ありふれた日常へ永劫破壊   作:シオウ

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前話の下書きを書いていた頃の作者「思ったより悪食がやばい存在になりそうだな。これなら序列二位(神座シリーズの神格の一つ下、メトシェラやヤツカハギ、七大魔王が所属している序列)に加えてもいいかもしれない」

黒白のアヴェスター序章公開後の作者「序列二位が魔境すぎる。破滅工房やばすぎだろ。あれと比較されると、うちの悪食ちゃんがただのドラクエのスライムにしか見えない」

結論:正田卿はやっぱり発想力の格が違った。


唯一の勝機

 少女が魔女に弟子として迎えられて一年が経過した頃。

 

 

 少女はようやく基礎訓練を終えて、魔女に魔術というものを教えてもらえることになった。自分から志願したわけではないのだが、どんな経緯があったにせよ、学ぶ以上何らかの成果を得たいと思っていた少女にとって、地味な訓練が終わってこれから本格的な魔法の力が使えると聞いて密かにテンションを上げていた。

 

『いい、よく見ていなさい。これが私が使う魔術系統の基礎の基礎にして、全ての奥義となる魔術よ』

 

 そうして披露される魔女の魔術。だがそれは少女が期待した炎を操ったり、雷を出したり、または光を放つような派手なものではなく、とても地味なものだった。

 

『なんというか……正直あんましですね』

『あなたは結構、言い難いこともはっきりいう子よね』

 

 その言葉を聞いて落胆した様子も見せずに魔女は微笑む。

 

『確かにあなたの眼には大したことないように見えるでしょうね。私の魔術はわかりやすく自然現象を操るものではないわ。私にもあなたにもその適正はないから』

 

 何気にまったくわかりやすい魔術を使えないと言われた少女は少し抗議したくなったが、魔女の言葉に続きがあることを察して押し黙る。話に割り込んで怒られることはできればしたくない。

 

 

『けど覚えておきなさい。私が使い、そしてこれからあなたが継承することになる魔術は確かにわかりやすい『力』ではないけれど、使い方次第では世界を滅ぼす力にもなりえるということを』

 

 それが私が『本物』だと言われる所以なのだと、逆襲(ヴェンデッタ)の魔女は少女に薄く微笑みかけたのだ

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~

 

 状況は著しくない。それはこの場に集まった全員の表情を見れば伝わってくる。皆対策を考えてはいるが、何も案が思い浮かばないといった顔をしている。

 

「……この空間から強引に脱出することを優先しよう」

 

 そう言い始めたのはハジメだった。あれだけの火力を浴びてもダメージ一つ見えないどころか現在進行形で巨大になり続ける悪食に対して、現状では勝ち目がないと判断して撤退するべきだと進言していた。周りのメンバーはただ静かにハジメの話に耳を傾けている。

 

「……戦略的撤退だ。流石の俺もいつまでもこいつを放置していいとは思ってねぇ。どう考えても放置するだけで世界の危機だ。帰還の目途が立つ前に、この世界が滅びたら元も子もないからな。だけど現状の俺達では勝ち目がないのも確かだ。……幸いといっていいかわからないが、エリセン方面の大迷宮はメルジーネ大迷宮だけで、その神代魔法は全員取得済みだ。ここを出ることさえできれば、他の神代魔法を手に入れることであいつに対抗できる力が手に入るかもしれない」

「でもハジメさん……それは……」

 

 シアがハジメに何か言おうとしたがシアはその言葉を言うことを直前で踏みとどまった。

 

 

 ここにいる皆とてわかっているのだ。ここを自分達だけで脱出して、他の神代魔法を探し回るということは、この悪食を倒す目途が立つまでは、この地に住む人間達を見殺しにするということでもあるのだと。

 

 

 悪食の増殖と共に少しずつ海の水位が上がってきていることも気づいている。もしこのまま悪食がおとなしく増殖に専念し続けたとしても、そう遠くない未来、エリセンは赤い海に飲み込まれて文字通り消えることになるだろう。否、それはあくまで悪食がおとなしくしているという前提の話であり、もし本格的に暴れ出すとなると隣国であるアンカジすらも赤い海に飲み込まれる日も遠くない。

 

 

 アンカジ公国の人口は二十七万人。どう考えても他の神代魔法を手に入れて戻ってくるのに一週間以上かかってしまう以上、その間公国が悪食の被害を受けないという考えは楽観視だと言えるだろう。

 

 

 自分達だけ逃げて、香織の魔法により一命をとりとめて喜びの最中にある住民たちが巨大な怪物に蹂躙される。おそらく帰ってくる頃には生存者など一人もいない。その事実を想像して顔を青くしないものなどここにはいない。だけどそれでも、ハジメは言葉を続ける。

 

「……俺達は正義の味方でも世界を救う勇者でもなんでもねぇ。天之河あたりならここに残ってみんなで力を合わせて戦おうとか言いだすのかもしれねぇが、俺はここで死ぬつもりはない。助けられる数には限界があるし、俺が救う義務があるのはここにいるメンバー以外でならミュウとレミアだけだ。……ここで選択を間違えると、何もかも終わっちまうぞ」

 

 厳しい現実を突きつける。そもそも自分達の命の保証もできないのだ。今はおとなしくしている悪食がいつ暴れ出すかわからない。あの超高層ビルのような触手を振り回されるだけでエリセンくらいなら跡形もなく消えてなくなるだろう。そうなってからでは遅いのだ。ここで行動することを躊躇う時間が長ければ長いほど生存率が下がっていくと言っていい。

 

 

 ハジメは無言で皆に覚悟を決めろと視線で訴えかける。

 

「……私はハジメの判断に同意する。ここに私達がいてもできることは何もない」

 

 まずユエが言葉に出して一歩踏み出す。彼女は元女王、しかも戦乱の時代に生まれただけあって、世界にはどうにもならないことが満ちていることを知っている。かつて鬼神の国と恐れられた祖国があっけなく滅びたように、抗えないことがあることを知っている。

 

「見捨てるわけじゃないんですよねッ。私たちが頑張ればまだより良い未来が来るんですよねッ?」

 

 シアがすがるようにハジメに言う。彼女はこの戦いが始まってから一度も未来視を使っていない。未来視は膨大な魔力を使う都合上、頻繁に使えるものではないためとにかく体力が必要だった無限悪食に使う余裕がなかったのだ。

 

 

 だが、今なお使っていないのは恐れがあったから。もし、もし未来をみてそこに絶望しか存在しなかったらと思うと怖くて怖くて仕方なかったのだ。

 

「……可能性は零じゃねぇ。だけどあまり期待しすぎるな。……後が辛くなるぞ」

 

 そのハジメの言葉にゆっくり俯きながら拳を握るシア。彼女の脳裏にはおそらくここで暮らして仲良くなった人達の顔が思い浮かんでいるのだろう。その人達に何もしてあげられない無力感を感じているようだった。

 

「みんな……」

「……すまない。俺の力が足りないばかりに……」

 

 そこで雫が蓮弥を伴い戻ってくる。蓮弥は仲間に向かって謝罪の言葉をかけているが、雫は何と言っていいかわからなかった。自分の用いる力はこの世界では異質とは言っても、現状では何もできないということに変わりはなかったからだ。このパーティー最強と言っていい蓮弥でも通じなかった以上、現状逃げの一手しかないことを思い知らされずにはいられない。

 

 

 蓮弥と雫が合流しても空気が良くなることはない。脅威は変わらずそこにあるし、それに対してどうすることもできないということに変わりはないからだ。

 

 

 どうあがいても絶望。

 

 

 この世界から自分以外脱出することができないということを知っている蓮弥の脳内に浮かび始めた言葉だった。それに対して蓮弥ができることと言えば、少しでもそれを糧に渇望深度を上げられないか試すことだけだった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あれ?」

 

 自分の恋人がそんなことを考えているとは知らずに、雫はそこであることに思い当たる。

 

 

 それは単純な疑問。まるでここにあるべきものが欠けているかのような違和感。

 

 

 そしてそれを意識することでそれが何なのかすぐに思い至る。

 

 

 ここにきて、先程から親友である香織が一言も言葉を発していないことに今気づいたのだ。

 

「香織?」

 

 いや、そもそも。皆が悪食討伐に乗り出していた時、()()()()()()()()()()()()()。雫が思い返してみても何も思い出せない。

 

 

 雫は焦って周りを探す。だが、焦った雫の想いとは裏腹に、香織はすぐに発見された。

 

 

 発見されたという言葉もふさわしくはない。なぜならハジメ達がいる海岸の砂浜から、わずか数メートル先の海辺にいたのだから。

 

 

 香織は手に赤い液体の入った光るフラスコのような物を持って何やら中身を眺めているようだった。その目は真剣そのものであり、まるで科学反応を待っている科学者のような横顔だと雫は思った。

 

 

 ぞくっと雫の背筋に何かが走り抜ける。今の香織に感じる確かな違和感。

 

「香織……あなた……何をしているの?」

 

 恐る恐る香織に話しかける雫、そしてその雫に対して、香織は顔をフラスコから晒すことなく返事を返す。

 

「……実験だよ」

 

 香織が言葉を発する。すると今まで香織の方を一切気にしなかったハジメ達が一斉に弾かれたように香織の方を向く。まるで今香織の存在を思い出したかのように。

 

「実験って……」

 

 雫は香織の中に得体のしれないものを感じていた。確かに、この幼馴染の少女は一度こうと決めたら真っ直ぐ突き進む猪突猛進な面があり、実は意外と暴走することが多いことから、光輝の世話と同様に雫は結構手を焼いてきたものだったが、そんな雫でも今のような香織の姿は見たことがない。ある意味で蓮弥以上に幼馴染としての付き合いが長い、親友の初めて見る表情。

 

「元々、真っ当な方法であれを倒すことは難しいとわかってたからね。私は私のできることをしようとしてただけだよ……ッッ」

 

 香織の表情が変化する。雫が手元を見てみると、どうやらフラスコの中身に変化があったらしい。先ほどまで赤かった水が無色透明に変化している。その変化に香織の口元が弧を描く。

 

「やっぱり……神秘の規模と強度は桁違いだけど、構造は素直だね。自然信仰の神様だからごちゃごちゃしたパラメータが付いてなくて、人の想念に染まりやすい。さて、後の問題は私が実行できるかだけど……」

 

 何やらぶつぶつ言い始めた香織に雫は限界を迎えた。香織の両肩に手を置き、無理やり顔を前に向かせる。

 

「ひゃん! し、雫ちゃん!?」

「あのね、香織。あなたが、天然なのは、私が、十二分にわかってるから、いい加減何をしているのか話してもらえるかしら?」

 

 ちょっと雫が凄んで見せるとようやく自分に注目が集まっていることを察した香織が態度を改める。

 

「みんなごめんね。ちょっと試したいことがあったから……」

「試したいことというのは、この状況を打破するため……で、合ってるよな?」

 

 ハジメが香織に聞くとうん、と香織は素直に頷く。

 

「もちろんそうだよ。私は今まで相手の構造を解析してたわけだけど……何をしていたのか具体的に話すと長くなっちゃうから言いたいことをまとめると」

 

 香織のその顔は真剣そのものであり、これから口にすることに冗談の入る余地がないことを示しているかのようだった。

 

「まず初めに、この空間から私達が脱出することは不可能です」

「…………どうしてそれがわかる?」

「簡単なことだよ、ハジメ君。この世界はあれが作った世界だから、結界の強度もあれに準ずるの」

 

 香織が視線を向けるのはもちろん、今もなお膨張を続けるこの世界の王。紅い海の支配者である悪食は魔瘴の霧を吐き出しつつその勢力を広げようとしていた。

 

「あれの神秘の強度は並外れてるから、そもそも魔力が籠ってない攻撃は全部効かない。魔力での攻撃でも並みの魔法じゃ話にならないかな。神代魔法でもまだ足りない。せめてその先くらいに達してないと通じないと思う」

 

 神秘の強度。香織は何度かこの単語を使っているがそれはどういう意味なのか。少なくとも雫はメルド団長の講義で習った覚えはない。

 

「あの……香織さん……神秘がどうのこうのって……どういう意味なんですか?」

 

 おそらくこの中で一番魔法の知識に乏しいであろうシアが遠慮がちに手を上げて質問する。それに気を悪くすることなく香織が説明を始める。

 

「簡単に言えば、魔法は基本的に古ければ古いほど強いってことかな。例えばね、雫ちゃん。この世界の人達が使っている魔法が神代と呼ばれる時代の魔法の劣化版だってことは知ってるよね?」

 

 突然自分に話を振られた雫だったが、そこは冷静にこの世界の歴史の内容を思い出しつつ答える。

 

「ええ、この世界の創世神話の話でしょ。そしてその魔法の起源、それが私達が今集めている神代魔法ということなのよね?」

「そう、その通り。だけど、その神代魔法がこの世界にもたらされたのはエヒトがこの地に来てから。当然、リーさんの話からそれ以前に存在していたと思われる悪食はそれ以上に古いということになる」

 

 だからこそ神代魔法すら通じないのだと香織は言う。確かに理屈上否定できるところがない。

 

「だから多分この世界を力技で脱出できるのは、藤澤君くらいじゃないかな?」

「……ああ、そうだろうな。ユナも同じ見解だ」

 

 蓮弥が正直に答える。蓮弥が言い難そうにしてたことはこれかと雫は今更思うが、つまり……

 

「私たちは、逃げられないということ?」

「……うん。あいつを何とかしない限り」

 

 ユエの言葉に対する香織の回答で、この世界から脱出する術はないのだという認識が広がる。そして香織は再び全員を見渡しながら、自分が単に絶望を広げたかっただけではないことを示すために真剣な表情を崩すことなく宣言する。

 

「それを前提でもう一つ、言いたいことがあるの。みんな……」

 

 

 

 

 

「私に、命運の全てを預けることって……できる?」

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~

 

 香織は一人砂浜で佇んでいた。世界の異常は広がり続けるが、元々自然の敵ではないからだろうか。波と潮風は意外と穏やかであった。

 

「魔法陣展開──開始。

 環境変数入力──完了。

 術式の魔力源は魔素(マナ)に設定──完了」

 

 香織の足元に次々と魔法陣が展開されていく。それを見守るハジメ達も香織がどんな魔法を使用するのかわかっていない。彼らが聞かされていることはたった一つ。

 

 

 香織の開発した堕天とは違う、もう一つの攻性魔法なら、悪食を倒せる。それだけである。

 

 

 現状何も打つ手がない彼らにとって、香織の提案を聞かないという手はなかった。

 

 

 ハジメ達に静かに見守られながら、香織は魔法陣を展開する。

 

(まさかこんなことになるなんて、きっと師匠(せんせい)が知ったら驚くだろうな)

 

 自信満々に勝てると宣言した香織であったが、内心を悟らせないようにするのが精いっぱいだった。

 

 

 なぜならば、これから行うのはトータスの魔法行使ではなく、魔術行使。

 

 

 しかも未だかつて使用したこともない規模の大魔術になるであろうことが予想される。しかも相手は神代の神霊に匹敵する怪物。本来だったら香織自身が語った格の差というのは香織にも適応される。彼女の魔術の特性はそれを無視できる例外ではあるが、色々人間を辞めているとしかいえない師匠である魔女ならともかく、未だ魔術師としては半人前の自分では身に余る所業になるだろう。

 

 

 どの道、あの悪食に現状一番近い蓮弥の力が通じなかった時点で自分が身体を張る以外の選択肢はなくなったのだ。ここには彼女が命を賭してでも守りたいと願う少年がいる。彼がいる限り、香織は逃げるという選択をとることはない。

 

「空間魔法による魔素(マナ)供給エリアの設定──完了」

 

 術式の展開が終わる。この世界に来てから使用していたアーティファクトは置いてきた。これから行う術式を起動させるためにはどうしても膨大な魔力が必要になってくる。この世界基準で一級品のアーティファクトとは言っても今から行う魔術行使には耐えられないだろうと香織は推測している。必然、術式は自分自身に対して展開する以外にないのだ。

 

 

 あらためて覚悟を決める。これから行うのは神殺しにも等しい所業。不可能をいくつも超えなくては到達しえない場所にある境地。だが、ここで自分がしくじれば、終わるのは自分だけではない。

 

 

 ずっと付き合ってきた幼馴染も、この世界でできた喧嘩友達も、そして、なによりも誰よりも愛しい少年を含めてすべての命の命運がここに尽きる。

 

 

 そのことを念頭に置いた上で──

 

 

 香織は仲間達にも秘密にしてきた最後の術式を展開する。

 

 

()()起動! 全術式連結起動開始!!」

 

 足元の術式が展開され、それと連動するように香織の服の袖部分が弾け飛ぶ。

 

「えっ?」

「あっ?」

「…………」

 

 一瞬それを見てシアは声を上げ、ハジメは怪訝な表情をする。ユエは静かに事の展開を眺める。

 

 

 香織の修道服の下の両腕には、びっしりとよくわからない幾何学模様が()()()()()()()()()()おり、光を放っていた。

 

 

 それこそが、グリューエン大迷宮で見せた香織の魔法の高速展開の秘密である。理屈としては単純だ。この世界の魔法を使うプロセスが魔法陣展開→詠唱(魔力を流す)→魔法発動と辿るのであれば、常時魔法陣を展開していればいい。肌に直接刻みこまれているのであればアーティファクトに魔力を通すという工程すらいらない。身体に魔力を流すだけで魔法を使えるようになる。想像構成という技能を持っているユエだが、魔法陣を仮想領域に展開する手間が必要である以上、その工程の分だけ遅れが生じる。

 

 

 そしてもちろん紋章の効力は魔法陣の省略だけではない。香織がこの世界に来て、後から強引に付け足したこの世界の魔法の文節はともかく、元々魔女に刻み込まれていた紋章には、香織が魔女より受け継いだ魔術を発動するためのプロセスが刻み込まれている。それの全力展開なくして、香織はこれから行う大魔術の行使を行うことはできない。いわば身体に刻み込まれたこの紋章自体が香織専用のアーティファクトである術式増幅装置なのだ。

 

 

 術式が回転を始め、周囲に漂う悪食が吐き出した太古の時代の魔素(マナ)を取り込み始める。本来膨大な魔力が必要な術式だが、幸い魔力はこの場所にいくらでもあるのだ。それを利用しない手はない。

 

 

 悪食に向ける香織の掌前方に、魔力のスフィアが生まれる。まずはこれを相手に届かせなくては話にならない。香織の膨大な魔力と術式が刻まれた魔力弾が悪食に届けば、後は二つ目の攻性魔法を発動するだけでいい。

 

 

「幸い今なら、私達を取るに足らないと思ってる。だったら……」

 

 その隙を付かせてもらう。だからこそ香織は自身が安定して制御できる魔力量ぎりぎりまでチャージした魔力弾を──

 

 

 悪食に向かって放った。

 

 

 魔力弾は真っすぐ悪食の胴体に向かって突き進む。この魔法は末梢神経、つまり悪食で言う末端の海に当ててもあまり効果がない。相手の中心を狙い撃つ必要がある。

 

 

 後三百メートル、二百メートル、百メートル。

 

 

 当たれば勝ち目はある。そう改めて認識した香織は魔術の発動の準備を行い──

 

 

 

 

 

 

 魔力弾は突如現れた触手に撃ち落とされた。

 

 

「ッッ!!?」

 

 動揺を必死で押さえつける香織。今までこちらを全く警戒していなかった悪食が、よりによって自分の魔力弾に敏感に反応し、迎撃してきたのだ。

 

 

 なぜ気づかれた? 隠蔽が甘かったのか。それとも他に理由があるのか? 

 

 

 それを考えている香織に対して──

 

 

 

 ドクン

 

 

 

 世界が、明確に敵意を叩きつけてきた。

 

 

「あっ……」

 

 香織が気づいた時には、出現した巨大な触手は、真っすぐ香織のいる方向に向けて上空から叩きつけられようとしているところだった。

 

 

 ダメだ。香織は加速する思考の中で考える。

 

 

 術式を展開した時点で、香織はここから動けなくなってしまった。敵の触手は超高層ビルに匹敵する巨大な代物。香織のいかなる防御魔法でも防ぐことはできない。

 

 

 ここまでかと思った瞬間。

 

 

 

 すぐそばで爆音が響き渡る。悪食が放った触手の切先が広がる爆炎により焼き落とされたことで、香織に届くことなく香織にとって遠くの海にたたきつけられた。

 

 

「無事か? 香織……」

「ハジメ君!」

 

 そこにはシュラーゲン改を構えたハジメの姿。見れば周りのメンバーは全員、香織を守る体勢に入っている。

 

 

 香織はそっとハジメの表情を伺う。そこには、撤退するしかないと悲壮な決意を固めていたハジメの顔ではなく、ぎらぎらとした戦意を隠そうともしない獰猛な、今のハジメにはよく似合う表情をしていた。

 

「香織……俺はお前がなんで神秘とかに詳しいのかは知らない。それを無理に聞くつもりもない。だけどな、今の攻防で確信した。……本当に勝算はあるんだな!」

 

 蓮弥達の激しい攻撃にさらされてなお、敵意も殺意もなく、せいぜい羽虫を払う程度の動きしかせず、蓮弥達など眼中に無しとの態度を改めなかった悪食が、香織の悪食の総体からしたら砂粒と言っていい魔力弾に対しては、敏感に反応して迎撃を行い、それに対して敵意を持って魔力弾を放った香織に反撃してきたのだ。

 

 

 その行動は皮肉にも、香織の魔法の効果に半信半疑だった仲間に対して、香織の魔法が悪食にとって非常に都合が悪いものであることを証明した。

 

 

 蓮弥、ユナ、雫、ハジメ、ユエ、シア、ティオ。

 

 

 ここにいるメンバー全員の顔に精気が戻る。紅い海に漂う濃密な霧の中で、ついに待望の一筋の光を見つけたのだ。

 

「俺達はこれから全力で香織を援護する。香織は俺達を信じて自分の成すべきことをやってくれたらいい。……約束は必ず守る」

「……! うん!」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 悪食は本能のようなもので悟っていた。詳細はわからないが、なにやら人間の中に自身を脅かす行動を取ってくる個体がいることに気付いたのだ。思わず反射的に対応してしまったが仕方のないことだ。かつて悪食が数万年前に取るに足らないと思っていた光の使徒から受けた屈辱の再来などいらないのだ。身の程を弁えない矮小な人類に絶望を与えるため容赦なく、奇跡の立ち入る要素のない圧倒的な力で押し潰す。

 

 

 香織は思う。自分は一人じゃない。彼らがいる限り、自分は何度でも限界を超えられるのだと。そして彼らと共に、必ず明日を迎えると決意を固める。既に役目を終えてなお、傲慢に世界を支配しようとする古き神の脅威に対して、明日への希望を繋ぐため、魔女より継承した魔術の奥義でもって神殺しを成す。

 

 

 

 

 再びこの世界の秩序に戻るために──

 

 

 仲間達と再び明日を迎えるために──

 

 

 

 

 古代の神秘と現代の魔女が明確に敵意を持って相対する。

 

 

 よってそれを境に、今宵最後の戦いとなる舞台が今、切って落とされた。

 




悪食戦最終ラウンド開始。今回の主役は香織です。

ちなみに香織は一般女子高生(魔女見習い)、対する悪食は現在全長約二千メートルまで膨張した化物。これを映像化すると中々シュールになりそうだが、八命陣の栄光&野枝VS全力の百鬼空亡戦もこんな感じだったんだろうなと思います。

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