TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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業の完結編、「ひぐらしの鳴く頃に 卒」が放送決定。
どうなる沙都子。どうなる梨花。七月の、ひぐらしの鳴く頃まで待ちましょう。


短兵急

 あの日は晴れたお昼頃。

 

 外は暑かったが、六月ではまだ涼しい方だった。

 

 車に揺られて、少し微睡む。

 

 うつらうつらと、船を漕ぐ。

 

 

 コンコンと、音が鳴った。

 

 目を向けると、車の外に母親がいた。

 

 

 窓を叩いて、呼んでいる。

 

 鍵が閉まっていたようだ。

 

 開けてあげようと、目を擦りながら手を上げた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぁ?」

 

 

 沙都子は机の上で、微睡みから覚める。

 ハッとして前を見ると知恵先生が授業を進めていて、クラスメートたちは板書に勤しんでいた。

 

 

 

「……いけませんわ。梨花の為にもノートは写さなくちゃ……」

 

 

 大急ぎで手放していた鉛筆を取る。

 ほんの少しの居眠りで、頭は冴えていた。ノートに目線を向ける。

 

 

 鉛筆を立て、黒鉛を紙に当てた。

 

 

 書こうと指を動かした時に、ふと夢の中の出来事を思い出そうとして止める。

 

 だがどう言う訳か、もう忘れてしまっていた。

 

 

 

 気にせずまた、書き始める。

 どうせ何でもない夢だったのだろうと、納得させた。

 

 

 

 

 

 

 強い、違和感を残しながらも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し戻り、古手神社での出来事。

 梨花が呼び出した入江は、死にそうな顔で居間に到着する。

 

 

 卓上には、次郎人形と首無しオニ壱が、並んで座っていた。

 それぞれ手に、「卒」と「業」の文字が書かれたボードを持ちながら。

 

 

「ゼェ……ゼェ……! 鳥居の前辺りで意識飛ぶかと思いました……!」

 

「みぃ。草野球チームの監督なのですから、もっと体力付けた方が良いのです」

 

「鬼コーチだ……」

 

「それで……話と言うのが──」

 

 

 梨花はまず、上田と山田に雛見沢症候群のあらましを教えた件を正直に伝える。

 分かりきっていた事ではあるが、入江は酷く動揺を見せた。

 

 

「ど、どうし──うぇっふぇッ!! ゼェー、ヒィーッ……!!」

 

「呼吸を整えてから喋るのです」

 

「す、すいません……ふぅ……雛見沢症候群の研究は、極秘中の極秘……第三者が知ったとなれば、大問題なんですよ!?」

 

「それは勿論、知っているのです」

 

「と言うより……どうして山田さんと上田教授に……!? もしかして……」

 

 

 入江が言い切る前に、梨花は首を振って否定。

 

 

「『組織』とは関係はないのです」

 

「なら、殊更どうして……」

 

「入江。これから言う事は、絶対に誰にも言っちゃいけないのです」

 

「……え?」

 

 

 次に伝えた事は、今年の鬼隠しは鷹野と富竹が遭う事と、その後に自分が殺される事だ。

 それらを回避する為に、上田と山田を引き込んだとも理由を説明した。

 

 

 言ったところで、信じてくれる内容ではないが。

 

 

「鷹野さんと、富竹さんが……お、鬼隠し、に?……それに、梨花さんが……?」

 

「………………」

 

 

 入江は一瞬だけ目を逸らした後に、神妙な顔付きで向き直る。

 

 

「まさか……そんな事、ありえません……」

 

「……ボクもありえないとは思うのです。でも、そんな気がしますです」

 

「……梨花さんの勘の鋭さは、良く知ってはいます。それで助けられた御恩もあります……」

 

 

 

 

 そう前置きした上で「しかし」と、一言入れてから反論した。

 

 

「……あまりにも不確定的です。それに鷹野さんには梨花さん同様、護衛も付けられています。それらを掻い潜って殺害するとは、難しいかと……」

 

「ならせめて、その警護を綿流しの日だけでも厚くしてあげて欲しいのです」

 

「それぐらいでしたら……でもそれ程の事なら、私に言えば良かったのでは……? その、山田さんと上田さんを巻き込んだ事に納得が行きません」

 

「もしかしたら、護衛だけでは足りないかもしれないのです」

 

 

 梨花のその宣言に対し、入江は懐疑的な目で以て迎える。

 犯人探し含めて、こちらに打診すれば良かったのではと言いたげだ。

 

 

 矢継ぎ早に梨花は、山田と上田を引き込んだ理由を話す。

 勿論、二人が未来人だと言う話はしないが。

 

 

「これから起こる事は恐らく……ボクたちでさえ見落としているところから来ているのです。もしかしたら、これまでの鬼隠しにはまだ『秘密』があるかもしれないのです」

 

「秘密……です、か……?」

 

「あの二人は組織や村の(しがらみ)に囚われず、自由に解き明かしてくれる力があるのです。それは入江も、知っているハズなのです」

 

「………………」

 

 

 上田は、戻って来た鉄平から沙都子を救ってくれた。

 噂に聞けば二人で協力し、園崎家から盗まれた三億円を取り返したとも聞く。

 行方不明だったレナを探し当てたとも聞いた。

 

 

 この数日に於ける、山田と上田の活躍は驚異的なものだ。

 正直本当にマジシャンと大学教授なのかとも疑ってしまうほど。

 

 

 

 梨花が信頼するのも無理はないかとは、入江は思った。

 だがそれでも、解せない点はある。

 

 

「……しかし、梨花さんの話はあくまで仮定。確証は、あるのですか?」

 

「ないのです」

 

 

 どうせ言っても信じないと、真意を隠した上でキッパリ告げた。

 入江はやや拍子抜けしたように目を丸くする。

 

 

「……言っちゃなんですが、良く上田教授も山田さんも協力してくださりましたね……」

 

「……あの二人の、ちょっとした秘密をつついただけなのです」

 

「ちょっとした秘密?」

 

 

 未来人の件だが、言える訳もないので「本当にちょっとした秘密」とはぐらかす。

 

 思えばこの点だけで二人を無理矢理納得させたが、山田らから疑いの念を拭えなかった。

 協力者は得ているようで、実はまだ自分は一人なのかもしれないと、梨花は多少なりとも焦っていた。

 

 

 

 

 

「……入江」

 

 

 入江に全てを語った事は、そう言った焦りが生んだものだろう。

 梨花なりにそう自覚してはいた。

 それでも引き下がる気にはなれない。梨花はありったけを賭けるつもりでいた。

 

 

 

「信じてくれないのなら、それでも良いのです」

 

「そ、その……確かに信じられない事とは思いますが、信じないとは……」

 

「研究の邪魔はさせない……せめて、山田と上田には協力してあげて欲しいのです。雛見沢症候群の事、組織の事……」

 

 

 惨劇を止める為なら何だってやってみせる。

 その為には、薬だけではない。毒さえも使わねば。

 

 

「もうお二人に知らせてしまったのなら……言い方は悪いですけど、緘口の為にも話す必要はありますね」

 

「事前に知らせなかったのは、ごめんなさいなのです」

 

 

 謝罪したその後に、キッとした目で入江を見据える。

 

 

 

 

「……でも。入江も、ボクに知らせてない事があるハズなのです」

 

「……へ?」

 

 

 心なしか雰囲気の変わった。

 時折伺える彼女のその一面には、入江も驚かされている。

 

 だが今回は一段と、神妙で本気だ。

 年不相応な気迫に当てられ、緊張から思わず生唾を飲む。

 

 

 

 

 

「……『集団発症』が起きたら、次はどうなるのですか?」

 

 

 

 

 梨花から問われた質疑は、彼を心の底から動転させるに十分な威力があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ルーキーズ 卒業』

 

 

 そう書かれた旗を掲げ、熱射の下で走り込みをする男たち。

 

 

「夢にときめけーッ! 明日にきらめけーッ!」

 

「夢が俺たちを強くしたーッ!」

 

「わたるがぴゅーーんッ!」

 

「誰が俺を満たしてくれるんだーッ!」

 

 

 高校球児っぽい男たちを尻目に山田らは興宮署に戻った。

 車から降りると、大石はすぐに別れようとする。

 

 

「それではお二人さん、私はこれにて!」

 

「あの、大石さん!」

 

 

 上田は急いで呼び止め、車内で再三に渡って言いつけたお願いを、念押しで口にする。

 

 

「当日、せめて鷹野さんと富竹さんの!」

 

「分かっていますとも! 当日は私らも祭りの警護をしますんで大丈夫です! では、綿流しで会いましょうか!」

 

 

 鷹野たちの護衛を約束した後、大石はニッコリ笑顔で立ち去った。

 

 残された上田と山田。目を合わせ、これからどうするかを相談。

 

 

「……今、何時ですか?」

 

「今か? 俺のこの、三万もするクォーツ時計によると……もう十一時か」

 

「どうします? 村に戻りますか?」

 

「まぁ、なんだ。飯でも食いに行こうじゃないか。俺たちにはまだ、九十万円も手元にある!」

 

「天ぷら食おう天ぷら! スイカ食いながら天ぷら食うぞ!」

 

「古来から伝わる最悪の食い合わせだぞ」

 

 

 市内で飯屋でも探しに行こうかと歩く。

 途端、山田は昨夜の事を思い出し、立ち止まる。

 

 

「どうした?」

 

「……折角、近くまで来たんですし……病院にいるレナさんも誘います?」

 

 

 父親の死後より、レナは病院で一夜を明かしたらしい。

 どうせならと言う山田の提案だが、上田は乗り気ではなさそうだ。

 

 

「今はそっとしてやるのが良くないか?」

 

「そうですか?」

 

「昨夜の時点でも、水すら喉を通らなかったほどだったろ……せめて、今日一日は整理をつけさせるべきだ」

 

 

 これは上田自身も経験した事だ。

 山田には話していないが、彼女が死んだと思った日から数ヶ月は強い喪失感に苛まれた。おかげで研究も講義も手につかなかった有り様だった。

 

 

 レナに上田は、その頃の自分を重ねているようだ。

 

 

「まぁ……明日一度、訪ねようではないか。その時に寿司でも餃子でも、ありったけ奢ってやろう」

 

「やった!」

 

「お前にじゃないッ!」

 

 

 再度二人は歩き出す。

 どこか美味い店があれば良いなと考えていた。

 

 

 

 

 そんな二人を呼び止める声。

 

 

「おぉ!? う、上田先生ではありませんか!?」

 

 

 振り返るとそこには、見覚えがあり尚且つ懐かしい顔の人物が、署内から出て来た。

 かつて山田らと事件を共にしていた矢部の元部下、菊池だ。

 

 

「あ、あなたは!? 確か、矢部さんの部下だった……!」

 

「矢部の部下全員集合なんだな……」

 

「失礼なッ!? 今は僕があいつの上司ですッ!!」

 

 

 高らかにそう主張すると、彼は手を差し出して握手を求めた。

 山田がその手を握ろうとするものの躱され、菊池は上田の手を掴む。

 

 

「お会いしたかったですよ上田教授! いやぁ、思い出されますねぇ! 我々が解決しまくった事件の数々を!」

 

「おい私は」

 

「ゆっくり旧交を暖めたいところですが、なにぶん僕も忙しい身で……」

 

「アウトオブガンチューかっ!」

 

 

 対する上田も悪い気はしておらず、寧ろ調子に乗っていた。

 

 

「えぇ、えぇ! 懐かしい……! 私が解決した、事件の数々……また語らいたいものです」

 

「殆ど私が解決したようなもんだろっ!」

 

「ともあれ上田教授! 今や同じ時代に飛ばされた身……お互い、協力して行こうではありませんかッ!」

 

 

 そう言って早々に立ち去ろうとする菊池。

 無視されて不貞腐れていた山田だが、「あ、そうだ」と聞きたかった事を菊池に聞く。

 

 

「あの、菊池さんでしたっけ?」

 

「なんだね?」

 

「うわ態度デカ……雛見沢大災害の時に、殺されたのは古手梨花さんで、合っていますか?」

 

 

 即座に置いていたパッドを開き、事件の資料を確認してくれた。

 

 

「その通りだ。古手神社の跡取り娘らしい。お腹を切り裂かれて腸とか引き摺り出された状態で、賽銭箱の中に捨てられてたみたいで!」

 

 

 想像するだけでも無惨な光景と言うのに、菊池はめちゃくちゃ嬉しそうだ。対して上田は、不機嫌そうに顔を顰めている。

 

 とりあえず梨花が殺される事は確定事項らしい。ならばと、山田は続ける。

 

 

「では、今年の綿流しの日に死ぬのは……富竹さんと鷹野さんだったりしません?」

 

 

 すぐに確認する菊池。

 資料を確認した彼は、驚いた目で山田を見た。

 

 

「……その通り……! なぜ知ってる!? まさか犯人かお前がーッ!?」

 

「なんでそうなる!」

 

「そうなんだろぉ!? 犯人なんだろぉお!?!?」

 

 

 おかしなテンションになった菊池を、仕方なく上田が窘める。

 

 

「落ち着いてくださいよ菊池さん」

 

「はい」

 

「うわぁ! いきなり落ち着くなぁ!?」

 

 

 不気味がる山田。

 冷静さを取り戻したタイミングで、山田は矢部から聞いたと言う事にして理由を付けた。

 

 

「確かに今年の綿流しで死ぬのは、その二人。鷹野三四はドラム缶に詰められて焼かれ、富竹ジロウは首を掻きむしって自殺! 是非見てみたいですねぇ!」

 

「こいつ止める気ないだろ」

 

 

 確認が出来た事は、梨花の予言は的中すると言う事。

 尚更、古手梨花の存在が謎になるが、その疑問はここで考えても仕方がない件なので置いておく。

 

 

「……分かりました。色々教えてくださって、ありがとうございます」

 

「私からも感謝しますよぉ、菊池さん!」

 

「勿体ないお言葉です上田教授!」

 

「やっぱりアウトオブガンチューか!」

 

 

 もう用は済んだと悟り、その場を去ろうとする二人。

 それを菊池は呼び止め、忠告を入れる。

 

 

「あー、上田教授!」

 

「はい?」

 

「だから私もいるっつの!」

 

「本来ならば、竜宮礼奈は学校に籠城し、雨樋に詰めたガソリンに引火させて未曾有の爆破事件を起こしていたハズです」

 

 

 矢部が校庭で話していた内容だ。

 本来の時間軸ならばそんな悲劇が起きていたのかと、肝を冷やす。

 

 

「この事件で園崎魅音は死に、大石警部補は懲戒免職を受けていた。大災害を受けて園崎家は没落し、園崎詩音のみが生き残っている」

 

「詩音さん生きていたんですか?」

 

「今は珈琲店のオーナーだ。まぁ、それは良い!」

 

 

 これが未来での確定事項だと説明した上で、菊池は困り顔で述べる。

 

 

「だが……起きなかった!」

 

「それは我々が阻止したからでは?」

 

「そうでもあるが……だからこそ、僕は恐れているんです!」

 

「と言うと?」

 

 

 彼が危惧していると言う事を話す。

 その内容は、未来を知っていると安心している二人に強い不安を与えた。

 

 

 

 

 

 

「竜宮礼奈は学校を占領しなかった。だが、我々がこの時代に介入したからこそ……異変が起きている」

 

「異変……?」

 

「それが良い結果に転べば良いが……最悪の場合。我々の介入によって、我々の知る未来の出来事が変容するかもしれない。この、竜宮礼奈の件と同じように……!」

 

 

 もう一度二人を、あの爛々とした目で見据える。

 

 

 

 

「あまり、真相に踏み込めば……これから起こる未来は予想出来ないものとなる。ご注意を……」

 

 

 相手の名前を言って、話を終えた。

 

 

 

 

「……上田教授」

 

「だから私はっての!」

 

 

 介入により未来は変わる。

 それが惨劇を止めるのか、それとも別の形に変容するのか。

 

 

 杞憂に終われば良いが。

 そう願いつつ、二人は鑑識を出て、そのまま署を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 木々のざわめきと蝉の声が、暑い空気を揺らしている。

 道路に映った木の影は、風に合わせて左右に踊る。

 

 

 陽射しを避ける為、休む為に、圭一は停留所に座っていた。

 

 差し入れが入った鞄を肩に掛け、古い新聞紙に包まれた花束を両手に抱えている。

 これから病院へ行き、レナに会う予定だ。

 

 

 時刻はもう昼過ぎ。

 明後日に控える綿流しの準備で教員も駆り出される為、今日は午前授業だ。

 

 

 

 

「あー……あっつ……」

 

 

 影の下にいるとは言え、茹だる暑さからは逃れられまい。

 滲む汗を拭い、死にそうな表情でベンチにもたれていた。

 

 

「バスあと十分かよ……ちくしょー……自転車で行きゃ良かったなぁ、やっぱ……」

 

 

 バスと電車は遅れる事はあれど、早く来る事はない。

 もう来るだろうかと言う淡い期待は早々に捨て、黙しつ座して待つ。

 

 

 

 何度も何度もバスストップの時刻表を確認。

 そこに並ぶ数列を眺めては、ふと思い出す。

 

 

「………………」

 

 

 想起されるは、先週の出来事。

 レナが考案したお宝探しゲームの、暗号だ。

 

 

「……て、い、り、ゆ、う、し、よ」

 

 

 やる事もなく、退屈に待つのは彼の性格ではない。

 ふらっと立ち上がり、待合小屋の後ろに行く。

 

 確かここに、レナのお宝が隠されてあった。

 

 

 ボロボロの、星泉のピンナップポスター。

 見つけた景品として、魅音とジャンケンの末に圭一の手に渡った。今は自室に置いてある。

 

 

「……持って来てやったら良かったなぁ」

 

 

 少し後悔し、汗で湿った髪を振りながらベンチに戻る。

 

 

 

 

 再びバスストップを見た時、暗号を難なく解いた山田を思い出す。そう言えば彼女と、上田のコンビが来てもう八日。

 

 この一週間は濃密だった。

 普通だったら死んでいたかもしれない局面に遭遇した。

 

 それでも山田と上田、そして部活のメンバーと手を組み、窮地を脱せた。

 特にあの二人には何度も助けられたものだ。

 

 

「……はは。本当に凄い一週間だったな……」

 

 

 しみじみと思い出しては、その濃密さに俯いて苦笑い。

 

 

 

 

 顔を上げた目線の先には、道路。

 嫌な事もついつい、想起してしまう。

 

 

「………………」

 

 

 

 

 浮恵と律子──間宮姉妹の死体だ。

 誰か分からないほどに顔面を刻まれていた浮恵と、恐怖の形相のまま死んでいた律子。圭一であってもあの光景は時折、夢に出て来る。

 

 

 忘れられていたレナの帽子を拾ったのも、ここだ。

 本当にこの場所だけで、良い思い出と最悪の光景が詰まっている。

 

 

 

 

 

 あれこれ考えている内に、遠くから二つの走行音が聞こえた。

 時間はいつの間にか、十分を過ぎていた。やっとバスが来る。

 

 来たのは二台。興宮からのバスと、逆から来たバス。

 

 

「………………」

 

 

 圭一は不穏な思考を振り払う。

 今からレナに会いに行くんだ。辛気臭い顔をしてはならない。

 

 

 差し入れと、古新聞に包んだ花を抱えたまま、首を振って気分を持ち上げる。

「よし」と意気込み、やっとやって来た興宮行きのバスに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反対側に停まったもう一台のバスから、二人組が降車する。

 山田と上田だ。

 

 反対車線のバスに乗り込んだ圭一に気付く事なく、停留所の前に立つ。

 

 

「あー、食った食った。寿司・アンド・天ぷら・オン・らぁめん……贅沢三昧だー!」

 

「少し腹がキツいなぁ。運動して、晩に備えるかぁ」

 

「これから神社戻るんでしたっけ?」

 

「一旦、梨花と入江先生を交えて……色々聞かないといけない。俺たちに休みはないぞ」

 

「タイムスキャットしてもやる事変わんないですね」

 

「スリットな?」

 

 

 二人の後ろで停車していたバスが、再び動き出す。

 

 

 車内で山田に気付いた圭一が「大哥(タイコウ)ーッ! 山田大哥ーーッ!」と叫んでいた。

 

 

 

 

 

 勿論、その事には一切気付かず、二人は古手神社へ向けて進路を取る。

 

 

 

 

 

 

 

 何とか神社まで戻った二人。階段でまた、上田が転んで滑り落ちた。

 だが出迎えたのは梨花ではなく、学校から帰って来た沙都子だった。

 

 

「あら? お二人ともお出かけでしたの?」

 

「沙都子さん? 学校は?」

 

「今日は午前授業でございましたわ! ラッキー!」

 

 

 何とか階段を這い上がった上田だが、今度は境内にタムロしていた北欧人集団に捕まってしまう。

 

 

「梨花さんはいますか?」

 

「梨花ですか? 診療所に行ったようですわ。書き置きがおありでして」

 

 

 そう言って、梨花の書き置きを山田に見せてあげる。

 

 

 

 

『しんりょうじょ 待つ 梨花』

 

「男らしいな!」

 

 

 背後で北欧人集団にまた熊の着ぐるみを着せられる上田。

 山田は書き置きを読み、とりあえず診療所に行く事に決めた。

 

 

「じゃあ私たち、診療所に行きますね。梨花さんも待ってるみたいですし」

 

「私も同行しますわ! 丁度、監督からのバイトの報告もしなきゃですから!」

 

「バイトの報告?」

 

 

 着ぐるみを着てすぐ、なぜか集団に胴上げされる上田。

 沙都子が入江に協力している件を知らない山田は、彼女に内容を聞いた。

 

 

「アルバイトやってるんですか? メイドさん?」

 

「それはお断りしていますけど。お薬のバイトですわ!」

 

「あ! 知ってます! チカンのバイトって奴ですよね!」

 

治験(ちけん)だぁーッ!!」

 

 

 胴上げされながら、上田が叫んで訂正。

 

 

「監督の作ったビタミン剤を、毎日定期的にお注射しているのですわ」

 

「え……痛くないですか?」

 

「もう慣れたものですわ!」

 

「はぁ、そう言うモンなんですね…………ん?」

 

 

 沙都子がやっている治験のバイトの話を聞き、山田は妙な予感に苛まれた。

 

 入江と言えば、雛見沢症候群を裏で研究している人物。今となっては胡散臭さもある。

 

 そんな人物から治験バイトを引き受けているとあれば、嫌でも勘繰ってしまうだろう。

 

 

「………………」

 

「すぐに支度をいたしますわ。ごめんあそばせ」

 

「……あの!」

 

「はい?」

 

 

 離れようとした沙都子を、思わず呼び止める。

 勘が的中していなければ良いがと、微かに祈った。

 

 

「……変な聞きますけどぉ」

 

「どうされました?」

 

「……こう。ここ最近で、なんかちょっと入院したりとか、具合が悪くなったとかは……なかったですか?」

 

 

 唐突な質問に、沙都子は訝しげに首を傾げる。

 

 

「突然ですわね。いきなりどうなさったのですか、山田さん?」

 

「い、いえ。別に他意とかは……」

 

「んー……この間の……」

 

 

 鉄平の元から離れた後に入院したが、その事は伏せておこうと考え直す。

 

 

「……最近じゃないのですけど、三年前に」

 

「……三年前? つい最近ですね」

 

「山田さん。三年前は、最近とは言わないのですわ」

 

 

 三年前の言葉を聞いた途端に、自分の勘は的中したのだなと悟り、内心で慄いた。

 彼女の様子に気付く素振りを見せず、沙都子は寂しい笑みを浮かべて話す。

 

 

 

 

 

「お父さんとお母さんが事故で亡くなった時に、ショックで倒れてしまいまして……でもそれっきり、病気はしていませんわ!」

 

 

 山田は何も言えずにいた。確信に至ったからだ。

 上田は胴上げされている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『入江診療所』

 

『只今、休憩中』

 

『メイドにエロを求める奴はウマ娘に蹴られて死ねば良い』

 

『奉仕は萌え。エロに有らず』

 

 

 

 そのまま彼女たちは一緒に、入江診療所に到着した。

 熊の着ぐるみを脱ぎ捨てながら怒る上田と共に、扉を開ける。

 

 

「監督ー! 梨花ー! お邪魔しますわよー!」

 

「おジャマトリオー!」

 

 

 待合室ですぐに梨花は見つかった。

 沙都子たちを見てすぐに座っていた椅子から降り、溌剌とした笑顔で駆け寄る。

 

 

「沙都子ー! 今日はお昼までだったのですか?」

 

「えぇ。それより梨花、体調はもう大丈夫なんです?」

 

「ただの寝不足だったのです。グッスリ寝たから、もうへっちゃらなのです!」

 

「寝不足って……はぁ。心配して損しましたわ」

 

「にぱ〜☆」

 

 

 沙都子の前で明るく振る舞う彼女を見れば、今朝の様子とのギャップに驚かされる。

 どっちが素なのか、計り知れない。

 

 

 次いで、沙都子から山田らへ視線を移す。

 一瞬だが、目付きが真剣なものに変わった。

 

 

「……上田! 山田! 入江が会いたいって言っていたのです!」

 

「入江先生が?」

 

 

 上田が聞き返すと、梨花は満面の笑みで頷いた。

 と言う事は本当に、入江と話が付いたのだろう。これで雛見沢症候群の件を纏めて聞ける。

 

 

「監督は奥にいらっしゃいますの?」

 

「みぃ。上田と、変態で難しい話がしたいそうなのです」

 

「変態で難しい話……」

 

「なに言ってんだお前は。沙都子もそんなゴミを見る目で見るんじゃない」

 

 

 梨花はピッと廊下の奥を指差し、誘導する。

 一度二人は見合わせてから、示された方へと歩き出した。

 

 

 それを怪訝な目で見つめる沙都子。

 

 

「何かお二人とも……いつになく神妙なような……」

 

「……お話が終わるまで、ボクとお話しするのです」

 

「ん? んー、良いですことよ?」

 

 

 彼女の注意を逸らした後、もう一度だけ振り返る。

 

 二人の背を見る梨花の表情は、大人びた憂いに満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 奥にある扉を開け、部屋に入る。

 そこは入江の書斎とも言うべき場所だった。

 

 

 主である彼は、壁際にある椅子に座っていた。

 二人の到着に気付くと、サッと立ち上がる。

 

 

「……上田教授。山田さん……」

 

 

 メイド服を着せた人体模型に少し目移りしたが、すぐに彼へ注意を戻した。

 

 

 表情からは、警戒と焦燥が滲んでいる。

 それほど症候群の事は公にしたくなかったのだろう。

 山田と上田は、思わず身構えてしまう。

 

 

「い、入江先生……その、何と言いますか」

 

「いえ……梨花さんから色々と聞いています。別に責めるとか、そう言う意図はないんですが……」

 

「何か、ペンみたいな奴でフラッシュ浴びせて記憶を消されるのかと思いましたよ」

 

「何の話されてるんです山田さん?」

 

 

 

 

 入江が促すままに、二人は用意されていた椅子に座った。

 彼も着席したところで、「どこから話したものか」と戸惑いを見せながら口火を切る。

 

 

「……梨花さんからは、どこまで?」

 

「ははは……そんなに詳しくは聞かされてはいませんよ」

 

「そうだったんですか?」

 

「ただ、雛見沢症候群は脳内に寄生した寄生虫が原因の雛見沢固有の病理で、ストレスにより発症ステージが上がり、人を狂気的な疑心暗鬼にさせ、最悪の場合は首を掻きむしって自殺する。それで鷹野さんと入江先生はその研究の第一人者だと言うところだけしか」

 

「めちゃくちゃガッツリ聞かされていますね」

 

 

 そこまで知られているのなら仕方がないと、入江は溜め息を吐いた後に語り出した。

 

 

「……その通りです。詳細に語るのなら、症状は幾つかの区分に分けられますが……極度の被害妄想に、それに伴う幻覚や幻聴。大まかな症状は、まさしくそれです」

 

「恐ろしい病気だなぁ全く……」

 

「首を掻きむしるって言うのは、どう言うアレなんですかね?」

 

 

 山田の質問にも、入江は分かりやすく言葉を選んで答えてくれた。

 

 

「詳しくは分かってはいないんですが……末期症状に陥ると、リンパ腺の辺りに痒みが生じるようなのです。ただこれも、極度の妄想が生み出したもの……謂わば潔癖症に代表される、強迫観念による症状と見ています」

 

 

 なるほどと唸り、二、三回頷いた後に真面目な顔で山田は入江を見やる。

 

 

「良く分からないですけど、分かりました」

 

「お前もう梨花たちの所に戻れ」

 

 

 学術的な話に付いて行けない様子の山田に、上田は苦言。

 それを「まぁまぁ」と窘めながら、入江は続けた。

 

 

「しかし梨花さんから……まさか、鷹野さんと富竹さん、そしてご自身までもが殺されるとか……」

 

「入江先生は、信じていないんですか?」

 

「いやまぁ……梨花さんの勘の良さは知っています。信じるか信じないかではなく、協力はしようかと」

 

 

 未来を知る二人にとっては、勘が良いどころの問題ではないのだが。最早、未来予知だ。

 とは言え入江に言う訳にもいかない。お互いに一瞥し合うのみで、確認しあった。

 

 

「……それで、お二人に話したい事ですが……その前に二点、お願いしてもよろしいですか?」

 

「お願い?」

 

「えぇ。まず第一に、雛見沢症候群やその他諸々の件は、他言無用に願います」

 

 

 その件に関しては、まず口止めされるだろうなと二人は予想していた。

 確かに、公に広める訳にはいかない。噂話として仄めかすだけでも、レナは発症していた。

 

 人間が誰しも、残酷な事実に耐えられる訳ではない。

 事実が新たな悲劇を生むと言うなら、隠す事も必要だ。

 

 

「お約束しますとも! 私、上田次郎は口が硬い事で有名でしてねぇ!」

 

「私も口硬いですよ。燐葉石ぐらいに」

 

「燐葉石はめちゃくちゃ割れやすい事で有名だぞ」

 

「ははは……本当に喋ったら駄目ですよ。フリじゃないですからね?」

 

 

 穏やかに笑ってみせた入江。

 しかし次の瞬間、暗い影が表情に落ちる。

 

 その変化の訳を聞くより前に、彼は話を続けた。

 

 

「二つ目。これは、僕の個人的なお願いにもなるんですが──」

 

 

 さっきとは違う、弱々しい笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

「もう、鬼隠しの再調査はしないでください」




短兵急(たんぺいきゅう) : いきなり攻撃を仕掛ける様。出し抜けに行動を起こす事。

・二◯◯九年公開の劇場版『ルーキーズ』
 興行収入八十億を突破し、ジャンプ連載漫画を原作とした映画作品では『鬼滅の刃 無限列車編』が出るまで最高額だったみたいです(実写化作品としては今も最高額)。
個人的にはデスノートとか銀魂とかだと思っていたんで意外でした。ゴー! ニコ学!

・「ブラックラグーン」をご存知の方なら説明は不要ですが、「大哥」とは中国語で「兄貴」と言う意味です。なんで山田に使うんだよ

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