TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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罪作り

 嫌な予感が胸を騒つかせ続ける。手放してしまえば、一生手に届かなくなってしまうような焦燥感だ。

 

 

「……レナッ……!」

 

 

 夜道をひたすら駆け、停留所を目指す。

 圭一の目はもう、前しか映していない。

 

 

 月光が消えた。月を不吉に雲が隠してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 レナの真上、こちらを俯瞰する律子。

 

 その目に、彼女は凍らされた。

 街灯の逆光で影に覆われた顔。しかし目だけは爛々と、野生的な光を放っていた。

 

 殺意、敵視、狂気、絶望、怨憎。

 数多の感情が腐敗し、湿り気を帯び、目を通じて自分へ降りかかるようだ。

 

 

 

 いや、本当に、生暖かいものが降って来ている。

 血だ。彼女が殺した浮恵の返り血だ。

 

 

「あんたもアタシを追って来たワケ?」

 

 

 叫びも弁解も出てこない。

 気付いた時には、律子の両手がレナの喉を掴んだからだ。

 

 

 

「ぐぇ……ッ!?……!……!!」

 

 

 首を掴んだまま、上へ引かれた。

 首が締まり、呼吸が止まる。

 パニックに陥り、手を引き剥がそうともがく。

 

 

「あはははははは!!」

 

「ぅ……! うっ……!!」

 

 

 レナは咄嗟に、彼女の小指を掴んで思いっきり引く。

 

 全ての指に力を込めても、小指だけは筋力の差でどうしても力が入りにくい。相手が男だとしても、小指は子どもの力でも折る事が可能だ。

 

 

「イッ!?」

 

 

 ボキリと鈍い音が鳴り、律子の右手小指が外側に折れた。

 激痛に耐え切れなくなり、レナを待合室から放り出す。

 

 

「ゲホッ!……えほっ……!!」

 

 

 酸欠状態で頭がクラクラする。

 それでも逃げ果せようと這い、立ち上がる為に上半身を腕で支えた。

 

 

 

 

 脇腹に衝撃、そして激痛。

 律子が鉈の峰で、レナを殴った。

 

 

「がぁ……ッ!?!?」

 

 

 吸い込めた空気が一気に離れ、混乱から過呼吸に陥った。

 痛い、痛い、痛い痛い……脇腹を押さえて、街灯の下で無様にのたうち回る。

 

 

 べとり、暖かい物に身体が浸される。

 顔を上げると、そこは血溜まり。

 浮恵の惨殺死体の側まで来ていた。

 

 

「ひ……ッ!?」

 

 

 白い服は赤黒く染まり、気色の悪い感触が身体を包む。

 眼前には顔面が刻まれ、脳、骨、眼球が潰れて露出していた。

 

 我慢していた嘔吐が、再び込み上げる。

 何とか口を押さえて止めたが、律子に蹴飛ばされ路上を転がる。

 

 

 

 

「あっははははは!! ゴミ袋みたいッ!!」

 

 

 汚れ、血に塗れ、夏の暑さでむせ返る、染み付いた腐臭。

 どろどろに泣きじゃくり、怯えた目で律子を見るレナは、あまりにも穢らわしい。

 

 

「ぃ……あぁ……!?」

 

「見て、この指ッ!! これじゃあもう、マニキュア付けられないじゃないッ!? あははは!! 何てことすんのよクソガキッ!!」

 

 

 レナの身体を踏み付ける。

 何度も何度も踏み付ける。

 

 

「おぇ……ッ!!」

 

「このクソッ!! クソッ!! 生意気なのよガキの癖にッ!?」

 

 

 腕を投げ出し、無抵抗のレナへ、馬乗りとなる。

 狂った目をした、血濡れの律子が、レナを愉快そうに見下す。

 

 

「ゃ……ゃめて……!!」

 

「あっははははは!! 無様ねぇ!! 聞いてるわよ、あんたのお父さんから!!」

 

「……!?」

 

「離婚した母親のお荷物ってぇ!? 何考えてるのか分からないし、話し方はおかしいし!!」

 

 

 鉈が振り上げられる。

 

 

「『キレて学校中の窓ガラス割った』!?『生徒をバットで滅多打ちにした』!?」

 

 

 すぅっと、心が空いて行く感覚。

 

 

「そんな事友達に知られたら嫌われるよねぇ!!」

 

 

 自分は死ぬと言う直感と、或いは過去を暴かれた衝撃。

 

 

「あんたなんかを、愛してくれる人間はいないのよぉッ!!」

 

 

 街灯で鈍く光る鉈と、燃えるような律子の目を、ずっと見ていた。

 

 

 

 

 振り下ろされようとする鉈。

 レナは指先に、何かが当たった事に気が付いた。

 

 

 

 浮恵が持っていた、ジャックナイフ。

 刹那、彼女は考えるよりも先にナイフを握り締め…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走り、転び、道路に出た圭一。

 ぽつぽつと点在する街灯の下を走り抜け、停留所に辿り着く。

 

 

 

「…………レナ?」

 

 

 待合室の前に蹲る、二つの影。

 スポットライトのような街灯の光。

 白い明かりが宵闇を晴らすは、真紅の惨劇だ。

 

 

「は……?」

 

 

 立ち止まり、呆然と眺める。

 間違いなくそこには、二つの死体が転がっていた。

 一人は腕を投げ出して大の字になり、もう一人はうつ向け。

 

 

 

 

「ぅッ……!? うわああ!?」

 

 

 思わず腰が砕け、その場に尻餅。

 酷い殺され方だ。顔面は微塵切りにされ、生前の面影がない。

 だが見た事ある服装だ。圭一はすぐ合点が行く。

 

 

「じ、ジオ・ウエキ……!?」

 

 

 身体を震わしながら、もう一人を見る。

 浮恵の姿に比べ、まだ綺麗な姿なのは不幸中の幸いだろうか。

 

 しかし死顔は醜く歪み、恐怖の瞬間で静止していた。

 

 

 

 

 頭部から流れる血と、更には鋭利なもので刻まれたのか、首が傷まみれで血に染まっている。

 

 

 

 

 圭一を驚かせたのは彼女の首元。

 ナイフを自分で、何度も喉に突き立てたようだ。

 

 

「自殺か……!?」

 

 

 女の死体。圭一は、その死体の足元に財布が落ちてある事に気付く。

 中身を開き、免許証を抜いた。

 

 

 

 

『間宮律子』

 

 

 

 

 覚えがある。確か、浮恵が言っていた「妹」。リナとも呼ばれていた。

 レナの家へ、美人局目的に現れた悪魔の女とも。

 

 

 

 

 

 辺りを見渡した。

 されど肝心の彼女はいない。

 

 

 

 

 

「…………レナ?」

 

 

 圭一は名前を呟いて、そのまま立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道路を走るレナ。右手には、血濡れの鉈。

 むせ返る暑さの中、まるで厳冬にいるかのように震えている。

 自分の身体を抱き締めていた。震えを止める為に。

 

 

 

 一頻り走った所で、彼女は何かを発見する。

 一際大きな、何かの本だ。

 

 

 

 何の気まぐれだろうか。彼女はそれを、血だらけの手で拾った。

 

 

 

 

 名前がある。

 

 

 

 

『鷹野三四』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 捜索中、上田は気付いた。

 

 

「な、何たる事だ……!!」

 

 

 自分の鞄の中には、何も入ってなかった。

 鞄には、切り口があり、そこから全てダダ漏れだ。

 

 確か、最遊記三人組と戦った時、カッパの攻撃で鞄が破れていた。

 

 

 

「鷹野さんの『スクラップブック』……!! オーマイゴぉぉぉおットッ!!」

 

「どうしましたジロウ!?」

 

「最低だ……俺……」

 

「賢者タイム……!?」

 

 

 上田の悲痛な叫びが轟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──既に昼下がり。矢部たちは、興宮市役所に来ていた。

 入り口で職員が四十人体制で出迎えてくれる。

 

 

「ようこそ〜興宮へ〜!」

 

「オキティぃぃぃいいいいいいいいぃぃいいッッ!!!!」

 

 

 一緒にいたゆるキャラのおっきーによる熱烈な歓迎まで受ける。

 

 

「どういう挨拶やねん! やっかましいな」

 

「先輩! おっきーですよおっきー! カルデアは岐阜にあったんだ!」

 

「カルデラはくまモン県にあるけぇの!」

 

 

 四人は図書館に入り、司書と会う。

 カウンターでぼんやり、新聞を読んでいた老人へ菊池が話しかける。

 

 

「エクスキュースミーッ!!」

 

「じゃあしい! 図書館なんやから、静かにすんべさ!」

 

「すいません」

 

 

 仕方なく、矢部が話しかけた。

 

 

「あのぉ〜、ちょっとお話お聞かせいただきたいんですけどねぇ〜?」

 

 

 警察手帳を見せつけてやると、老人の眉間には更に皺が寄る。

 

 

「……最近の警察はお札を全身に貼り付けとるんか?」

 

 

 矢部と菊池の身体には、色々なお札やお守りが付けられていた。

 

 

「あ、これ特別な事情がありましてねぇ? 気にせんでください〜」

 

「……刑事さんが、何のようだべ」

 

「いやね? 別に事件とかってのやないんですわ。ちと、旧雛見沢村の資料が欲しいんですわ」

 

「……なんでじゃ」

 

 

 司書は驚いたように、目を開いた。

 

 

 一方、ホールでおっきーと戯れる石原と秋葉。

 二人を無視して、顔色の変わった司書へ菊池が質問する。

 

 

「どうしたんですか」

 

「もうちょい声大きせぇや」

 

「どうしたんですかッ!!??」

 

「極端かお前は」

 

 

 

 石原と秋葉とおっきーが、突如現れた隣町の蛇女のようなゆるキャラと戦っていた。

 

 

「ラミア! ラミア!」

 

 

 司書は半分うんざり、半分驚愕しながらも話し出す。

 

 

「……資料は今ないべ。昨日、東京の学者が借りて行きよった」

 

「東京の学者ぁ? また奇遇やなぁ。ワシらも東京から来たんですわ!」

 

「…………」

 

 

 何かを悟った司書は、カウンター下から何かを取り出して二人に見せた。

 それは上田の新著「上田次郎の新世界」と、付録のクリアファイル。途端に矢部も菊池も仰天し、目を点にする。

 

 

「え!? 先生ェ!? 東京の学者って上田先生!?」

 

「上田教授も来ておられるんですか……」

 

 

 まだ戦っている秋葉たち。

 

 

「ワシはのぉ、正義のヒーローになりたかったんじゃ!」

 

 

 何か言っている石原を無視して司書は続ける。

 

 

「……何でか、あの学者も、雛見沢村に疑問があるとか言っての」

 

「さすがは先生や! アンテナびゅんびゅーんやな!」

 

「……やめた方がええ……あの村は呪われとる」

 

 

 信心深い司書に呆れた様子で、菊池は彼の忠告を突っぱねる。

 

 

「それに関しては問題ないッ!! 我々にはこのお札があるッ!! まぁ僕は幽霊だとかは信じていないが、この男がどうしてもと」

 

 

 矢部は彼の顔面に一発いれて黙らせた。

 

 

「……まぁ、仕事なんですわ。そんで、司書さんが、旧雛見沢村について何か知ってはるんなら聞かせてもらいたいんですがねぇ?」

 

「……綿流しの日くらいしか知らんが」

 

「綿流し?」

 

「旧雛見沢村で行われていた祭りだよ矢部くん」

 

 

 全く無傷の状態で、殴られたハズの菊池が注釈を入れてくれた。

 

 

「お前、顔面頑丈になったか?」

 

「見たまえ。このお札のルーンが護ってくれたのだ!」

 

「じゃあ、そのお札を取って……そぉーい!!」

 

 

 お札の効果を無くしてからもう一発。

 今度こそ菊池を黙らせてから、矢部は話を続けた。

 

 

「当時の様子知ってはるんなら大助かりですわ」

 

「……あの日は祭りに参加しとっての。聞いたんじゃ」

 

「聞いたって、なにを?」

 

 

 思い出すのが苦痛なのか、顔を顰めながら、その日の話を粛々と述べて行く。

 

 

 

「……祭りの日。二つの事件が起きた」

 

「二つの事件?」

 

「……男と女がその日、死んだんだべ」

 

「それは殺人で?」

 

「一人は自殺……もう一人は殺されたらしい」

 

「どんなんかは、覚えていますかねぇ?」

 

 

 秋葉が箒を掲げ叫んでいる。

 

 

「エクスカリバぁぁぁぁぁぁあッ!!」

 

 

 箒が放つ謎の光を浴びながら、司書は矢部を見据えながら語った。

 

 

 

 

 

「……男は『首を掻き毟って死に』、女は『ドラム缶の中で焼かれて殺された』……そして暫くして、村は滅んだべ」

 

「ほな東京帰りますわ。ご忠告、ありがとさん」

 

 

 鬼気迫る司書の話を聞き終えると、矢部は真顔で東京に帰ろうとする。

 それを帰って来た秋葉、石原、おっきーが引き止めた。

 

 

「いやいやいや矢部さーん!」

 

「ここまで来たんじゃから、行くとこまで行かんかのぉ!?」

 

「オキティィぃぃぃいいいいいいいいぃぃいい!!」

 

「なんやねんコイツ」

 

 

 鬱陶しそうに頭を掻く矢部。その際に少しズレてしまい、それを見た市役所の所員たちは悲鳴をあげた。

 

 

「せやかてお前ら、人間が神さんに敵う訳ないやろぉ? ワシらもその内、首掻き毟って殺されんで?」

 

「安心せぇ兄ィ! どうせナイフかなんか持って、首にイーッてやったんじゃろ?」

 

「そっちの方がなかなかエグいですけどね〜?」

 

 

 三人は話し合いながら市役所を出て行った。

 そんな彼らの背中を、司書の老人は据わった目で見送っていた。

 

 

 取り残された菊池が立ち上がり、ふらふらと彼らを追う。

 

 

 

 

 

 

 資料はなく、しかしある程度の調査をしなければ、赤坂警視総監は納得しない。そうなれば矢部の「ケンゾー・警視グレードアップ計画」はオジャンだ。

 そう考え直した矢部は、とある決心をする。

 

 

「……しゃあない。行くかぁ」

 

「え? 行くって、どこにです?」

 

 

 矢部は一大決心をする。図書館から出て寒空へ指を掲げ、宣言。

 

 

 

 

 

「ワシらも旧雛見沢村にレッツラゴーや!!」

 

「え、矢部さんマジで言ってます?」

 

「呪われた大地に行くのは勘弁じゃ!」

 

 

 その宣言を聞いて渋る二人を、今度は矢部が説得する。

 

 

「ちょっと行って写真撮ったらええやろ。それに上田先生も調べとるらしいし、大丈夫やろ!」

 

「前が見えねぇ」

 

 

 公安カルテット、村へ飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で矢部たちに調査を命じた当の本人である赤坂は、警視総監としての執務をこなしていた。

 そんな最中に突然響く、扉をノックする音。

 

 

「入りなさい」

 

 

 許可を得て入室したのは、まだ若い女。赤坂は彼女の姿を見て目を丸くし、次に「やれやれ」と俯いた。

 

 

 

 

「……『美雪』、お前か……」

 

「えぇ、私です。赤坂警視総監?」

 

「……昔みたいに『お父さん』って言っておくれよ」

 

「公私を使い分けろって教授してくださったのはそちらですよ?」

 

「……本当に母さんそっくりだ」

 

 

 作業の手を止め、美雪の報告を待つ。彼女は抱えていた資料を、赤坂の前へ置いた。

 その手の薬指にはエンゲージリングが嵌められている。赤坂の実娘ではあるが、結婚して今の苗字は「反町」だ。

 

 

「旧雛見沢村で起きた事件について、何とか当時の捜査報告書を手に入れました」

 

「悪いな」

 

「わざわざ『ライター』として興宮まで行ったんですから……所謂、『鬼隠し』と呼ばれた一連の事件の物と、大災害までに起きた不審な事件の資料です」

 

 

 それらに目を通す赤坂。

 北条夫婦の事故から始まり、二人の男女の死亡で終幕した鬼隠し──その一連の事件とは別に起きていた、「とある二つの事件」の資料だった。

 

 

「鬼隠しと呼ばれる事件の前年秋に起きた事件です。当時進められていたダム建設の、監督になる予定だった男性が興宮市内で殺害されたもので……」

 

 

 赤坂は途端にどこか懐かしむような目でその資料を読んでいる。

 

 

「……大石さんの言っていたのは……」

 

「警視総監?」

 

「ん……いや、すまない。続けてくれ」

 

 

 怪訝に思いながらも美雪は続けた。

 

 

「二つ目は、『営林署籠城事件』。これは災害の前日に起きました」

 

「そんな事件があったのか……」

 

 

 事件の内容を見た彼は、悲壮感を滲ませた表情で眉を寄せた。

 

 

「……学校が丸ごと吹き飛んだ」

 

「一人の生徒が犠牲にもなりました。この事件を受けて、当時監督に当たっていた警部補が解任を受けたそうで……何でも、籠城事件の犯人である少女を疑心暗鬼に陥れた張本人だとか」

 

「…………」

 

「事件終焉の翌日中に、園崎家が判明させたそうです。園崎家に関する情報を流したり、有りもしない陰謀論を信じていたりとか……犠牲者が園崎家の人物だったので、怒りを買ってしまったのでしょうね」

 

 

 間違いない、その警部補とは「大石さん」だと赤坂は理解する。

 彼は定年間際に以上の不祥事から引責解任し、以後は目当てにしていた年金が支給されず、火車の晩年を過ごしていたとか。

 

 

 おかげで彼が必死に追っていた鬼隠しについては捜査は止まり、今になってやっと捜査資料が入った。

 赤坂自身も彼と偶然再会したのは、二◯◯五年の雛見沢村訪問時。災害後すぐに会いたかったものの、大石はその災害後に引っ越し、連絡先が分からなくなっていた。

 

 

 そこで初めて、「あの少女」の死を知った。

 当時の衝撃と嘆かわしさを思い出し、彼は首を振る。

 

 

「幾つかの資料はデータにして、既に菊池参事官へ送信いたしました」

 

「さすがだ……私情で捜査させて悪かったな。今度、母さんと彼とみんなで食べに行こうじゃないか」

 

「……『娘はやらん』って言って、取っ組み合いになっていたのが懐かしいですね」

 

「忘れてくれ」

 

 

 恥ずかしそうに眉間を摘みながら、赤坂は椅子を回してそっぽを向いた。

 

 

 美雪が次に彼へ話したのは、公安カルテットの件。

 

 

「それで……菊池参事官の紹介とは言え、あの矢部って警部補で良かったんですか? 調べたら色々、悪い噂があるみたいですけど」

 

「しかし検挙率は公安部でも随一じゃないか。過去には南シナ海の島で、『村上商事』の非人道的行為を暴いたとか」

 

「……優秀らしいですけど。公安の同僚の方々は『誰かいなきゃ何も出来ない奴のハズ』って首傾げていましたよ」

 

「曲がりなりにも公安部だ。県警から警視庁に引き抜かれたと言う事は、それなりに実績がある証拠だろう」

 

「……捜査サボって旅行した費用を経費にされたって聞きましたけど」

 

「まぁ人間、間違いはある。うん」

 

 

 執務室を出ようとする美雪。

 その際、スマートフォンを取り出して辿々しく操作する赤坂が目に入り、呆れ顔。

 

 

「そろそろタップになれましょうよ」

 

「いやぁ……俺の新任時代には携帯電話も無かったから……まさかタッチする携帯が出るとはな」

 

「それと、また私に電話番号間違えて教えていますよね?」

 

「……間違えていたか?」

 

「これ、昔の家の電話番号じゃないですか」

 

 

 現在の電話番号と昔の電話番号が妙に似ていた為、彼は不意に間違えて電話番号を言ってしまう事があるそうだ。

 電話番号は全て覚えていなくてはいけない時代の人間らしいと言えばらしいが。

 

 

「すまない……どうにも慣れんな」

 

「警視総監なんですからしっかりしてくださいよ、『お爺ちゃん』」

 

 

 不意打ちに「お()さん」と呼ばれ、また目を丸くする赤坂。

 彼のリアクションを楽しみながら、彼女は綺麗に一礼して退室する。

 

 

 

「…………参ったなぁ」

 

 

 苦笑いを誰もいない執務室で溢す。

 

 

 

 

 一瞬の間を置いて、「お父さんって言ってなかったよな」と気付き、真顔になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………お爺ちゃん?」

 

 

 たまげて椅子から落ちかけた。


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