TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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動転と故郷

 矢部と菊池は、精神病院に行かせていた石原と秋葉と合流するが、なぜか二人は身体中にお札とお守りを貼っつけていた。

 

 

「……お前ら、それなんやねん」

 

「兄ィ! ワシら、祟りに片足突っ込んどるようじゃ! お祓いけぇの!」

 

「町の神社とお寺に、あとキリスト教会にイスラーム教会、全部寄りましたぁ!」

 

 

 秋葉が服中に張り付けていたお守りを見やる。

 

 

「なんやなんや、えぇ? 無病息災、家内安全、悪霊退散……星五確定? なんのご利益やねんこれ」

 

 

 呆れた顔の、次いでボコボコ顔の菊池が二人を叱責する。

 

 

「なんだその体たらくはッ!! この科学の時代に祟りがある訳ないだろッ!!」

 

「ほんでも、本当に祟りなんじゃ!」

 

 

 二人は話だけでも、病院の院長から聞いた事を矢部と菊池にも共有する。

 

 

「大災害の後にのぉ、雛見沢村出身の人間が大挙したそうじゃ!」

 

「全員オヤシロ様の呪いを恐れていて、とても凶暴になってて……病院の人が何人も怪我させられたみたいですねぇ」

 

 

 菊池は肩を竦める。

 

 

「フンッ! それはただ、自分の故郷が無くなったショックで気を病んだに過ぎんッ!」

 

「んで、この前原圭一はどうやったんや?」

 

 

 石原と秋葉がそれぞれ、残念そうな表情で報告する。

 

 

「死んどったけぇの兄ィ! だからカルテもララバイバイじゃ!」

 

「でも、その圭一くんも同じ症状だったみたいですよぉ。それに死因も不明瞭で〜……」

 

「死因はなんや?」

 

 

 矢部が聞くと、秋葉は彼に耳打ちするように、声を潜めて話してやった。

 

 

「……し」

 

「耳元で話すなッ! 敏感なんやから!!」

 

「心臓発作ですって。それも、心臓に疾患があるとかは無かったみたいで、突然ポックリポクポク」

 

 

 石原が続ける。

 

 

「前日も叫んどったらしいのぉ。『オヤシロ様が来る』とな!」

 

「…………」

 

 

 矢部と菊池は、互いに目を合わせ、意気投合してから二人を睨む。そして同時に殴った。

 

 

「なにお前らだけお祓いしとんねん!? お守り寄越せオラァッ!!」

 

「上司を置いて勝手に行動するとは何たる不祥事ッ!! そのお札は没収するッ!!」

 

「お前のもよこさんかぁーいッ!」

 

「ありがとうございますッ!!」

 

 

 最期は菊池にも拳を飛ばし、矢部は一人で全てのお札やお守りを牛耳る。

 矢部謙三コンプリートフォームの完成だ。

 

 

「まぁ、これで粗方調べたな。これ以上はどないすんねんな?」

 

「兄ィ。そういやワシら、雛見沢村ってどんな場所か、全く知らんけぇ」

 

「地元の図書館かどっかで、調べるのもアリかもしれませんねぇ」

 

 

 二人の意見を聞き入れ、矢部を腕を高く振り上げて宣言した。

 

 

「んだらば図書館に行ってみよぉーっ!」

 

「前が見えねぇ」

 

 

 公安一行は村のあらましを知る為に、図書館へ歩き出した。

 太陽は真上。お昼時だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 礼奈と里見は、エンジェルモートに入る。

 店先に貼られていた「レジェンドメイド」の写真を指差しながら、礼奈は教えてあげた。

 

 

「このレジェンドメイドって子が、若い頃のオーナーさんなんです」

 

「あら〜! 可愛らしいわね! 今でも美人さんじゃないかしら?」

 

「お綺麗ですよ。都合が合えば会えるかもしれませんね」

 

 

 店内は人で賑わっていた。今日は休日のせいか、若い娘がメイド服で給仕をしており、それを目当てに来た人が多いようだ。そして客は全員、蕎麦を啜っている。

 

 席は運良く一つ空いており、二人はその窓際のテーブル席に通された。

 里見は席に着くと、楽しそうに手を擦る。

 

 

「なに食べましょうかねぇ〜……初めてですからメニューが分からないわ」

 

「今日のオススメはこれみたいですよ」

 

 

 礼奈がメニューを見せてくれた。

 

 

『あざといアザトースの丼もの』

 

『ガタノゾーアの石化御膳』

 

『クトゥルーパスタ・ルルイエ風』

 

 

「意外と尖ったお料理を出すお店なのねぇ?」

 

 

 里見は無難にブリの照り焼き御膳を頼み、礼奈もまた無難にハンバーグ定食を選んだ。

 可愛らしいメイドの店員が注文を取り終え、厨房に行くのを見届けてから、里見は店内を見渡して話し出す。

 

 

「楽しそうなお店ねぇ」

 

「気に入っていただけて何よりです。興宮にはいつまで?」

 

「一日だけ泊まって、明日の夕方には帰る予定です。書道教室を開いていますから、生徒たちを蔑ろには出来ませんし」

 

「あぁ、そうなんですか! 是非、時間が許す限り、楽しんで行ってください」

 

 

 微笑みながら水を飲む礼奈は何だか、子供っぽく見えた。

 里見はずっと思っていた事を尋ねる。

 

 

「そう言えば、上田先生にご依頼なさったそうですけど……」

 

「……あまり気持ちの良い話じゃないですよ?」

 

「構いませんよ、差し支えがない範囲で。人の話を聞くのが好きなもんですから!」

 

「ふふっ……私、子供の頃……雛見沢村に住んでいたんです」

 

 

 里見の表情に一瞬だけ、動揺が窺えた。

 

 

「……雛見沢村ですか?」

 

「……もう、無くなった村ですけどね」

 

 

 そう語る彼女は、とても辛そうだ。

 

 

「……その村が無くなった理由と言うのが、色々と謎が多くて……だから、上田先生に見て貰おうかと」

 

「ただ廃村になった訳ではないようですね」

 

「災害です」

 

 

 水を飲もうとした、里見の手が止まる。

 

 

 すぐに浮かんだのは、「災」の字。強い胸騒ぎがした。

 そんな里見の様子に気付かず、礼奈は続ける。

 

 

「お父さんもそれに巻き込まれて……亡くなりまして」

 

「……それはお気の毒に……」

 

「その時、私は……この町の病院に入院していて、助かったんです。後から聞いたら、原因は火山ガスだって」

 

「火山ガス?」

 

「でも私、違うような気がしていまして……もっとこう、隠されているような……今は村へは、許可さえ取れば入れるようになっていますし、なら上田先生に見分して貰おうと」

 

「そうだったんですか……今でも、村の事を思っていらっしゃるのですね」

 

「……辛い事の方が多かった気もしますけど……やっぱり、私の故郷ですからね」

 

 

 里見は微笑みを浮かべた。

 礼奈に対して羨ましいと言った気持ちと、和やかな気持ちを抱いたからだ。

 

 

「……故郷を思うという感覚……私は持てなかったもので……」

 

「……え?」

 

「……いえ。少し、羨ましく思ってしまって……」

 

 

 故郷を思う気持ちへの羨望、それは里見の生い立ちが関係している。つい遠い目で窓から外を眺め、追憶に浸った。

 

 

「故郷を知りたいと言う気持ち……私には、どうしても想像出来なくてねぇ……」

 

「……お嫌い、なんですか? その……山田さんの生まれ故郷が……」

 

 

 おずおずと聞く礼奈へ、里見ははっきりと答えた。

 

 

 

 

「……えぇ。大嫌いです」

 

 

 

 

 沖縄にある小さな辺境の島──そこが彼女、山田 里見の故郷だ。

 植物と海しかないような絶海の孤島で、また非常に閉鎖的でもあり、島民も外の世界に無頓着だった。

 

 故にその島独自の文化、そして信仰が形成され、島民はそれを信奉した。

 

 島に生まれ、島で育ち、島の者と結婚し、島で子を産み、育み、そして島で死ぬ。

 生まれてから島民には役割のようなものが形成され、それをただ全うするだけの生涯だ。

 

 

 何も疑わず、島と言う狭い世界をこの世の全てのように捉え、そして島の信仰を何よりも崇高なものだと信じて疑わなかった。

 

 

 

 里見はそんな島が──故郷が、嫌いだった。

 現在の島は人がもう住めないほどに環境状況が悪化し、無人島になったと聞く。

 

 しかし里見には、故郷がなくなったと言うのに全く心は痛まなかった。

 それほどに故郷を嫌い、同時に憎んでいたからだ。

 

 

 最愛の夫を奪い、一人娘にまでかつての「自分の役割」を引き継がせようとした、島の人間たちを。

 決別したのに何度もその糸を無断で繋ごうとする、彼らの執念を、里見は心底から嫌い、憎んだ。

 

 

 彼らのその「執念の理由」を知っていたとしても尚、憎んだ。

 

 

 

 

 

「……だからふと、思うんです。もし私が故郷を愛していたならば……どんな気持ちで以て、この『故郷』と言う字に向き合えるのか……文字と向き合う書道家にとって、やはり大事な問題ですもの……」

 

「……山田さんが羨むほど、私はそんなに故郷と向き合えていませんよ」

 

 

 礼奈は自虐的に笑う。

 

 

「……亡くなった友達とか、家族とかとも……私は最後まで向き合えず、自分勝手ばっかして……なのに生き延びちゃいましたし……」

 

「…………」

 

「……ふふ……これ、書道家の先生に言ったら駄目な話かな……」

 

「……構いませんよ?」

 

 

 少し目を伏せて、礼奈は話し始める。

 

 

「……故郷の『故』って字……『事故』とか『故障』とか、何か壊れた言葉に使われていますし……『物故』とか『故人』とか、人が死んだ意味にも使われていて……」

 

 

 皮肉を含ませたような、苦笑いを浮かべた。

 

 

 

「……だから私にとっての『故郷』……壊れて亡くなった郷だから、『()郷』……」

 

「…………」

 

「……故郷の謎が知りたいのも……ただ私が自分勝手した罪悪感をなくして、スッキリしたいからなのかもしれません」

 

「それは少し、違うんじゃないでしょうか?」

 

 

 その言葉に驚き、礼奈は顔を上げる。

 里見はジッと彼女を見据え、そして穏やかな話し口で問いかけた。

 

 

 

 

「……故郷を思う気持ちが分からないと言った私が言うのも何ですが……人は罪悪感から逃げたいもの。だから普通は原因を忘れるようにするのだと、私は思うのです……」

 

 

 それはまさに私の事だと自覚しながらも、里見は礼奈へ、諭すように語り出す。

 

 

「……でもあなたは原因から逃げていない。それは──」

 

「え……」

 

「……故郷を、まだ愛しているからこそ、向き合おうとしているんじゃないですか?」

 

 

 

 

 彼女の言葉が耳に入って途端、礼奈は衝撃を受けてしまい動けなくなっていた。

 尚も里見は、全て見通したような澄んだ瞳で語り続ける。

 

 

「確かに『故』と言う字は……悪い意味の言葉に使われている側面もあります……でもね? 文字には得てして、『多くの顔』があるものです」

 

「多くの顔……?」

 

「えぇ。人間と同じですよ!」

 

 

 徐に里見は風呂敷を開く。

 

 

 

 中から取り出したのは、最新型のアイパッドとタッチペン。

 そしてパッドを起動してイラストアプリを起動すると、慣れた手つきでキャンバスサイズと筆の設定を済ます。礼奈はそれを唖然とした顔で眺めていた。

 

 

「え……や、山田さん……?」

 

「便利な世の中ねぇ……本当は半紙と筆、自前で擦った墨が良いのですけど、こう言う場所では準備出来ませんもの」

 

「い、いや……結構、は、ハイカラな方なんですね……?」

 

「時代はインフォメーションテクノロジーによるユビキタスコンピューティング社会ですから」

 

「はい?」

 

 

 里見はタッチペンを使い、キャンバスに次々と文字を書いて行く。レイヤー移動もお手のもの。

 

 

 

 

「故と言う字は……確かに『故人』、『故障』、『事故』、『物故』と、死や不幸を意味した言葉にも使われます」

 

 

 ですが、と付け加え、今度は画面上に「縁故」「故事」「故旧」と書き連ねた。

 

 

「故には、『古い』と言う意味、そんなもう一つの顔があります……そして、また──」

 

 

 今度は、とある有名な四文字の熟語を書く。

 

 

「『(ふる)い』と言って捨てずに『温め』、それを力に『新たな事』を『知ろう』とする……」

 

 

 

 

 キャンバスには「温故知新」の字が書かれていた。

 

 

「答えは過去にある。古く伝わる物には意味がある。それを知ろうとする事はまた新たな発見となるから……決して愚かではない。寧ろあなたや、誰かの救いとなる」

 

 

 里見は一文字だけを書いた。

 

 

「私たちは求める。亡くなったからこそ知りたい、理由を。意味を。本当の姿を……その先にある、答えと結論を」

 

「……!」

 

 

 その書いた漢字の下にもう一文字を付け加え、話を締めた。

 

 

 

 

「思い、捨てずにここまで来て、亡くして知らないままだからこそ、向き合おうとさせる何かがある──『(ゆえ)に、あなたの(さと)』なのですよ」

 

 

 

 何度も説いた「故郷」の字が、そこにはあった。

 

 

 タブレットの電源を落とすと、いつの間にか前のめりになっていた礼奈の顔が黒い液晶に写った。

 視線を上げると、優しく微笑む里見の姿。

 

 

「一面だけを見ては駄目。文字には多くの顔……そして、不思議な力があります」

 

「……山田さん……」

 

「帰り続けなさいね? あなたはまだ、故郷を愛しているハズですよ」

 

 

 

 

 

 狙ったようなタイミングで料理がやって来る。

 まだ目が丸い礼奈の前で、里見は急いでアイパッドとタッチペンを仕舞うと、割り箸を割った。

 

 

「さっ。食べましょっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いただっきまぁーーーっす!!」

 

「ふぉ!?」

 

 

 寝言で叫ぶ山田に、上田はビクつく。

 時刻は午後八時。寝るには若干早い時間だが、今日は色々あり過ぎて神経が参っていた山田は家に着いた途端に寝た。

 

 一人起きていた上田は、呆れ顔で次郎人形の手入れをしていた。

 

 

「……夢の中でも食ってんのか。マジにがめつい女だ」

 

「あざとーす……がたのぞーあ……くとぅる、るるいえ……」

 

「何を食ってんだ……? クトゥルフ神話……?」

 

 

 そろそろ風呂でも入ろうかと立ち上がった際に、一つの事を思い出した。

 

 

 

「……俺のシャネルの五番石鹸……神社に置きっ放しじゃねぇか!」

 

 

 私物に関しては彼もまたがめつい男だった。

 

 

 

 

「取りに行かねば……ジュワッ!!!!」

 

 

 光速で神社前の階段下に到着し、忌々しげに鳥居を眺め上げる。

 

 

「あんのマセガキコンビ……使ってやがったら容赦せんぞ……これより、シャネル五番石鹸回収作戦に移る!」

 

 

 意気揚々と階段を上がり、途中でやはり滑り落ちる。

 

 

 

 

 

 境内まで登った際に上田は、拝殿の前でコソコソ動く影を発見する。

 まだ参拝客も来るかもしれない時間ではあるが、上田がその人影を訝しんだのは、梨花たちのいる小屋に行こうとしていたからだ。

 

 変質者の匂いを感じ取った上田は叫ぶ。

 

 

「YOUはなにしに神社へッ!?」

 

「うわっ!? ち、違うんです!!」

 

 

 声からして男だ。

 叱り付け、変質者か確認しようと近付いた際にその正体に気付き、「あっ!」と声をあげた。

 

 

 

 

「……入江先生!?」

 

「う、上田教授!?」

 

 

 診療所の医師、入江京介だ。

 

 

「あなた……そんな……確かに色々と言動は危うかったが……」

 

「いやいやいや誤解です誤解です!? ちょっと二人の様子を見に来ただけなんです!?」

 

「二人の様子を?」

 

「……梨花ちゃんと沙都子ちゃん、今日の野球の練習に来なかったんです。昨日は元気に診療所に来ていたので、心配になって……」

 

「確かに……それは心配だ」

 

 

 あの元気いっぱいな二人が揃って無断欠席。上田より二人との付き合いが長いであろう入江が、心配で神社に来るほど珍しい事なのだろうか。

 

 とは言え不埒な目的ではないと知った上田は、入江と共に梨花たちの家へ行く事にした。

 

 

「揃って風邪じゃないんですか? 共同生活しているとなると、病気も移りやすくなるでしょうし」

 

「それでも子ども二人だけですから危険ですよ……沙都子ちゃんに至っては薬の治験に協力してくれています。もし、僕の薬が原因とあったら……」

 

「不安ですねぇ……見に行きましょう」

 

「ところで上田教授は、何しに?」

 

「私ですか? マリリン・モンローの寝巻きを取り戻しに来た」

 

「……はい?」

 

 

 颯爽と森を進み、梨花らの住む小屋へ到着。電気は点いておらず、真っ暗だ。

 

 

「寝ちゃったかな……?」

 

「いや……昨日の二人は夜の十時辺りに寝ていた……まだ八時過ぎ。早過ぎる」

 

 

 いよいよ不安が頂点まで逹する。

 玄関先まで突っ走り、入江は戸を叩いて呼びかけた。

 

 

「梨花ちゃん! 沙都子ちゃん!?」

 

「鍵は!?」

 

「……閉まってます! こんな時間まで出掛けている訳はないだろうし……」

 

「おい梨花ー! 沙都子ぉー!」

 

 

 入江と上田の呼び掛けにも応答なし。

 上田は小屋から少し離れて見渡し、どこからか入れる場所は無いかと探す。

 

 

 二階の窓が開けっ放しな事に気付く。

 

 

「入江先生! あそこから入りましょう!」

 

「しかし……どうやって二階の窓まで?」

 

「久しぶりにやるかぁ……私はね、一九九九個の特技があるんですよ! 建物の壁を登るなんて、造作もない!」

 

 

 壁に手を掛けた瞬間、バリッと外壁を壊してしまう。

 

 

「やっちゃった、あぅ……やっちゃった……!」

 

「上田教授! ここにハシゴがあります!」

 

「それを使いましょうッ!!」

 

 

 ハシゴを伸ばし、二階の窓枠まで掛ける。

 

 

「入江先生は支えていてください! 私が登って、見て来ます!」

 

「お願いします……!」

 

 

 ゆっくりゆっくり、ハシゴを登る上田。たまに強めの夜風が吹き、揺らされる。

 

 

「危ない危ない危ない危ないあーあー!!」

 

「さ、支えています!」

 

「怖いなぁもぉ……」

 

 

 何とか二階の開いた窓まで到着。

 そこから中を覗いてみる。梨花と沙都子の寝室だ。

 

 

「梨花!? 沙都子!? いるかー!?」

 

「なんなのですか」

 

「おう!?」

 

 

 暗闇から、確かに梨花の声。

 しかしいつもの、明るい声ではない。風邪を引いた時のように嗄れ、鬱屈とした忌々しそうな声音だ。

 すぐに上田は窓から部屋に入ろうとする。

 

 

「いたのか!? 沙都子もい」

 

「役立たずッ!!」

 

「㌴㌠ッ!?」

 

 

 飛び出して来た梨花が、侵入しようとした上田を突き飛ばす。

 彼はハシゴを滑るように落ちて行き、支えていた入江と衝突して共に地面に平伏した。

 

 

「いててて……な、なにしやがるッ!? アナザーだったら死んでたぞッ!?」

 

「うぅ……り、梨花ちゃん、どうしたんだ……!?」

 

 

 呆然と、開いた二階の窓を眺めていた二人だったが、暫くして玄関の鍵が開く音が聞こえ、そちらへ視線が移る。

 

 

 出て来たのはやはり梨花一人。

 だがその相貌は、上田も入江も最後に見た昨日とは酷く様変わりしていた。

 

 

「……どこほっつき歩いていたのですか」

 

 

 髪は乱れ、目元に隈が出来て、服にも泥がついたままで肌色も悪い。

 目は半開きであり、足元も覚束ない。上田から見れば二日酔いの症状にも思えた。

 

 彼女のその酷い有り様に気付いた入江は、すぐに梨花へ駆け寄った。

 

 

「ど、どうしたんですか梨花ちゃん!?……沙都子ちゃんは!?」

 

「……もう帰って来ないのです」

 

「帰って来ないって……喧嘩でもしたんですか?」

 

 

 黙り込み、俯く梨花。それを見て入江は何かを悟り、顔から色を失わせた。

 

 

「…………り、梨花ちゃん……まさか……」

 

「………………」

 

「……か、帰って、来たのかい……!?」

 

「………………」

 

 

 コクリと、頷く。

 話が掴めない上田が、二人に尋ねた。

 

 

「帰って来た……? 誰がなんですか?」

 

 

 入江は上田と向き直り、悔しさと恐れを滲ませた表情を見せながら、その帰って来た人物の名を言った。

 

 

 

「……『北条 鉄平』……沙都子ちゃんの、叔父です……」

 

 

 入江は放心を見せ、梨花は諦念を目に宿す。

 失望と絶望、どん底の気分。それらが彼女を一日で窶れさせたのだろう。

 

 沙都子の叔父と聞き、上田はハッと思い出す。

 

 

「沙都子の叔父って……確か、一年前の鬼隠し被害者の旦那さんだったんじゃ……」

 

「……っ!?……そうですか。上田教授も、鬼隠しご存知で……」

 

「……魅ぃにでも聞いたのですか?」

 

 

 そう言えば秘密にしていたなと想起する。

 本当は山田から聞いてはいたが、元を辿れば魅音の話なので首肯した。

 

 

「そんなもんだ……しかし、帰って来たと言うのは? そう言えば事件後の動向は知らなかったんですが……」

 

 

 北条鉄平と言う男に関するあらましを、入江は暗い声で語り始めた。

 

 

「村を離れていまして……当時から沙都子ちゃんと…………『悟史くん』を虐待していた、本当にどうしようもない人なんです」

 

「……悟史?」

 

「…………消えた、沙都子ちゃんのお兄さんです。それにしても……あの人奥さんが亡くなって、オヤシロ様の祟りを恐れて逃げ出したんじゃ……」

 

 

 入江がそう言った途端、梨花は乾いた笑い声をあげる。

 いつもの天真爛漫な彼女とは違ったニヒルな姿に、上田も入江も本当に梨花なのかと目を剥いた。

 

 

「……そんなんじゃない。あいつは妻が死んで、縛られるモノなくなって、他に好きな人の所に転がりに行った男なのです」

 

 

 半開きの目が開いた。

 どんよりと濁った、死んだ眼をしていた。

 

 

「だから村になんの愛着もないし、沙都子にもなんも感じていない。遺産目当てで、ただ金の成る木にしか思ってないのです」

 

「…………なんて事だ……!」

 

 

 入江はひたいを押さえ、絶望を滲ませる。

 

 

「あんな人の所にいたら沙都子ちゃんが壊れてしまう……!!」

 

「明日、役場に訴えに行きましょう! 虐待の事を話し、沙都子を保護させるんです!」

 

 

 上田の提案は尤もで、一番現実的で確実な方法だ。しかし梨花は冷たい声で否定する。

 

 

「無理なのです」

 

「なんで諦める!?」

 

「…………『北条家』だからです」

 

 

 その意味が分からず怪訝な顔をする上田へ、入江が厳しい顔付きで説明してくれた。

 

 

「……北条家もとい、沙都子ちゃんや悟史くんのご両親は……ダム建設に賛成でした。ですので……村人は揃って北条家を憎み、攻撃していたんです」

 

「村八分と言う奴か……」

 

「今でも多くの方からの風当たりは強い……特に、反対派を率いていた『園崎家』。園崎家の影響力はここ一帯を牛耳っています。商業から経済……行政まで。園崎家が睨みを利かせている中です。役場も動き辛いでしょう」

 

「……つまり役場まで園崎家を恐れていると言う事ですか!? 馬鹿なッ!! あの子はダムとはもう関係ないだろ!」

 

「そう思えない人もいるのですよ」

 

 

 梨花はくるり、二人に背を向ける。

 

 

 

 

「……もう。無理なのです」

 

 

 

 家に帰ろうと、トボトボ歩き出す梨花。その背中は悲しく、目を離した瞬間に消え入りそうだ。

 

 

 

 

「……待ってくれ!」

 

 

 上田は呼び止める。

 ここで止めなければ、彼女がいなくなってしまいそうに思ったからだ。

 

 

「じ、実は! 園崎家は俺に、貸しがあるんだッ!!」

 

 

 その言葉には入江も梨花も驚かされ、彼女の足を止める強い要因になり得た。

 

 

「上田教授……!?」

 

「……本当なのですか?」

 

「……どうにかする!……待っていてくれ……!!」

 

 

 強く強く、上田は言い聞かせる。

 

 必ず沙都子を帰らせるのだと。もう彼女は背負わなくても良いのだと。

 

 

 

 

「……俺が必ず、何とか助けてやる……!!」

 

 

 訴える上田の前。

 梨花の目が、やっと目覚たかのように開かれた。




㌴も㌠も、フランスのお金の単価です。ただ、ユーロになってからはほぼ無くなった状態です。

TRICKや仮面ライダーゴーストで有名な脱出王「ハリー・フーディーニ」は、実は自分を主役にした小説をある作家に書かせた事があります。その作家こそ、クトゥルフ神話の大元で有名な「H.P.ラヴクラフト」で、『ファラオと共に幽閉されて』と言う作品がそれになります。

山田里見は「TRICK 劇場版(2002)」でネット通販を始めていたほどなので、かなりテクノロジーに強い人物だと解釈しております。

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