TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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6月12日日曜日 園崎三億円事件
三億円


 朝を迎える。

 埃っぽい匂いと、天窓から差し込む陽光を疎ましげに思いながら、上田次郎は目覚めた。

 

 

「……もう……朝か」

 

「くが〜……ぐが〜……」

 

「……こいつのイビキのせいで半分しか眠れなかった……」

 

「ふにゅ……乗るぞ累計ランキング……」

 

「夢見てんじゃねぇ」

 

 

 二人がいるのは園崎家の離れ。長らく使っていないそうで所々がボロがかっており、エアコンもなく、ガタガタ煩い扇風機一つで暑さを凌いだ。

 

 

 

 途端に二人を起こしに来た組員が扉をバァンと勢い良く開き、叫ぶ。

 

 

「グッドモォォォォォニィィィイイッ!!」

 

「ふごっ!?」

 

「アメリカァァァアァアァアァアッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三章 園崎三億円事件

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いそいそと身支度を終えると、二人は組員に連れられ、離れから屋敷に移る。食事は客間で振る舞われるそうだ。

 

 

 客間の卓上には白米、ブリの煮付け、シジミの味噌汁、フルーツポンチが二人の分、置かれている。腹ペコの山田は即座に目を輝かせた。

 

 

「いやぁ〜! 豪華な朝食だぁ〜! 園崎さんって素晴らしいお方ですねぇ! ビバ園崎っ! 園崎万歳っ!」

 

「フルーツポンチ……フルーツポンチ……逆から読めば、チン」

 

 

 途端に隣室の襖が開かれる。

 

 

「おはよう、山田さんに上田先生!」

 

 

 入って来たのは、着物姿の魅音だった。

 いつもの格好とのギャップに驚き、二人とも箸を止めてつい見入ってしまった。

 

 

「どうしたんですかその格好?」

 

「印象変わるもんだな……」

 

「そりゃ四六時中着てたら疲れるけど……有事の時ぐらいは次期頭首っぽくしないと」

 

 

 襟元を整えながら、困った笑みを魅音は見せる。

 お金持ちも大変なんだなと他人事に思いながら、山田は再び箸を動かした。

 

 

「魅音さん! カレイの煮付け美味しいです!」

 

「ブリだそれは」

 

 

 味覚が狂っている山田に指摘する上田。

 その間、魅音は綺麗な所作で二人の前に座ると、控えていた組員に朝食を持って来させた。どうやらここで食べるようだ。

 

 山田は白米を掻き込みながら今日の予定を聞く。

 

 

「今日は、私たちは何すれば?」

 

「マナーがクソ過ぎる」

 

「ああ……まぁ、とりあえず私たちの目に付く所にいて貰うってさ。それだけそれだけ」

 

 

 魅音から予定を聞かされ、上田はうんざりしたように顔を顰める。

 

 

「今日も一日監視させられるのか……気が滅入りそうだ」

 

 

 二人を安心させようと、魅音は急いで話を続けた。

 

 

「今日だけだから! 何も問題起きなきゃ良いし、ジオ・ウエキが捕まれば『ケジメ』つけるだけだし」

 

「しかし……監視して幽閉するなら、いっそジオウの方が良かったんじゃないのか?」

 

「それがさぁ……あいつの所在地が分からないんだよ」

 

「所在地が分からない?」

 

 

 顎に手を置き、不思議に思っているような顔付きで魅音は頷く。

 

 

「村にいたのに、気付けばフラ〜っと消えて……で、明くる日に興宮からやって来る。宣言したのが金曜日でしょ? 急いで尾行したかったけど、土曜日には現れなかったし」

 

「気付けば消えるか……もしかしたら村内に隠れ家があるのかもな」

 

「まさか……村の中の情報だったらすぐにウチに来るよ。村にいない事は確かだと思うけど……」

 

 

 土曜日は現れなかったと言った魅音の話に、山田は疑問を抱いた。

 確か昨日、午後に入る前にダム現場前で見たようなと。

 

 

「でも昨日私、ダムの工事現場前で見ましたよ?」

 

「へ? ジオ・ウエキを?」

 

「工事現場から、二人の男女を連れて……」

 

「おかしいな……昨日は一日中、ウチの者に村外への道は全て張り込ませたのに……さては見逃したかぁ?」

 

「デモって様子じゃなかったですけど」

 

「まぁ……ジオ・ウエキ自体、しょっちゅう独りで工事現場に行って、アレコレ交渉するみたいだから。本当がめついってのを取り除いたら良い活動家なのに……」

 

 

 そう言えば彼女の登場からダム建設の遅延や、園崎家との協議の機会が出来たらしい。

 確かにジオ・ウエキは詐欺師らしく、口が上手い印象を受けた。霊能力者と自称したのは、神秘性を与えてダム工事の作業員らにプレッシャーをかける為だろう。

 

 そうなるとなかなかの戦略家だ。故にだからこそ、彼女の意図が読めない。

 村人たちの味方なのか敵なのか、山田でさえも推測がまだ出来なかった。

 

 

 

 色々と考えながら、山田は「そう言えば」と魅音に尋ねる。

 

 

「……あの、お婆様とかは? この家に来てから一度も会ってないんですけど……」

 

「婆っちゃ? あー……婆っちゃってさ余所者嫌いでね。その……二人には会いたくないとかさ……」

 

「こわっ」

 

「いや、本当にごめん! おじさんのブリあげるから!」

 

「いやいや! ぜぇん然気にしてませんから!」

 

 

 貰ったブリをありがたく食べる山田。呆れ果てて上田もツッコむ気力もなかった。

 

 

 

 

 そろそろ朝食を終えようとした時、もう一人部屋に入って来る。

 厳つい顔の相談役、葛西だ。園崎家の雰囲気に慣れて来た二人だが、彼が登場しただけで一気に萎縮してしまう。思わず二人身を寄せ合い、耳打ちし合う。

 

 

「上田さんやっぱあの人、誰か殺してますって……!」

 

「あぁ……血も涙もなさそうな…………待て山田。あれを見ろ」

 

「あれ?」

 

 

 上田が指し示した先を見る。

 そこには葛西の胸ポケットから垂れ下がる、狐か蝙蝠か分からないマスコット「おっきー」のストラップがあった。

 

 

「お、お……おっきー?」

 

「おっきー?……あ、山田さん。これは雛見沢村のマスコット候補『ひっきー』だよ。葛西さんが考えたんだ」

 

「!?」

 

 

 魅音の説明を聞き、二人は一瞬固まった後にゆっくりと葛西へ向き直る。

 彼はどこか誇らしげな表情で、胸ポケットからひっきーを少し引き出して見せ付けていた。

 

 

 

 葛西は部屋に入って襖を閉めてから、魅音の隣に正座し、報告する。

 

 

「……『金庫』が届きました」

 

「あっ! もう届いたんですね!」

 

「金庫? 金庫まで買ったのか?」

 

 

 上田が尋ねると、魅音はチャーミングに笑いながら答えた。

 

 

「そう! 鍵とかも全く新調した金庫! 夜中に忍び込まれたり、合い鍵作られている可能性もあるかもだからねっ!」

 

 

 売られた喧嘩は徹底的に、と言う事かと二人は納得する。

 

 

 

 次にまたもう一人が部屋に入って来た。

 かなり年配の老父で、これまた据わった目をした男だ。

 

 

「葛西さん……三億の移動を始めましょうか」

 

「分かりました、シンさん……それじゃあ魅音さんに……お二人も同行願います」

 

 

 おずおずと山田らは自らを指差す。

 

 

「私たちも行くんですか……?」

 

「無線機の類は持っていないようですし……それに金には触らせる訳ではありませんから」

 

 

 葛西はそう説明をした後に、全員に立つよう促した。

 

 

 

 

 座敷を抜け、葛西らと共に縁側を歩き、三億円の受け渡し場所まで向かう。

 

 

 傍らに見える庭園は、なかなかに見事なものであった。

 松の木と鹿威し、それらに赤く鮮やかな紫陽花が顔を出し、岩に囲まれた小池で緋色の鯉が踊る。

 日本庭園に関して心得のない者であっても、つい見張れてしまうほどの美しさだ。

 

 上田は感に堪えたようで、庭園を見渡しながら手を叩く。途中、梁に頭をぶつけた。

 

 

「いやぁ……実に素晴らしいお庭で!」

 

「頭首にとって憩いの場は家だけ……自分の住む場所は整えておきたいと、庭は特に拘っております」

 

 

 少し進むと、庭で作業をしている造園会社の作業員たちを見つけた。余分な雑草、或いは木の枝や葉を刈ったり切ったりし、それを大きなフゴ袋に入れて回収している。

 彼らを見て魅音が葛西に尋ねた。

 

 

「造園会社の人は見なくて大丈夫ですか?」

 

「彼らは全て顔が割れています。何かあればすぐに住所も控えられますから」

 

 

 枝葉を満載したフゴ袋を台車に乗せ、作業員の一人が屋敷の裏手の方へ駆けた。

 葛西は続ける。

 

 

「それにこれから手入れさせる箇所は、保管場所と真逆の場所ですから」

 

「どこかに金庫置くんですか?」

 

 

 山田の質問にはシンが答えてくれた。

 

 

「見えますか。渡り廊下の先にある蔵が。あそこに保管します」

 

 

 指差す先には、十メートル程度の渡り廊下と繋がった、古びた蔵があった。

 上田はそれを見て、なるほどと頷く。

 

 

「確かにあそこならば裏口もなさそうですし、渡り廊下さえ警備していれば完全に独立する。金庫の運び出しも容易だし、一晩設置しておくのならば絶好の場所ですねぇ」

 

 

 既に屋敷内は警戒体制を敷いているのか、あちらこちらで組員が見張りをしていた。

 彼らとすれ違う度に、山田は「貧乳貧乳」と言われて睨まれる。勿論だが、彼女の方からも睨み返した。

 

 

 

 

 

 更に縁側を進み、内廊下に入る。

 そこから道なりに進むと、受け渡し場所と思われる待合室に入れられた。

 

 

 黒く、固そうなソファに、ガラス製のテーブル。およそ任侠映画でしか見た事ない光景に、山田は感嘆する。

 

 

「おぉ……!『アウトレイジ』で見た奴だ!」

 

 

 ソファには組員らしい二人と、机を挟んで向かい合わせに、系列店の従業員らしき人物が三人。端に座り、煙草を燻らせるホステス風の者だけが女だった。彼女は葛西らに気付くと、急いで灰皿にタバコを突っ込んで火を消す。

 

 

 テーブルには大きなジュラルミンケースが置かれており、金の気配に気付いた山田はふらふらとそれに近寄ろうとする。

 

 

「……欲望を隠せッ! 虫かお前はッ!」

 

 

 上田が彼女の肩を掴み、阻止した。

 

 

「尾けられたりは?」

 

 

 葛西に尋ねられ、上納金を届けに来た従業員の男が萎縮しながら答えた。

 

 

「道中、襲撃されたりはなかったです……尾行はされていないと思います」

 

「思いますじゃねぇだろ。ちゃんと確認はしたか?」

 

 

 身内の部下となれば葛西の口調はやや厳しくなる。これには従業員のみならず、山田と上田も冷や汗を滲ませてしまった。

 

 

「し、しました、総支配人……村に入れば廃品回収車とか農民以外には出会ってないですし……」

 

 

 従業員への追及はそこまでにして、次は組員へ話しかけた。

 

 

「金額は合っていたか?」

 

「えぇ、確認致しました。彼らからの上納金を合わせて、二億九四三◯万七五◯◯円……一銭の狂いもありませんぜ」

 

 

 最終確認にと、ジュラルミンケースが開かれる。

 

 

 

 

 詰め込まれていたのは、束に置かれた万札。

 聖徳太子が延々と並んでおり、山田はポカンとそれを見つめている。

 

 

「……どこの国のお金だ? ワヨシさんじゃない……」

 

「旧札だと前説明したし、輪吉(ワヨシ)じゃなくて『諭吉』だとも言っただろ……! しかし三億、なかなか大金だ……まぁ、俺の総資産額には程遠いがな? 三億円じゃせいぜい、俺の著書の一ヶ月分の印税収入と同じぐらいだな。あぁ、あと! 俺の一回の講演料とも」

 

 

 どんどん吐き出される上田の自慢話は、シンの一声で止められた。

 

 

「では、そろそろ金庫の準備を……」

 

「えぇ。始めてください、シンさん」

 

「へい……」

 

 

 シンは口元に両手を当て、大声で部下を呼ぶ。

 

 

 

「キャァモンベイビィィィィイッ!! アメリカァアァアァアァアッ!!!!」

 

 

 

 途端に襖がガラッと開かれ、台車に乗った金庫が持ち込まれる。

 一般的な四角形の金庫だが、鍵穴が三つ。それに扉が、枠に埋没する仕組みになっていた。それを見た上田は感心したように目を細めた。

 

 

「『オーバーハング構造』ですか。扉枠との隙間が殆どないので、バールのような物だとかでこじ開けられる……なんて事も難しくなりますね」

 

「新型の金庫でしてね。シンさんが秘密裏に入手してくれました……これだけの手際なら、合い鍵を作る隙もないでしょう。悪いですね、嫁さんが大変な時に……」

 

「いえいえ葛西さん、お気になさらず……では、失礼します」

 

 

 シンは懐から鍵束を取り出した。

 三つの鍵をそれぞれの鍵穴に差し込み、金庫の封印を解いて、また鍵を懐に一旦戻してから、控えていた組員らに収納を命じた。

 

 

「入れろ」

 

 

 奥行きがあり、組員らが三億円を丁重にジュラルミンケースから移すと、ピッタリ全て収まった。三億円を入れてからまた扉を閉めると、中のカンヌキが作動し、自動的に鍵がかかる。

 山田が「あぁ……」と物欲しそうな声をあげた。

 

 

 

 

 全ての行程を見届けた後、シンは葛西に鍵束を渡す。

 

 

「これは、葛西さんが預かっていてください」

 

 

 葛西は受け取った鍵束に、ひっきーのストラップを付けてから懐に。

 

 

「……ストラップいる?」

 

 

 思わず呟く山田。

 

 

 

 即座に台車で運ばれようとしていた金庫だが、重量が変わったせいで手元を狂わせた組員が、ガツンと金庫を強く柱にぶつけた。すぐに頭を下げて謝罪する。

 

 

「ソォーリィッ!!」

 

「何やってんだおめぇは……葛西さん、私に運ばせてください」

 

 

 不出来な部下に代わり、シンが金庫の運搬を志願。葛西は頷き、それを了承した。

 魅音はホステス従業員達を見てから、葛西に尋ねる。

 

 

「従業員たちはもう帰す?」

 

「この部屋で一旦待機させます……おい。無線機の類はねぇだろうな?」

 

 

 葛西に疑われ、従業員らが大急ぎで取り出したのは二つの機械。

 見慣れない代物の為か、葛西は眉を寄せた。

 

 

「なんだこりゃ?」

 

 

 対して若者の魅音は知っているようで、葛西に教えてやる。

 

 

「『ウォークマン』だよ。西城秀樹が上半身裸で音楽聴いてる奴」

 

「ほぉ〜? ウォークマン?」

 

 

 上田は懐かしい物を見るような好奇の目で、ウォークマンともう一つの機械をまじまじと眺めた。

 

 

「ウォークマン『TPS-L2』! こっちは『プレスマン』! 良い物をお持ちで!」

 

「ご存知なんですか、上田さん」

 

 

 葛西が尋ねると上田はペラペラ早口で捲し立てた。

 

 

「ウォークマンはステレオ音源が持ち運びで聴ける、唯一の装置ですよ! スピーカーと録音機能は無いんですが、いつでもどこでもヘッドフォンで高音質の曲が聴けるんです!」

 

「……おぉ……」

 

「こっちのプレスマンはその、ウォークマンの原型。モノラルですが、即座に取り出して録音出来てその場で聴ける優れものですよ! ニュースとかで、インタビュー音声の録音に使われているのはコレなんですから!」

 

「……すいません。学が無いもんで、ステレオとかモノラルとか……」

 

「プレスマンは、背面の単一のスピーカーから音が出るんで、どうしても音が平面的なんですよ。しかし、ウォークマンは左右のヘッドフォンから音が出るので、立体的になるんです! 一度聴いたら分かりますから!」

 

「いや、今は……」

 

「オタク特有の早口かっ!」

 

 

 上田の口をツッコミで止めてやる山田。その隣で魅音はウォークマンを、物欲しそうな目で見ていた。

 

 

「へぇ……婆っちゃにせがんでみよっ」

 

 

 ウォークマンとプレスマンの薀蓄はともかく、無線機の類では無いし、上田が確認した限りでは改造した様子もない為、従業員に返された。

 

 腕時計を確認し、葛西はシンに目配せする。

 

 

「……そろそろ、行きましょう」

 

「そうですね……オイッ! エミッ! カスッ!」

 

 

 シンは控えていた組員二人を呼ぶ。胸ポケットには「そのざき㌠」と刺繍がされていた。

 

 

「「へいっ!」」

 

「左右から金庫を護衛しろ」

 

「「サー・イエッサー!!」」

 

 

 組員のエミとカスを従えながら、シンが台車を押して金庫の運搬が始まる。

 魅音はそれを神妙な顔付きで見届けながら、葛西に確認の為に耳打ちで尋ねる。

 

 

「入り口とかは見張っていますか?」

 

「ご安心を。五人体制で、裏口も全て見張りを付けております。屋敷内にも既に二十人を配備……『チャカ』もありますし、鼠一匹も入れんでしょう」

 

 

 チャカと聞こえた山田は驚いた顔で聞く。

 

 

「アメリカの歌手もいるんですか!?」

 

「それは『チャカ・カーン』」

 

 

 上田がツッコむ。

 チャカとは言わずもがな、「銃」を示す隠語だろう。行き交う組員全員が拳銃を忍ばせていると思うと、堅気である二人の肝は冷えた。

 

 それはそれとして、山田は上田に質問する。 

 

 

「……なんでチャカって言うんですか?」

 

「引き金を引くと、『カチャッ』と音がする。それを逆さに呼んだだけだ……こう言う隠語は良くある。警察の事を『デカ』と呼ぶのは、昔の警察は『角袖(かくそで)』と言う上着を着ていた。頭と尾の一字を抜くと『かで』、それを逆さにして『でか』だ」

 

「へぇ〜……態度がデカいからデカじゃないのか」

 

「お前矢部さんをイメージしてるだろ」

 

「あいつ元気にしてるかなぁ。会いたくないけど」

 

 

 台車を押すシンに続く形で、山田らも縁側に移る。

 庭には造園会社の人々が組員らに見張られながら、作業していた。多分彼らも上田らと同じ、生きた心地のない気分だろう。

 

 

 

 

 縁側を進み、蔵へと続く渡り廊下へ差し掛かる。

 全員が縦一列で並んで歩き、廊下の半分まで歩く。蔵の扉はすぐだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

 

「おほほほほほほ!! ア〜タクシはこちらですわよ!!」

 

 

 

 屋敷の方より、耳障りな笑い声が響く。

 

 

「なッ!?」

 

「えっ!?」

 

 

 困惑と動揺を纏った表情で、上田と魅音は振り返る。

 

 

「……なんだと……!?」

 

「……ッ!?」

 

 

 合わせて葛西も、そして山田も振り返った。

 

 

 

 屋敷側へ続く渡り廊下の先に、それはいた。

 開かれた襖から覗く、マゼンタ色の服、「シドウシャ」と張り付けられたハット、「センス」と書かれた扇子、膨よかな体型──立っていたのは間違いない。

 

 

 山田と上田はその人物の名を叫ぶ。

 

 

「ジオ……ウエキ!?」

 

「ジオウッ!?」

 

「残念でしたわぁ! 天下の園崎が、アタ〜クシに出し抜かれるなんてっ!」

 

 

 山田も聞き覚えがある、ジオ・ウエキの芝居がかった声。間違いなく、本人の声だった。

 

 

「は、入られてんじゃん!?」

 

「なぜだ……!? 入り口は全て、固めたハズ……!?」

 

 

 狼狽えを口にする魅音と葛西の隣を、颯爽と駆ける者がいた。

 

 

 

「あ!? 山田ッ!? オイッ!?」

 

「山田さんッ!?」

 

 

 誰よりも先に身体が動いたのは山田。魅音も急いで彼女の後を追う。

 その間、ジオ・ウエキは襖を閉めて姿を隠してしまった。

 

 

「近くにいる奴は侵入者を追えッ!!」

 

「金庫はあっしらが守ります……!」

 

「任せました……!」

 

 

 金庫をシンや組員らに託すと、残っていた葛西と上田も屋敷へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 一足先にジオ・ウエキのいた部屋へと辿り着いた山田は、襖を勢い良く開く。

 しかしその先にあった部屋の襖が既に開いており、更に奥へと逃げたと悟る。

 

 

「奥に逃げたぞぉッ!!」

 

 

 葛西の怒号が飛び、庭にいた組員らが大慌てで屋敷内に飛び入って行く。

 山田の後ろを魅音が追って来ていた。

 

 

「ジオ・ウエキはどこ!? 奥ッ!?」

 

「どうやって……!?」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと山田さん!」

 

 

 山田がいの一番に飛び込み、ジオ・ウエキを追う。

 内廊下に出た彼女は、左右を見渡す。

 

 

 

 

 

「こっちですわぁ!!」

 

 

 左手から声。ジオ・ウエキはその先の廊下の奥に立っていた。

 

 

「こっちにいるッ!! 葛西、回り込んでッ!」

 

 

 魅音の指示が木霊する。その間山田は真っ直ぐジオ・ウエキへ迫ろうとした。

 しかしまた彼女は襖を開けて部屋に逃げ込んだ。

 

 

「デブの癖に速いな!」

 

 

 山田はぼやきながら、逃げ込んだ部屋の襖を開ける。

 

 

 

 

 そこは完全に独立した、畳が敷かれただけの部屋。押し入れ用の物以外に襖はない。

 

 

「……消えた!?」

 

 

 隠れているのかと思い押し入れを開くも、座布団やちゃぶ台が詰められているだけで、ジオ・ウエキはいなかった。

 狐に化かされたような様子で唖然となる山田。

 

 

『お〜っほっほほほほほほ!!!!』

 

「へ!?」

 

 

 途端、今度は別の場所から彼女の笑い声が響く。同時にその声を聞き付け、外をドタバタ駆ける組員らの声が聞こえた。

 

 

「裏やッ!! 外におるぞ!?」

 

「中や無いんか!?」

 

 

 

 

 この部屋にはいない事を確認した山田もすぐに外廊下へ出て、組員らにぶつかりそうになりながらも声のした方へ突き進む。

 

 進んだ先、離れとは反対側の廊下にて上田と再会した。

 

 

「上田さん!? ジオ・ウエキは!?」

 

「どう言う事だ……!? 次は屋敷外から聞こえたぞ!?」

 

「中にいたハズなのに、急に外から……!」

 

 

 現場は混乱を極め、誰も彼もが消えたジオ・ウエキを探して右往左往とする有り様だ。

 

 

 

 

 そんな彼らを俯瞰し、嘲笑うかのように、彼女声は上から投げかけられた。

 

 

 

 

「三億、アタクシ〜がいただきましたわよっ?」

 

 

 

 

 外壁の庇の上に、ジオ・ウエキが立っていた。

 その場にいた全員が呆然と彼女の方を見上げた。

 

 

 

 地面から庇まで六メートルはあろう高さ。近場に梯子と言った道具の類はない。

 

 

「はぁ……!?」

 

「あんな高さを……!?」

 

 

 山田と上田が愕然としている内に、ジオ・ウエキは向こう側へピョンっと飛び降りた。

 

 

 

「外や外やッ!! 出よったぞぉ!!」

 

 

 組員らが叫びながら外へ駆け出した。

 すぐに彼らの後を追おうとした山田と上田だったが、屋敷内から息を切らして出てきた魅音に話しかけられて止められる。

 

 

「中だったり外だったりどっち!?」

 

「今、あの壁から外に出られました!」

 

「……やられた。あっち、裏山だ。山に逃げられたら探し様がない……!」

 

「魅音さんッ!!」

 

 

 葛西が駆け付ける。

 

 

「葛西さん! 鍵は!?」

 

「この通り……ずっと、持っていました」

 

 

 ひっきーのストラップ付きが付いた鍵束を見せ付ける。三つの鍵は一つも欠けていない。

 上田はホッと、安堵の息を吐く。

 

 

「な、なんだ! ジオウは失敗したようですなぁ!」

 

 

 しかし、場の空気は緊迫状態のまま一向に休まらない。山田は離れの方を見やる。

 

 

「……金庫は?」

 

 

 再び四人は渡り廊下へと戻る。

 離れの中には、金庫を設置し終わったシンと二人の護衛が立っていた。葛西の姿を見たシンが、心底肝を冷やしたような表情で尋ねる。

 

 

「侵入者は!? 捕まえましたか!?」

 

「取り逃がしましたが……金庫は?」

 

「この通り無事ですが……」

 

「……一旦、確認します」

 

 

 

 葛西は鍵を手にし、金庫へ。

 まずは取っ手を引くものの、ビクともしない。確かに封印されたままだ。

 

 

 

 一つ一つ、鍵穴へ差し込んで行く。

 

 

 まずは一つ目の鍵穴を解錠。

 

 

 

 

 二つ目、解錠。

 

 

 

 

 

 三つ目、解除。そして扉が開く。

 

 

 

 

 

 

 途端、その場にいた全員が、それこそ場数をこなして来たであろう葛西さえ目を見開き、口をはくはくとさせた。

 

 

「そんな、馬鹿な……!?」

 

「あり得ない……!! あっしが、運んでいたのに!?」

 

 

 上田とシンが愕然とする。

 

 

 

「三億が……ッ!?」

 

「なんで……!?」

 

 

 魅音、山田も、衝撃から次の言葉を発せられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金庫の中身は空っぽ。

 満載されていた三億円は、一枚の紙幣も残さず、全て消失していた。




・二億九四三◯万七五◯◯円は、日本屈指の未解決事件「三億円事件」の被害額。巨額の金が奪われたにも関わらず、銀行は被害額を保険で補填し、保険会社側も海外の保険会社からの補填を受けた為、実質国内の被害総額は〇円。
また奪う際に暴力や脅しは用いられず、傷害は無し。被害額の語呂合わせから「憎しみのない犯罪」とも呼ばれました。

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