克己心
「ぐがー……がぁー……」
朝が来る。
「ふにゃ……リュウガのアナザー……実質龍騎……」
山田はまだ目覚めない。
視界の悪い暗がりの中、二人は寄り添う。
ここはダム現場から離れた所にある、捨てられた掘建て小屋。
森の中にあり、窓も無く、完全に密封された場所だ。叫んでも人が来ない辺り、かなり山の最奥にあるのだろう。
まんまと敵に捕らえられた圭一とレナは、手首と足首を縛られて床に座らされている。
手首を縛るロープは壁に打ち付けられた五寸釘と繋げられている為、移動は不可能だ。
「うぅ……」
「ジオ・ウエキめ……とんだ狂人だぜ……鉈も取られたし……」
「……人殺し……だよね……?」
「……レナ。もう考えるな」
そうは言いつつも、圭一は昨夜の出来事を想起しては唇を噛む。
ジオ・ウエキに捕まった時の事だ。
作業員らに捕まり、取り押さえられながらも身体を揺すって抵抗はする。
尤も、相手は工事作業に徹して来た頑強な男たち。中学生の少年少女では太刀打ち出来ない。
「あ〜ら〜? なぁんの騒ぎですか?」
騒ぎに気付いたジオ・ウエキとオカマ現場監督が、小屋から顔を出す。
圭一とレナを見下す目には慈悲だとかはない。残忍で冷たい眼差しだ。
「……ジオ・ウエキ……!!」
「何事かと思えばネズミが二匹入り込んでいたのですね?」
彼女は圭一の顔を覚えており、視認した途端に声をあげた。
「……あらっ! なぁんか見覚えがあると思ったら、あの貧乳女といた!」
「このやろぉ! 離せえ!! 魅音の三億返しやがれ!!」
「確か園崎家の跡取り娘の名前よね? あなたたち、その子とお友達なの?」
ジオ・ウエキの格好は、今までのような派手なドレスではなく、喪服のような黒いワンピース姿。
ハットもまた黒であり、膨よかな体格もあってか童話に出る悪い魔女にも見えた。
彼女はその魔女と言う表現が適当だと思わせるような、凍えるような悪い笑みを浮かべる。
「それは尚更、逃がす訳にはいかないわねぇ?」
「……レナたちをどうするつもり……!?」
レナの質問を聞き、ジオ・ウエキはニタァッと、ベッタリ塗った口紅を歪めた。
そして両手を掲げてポーズを取り、控えていた作業員らと共に宣告する。
「お亡くなり〜!」
「「お亡くなり〜!!」」
ノリは軽いが死刑宣告だ。圭一とレナの顔が瞬時に蒼褪める。
二人が何かを言うより前に、ジオ・ウエキは捲し立てた。
「だだだって逃したらバレちゃうじゃない? そんな事したらアタ〜クシが一年かけた計画がオジャンジャンよぉ!」
下卑た笑みを浮かべた現場監督が、彼女との関係を教えてやる。
「ジオジオちゃんはねっ! あたしたち、建設会社の協力者なのよっ!」
「だからアタク〜シがダム反対派の指導者として村人を洗脳! 暴徒に仕向けて犯罪させれば、世間の目はアタクシ〜たち、建設会社側に寛容になりますわっ!……って作戦よっ!」
「つまりジオジオちゃんは、建設会社のスパイなのっ! だから多少無理して工事遅れさせたりも演出したわ!」
実際、活動の行き過ぎで逮捕される者が出た時、圭一は呆れていた。その感情を世間の人々に広げる事こそが、ジオ・ウエキもとい建設会社側の思惑だったようだ。
「……でもそれは単なる布石ッ! 建設会社側も知らないのは……ア〜タクシは元々、お金が目当てだと言う事ッ!」
ジオ・ウエキは劇主演のような大袈裟な仕草を交え、声高々に「真の目的」を語る。
「一年前、アタ〜クシは『妹』とその『彼氏』……んまぁ、あの子何人も彼氏いるけど……その二人から、園崎家の上納金を奪う計画を持ちかけられたのです。最初アタク〜シは、あり寄りのなしと思っていましたが……アタクシ〜、当時から超能力者として名を売っておりまして、建設会社側からオファーが来ました。建設会社側に味方をつけられ、あり寄りのあり! やるしかねぇ、真の覚悟を決めた訳です!」
息切れし、肩で息をするように深呼吸してから、また続ける。
「妹が園崎家の従業員ですから、色々と情報は入りましたわぁ。妻が危篤のヤクザだったり、庭園の整備を請け負う造園会社、屋敷の間取り、トイレの場所」
「トイレの場所は必要か……?」
「そのヤクザを味方にすれば、もう勝ったも同然! その造園会社にまた駒を作り……ア〜タクシは半年前から仕込み、隠れる時はこの工事現場にこっそり潜む! 絶対に園崎には捕まらない場所!」
そこまで言ったところで、レナは気付いたようだ。
「圭一くん……ジオ・ウエキが消えたりするのって、工事現場に隠れたからだったんだ」
「帰る時はトラックに隠れれば完璧ですわ。その甲斐あり、アタ〜クシは天下の園崎を出し抜き、勝利したのですッ!!」
誇らしげにジオ・ウエキは小屋に入り、ジュラルミンケースを持って圭一らの前に戻って来る。
中を開けて、奪った本物の三億円を見せ付ける。
「この三億円の為に作った協力者は十二人……だけどぉ〜?」
「あのシンって爺さんと、さっきトラックぶつけて殺した造園会社の奴はノーカウントねんッ!」
「妹もバレたっぽいし、邪魔だからその彼氏さんも捨てるとして……残り九人。逆にお金を配布する人数が減ってウハウハですわぁ! 顔がバレている人間はいても邪魔ですものぉ!」
「ジオジオちゃん! あのシンって爺さんの話は? 例え作戦中に死んでも、奥さんの為に渡米費と医療費は出すって話!」
「払う訳ないじゃあないのぉ〜ゲゲゲイちゃん! 末期ガンなんて、この世界どこ行っても治せる訳ないもの!」
「キャアー! 冷酷ッ! 残忍ッ! しかしッ! そこにシビれる憧れるぅーッ!!」
「おっほほほほほ! コーラ飲むわっ!」
小屋からまた、なぜか一リットルほどのペットボトルのコーラを持って来るジオ・ウエキ。
どこまでもノリが軽い彼女らを見て、圭一は戦慄と共に怒りを燃え上がらせた。
「人が死んでんのになんでヘラヘラしてんだよッ!?」
「大した事ないわよぉ? 毎年、世界中のどっかで旅客機が墜落しているわっ! それよりは軽い軽い!」
「重い軽いの問題じゃねぇだろ!! この……人殺しがッ!!」
その言葉が、現場監督の逆鱗に触れた。
「……こんのガキぃーーッ!! お黙りッ!!」
「ブッ……!?」
現場監督は圭一を掴み上げ、ぶん殴る。
一発ではない、捕まえられて動けない彼を、二発、三発とサンドバッグのように殴り続けた。
「やめてぇ!! 圭一くんに酷い事しないで!!」
レナの悲壮に満ちた叫びが響き、やっと彼の拳が止まる。
「……ふふん。彼女に免じて、やめてあげるわっ!」
「ゲホッ……!」
口を切ったようで、ダラリと血が滴る。
情けないそんな圭一の姿を愉悦に思いながら、現場監督は雄々しく訴える。
「人殺し人殺しって、煩いわねっ! 三億円よ? 銃は剣より……じゃなかった。金は命より重しっ!」
「もう! ゲゲゲイちゃんっ! 暴れちゃや〜よっ!」
プシュッと、ペットボトルの蓋を開けるジオ・ウエキ。
「冥土の土産に超能力をお見せしますわっ! 題して、『シュワッと弾けるウエキ・マミヤスパークリング』! イエィイェーイ!」
飲み口を咥え、ペットボトルごと上を向き、物凄い表情でゴクッ、ゴクッとコーラを嚥下して行く。そのスピードは物凄く速く、たった十秒で一リットルのコーラを飲み干した。
「……プハァーッ! イエスッ! イエスッ!……ゲフッ……はい! 超能力ッ!!」
「……ただの宴会芸じゃねぇか!」
思わずツッコミを入れる圭一。
対してレナは、信じられないものを見るような目で、ジオ・ウエキを凝視していた。
「今……なんて?」
「え? はい超能力?」
「その前!」
「イエスイエス?」
「それより前ッ!!」
圭一は驚いた。レナの表情は見た事もないほど怒りで歪み、声色も激情的だったからだ。
お淑やかで、大人しそうな彼女の、凶暴な一面を知ってしまった。
レナに問われ、ジオ・ウエキは眉を寄せながら自分の台詞を思い出す。。
「シュワっと弾ける、ウエキ・マミヤスパークリングかしら?」
「……マミヤ……?」
「あら。言って無かったわね。ジオ・ウエキは世を偲ぶ名前」
空のペットボトルを捨て、彼女は不気味に微笑む。
「本名、『
間宮。
その名前を聞いたレナの心臓が跳ねる。
「……妹いるって言ってたっけ……」
「お、おい、レナ……?」
「……名前、『間宮リナ』とか……言わない?」
ジオ・ウエキ、もとい浮恵は興味深そうにレナを見た。
「あらあら? 妹の源氏名ね。本名は『律子』よ……あっ! じゃああなた、『竜宮礼奈』でっしょー!」
「……ッ!!」
「……え? 知り合いなのか?」
当惑する圭一をよそに、浮恵は勝手に話を進める。
「律子は不出来な妹でねぇ……彼氏と一緒に美人局してるのよぉ? 男囲って貢がせて、最後は『ウチの嫁と浮気しただろ』って揺すって脅してさよならバイバイ!」
「……まさかレナん所……?」
圭一が察してしまい、レナの身体が震えた。
真実を知ったからでもあり、秘密を友達に知られたからでもある。混沌とした恐怖が、心を満たした。
浮恵は尚も続ける。
「今のターゲットの男の……一人娘よねぇ? 何考えてんのか分からないし、オドオドしてて嫌いって言っていたわよん?」
途端に何か悪い事でも閃いたようで、彼女は楽しそうに手を叩いた。
「不出来な妹に代わって、殺す前にこの子のお父さんに身代金要求しようかしら?」
「良いわねぇジオジオちゃんっ! 少年の方はどうするぅ?」
「そんなの、『サータ・アンダ・ギー』よ!」
「多分『サーチ・アンド・デストロイ』ねっ! おら、縛って森の納屋に隠しとけッ!!」
「あー、でも殺すのはお待ちなさ〜い? 一晩、恐怖に浸して懺悔させるのよ!」
「ディ・モールト素晴らしいわねっ! オラッ! テメェらさっさと連行しやがれッ!!」
「「無駄無駄〜!!」」
組員らはそう返事をし、二人の手首と足首を縛って猿轡を噛ませた後に、この納屋に閉じ込めたのだった。
「……レナ。その……なんと言うか……」
レナの父親が、悪女に誑かされている。その事実を聞いてしまった。
だからと言って友達を軽蔑するような男ではない。問題は、「父への危機を聞かされてしまった」レナの心境だ。案の定、父親を深く愛していると言っていた女の本性を知って、放心状態となっていた。
「…………圭一くん……」
突然レナは語り始めた。
「……レナね。最初から……薄々だけど……分かっていたんだ。リナって人は、お金しかお父さんを見ていないって……」
黎明を過ぎ、朝陽に照る。だがそれは外の話、この納屋の中はずっと真っ暗だ。
「……でも、お父さん……凄く、幸せそうなの……前のお母さんと離婚して、ずっとずっと後悔していて……なのに今は笑顔で、楽しそうに朝から晩まで過ごしていて……」
「…………」
「……お父さんが幸せなら……って、レナは黙っていたの……」
「でも」と続け、怒りがまた出てきたのか、下唇を少し噛む。
「……もう分かった。あの女は最悪だって……お父さんの幸せを奪いに来た悪魔なんだ……」
怒りは通り越し、残るは何も出来ない自分への悔しさと悲しみ。下唇を噛んでいたのは怒りを押し殺す為ではなく、涙を我慢する為だった。
「……なんで……そこまで気付けなかったんだろ……! お父さんを幸せにしたいって思っていたのに……! 私が支えてあげようって思っていたのに……!」
「………………」
「私はずっとずっと……間違えて来た……! 間違えて、間違えて間違えて間違えて……みんなを不幸にしてきた……!」
「…………おいレナ」
「今度こそは幸せになって欲しいって……なのに、また間違えた……!」
「……レナって」
「今も……私がまた、お父さんを不幸にしようとしている……!」
「レナ」
「こんな私なんて……っ!」
「レナッ!!」
圭一の叫びに、涙を零しながらハッと顔を上げる。
そして、愕然とした。
縛られていたハズの圭一の手が、自由になっていたからだ。
「……え!? け、圭一くん……!?」
「………………」
「ど、どうやったの……!?」
圭一は何とか腕を使って這い、部屋の隅に置かれていた鉈を手に取る。
「山田さんに教わったんだ。両手を閉めて縛られるんじゃなくて、開いて縛られたら、閉じた時に抜け出せるってさ」
鉈で足首の縄を切り、圭一は自由の身となる。
そしてふらふらと立ち上がると、今度はレナを解放しようと歩み寄った。
「……マジにあの人、師匠って呼ぼう。もう『御山田様』だよ……」
レナの近くまで寄ると、しゃがみ込んで視線を合わせた。
「レナ。しーーっかり、よく聞け」
泣き顔の彼女の前で、太陽のような笑顔を見せながら訴える。
「親父さんの為に泣いて、思って、幸せを考えられる……そんな子が、親不孝な訳あるもんか」
「でも、私のせいで……!」
「……ははっ! レナって、自分の事『私』って言うんだな!」
ハッとして、思わず黙り込んだ。いつも彼女はみんなの前で、「レナ」と呼ぶ。
「……レナ。お前は背負い過ぎなんだよ。そりゃ人間、間違うさ。俺だって何遍も何遍も、間違えて来たんだ」
「圭一くんも……?」
「………………」
鉈で五寸釘とレナを繋ぐ縄を、切断する。
その間圭一は、少し迷った末に自分の過去を話そうと決意した。
「……俺がなんで東京から来たか言ってなかったな…… 親の都合とかさんざ言ってたが」
「……え?」
「親じゃねぇ。俺が原因なんだ……受験勉強でイライラし過ぎて、その……モデルガンで子ども撃っちまって怪我させたんだ」
あの朗らかで優しい圭一が、とレナは驚き、彼の過去を聞いて絶句してしまう。
彼女のショックを察知しながらも、圭一は懺悔のように話を続けた。
「そんでまぁ……父さんと母さんはそんな俺を落ち着かせる為に、この村に越したんだ」
「…………」
「今でも思う。上手くイライラを解消出来なかったのかとか、親父とかに相談出来なかったのかって……でもその時はその時に精一杯で、間違えた……本当に怪我させた事、悔やんでも悔やみきれない。俺なんて生まれなきゃ良かったなんても思ってた」
レナを切らないように気をつけながら、手首を縛る縄を分断する。
とても悲しい目付きをしていた圭一だが、次に見せた笑みは溌剌としていた。
「……でも。そんな俺は……沙都子に梨花ちゃん、魅音に、お前に……救われたんだ」
「………!」
最後に残ったのは足首の縄。
「……だから俺を救ってくれたように、今度は俺がお前らを救いたいんだ」
丁寧に両断し、拘束から解放してやる。
「間違えないようにしたって、どうやっても間違いは出来る……でもこれからは間違ったら……俺とか魅音とか、全員に頼れ。そんで俺が間違えそうになったら、助けてくれ……もう一回言う。お前の味方は、沢山いるんだ」
手を差し伸べた。
「……ほらっ。みんなを助けに行こうぜ……ジオ・ウエキを止められるのは、俺たちだけだ」
その手を、レナは掴んだ。
涙の目は、嬉しそうに綻んでいる。もう彼女を縛るものはないのだから。
朝になり、上田は速攻で園崎に行く。
貸しはあるハズだ。だから助けてくれるハズ──その期待は儚く散った。
「……無理だって!? ど、どう言う事です、葛西さん!?」
通された客間で、上田は声を荒げた。
向かい合わせに座っている渋面の葛西が、申し訳なさそうに告げる。
「……頭首は……あなたがたに『貸しはない』と言って聞かないんです」
「そんな……だって、山田と……!」
「私は本当に、山田さんと上田教授には恩を感じております。裏切り者を暴き、ジオ・ウエキに屈しかけた我々の面目を守ってくださりましたから……しかし、頭首の考えは違う」
葛西が伝えた頭首の言葉は、上田に強いショックを与えた。
「……『三億円は結局、戻っていない。魅音との約束は三億円の奪還のハズ』……だと……」
「そんな、馬鹿な……!?」
思わず机に手を突き、上田は前のめりになって訴える。
「三億は犯人側の事故で焼失した! もう取り戻せるものじゃないッ!?」
「……不甲斐、ありません」
「……葛西さん……お願いします……! 沙都子を、助けてやってください……!」
頭を下げるが、変わらない。
「私の一存では役場まで動かせません……魅音さんも同様。あくまで全権を握っていらっしゃるのは頭首、『園崎お魎』さんです……あの方が納得しなければ、我々も動けないんです……」
「……だったらその頭首の所に案内してくださいッ!! 俺から言って聞かせてやるッ!!」
立ち上がり、奥座敷へ行こうとする上田。
葛西は急いで上田を羽交い締めにして止める。
「待ってくださいッ!? そんな事をしては、あなたの立場が一層悪くなるッ!!」
「三億円が三億円がって、そんな屁理屈が聞けるかってんだッ!! 離してくださいッ!!」
「村に居られなくなりますよ!? そうなると、助けられるものも助けられなくなるッ!!」
「だからって沙都子を見殺しに出来ませんよッ!!!!」
騒ぎを聞きつけた組員らも、合わせて上田を取り押さえようとする。
それでも彼は抵抗を辞めずに叫ぶ。
「その子の親がした過去だとか因縁だとかッ!……それを勝手に負わして……! 何になんだッ!!」
血の繋がり、一族の掟、村の風習……上田は全てにうんざりしていた。
脳裏に浮かんでいたのは、そう言ったもので不幸を強いられ、最後には命を落とした「ある親子」の姿。
あの日見た「山の炎」はこの先も忘れられないだろう。
そしてまた脳裏に浮かぶは、自分の血筋に縛られ続けている──山田の事。
だから上田は、沙都子を他人事に思えなかった。
「……もう……もう良いだろ……ッ!」
悲痛に満ちた声で訴えながら、取り押さえる組員らを引き剥がそうと精一杯暴れた。
ふと、顔を上げる。
いつの間にか目の前に誰か立っていた。
「誰だアン──」
「フンッ!!」
「ポゥッ!?」
鳩尾を殴り、頭が下がる。
その下がった上田の頭を鷲掴みし、思いっきり硬い机へ叩き付けて気絶させる。
「なんだい朝っぱらから……本家でぎゃあぎゃあ喚くたぁ、良い度胸じゃないのさ」
畳の上で伸びた上田の前には、着物姿で冷たい目をした女が立っていた。
魅音と詩音にどこか面影が似ているその彼女を見て、葛西は唖然とした様子で名を呼んだ。
「あ、『茜さん』……いらっしゃったのですか……?」
「三億の件でね。今来たところだよ」
茜と呼ばれた女は上田を一瞥し、厳しく吐き捨てる。
「お魎さんの言う事は絶対。たかが手品暴いたからって、ウチが動くと思ってんのかい?」
それから次は、部屋にある組員らと葛西を見据え、命じた。
「本当なら半殺しだが……まぁ、それなりの恩は恩だ。とっとと追い出して、そんでもうウチに入れさせないようにしな」
「茜さん……あの……」
「葛西。本当ならアンタも、指詰めるべきだったんだよ。良く考えて二の句継ぎな」
「…………分かりました」
気絶した彼は組員らによって運ばれ、屋敷外に棄てられる。その衝撃で、上田は目を覚ました。
「ブフ……! 頼む……頼む……!」
組員らは一瞥もくれず、一列になって駆け足で屋敷に戻って行く。
完全に自分は見放されたのだと察した。
「……うっ……ぐぅう……!!」
這い蹲りながら、上田は泣いた。
しかしすぐに眼鏡を外し、涙を拭う。何度も何度も拭う。
「……………………」
土を握り、眼鏡を掛ける。
自分が泣いてどうする。沙都子は今、この時も泣いているハズだと、自らを奮い立たせた。
「……やるしかない……!」
ふらつく足を何とか整え、立ち上がった。
「……こうなりゃ! プランBッ!!」
身を翻す。
向かう先は神社──悲しみと孤独に溺れている、梨花の元へ。
その頃の山田。
「トイレツマルーーッ!!」
倒した障子の上で寝言を叫びながら、まだ目覚めていなかった。
途端、ドンドンと、扉を叩く音。
寝坊助の山田と言えども、煩い音では起きざるを得ない。ゆっくり、鬱陶しそうな顔で顔を上げる。
「なんだよこんな朝っぱらから……新聞取ってねぇよ……」
ふらふらしながら玄関先まで歩く。
そして戸を開けた。
「山田さん!! いや、師匠ッ!!」
訪問者は圭一だった。