TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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秘密結社

 一連の騒動の後、お魎は魅音と長老たちを伴って、一度引き上げる。今この場にいるのは山田と、そして牢屋に閉じ込められたままの上田と富竹と、お目付け役として残された構成員らだ。

 

 背後から突き刺さる構成員らの視線を恐ろしく思いながらも、山田は上田に尋ねる。

 

 

「……それで。なんで、鷹野さんと会っていたんですか?」

 

「それについては僕からもお願いします、マイ・ソウル・ブラザー」

 

 

 二人に詰め寄られ上田は観念したように、そして構成員らに聞こえないよう声を潜めて答え始めた。

 

 

「……一連の竜宮礼奈の騒動と、鬼隠しに彼女が絡んでいると思っていたんだ。まぁ、勘違いだったがな?」

 

「え? 鷹野さんが? なんで?」

 

「竜宮礼奈の持っていたスクラップ帳は、俺の落とした物ではなかった。しかもそのスクラップ帳には診療所の侵入方法と、麻酔の場所までご丁寧にメモられていてな……作為的な物を感じたんだ。勘違いだったけどな?」

 

「仮に鷹野さんだとしても、動機は何だと思ったんですか?」

 

「彼女は、雛見沢症候群を研究している……その、サンプルが欲しかったんじゃないかと思っていたんだ。全て俺の、勘違いだが」

 

「めちゃくちゃ勘違い言うじゃん」

 

 

 その話を聞いた富竹はおずおずと口を開く。

 

 

「えぇと……レナさんの件は分からないですけど……教授は、鷹野さんが鬼隠しの犯人だと、思っていたんですか?」

 

「えぇ、まぁ……一年目の事件時、北条沙都子の母親が鷹野さんらしき人物と会っていた事、そして彼女もまたスクラップ帳らしき物を持っていた事を聞いたので、まさかと思いましたが……勘違いでした」

 

「くどいっ!」

 

 

 続いて上田もまた神妙な顔つきで、富竹を見やる。彼が、雛見沢症候群を研究するグループ側の人間だと言う事は既に山田から知らされていた。

 

 

「しかし、富竹さん……まさかあなたも、入江さんたちと同じ立場の人間だとは……」

 

「少し立場は違いますが……僕は謂わば、本部と入江さんたちを繋ぐ連絡役。こんな辺鄙な田舎にしょっちゅう、スーツ姿で診療所に赴く訳にもいきませんから、カメラマンを装って村に入り込んでいました」

 

「ふっ……カメラマンにしては、私に劣るとも勝らない肉体を持っているから、まさかとは思っていましたが……肉体だけではない。忍耐力と胆力まで、私と同じタイプの実力だ……あと破壊力とスピードと、射程距離と持続力と精密動作性と成長性と」

 

「その『本部』ってのが、タクシーで言っていた『東京』なんですか?」

 

 

 口が止まらない上田を遮り、山田が核心に踏み込んだ質問をする。

 彼は少し俯き、言おうか言わまいかと躊躇を見せた。しかし鷹野が殺された事実と、二人が既に雛見沢症候群について梨花や入江から聞いている事を鑑みて、「隠しても仕方がない」と判断したようだ。構成員らに聞こえないよう、更にぐっと声を潜めて、「東京」について語り始めた。

 

 

 

 

「東京は、日本の政界を裏から支配している……言うなれば、『秘密結社』です」

 

 

 富竹から聞かされた「東京」の概念は、およそ天上の世界の話とも言えるものだった。

 政治家、学者、自衛隊、資産家と言った各界の要人が在籍し、その強力な権力で以て政界に幅を利かせている組織だそうだ。元はとある名門大学の同窓生らが立ち上げた、「学閥」でもあった。

 

 日本が敗戦を期した太平洋戦争の後、アメリカの傘下となった国を憂いた者たちが、戦前の日本を取り戻し、再び世界で覇権を取ると言う悲願の元で活動をしていたそうだ。

 

 

「例えば、強力な兵器の開発も目的の一つでした。雛見沢症候群はまさに、研究を進めれば優秀な生物兵器となる……そう言った期待から、『東京』からの支援を受けていました」

 

「なるほど……確かに、雛見沢症候群のメカニズムを応用すれば、敵側の内部分裂を引き起こせるだろう。これほど兵器として優秀な材料はない。恐ろしい事考えるもんだ……」

 

「…………」

 

 

 すると富竹は弱々しく首を振る。

 

 

「ここまで説明したのは、あくまで『東京』がどんな思想の下で立ち上げられたのかの話です。今は少し……いえ、かなり違います」

 

「と、言いますと?」

 

 

 山田に促されるまま、「今の東京」についての説明を進めた。

 

 

「元々こそ極右的思想の組織だった東京ですが、時代と共に初期のメンバーは高齢となって、政界を去られました。それに伴う世代交代によって組織の方針が変わり、今では外交や経済を中心とした、より保守的な方針となりつつあります」

 

 

 眉を潜め、少し言い辛そうな表情になりながら続ける。

 

 

「……去年の秋の始めに東京の指導者だった『小泉会長』が亡くなられてから、一気に新体制派が力を持ち始めました。彼らはそう言った兵器開発の事実が世界に発覚する事を恐れ、雛見沢症候群の研究の打ち止めを決定しました」

 

「え?」

 

「僕の役目も連絡役から、入江先生や鷹野さんたちの監査役に変わりました。研究は向こう、三年後を目処に完全凍結の予定です」

 

 

 時代と共に変遷した「東京」の内部事情と、巻き込まれる形で研究を終わらされる事となった入江や鷹野。そう言った複雑な政変劇を聞いた上で、上田は一つ仮説を話し始めた。

 

 

「もしかして、鷹野さんが殺されたのは……新体制派による口封じだったのでは?」

 

 

 驚いて目を開く富竹と山田の前で、彼は真剣な口調で続ける。

 

 

「鷹野さんは研究を続ける為に、雛見沢症候群の暴露をチラつかせて、新体制派を脅していたとかは? それを受けた新体制派はとうとう、それまであった鬼隠しを装って、鷹野さんを殺害した……」

 

「……確かに、鷹野さんは少し強引な面もありました」

 

「祭具殿に忍び込んだりしましたもんね」

 

「なので、上田先生の仮説は……あり得るかもしれません……クソッ……なんで気付けなかったんだ……!」

 

 

 項垂れ、帽子を深く被り、肩を震わせる。そんな富竹の痛々しい姿を見て、上田はやるせなくなり彼を慰めようとした。

 

 

 

 

「……マイ・ブラ」

 

「ミヨぉぉぉぉぉぉーーーーッッ!!!!」

 

 

 突然叫び出し、おいおいと泣き始めたので、上田は驚いてひっくり返った。見張りの構成員らも何事かと、牢屋の方に目を向けている。

 すぐに山田は上田に近付くよう呼び寄せ、他の誰にも聞こえないように話し出す。

 

 

「でも……じゃあなんで、富竹さんまで殺されなきゃ駄目なんですか?」

 

 

 未来で聞いた出来事ならば、鷹野と富竹が今年の綿流しで殺されるハズだ。それについて、上田はまた仮説を話す。

 

 

「富竹さんの死因は、雛見沢症候群だ。鷹野さんの死を受けて発症した、と言うのが自然な流れじゃないのか?」

 

「……今それと同じ状況ですけど、富竹さん発症するように見えないんですが……」

 

 

 富竹は牢屋の隅で、また胎児姿勢のまま泣いている。

 凄まじい哀哭っぷりではあるものの、劇症化の気配は全く感じられない。

 

 

「……確かにそうだが……」

 

「仮に発症じゃなくて、人の手によるものだとすれば……鷹野さんと入江さんなら分かりますが、さっき言った新体制派側の富竹さんが殺される意味が分かりませんよ」

 

「彼は鷹野さんと…………こ……恋び……コイビト……!」

 

「認めろ!」

 

「……親しい仲だったから、大事を取って殺されたとかは?」

 

「言い方で逃げ道探すな」

 

 

 彼の言う通り、富竹が恋人に絆されていると見做された可能性もある。となれば鷹野の死を受けて、復讐として研究の暴露に動き出す可能性も多分にある。

 しかし山田は首を捻るばかりだ。

 

 

「だとしても、殺すにしては気が早過ぎませんか? 今の話聞いてても富竹さん、仕事は真っ当にやってるって印象でしたし……」

 

「かもしれないが……だが、これだと尚更、その後の事も合点が行く」

 

「その後の事……」

 

 

 梨花が殺された事で発生し得る、村民の集団発症を防ぐ為に行われる大量殺戮だ。

 

 

「東京とやらの新体制派は、兵器開発の事実を丸っと消したいようだぞ。梨花を殺し、決められた通りに村を滅ぼしてしまえば……その事実は雛見沢症候群の名前と一緒に、消えてなくなる!」

 

「…………」

 

「恐らく、祭具殿から出た君たちの写真を撮ったのも、その手の人間だ。鬼隠しを暴こうとしたばかりに……間違いなく、俺たちも狙われている……!」

 

 

 ふと彼の方に目を向けた時、首筋に針を刺したような傷が出来ている事に気付く。傷自体は浅そうだが、血が丸く滲んでいた。

 

 

「上田さん、それどうしたんですか?」

 

「……あぁ、これはだな……」

 

 

 上田は鷹野を追ってから、何がどうなって牢屋に入れられたのかを語ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──上田の背後に、こっそりと黒い影が近付く。

 抜き足差し足で忍び寄り、ほぼ真後ろの位置まで到達した。

 

 

 そこでガサリと音が鳴り、上田は身体をびくつかせながら首を回す。

 

 

「うひよぉうッ!? た、鷹野さん!? それとも矢部さ──」

 

 

 

 

 

 黒い影は、上田を羽交締めにする。

 

 

「ッ!?」

 

 

 

 

 そしてそのまま首筋に、注射針を刺した。

 

 

「ぐああッ!?!?」

 

 

 

 

 しかし上田は、注射内の液体が注入されるより前に、背後の何者かの手を取り、強靭な力で引き抜いた。

 相手も抵抗された事に動揺しているのか、今度は上田を押さえ付けようとし始める。

 

 

「な、なにをするだぁーーッ!?」

 

「……ッ!!……っ!」

 

「やめてーーっ!! やめてーーっ!!」

 

 

 二人揉みくちゃになっている内に、上田は崖から足を踏み外す。

 

 

「うわぁあぁあーーっっ!?!?」

 

 

 情けない悲鳴と共に川へと落ちて行くので、襲撃者は巻き込まれぬように彼を手放す他なかった。

 

 

「サヨナラーーッ!!!!」

 

 

 そのまま上田一人だけが、悲鳴と共にばしゃんと着水。

 後は川を流れていたところを、上田を捜索しに来ていた園崎家の人間に発見され、牢屋まで連行されたと言う訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

──山田は呆れ顔のまま言う。

 

 

「……上田さん、前も崖から落ちて生還してましたよね」

 

「水落ちは生存フラグだ」

 

「と言う事は上田さんも何者かに……もしかしたらその、東京って組織に命を狙われていたって事ですよね?」

 

「あぁ、そうだな……しかし俺は毅然とした態度で、果敢に犯人へと挑んだ! 地の利さえ得ていれば、俺が犯人を川に落としてやれたのになぁ! 惜しかったぜ全く!」

 

 

 虚勢を張る上田は無視し、山田は警察署であった事をふと思い出す。

 

 

「……捜査権が突然県警に移ったのも、やはり東京の力によるもの……なんでしょうか……」

 

「それほどの権力があるとはな……警察庁が俺たちの敵なら、もうどうにもならんぞ……」

 

「……雛見沢大災害のデータが残ってなかったのも、国絡みで隠蔽したからだったんですね……」

 

「……国家相手に、どう戦えってんだ!」

 

 

 ここで現れた東京と言う、あまりにも巨大な組織。

 二人が今まで相手取った連中とは、とても格が違う。今回の敵は人数も首謀者も推し量れない、雲を掴むような存在だ。上田が絶望するのも理解出来るだろう。

 

 

 

 この国の何もかもが、言うなれば敵だ。山田たちが束になったところで、およそ勝てる確率など見込みすらない。

 状況を把握すればするほど、「詰み」にいる事を実感させられる。

 

 

 

 

 それでも山田の顰めた顔と、厳しい目付きからは、諦念が伺えなかった。

 しかしもう一度上田に話しかけようとしたタイミングで、この場に動きが起きた。

 

 

 

 

 

 長老らの送迎と釈明に行っていたお魎と魅音が戻って来た。

 構成員らはすぐに姿勢を整え、中指と薬指のみを折った形にしてから手を突き出し、頭首に忠誠心を示す。

 

 

「ズヴィズダーッ!!」

 

「ず、ズバズバ?」

 

 

 困惑する山田をよそに、構成員らの前を通り越してから、お魎は魅音を控えさせる形で牢屋前に着く。

 まずは隣にいる山田をぎろりと睨んでから、上田と、まだ牢屋の隅で泣いている富竹に目を向けた。

 

 

「……爪剥ぎにあんだけ喚いとった連中が、人殺しなんぞ出来んやろ。おんしらは鬼隠しに関係ねぇと、一旦決めた」

 

「ご、ごめんねぇ、山田さんに上田先生! 婆っちゃ、みんなを試したかったみたいで……」

 

「じゃかーしぃ、魅音。一旦や一旦。全部信じた訳やない」

 

 

 爪剥ぎ装置にロックがかかっていたのは、初めからさせない為だったのだろう。

 長老らや構成員らに睨みを利かせさせたり、高圧的な態度で迫ったのも、果たして山田らが人を殺せるような胆力を持つ人間なのかと試すべく、プレッシャーを与える効果の為だったようだ。

 

 結果、三者ともロックかけられた爪剥ぎ装置の前で無様を晒した。

 

 

「おんしらにゃあ先の件の借りがあるんも事実。手荒な事ぁもうせん……」

 

 

 その決定に至るまで一悶着でもあったのか、後ろに控える孫娘をちらりと一瞥する。どうにも彼女は少し怒っているようで、ずっと眉を寄せていた。

 

 

「……じゃが、祭具殿に勝手に入った事をどうにかせんと、村のモンにも示しが付かんじゃろ。当分、牢屋の二人はここに閉じ込めておく」

 

「いやもう、今となっては願ったり叶ったりです」

 

「……殺されたくないから警察に捕まる鉄砲玉かっ!」

 

 

 さっきとはまるで反対の態度を取る上田に、山田は呆れながらツッコむ。殺されかけた立場なので仕方ないとは思うが。

 次にお魎は、唯一牢屋に入れられていない山田へ処遇を言い渡す。

 

 

「おんしは出てえぇ」

 

「え? い、いいんですか?」

 

「飯代は節約してぇん」

 

「間引きかよっ!」

 

「おんしが仲間売った事にすりゃあ、おんしだけ出とっても村のモンは納得するじゃろて」

 

「そんなの風評被害ですよ!? 私がそんな事する人間に見えますか!?」

 

「お前さっきやってただろ」

 

 

 牢屋の中から上田がそう苦言を溢した。

 とは言え山田だけ、園崎屋敷を出てまた村を回れる。突然消えて不安に思っているであろう梨花たちにも説明する必要もあるし、鷹野が殺された事に関して入江とも話さなければならない。やる事はたくさんある。

 

 

「…………」

 

「……? どうしたの、山田さん?」

 

 

 魅音が心配した通り、山田の表情は浮かない。脳裏には先ほどの話が延々反芻されている。

 

 

 この事件はもしかすれば、国絡みの巨大な陰謀ではないかと言う可能性が浮上した。それは梨花の死と村の崩壊を止めたい山田らにとっては、考え得る中で最悪の状況だ。

 

 

「……い、いえ……えと、いま何時ですか?」

 

「今は九時三十三分と、俺の三万円もするクォーツの時計が示してる!」

 

 

 腕時計を見せ付けて自信満々に時間を告げる上田だが、魅音は「ん?」と顔を顰めた。

 

 

「今は深夜一時過ぎぐらいだけど?」

 

「なに?」

 

「上田先生、それ壊れてるんじゃない?」

 

「バッカな! これは三万円もするクォーツの時計で──」」

 

 

 高級腕時計を見て固まる上田。

 改めて腕時計を見れば、秒針も分針も時針も全てかっちり停止していた。どうやら崖から落ちた折に壊れたようだ。

 

 

「今日は遅いし、山田さんはウチで泊まって行ったら良いよ」

 

「タワケ。この女はとっとと屋敷から出せ」

 

「ちょ、ちょっと婆っちゃ!? 上田先生も襲われてすぐなのに、追い出すのは酷いよ!?」

 

「離れ使わしとるんじゃ。ウチに泊まらせる義理はない」

 

 

 お魎はあくまで余所者には冷たいようだ。深夜、何が飛び出すか分からない夜道に山田一人を情け容赦なく放り出すつもりだ。

 そんな事はさせまいと食い下がる魅音だが、山田がその彼女を制した。

 

 

「だ、大丈夫ですから! 離れまでそんな、遠くないですし……」

 

「う……じゃあせめて、私が途中まで……」

 

「ならん。祭具殿入った奴を私らが送迎なんざ、村のモンに見られりゃ面子丸潰れじゃろが」

 

「婆っちゃっ!!」

 

 

 耐え切れずに怒鳴った魅音の声が、洞窟中に響き渡る。それほどの怒気を前にしたところで、お魎はこれ以上彼女の話を聞き入れる気はないようだ。

 今にも殴りかからんとする彼女の気迫を感じたのか、山田は大急ぎで窘める。

 

 

「出来るだけ! 出来るだけ、あの、明るいとこ通りますんで!? そんな心配しなくても……」

 

「心配するよぉ……」

 

「何だったら私が牢屋入りますから、代わりに上田さんを出してやってください」

 

「山田?」

 

 

 驚く上田。

 しかし山田の言葉は聞き入れられず、煮え切らない様子の魅音をそのままに、彼女は屋敷から早々に出される事になった。

 

 

 

 

 重厚な鉄の扉に遮られた蔵を出ると、見覚えのある庭に着く。

 そこから道なりに進み、屋敷の門の前に立った。外は一寸先も見えないほどの暗闇が広がり、ただ門前を照らす蛍光灯の青白い光だけが辺りの闇をぼんやり晴らしていた。

 

 

 門を出る前に、せめて屋敷を出るまではと付いて来た魅音に話しかけた。

 

 

「その……色々と庇ってくださって、ありがとうございます……」

 

「……ううん。私は何も……寧ろ謝っても謝りたりないよ、あの婆っちゃの態度に関しては」

 

「それにしても……まさか地下にあんな洞窟があるなんて……」

 

 

 魅音は足で地面を叩いた。

 

 

「元々は戦時中に掘られた、大きな防空壕でね。それを戦後に園崎が再利用したみたいだよ」

 

「防空壕だったんですか」

 

「これが滅法広くてね……まだどれだけ道があるのか把握し切れていないところもあったり……って、今はそんな話はいらないよね」

 

 

 そう言って苦笑いする魅音の表情には、明確な自責の念が感じ取れた。

 

 

「……気を付けてね、山田さん。何かあったらすぐ大声で叫んで。園崎総出で、めちゃ超特急で駆け付けるから……ですよね皆さん!?」

 

 

 後ろに控えていた構成員に檄を飛ばすと、すぐさま彼らは中指と小指を器用に折り曲げた状態で手を山田に突き付けた。

 

 

「ズヴィズダーッ!」

 

「グワシじゃん」

 

「そう言う事で……じゃあ、山田さん。おやすみ」

 

 

 魅音との別れの挨拶を最後に山田は門を出た。

 すぐに閉まる戸を見届け、少し怯えた顔で宵闇の中を一歩踏み出し始めた。

 

 

 

 

 

 あちこちからカエルの鳴き声が響き渡る、田んぼの畦道。耳元を藪蚊が掠め、その度に首を振る。ふわり匂い立つ泥と湿った草の香りが、絶妙に不快だ。

 

 

「くっそぉ……園崎ババァめ……! これで私が襲われたら化けて出てやる……絶対に化けて出てやる! バケバケバーだコンニャロー! バケバケバーでスリラーだコンニャロー! アァーーオゥッ!!」

 

 

 悪態吐いて虚勢を張り、何とか恐怖を押し殺そうと努める。

 出来るだけ暗い場所は避け、道に点在する街灯を辿るように進んだ。

 

 

 

 

 

 そんな彼女の背後に迫る、何者かの影。怪しいその人影はどんどんと彼女に近付いて行く。

 前ばかり見ている山田は一切気配を悟る事なく、人影の接近を許してしまった。気付けばそれは、もう山田の真後ろに立っていた。

 

 

 明るい街灯の下に辿り着き、少しホッとした山田──その彼女の肩を、何者かはガシッと掴んだ。

 

 

「ッ!?!?」

 

 

 叫ぼうとするその口は、振り返った拍子に塞がれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むぐーーっ!?」

 

「落ち着け山田! わ、ワシや!?」

 

「れろれろれろっ!?!?」

 

「なんで舐めんねんお前ぇ!?!?」

 

 

 真後ろに立っていた人物は、矢部だった。口を塞ぐ彼の手を舐めてしまい、あえなく頭を叩かれてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し歩いた先の街灯下に古いベンチがあったので、二人はそこに腰を落ち着けた。

 山田の迫った怪しい影こと矢部は、すっかりモジャモジャになった髪を撫で付けながら、忙しなく辺りを警戒している。

 

 

「警察はおらんよな……!?」

 

「お前も警察だろ。警察が警察に怯えてどうする……」

 

「アホぬかせ! 今のワシらは一般ピーポーも同然や! これもアレも、全部タイムスリット──」

 

「スキャット!」

 

「スキャットしたせいや!」

 

 

 今の矢部はいつも着ていたジャケットを脱ぎ、派手なペイズリー柄のワイシャツ姿となっている。袖を目一杯捲って腕を晒している事もあり、一見すればアロハシャツのようにも見えた。

 モジャモジャになっている髪の毛も含めて、山田にとっては何だか懐かしさを感じる見て呉れとなっている。

 

 

「……それより矢部。お前ぇ……さっきは良くも私ら置いて逃げやがったな」

 

「お互い逃げ切れたんやからえーやろがぁ! ワシらかて必死やったんじゃい!?」

 

「大きな声出さないでくださいよ、夜中で響くんですから……てか、他の刑事さんたちは?」

 

「おぅ。三人とも今は山ン中隠れとるわ」

 

「意外と逞しいな」

 

「そんでお前こそ、何でこんな真夜中にこんなトコ歩いとんねん?」

 

 

 矢部に尋ねられ、山田は興宮署からここまでの出来事を全て話した。

 

 同じ未来人である彼に隠し立てはしない。上田が殺されかけたが生きていた事、そして富竹の事や「東京」と言う組織の事を全て共有する。勿論その上で、雛見沢症候群やそれを取り巻く政府側の動きなども全部話す。

 

 

「いや長いわッ!」

 

「あまり長くないじゃないですか! 小説にしたら三行ぐらいの地の文で済みますよ!」

 

「つーか情報量多いな!? どーなっとんねんこの村ぁ!?」

 

 

 いきなりバッと話されたので、矢部もまだ理解し切れていない様子。しかしそれでも上田が生きていた件を聞いては安堵していた。

 

 

「まぁ、でも先生ぇが生きとったんなら良かったわ。ほんならもう、安心して出られるなぁ!」

 

「え? 出るって、どこに?」

 

「どこって何言うとんねんお前! この時代からに来まっとるやろぉ!」

 

 

 それを聞いた山田は驚きから彼を二度見した。

 

 

「ちょ、ちょっと矢部さん!? さっきの私の話聞きましたよね!?」

 

「なんか聞いた気にならんかったわ」

 

「このままだと、明後日には梨花さんが殺されて……雛見沢が滅ぼされてしまうんですよ!?」

 

「せやからそーなる前に逃げるんやがな! ワシはこれから、あの古手神社行って帰れる方法探すトコやったんや!」

 

「じゃあ矢部さん、なんの為に警察使って色々動いてたんですか!?」

 

 

 少し顔を顰めると、矢部は自身の膝を摩りながら訳を話す。

 

 

「あんなぁ……今の今までは、ワシらが警察関係者やったからこそ色々出来たんや。今見てみぃ? ワシら完全に指名手配犯扱いやで!? これ以上無理やて!」

 

「無理って、そんな……」

 

「それにお前の言うところ、東京ってごっつデッカい組織が相手なんやろ? 勝てる訳あらへんがな! ほんなら村ごと消される前に逃げなアカンやろぉ?」

 

 

 矢部の主張を聞き、思わず押し黙ってしまった。それは残念ながら、彼の言い分の方が正論であり、説得力があるからだ。

 東京の介入により警察はもう動いてくれないどころか、山田らを捕まえようとしている。祭具殿への侵入がバレてしまった事もあり、村の多くの人間からも心底恨まれているだろう。

 

 

 山田は今自分が置かれている状況が「詰み」だと理解していた。だからこそ、矢部の主張を前に黙るしかなかった。

 そんな彼女の沈黙を納得と受け取った矢部は、「どっこいしょーん・こねりー」と言ってベンチから立ち上がる。

 

 

「まぁそんな訳や。ほれ、お前も来るんや。あの神社詳しいんやろ?」

 

「…………」

 

「……なんやねんなぁ! お前かて元の時代に帰りたいんやろぉ!?」

 

 

 それでもまだ何か考え込みながら座り続ける山田。焦ったくなった矢部は彼女の前でしゃがみ込み、目を合わせて説得する。

 

 

「このままやと、ワシら殺されんでぇ? そら、村の人間が死ぬんは後味悪い思うけどな? 物事には引き時ってもんが……」

 

「……まだ明後日までありますよ」

 

「なんやぁ?」

 

 

 やっと山田も、ベンチから立ち上がる。

 

 

「なら、ギリギリまでやってみましょうよ! 国が相手でも、やり方はありますとも!」

 

 

 無鉄砲にそう決意を口にする彼女を、矢部はしゃがんだまま呆れ顔で見上げた。

 

 

「だから山田、お前なぁ……」

 

「矢部さんだって、このまま負けて帰るのは嫌なんじゃないんですか?」

 

「は? ワシがか?」

 

「ひとでなしの矢部さんにも、人情はあるハズです」

 

「誰がひとでなしやッ!?!?」

 

 

 怒って立ち上がる矢部だが、その顔にはやはり迷いがある。

 

 

 確かに彼は自分の事を優先し、それ故のポンコツっぷりを何度も発揮して来た男だ。はっきり言ってゲスの部類に入る。

 だが刑事を志しただけあり、正義の心と人の情は確かにある。老若男女が身勝手に殺戮されると言う雛見沢大災害の真相を前に、やはり彼にも「許せない」と言った思いがあったようだ。

 

 

 今度は山田の熱意を前に、矢部がたじろいで押し黙る番だ。

 口を尖らせ、顔を目一杯顰めて、くしゃくしゃと頭を掻く。少しズレてしまう。

 

 

「……あー、ホンマなぁ……しゃーないなぁホンマ……」

 

 

 ズレた頭を急いで直しながら、折れてやる事に決めた。

 

 

「石原らにも言うとくわ……帰るんは、明後日まで延期やってなぁ。それまではワシも動いたる」

 

「矢部さん……」

 

「せやけど負ける思うたらソッコー帰るからなぁ!? もうソッコーやで!? バファリンよりもソッコーや!!」

 

「なんで薬と比較する」

 

 

 そう言うと矢部は踵を返し、神社の方へ歩き始めた。

 

 

「ほんならとりあえず神社行くでぇ。今の話はその、梨花っちゅー娘に言っといた方がええやろ?」

 

「そうですね。いやぁ、矢部さんアザマス! 日本一! ソフトウェア! プリニー!」

 

「最後の二つなんやねん」

 

 

 彼に感謝しながら後に続こうと、山田も歩き始める。

 

 

 

 

 街灯の光から出て、一瞬闇の中に入り込む。

 

 

 

 

 

 

 

『……ありがとうなのです』

 

「……え?」

 

 

 その時誰かの声が聞こえた気がして、足を止めて振り返った。

 

 

 

 

 

 

 街灯の下、小さな人影が立っている。

 煌々とした白い光が、真下にいるその人影を照らした。

 

 

 はっきりと輪郭と姿が見て取れた。

 

 

 少しおっとりした優しい顔立ちの、紅白が鮮明に分かれた巫女装束の女の子。長い藤色の髪が夜風に靡き、側頭から下向きに生えている二本のツノを覗かせた。

 

 安心したような、そして慈愛に滲んだ瞳と表情で、山田と向き合っている。

 瞬きをすれば泡のように消えてしまいそうな儚さを纏い、されどこの世の摂理を凌ぐような存在感が、彼女からは放たれていた。

 

 

 暫し山田は、この神秘性な少女に目を離せなかった。

 どこか梨花と似たその少女は、今にも泣き出してしまいそうな微笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

 

 

 街灯が明滅し、一瞬だけ辺りが暗闇に落ちる。

 ハッと山田が我にかえったと同時にまた街灯は点いたものの、もうその光の中に少女はいなかった。

 

 

「…………今の、女の子……」

 

 

 幻覚ではない、確かにそこにいた。そして何度も見覚えがある。拝殿の前で、山の中で、梨花の寝室で。

 

 

 

 

「…………」

 

「おーい! なにやっとんねん!?」

 

 

 一向にこない山田を、先導する矢部が急かす。それに返事をしてから、一度また街灯の方を向く。

 

 

 

「……どういたしまして……?」

 

 

 困惑しながらも一言そう残してから、やっと矢部の方へと駆け始めた。

 夜は深いが、まだ光はある。今はそれを何とか見つけ出すまでだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こちら、『鳳1』」

 

「『奇術師』が園崎邸から出立。男と共に、『R』宅方面へ移動中」

 

「警察を向かわせましょうか?」

 

「………………」

 

「構わないのですか?」

 

 

 

 

 

「あぁ。警察どもに深入りはさせたくねぇってよ」

 

 

 無線を口に近付け、男が気怠げに命令する。

 

 

「それに今更、奴らだけじゃあどーにもなりゃしねぇ。『終末作戦』はもう佳境だ」

 

 

 椅子に踏ん反り返り、頭上にある白熱灯を眺めながら続ける。

 

 

「R宅の監視は続けろ。それと、奇術師が園崎邸から出て来たンなら……行方不明の『富竹二尉』はそこにいる可能性があるな。そっちの監視も続けて、姿が見え次第確保だ。オーバー」

 

 

 そう言って無線を一度切ると、周波数を変えてからまた別の者との通話を開始した。

 

 

 

 

「……あぁ、『三佐』。えぇ俺です、『小此木』です。富竹二尉の件はしくじっちまいましたが、居場所は予想出来ました。三佐の方で掛け合って、『番犬』の元に来る電話に注意するよう言っといてください」

 

 

 突然、「小此木」と名乗った男はニヒルに笑い始める。

 

 

「いやぁ、しかしまさか警察庁まで動かせるとは……警察内部は新体制派の巣窟だってのに、良く通せやしたね。誰か良い助っ人でも手に入ったんですかね?」

 

 

 彼の無駄話を咎めるような声が無線から飛び出し、小此木はつまらなそうに首を振る。

 

 

「……えぇ、分かりました。こちらでも引き続き……仕留め損なった『学者』の捜索を続けます。勿論、『二佐』の監視も……えぇ。任せてくださいよぉ」

 

 

 無線は向こう側から切られた。同時に小此木はそれを目の前の机の上に放り投げ、疲れたように溜め息を吐く。

 

 

「やーれやれだ……お上は好き勝手物言えて気楽なもんだ。こっちは神経擦り減らして作戦を実行してるってのによぉ……」

 

 

 一人ぼやいた後、机の引き出しを開ける。そこには一挺の、「S&W M39」が置かれていた。

 それを手に取り、ブラインドのかかった窓に向かって構える。

 

 

「……最後にコレ使ったんはいつだったかな……四年……五年も前か?」

 

 

 引き金に触れながら、悪魔じみた笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「…………あぁ。どうせなら面白くなってくれ……この終末作戦はよぉ……!」

 

 

 構えを解き、愛おしそうに銃身を撫でる。本当に撃てるその日を、心待ちにしながら。




・上田はTRICK本編で、劇場版含めて三回ほど崖から落ちて生還している。特に新作スペシャル一作目での生還劇はもはや人間じゃない。

・山田と矢部がペアを組んで行動するエピソードは、「まるごと消えた村」「100%当たる占い師」の二度ほど存在する。

・サイレントヒルの新作のシナリオを、ひぐらしの作者である竜騎士07さんが担当されるようです。竜騎士さんは以前にも和風ホラーアドベンチャーゲーム「祝姫」でもシナリオを担当されていたり。

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