TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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秘密と参列

 時刻は更に進み、午後五時。

 清掃を終えて解散し、沙都子と詩音は帰路の途中だった。

 

 

「明日は綿流しなんですし、詩音さんもこちらにお泊まりになられては?」

 

「あー、ごめんなさい! 明日は午前だけバイトですので……」

 

「それは残念ですわ……上田先生に山田さんと、賑やかで良いかと思いましたのに」

 

「あれ? 山田さんたち、古手神社にいるんですか?」

 

「はい! 綿流しの日まで泊まるそうでして……これがとっても楽しいですのよ!」

 

 

 近況を話す沙都子は、いつもに増して楽しげだ。

 これまで不幸が重なって来た彼女だ。いきいきとした笑顔を見る度に、詩音は安堵した。

 

 

「上田先生なんか、私のお家にあった壊れたテレビを修理してくださって……」

 

「へぇ〜! 上田先生、やっぱ器用なんですね!」

 

「いえ。修理に失敗しまくってまして、昨夜なんか火事一歩手前でしたのよ!」

 

「やめさせた方が良いと思いますねぇ〜」

 

「そうそう! 山田さんって、下のお名前が奈緒子さんでして、私とちょっと似ているのですのよ! 奈緒子沙都子でコンビを組みましょーってお願いしまして……」

 

 

 それからもずっと、山田と上田の話を続ける。

 詩音にとって驚きなのは、あの二人がこれほど沙都子の中で大きな存在になっていた点だ。

 

 

 

 聞けば上田も、沙都子の為に園崎屋敷へ突撃したらしいではないか。あちらから彼女に歩み寄ったからこそ、こうして信頼を得ているのだなと、詩音は思う。

 

 

「……でも、ちょっと妬けちゃいますね」

 

「え? やける? あいにく日焼け止めは……」

 

「そっちじゃなくて、ヤキモチの方ですよ!」

 

「お餅の季節にしては半年早いですわよ?」

 

「あ、嫉妬って意味です。ジェラシー」

 

 

 少し俯き、寂しげな笑みを浮かべた。

 

 

「嫉妬と言うより……私も、もっと沙都子と仲良くなりたいな……って、意味ですね」

 

「え……?」

 

「その、ほら……何と言うか……悟史くんにも任されているって言うのも一つ、ありますが……」

 

 

 もじもじと両指を絡ませる。思いを吐露する事が気恥ずかしく、はにかみ顔になる。

 けれどこれだけは言っておきたい。ゆっくりと決意を深め、一呼吸置いた後に優しく微笑んだ。

 

 

 

 

「……それ以上に……あなたを守ってあげたい。誰よりも、あなたの寄る辺になれたらなって……今は思っているんですよ?」

 

 

 雲はゆったり東へ進み、吹いた風が草葉を騒つかせる。

 さらさらと流れる髪の下で、沙都子はただ呆然と詩音を見つめていた。

 

 

 色白な詩音の顔に赤色が差す。言っていてやっぱり恥ずかしくなって来たようだ。パタパタと手で顔を仰ぎながら、ふいっと目を逸らす。

 

 

「あ、あはは! な、何か、らしくない事言っちゃいましたー! いやー、どうしてもこの日になるとおセンチになっちゃうと言うか……」

 

 

 早足で歩き、沙都子の前へ前へと進んでしまった。

 並んで歩いても、この後何を話せば良いのか。珍しく詩音の頭は、混乱状態だ。

 

 

 綿流しの前日で、色々と気持ちが昂っている事が理由だろうか。その上、鉄平の件もあった。心情を抑え切れなかったのだろう。

 つかつかと進み、空回った笑い声を出し続けた。

 

 

 

 

「詩音さん! 待ってくださいまし!」

 

「!」

 

 

 そんな彼女を呼び止めたのは、沙都子だ。詩音の足が止まる。

 

 

「私も詩音さんの事、大切に思っておりますのよ……」

 

「………………」

 

「……詩音さん、今でもにーにーの事を、探していらっしゃるのですわよね……?」

 

 

 反射的に振り返る詩音。視線の先に、真っ直ぐな瞳の沙都子がいた。

 

 

「……多くの村の人は、もうにーにーの事を忘れようとしています。そればかりか怖がって、話題にもしません」

 

「…………!」

 

「でも詩音さんは、この二年間ずっと信じて、探してくれて……あまり皆の前で話してはくれませんけど、私は知っておりますのよ!」

 

 

 離れた分、沙都子の方から歩み寄る。意趣返しされたかのように呆然とする詩音の手前まで、ゆっくりと。

 

 

「……だから改めて感謝申し上げます……ありがとうございます」

 

「……そんな。私、ずっと……」

 

 

 泣き出しそうな表情の詩音の手を、沙都子は握ってやった。お互い少し、指先が冷たい。

 

 

 

 

「……明日は……一緒に、乗り越えるのですわよ」

 

 

 舌の先を噛んで、涙が出そうな気持ちを抑えた。そのまま天を見上げ、深呼吸をしてから、詩音は手を握り返す。

 次に見下ろす時には、二人とも微笑み合っていた。

 

 

「……沙都子」

 

「はい、詩音さん!」

 

「…………」

 

 

 感極まった様子で、詩音は口を開く。

 

 

 

 

 

 

「ここまで来たなら『ねーねー』って呼んで貰えないでしょうか?」

 

「それはちょっと」

 

「なんで!?」

 

 

 思わず仰け反り、叫んでしまった。

 

 草葉の陰から一部始終を聞いていた秋葉が「萌え〜!」と鳴きながら咽び泣いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神社の階段をヨロヨロと登る山田。裏山から直行で帰って来た為、足腰はボロボロだ。

 途中、準備を終えた村人たちとすれ違う。その際に「ナイチチ」「ヒンニュウ」と言われた。

 

 

「それ私が貧乳じゃなくて! この村の女の人がデカ過ぎんだバーカ!」

 

 

 虚しい怒号をあげてから鳥居を潜る。

 境内は、外出前よりも華やかに彩られていた。露店が並び、また拝殿前には大きな舞台も用意されている。

 

 

「おぉ、本格的! えーと……焼きそば、フランクフルト、イカ焼き、かき氷、りんご飴に……ズンドコベロンチョ?」

 

 

 まだ準備中の露店を確認しながら、山田は神社の裏へと歩き出す。上田が待ち合わせ場所に指定した、「絶景スポット」へと向かっているようだ。

 

 

「えぇと、こっちかな……あ。そういやチューチュー全部食べちった……まいっか」

 

 

 半日歩き続け、疲労が溜まった足を引き摺りながら境内裏へと到着する。

 そこまで行けば、石畳で舗装のされていない畦道に入った。歩き辛さに苛々しながらも、何とか目的の場所に辿り着く。

 

 

 

 神社は村の高台にあり、この境内裏には全くの障害物がない。

 遮る物はなく、広々と、高々と、雛見沢を一望できた。

 

 

 富竹が絶景スポットと豪語するだけある。

 遠く遥かまで連なる山々、沈み行く太陽、波のように揺れる青葉や水田の稲。その全てが眼下に広がっていた。

 

 

「ほぇ〜……確かに絶景スポットだなこりゃ……ヤッホーーッ!!」

 

 

 山に向かって叫び、やまびこを待つ。「ヌーブラーッ!!」と返って来た。

 

 

 

 

「さてと……あれ?」

 

 

 辺りを見渡し、上田を探す。しかし人影は一切なく、ただ木々の騒めきと、鳴き出したひぐらしの声が響くばかり。

 

 

「上田さん?……あれ。梨花さんの所に戻ったのかな……」

 

「まだ帰って来ていないのですよ」

 

「ノーブラっ!?」

 

 

 突然隣から話しかけられ、奇妙な驚き声と共に飛び上がる山田。

 立っていたのは、梨花だった。後ろに両腕を組み、悪戯成功と言いたげにニマッと笑う。

 

 

「駄目なのですよ山田。油断していちゃ! 明日が心配なのです」

 

「り、梨花さんですか……驚かさないでくださいよ。ただでさえ疲れているのに……」

 

「何やってたのです?」

 

「裏山の、鬼の子地蔵様を見に行ってました。鷹野さんに案内されて」

 

 

 鬼の子地蔵様と聞き、梨花は「あ〜」と、どこか納得したような口振りで頷いた。

 

 

「坂道だらけで大変なのです。だから山田、そんなヨボヨボのヘロヘロなのですか?」

 

「えぇ……あぁ、そっか。明日また、詩音さんと会いに登らなきゃならないのか……憂鬱になって来た……」

 

「あそこはボクたちも滅多に行かないのです……あ! 山田もしかして、その石像の前で内緒話しましたのですか?」

 

「え? ま、まぁ……」

 

 

 梨花はわざとらしく「あちゃー」と、自身のひたいを叩く。

 

 

「な、なんか、マズかったですか?」

 

「みぃ。鬼の子は口が軽いのです……あそこで内緒話をすると、なぜか村中に知られているって、言い伝えもあるのですよ。だから村の人は絶対に、あそこでコソコソ話はしないのです」

 

 

 それを聞いた山田は、鼻で笑った。

 

 

「ハハ……そんなの、ただの言い伝えですよ。石像が生きている訳ないじゃないですか。ドラゴンクエストじゃあるまいし!」

 

「ドラ……みぃ。未来人の言葉は分からないのです」

 

「なんかそう言うのは、伝承が盛られているだけですよ。あの胸のように」

 

「…………確かにアレは盛り過ぎなのです。みぃ……見てるとなんか、ムカムカするのです」

 

 

 そんな雑談を続けていると、やっと上田が現れた。

 別れた時よりもやけに、神妙とした様子だ。ずっと考え事をしているかのように、首を跨げている。

 

 

「あ、上田さん! 遅かったじゃないですか!」

 

「どこほっつき歩いていたのです?」

 

「……あ、あぁ……悪いな」

 

 

 いつになく口数も少ない。

 明らかに何かあったであろう上田に対し、二人は訝しむような目を向ける。

 

 

「なんかありました? めちゃくちゃしおらくなって……」

 

「……あぁ、いや。何でもない」

 

 

 上田は両手で顔を拭ってから、俯き気味だった顔を上げた。

 その際に、ゴミしか入っていない駄菓子屋の袋に気が付く。

 

 

「おい山田。チューチューは?」

 

「へ? あ。全部食べちゃいました」

 

「お前何本買った?」

 

「三本です」

 

「……どっからどう見ても十本買ってんじゃねぇか! 十本一人で食ったのか!?」

 

「…………美味しかったっす」

 

「この傲慢の権化がッ!」

 

 

 もう空っぽのチューチューの容器を、更にチューチュー吸う山田。

 呆れたように上田は首を振り、気を紛らす為に景色を眺め出す。

 

 

「それで、どこ行ってたのですか上田?」

 

「……あぁ、まぁ。興宮署だ。明日、祭りの間は厳重に警備するよう言っておいた。また神社の方に、詳しい計画が電話で伝えられると思う」

 

「とても心強いのです!」

 

「あと、ソウルブラザーとタカノンノンとの約束も取り付けた! これで俺たちは、セコムになれる!」

 

「未来人の言葉はやめて欲しいのです」

 

 

 何とかいつもの調子を取り戻して来た上田。だが、山田はまだ怪訝そうに眉を潜めていた。

 

 

「あぁ、そう言えば梨花。綿流しのスケジュールはもう決まっているのか?」

 

「スケジュール表は貰っているのですよ。ウチに置いてあるのです」

 

「そうか。まぁ、情報は多い方が良い。今の内にスケジュールを頭に叩き込んどくか……じゃあ、家に戻るか」

 

 

 帰宅を促され、梨花は一人テクテクと家の方へ歩き出す。

 山田も後に続こうとしたが、ふと振り向いた時に、景色を見て黄昏れる上田に気付いた。

 

 

「……どうしたんですか、上田さん。やっぱり様子がおかしいですよ」

 

「……いや。何でもない」

 

「それに上田さん、興宮署に電話しに行ってましたよね? 別に直接行く必要なかったじゃないですか……」

 

 

 山田の鋭い追求に対し、バツが悪そうに上田は頭を掻く。

 

 

「本当は、どこ行ってたんですか?」

 

「………………」

 

「……何か情報でも──」

 

「あー! もうこんな時間かー!」

 

 

 クォーツの三万円もする腕時計を確認しながら、わざとらしい声をあげる。

 

 

「あと五時間。日本時間の二十一時三十三分に、アメリカでは一台のロケットが発射される! スペースシャトル『チャレンジャー号』の、二度目の有人宇宙飛行だ!」

 

「……いきなり何ですか」

 

「この宇宙飛行は、アメリカにとって歴史的な瞬間でもあった! 同乗している『サリー・ライド』は、アメリカ人初の女性宇宙飛行士として、成層圏を出るんだ!」

 

「上田さん、どうしたんですか! はぐらかしてんですか!?」

 

「山田」

 

 

 振り向き、目を合わせる。いつものようにギョロっとした目が、山田を見据えた。

 どこかその目に、動揺が宿っているような。

 

 

「……必ず、明日話す。まだ確証が持てないんだ」

 

「何を今更……明日、死人が出るかもしれないんですよ? 仲間内で秘密はやめましょうよ」

 

「……頼む」

 

 

 問い詰めてやろうと近寄った山田だが、上田の真摯な目を前にして言葉を飲んでしまった。

 頼む、聞くな。そう言いたげな目をしていた。

 

 

 

 

 すっかり口を閉じた山田。今にも崩れ落ちてしまいそうなほど、動揺を瞳に宿した上田。

 

 そんな彼らを、木の影より梨花は見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手を振り、去って行く沙都子と詩音を見送った。二人は「また明日」と約束してくれた。

 同じ頃、靴を履き終えた圭一も、玄関先から帰路に向かおうとする。

 

 

「……あの、圭一くん」

 

 

 レナはそれを呼び止め、「ん?」と振り返る。

 いつもは凛々しく見える彼の顔が、あどけなく年相応なものに見えた。

 

 

「どしたレナ?」

 

「……腕は、大丈夫?」

 

「腕?……あぁ」

 

 

 自身に突き刺そうとした注射器を、寸前で受け止めた圭一の腕。

 ぴらりと袖を捲ると、その部位にはまだ包帯が巻かれていた。

 

 

「入江先生のトコにも行ったし、ちょっとまだ痛ェけど全然大丈夫だ!……あっ。入江先生には、遊んでいた時に廃材置き場の釘が刺さったって言っといたからな?」

 

「……本当にごめんね」

 

「良いってよ……こうやってまた、レナと会えんなら僥倖ってやつだぜ」

 

 

 歯を見せて笑う圭一。

 あまりに屈託がなく、眩しい笑顔に、釣られてレナも微笑む。

 

 

「……それと、もう一つ」

 

「なんだ?」

 

「……その。あの時は自分でも訳わからなくなってて、勢いでワーッて言っちゃったけど……」

 

 

 思い出すだけで恥ずかしく、同時に罪悪感に苛まれる。

 恋焦がれた人と心中する為に友達を騙したと言う、何とも最低な所業をしでかしてしまった。

 

 丸く収まったと言うには傷付けてしまったもの、失ってしまったものが多い。

 そしてまた、縛り付けてしまったものもある。

 

 

 

 

「……圭一くんは、あの時レナが言った事……忘れて欲しい」

 

 

 憂いを帯びた物言いで、お願いをする。

 

 

「レナもあんな方法で……その……圭一くんを縛り付けたくないの」

 

「………………」

 

「……圭一は優しいから。言っておかないと、ずっと寄り添ってくれると思う……でもそれだと、自分が自分を許せなくなる。傷付けて、迷惑もかけたのに、虫が良いって……」

 

 

 一瞬だけ驚いたように目を丸くしたものの、レナの言葉が終わるまで黙って待ってくれた。言葉を探し、言葉を尽くそうとするレナの前で、ただ耳を傾けた。

 

 

「……だからあの夜の告白だけは……忘れて欲しいの。圭一くんはレナに……私に気を遣わず、本当に好きな人を探して欲しい」

 

 

 

 

 言い切り、口を噤んで俯いた。

 圭一は暫し考え込むように唸った後、二、三度小さく頷いてから話を返す。

 

 

「……分かった」

 

「……ありがとう。圭一くん」

 

「でも一つ、俺からもお願いだ」

 

 

 レナはパッと顔を上げ、目を瞬かせた。

 視線の先にいる彼は、挑発的な笑みを浮かべている。驚いたレナの顔を見て、してやったりと思っているようだ。

 

 

「だからって、自分に嘘は吐くんじゃねぇぞ。あの告白が無効なら、また別の方法でぶつかって来いよ。俺はまず、レナを嫌いになったりはしないからよ」

 

 

 そこまで言って、やはり恥ずかしくなって来たのか、圭一はフイと顔を背けて頬を掻く。

 少し格好が付かない圭一。それでもレナはまた、彼の事を好いてしまう。

 

 

 あぁ。どうしてこの人は、レナが求めてしまった言葉を言ってくれるのだろう。

 

 情けなくもあり、辛くもあり、それ以上に暖かく、どこか心地良い。

 一陣の風が吹き抜けるような、目には見えずとも確かに存在する優しさに、レナは涙を零してしまった。

 

 

「……あはは。本当に圭一くんは……変な人だよね」

 

「な、なんだよぉ! レナに言われたくねぇよ!」

 

 

 また恥ずかしそうに頬を掻く。

 するとその時に、思い出したようにレナへ質問をした。

 

 

「そういやレナって、本当は『礼奈』なんだよな? なんで『レナ』なんだ? 言いやすいからか?」

 

「あー……」

 

 

 涙を拭いながら、やや言い辛そうにレナは身体をゆらゆら揺すった。

 

 

「……雛見沢に来て、それまでの『イヤな事』を忘れようって思ったの。だから、()ヤな事の『イ』を抜いて、レナって……」

 

「あぁ……そうだったのか」

 

「……これだと『イイ事』もなくなっちゃうけどね」

 

 

 自嘲して苦笑いするレナ。

 その手前、圭一はムッと不機嫌顔だ。

 

 

「レナ、それはやめて欲しいぜ! 俺が困っちまう!」

 

「……え? 圭一くんが?」

 

「あぁ! そんな事されたらよ……」

 

 

 腕を組み、圭一は悪戯っぽく笑った。

 

 

 

 

 

「……俺の名前、『ケチ』になっちまうだろ」

 

 

 その意味を理解し、面白おかしくなったレナは吹き出す。しかしツボに入ったようで、吹き出してからも笑いが止まらなかった。

 

 

「ほ、ホントだね! あはは!」

 

 

 合わせて圭一も笑う。

 二人の溌剌とした笑い声は、鳴き始めたひぐらしたちの声に混ざった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──しゃぶしゃぶ屋なのに、他の客は相変わらず蕎麦をズルズル音を立てて啜っていた。

 その音に驚き、礼奈はハッと我に返った。

 

 

 

 鍋の中央に張られた波型の仕切りで、二種類のだしが混在しないように区切っている。

 片方は醤油だし、もう片方は味噌だし。詩音は味噌だしで豚肉をくぐらし、自身の呑水(とんすい)の中にある胡麻ダレに付けて食べていた。

 

 

「んー! これぞ幸せ……私は今、幸せを噛み締めている……!」

 

 

 満面の笑みで頬張る彼女は、何とも子どもっぽく見えた。

 オーナーとしての凛々しい彼女とのギャップだろう。そんな子どもっぽささえ礼奈には魅力的に思えた。

 

 

 もう五十手前と言うのに、詩音はとても活力的だ。

 唯一の同郷の友として、人としても尊敬している。

 

 

 

 

 肉をだしの中で泳がせながら、チラリと礼奈を見た。

 また、物思いに耽る彼女に気が付いたようだ。

 

 

「……食が進んでいないようですけど?」

 

「……へ? あ……ご、ごめんね? あはは……歳取っちゃうと考え事の時間が増えちゃうから……」

 

「うん、うん。分かります分かります。これが噂の更年期……最近、勝手に頭がボーってしたり──」

 

「あー……年齢の話、やめよっか?」

 

「そうですね」

 

 

 だしから、茹で上がった肉を取り出し、胡麻ダレに付けて食べた。

 礼奈も倣うように白だしで豚肉をくぐらせ、ポン酢でいただく。

 

 

 

 

 

「……そっか。もう、三十五年か……」

 

 

 噛み締めながら、ぽつりと溢した言葉。

 詩音の耳にもそれは届いた。ゆったりと小刻みに頷きながら、返す言葉を探している。

 

 

「……いやはや……時が経つって早いですよね。若い頃って本当、そのままずっと続くような感じだったのにね?」

 

「………………」

 

「お姉さんって呼ばれたかと思えば、気付いたらおばさんで、ハッとなったらお婆さんって言われ兼ねない歳で──あぁもう! 歳の話はしないって言ったのに!」

 

 

 鍋から昇る湯気の向こうで、詩音ははにかむ。

 釣られて微笑む礼奈だが、表情から影は消えない。

 

 

 ぐつぐつと湧き立つだしの上に、灰汁(あく)が溜まっていた。

 それに気付いた礼奈が、オタマを持って取り除いてくれた。

 

 

「私はね、詩ぃちゃんは凄いなって思うよ」

 

「そうですか?」

 

「大災害の後も、必死に未来を見ていてさ……」

 

「………………」

 

「……私はずっと、雛見沢に閉じ込められたまま」

 

 

 掬った灰汁を、灰汁取り用のガラ入れに流して行く。

 

 

「……ううん。私こそ、未来を生きて行く資格なんて……本当はないハズなのに」

 

「……レナさん。やめなって」

 

 

 詩音の制止も聞かず、オタマを置いたと同時に口走った。

 

 

 

 

「……人殺し、だしさ」

 

 

 絶句し、凝視する詩音。

 その目線の先にいる礼奈は泣き出しそうな顔で、口元を手で覆い隠していた。

 

 

「……決して忘れられない。あの時の痛みと、爆発……圭一くんの声も、憎しみのこもったクラスメイトたちの目も……」

 

 

 脳裏には当時の状況が映写機のように再生されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬鹿な陰謀論を信じた自分は、寄生虫の特効薬を求めて学校で籠城事件を起こした。

 

 ガソリンをありったけ雨樋に溜め、時限発火装置で繋いだ。

 時間以内に薬が来なかった場合、自分含めたクラスメイト全員と死ぬつもりでいた。

 

 

 

 その際、寄生虫を媒介した張本人だと思っていた魅音の首と壁とをU字ロックで拘束し、絶対に逃げられないようにした。

 沙都子がいれば、ロックは簡単に外れていたハズだった。

 

 

 

 

 だがその時、沙都子はいなかった。

 自分は「リナだけを殺し、鉄平は殺せていなかった」。

 

 だから沙都子は鉄平に引き取られたまま、大災害まで会う事はなかった。

 

 

 

 

 

 圭一と梨花の立ち回りで、人質は「魅音以外」全て解放。

 しかしトラップに造詣の深い沙都子がいない事で、圭一たちは時限発火装置の場所に気付けなかった。

 

 

 

 間に合わないと踏んだ圭一らは、自分を気絶させる事で校舎外に連れて避難した。

 

 そこで中にいたクラスメイトたちが、泣きながら必死に訴える。

 

 

「魅音さんが取り残されたままだ」

 

「私を置いて逃げろって」

 

「ロックが開けられなかった」

 

 

 

 

 圭一が振り向き、校舎に戻ろうとした頃にはもう遅かった。

 

 

 

 

 

 大きな満月の下で、月光を凌ぐ閃光と炎が上がる。

 

 

 学校は、魅音と共に、爆発してなくなった。

 

 

 

 

 

 記憶の再生が終わった頃には、二人とももう箸は止まっていた。

 ぐつぐつと煮える音と湯気が、二人を区切っているかのようだ。

 

 まるで面会室。

 詩音は来訪者で、自分は罪人──消えない罪を背負い、過去と言う永遠の牢獄に今も収監された重罪人だ。

 

 

「……少年法と精神鑑定の結果で、私は罪に対して……何とも軽い罰で済んでしまった」

 

 

 詩音は「違う」と、首を振っていた。

 

 

「誰よりも許されない存在なのに……みんなが死んで、私だけが生き残ってしまった」

 

 

 背筋を伸ばした礼奈は、真っ直ぐと詩音を見据える。

 注ぐ彼女の瞳は、懺悔に満ち満ちていた。

 

 

「……この三十五年間、一度も自分の罪を忘れた事はない」

 

「違うよ、レナ、さん……もう、良いんですよ……」

 

「詩ぃちゃんはこんな私を……許してくれただけじゃなくて、助けてくれた。恩を返す為にも、私はやらなくちゃいけない事がある」

 

「……レナさん」

 

「……私を呼んだ理由は、それなんだよね?」

 

 

 一度瞳を閉じ、決意を込めて開く。

 

 

 これから突拍子のない事を言って、詩音を混乱させるかもしれない。

 雛見沢大災害は自然災害ではないかもしれないと言っても、信じてはくれないだろう。

 

 

 

 馬鹿げた陰謀論を信じた、あの時の「竜宮レナ」から何も変わっていないと、失望されるかもしれない。

 それでも礼奈は、この三十年余り続けた事を、告白しなければならなかった。

 

 

 

「……あの日から何も、変わっていない」

 

 

 雛見沢大災害の真相を暴く、と言う事。

 詩音は何も言わず、柔らかい眼差しで礼奈の言葉を受け止める。

 

 

 

 

 

 

「……私の『罪滅し』は……まだ終わっていない」

 

 

 一瞬だけ詩音は、自分の目を疑った。

 湯気の向こうの礼奈が、三十五年前の──「在りし日の竜宮レナ」に見えたからだ。

 

 

 

 部活でいつも見せていた、あの眩い笑顔の彼女に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻はやっと午後十時を過ぎた。冬の夜はすっかり深まり、オリオン座が夜空に照っている。

 街灯がチカチカ、道路上に瞬く。通る車のヘッドライトが灯台の灯りのように現れ、テールライトの赤を残して消える。

 

 気温は一度か、下手をすれば氷点下と思われる寒さ。

 路肩に停めた車から、二つの人影が降りる。礼奈と、詩音だった。

 

 

 吹いた風が熱を奪う。二人は身を縮め、靡く髪を抑えながら、厳冬の寒さに顔を顰める。

 

 

 

 誰もいないパーキングエリア。

 その一つ先にぽつりと街灯が照らす、寂れた山道があった。

 

 

 道の入り口には、なけなしの警告板と、遮蔽物。

 

 

 旧雛見沢村へ至る、礼奈と詩音にとっては懐かしい道だ。

 

 

 

 

「……災害以降」

 

 

 白い息を漏らしながら、詩音は独白のように話し出す。

 

 

「……ここに来るのに、今も勇気がいるんです。地元なのに、近付く事を避けていました……ここまで来たのはホント、数年ぶり」

 

 

 道の手前は店だのパーキングだのと、三十五年前よりも少し華やかになっていた。

 しかし道自体は、あの日から何も変わっていない。詩音はそれを、物憂げな表情で見つめた。

 

 

 ちらりと、礼奈を一瞥。

 影のかかった顔で、真っ直ぐと見据えている。

 

 道ではない。その先で、山の向こうにある、今は亡き故郷へ目を向けていた。

 

 

 通りがかったバイクのライトが、礼奈の顔を照らす。

 一瞬伺えた彼女の表情は、期待に満ちているようで泣き出しそうで。正負の感情が渾然一体となっているようだ。

 

 

 再び辺りを闇が覆う。

 礼奈はそのタイミングで詩音へ微笑み、口を開いた。

 

 

 

 

「……もっと。近付こうか」

 

 

 誘われるかのように彼女は、道の方へ歩き出す。

 疲れ切ったその背中を見ながら、詩音もまた意を決して後に続く。

 

 

 パーキングを横切る際に、詩音はある車が目に入った。

 今じゃ滅多に見られない、トヨタ・パブリカだ。

 

 

「……うわ。パブリカですよ。まだあったんだ、懐かしい……」

 

「あ……ちょっと詩ぃちゃん、他人の車だから触ったら……」

 

 

 詩音がドアの部分にちょっと触れただけで、枠からガコンと外れてしまった。一気に二人の表情が青くなる。

 

 

「え? なんで?」

 

「な、なにやってるの詩ぃちゃん!?」

 

「いやいや! 待ってください!? ちょっと撫でただけなのに!?」

 

 

 その際に礼奈はチラリと、車内を見た。

 後部座席にはズラリと本が並んでおり、それに気付いた彼女は「あっ!」と声をあげる。

 

 

「どんと来い超常現象シリーズに、なぜベス、人生の勝利者……この車、もしかして……!」

 

 

 ナンバープレートを確認する。品川ナンバーの為、間違いなく東京から来た車だ。

 

 

「やっぱり……! 上田先生、来てくれたんだ……」

 

「し、知り合いでした? なら……まぁ、ドアも許してくれますね」

 

「詩ぃちゃん……」

 

「ちゃ、ちゃんと弁償しますから……そんな目で見ないで」

 

 

 外れたドアをとりあえず、車体に立て掛けておく。ドアの裏にはなぜか「トイレツマル」の文字が書かれていた。

 

 

 車を通り越し、道の前へ再び歩く。途中、礼奈が上田について話してくれた。

 

 

「一ヶ月前、わざわざ東京に行って……上田次郎って言う学者さんに、雛見沢大災害を調べて欲しいって依頼したの」

 

「え……?」

 

「その人何でも、日本中の古い村とかに赴いたりしてて……祟りとか呪いとか、そう言うものの正体を暴いて来たんだって」

 

「……だから依頼したんですか? でも、三十五年前ですから……」

 

 

 詩音の言葉は尤もだ。既に終わった事までは、そんな上田でもカバーし切れないハズだ。

 それでも依頼に踏み切ったのはなぜか。理由を待つ詩音へ、礼奈はゆっくりと応えた。

 

 

「アレは災害なんかじゃない。寄生虫がいて、みんなを狂わして、それで…………」

 

 

 そこまで言ってから、首を振った。

 

 

「……違う。私は、見切りを付ける為に依頼した」

 

「……見切り、ですか……?」

 

「偉い学者先生が村を調べて、そして私にこう言って欲しかった……『あなたのそれは、全てまやかしですよ』って」

 

 

 くるりと礼奈は、詩音へ向き直る。

 

 

「私は今でも信じてる。鬼隠しもオヤシロ様の祟りも、全てはまやかしだって。大災害だって自然の物じゃなくて、寄生虫だって……全部全部、誰かが仕組んだ事なんだって……」

 

「………………」

 

「……でももう……疲れちゃった。信じ続けるには歳を取り過ぎて、真相に至るには時間をかけ過ぎてしまった」

 

 

 年齢の割に若々しいとは思ってはいたものの、小皺や白髪など、やはり「歳を取ってしまった」証拠が礼奈の顔にはある。

 

 

「だって、詩ぃちゃん……もう、三十五年だよ……? 私はもう四十九歳……なのにまだ、あの頃の自分が消えない……あの夏の自分が消えない……」

 

「……レナさん」

 

「何とかここまで自分を保って来た……でも……もう、限界が近付いている。これじゃあ、真相に至る前に私が壊れてしまう」

 

 

 加齢とは自然の摂理だ。一年一年、一刻一刻、我々は死へと近付く。

 その度に身体は衰え、考えも纏まらなくなる。気力も落ち、霞む目さえ止められない。

 

 

 抗えないのならば、諦める他はない。

 礼奈はもう、雛見沢村を追い続けるだけの体力を、失いつつあった。

 

 

「……誰かに止めて貰いたい。でもこれは、前を向いている詩ぃちゃんは巻き込めない事……」

 

「……だから、東京の先生に諦めさせて欲しかったの?」

 

「……うん。雛見沢村を巡って、私のこれまでを否定してくれたら……やっと、私は解放されるって考えたの」

 

 

 震えた唇の隙間から、白い息が吐かれる。

 

 

 

 

「……私の中の、『竜宮レナ』がいなくなってくれる……」

 

 

 

 

 礼奈は立ち止まった。

 気付けば道の手前、立ち入り禁止の看板の前まで来ていた。

 

 一本の街灯の向こうは、深い闇に染まっている。それを前に、礼奈は身体を震わせた。

 

 

「……でも、まさか詩ぃちゃんから声がかかるなんて」

 

 

 詩音は口を開く。

 

 

「……レナがずっと、あの日の雛見沢に囚われている事は気付いていました」

 

「……だろうね」

 

「でも私は……私の事でいっぱいだった。園崎家もなくなって、姉もいなくなって……私の手にはもう、何も残っていなかった……」

 

「………………」

 

「……あなたを、気にかけてあげられなかった」

 

 

 振り向き、礼奈は首を振る。

 

 

「……あなたは何も悪くない。詩ぃちゃんはそれでも、前を向いて──」

 

「それは違いますよ。レナ、さん」

 

 

 悲しみに満ちた目をしていた。それでも彼女は精一杯の笑みを作った。

 歪な笑みだ。けれども、気丈で安らかでもあった。

 

 

「……私も。あの夏に囚われている一人です」

 

 

 大きく息を吸う。肺を冷え切った酸素が満たす。

 吐き出すように、名残惜しそうに、言葉を継いだ。

 

 

 

 

「……全ての秘密を、ここで話す……それで、もう終わらせましょう」

 

「………………」

 

「……この三十五年と、あの夏を……」

 

 

 

 

 二人の視線が噛み合う。

 

 遠く道路を車が走り抜ける。

 

 闇が覆い、月は見えず、星は瞬き、街灯が唯一二人を照らす。

 

 

 

 今から行われるのは、「最後の発表会」。

 この三十五年で得た物と秘密を、互いに明らかにする。

 

 

 これで終わりだ。詩音から先に、恐怖の滲んだ表情で語ろうとする。

 

 

 

 

 最初の告白は、勇気が欲しかった。俯き、呼吸を整え、寒さに震える唇を何とか力ませて、吐き出そうとする。

 

 礼奈はそれを遮った。

 

 

「……怖がらなくて大丈夫。私は、知っているよ」

 

 

 にこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ。『魅ぃちゃん』」

 

 

 

 

 

 

 

 彼女とは、一緒にお風呂にも入った事がない。

 背中にある、「鬼の証」を見せない為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暴走

 

激唱

 

雪、無音、窓辺にて

 

MGS with CQC

 

マイセンで通じる時代は終わってんだ

 

人間とかいう種族wwww

 

つづきは淫魔ちゃんねる

 

 

 生徒たちの作品に囲まれる中、興宮の書道教室で書き続けていた里見。

 庭でバトルファイトを行う塾長たちを尻目に、筆を何度も半紙の上に滑らせた。

 

 

 

 その手が、ぴたりと止まる。

 彼女の鋭い眼差しが、正面へと持ち上がった。

 

 

「……奈緒子……」

 

 

 スッと筆を置き、立つ。

 

 

 

 

 

 すぐ後に塾長たちが教室に戻って来た。

 

 

「いやぁ! まさかトリニティでカマすとは思わなかった!」

 

「運命は避けられないのかッ!?」

 

「山田先生! もうジョーカーも人類も助かりましたから、もう安心──」

 

 

 下駄を脱ぎ、室内に入り、里見のいた方を見る。

 そこにはもう彼女はおらず、「焛」の文字が書かれた紙が置いてあるだけ。

 

 

「……山田先生?」

 

「どこ行ったんです!?」

 

「剣崎ぃーーーーッ!!」

 

 

 

 

 最後に向けて、夜は進んで行く。役者は揃いつつある。

 これもまた、時が遭わせた運命なのだろうか。

 

 

 

 過去と、未来で、各々の真相へと近付きつつあった。


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