TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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6月19日日曜日 綿流し
天涯比隣


 悪魔に(うな)されている。

 そこは水辺。母が着ている着物を泥と水に濡らしながら、泣き叫んでいた。

 

 

「あなたッ!! あなたッ!?」

 

 

 母の腕の中には、力無くぐったりと横たわった父が。

 何度も呼び掛ける母だが、父の反応は弱々しく、呼吸も浅くなって行くばかり。

 

 

「あなたッ!! 死んじゃ嫌ぁッ!!」

 

 

 今際の際にある父を引き留めようと、何度も何度も呼び掛ける。

 

 

 すると応じるように、父は微かに目を開いた。

 恐怖に強ばった鬼気迫る表情で、母に訴える。

 

 その訴えが、彼の最後の言葉だった。

 

 

 

 

「この世には……いるんだよ……ッ!!」

 

 

 震えた手を母へ伸ばしながら、彼はくぐもった声で叫ぶ。

 

 

 

 

「本物の…………!」

 

 

 開かれた瞼が、ゆっくりと閉じる。

 呼吸が小刻みになり、次第に止まって行く。

 

 

 

 

 

 

「霊能力、者が────」

 

 

 伸ばした腕が空を切り、水の中へ落ちる。

 父が二度と、目を覚ます事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば私の腕の中に、老婆が横たわっていた。

 血を吐き、虫の息の状態で、私の顔を撫でながら弱々しく告げた。

 

 

 

「あなたのお父さんはね……殺されたのですよ……」

 

「本物の力を持った……霊能力者に……」

 

 

 遠くに建つ風車がゆっくりと回っていた。

 

 

 

 

 

 その風車が、錆びた物見櫓に変わる。

 いつの間にか私は老婆ではなく、派手な化粧をした男を抱き上げていた。

 

 彼は頭から血を流し、死にかけている。でもその目に死への恐怖はなく、ただ勝ち誇ったように開かれていた。

 

 

 

「愚かな女……」

 

「私は、本物の霊能力者を知っている……」

 

 

 私が聞き出そうと声を掛けたら、「Au revoir(さよなら)」と言い残し、瞳を閉じてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか自分は、古い蔵の中にいた。

 そして震えた手で「古い鍵」と、父の遺した手紙を抱えていた。

 

 

 

『私はやがて、殺されるだろう』

 

『私たちの、最も愛した者の手で』

 

『それが、彼らが私たちに仕掛けた、復讐の罠だ』

 

 

『彼らは、幼い奈緒子の脳裏に何かを植え付けたのだろう』

 

 

 

『あの子こそ──島にとって、大切な霊能力者なのだから』

 

 

 

 

 今度は冷たい、ビルの空き部屋の中。小太りの男が、細長い眼鏡の男を連れ立って現れる。

 表情のない顔で、私に告げた。

 

 

 

「君も、『カミヌーリ』の血が流れているんだ」

 

 

 

 

 暑い。次は太陽の照り付ける、島の道中に倒れている。

 男はそんな私を見下ろしながら言う。

 

 

 

「君の能力はただ、無理やり封じ込められていただけだ」

 

「アナーキーによって、全部蘇る」

 

 

 

「──お父さんを殺した時の記憶も、一緒にね」

 

 

 

 

 

 

 父を殺したのは誰でもない。

 

 私と父しか開けられない宝箱の中にあった、あの鍵が証拠だ。

 

 箱から出られる鍵を、私が盗んだ。

 

 

 

 

 父を殺したのは誰でもない。

 

 

「────だ──や────」

 

 

 

 父を殺したのは他でもない。

 

 

「──ま────だ────」

 

 

 

 

 

 父を殺したのは、私。

 

 

「山田ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

第八章 綿流し

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅえ……?」

 

 

 パチリと目を開ける。

 視界いっばいに、心配そうな眼差しの上田の顔が広がっていた。

 

 

 

 

「……うわ何だお前!?」

 

「おおう!?」

 

 

 反射的に彼の鼻面を殴る。上田はひっくり返り、鼻を押さえながらのたうち回っていた。

 

 

「にゃ……にゃにをすふんだふぉのふぃんにゅうふぁ(何をするんだこの貧乳は)……!!」

 

「な、なにすんだ!? そんな顔を近付けて……今貧乳つったか!?」

 

「こっふぃのふぇりふだふぃんにゅう(こっちの台詞だ貧乳)ッ!」

 

 

 山田はむっくりと起き上がる。辺りを見渡せば、梨花たちの家の寝室だ。

 窓からは燦々と陽光が入り込み、山田の顔に当たって眠気を抜き取って行く。

 

 

 布団や枕が部屋の隅々に吹き飛んではいたが、自分は上田に起こされたようだ。

 

 

「……何だ。起こしに来ただけか……普通に肩叩いて起こしてくれれば良いのに」

 

 

 上田は鼻を庇いながら、少し涙目のまま言葉を返す。

 

 

「お前がなんか、魘されていたから声を掛けたんだろうが……」

 

「……私が?」

 

「あぁ……悪い夢でも見たのか? 表情もやけに苦しそうだったぞ?」

 

 

 ひたいを拭えば、じっとりと汗をかいていた事に気付く。夏の暑さのせいかと思ったが、妙に嫌な汗だと感じた。

 起き抜けに呆然とする山田を見ながら、上田はニヤニヤ笑いで茶化す。

 

 

「まぁ、YOUの事だ。そのド貧乳が爆乳になって、今度は動けなくなるような夢でも見たんだろ!」

 

「………………」

 

「…………え。マジに見たのか」

 

「なワケあるかい」

 

 

 上田の冗談に対しても、やけに反応が少ない。何か物思いに耽っているかのように、俯いている。

 

 

「何だ何だ? 今更、夜が不安になって来たのか?」

 

「……そう言う訳じゃないですけど」

 

「矢部さんから、警察の動きも聞いた。何とな? 総勢二十人も私服警官を用意してくれたんだ! 富竹さんも含めて、梨花や沙都子らも見守ってくれる。怖いものは何もないぞ!」

 

 

 そう高らかに宣言した彼は、脱いでいた靴下を履いてから、寝室を出て行こうとする。

 襖に手を掛け、開けた瞬間だった。山田が急いで彼を呼び止める。

 

 

 

 

「上田さんこそ、昨日からずっとソワソワしてて……一体、何を知ってしまったんですか?」

 

「………………」

 

 

 上田は静止し、背中で山田の言葉を受けた。

 

 

「何を知ったにせよ……一人で全部解決しようなんて思わないでください」

 

「……ハハ! 何を言ってんだYOUは!」

 

「……嫌な予感がするんです」

 

 

 流し目で背後に座っている山田を見た。

 不安そうに顔を伏せ、肩を噛み、顔を顰めていた。

 

 

「私たちは、決定的な何かを見落としている気がするんです……ですから上田さんが、犯人に繋がる情報を得ているとしても……無闇に突き進まない方が良いと思います」

 

「………………」

 

「……聞いてるんですか上田さん」

 

「ジュワッ!!」

 

「上田!?」

 

 

 返答はせず、上田は颯爽と出て行ってしまった。

 立ち上がって後を追う気にもなれず、溜め息と共にまた思考の中に沈む。

 

 

 悪魔の内容は、残酷なまでに詳細に覚えていた。

 今まで取り戻して来た記憶で、何度も「忘れたままの方が良かった」と後悔した記憶たち。それが連なり、彼女を囲うかのように、夢として表出した。

 

 

 

『私はやがて、殺されるだろう』

 

『私たちの、最も愛した者の手で』

 

『それが、彼らが私たちに仕掛けた、復讐の罠だ』

 

『彼らは、幼い奈緒子の脳裏に何かを植え付けたのだろう』

 

『あの子こそ島にとって、大切な霊能力者なのだから』

 

 

 

 

 父の遺した手紙を思い出す。不安が胸に巣食う。寄る辺を求めて、膝を抱え丸くなる。

 

 

 記憶がある時から、記憶を無くした後までも解決に至っていない謎。

 思い出したくなかったそれが、この村に来てから何度も突き付けられる。

 

 

 どうすれば良いのかと、ひたすらに記憶を反芻し続けた。

 

 

 

 

 

「…………山田……」

 

 

 その様子を、襖に隠れて座る梨花だけが見守ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神社の境内は、朝から人の往来で賑わっている。

 食材や機材がひっきりなしに搬入され、開催を待ち切れない村の子どもが駆け回る。拝殿の前に建てられた舞台の前にはパイプ椅子が並べられ、着々と準備が終わりに向かっていた。

 

 

 村人が一丸となって催される、一年に一度の一大行事。それが綿流しだ。

 

 

 搬入物の中には、大量の布団や褞袍(どてら)も運び込まれている。

 それを眺めながら、現場の下見に来た矢部が菊池に聞いた。

 

 

「おぉ? なんや? ありゃ布団とチャンチャンコか? なんであんなモン持ち込んどんねん? 祭りで売るんか?」

 

「そうではない! 綿流しの綿とは、あの布団や袢纏(はんてん)の中の綿を差すのだ!」

 

「褞袍やチャンチャンコや袢纏とか名前多ないか?」

 

「一年の厄や穢れを綿に込め、古手家の巫女が鍬を使って布団を裂き、綿を抜く。それを丸めて川に流す事で、厄を流して次の一年を清く迎えようと言う習わしだ!」

 

「詳しいやんけお前」

 

「私が教えてましたからねぇ」

 

 

 自慢げに語る菊池の隣からヌッと、大石も現れて二人に敬礼をする。

 

 

「やぁやぁ、矢部警部補と菊池参事官殿ぉ! お早い内からお勤め、ご苦労様です!」

 

「おう、永沢くん」

 

「だから大石ですって! 日に日に私の名前から遠ざかって行くじゃないですかぁ!」

 

 

 菊池は辺りを見渡す。露店の数々や、「綿流し祭」「古手神社」と書かれた旗が参道沿いに並ぶ。

 また花火も打ち上げられる予定なのか、遠くで予行演習で打ち上げられた物の破裂音が響いていた。

 

 

「なかなか盛大な祭りのようだな」

 

「実は前まではここまでの規模じゃあ無かったんですよ。ちょっとした村の飲み会みたいな感じだったんですがねぇ? 鬼隠しが起きて、村人はオヤシロ様の祟りだと恐れちまいましてねぇ」

 

「なるほど! 祟りを鎮めるべく規模が大きくなったのだなぁ!」

 

「ご名答ですよぉ、参事官殿!……んまぁ、それでも二年連続起きちまってますがね?」

 

 

 大石は声を潜め、そう皮肉を溢す。

 

 

 

 

 

 二人が会話をしている最中、矢部はふらふらと露店を眺めていた。

 その時ある店を見つけ、彼の目を奪う。

 

 

『かつらむき』

 

 

 咄嗟に真顔で頭部を押さえる矢部。

 露店のテントで、老婆がひたすら大根の表面を薄く剥いていた。

 

 

 

 

 

 

 菊池は思い出したかのように、大石に聞く。

 

 

「そう言えば昨日、署内で見なかったが、どこか行っていたのか?」

 

「昨日ですか? んー……んふふふ。まぁ、私用ですとも」

 

「フン! 僕の情報網を舐めて貰っては困る! 殺された親友の墓参りだと聞いたぞ!」

 

「どうして知ってて聞くんですかねあなたは?」

 

 

 言い難そうに口をモゴモゴと動かした後、観念したように白状する。

 

 

「……鬼隠しを止める意思表示で、昨日の夕方に参りましたよ……」

 

 

 その時の事を、大石は思い起こした。会議を終え、時間が出来た彼は、花を抱えて親友が眠る墓へと赴いた。

 今年こそはと急いで向かったものの、既に花立てには「青い紫陽花」が供えられていた。

 

 

「一体どなたがこんな時期に、青い紫陽花をおやっさんの墓に……気になって仕方ありませんとも」

 

「青い紫陽花? 何の話だ?」

 

「……これは参事官殿には言ってなかった話でしたな。んふふふ! 失礼、何でもありません」

 

「無惨が探してる奴か?」

 

 

 ともあれ意思表示は済んだ。

 来年に定年退職を迎える大石にとって、今日の綿流しがキャリア最後の祭りとなる。

 

 退職してしまえば、もう鬼隠しを追えまい。故に今日と言う日の意気込みは、どの刑事たちよりも深く激しい。

 

 

 

 

「……えぇ。今年で終わらせますとも」

 

 

 無意識に拳が高く、握られていた。

 

 

 

 

 

 矢部はまた、もう一つ別の店に目を奪われた。

 

 

『かつらとり』

 

 

 また頭部を真顔で押さえる矢部。

 露店のテントの下で、数人の老父たちが謎の掛け声と共に、将棋で桂馬(けいば)を取り合っていた。

 

 

「けーばッ!」

 

「桂ッ!!」

 

「カイザーフェルゼンッ!!」

 

「アポロレインボウッ!!」

 

「デバフネイチャーッ!!」

 

 

 矢部が髪を押さえたまま固まる手前で、ひたすら桂を取り合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼過ぎ。山田は詩音との約束通り、再び鬼の子地蔵へと向かっていた。

 昨日同様、死にかけた顔で山道をのろのろ登る。

 

 

「し……死ぬ……ひからび……乾涸びた……バスひとつ」

 

 

 倒れかけたので、一度立ち止まって念を込める。

 

 

「オニ壱……一緒に戦ってくれ……! ズーットチェイサーっ!!」

 

 

 六歩ほど走った後、「マッパっ!?」と叫びながら転んだ。

 

 

 

 何とか登り切り、地蔵様の前まで来た山田。心なしか鬼の子地蔵の胸が昨日より大きくなっている。

 詩音は既に待ち合わせ場所に立っており、山田を見つけて大きく手を振った。

 

 

「あ! 山田さん! はろろーんです! お元気でしたか?」

 

 

 山登りで死にかけた顔のまま、彼女もひょこりと手を上げて応答する。

 その様子を見て詩音は「お元気そうですね!」と返す。山田は思わず彼女の笑顔を二度見した。

 

 

「わざわざここまでお呼び立てしちゃいまして、すみません……」

 

「い、いえ……詩音さんこそ、ここまで大変だったんじゃ……?」

 

「え? いえ、全然?」

 

「パワフル……」

 

 

 

 

 祠の横には、休憩用と思われる長椅子が置かれている。

 二人はそこに座り、鳴き続ける蝉の声の中、持参した団扇で暑さを凌いだ。

 

 

「ところで、こんな山の中で待ち合わせた理由はなんだったんです?」

 

「ここならまず誰も来ませんし、内緒話に持って来いですから!」

 

「良いんですか? なんか、鬼の子地蔵の前で話した内緒話は村の人全員に知れ渡るとか何とか」

 

 

 昨日、梨花から聞いた、鬼の子地蔵にまつわる伝承を話す。

 それを聞いた詩音は朗らかに笑った。

 

 

「あはは! そんなの、ある訳ないじゃないですかぁ! そうだとしても、地蔵様の中に盗聴器でもあるんですかね?」

 

「ですよね。私だって信じてないですよ」

 

「それなら山田さん、この伝説は知ってます?」

 

「何です?」

 

 

 詩音は横目で鬼の子地蔵を見ながら、地蔵にまつわるもう一つの伝説を教えてくれる。

 

 

「葛西から聞いた話です。『村に大きな災い訪れる時、鬼の子は倒れ、眠れる鬼、這い出でん』、と言う言い伝えです」

 

「鬼の子が倒れて……鬼が出て来る? マトリョシカ?」

 

「何でも、鬼の子地蔵の下には一人の鬼が眠っているとか」

 

「なんで眠っているんですか?」

 

「さぁ?」

 

 

 ガクッと山田はずっこける。

 

 

「知らないんですか……」

 

「色々言われてはいるんですけどね。鬼の子の父親とか、オヤシロ様の言い付けを守れずに悪さをして封じ込められた鬼とか」

 

「あー……確か、オヤシロ様が鬼と人とを共存させたんですよね」

 

 

 昨日の鷹野の話を思い出す。

 村の伝承に山田が興味を持っているのかと思った詩音は、その話の更に先を教えてくれた。

 

 

「そうなんです。それで、その鬼たちの子孫こそ……園崎家だと言われているんですよ」

 

「詩音さんのところがですが?…………ツノ無さそうですけど」

 

「ある訳ないじゃないですかー! あくまで園崎が勝手に言ってるだけですよ! 確かめ様がないのに、言ったモン勝ちですよそんなの!」

 

 

 困ったように詩音は笑う。

 しかし笑い終えた途端に、少し表情に曇りが見えた。嫌な事でも思い出したのだろうか。

 

 彼女の変化を山田が心配するより先に、詩音は椅子より一度立ってから地面にしゃがみ込む。

 落ちていた石を拾うと、それをペン代わりにして土の地面に文字を書く。

 

 

「見てください。これが鬼婆さん……園崎家の現頭首の名前です」

 

 

 詩音は地面に、現頭首である「お魎」の名を書く。

 次に次期頭首となる詩音の姉、「魅音」の名を。

 

 

「……あれ?」

 

「気付きました?」

 

「はい……鬼の字が入っているんですね」

 

 

 

 

 二人の名前を見て、山田は気付く。お魎も魅音も、字に「鬼」の名が入っていた。

 

 

「園崎家の家系は代々、名前に使う漢字の部首に『鬼』の字を含ませるのが習わしになっているんです。鬼の子孫であると意識付ける為ですね」

 

「でも詩音さんの名前には鬼の字は…………」

 

 

 その理由を、詩音は淡々と語ってくれた。

 

 

「山田さんと最初にお会いした時、お話ししましたよね……双子は頭首の選別に面倒。だから姉の魅音が選ばれ、私は御家断絶を食らったって」

 

「………………」

 

 

 魅音の隣に「詩音」と、自らの名前を書く。

 

 

「魅音は『鬼』を受け継ぎ、要らない私は『寺』に入れられる。雛見沢の土を踏む事も許されず……自由も、思いも、奪われる……」

 

 

 石をポイと、捨てた。

 

 

「でも私、時々オネェと入れ替わって、魅音として村に度々入ってたんですよ。バレたら私もオネェも、『ケジメ』付けなきゃいけなくなるのに」

 

「今は全然普通じゃないですか。この間だってお屋敷にも入れていましたし」

 

 

 山田のその疑問を待っていたかのようだ。首を回し、にこりと力なく微笑むと、これまでの経緯を語り始める。

 

 

「……私が詩音として村に入れるようになれたのは、去年の鬼隠しの後なんですよ」

 

「え?」

 

 

 去年と言えば、沙都子の叔母が撲殺され、兄である北条悟史が失踪した事件だろう。

 詩音が度々見せる悟史への執着は、山田からもやや異様に思えた。何か関係しているのかと、詩音の話を引き続き静聴する、

 

 

「……沙都子の叔母が殺された時に、悟史くんが疑われていて……咄嗟に私、彼とのアリバイを言っちゃったんです。そんな……彼と一緒にいたって言うと、ずっと神社にいた魅音との話に齟齬が出てしまうのに……それで私、詩音だってバラしちゃったんです」

 

「そ、そうだったんですか……て、アレ? でもバレたらケジメを…………」

 

 

 山田の顔から血の気が引く。どうやら全て察してしまったようだ。

 ふらりと詩音は立ち上がり、身体の正面を山田に向けた。そして左手を上げ、三本指を出す。

 

 

 

 

「そう。オネェと一緒に付けたんですよ。ケジメ。だから今、許されているんです」

 

 

 

 彼女の出した三本指とは、そう言う意味だろう。爪を、三回剥がしたと言う訳だ。

 

 

 場面を想像し、山田も自身の左指が痛むような錯覚に陥る。銃で撃たれただとかよりも現実的で、容易に痛みが予想できた。

 戦慄して生唾を飲み、ぎゅうっと、左手を握り締める。

 

 

「……でも、戻った時には……悟史くんはいなくなっていました」

 

 

 どう言葉をかけれは良いのかと、山田は黙り込んでしまう。そんな彼女の気持ちは予想していたようで、詩音は山田の言葉を待たずに続ける。

 

 

「六月の二十四日……その日は、沙都子の誕生日でした。大きなクマのぬいぐるみを買って、プレゼントするんだと言っていたのに……」

 

「………………」

 

「ずーっと、探していたんですよ。警察から情報を聞き出そうとしたりとか、それまでとんと興味がなかった村の伝承やオヤシロ様の祟りとかも調べたり……彼に繋がるかもしれない事は全部調べ尽くしましたとも」

 

 

 そう語る詩音の表情には僅かに希望があった。だが次に「でも」と呟いた後、その希望は消えて見えなくなってしまう。

 

 

「……調べれば調べるほど。悟史くんが生きていないんじゃないかって……思うようになってしまって。今ではもう、一歩を踏み出すのも怖くなってしまったんです」

 

「…………詩音さん……」

 

「……これが私、『園崎 詩音』と言う女のあらましです。そして悟史くんを探し続けている理由は……」

 

 

 にこりと儚く、力なく笑う。

 

 

 

 

「……単純ですよ。彼の事が好きだからです。私にとって呪いだった『詩音』と言う名を、『いい名前だね』と言ってくれた彼を……」

 

 

 

 

 風が吹いて、地面に書かれた文字を消し去ってしまった。

 山田は少し間を置いた後に、やっと口を開く。

 

 

「……私に、打ち明けてくださった訳は……?」

 

「前も言った通りに、山田さんは私に似ているって思ったからと……」

 

 

 恥ずかしそうに俯くと、詩音は両指を合わせながら答えてくれた。

 

 

「……宴会での夜、山田さんにめちゃくちゃ怒っちゃったじゃないですか。その理由を言っておかないと、折角昨日、山田さんがご自身の事を打ち明けてくださったのにフェアじゃないなって思いまして」

 

「別にそんな、気を遣わなくても……」

 

「それに私、期待しているんです。山田さんに」

 

「……え? 私にですか?」

 

 

 詩音は顔を上げると、力強く頷いた。

 

 

「山田さんは真実を見通す力を持っているんです。そして誰よりも真実を重視し、どこまでも追おうとする強い意志を」

 

 

 真っ直ぐと見つめる詩音の目を、山田は見つめ返す。

 

 

「私はもう、それに賭けるしかないんです」

 

 

 

 

 遠くで破裂音が響く。予行演習の花が打ち上げられ、青空に白煙を漂わせていた。

 それは山田らのいる場所からも見えた。木々の隙間にから、天へ昇る一筋の煙を。

 

 詩音はそれを背中で聞いた。しかし一切後ろへ気を取られる事なく、ただ真っ直ぐ山田を見つめる。

 

 

「……鬼隠しに全ての答えがある。今夜の綿流し……何でもご協力します。共に犯人を見つけて欲しいんです」

 

 

 真摯な訴えを前に、山田は躊躇を見せた。

 詩音の願いに応えてはやりたいが、どこまで話すべきかが分からないからだ。

 

 

 今年の被害者、雛見沢症候群、未来での出来事……知っていても、言ってはならない事が多過ぎる。それがまた山田を苦しめた。

 自分の中にこれほどの秘密がある。なのに目の前の少女に、そのどれもが漏らせない。

 

 

 これほどまでに自分を信じてくれているのに、私は彼女を信じられないのか。

 板挟みの中、山田は何とか言葉を発せた。

 

 

「……今夜、私たちは祭りを、鷹野さんと富竹さんと巡ります。詩音さんはこの二人に注意して欲しいです」

 

「……え? 鷹野さんと、富竹さんに……?」

 

「……今年はこのお二人が狙われる。そんな、気がするんです」

 

 

 発したものの、何ともあやふやで要領を得ないお願いだろう。言ってみて自分が情けなくなり、山田は渋い顔で俯いた。

 案の定、詩音は唖然としていた。言い訳を必死に考え、大慌てで口に出す。

 

 

「あ、や、その、あの、確定しているって訳じゃなくて! あくまで私の気と言うか思い込みと言うかなんて言うか……」

 

「……分かりました」

 

「え!? 良いんですか!?」

 

 

 しかし詩音は、深い事情を聞く事はしなかった。

 

 

「言われなければ私、何も出来なかったんですから……私、山田さんの仰る通りにやってみようと思います」

 

「本当に本気なんですね……」

 

「ここまで全部打ち明けたんです。何が何でも犯人を捕まえて……悟史くんを見付けるんです!」

 

 

 またにこりと笑う。

 さっきまで伺えた絶望や儚さは、もうない。希望に満ちた、溌剌とした笑みだった。

 

 

 

 

「それではまた夜……いや。もうこのまま山田さんと一緒にいましょっか?」

 

「いや私といてもそんな、楽しい事なんて……」

 

「また手品を教えてくださいよ!……あ! この間教えて貰ったコインマジックですけど、ちょっと上達したんですよ!」

 

「……仕方ないか。分かりました分かりました、付き合いますよ……」

 

 

 椅子からのっそりと立ち上がり、神社の方へ戻るべく歩き始める。

 先導する詩音の背中を追って、鬼の子地蔵の前を通り過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、奈緒子」

 

「……っ!?」

 

 

 背後から名前を呼ばれ、足を止める。

 

 先を行く詩音は気付いていないのか、どんどんと坂道を降りて行ってしまった。

 

 

 

「こっちだ」

 

 

 気のせいではない。確かに背後に誰かいる。

 そしてその誰かの声は、聞き覚えがあった。

 

 

 

 

 

 

 

「こっちだよ、奈緒子」

 

 

 

 

 ゆっくりと振り返る。

 

 動悸がする。熱がこもった頭がぼんやりと曇り始め、立ちくらみが起きた。

 その衝撃は、山田の五感全てを奪った。

 

 

 

 首を回し、半ば夢遊病のような感覚で、身体を後ろへ全て向けた。

 

 

 

 

 鬼の子地蔵の祠の隣に、それはいた。

 

 

 

 

 不気味な仮面の男が目の前で踊っている。

 

 蓑虫のように藁を編んだ装いのまま、手足をかくりかくり動かせながら呟く。

 何度も何度も腕をクイッと引き、こっちへ来るよう促している。

 

 

 声は、椎名桔平に似ていた。

 

 

 

 

「言っただろう? 雛見沢で待っていると……」

 

 

 

 

 

 呼吸が浅くなる。動悸が早まる。眩暈が起きる。

 蝉の声も、風の唸り声も、木々の騒めきも、聞こえなくなった。もうその男の声しか聞こえない。

 

 

 祠からぬらりと身体を出し、ふらふら踊っている。

 

 

 

 

「さぁ、奈緒子。おいで……」

 

 

 

 手招きし、こちら誘う。

 足が一歩、前に出た。

 

 

 

 

 

「おいで」

 

 

 

 もう一歩、前へ。

 

 

 

 

 

 

 

「おいで」

 

 

 

 通り過ぎたハズの鬼の子地蔵の前に、戻ってしまった。

 もう奴とは目と鼻の先。手招きを続ける。

 

 

 

 

 

 

 

「おいで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あともう一歩で、彼の下に辿り着けた。

 だが身体が止まった。後ろから誰かが、彼女の肩を引いたからだ。

 

 

 

 

 

 

「山田さん……? 何か……いるんですか?」

 

 

 詩音が心配そうに立っていた。

 振り向き、彼女の顔を見た瞬間、山田の視界は黒くなり始める。

 

 

 

 

 

「……椎名桔平」

 

「え?」

 

 

 そううわ言のように呟いた後、糸が切れたように倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

「山田さん!?」

 

 

 愕然とする詩音の表情と声を最後に、山田は完全に意識を手放してしまった。




天涯比隣(てんがいひりん) : 遠くにいても、すぐ近くにいるように親しく思う事。

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