決着はついた。
雫の前で倒れ臥す使徒アハト。
今回の戦い。途中雫の覚醒があったから逆転できたものの、もし使徒アハトが最初から油断せず確実に雫を殺す気になっていたら、おそらく倒れていたのは雫だったはずだ。
(このレベルの強敵が複数いるわけね)
この使徒は蓮弥から聞いていた使徒の特徴とは少し違う。ということはこのレベルの敵が最低二人、いやもしアハトという名前が数字の8を意味しているのだとしたら、最低八人は同等の敵がいることになる。
(蓮弥や南雲君達ならともかく、光輝達には荷が重いわね)
先日出会った魔人族以上の脅威。だが、本当に自分達が地球に帰還するためには避けては通れない相手でもある。
「なら悪いけど、あなたにはここで死んでもらうわ」
今更人の姿をしているものを殺すことに躊躇することはない。なぜならそういうことも邯鄲での修行で経験済みだからだ。
その言葉に反応したのかはわからないが、使徒アハトが羽を広げて宙に浮き上がる。致命傷を与えたはずなのだが、人間とは身体の構造が違うのか、まだ戦う余裕はあるようだ。とはいえ……
「……調子に……乗らないでください……この程度で私は死にません」
「だけど前ほどのプレッシャーを感じないわね」
今のアハトは酷く弱々しい気を放っていた。解法を用いて解析したところアハトがどれだけ弱っているのかわかる。おそらく肉体的な傷よりも神との繋がりを斬られたことが致命的だったらしい。今の彼女なら、邯鄲を使う前の自分でも倒せると確信する。
とはいえ、油断はしない。相手は曲がりなりにも神の使徒。神に殉じて自分を巻き添えに自爆したりすることもあるかもしれない。何が来ても対処できるように雫は警戒を行う。
「私たち……神の使徒は……それぞれの個体と……経験を共有する能力があります。
すでに何人か倒している?
その一言がなぜか気になる。
言うまでもなく雫は神の使徒と戦うのは初めてだ。
蓮弥が隠れて戦っていた?
いや、流石に蓮弥が隠れて戦闘を行って気づかないほど鈍いつもりはない。
だとしたらここにはいないハジメ達だろうか?
いや何かしっくりこない。まるで……
彼女達を潰して回る存在が他にもいるような……
ドクン
雫は全身に鳥肌が立つ感覚を覚える。そして、使徒アハトのさらに上空を見上げる。
「あら? もしかして負けたのかしらぁ」
その声に使徒アハトも気づいたのか上空を振り返る。
そこにいたのは輝く金髪を靡かせる美女の姿。
その絶世の美貌と言って差し違えないその容貌に薄ら笑いを浮かべている。服装は神の使徒とは違い黒を基調とした制服にスカート。その起伏に富んだ肉体を一見して雫の世界に存在する軍服のような装いで包んだその姿は、使徒アハトとは色合いで正反対だ。
その美貌と存在感で呆気に取られた雫は気を取り直す。
(ここで増援……しかもこの人……)
「あなたはフレイヤ……ふふふ、これはいいところに来ましたね」
使徒アハトは思わぬ増援に声に歓喜を乗せてフレイヤを歓迎する。
「フレイヤ、私と協力してあのイリーガルを倒しなさい。そうすればあなたの犯した失態に対して寛大な処置を行うよう主に掛け合いましょう」
形成逆転。そう思ったのかその態度に余裕が戻る。だが彼女は気づいていない。フレイヤの敵意が地上にいる雫ではなく、すぐ側のアハトに向けられていることに……
「ええ、すぐに楽にしてあげるわ」
そして魔法を展開する。展開された炎の槍は回転しながらその魔力を高めていき……使徒アハトに向けて放たれる。
「ッ!?」
その攻撃に避けることができなかったアハトが炎の槍の直撃を受ける。上空がまるで昼のように輝き神山の麓を照らす。
その攻撃を受けた使徒アハトは、羽の鎧にてかろうじて防御していた。
「どういう……つもりですか?」
「あら? まだ生きてるわね。死に損ないにはこれで十分かと思ったけど、手加減しすぎたみたいね」
「どういうつもりだと聞いているのです使徒フレイヤッ!」
使徒アハトの激昂した姿に、フレイヤと呼ばれた使徒は大層めんどくさそうに返事を返す。
「どうって、こういうことだけど……」
そしてフレイヤは背中の黄金の羽を展開する。さらに威圧感が増すが、その中に異質な気配が隠れていることに同胞であるアハトは気づいた。
「これは……まさか他の使徒の力を取り入れて……わかっているのですか? 自己の拡張は禁忌なのですよ?」
「はいはい、禁忌ですがなにか?」
これまためんどくさそうに適当に答えるフレイヤ。
「我々の身体は頭の先から足の爪先に至るまで、主の創造物であり所有物です。それに手を加えるなど……主に対する冒涜以外の何物でもない。異端者め、私が主に変わって裁きを「もういいわぁ」!?」
雷の槍にて再びアハトに攻撃するフレイヤ。今度はとっさに弾き飛ばすことで対処したアハトだったが、雷の影響を受けマヒしたのか、言葉が止まってしまう。
「貴方達さぁ、最初のノイントはともかく、なんで揃いも揃って一言一句同じセリフを言ってくるのよ。私だっていい加減飽きるわ。これだから没個性の量産品は……」
フレイヤの魔力がどんどん高まっていく。雫は解法にて、フレイヤを解析するのを忘れない。まだ全てを見通せてないが、これだけはわかる。
アハトは勝てない。フレイヤの戦力は文字通り桁が違う。魔法を使っていないにも関わらず、空間が揺らぐほどの膨大な魔力。
「だからこそ末路も同じなのでしょうね。……最後はみっともなく断末魔をあげることになる」
「”雷斧”」
フレイヤの手に雷が圧縮され、それがビームのように伸びてアハトを襲う。
それをかろうじて躱したアハトだったが、自身が避けたあとの惨状を見て言葉を失う。
それは雫も同様だった。フレイヤが放った雷の斧はその名の如く、神山の麓に広がる森の一角を……
丸ごと焼き払って消滅させた。
「あらあら、たかが中級魔法一発でもう降参ですかぁ、せ・ん・ぱ・い。それでも偉大なる神エヒトによって作られた使徒の一人なのかしらぁ?」
「黙りなさい、この裏切り者が」
アハトが魔法陣を展開する。使徒アハトに残された魔力は約半分。雫によってエヒトとの繋がりを断たれた以上、無限の魔力には頼れない。だからこそ今使えるありったけの魔力をここで行使する。
その魔法陣が完成する光景を、フレイヤはにやにや笑いながら待っていた。
「跡形もなく消えなさい! ”雷閃浪”」
雷属性最上級魔法”雷閃浪”
まるで幾本もの雷を束ねたかの如く、空を膨大な雷で覆いつくして敵を攻撃する超広範囲魔法。
一度放たれたら雷の速度、攻撃範囲の広さも相まって逃れることは絶対不可能な決戦術式。
本来軍隊を壊滅させるために使われる魔法が使徒フレイヤに向かって放たれ、轟音と共に弾けて華を咲かせた。
同じ神の使徒とはいえ、直撃したらただでは済まない超火力。だが……
「無傷……だと……」
雫が半ば予想していた通り、使徒フレイヤは傷一つなくその姿を現す。思っていた以上に勝負になっていない。
雫は今の内にどう切り抜けるのか対策を立てる。
「なにかしら? もしかして今のが攻撃? 笑わせてくれるわね。攻撃っていうのは、こうやってするものなのよ」
フレイヤが手を上げるとそこを中心に雷雲が広がっていく。
空間が揺れ、木々はざわめく。
ここまでやって王都や神山に変化がないのはどうやらフレイヤが強固な結界を張っているらしいとわかるが……
(まずいッ! あれ、間違いなくこっちも巻き込まれる!)
逃げる機会を窺っていたのだが、あの攻撃が放たれたら逃げても無駄だろう。
だから雫は衝撃に備える方向に方針を変えた。
「じゃあね、使徒アハト。あなたの力は有効に使ってあげる。”
暗雲より雷で出来た龍が現れる。それは先ほどのアハトの一撃が霞んで見えるほどの威圧感。
その巨大なエネルギーを纏った龍は使徒アハトを、一片の慈悲なく飲み込んだ。
「がぁぁああああ、あああああぁぁああッッ!!」
「アハハハハハハ、アーハハハハハハハハハ!!」
使徒アハトの断末魔の悲鳴と使徒フレイヤの笑い声が、響き渡る。
雫は高速で印を結び、この後来るだろう衝撃に備える。
使うものは楯法と解法。
使徒アハトの断末魔の悲鳴が飲み込まれ、彼女を中心に極大の大爆発を起こす。
「はあぁぁぁぁぁぁッッ!!」
まともに受けることを考えてはいけない。それは生身で大災害を受け止めるかのごとき蛮行だ。
余波で流れてくる膨大な雷の大波の大半を雫は解法で透過し、透過しきれないエネルギーは楯法で底上げした耐久力と回復力で耐える。
「はぁ、はぁ、はぁ」
数十秒間耐えきった雫は肩で息をする。流石に負担が大きすぎる。
(今の内に逃げられたらいいけど……)
一応解法にて隠れてはいるが、果たして逃げ切れるだろうか。
見上げるとフレイヤは何やらアハトがいたところまで降りて光る何かを取り込んだ。
ドクン
変化はすぐに現れる。解法で解析せずとも、感じる威圧感がさらに増大しているのがわかる。
「ところで……あなたは誰なのかしら?」
「ッ!?」
雫の背筋が凍り付く。
一瞬たりとも目を離した覚えはないフレイヤがいつの間にか姿を消しており、そして雫の背後から声が響き渡る。
「状況から見て、アハトをあそこまでボロボロにしたのはあなたなのよね? ……人間にしては大したものじゃない」
声からは称賛するような、どこか楽しむような声が伝わってくる。
硬直から回復した雫はとっさに距離を取る。
正直あってないような距離だが、ないよりはマシだ。刹那のチャンスが生死を分けるこの戦場では……
「あらあら、警戒させちゃったわね。……正直今日は帰ろうかと思っていたのだけれど一つだけ質問させてもらうわ」
「あなた……藤澤蓮弥がいまどこにいるのか知ってるかしら?」
その一言は、雫にとって無視できないものだった。
「……聞いて、どうするのかしら?」
知らないといえばいいのに雫は蓮弥に関しては適当に誤魔化すという選択肢を取れない。例えそれが自分の寿命を縮める行為に等しいとわかっていたとしても。
「そうねぇ、どうしようかしら?」
だが意外にも、フレイヤから発せられた言葉は疑問の言葉だった。これには徹底排除の意志を示すと思っていた雫も驚く。
「結果的に言えば、私がここまで強くなるきっかけになったわけだし、そう考えれば恩人といってもいいかもしれないけど……」
言葉と裏腹にどんどんと威圧が増していく。
「けどやっぱり殺すわ。彼と私の関係は、殺し合いこそがふさわしい。……そう思わないかしら?」
まるで愛しい恋人を見るような、憎い怨敵を見るような、そんな不思議な目をしていた。雫の女の勘が告げる。この女は気に入らない。
「それで、質問にもどるわけだけど……あなたは藤澤蓮弥を知っているのかしら?」
「ッ……」
「沈黙するということは何か知っているのね。いいわ、今正直に答えるのなら、本気で見逃してあげる。……藤澤蓮弥はどこにいるの?」
雫に向けられる威圧感が増す。否が応でもその強大な力を見せつけられる形になる。
感じる力の差は歴然。今の雫では逆立ちしても勝てない敵。本来なら蓮弥について喋るのが唯一の生き残る道なのかもしれない。しかしそれでも……雫には譲れないものがある。
「……私は、あなたに何も言うつもりはないわ」
「そ、なら死になさい」
フレイヤはまるで虫を潰すかのような気楽さで、雫を殺すために手を伸ばす。おそらくあの手になんの対策もせずに触れたら最期。跡形もなく分解されて消えることになるのだろう。
その光景を予期した雫は覚悟を決め、全力で身を守ろうとして……
ドクン
雫に後少しで届こうとしていたフレイヤの手が止まる。
衝撃が響く、それはまるでこの中に無理やり入ろうとしているかのようで……
その衝撃は広がり続け、ある時点で限界を超える。
「あれは……もしかして!」
フレイヤの張った結界の一部が壊れた音が響き渡り、その男は現れる。
その人物はもう一人の幼馴染である光輝とは違い、決して普段から愛想が良いわけではなく、万人にとって人気者であるとは言えない人物。しかも雫とは学校が違うが故に、毎日会えなかった時期もあった。
しかし雫にとっては、いつも自分が辛い時や、雫が側にいてほしいと思った時には必ず自分の側に寄り添い、助けてくれる。
雫にとって、誰よりも大好きな軍装の王子様。
「よく頑張ったな……後は俺に任せてくれ」
「蓮弥……」
そこには雫を庇うようにして立つ蓮弥の姿があった。
その光景をまるで何年も待っていたかのような表情で見ていたフレイヤは歓喜に震えていた。
「ああ、会いたかったわ藤澤蓮弥。さぁ、私と踊りましょう。今度は必ず、私はあなたを逃がさない」
「俺は会いたくなかったし、踊る気もないけどな」
使徒と使徒。
彼らは聖なる山の麓にて、再び相対することになったのだった。
蓮弥(事後)、雫のピンチに颯爽と登場する。
これで間に合わなかったら目も当てられなかったがそこは流石に主人公。
そしてこのフレイヤとの戦いをもって。
第四章の最後の戦いと壮大なインフレが始まる。