ありふれた日常へ永劫破壊   作:シオウ

73 / 165
ローエングリーン「待たせたな」

的な話。爪牙の皆様方なら、いつこのBGMがなるかわかるはず。
とはいえまずはオープニングのウザい語りのBGMですが。


あと今回事情により前編後編で分けます。後編もできるだけ早く更新できるように頑張ります。

では、アニメ直後ではありますが、ありふれた日常へ永劫破壊をお楽しみください。


幕間 邪なる神の従者 前編

 ここはどこなのだろう。

 

 

 自分は一体……

 

 

 一寸先さえ見えない完全な闇の空間。前後左右もわからない不気味な場所にそれは浮かんでいた。自分が何者かすらもわからない。ただそこに揺蕩うことしかできない。

 

 

 何も思い出せないが、何か大切なことがあったような気がする。己の全てをかけて証明したかったことがあったはずだ。だがそう、具体的なことは思い出せないが、それは己の祈りが通じなかったことだけは思い出した。

 

 

 確かに不本意だとは思う。未だ己の中に燻るものがあるのは確かだ。だが、それがどうしたというのだろう。

 

 

 全てはもう、終わってしまったことだった。どうにもならない……今の自分には満足に動くための身体すらないのだ。

 

 

 このまま闇に溶けるのを待つだけ。それしかできない役割を終えた存在。

 

 

 ──本当にそれでいいの? 

 

 

 その通りだ。なぜなら自分にはそれしかできない。

 

 

 ──けど、納得はしていないのでしょう? 

 

 

 納得するしないの話ではないのだ。もう終わったこと。それ以外に自分の真実などない。

 

 

 ──いいえ、あなたはまだ終わっていないわ。随分あの子に入れ込んでいるみたいだし、普段こんな介入はしないのだけど……うん、気に入ったわ。だからあなたに……もう一度役割を与えてあげる。

 

 

 そこで、それは初めて自分に語りかける存在がいることを自覚する。こんな何もない空間に一体何が語りかけているというのか。

 

 

 そこで、それは自分が何か巨大なものに包まれていることに気づいた。まるで人間が微生物を極小のピンセットで摘み、潰さないように気を遣いながら話しかけるような、自分とは比較にならない桁違いの存在感。

 

 

 はっきりとは覚えていないが、自分がもっとも強大だと、格上だと思っていた存在も、これの足元にすら及んでいないとわかる。

 

 

 ──こんな扱いで申し訳ないわね。あなた達と私ではスケールが違いすぎて、こうでもしないと、潰しちゃうから。

 

 

 一応謝ってはいるが感情など感じない。まるでそこに宇宙空間があるような底知れなさ。訳がわからない。自分に一体何をさせようというのか。

 

 

 ──別に何も。

 

 

 一瞬何を言われたのかわからなかった。先程役割を与えると言っていなかっただろうか。

 

 

 ──あなたはあなたらしく、ありのままに振る舞えばいい。それだけできっと面白くなる。あの子と再び敵対してもよし、なんなら味方になっても面白いかもしれないわね。

 

 何がおかしいのかクスクス笑う声が響く。なぜか知らないが、それが酷くカンに触る。

 

 ──私を楽しませなさいな。それが貴方の、いいえ、貴方達全ての……存在理由なのだから。

 

 

 身体が浮かび上がる。闇に傾いていた存在が大いなるものの後押しを受けて光に浮上する。

 

 

 待ちなさい。お前は一体!? 

 

 

 声にならない問いかけに空間全てがクスクス笑いながら答える。

 

 ──私はメアリー、メアリー・スー、当代の座であり……

 

 その女は座している場所からニヤリと笑い……

 

 

 

 

 

藤澤蓮弥の……産みの親よ

 

 

 

 最後に看過できないことを言われ、感覚が一気に浮上して遠ざかっていく。

 

 

 そして……

 

 

 

 

 

 "おや、驚きました。まさかまだ自我が残っているとは思いませんでした"

 

 先程とは違う声がそれに話しかける。先程より感覚がはっきりとしている。上下左右もわからない暗闇の深海から、浅瀬へ浮上したような感覚。

 

 "あんたは? "

 

 口がないので念話で話しかける。少しずつ自分のことも思い出してきた。整理する時間を得るために、話し相手になってもらおうと思う。

 

 

 "ただのしがない神父ですよ。それにしても、貴重なサンプルが残っていればいいと思い、探ってみたのですが、思わぬ掘出し物でしたねぇ"

 

 真面目に質問に答える気がない神父を語る男にイラつくが、ここでイライラしてても何も進まない。それを察したのかどうかわからないが、神父が本題を切り出してくる。

 

 "さて、ここであったのも何かの縁。……どうです? 取引をしませんか? “

 

 "取引? "

 

 メアリーと名乗る得体の知れないやつといい、この神父といい、どうして自分を放って置いてくれないのか。苛立ちを感じつつ無言で先を促す。

 

 

 "私なら、貴方にもう一度肉体を与えてあげることができる。だからその代わり、私の手伝いをしてほしいのですよ"

 

 "嫌だと言ったら? "

 

 このまま相手のペースに乗せられるのは嫌なので抵抗してみる。ここで消されたとしても対して未練はない。

 

 "そんなことは言わないでしょう。貴方は、まだ……ここで終わりたくはないはずだ"

 

 こいつのこと嫌いだと直感する。人の弱みとかに付け入らせたら右に出るものはいないような声。だからこそ腹がたつのだ。これから自分が選ぶ選択肢に。

 

 "さあ、決めるのは……貴方だ"

 

 それは多少忌々しさを感じつつも、男の手を取る選択をした。

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 聖教教会

 

 

 エヒトを神としてこの世界に信仰を広げている一大勢力。人族でこの宗教を信仰していない人は存在しないと言っていい巨大組織。

 

 

 曰く、人族こそがこの地を統べるにふさわしい選ばれた種族なのだと。

 

 曰く、亜人族は神より魔力を与えられなかった見捨てられた種族。関わることすら忌まわしい獣畜生。

 

 曰く、魔人族とは神敵、エヒトと対立する邪神の眷属にしてこの世に災いをもたらすもの、存在することすら許されない禁忌。

 

 

 そのようなことを時に名前を変えることはあれど何千年、何万年と広げてきた。時の王族すら逆らえない絶対的権力の象徴。

 

 

 それが今、少しずつ崩れようとしていた。

 

 

 

「やれやれ、参ってしまいますねぇ」

 

 疲れた声を出しながら、神父 ダニエル=アルベルトは本日最後の悩める子羊の相談を終えたところだった。

 

 

 このところエヒト教の信仰が揺らいでいる。それは、この相談室にくる人があの日を境に急増したことで明らかだ。相談の内容は完全に同じだというわけではなかったが、それでもいくつか共通していることはあった。

 

 

 ”神の愛が地上から消えたというのは本当なのか”

 

 ”エヒトを名乗る悪神が現れたと聞いた”

 

 ”我々は何を信じたらいいのでしょうか”

 

 

 支離滅裂で何がいいたいのかわからない人でも大別すればこれのどれかに尽きる。

 

 

 あの事件以来、人々の間に不安が広がっている。傾向としたら元々神の教えをそれほど重視していていない帝国はさほど影響がないみたいだったが、やはりあの事件の被害を受けたハイリヒ王国民に徐々に不安と不信が広がっているようだ。

 

 

 致命的なことになっていないのは、この地に現れたと言われている豊穣の女神である愛子が実在しており、彼女がハイリヒ王国王都に留まり、神の使徒の役割に徹しているからだろう。もし彼女の存在がなければもっとひどいことになっていたかもしれない。そういう意味では神父は彼女に感謝していた。

 

 

 教会不信が広がるにつれて善良な教会関係者の中には、心無い言葉を掛けられたものもいるという。そしてその関係者はそれに対して言い返す言葉もないのが現状だった。

 

 

 なぜなら最も混乱しているのは聖教教会なのだ。あの一夜で神の使徒を異例の異端者認定した上に、明らかに神聖な者には見えないものを神の使いだと正式に認定。さらに王都の危機に対してその悪神の眷属に力を貸しただけでなく、そのまま上層部関係者が跡形もなく消滅するという出来事が、たった一日の一夜で起きたのだ。もはや聖教教会はまともに機能していると言い難い状況だった。

 

 

 教皇を始めとする上層部が消えたことによる指揮系統の混乱。多くの民が目撃した不祥事へのクレーム対応。上層部の席が空いたと野心を燃やすものの暗躍。

 

 

 そんな中で犠牲になるのは、本当に善良な教会神父や修道女、ダニエル神父のような中間管理職なのだ。おかげで彼も、碌に休む暇もない状況に陥っていた。

 

 

「さて、流石に今日は、もう終わりにさせてもらいますかね」

 

 店じまいではないが、神父とて人間である。教会の門はいつでも開いているが、いつでも相談に乗れる神父がいるとは限らない。神父はいつか遭遇した蓮弥と雫がティータイムをしていた喫茶店を思い出し、今から行ってみるかと思った矢先。この部屋に向かってくる気配を察知した。

 

 

 この部屋に向かっている足音。足音の種類からいってどうやらその持ち主は相当怒っていることがわかる。

 

(やれやれ、よりによって今日動きますか。今は一仕事終えて疲れているんですけどねぇ)

 

 だがちょうどいいとも取れる。もともと彼女にはもう時間がないのだ。なら早めに行動するのが一番だ。

 

 

 ダニエル神父は立ち上がり、本当に最後の哀れな子羊を迎える準備をする。

 

 

 扉が荒々しく開かれる。

 

 

 そこに立っていたのは小柄な少女。普段の彼女を知るものが見たら驚くだろう。いつもおどおどしつつ幼馴染の影に隠れている印象しかない彼女だが、今は正反対の気配を漂わせていた。

 

 

 短い髪は振り乱され、いつもかけているメガネはそこにはない。いつもより鋭い視線が神父を真っすぐに射貫く。

 

「光輝君をどこにやった!?」

 

 開口一番に怒声を浴びせた少女、中村恵里は怒りを隠そうともせず神父に食って掛かる。

 

 

 

「おやおや、恵里さんではありませんか。どうなされたのです? こんな場所まで……さあさあ、どうぞこちらへ、今からティータイムでもと思っていたところなのですよ。あなたもどうですか?」

 

「僕の質問にさっさと答えてくれる?」

 

 ダニエル神父は周りに異形の気配が複数存在していることを察知する。どうやらここはもう囲まれているらしい。だがそのことを知っても全く態度を変えない。

 

「はて? 光輝さんなら今日も皆さんと訓練に勤しんでいたと記憶していますが?」

 

 恵里の探し人である天之河光輝は今朝も気合をいれて訓練に勤しんでいたのだ。直った聖剣を掲げて、力不足を少しでも埋めようと懸命に剣を振るそのぶれない姿に勇気とやる気を貰ったものも多いだろう。

 

「…………本気で言ってるの?」

 

 

 つい最近、この王都を騒がせていた謎の病。その正体は中村恵里が起こしたものであった。彼女の天職は降霊術師。もっとも彼女は思念の話を聞くだけで、上手く使えないと語っていたが、実際は完璧に扱えるし、生前の記憶や思考パターンを付加してある程度の受け答えができる魔法すら編み出して見せた。

 

 

 そう彼女が表向きの姿は全く偽りの姿であり、本性は天之河光輝に異常に執着するサイコパスだ。彼女のせいで既に500人を超える人が命を落としている。

 

 

 本来彼女は実際の行動を脅迫している共犯者である檜山大介に任せて裏に徹していたのだが、藤澤蓮弥が帰ってきたことによって事態が急変する。

 

 

 降霊術師である恵里は藤澤蓮弥が襲ってきた魔人族の女に対して何をやっていたのか把握していたのだ。どういう原理かはわからないが蓮弥が魂を取り込んでそこから情報を手に入れる術を持っていることを知り、焦った。

 

 

 もし町中に存在している傀儡死兵を見られたら王都で起こっている異常に気付かれるかもしれない。そうなったらせっかく集めた傀儡死兵を丸ごと潰されるどころか、こちらの存在を感知されるかもしれない。一刻も早く死兵を隠す方法を探していた頃、その神父は現れたのだ。

 

 

『あなたがやろうとしていることに、我が主は大変興味を示されております。主命により、あなたの手助けをさせていただければと思っています』

 

 もちろん怪しんだ恵里だったが、どうやってか知らないが、恵里の傀儡死兵を感染度の高い流行り病であると広め、隔離することに成功したのだ。

 

『これで藤澤さんの目には留まることはないでしょう。さて、あなたがやろうとしていることに主だけでなく私も興味が出てきました。ぜひ教えていただきたい』

 

 

 そうして協力関係を結んだ恵里だったが、ここにきてその関係を壊すような行動を取り始めた。

 

 

「他のボンクラ共ならともかく、僕の目は誤魔化せない。あれは……」

「お気に召しませんか?」

「なんだって?」

 

 

 神父が恵里に対してまるで意外だという反応を見せる。

 

「てっきり気に入っていただけると思っていたのですが……残念です」

「あんた……何言ってるの?」

 

 神父の言葉に苛立ちが隠せないのか恵里が声を低くしながら神父に問いかける。

 

 

「ですから気に入っていただけると思ったのですよ。()()()()()()

 

「……そうか、お前……僕のこと舐めてるんだなッ!?」

 

 恵里の叫びと共に、虚ろな目をした騎士がぞろぞろと広いとは言えない礼拝堂に集まってくる。十、二十、三十。いや、この部屋に入りきれない数を含めればもう倍ほどの人数がこの部屋を囲っているのかもしれない。神父は完全に包囲されていた。

 

「調子に乗らないでよ神父さん。今この状況をわかってるの? お前は黙って僕の言うことを聞いてればいいんだ。……だから光輝君をどこにやったのか早く言えよッ!」

 

 

「はぁ、どうやら話を聞く気はない様子。それほど光輝さんは素敵な人だというのですか?」

 

「あたりまえだろ。光輝君は僕の王子様なんだ。他の奴とは全然違う」

 

「本当に? 本当にそう思っているのですか?」

 

「あたりまえだろ。彼はこの世界の主人公で、僕は彼のメインヒロインなんだ。やっと、やっと邪魔者がいなくなったんだ。もう、光輝君の周りには、香織も、雫も、誰もいない。藤澤だって消えた。もう僕を邪魔するものはいない。これでやっと、やっと、光輝君が僕の物になるんだ」

 

 うっとりと光悦の表情を浮かべる恵里を神父が哀れなものを見る目で見下ろす。

 

「哀れですね。親に愛されなかった、捨てられた子犬というものはどうしても、同情せずにはいられない」

 

 ありていに言えば恵里は両親から虐待を受けていた。実父の死をきっかけに鬼母へと変貌した母親に、その母親が連れてきたいかにも三下のチンピラに性的暴行寸前までいったこともある。その果てに恵里は自殺しようとした。味方なんて一人もいなかった。学校でも家でも居場所などない。そしてそれをいざ実行に移そうとして現れたのが、天之河光輝だったのだ。

 

 

「光輝君に出会って、僕は生まれ変わったんだ。世界に光が差したようだった。世界が明るく見えた。僕は彼の物語のヒロインになれたんだ」

 

 光悦とした表情のまま語る恵里はひょっとしたら、これから光輝を手に入れた後のことを考えているのかもしれない。得体のしれない雰囲気が止まらない。

 

「……光輝さんは、きっとあなたのことなんて覚えていないと思いますがねぇ」

 

 神父が恵里の心にメスを入れ始める。だがまるで期待外れだと言わんばかりの嘲笑が礼拝堂に響き渡る。

 

「あはははは、何だ、何かと思えばそんなことか。……知ってるよ。光輝君はヒーローだからね。特別なんて存在しないんだ。だけどね、僕は知ってるんだ。人の感情や行動なんて、やり方一つで、幾らでも変えられるってことを」

 

 

 かつて虐待していた母親は今では恵里に怯えて暮らしている。光輝をきっかけに形勢が逆転した彼女達親子は歪だった。その歪さが、恵里の心を余計に捻じ曲げていく。

 

「だから、光輝君を僕の愛で染め上げてあげるんだよ。光輝君は僕だけ見てたらいい、僕だけを見て、僕だけの声を聞いて、僕だけに触れて、僕だけを感じて、僕だけのヒーローになればいい。そしたら僕が彼にたあぁっぷり愛を注ぎ込んであげるんだ。香織と雫に捨てられた光輝君を僕だけが……」

 

「いえ、ですから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたは光輝さんを……愛してなどいないでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?」

 

 

 恵里の嘲笑が止まった。まるで言語理解を介さず、異世界の言語で話しかけれられたかのような反応。

 

 

「ずっと疑問に思っていました。なぜあなたは光輝さんを物にすると言いつつも、こんな遠回りなことをしているのか、と」

 

 

 神父の言葉が恵里の心に侵食し始める。まるでここからが本当に言いたかったことなのだと。

 

「……頭が悪いのかな? 光輝君には邪魔者がたくさんいるから、だから……」

 

「邪魔者など、どこにいるというのですか? それはついさっき、あなたが言ったことでしょう」

 

 この国にもう彼の側に寄生してた白崎香織も八重樫雫もいない。それを認めたのは恵里自身だ。

 

「……私が知る限り、二回……あなたにはチャンスがあった。……光輝さんを手に入れるチャンスが」

 

 光輝が精神的に参っていた時が二回ある。一つが白崎香織を南雲ハジメに奪われた時。そして八重樫雫に必要なのは光輝じゃないと別れを告げられた時。

 

「あなたほど他人の目を気にして生きてきた人間なら、そして何より光輝さんのことなら……わかったはずだ。……あの時の光輝さんの心には、いくらでも付け入る隙があったことを」

 

 中村恵里は幼少期から母親の、養父の、そしてクラスメイトの視線や感情を気にして生きてきた。そうしないと生きていけなかったと言った方が正しい。そんな彼女が、片時も目を離さず気にかけていた光輝の心の変化に気付かないはずがないのだ。

 

「もしあの時、ただのクラスメイトとして、もしくは女として、彼に迫っていれば……おそらく魔法など必要なかった。あなたほど人の心に取り入る術を持っているなら、十分に光輝さんを篭絡することは可能だった。あなたに依存させることも決して不可能ではなかったはずだ」

 

 

 もしあの橋の上で、あの高台の上で、神父ではなく恵里が、自らの女を使って慰めるために光輝に迫っていたら、心が弱っていた光輝はきっと恵里に縋り、溺れただろう。光輝の感性上、一度肉体関係を持ってしまえば、恵里を邪険にすることはできない。もしそのまま言葉巧みに光輝の望む都合のいい、甘い言葉を囁き続ければ……倫理に触れる必要すらない。おそらく今頃光輝は、完全に恵里に依存していただろう。完全に閉じた共依存が完成していたはずだ。

 

「なのにあなたは、動く素振りすら見せなかった。それは何故か……本当は光輝さんを愛してなどいないからだ」

 

「……黙れ」

 

「母親のことにしてもそうだ。自分は被害者で、母親は自分を愛してくれなかったと思っていますが……あなただって愛してなどいなかったでしょう?」

 

「…………黙れよ」

 

「あなたは結局のところ、誰のことも信じていないのですよ。だから……」

 

「黙れぇぇぇぇ──ッ!!」

 

 恵里の感情が爆発する。まるで癇癪をあげる子供のように、世界に対して喚き散らすかのように。恵里の感情に引きずられてか傀儡死兵が剣呑な雰囲気を発し始める。

 

「僕は光輝君を誰よりも愛してるッ! 愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してるんだッ! 僕だけが彼を理解してあげられるッ。僕だけが彼に愛を与えられるッ。だからいい加減なことを言うな──ッ!!」

 

 今まで余裕の表情を浮かべていた恵里も自身の光輝に関する愛を疑うことだけはあってはならない。なぜなら彼への想いで自分は変わったのだから。

 

「もういい、光輝君は自分で探す。……今すぐこいつを殺せッ!」

 

 恵里が傀儡死兵に神父抹殺を命令する。その命令を受けて傀儡死兵が一斉に武器を抜き、それを向け始める。

 

 

 

()()()()()()

 

 

 

「えっ、そんな……どうして……」

 

 恵里の手が震える。まるで信じられないことが起きたとばかりのその震えようは、ここにきて一番大きな衝撃だった。

 

 

「時間を与えすぎましたね。人を操る術が、あなたの専売特許だとでも思っていたのですか? もし仕掛けるなら、話もせずに……問答無用で襲い掛からせるべきでした」

 

 恵里から魂魄魔法によって死体の所有権を奪い取った神父が、ゆっくりと恵里に向かって歩み始める。

 

「あなたは人など信じていない。仮に光輝さんを自分のものにしたとしても、いつか裏切られるかもしれない。魔法を破られるかもしれない。その不安が消えない限り、そんなものをあなたは信じたりなどしない。結論……あなたが信じていることなど……たった一つしかない」

 

 

 恵里の頭に手を置く神父。恵里はただ震えて彼の言葉を聞くしかない。

 

 

「例えあなたと言えど、絶対に疑いようのないたった一つの真実。あなたの心の、魂の、原初に存在する風景。今のあなたを作り出した全ての始まり。あなたの魂の中心に存在するのは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたを庇い、血の海の中で死んだ……愛する父親の死体だけだ」

 

 

 

 

 

 恵里の脳裏にその光景が強制的に蘇る。

 

 

 恵里が五歳の時。父親と二人で公園に遊びに行って、はしゃいだ恵里が不注意にも車道に飛び出てしまい、悪魔的なタイミングで突っ込んで来た自動車から恵里を庇った父親が亡くなった光景。

 

 

 そして恵里は見てしまったのだ。手足を歪な方向に捻じ曲げ、溢れ返るような血の中に沈んでいる父親の、瞳孔が開ききり、完全に事切れた……

 

 

 

 

 

 ──虚ろな目を

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああ──ッ!!」

 

 

 絶叫する恵里を優しく抱きしめる神父。

 

「人は死ぬ。あっけなく死ぬ。それだけがあなたが信じる、たった一つの真実なのですよ。だからあなたの天職は……降霊術師なのだ」

「あ、あああ、あああああ」

 

 人はあっけなく死ぬ。そう、愛する父親の死をきっかけに、幸せだった家族は完全に壊れてしまった。今の恵里を構築するすべての始まりであるがゆえに、恵里はこの事実だけは否定できない。

 

 

「存在の全てを否定されてきたあなたにとって、それだけが唯一の真実であるが故に、あなたは死体しか愛せない。人を死体にして操って、初めて信用することができる。心を許すことができる。『自分を守ってくれる都合のいい死体(人形)が欲しい』。あなたの渇望(望み)はそれでしょう。だからそもそも、天之河光輝の人格や魂に、興味など微塵もないのだ」

 

 恵里はもはや神父の腕の中で震えることしかできない。今なお、頭に置かれた手によって、彼女のショックイメージは続く。延々と愛する父親の死の瞬間を見せられ、恵里を虚ろな目をした父親が見つめ続ける。

 

「死体しか愛することのできない、そんな得体の知れない不気味な娘を愛する母親など、この世のどこにいるというのですか? あなたが愛されなかったのは母親のせいではない。……あなた自身が原因なのですよ」

 

 神父の言葉のナイフが、恵里の心をズタズタに引き裂く。

 

 

 唯一無二だと信じて疑っていなかった自分の光輝への愛すらも幻想だった。

 

 

 自分は生きている人間を愛することのできない異常者にすぎない。

 

 

 恵里の心に魔言が沁み込んでいく。

 

 

「ですが安心してください。いつかあなたに相応しい人形を作って差し上げます。……人を操ることができると言っても向き不向きがある。私はあなたと違い、多人数を操るのには向いていない。その点あなたの才能とあなたが集めた傀儡死兵は、ここで捨てるにはあまりに惜しい」

 

 震える恵里に一転して優しい口調に切り替え、話しかける神父。その顔には、恵里が与えられなかった慈愛の感情がにじみ出ている。

 

 

 ダニエル神父は既にハイリヒ王国騎士団団長、メルド・ロギンスが生きて潜んでいることを把握していた。何者かは知らないが、蓮弥がいなくなった後に神父が招いた神の使徒を屠ってしまったらしい。自分の警戒網をすり抜けた存在が気にならないと言えば嘘になるが、今は彼女達のことに対処するのが先決だ。

 

 

 メルド団長が生きている以上、檜山の犯行は明るみに出るだろう。そして傀儡死兵の内一体でも調べられたらアウトだ。ハイリヒ王国騎士団長は無能ではない。檜山の奥に潜んでいる中村恵里まで到達するのはそう遠い未来ではないだろう。

 

 

 神父にはある事情で大量の実験体を欲していた。その点、彼女の傀儡死兵は初期実験の対象としてはうってつけなのだ。だからここで捨てるという選択肢はない。

 

「ですのでお休みなさい。次に目を覚ました時には、光輝さんのことなど綺麗に忘れて、少しはマシな精神状態になっているでしょう」

 

 

 恵里の意識が遠くなっていく。狂っている思考に毒が差し込まれる。

 

 

 そして彼女が完全に意識を失う際に、最後に思い出したものは。

 

 

 彼の勇者でも、両親でもなく。

 いままで都合がいいからと利用してきただけのはずの、自分と同じく仮面をかぶった、親友の顔だった。

 

 

 

 

 

「哀れですね、光輝さんも。結局、彼のことを特別だと思っている人など、だれもいなかったのだから」

 

 香織も雫も、そして恵里も。結局は真の意味で光輝を必要としていなかった。

 

 彼が世界を物語のように見ており、そのように行動するのであるならば……当然、他人もまた、光輝を都合の良い勇者だと思うのは必然だった。

 

 

 そして神父は死体遊びが趣味の娘を見下ろす。それは哀れなものを見る、確かに人の情を感じさせる眼差しだった。

 

「私は死体などでは満足しない。必ず、真の意味で取り戻してみせる」

 

 神父は懐に所持しているロケットを取り出し、中身を開く。そこには古ぼけた一枚の写真が入っていた。ちょうど恵里と同い年くらいの女の子が写った写真。

 

 

 もう、気の遠くなるほどの時間が経ったがゆえに、古ぼけてしまった彼の宝物。

 

「待っていなさいテレーゼ。私はきっと、こんどこそ、あなたを取り戻して見せる」

 

 誓ったのだ。そのためなら、悪神だろうと利用すると、悪魔に魂を売ると。

 

 神父の決意を止めるものは、まだ存在しない。

 




さて、神父に拾われたのは誰なのやら(すっとぼけ)

とはいえ、そんなに引っ張りません。後編でわかります。


>中村恵里陥落
流石の彼女も、自分よりもっとやべぇ奴である神父には勝てませんでした。モデルキャラ同様、子供のトラウマを抉ることに関しては右に出るものはいません。

次回は神父がクズとクズの相手をする話と第五章以降世界がどうなるかについて。

▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。