何とかピークを無事に乗り越えることができました。本作を読んでくださっている読者の皆様も無事であることを祈ります。
悪食の時に書いたように、大自然相手にできることはできるだけ備えて、畏怖を抱きながら静かに、無事に通りすぎることを祈るくらいしかないと改めて実感しました。大自然の脅威に真正面から喧嘩売るのはやっぱりおかしいんですよね。
というわけでデート雫編を投稿します。
蓮弥は再びアンカジの中心にある広場で今度は雫を待っていた。予定の都合上、今日しか空いていないことが分かった時、ユナと雫は午前午後で分けるのはどうかと蓮弥に提案してきた。それでいいのかと聞いたら、その分頑張ってほしいと返されてしまった。
だからこそ、蓮弥は本日二回目のデートを張り切って頑張らなくてはならない。
ユナの置き土産の余韻が去り、雫の到着を待つ蓮弥。朝来た時とは違い、この町の住人だけでなく観光客らしき人物も見え始めた。元々アンカジは果物や魚介類の貿易だけでなくその美しい街並みから観光業も盛んなのだ。色々あったアンカジ周辺だったが、そんな不安要素も他所に、人の流れは戻りつつあるようだ。
「お待たせ、蓮弥」
そうこうしているうちに待ち人である雫が到着した。蓮弥はそこで面を上げる。
そこにはいつもとは違う姿をした雫が一人佇んでいた。
薄ピンクのブラウスに紺色のプリッツミニスカート。足元に黒のレギンスを着ることにより足のラインを確保すると共に、どちらかというと夏に近いこの地方の紫外線対策を行っている。それも中々に珍しい姿ではあるのだが、やはり一番違うところがあると言えば……
「今日は髪……降ろしてるんだな」
いつもは剣道の邪魔になるという理由で大体ポニーテールで纏められている髪が落とされてストレートになっている。普段から髪質に気を付けていなければこうはいかないと言わんばかりの烏の濡れ羽色の腰まで届く長い髪は、これこそ大和撫子という雰囲気を醸し出している。
「その……似合わないかしら。たまには髪型を変えてみろって香織がうるさいからやってみたんだけど」
実はポニーテール以外を見せることを滅多にない雫は少し落ち着かなさそうだ。
「いや、似合ってるぞ。普段より落ち着いているように見える」
「ありがとう。けどそれって普段は落ち着いてないように見えてるってこと?」
「そうじゃない。雫は髪質がいいんだから普段から色々試さないのはもったいないと常々思ってたんだ。機会があったら弄らせてくれよ」
悪戯っぽくそう言ってくる雫に蓮弥は余裕を持って返答する。
普段から妹の長い髪のセットなどを手伝わされているのでそれなりに女性の髪の扱いはわかっているつもりだ。結構セクハラにあたる発言かもしれないが、もう問題ない。
なぜなら先日、蓮弥と雫はそういうことが割と許される念願の恋人同士になれたのだから。
「じゃあ、残り半日お任せするわね。……わざわざ一日を二人で分けたんだからその分、楽しませてもらえるんでしょうね?」
「ああ、雫が確実に喜びそうな場所を巡れるように考えてあるよ。だからまずは……」
蓮弥は雫に近づいていき、そっと手を握った。
手を握った瞬間、雫が緊張したのが伝わってくる。
手を握るという行為。これも幼馴染同士では中々やらなかった行為の一つなのだ。
その赤くなった雫の顔はとても魅力的で、いつもは女性の視線を引き寄せやすい雫も今日ばかりは男の視線を釘付けにしていた。そして蓮弥に殺気混じりの視線が飛んでくるようになる。どうやらついさっきまで蓮弥がユナという他の美少女とデートしてたことを知っている人間らしい。
とてもじゃないがここでデートはできないだろうということを想定していた蓮弥は事前に決めていた行動に移す。
「
雫の手をしっかり握り、蓮弥は空間転移の聖術を発動させる。雫とのデートスポットはアンカジ公国ではない。つい先日立ち去ったばかりのエリセンだ。
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海上都市エリセンに舞い戻ってきた蓮弥と雫。
だがハジメ達一行と過ごしたレミア邸がある場所とは離れた場所に転移した。もちろんいなくなったはずの蓮弥とミュウが万が一にも接触するのを防ぐためという意味もあるが、この場所自体に目当てのものがあるという理由だ。
エリセンは海上に浮かぶ本島と、西の海に沿って作られた大陸との貿易港で構成される場所だが、当然その広さは中々の物がある。蓮弥達一行がずっと滞在していたのは、所謂貿易と観光用のビーチなどで賑わう場所の近くの区画であり、エリセンの一部でしかない。
今回蓮弥達が訪れたのは、岩礁が多く、海水浴には向かないスポット。普段なら人はあまりいない場所なのだが、今日から約1週間に限り、人が訪れるようになる場所でもある。蓮弥はそこに建てられていた入場ゲートらしきもので係員に事前に用意したチケットを提示し、その奥に進んでいく。
「エリセンにこんな場所があったのね。知らなかったわ」
「実は例の魔物の大群を退治するためにエリセン中を移動していた時に聞いた場所なんだ」
「何があるの? 意外と人が多いみたいだけど」
「それは……おっと、着いたみたいだ」
蓮弥が立ち止まると既にそこにはそれなりの数の人だかりができてきた。彼らも蓮弥達と同じ目的なのだろう。明らかにカップルと思わしき人達もちらちら見える。雫は内心、自分と蓮弥も客観的に見たらカップルに見えてるんだろうなと思い、蓮弥と自分が勘違いでもなんでもなく、そういう関係になったことを再認識して顔を赤くする。
「皆様お待たせしました。太陽が昇り切りましたので、『海底神殿』の解放を行います」
そういってそこにいた担当者らしき人物が何やら首飾りらしきアーティファクトを空に掲げる。
変化はすぐに現れた。掲げた首飾りが太陽光を吸収し、光を放ちだしたのだ。その光景は、太陽光と月光という違いはあるものの、つい最近見たメルジーネ大迷宮に入る際に起きた現象に類似していた。
限界まで光が溜まった首飾りのアーティファクトを、岩の一部に埋め込まれている宝石らしきものにかざす。そしてすぐに光が宝石に吸収されるとそれは起こった。
目の前に広がっていた一部の海の水位が下がっていく。まるでその一帯だけ水が裂けるようにして広がる現象は規模こそ違うものの、海を割った蓮弥の所業に近いとも言えなくはない。
「では皆様。これよりエリセンの名所の一つ。『海底神殿』への観光ツアーを開催いたします」
すっかり現れた入口に、集まった人達が次々に入っていく。その流れに蓮弥と雫も乗っていく。
「海底神殿? それが今から行くところなの?」
「ああ、水中を自由自在に泳げる海人族以外は今この時期にしか入れない場所らしくてな。エリセンをあっちこっち移動している際にその話を聞いて一度行ってみたいと思ってたんだよ」
魔物の大発生や、大災害襲撃で今年の開催は危ぶまれるかもしれないと現地の人達は言っていたが、どうやら無事に開催にこぎつけたらしい。
『では皆様。神殿に到着前にまずは簡単な説明を。海底神殿とはエヒト神が来訪する前にいたとされる神を祀るために作られたという神域の一つになります。ではどのような役割があったのかとい言いますと……』
音声拡張アーティファクトによる係員の説明が入る。要約すると、海底神殿は普段の感謝と祈りを神にささげる場所であり、失われた神の加護が残っている場所なのだと言う。そのためか深海に存在するにも関わらず魔物を寄せ付けない構造になっているのだという話だった。
「ねぇ、蓮弥。……もしかして海底神殿で祀られてた神って……」
「……もしかしたら悪食のことかもしれないな」
リーさんはかつて悪食は海の神だと言っていた。なら元々海底神殿はその神だったころの悪食を祀るためのものだったのかもしれない。
『では海底神殿にたどり着く前に海底の楽園の光景をご覧ください』
地下をずっと神山から降りる際にも使ったようなエスカレータで降りていたが、どうやらそれも終わりのようだ。光の指す出口に皆が向かう。それに連なるように出口から出た蓮弥達が見た光景は……
「わぁぁぁ、すごい~」
「これは……話に聞いた以上だな」
蓮弥達は海底神殿に向かうために作られた透明の海底トンネルの中にいるわけだが、そこに広がっていたのは絶景だった。
海底にくるのは初めてではない。ハジメの作成した潜水艇にて訪れたことがあるのだが、その際は夜だったので薄暗い不気味な場所でしかなかった。
だが今、眼前に広がっている光景を見れば、その印象は百八十度変わるだろう。それなりの時間をエスカレータで下っていた為、深い海底に位置しているはずなのだが、どういう仕組みか海底に太陽の光が直接届けられているらしく、地上と同じくらいの明るさを保っている。
そこで泳ぐ色とりどりの魚を始めとする海の生物、海底を彩る宝石珊瑚の集まり。それらが太陽の光を受けて輝き、その場所を極上の海底水族館へと変えている。蓮弥や雫以外にも初めて来て感動しているもの、経験者らしき人も再びこの光景を見れて感無量だと震えているようだ。
「すごいすごい。蓮弥、あれ見て可愛い~」
普段のクールな苦労人の仮面を脱ぎ捨て童心に帰って楽しんでいる雫。雫の見る方向にはイルカの親子が悠々と海中を泳いでいる。
「あんまりはしゃぐなよ、はぐれるぞ。……ほら」
「あっ……うん」
はぐれないようにそっと差し出された蓮弥の手を、少し赤くなりながら握り返す雫。指先だけの遠慮がちな手の結び方だが、それでもしっかり握っている。
『皆様いかがでしょうか。この海底トンネルには太古の魔法がかけられており深海にも関わらずこの絶景を見ることができるようになっております。この光景は年に一週間。この場所でしか見れません』
この景色を見ただけでここに来る価値はあったと蓮弥は思う。当たりまえのように人気スポットなのでチケットなども普通今の時期から取れるものではないらしいが、そこはエリセンを救った英雄という身分をフルに活用した。流石にハジメ達の分を用意することはできなかったのでハジメにはこの場所の存在すらも話してはいない。エリセンを住民の混乱を収めるためや、魔物退治のために上下に移動したからこそ手に入れた情報でもある。ユエとのデートに使いたければ自力で見つけることだと蓮弥は内心ほくそ笑んでいた。
海底水族館を楽しみつつ蓮弥と雫は先を進む。場所ごとに住んでいる生物が違うので見ていて飽きることがない。それでいて神の加護とやらのおかげか、魔物のような悪性生物は微塵も見られない。ひょっとしたら海の生き物にとってもここは安息の地なのかもしれない。
約一時間かけてようやく海底神殿に到達する。海底神殿の中は今までの雰囲気とは一転して、その時代に存在した神器などが収められた博物館みたいな場所になっていた。
はるか昔に神と交信を試みている人間の姿が描かれた壁画やそれらの祭事の道具。もしくは時代は大きく近代に寄り──それでも数千年前と記録が定かではない時代だが──かつて存在したとされている伝説の浮遊島、海上都市アンディカやそこに現れた神獣についてのエピソードなどが描かれていた。アンディカに現れた災害である神獣を討伐した英雄達の情報が明らかに意図的に消されているのが気になるが、ここで西の大陸で起こった出来事がわかるようにできている。
「蓮弥、見てて面白い?」
「ああ、これでも考古学者の父さんの息子だからな。こういうのは結構好きなんだよ」
藤澤蓮弥が前世の最期の記憶を取り戻す以前、蓮弥の父である藤澤敦はフィールドワークなどから帰ってきた際にはいつも土産と現地での話を蓮弥に聞かせていた。未だになぜ存在するのかわからないオーパーツや、その当時住んでいた人達の文化。わかりやすい答えを得られることは少ないけど、とても浪漫のある父親の話をかつての蓮弥は目を輝かせて聞いていたものだ。もし……もし藤澤蓮弥に前世の記憶などなかったら、ひょっとしたら父親と同じように過去という浪漫を追い求める人間になっていたかもしれない。
「そうだな、例えば俺達にも関係ある話といえば……アレだな」
そして蓮弥は一枚の壁画の方を指差す。そこには大波と人々との間に魚が存在してなにやら会話しているらしき光景。
「この間にいる魚って……まさか!?」
「ああ、多分リーさんの先祖だろうな。どうやらこれを読む限り、リーさんの一族はかつて、神と人をつなぐ神獣の一種として扱われていたらしい」
現代では魔物という区分でありながら、念話を使うことでコミュニーケーションが取れたり、以外にも高い知性を持っているのは神獣の末裔だからだろうか。
「そう考えると私達って本当に神を倒しちゃったわけなのよね。……あの時はそうするしかなかったけど本当に良かったのかしら」
雫の考えていることはわかる。封印されていたとはいえアレは神の一柱。その存在を滅ぼしてしまったことで、何か海の生態系に悪影響が出るかもしれない。
たが、蓮弥はさほど悲観してはいなかった。
悪食戦が終わり、香織が目覚めた後、海の安全がある程度保証されると、リーさんは海へと帰っていった。口では何と言おうと何だかんだ奥さんと子供達が心配なのだろう。そしてそこで神を滅ぼした張本人である香織が雫が抱いた懸念をリーさんにぶつけたのだ。
その問いに対してリーさんは……
『心配することはねぇよ、香織の嬢ちゃん。……たしかに遥か大昔、悪食が封印されてから数百年の間は海が荒れていた時代があったらしい。陸で生活すればいい人間とは違って海の生き物である俺達には過酷な状況もあって、残念ながらいなくなっちまった奴らもいると聞く』
だが、と、話を続けるリーさん。
『それでも俺達は長い時間をかけて今の環境に適応し、生きのびてここまで来たんだ。だから言っちゃあなんだが、海の神様なんて今更俺達には必要なかったのさ。それがあいつには耐えられなかったみたいだがな。……なんのことはない、神なんていなくても世界は回っていくものなんだよ』
最後まで、カッコいいセリフを吐き、ハジメと再会の約束をしつつリーさんは海に戻っていった。
「神獣の末裔が去り際に言ってただろ、深く考えなくても大丈夫だよ」
「それもそうね」
神なんていなくても世界は回る。海の生物はとっくに神様の影響を脱している。果たしてこの世界の人間が神から脱するのはいつになるのか。おそらくそう遠くない未来の筈だ。
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海底神殿をさらに進むとステージ上に例の動く紙芝居が上映されるところだった。せっかくだし蓮弥と雫は見学していくことにする。
そして紙芝居は、始まった。
この話はこの地に降り立った女神の話。
時代によって島が一夜で現れたり、紅い海に飲まれて国が消えるなどの恐ろしい伝説があるこのエリセンの地だが、近代においては大した災害もなく平和にやってきたのだ。だがその事情は突如変わる。海より飛来した太古の怪物が蘇り、人間達の住まう大地を奪い取ろうと襲いかかってきたのだ。
誰もが絶望した。紅き海からやってくる怪物は強力無比。このまま紅い海に全てを飲み込まれるかと思ったその時。
地上に星の女神が現れたのだ。
光を集め、星を創造した女神はその奇跡の力で持って怪物を追い払い。この地を救った。
だが、そこで女神は全ての力を使い果たしてしまう。
そしてこのままこの女神は役目を終えて消えてしまうかと思われたその時、女神の剣である白髪眼帯の錬成騎士が愛の口づけを交わしたのだ。
そしてその騎士の愛は通じ、女神は奇跡の復活を遂げる。
そして、これからも星の女神とその恋人である最強イケメン白髪眼帯の錬成騎士と女神の親友である最強の女剣士とその恋人、そしてついでに錬成騎士の追っかけである金髪ロリ少女Yとその仲間達での世界を救う旅は再び始まるのだ。
イラストがSE付きでキレッキレに動くのでその時の迫力が直接伝わってくるようだ。女神様が星を創造し、太古の怪物に撃ち出すシーンなどはアニメ化する必要がないくらいの迫力があった。そして天空からレーザービームを降らせた錬成騎士は相変わらず子供達に大人気だ。
「……」
「……」
場が、女神様への万歳三唱になりつつある空間で蓮弥と雫は無言だった。
「なあ……白崎の奴、なんか凄いことになってるな」
「……あの時のエリセンにフューレンで有名な劇作家がいたらしくてね。……今は紙芝居だけど近いうちに舞台化するらしいわよ」
もし、エリセンのあの場にそういう関係の人間がいればたしかに題材にしたくなるだろう。それほどまでに物語として完成されていた。だが……
「なんというか配役に悪意を感じないか。やたらと女神と錬成騎士の恋愛関係がクローズアップされている反面、金髪ロリの魔法使いが完全にモブ役なんだが」
雫によく似た人物と自分によく似た人物はそれなりに出番があったが、他のメンバーはほとんど出番はなかった。ほとんど女神と錬成騎士ばかりである。
「私達がエリセンの出発準備をしている間に香織はエリセンの住民に囲まれてたでしょう。……多分その時、劇作家の人と出会って色々吹き込んだんだと思う」
「……」
「……そろそろ行きましょうか」
「そうだな」
なんとなくアンカジ方向で修羅場空間が発生しそうな気がするが全力で無視する。きっと最強無敵の白髪眼帯の錬成騎士がなんとかするに違いない。
さて、気を取り直して先へと進むために蓮弥と雫は海底神殿の外に向かう。
「外に出ちゃうの?」
「ああ、この先に雫が必ず気に入るものがあるからな」
「あら、それは楽しみね。なら期待させてもらおうかしら」
と余裕癪癪の雫。蓮弥も自信ありげににやりと笑う。
『ハイ皆さんご注目ください。今この辺りに寝そべっているのは希少海獣である海うさぎです。普段、彼らは人目に付かない場所に生息しているのですが、このシーズンは彼らの繁殖期でもあり、子育ての時期にこの辺りにのみ生える魔法苔を赤子に食べさせるために人の前に現れます。今日はこの子たちと存分に触れ合っていただきます』
アザラシとうさぎを足して割ったようなもこもこした毛に覆われた生物が寝そべっている。約二メートルくらいの個体はおそらく親なのだろう。ここらあたりは海底でありながらよく陽が当たる場所であるらしく、陽の光を浴びて気持ちよさそうに寝そべっていた。それだけでも十分愛嬌があるが、やはり本命はこちらだろう。
それは一回り小さい白いもこもこだった。大きさにして約三十センチ、流線形の身体に短い手足をばたばたさせながら、親うさぎの周りを耳をぴょんぴょん跳ねさせながら元気に転がっている海うさぎの赤ちゃんだった。短くキュと泣きながらつぶらな瞳を向けられると、それだけでたいして興味のない人間でも思わず足を止めてしまうだろう。
なら可愛いものと小動物が好きな雫はどうなるのかというと……
「かわわわわわわわわ!!」
見事に言語野がバグっていた。
先程の余裕もどこへやら。今の雫は目の中にハートを携え、口をだらしなく開きながらよちよち這い回る海うさぎの子供の愛らしさに完全に夢中になっている。正直多少予想していたとはいえ、いざ実物を見た雫の反応は想像以上だった。
だが、その異様? な気配を察知したのか雫の一番近くにいた海うさぎの子供がさっと係員の人の足に隠れる。
見るも愛らしい小動物に距離を取られた雫はそれだけで背景にガ──ンという言葉が出てくるぐらいショックを受ける。
「れ、れんやぁぁ……」
少し涙目になりながら近づこうにも近づけない、どうしようといった情けない態度を蓮弥に向けてくる雫を見て、これはソウルシスターズの目を覚まさせる効果があるに違いないと思う。……余計に盛り上がる可能性もあるかもしれないが。
「ちょっと落ち着け、雫。今のお前正直少し怖いからな。もう少し係員の人に話を聞きながら接しろよ」
だが係員の海人族の女性はたいして気を悪くすることなく足元の海うさぎの子供を抱え笑顔で雫の元に寄ってくる。その対応からしてどうやら雫みたいな人は結構いるらしい。
「ふふふ、大丈夫ですよ。この子は最初こそ警戒しますが、一度懐き始めるとすぐに仲良くなれるので。そういうわけで、はいこれ。この子の大好物のエサ玉です」
雫は薄緑に光る粒を受け取り海うさぎの子供に恐る恐る差し出す。最初こそ警戒していた海うさぎだったが、エサの匂いを嗅いで雫の目をジッと見つめた後、雫の手のエサを口にする。
「キュッ」
「はわわわわわ!!」
嬉しそうに一鳴きする子ウサギに雫がまたあわあわしだす。
「抱いてみますか?」
「いいんですか!?」
「はい、もちろん。優しく抱いてあげてくださいね」
そういって腕の中に納まるくらいのサイズの子ウサギを雫にそっと渡す係員さん。雫は震えながらもそっと白いもこもこを受け取り腕の中で抱える。どうやら警戒する必要はないと感じたらしい海うさぎは気持ちよさそうに目を細めながらぐてーと雫の腕の中で伸びる。
「か、か、か、可愛いぃぃぃぃぃ!!」
雫は完全に恋人である蓮弥をほっといて腕の中の海うさぎの子供に夢中になってしまった。そうなってくると蓮弥が手持ち無沙汰になってしまう。なので蓮弥は雫を微笑ましく見守っている係員さんと話をすることにする。
「そんなにこいつらって希少なんですか?」
「はい、この子たちの数が少ないことももちろんですが。この子たちだけが運んでくる希少貝『虹色の貝殻』が大変珍しい代物でして。だからこそ、この子達を狙う密猟者などが後を絶たないのですが」
もちろんこの子たちへの警戒は万全ですと話す係員さん。どうやら結構苦労している生物らしい。日向でぐてーと倒れている姿からは想像できないが。
それから蓮弥と雫は、閉館時間になるまで各々この海底神殿を楽しんだのであった。
「あの子……うちの子にほしかったな……」
「まだ言ってるのか、あいつらは希少動物だから無理だってわかってるだろ」
「わかってるけど可愛いんだもの、セイちゃん」
「名前まで付けてるのかよ」
雫の抱えていた海うさぎの子供の額には小さく星型のあざがあったので勝手に星(セイ)ちゃんと名付けたらしい。ギリギリのギリギリまで手放さなかったあたり相当気に入ったらしい。
「だったら、ほら」
「むぐっ、なによ急に押し付けて……これ!」
「どうやら雫みたいなやつは、結構一杯いるらしくてな。当然こういうものも売ってたりするということだ。代わりにはならないかもしれないけど、貰っとけ」
蓮弥が手渡したのは海うさぎの子供のぬいぐるみだった。元々モデルがぬいぐるみに近いので再現度は非常に高い。
「わぁぁ、この子も可愛い。ありがとう、蓮弥」
ぎゅっと抱きしめてご満悦な雫を見て、蓮弥も満足する。
~~~~~~~~~~~
海底神殿から地上に帰還した後、夕暮れの海辺を蓮弥と雫は静かに歩いていた。周りには誰もいない。穏やかな波の音だけが響き渡っている。
そろそろころ合いかと蓮弥は思う。今日どうしても雫に話したいことがあったのだ。
「なあ、雫。ちょっといいか」
「なあに、蓮弥。そんなに改まって」
「……今までお前にずっと話せなかった俺のことを話そうと思ってる」
雫の目が真剣なものに変わる。どうやら軽い話ではないと悟ってくれたらしい。
そう、蓮弥は決めていた。今日、雫に自分の全てを話すことを。
「異世界転移までしてなお信じられない話もあるかもしれないが。今から俺が話すことがいままでお前に言えなかった俺の真実だ……俺には、前世の記憶がある」
そこから始まった藤澤蓮弥のストーリー。
前世の記憶が小学校時代に蘇ったこと。
前世の最期にて行われたご都合主義の女神による悲惨な拷問と実験。
その果てに十七歳の誕生日に強制的に目覚めさせられる特殊な力を押し付けられたこと。
だが押し付けられた力は、強大な力と引き換えに慢性的な殺人衝動に駆られることになる危険な力であり、現代日本を生きる上では全く必要のない力だったこと。
習得に失敗すればよくて即死。仮に習得しても自分は殺人鬼になる運命を背負わされている。そのため中学生時代に少しでも力が目覚めた時に制御できるようにと自分なりに抵抗していたこと。
雫の想いには気づいていたが、いずれ殺人鬼になり、非日常を生きることになる自分の側にいさせるわけにはいかないから気づかないふりをしていたこと。
そして十七歳の誕生日前日にトータスに飛ばされ、奈落の底で力に目覚めたこと。そして出会ったユナによって殺人衝動の問題については解決したこと。
そして最後に、自分をこの世界に送った女神にとって、おそらく自分達がトータスに飛ばされることも想定の内であり、今も自分を遥か高みから見下ろして観察していることも。
雫はその話を静かに聞いてくれた。途中で質問したいこともあっただろうがそれでも蓮弥に最後まで語ることを許してくれた。
「女神メアリー・スー。……それが蓮弥の……真の敵なのね」
「ああ、きっと今も俺をどこかで観察してる。時々奴らしき気配を感じることがあったからな。……おそらく、いや確実にメアリーという女神はエヒトなんかとは格とか次元が違う超常存在だ。もし俺がそいつに遭遇する時が来たら……きっと想像を絶するスケールの話になると思う。それでも……」
「私はついていくわ。もう決めてるから。例え相手が宇宙を支配する神様だろうと、蓮弥と最後まで一緒にいるって」
ついてきてくれるか? と聞く前に返事を返してくれる雫。
「……俺とユナが出会ったのはおそらくメアリーに仕組まれたものだろう。奴の狙いはまだわからないが、俺が高みに至るためにはユナが必要なのは間違いない。だけどな、俺にとってお前は帰る場所であり、ありふれた日常の象徴なんだ。だからいてもらわなきゃ困る。……好きだよ、雫。これからもずっと、俺の側にいてほしい」
「……はい」
笑顔で見つめ合う蓮弥と雫。ここで次のステップに進んでもいいのだが、蓮弥としては少し物足りない。
「それで、お前の返事はどうなんだ?」
「えっ?」
「えっ、じゃなくてだな。俺はずっと気持ちを伝えてるのに、お前からは一度も聞いたことがないと思ってな」
「なっ! えーと……一度言わなかったかしら」
「あの告白詠唱のことを言ってるのならノーカンな。あいにく俺は平安貴族じゃないから直接聞きたい」
急に顔を赤くした雫はうーとうなりながら気持ちを整えるために悶えていたがやがて蓮弥の正面を向く。
「……もちろん好きよ。好き、大好き。私は蓮弥のことが大好きッ!」
笑顔でそう告げる雫の両肩にそっと手を置く蓮弥。
時刻は夕暮れ、周りには人影はいない。
優しい波の音だけが静かに響いている。エメラルドグリーンの海が淡い夕焼けに照らされて得も言われぬ美しさを醸し出す。
蓮弥はしばらく雫の目をジッと見つめる。最初は急にどうしたのかと思っていた雫も三十秒ほど見つめ合っている内に察したのか、自分より背の高い蓮弥に合わせるようにそっと上を向き目を閉じる。
ここまで来たら後はすることは一つである。
美しい夕日に照らされながら、二人の影が近づいていき……やがて一つになる。
触れるだけの優しいキス。今時小学生でもやっているだろうが、二人にとってその行為は──
永遠の誓いに近いものだった。
~~~~~~~~~~~~~~~
さて、どうしたものかと蓮弥は雫と共に本格シーフードを出す店で夕食を終えた後、考えていた。
何を悩んでいるかというと……この後の予定である。
蓮弥としてはいくつかパターンを考えて計画を立てていた。もし不慮のアクシデントで海底神殿で何らかの理由で封印されていた何らかの怪物が復活し、それを倒すことになったとしてもデートを実行できるように考えていたのだ。今までの道中を考えると全然あり得る話だった。
だが蓮弥の懸念も他所に、今のところトラブルもなく順調にデートは進んでいる。だからこそ思うのだ。
もちろん蓮弥としては歓迎以外の何物でもないし、そうなった時の段取りも決めてあるのだが……雫の様子が心配だった。
食事中も雫は明らかに上の空だった。一応声を掛けたら返事を返すので完全に別世界にいっているわけではないらしいが、意識の大部分が明らかに先ほどの行為に割かれているのは一目瞭然だった。
キス一つでこの反応。いや、ひょっとしたら蓮弥が思っている以上に雫の心がいっぱいいっぱいである可能性もある。
そんな中、さらにもう一歩関係を進めるのは雫の限界を超えるのではないか。その心配をさっきからしている。
そんなことを考えていたからか、夜の海辺を蓮弥の前で歩いていた雫が突然止まる。
「どうした、雫」
「蓮弥……何か聞こえない?」
そういわれて耳を澄ませてみると特におかしい音は聞こえない。
「いや、特には」
「いや、確かに聞こえる。これは……セイちゃん!?」
「雫?」
雫の反応を受けた後、確かに蓮弥の耳にも動物の鳴き声──蓮弥にはセイちゃんかどうかはわからなかった──らしきものが届く。
「あ、あのすみません。あなた達は凄腕の冒険者なんですよね!?」
どいういうことかと思っていると、蓮弥と雫の元に海底神殿で会った係員の海人族のお姉さんが血相を変えてこちらに走り寄ってくる。
「……何かあったんですか?」
「はい! 実は……」
話を聞くと、海底神殿の封鎖と共に、海うさぎの群れを巣穴まで警護している最中に襲撃に合ったのだという。彼女達も応戦したが敵はそれなりの数の武装した海賊たちであり、懸命に戦ったものの一匹の海うさぎの子供を誘拐されてしまったのだと言う。海うさぎは珍しい動物であり、その愛らしさから富裕層では保護動物であるにも関わらず極秘に高値で取引されているという。もしかしたら最近フューレンの闇からあぶれた新しい暗部の組織かもしれないということ。
蓮弥は話を聞いていたが、雫は目を閉じて全神経を探索に費やしていた。その集中力は大迷宮攻略の時や神の使徒と戦った時に匹敵する。
「見つけた……よくも……絶対に許さない!!」
確信を持つや否や、足元の砂浜を爆発させながら海の方角に文字通り弾け飛んで行った雫。
「ちょ!? あんたはこの町にいる保安官に連絡を。俺達は賊を追いかけるから」
「はい、お気をつけて」
蓮弥は全力で雫を追いかける。だが、創造時ならともかく、形成時なら蓮弥と雫ではさほど敏捷に差はない。
あの切れ具合、滅多なことをしなければいいが。
蓮弥は滅多なことが起こらないことを祈りながら雫を全力で追いかけていた。
~~~~~~~~~~~~~~~
結論から語ると、海うさぎの子供をさらった海賊らしき集団は、水上を走りながら怒りに燃える雫によって、ガレオン船を真っ二つに斬られたことをきっかけにほんの数分で壊滅することになった。蓮弥が駆け付けたころには船の残骸に気絶した海賊たちが引っかけられぷかぷか浮かんでいるところだった。どうやら殺さなかったらしいと安堵した蓮弥だったが、後々無事でなかったことを知る。
後に知ったことだが、奴らはフューレンでハジメが壊滅させたフリートホーフの後釜を狙う裏組織の一つだったらしい。そして勢力拡大の資金集めのために、希少価値が高い海うさぎの子供を攫い、それをフューレンで売りさばこうと意気揚々としている中。雫に見つかりあっさり壊滅したというわけだ。
雫は命こそ取らなかったが、雫のお気に入りを狙って無事に済むはずもなく、彼らは雫に眠るたびに苦痛も含めて現実と遜色ない悪夢の中で全身を切り刻まれるという呪いをかけられた。罪を自白すれば夢の内容は軽くなるらしく、数日もすれば繰り返し見る悪夢に耐えられなくなった彼らにより裏組織の情報は暴露され、無事フューレンに生まれつつあった新たな闇は生まれる前に終焉を迎えることになった。
そして雫と共に海うさぎの子供を親元に返すことになった。
「じゃあ、元気でね。こんどこそ捕まらないようにおまじないをかけてあげる」
どうやら海うさぎの子供に守護の夢をかけたらしい。そこまでするほど気に入っていたということか。
そしてそれを見てお礼のつもりかはわからないが、親うさぎから蓮弥と雫に一つずつあるものを渡される。
虹色の貝殻。この地方の至宝の一つとも言われている代物らしい。
それを受け取った蓮弥達は、特に雫が名残惜しそうにしつつも別れを告げたのであった。
(結局、今日はここまでだろうな)
最後の最後でアクシデントが起きてしまった。事情聴取に付き合ったせいで、夜もすっかり遅くなってしまい、今更デートの続きをする雰囲気は戻らないということがわかってしまう。
(まあ、最低限のノルマは達成したと思うし、雫とはゆっくり進めていくほうが合ってるかもな)
「……とりあえず、今日はもう戻るか」
「……そうね」
色々思うことはあるが、今日は中々いい一日で終わったと締め括る蓮弥だった。
~~~~~~~~~~~~~~~
(やっぱり……今日はもう終わりよね)
雫は空間転移の術式を用意している蓮弥を見て思う。キスの余韻を全身で甘受しつつも、雫なりに次のことまで考えていたのに最後の最後で邪魔が入ってしまった。あの海賊たちはせいぜいしばらく悪夢にうなされるがいいと思う。
(せっかく準備したんだけどな……勝負下着)
デートの果てにそんなこともあるかと、それなりに期待していた雫はそれ相応の準備を行っていた。途中までいい感じだったので、そのまま最後まで行くかと思っていたのに、ままならないものだ。
少し惜しいとは思うが仕方ない。少なくとも確実に関係は一歩前進したのだ。今日のところはそれで良しとしよう。
それに蓮弥の深い話を聞くことができた。ずっと気になっていた、ずっと話してほしいと思っていたこと。それを聞けたことが雫にとって最高の収穫だと言えた。
正直、スケールが大きすぎて全貌が掴めない話もあったがそんなものは関係ない。例えそこが宇宙の果てだろうと、蓮弥がいるところならどこにでもいってやる。
空間転移のために蓮弥と手を繋ぎつつ、雫は新ためて今日の口づけの誓いを思い出すのだった。
おまけ
そのころのハジメ一行。
ユエ「おのれぇぇ香織ぃぃぃぃ!!」
香織「おかえりなさい。あれ? どうしたの? 何かあったのかな、かな?」
ユエ「……知らないとは言わせない」
香織「うーん、何のことかな〜。あっ、ハジメ君。聞いて聞いて、実は私達のこの地での冒険が舞台になるらしいよ。……ちょっと恥ずかしいけど、どうせやるなら素敵な舞台になるといいね」
ハジメ「オ、オウ、ソウダナ」
ハジメ、この時自分がモデルらしき紙芝居の登場人物のあまりのオサレ度にあれが舞台となって晒されるのかと思い、少し精神的ダメージを受けている
ユエ「それだぁぁあ!! よくも私をただの錬成騎士の追っかけという名のモブキャラにしてくれたな、香織ぃぃ!!」
香織「やだなぁ、あくまで(今のところは)フィクションだよぉ(にっこり)。それとも見た目通り、そんなことも許容できないほど器が小さくて貧相なのかな、かな?」
香織、全力で煽る。
ユエ「……いいだろう、香織。ここで決着をつけてくれる。表に出ろやぁぁ(雷龍を背負いながら挑発)」
香織「上等だよ。今の私に魔法戦を挑むということが、どういうことなのかを教えてあげる(般若さんを背負いながら挑発)」
シア「な、なんか大変なことになってるんですけどハジメさーん。……というかあの紙芝居、私はウサミミが素敵なマスコット扱いされてたんですけどぉ」
ティオ「ご主人様は無駄にキラキラしておったの。妾なんか腕の立つ通りすがりの変態扱いじゃし……おふぅ、香織も妾の扱いを弁えてきとるの。ついでにあの痛気持ちいいマッサージをまたやってもらいたのじゃが(思い出しながらビクンビクン)」
ユエ「雷龍!!」
香織「甘いよユエッ……縛煌鎖からの干渉、そして掌握! そのまま、返すよ!」
ユエ「なっ!! 雷龍をはね返した!? くっ、絶禍! くぅぅぅ……おのれ香織、無駄に器用な真似しやがってぇぇ、こうなったら圧倒的物量で押しつぶしてやるぅぅ!! (魔法陣を大量に仮想領域に展開しながら臨戦態勢)」
香織「上等だよ。悪食戦を得てパワーアップした今の私ならいくらでも干渉できるんだから!! (腕の紋章を光らせながら臨戦態勢)」
ハジメ「うん、これは俺の手には負えないな。そういうわけだからあいつらには悪いけど(通信機を取り出す)……助けてくれぇぇ、八重樫ぃぃぃ!! 俺の女はともかく、お前の親友が色々あれなんだ。お前だけが頼りだから、大至急戻ってきてくれぇぇぇ!!」
その後、デートの余韻を潰されて怒り狂う雫が背負っている迦楼羅によって般若さんと雷龍は共に地に叩き潰されて撃沈。本体である香織、ユエは雫による説教部屋行きになり、香織は虚ろな目でごめんなさいを繰り返し言い続け、ユエは新たなラスボスが現れたとしばらく雫を見るとガクガク震えるようになったのであった。
次回は、ユエシアの修行編、それが終われば第五章後半に入ります。