物を率いてウルの町を襲おうと企てた犯人はクラスメイトの清水幸利ということになってしまうからだ。
「そんな、清水君。どうして……」
どうしてそんな無差別に人を襲うようなことをしたのだろう。今回、たまたま蓮弥達が立ち寄ったからこそ事なきを得たが、もし何か少しでも歯車が違っていれば、例えば蓮弥達の到着が一日遅かっただけでウルの町は終わっていたのだ。これはすでに内々だけで片付けられる問題ではない。
「あのさ、先生。……落ち着いて聞いてくれ」
そこで蓮弥は使徒フレイヤの言っていたことを話す。どうやら豊穣の女神として名が売れ出した愛子はどこかの勢力にとって邪魔だったらしい。そこで愛子を亡き者にするために今回の計画が企てられた可能性があることを。
「そんな……私のせいで……」
愛子は呆然と声を漏らす。そんなこと想像もしていなかったのだろう。清水が愛子を殺そうとしたこと。何故自分がという感情。もしかして自分が道を誤らせたのかという疑念。自分が大人しくしておけばこんなことにはならなかったのではという後悔。おそらく今愛子の頭の中にはいろいろな感情がせめぎ合っているに違いない。
「いいか、先生。辛いかもしれないけど聞いてくれ」
下を向いてどこまでも暗闇の底に落ちていきそうな様子の愛子の頬を掴み、無理やり上を向かせる。愛子の瞳は、涙でいっぱいだった。
「確かに今回、清水が主犯であった可能性は高い。実際魔物を率いていたのは間違いないし。それは擁護できないことかもしれない。けど……本当に先生を殺そうとしたのが清水の意思かは、まだ可能性の話でしかない」
「えっ」
蓮弥の言葉に思わず言葉を漏らす愛子。
「まだ清水は見つかっていないし。清水から直接話を聞いたわけでもない。……それにもっと怪しい奴が裏で動いていたことがわかっている以上、清水もただ利用されていたという可能性は十分あり得る」
フレイヤは清水のことを完全に見下しているようだった。とても同等の契約関係にあったとは思えない。蓮弥はフレイヤ、もしくは他の誰かの聞き心地のいい言葉に清水が騙されてしまった可能性は高いと思っていた。もともとクラスでも目立つほうではないし。いくら力を得たからといって、自分一人でこんな大それたことができるとは思えない。あの勇者も同様だが、力を得たからといって本人の格が上がるわけじゃない。
「先生はまだ事情もしらない、話も聞いていない、ひょっとしたら今も騙されたことで清水が苦しんでいるかもしれない。それなのにここであきらめるのか?」
「…………いいえ」
「自分がいなければ、こんなことにならなかったと絶望して全て投げ出すのか?」
「いいえ!!」
愛子の言葉に力が戻る。
「確かに辛いかもしれないけど……俺達の先生は愛子先生だけなんだ。……頼むからここであんたは折れないでほしい」
「藤澤君……」
愛子が強い口調で宣言する。その目には光が戻っていた。
「私はここで投げ出したりしません。清水君に会うまで、清水君と話をするまで。私は、みんなの先生だから……」
「……良かった」
蓮弥はほっとして愛子に微笑みかける。
そこで愛子はようやく今の状況を客観視した。目の前には自分の生徒である蓮弥。起きたばかりということもあり白いシャツとスラックスというあの晩にあった格好だった。そして彼は俯いていた自分の顔を上げるために頬を掴んでいる。蓮弥は慈愛顔で微笑み、自分は涙目で顔を赤くしている。そしてそばにいたはずのユナは空気を読んだのか、いつのまにか消えていた。
これはひょっとするとまずいのでは……
愛子が今の状況を理解し、顔を赤くしつつも何とかしようと回っていない頭を回そうと必死になっているその時。
「愛ちゃん。藤澤君、どうだっ……た……の……」
「愛子、いったいいつまでかかっ…………」
目を覚ましたという報告を受けるも、なかなか降りてこない愛子を心配した親衛隊の園部 優花と護衛騎士隊隊長デビットが代表で呼びに来たのだ。
ちなみに今の蓮弥と愛子の体勢だが、マジでキスする五秒前に見えなくもない。
「あ……あ……あ」
「き、き、き……」
優花が何を想像したのか、顔を真っ赤に染めるのに対して、デビットは優花とは違う意味で顔を真っ赤に染めていく。
「じゃ、話は終わりな先生」
蓮弥はまずいことになると思い、逃げようとするが一歩遅かった。
「愛ちゃん!!? なななな何してるの!!? そんなうらやまじゃなくてそんな如何わしいこと。教師と生徒なのに」
「きさまぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 目を離した隙に愛子に襲い掛かろうなど万死に値するぞぉぉぉぉぉ!!!」
「え、え、ちょちょちょ。待ってください園部さん、デビットさん。誤解、誤解なんです。ほら藤澤君もなにかいって……ちょっと逃げようとしないでくださーい」
なかなかカオスな空間になっていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
園部 優花が藤澤 蓮弥と出会ったのは学校ではない。中学生の頃、彼女の実家が経営する洋食店『ウィステリア』でのことだった。
それは放課後、夕食時には少し早いような微妙な時間。優花が学業を終え、家業の手伝いをするために店に出た時、制服姿の男子が店にいたのだ。その男子が注文のためにベルを鳴らす。当然店に出ていた優花が注文を受けたのだが注文は一つ。
オリジナルブレンド、ブラックで。
この注文に優香は少し顔をしかめそうになる。確かにこの店のコーヒーはおいしい。父が豆からこだわった逸品で常連客にも好評の一品だった。
しかしこだわりの逸品ということはある意味玄人向けということでもある。独特の酸味がわからない人にとってはただの苦いだけの飲み物だ。優花だって実家が洋食屋でなければ飲んでいなかったであろう飲み物を、どう見ても同い年の中学生が砂糖とミルクなしで飲めるとは思えない。
優花は頼まれていないがコーヒーと共に砂糖とミルクを置く。必要になると思ったからだ。だが彼はその優花の行為に対して嫌な顔一つせずコーヒーを楽しみ始めた。
それはとても自然な光景で、格好つけているとか、そういうものではないということがわかってしまう。優花はしばらくしてコーヒーを飲み終えた彼がレジで勘定を払う際にいてもたってもいられなくて謝罪した。こうなると自分の行為はお客様を怒らせてもおかしくない余計なおせっかいだったからだ。だが彼は全く気にしてないと言い、うまかったからまた来ると帰っていった。
それからしばらく彼が来ない日が続き、今の高校に入学するころになると、記憶もおぼろげになっており、優花は彼のことをすっかり忘れてしまっていた。だが受験勉強から解放され、高校の入学式を終えた後、優花が久しぶりに店に出てみるとしばらく見ていなかった彼が来ていたのだ。
どうやら彼も受験勉強やらその他で来る暇がなかったらしい。その時、着ていた制服で同じ高校の生徒になったことを知った。
それから週三くらいで彼が店に来る日々が続くことになる。その日々の中で実家経営ということもあり、暇な時には世間話に興じるくらいの仲になれたのは幸運だった。
その頃の彼の印象は、コーヒーを飲む姿が似合う高校生だった。別に老けているわけではなく、雰囲気が同年代とは思えないのだ。大人っぽいと言っていいかもしれない。いつの間にか彼が来ている時にはちらちら彼を見てしまう。彼はコーヒーを飲んでいる時には読書をしていた。読む本は雑誌やら話題の書籍など様々だった。
その頃の高校での恋バナになると、必ず出てくる人物に天之河光輝という生徒がいた。同じクラスの女子生徒たちは、かっこいいと熱を上げている人間が多数だったが、自分はあまり好みではなかった。店の常連が結構かっこいい渋いおじ様だったりすることもあるのか、彼が妙に子供っぽく見えたのだ。その点蓮弥は普段の様子からもコーヒーを飲む姿が似合うくらいには精神的にも大人っぽさが見えており、容姿も光輝に負けていないと確信できる。
学校でこそなかなか縁がないが、彼とウィステリアで頻繁に会う日々が半年にもなると、だいぶ好きになっている自覚があり、思い切って告白してみようかと考えていたときに転機が訪れる。彼がこの店に女子同伴で訪れたのだ。
しかも連れてきた女子が八重樫雫だったので驚いてしまった。八重樫雫といえば例の天之河光輝の取り巻きの一人であり、彼女個人でも男子にも女子にも人気のあるということで極めて目立つ生徒だったから。
優花がそれとなく話を盗み聞きしているとどうやら彼らは幼馴染であり、彼の隠れ家であるこの店が、とうとう彼女に見つかってしまったという感じだった。話しているだけで仲の良さが伝わってくる。
そしていつの間にか彼女も常連になっていた。彼女もブラックを嗜み、コーヒーを飲むその姿は、ちょっと悔しくなるほどかっこよかった。
それから特に関係に進展もないままに異世界まで来てしまい、今に至る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なんとかカオス空間から抜け出した蓮弥は夕食を終え、部屋に戻ろうとした時に話声が聞こえた。
「ほら、優花っち。今がチャンスなんだからアピールしてきなよ」
「いや、無理だから。本当に勘弁してよ奈々」
「そんなこと言ってたらいつまで経っても先になんか進まないんだから。雫っちがいない今がチャンスだよ」
どうやら話の流れから、蓮弥に用があるらしいとわかったので話かけようか少し迷う蓮弥。
「そんなこと言って、もし部屋を訪ねてユナさんが出てきたらどうするのよ。あんな超美人に出てこられたら、すぐ逃げる自信あるよ私」
「あー、確かにちょっとあの人は洒落にならないくらい綺麗だよね。藤澤君の側にいるところを見た時、女神かと思ったもん」
「そう、だから今度ユナさんがいなさそうな時を狙って……」
「何か俺に用なのか園部?」
「ふぁあ!?」
どうやらユナがいないときに蓮弥の元を訪れたいようだが、基本的にユナがそばにいないということがないし、今もユナは聖遺物に戻って蓮弥の中にいる。そのため用があるならと蓮弥は話しかけた。
「ふふふふじさんッ!?」
「藤澤な。富士山じゃないぞ園部」
緊張をほぐすために冗談を交えてみる。それが効いたのかどうかわからないが少しだけ落ち着いたようだった。
「じゃあ、あとは頑張ってね優花っち」
「えっ、ちょっと奈々!?」
共にいた宮崎奈々は足早にこの場を去っていく。
「それで、なにか用事か?」
「えーと、そのー、あのー」
どうやらまだ緊張しているのか言葉が出てこないようだ。蓮弥は静かに待ってやる。ここでせかすのはマナー違反だ。
「あの私、オルクス大迷宮で罠にはまった時助けてもらったじゃない。だからお礼が言いたくて……」
「なんだそんなことか。こっちは忘れてたくらいだから、感謝されると申し訳なく思えてくるな」
そういえば蓮弥がベヒモスの対処方法を考えた時、転んだ女子生徒を一人助けた記憶がある。その時はよく見ていなかったのでわからなかったが、それが優花だったという話だ。
「それでも助けられたのは事実だから。本当にありがとう」
頭を下げてくる優花。蓮弥はちょうどいいかと蓮弥達が落ちた後どうなったのか聞いてみようと思った。
「あの後、大変だったんだろ。先生から聞いたけどしばらく部屋から出れない生徒が出てたとか」
「……藤澤君に向かって大変だったなんて本当は口が裂けてもいえないけど、確かにあの時はみんなおかしくなりそうだった。……犯人がクラスメイトだったことも含めて」
檜山のことはやはり引っかかるのか少し表情を暗くする。
「檜山君とはそれっきり会わなくなったんだけど、私もなかなか外に出れなくてね。すぐに動けたのは雫を含めて数人くらいだったかな」
幼馴染の名前が出てきたので蓮弥は聞いてみることにする。先生の話だとひどいことになっているらしい。
「……先生から聞いたけど、ひどい状態らしいな」
「……ちょっと痛々しかった。抜き身の刀っていうのかな……。けどそれでも私は少しだけ羨ましかった。私は引きこもることしかできないのに、彼女は藤澤君が生きていると信じて行動してるってわかったから」
「結果的に園部もこうして行動できているんだからすごいと思うぞ。本当に心が折れたやつはきっと自分では出られないだろうし」
「それは……私にも意地があったというか、なんというか……」
急にごにょごにょ言い出した優花に少し疑問に思う蓮弥だったが、あえて無視して話を進める。
「今回は依頼でここにきたわけだけどそれが終われば一度、雫たちに会いにいくつもりだ。もちろんハジメも引きずってな」
「うん。そうしてあげて。きっと待ってると思うから」
話は終わりだという雰囲気になる。だから最後に蓮弥はこう足した。
「そうだ園部。もしお前が助けられたことに恩を感じてるんだったら一つ頼みがある」
「何? 私にできることならなんでも言って」
聞き方によっては危険なセリフかもしれないがあえてスルーする。
「俺とハジメは俺達のやり方で元の世界に帰る方法を探している。もし帰る方法が見つかって、全員無事に帰れたらその時はお前の店でコーヒーでもおごってくれよ」
「えっ」
なぜか意外なことを言われたというような返しをされた。
「いやウィステリアのコーヒーだよ。こう見えて結構お気に入りなんだ」
あの日町から去る前に飲んでから行こうと思っていたくらいには、とは流石に言わない。
「だから今度行った時一杯おごってくれ。それでちゃらだ。……もちろんお前が出迎えてくれよ」
暗に一緒に生きて帰るぞと言っているのだと気づいた優花の顔が明るくなる。
「もちろん。最高の一杯をごちそうするわ」
そうして今度こそ話は終わったかと思ったが最後に蓮弥が付け足す。実はこれも前から言いたかったことだった。
「あとそれと……もちろんおごってもらう時は一人でくるつもりだけど。もし今後別の日に雫が来るようなら砂糖とミルクを、俺が最初に来た時みたいにそっと付けてやってくれ。あいつ実は結構無理してブラック飲んでるし」
「えっ……ふふふ、わかったわ」
あの八重樫雫の意外な弱点も驚いたけど、最初の来店時の行動を覚えていただけでなく、その行為を気遣いだと解釈してくれていたということがわかり、うれしくなる優花。
やっぱりちょっと諦められそうにない。ライバルは強敵だらけだけど、自分なりに頑張ろうと決意を新たにする。
明日よりハジメたちに合流するために蓮弥は出発する。彼らにはこれからも厳しい旅が続くが、蓮弥に帰った時の楽しみが一つ増えたのであった。
蓮弥の転生特典?
コーヒーをブラックで楽しめる。
未だブラックが苦手な作者としてはちょっと憧れるものがあります。
以前コメントで蓮弥とハジメは一緒に行動しているのにハジメばかりモテるのはなんでなん? 主人公魅力なさすぎない? みたいなコメントをもらったので魔王様と相談したところ、自分にはユエがいるしハーレムは正直間に合ってるとのお言葉をいただいたので今回の話を書きました。
とはいえ、多分二人では蓮弥に追い付けないので最終的にあまりいい扱いにならないとは思います。立場上、先生の出番はあるかもしれませんが。