「俺はやったぜぇぇーーーーッ!! クソヤクザどもぶっ潰してユキオを救ったぞーーッ!! ハイボルテェーージッ!!」
診療所の前にいるハゲたおじさんが、アドレナリン全開で園崎邸の方へと駆けて行った。
そんな彼には気付かず、所内では沙都子と梨花が談話をしていた。
沙都子は椅子に座り、宙ぶらりんの足を振り子のように揺らし、色々と話してやる。
主に梨花がレナに捕まっていた間、行動を共にしていた山田の事だ。
「山田さんはやっぱり凄いお方ですのよ、梨花! ちょっと現場を見ただけで完璧な推理をしちゃうんですから!」
「ジジ抜きで一人勝ちした時から只者じゃないとは思っていたのです」
「マジックも出来て、頭もキレッキレで、ちょっと風変わりなところがアレですけど優しい人で!」
「ちょっとと言うか、だいぶ変わってるとは思うのです」
一頻り話を続ける。
すると途端に物憂げな表情となり、複雑さを滲ませた微笑みを浮かべた。
「こうは言っては梨花や皆さんに不謹慎ではありますけど……とても、楽しかったですわ。山田さんと一緒に山の中を歩いたり……」
指を折りながら、昨日までの出来事を数える。
「……山田さんだけではない。魅音さんとも色々と話せましたし、圭一さんやレナさんの事も知れたり……」
「………………」
「……皆さんがそれぞれの苦しみを持っていて、形は何であれ誰かを思っていらして……やっぱり、皆さんお優しい方ばかりだなって、改めて気付けたり」
「………………」
レナの起こした凶行は決して認められるものではないし、二度とあってはならない。
それでも彼女の過去と、事件に至るまでに起きた事象に父親の死を鑑みれば、頭ごなしに責められるものか。
またこの過程を経て、メンバーは更に結束した。
過去と言うよりも、それぞれの「今」に踏み込めた良い期待にも思えた。
暑さ忘れて陰忘る、とも言うべきか。
惨劇に至らなかった事を「良かった」と安堵するだけで良い。それが彼女たちなりの赦しだ。
梨花が様々な事を追憶しては思いに耽っていると、沙都子は更に山田の話を続けた。
「山田さんが記憶喪失だってお話は?」
「今朝ちょっと言っていた気がするのです。上田が記憶を取り戻す手伝いをしているとかとか……」
「そうそう! 上田先生も態度はアレですけど、お優しい人だとは私も知っておりますから!」
「態度はアレ過ぎるのですけど」
「上田先生は算数得意そうですし……今日たんまりと出た宿題を手伝って貰います?」
「名案なのです。ここに来て上田の有効活用なのです!」
「梨花ってば、上田先生に対して腹黒過ぎますですわよ……」
そうは言いながら、困り顔で楽しく笑う。
釣られて梨花もキョトンとした後に、穏やかに笑った。
沙都子は二人の顔を思い出していた。ぶらぶらさせていた足を止める。
「本当に不思議なお二人ですわね……」
次第に曇る表情。
分かっている。別れは来るものだ。
「……綿流しが終わって、ちょっとしたら東京に帰っちゃうのですわね」
「……そう聞いているのですよ」
「富竹さんみたいにずっとずっと、夏の間だけ来てくれたりしないでしょうか」
期待を込めた物言い。
沙都子にとってはありえる話だ。だが梨花にとっては、叶うはずもない望みだと知っている。
「それとも色々あり過ぎて、村が嫌いになってしまっていたり……」
だからこそ何も言えない自分を、赦して欲しかった。
赦しを請う事も出来やしないが。
「……また鬼隠しが起きたら……もう絶対に来ないですわね」
「……みぃ。そんな事はないのですよ、沙都子」
「そうでしょうか?」
「そうなのです」
代わりとして言ってしまうのは、彼女が求めているであろう言葉。
同時に自身も願っている、先の希望でもある。
「それにあの二人なら……鬼隠しも止めてしまうかもしれないのですよ?」
「………………」
「そうなったら村の人からチヤホヤされまくりなのです。あの二人単純だからお鼻テングさんになって、年に何度も来るようになるかもしれないのですよ!」
「……ふふっ。そうだったら嬉しいですわね」
「にぱ〜☆」
和やかに、そう談笑し合う二人。
梨花自身も微かに望んでいた。全て解決し、全てが終わって、自分の知らない未来が来る事を。
そんな希望を掻き消すように、ドアが開き、壁に叩き付けられる音が響く。
「もう、鬼隠しの再調査はしないでください」
入江の言う「個人的な要望」を聞いた二人は、お互い同時に目を大きくさせた。
二人の感情を粛々と受け止めながらも、入江は一度目を伏せる。
先に彼へ尋ねたのは、上田だった。
「それは一体……どう言う事です……!?」
「……そのままの意味です。沙都子ちゃんや梨花さんのご両親の事も、悟史くんの事も……これ以上は探らないで欲しいのです」
「あなた、なに言って……!? 梨花から聞いていないんですか!?」
「……お聞きした上での、お願いです」
上田は椅子に身体を凭れさせ、思考を纏めようと額に手を置いた。
これから起こるであろう鷹野や富竹、梨花の死には必ず、鬼隠しが関わっている。
それら悲劇を回避する為に、鬼隠しもとい連続怪死事件の洗い直しは必須だと、梨花から言い渡された。
入江は梨花の、信じられないような話を受け止めてくれた。
なのに鬼隠しの件については、了承しないと言う訳なのか。
あれこれ思案する上田の隣で、次は山田が彼に尋ねる。
「……それはつまり……暴いたら私たちに、不都合な事があるって意味ですか?」
「………………」
彼女の質問に対しては、沈黙を使う。
沈黙と言うのは認めた証にもなる。しかし、真意を塞ぐには何よりも最善だ。認めただけでは、何も分からない。
ジッと見据え、入江の反応を伺う山田。
その内、彼の方からまた話し出す。
「……この事件は、あまりにも根が深い。関われば、あなた方に危険が及ぶ」
「………………」
「……お二人の目的は、今年の鬼隠しを止める事です。過去は、無関係のハズ……そうでしょう?」
「そんな事はない……」
反論したのは上田だ。
彼は必死に、再調査の必要性を唱える。
「あなたが沙都子を大事に思っているのは知っている……なら! 彼女の為にも、真相を暴く必要はあるハズだ! これだけ連続性があるんです……過去の事件は無関係だと決めるのは早計ですよ! それに私たちには警察の協力者もいる……我々へのリスクは無くせるんです!」
「上田さん、違いますよ」
「なに……?」
その上田の話に待ったをかけたのは、山田。
一瞬たりとも入江から目を離さず、一呼吸の間を置き、推理を突き付ける。
「……不都合があるのは、私たちじゃなくて……入江さんたちなんですよね?」
入江は何も言わず、目を固く瞑るだけ。図星のようだ。
「お、おい、山田……それは、つまり……?」
「入江さん。やっぱり色々思っていたんですけど……もしかして過去の事件、雛見沢症候群が関係しているんじゃないですか?」
入江は分かりやすく動揺を見せた。はぐらかされて疑問を呈される前に、山田は続きを話す。
「事件が明るみになれば、間違いなく病気の事が世間にバレる……それを、阻止したいんじゃないですか?」
「………………」
「それにそれだけのプロジェクトなら、国が関係しているハズです……それこそ、警察にも影響力がある人たちの支援を受けて……」
山田の目には、軽蔑の念が宿っている。
まるで絞首台に立った死刑囚のように、入江は覚悟を決めた様子で次の言葉を待っていた。
そんな彼に、山田は躊躇なく言い放ってやる。
「……鬼隠しは、あなたたちがやったんじゃないですか?」
無慈悲に放たれた口撃。
真正面から受けた入江の反応はと、山田は注目する。
情けなく狼狽するか、苦し紛れの否定か。
結果はどちらでもなかった。入江は椅子から立ち上がる。
「入江先生……!?」
「うぉっ!? やるんですか!? 相手しますよ! 上田さんが!!」
「!?」
身構えた二人の前で彼は、まず深呼吸をする。
次には膝を曲げて床に崩れ、土下座。
完全に予想外だ。動揺を見せたのは、山田らの方だった。
「え、えぇ!?」
「この通りです……ッ!! お願いします……ッ!! この診療所の秘密も、僕らの立場も教えますッ!!」
「いやあの……」
「だからお願いしますッ! 僕の要求を、受け入れて欲しいんです……ッ!!」
何度も頭を下げ、激しく懇願する入江。
唖然とする山田の隣で、上田は彼を止めようと立ち上がった。
「入江先生……! やめてください!」
「協力は惜しみませんッ!! だから……!! だから……!!」
「落ち着いてください!!」
二回、頭を下げた。
するとピタリと動きを止め、入江は床を見ながら震えた声で、主張する。
「……これだけは言わせてください……僕は、沙都子ちゃんや……梨花さんたち……悪戯に人を不幸しようと動いた事は……一度もございません……それは鷹野さんだって同じです……」
腕を伸ばし、上半身を起こす。
垂れていた頭が上がると、真剣な入江の表情が見れた。その目には強い意志と、覚悟が宿っている。
「僕らを疑うのなら構いません。ただ、信じて欲しい……鬼隠しを止め、誰かが不幸になる未来を止めたい……これは間違いなく、僕の本心なんです……ッ!!」
激情をぶつけられ、思わず山田は押し黙ってしまった。
彼の主張と、覚悟に満ちた眼差しを前にした時、自分の推理が浅はかなものだったと思わず考えてしまった。それほどまでに彼の持つ、鬼気迫る雰囲気に飲まれていた。
上田は入江の腕を引き、土下座をやめさせる。
立ち上がり、眼鏡の位置を整えながら、立たせてくれた上田に頭を下げた。
「……すいません、取り乱して……」
「………………」
「……どうか、ご一考いただけたらと……」
山田は椅子に座ったまま、入江を見上げていた。
そして上田は、動揺を隠せないのか、入江から離れて部屋を歩き回っている。
「それじゃ……でも……クソゥ! 山田、どうする……!?」
考えが纏まらず、とうとう彼女に縋り付く。
山田も山田で動揺中だった。それでも何とか、返事を捻り出した。
「……上田さん。言う通りにしましょう」
ゆっくりと山田も、椅子から立ち上がった。
「……今は、梨花さんたちの命が最優先です」
「……そ、それもそうだが…………いや……そう、だな……」
上田も納得したようだ。とは言え、諦めに似た感情も伺える。
彼は沙都子にも、並々ならない思いを抱いていた。沙都子の家族に起きた件を暴けない現状に、落胆を覚えているようだ。そしてそれを暴かせない、入江への失望もある。
彼のそんな複雑な感情を汲んだ上で、山田は入江に聞く。
「……綿流しを無事に終えた後……全てを話してくれたりは?」
「……約束は出来ません」
「…………そうですか」
どうやっても、上田の欲求は解消されないようだ。
入江の一言を一区切りとしたのか、上田は首を振りつつ無理矢理、自身を宥めさせた。
「……犯人を捕まえれば、真相は分かる……それに賭けるしかないな」
ずっと背を見せていた彼だが、やっと山田と入江の方に頭だけを向けてくれた。
「……すまない山田……落ち着く為……ウォーキングに行ってくる……」
弱々しく微笑むと、ドアの方へと歩く。
平静を保っていたのは、そこまでだ。溜まったフラストレーションが爆発したのか、ドアを乱暴に開ける上田。
驚き、身体を縮める山田と入江を無視し、冷静を装いながら出て行く。
彼の背中を見送る山田の目には、悲しみが宿る。
上田はやはり、学者だ。結果だけではない、そこに至る過程までも拘る男だ。それは事件を追う上でも、意識的に重視している。
故に、悔しいのだろう。結局、結果を待つだけの現状に。
勿論、自分の拘りだけの話ではない。そこには真に、沙都子への情がある。
彼女が疑われている事の方が、悔しいのだろう。情の厚さもまた、上田らしい。
彼は診療所を出て行った。視線の先には上田ではなく、待合室にいる梨花の姿がある。
こちらを伺っていた。何があったのかは、気付いている様子だ。
立ち尽くす山田に、入江は話しかけた。
「……とりあえず、山田さんだけにも……色々と教えます。よろしいですか?」
「……その前に、ちょっと良いですか?」
山田は開け放たれたままのドアを抜けて、待合室の方へ歩く。
そこで待つ、梨花の近くへ寄った。沙都子の姿はない。
「……沙都子さんは?」
「……上田を追ったのです。心配だからって……」
「………………」
「……話は付いたのです?」
診療所の入り口から、梨花の方へ目を向ける。
その目を見た梨花は、自分の真意に気付かれたのだなと察した。
「……私たちに鬼隠しの調査をさせたのは……」
「………………」
「……入江さんが協力を渋ると見越して……調査させて焦らせて……無理矢理にでも協力させる為だったんですね?」
梨花は目を閉じ、俯く。利用した事に、否定も肯定もしなかった。
彼女のそんな態度に山田は、僅かな怒りを抱く。
「……殺されない為に必死なのは分かります……でも」
思わず、山田は言ってしまった。
「……もう少しだけ私たちを……信用してくれたって良いじゃないですか」
それだけ言い残し、また入江の方へと山田は戻った。
待合室にただ一人残った梨花。
誰にも聞こえないような声で、ぽつりと呟いた。
「……もう手段は選べない……みんなの為なのよ……」
山田を追いかけ、梨花もまた診察室へと向かった。
診療所を立ち去った上田は、一人畦道を歩いている。
太陽は燦々と輝き、気温を高めさせて行く。
遠く入道雲が、山の向こうから雛見沢村を覗いているかのようだ。
そして水を張った田んぼの上をアメンボが滑り、オニヤンマが空を飛ぶ。
上田の時代ではもう、そうそう見られない、夏の原風景。
だが今、それらを懐かしみ、楽しむ穏やかさを持ち合わせていない。
鳴き喚く蝉への疎ましさだけ、今は抱いている。
「………………」
脳裏には大石の話が、ずっと反芻されていた。
沙都子の供述の違和感や、山田の推測。正直言って、「沙都子による犯行」の線は濃厚だろう。
だが、どうしても解せない。本当にそうなのかと、考えていた。
探せば暴けるハズだと思っていたが、それさえ封じられた。
「……入江先生は何かを知っているんだ……だが、梨花や鷹野さん、富竹さんの事も大事で……」
梨花たちを救う為には、事情を知っているであろう入江の協力は必要不可欠だ。
そうなれば、沙都子の件は調べられない。笑えるほど分かりやすい、二律背反だ。
「…………上田次郎よ。これで良いのだろうか……?」
自問自答しながら、立ち止まる。
遥か先まで続く田んぼを見渡し、流れる汗を拭う。
夏の景色を見たって、心と疑問は晴れない。
「……これが俺の……ベストなのか……?」
「ベストは着ておられないですわよ?」
「いや、そっちのベストじゃなくてだな…………おおう!?」
背後から、突然話しかけられる。
上田は驚いて飛び上がり、田んぼに落ちかけた。
情けない人を見る目で立っていたのは、沙都子だ。
「さ、さ、沙都子!? 診療所にいたんじゃ……!?」
「上田先生が怖い顔で出て行ったのだから、気になって追っかけたのですわよ。全然、私に気付かないのですから!」
思考に沈んでいたので、全く気付かなかった。
呆然とした後に何とか取り繕い、いつも通りの雰囲気を出す。
「は……ハッ! 俺は天っ才物理学者だからな! 今、新しい公式を思い付く寸前だったのに邪魔しやがって!」
言い返して来るだろうと踏んでいたが、沙都子は何も言わない。
どうしたのかと注視すれば、迷いを思わせる表情の彼女に気付く。
「……どうした? たんまり出た学校の課題が憂鬱なのか?」
「……それも、ありますけど」
「あるのか……」
「………………」
意を決したように彼女は、自分より背の高い上田を見上げた。
「……上田先生」
「なんだ?」
「上田先生は……鬼隠しを、止めてくださいまして?」
心臓を握り締められた気分だった。まさか今考えていた事を、沙都子に突き付けられるとは思わなかった。
どう返すべきかと黙る上田に、沙都子は縋るような眼差しを向ける。
「……私は、信じておりますわ。上田先生も、山田さんも……皆さんも」
「……沙都子……」
「…………なーんて!」
重苦しい空気を察したのか、沙都子はニカッと無理矢理笑った。
「思えば上田先生も山田さんも、村にはご旅行に来られたお客様でしたわね! なのに勝手に巻き込んだらご迷惑ですわ!」
「いや!!」
冗談で済まそうとした彼女だが、上田は真剣に答えてくれた。
驚く沙都子の前で跪き、目線を合わせ、吹っ切れた様子で言ってやった。
「止めるッ!! 鬼隠しは、必ず止めてやるッ!! 全て暴いてやるッ!!」
それは上田にとって、宣戦布告のようなものだ。
沙都子を安心させる為だけの言葉ではない。明確な意思表示だ。
「だから……安心してくれ……今年は誰も死なない……誰も消えない……」
一通り本心を吐き終えた。
我に返ってみれば、少し気恥ずかしさがやって来る。上田は沙都子から目を逸らし、ゆっくりと立ち上がった。
アメンボが水上を滑る度、波紋が出来た。
それが田んぼの上で点在で広がっては、ぶつかり合って消える。
それらを眺める上田の横顔を見ながら、沙都子は安心したように微笑んだ。
同時に意思を固めたように、頷いた。
「……ありがとうございます」
「……な、何がだ?」
「……上田先生も山田さんも……私が欲しいお言葉を言ってくださります」
いいや、と首を振る。
「……言葉だけではありませんわね」
踵を返し、沙都子は上田から数歩ほど離れた。
どうしたのかと訝しむ彼へと、クルッと振り向く。
「付いて来てくださいまし。鬼隠しのヒントがあるかもしれませんわ」
「ど、どこに?」
遠く、行き先へと指を差した。
「……私のお家」
また背を向け、沙都子は歩き出した。
何が何だか分からないままだが、上田は彼女のその背を追う。
病院の敷地内にある小さな庭園。
ツタが屋根を作る東家の下に、レナはぼんやり座っていた。
夏のお昼は暑いものだ。だが太陽を遮るツタと、穏やかなそよ風が心地良さを与えてくれる。
東家から少し離れた場所で、お年寄りたちが太極拳をしていた。八つ裂き光輪を放つ時のポーズだ。
「………………」
レナはもう一時間も、ここで物思いに耽っている。
昨夜までの自分に、まだ折り合いが付けられていない様子だ。何よりも父の死を受け止めるのにも、咀嚼が足りていなかった。
まるで自分の身体が自分を離れて、勝手に動かされていたような感覚。
あの不気味な感覚が、まだ夏の暑さに焼かれる皮膚の上で燻っている。
心はまだまだ乱れたまま。思い浮かぶは、死に際の父の顔だけ。
ずっと身体は燃えるように暑い。
しかし院内は、どうにも冷え過ぎるように感じた。
かつて入院していた時の記憶がそうさせているのかは分からない。それとも医者や看護師たちが向ける哀れみの目が嫌だったからか。
何にせよ今は昨夜の全てから身を離すように、ここにいた。
蝉の声を聞き、風を感じ、影に支えて貰いながら陽光を受ける。自然が自らを癒してくれると信じて。
「………………」
ブルトン戦でウルトラマンがやった高速回転をやり始める太極拳サークル。
それらに目もくれず、何を見ている訳でもなく、レナはただ佇む。
「よっ!」
突然、背後から声をかけられる。驚き、身体がぴょんっと飛び上がった。
すぐさまパッと振り返り、声の主を見やる。
「あぁ、悪ぃ悪ぃ……驚かせるつもりなかったんだけど……ごめんな?」
新聞紙に包まれた何かを両手で抱えた、圭一の姿があった。
ぱちぱちと瞬いた後、滲んだ汗を拭いながらレナは反応する。
「圭一くん……!? アレ!? 学校……」
「それがなぁ? 綿流しの準備だから何だかで、午前授業だってよ。去年はそうじゃなかったのか?」
そう言えばそうだったなと、レナは思い出していた。その隙に圭一は隣に座る。
「ちょっと様子を見に来たぜ。病院の人からここにいるって聞いて来たけど」
「そう、なの……」
「えと……やっぱ急、だったり?」
「……ううん。大丈夫だよ」
寧ろ少し、気分が晴れた。今の自分に必要なのは、話をしてくれる人だと思っていたからだ。
それにどうしても圭一とは、改めて話し合って謝りたかった。
「そのー……なんだ。ほら、何か差し入れ持って来たからさ。あー……レナ、お腹空いてねぇかなって……く、来る時にチューチューを買って来たしさ」
「チューチュー?」
「あ。こっちじゃカンカン棒だっけ?」
いつもは雄弁な圭一だが、この時ばかりは慎重そうだ。
レナは彼の口調から滲む気遣いを愛おしく思えた。同時に罪悪感も湧き起こるもの。この面倒な感情を乗りこなせるほど、まだレナは大人はではない。
火照る身体を冷やすように、渡されたアイスキャンディを口にした。
「……ねぇ、圭一くん。その新聞紙のは……?」
「あ、コレか? コレはだなぁ──」
東家の下で語らう二人。
そんな彼女らを、太極拳サークルから監視する老父がいた。今度はスペシウム光線のポーズ。