TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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黒探し

 神社まで辿り着いた山田と矢部は、境内への階段を上っていた。途中、山田が段から足を滑らせかける。

 

 

「うわっ! ここなんかツルツルしてる!」

 

「ツルツル言うなやッ!?!?」

 

「あ! なんかここに生えてた苔、ハゲてますよ!」

 

「ハゲてる言うなやッ!?!?」

 

「おいヅラ!」

 

「直接言うたなお前ッ!?!?」

 

 

 騒動が起きてそれどころではなかったのか、境内はまだ屋台や舞台などが片付けられていない。誰もおらず、光もない無人の祭り会場はひっそりとしていて不気味に思えた。

 祭具殿の方へ行こうとする矢部を引っ張って阻止し、二人揃って梨花と沙都子のいる家に着く。

 

 

 さすがに寝ているだろうかと思っていた二人だったが、山田らが玄関先に立った途端に居間の電気が付き、寝間着姿の梨花が戸を開けた。

 

 

「待ってたのですよ」

 

「起きてたんですか……」

 

「あんな事あったのに眠れないのですよ……沙都子はぐっすりなのですけど」

 

 

 不安で泣いていて、そのまま泣き疲れて寝てしまった事は黙っておく。

 ふと目を向けた折に、山田の後ろに立つ矢部に気付いた。

 

 

「あ。例の不審者なのです」

 

「誰が不審者やっちゅうねんなぁ? 失礼な娘っ子やのぉ〜……前に竜宮レナ迎えに行った時会うたやろ? おぅ、覚えてるかぁ?」

 

「被り物変えたのですか?」

 

「被り物ちゃうわボケェッ!?!? ガキやからて容赦せんぞゴラァッ!?!?」

 

 

 ひとまず立ち話は何だからと、キレる矢部を押し留めながら居間へと通される。

 修理中だった大きなテレビと次郎人形が存在感を放つ中、山田は祭りの裏で起きていた事を全て伝えた。

 

 ずっと厳しい顔付きをしていた梨花だったが、上田と富竹が無事だと知るや否や、驚きと喜びを折半させたような様子で声を上げた。

 

 

「ホントなのですか!? 上田と……と、富竹も生きているのですか!?」

 

 

 予想以上の食い付き具合だったので山田は少し驚き、前のめりに迫る彼女をまずは宥めた。

 

 

「え、えぇ……園崎さんもとりあえず無事は約束してくれました」

 

「……魅ぃの所なら安心なのです……良かったのです……ホントに……」

 

「でも……残念ながら鷹野さんは助けられませんでした。すいません……」

 

 

 途端に梨花は心苦しそうに目を伏せ、唇を噛んだ。助けられなかった事を、彼女もまた残念に思っているようだ。

 

 

「……でも死ぬ運命にあった一人をまず救えた……間違いなく、大きな一歩。未来は変えられるのです」

 

「バック・トゥ・ザ・フューチャーか?」

 

 

 余計な茶々入れをする矢部を無視し、山田は本題とも言える「東京」の件について話し始めた。

 

 

「それと、富竹さんから聞きました……雛見沢症候群の研究には、『東京』って組織が関わっているとか何とか……」

 

「……そこまでもう……」

 

「えぇ。病気の研究も向こう三年に停止するとか、それで東京内でも派閥争いが起きているとか……」

 

「……それは初耳なのです……そんな事が起きていたのですか……」

 

 

 どうやら梨花は雛見沢症候群を取り巻く「東京」の内情の事は知らされていなかったようだ。思えば組織の内輪揉めの件を、入江らがわざわざ梨花に言う必要もなかったのだろう。余計な心配を与えてしまう可能性もあった。

 

 また雛見沢症候群が兵器利用としての研究が進められていた件も知らされておらず、協力者であった梨花にとっても衝撃的だったようだ。少し悲しそうな目になってしまった。

 

 

 梨花にその諸々の実情などを話した上で、山田は上田と出した一つの仮説を話してやる。

 

 

「となると、全て分かったかもしれません……東京の新体制派は、兵器開発として研究が進められていた雛見沢症候群の存在を消したい……だから梨花さんを殺害し、取り決められた通りに村を滅ぼす。そうすれば兵器開発の事実は、雛見沢症候群の存在と一緒に消える……」

 

「……ヘーキ開発なんて……」

 

「鷹野さんはそれを実行する上で障害となったので、殺された……」

 

「……筋は通っているのです」

 

 

「でも」と、梨花はその仮説に反論する。

 

 

「……みぃ……そこまでやるものなのですか?」

 

「はぁ? なに言うとるんや? 現にその通りに、未来じゃ事件起こっとるやないかい!」

 

「そうなのです……けど、引っかかるのです」

 

「引っかかるって何がやねんな! お前コナン君か?」

 

「その……どこが引っかかりますか?」

 

 

 山田が尋ねると、彼女は親指を唇に押し付けながら話し始める。

 

 

「雛見沢症候群の研究は、三年後に止められるのですよね?」

 

「は、はい。そう聞きました」

 

「なら、別に村を消す必要はないと思うのです」

 

「え?」

 

 

 梨花は神妙な顔付きで続けた。

 

 

「逆に村を消しちゃえば、誰かがその陰謀に勘付く可能性もありますし、何よりそんな大きな事件にしなきゃ隠せないほどの話でもないのですよ。今だって世間の人たちどころか、ボク以外の村人はシラナイシラナイなのです」

 

「確かにシラナイシラナイやな」

 

「ヘーキの事はボクだって知らなかったのですから、そのままのやり方でやればラクチンラクチンなのです」

 

「ラクラクチンチンやな」

 

「矢部っ!!」

 

 

 矢部が納得するほど、梨花の反論は説得力があった。

 また山田もそれ聞いてハッとさせられる。

 

 

「……言われてみれば……村を消してしまえば、その偽造工作やら人員やらでお金も手間もかかるし……現に私たちのような、未来で探ろうとする人間も出て来る……たかだか兵器開発の事実を隠すのに、今も昔もフットワークの重さは世界一な日本の政治家にそこまで決断出来るかぁ……?」

 

「急に辛辣やないかお前。新聞のコラムニストか?」

 

 

 更に梨花は続ける。

 

 

「鷹野が暴露しようとして殺されただけなら分かりますなのですが……ボクにはどうにも、村を丸ごと消しちゃう動機が『東京』にはないように思えるのです」

 

「ほんなら『東京』ちゅーんは結局関係あらへんのかいなぁ〜?」

 

 

 それは無いと山田は首を振る。不自然な警察の介入や、鷹野や富竹が狙われた件も含めて、明らかに組織的な思惑がある。薄らとしているが、それだけは確信があった。

 しかしまだ判断材料が足りない。二十二日の火曜日に梨花を殺す「黒幕」は、まだ別にいるのだろうか。

 

 

 

 

「……となるとやっぱり手掛かりは…………」

 

 

 まだ完全に解明し切れていない、雛見沢連続怪死事件──「鬼隠し」。もはやこれしか黒幕に迫るものはないと、山田は思った。

 となるともう四の五も言ってはいられない。

 

 

「……梨花さん」

 

「はいなのです?」

 

「……決めました」

 

 

 キッと梨花を見据えて、山田は言い切る。

 

 

 

「私、今日中に鬼隠しの『犯人』を暴いてやります」

 

 

 

 驚き、目を丸くする梨花の前で、更に彼女は自信に満ちた口調で続けた。

 

 

「元々、綿流し後に本腰入れて捜査するって話でしたし」

 

「……今までケーサツも誰も解決出来なかった事件を……今日中に、なのです?」

 

「それしかもう手はありませんから」

 

 

 山田の言う通りだ。後はなりふり構わず、やるだけをやるしか道はないだろう。

 

 

「どうしても私、鬼隠しには梨花さん殺害の動機に繋がるものがあるように思えるんです」

 

「それって一体なんやねん? 事故やったり病死やったり殺しやったり、全部バラバラやんけ?」

 

「確かにバラバラです……でも一つ、共通点があるじゃないですか」

 

「……一人死んで、一人消えるっちゅーアレか?」

 

 

 大きく山田は頷いた。

 

 

「えぇ。一人消えているのは絶対に原因があるハズです……でもまずは梨花さん。まず、私たちがやる事は……」

 

「……やる事は?」

 

「……東京の事や兵器利用の話を踏まえ、入江さんから聞き出す事です。彼らがシロなのか、クロなのか」

 

 

 まだ時間は二時を過ぎた頃合い。日の出はまだだが、今から既に待ち遠しい。

 絶対に今日で全て暴き、明日はその事実を元に備える。だから今日しかない。崖っぷちの中に、梨花は山田の覚悟を前に、少し微笑んで頷いた。

 

 

 

 

 あらかた話が終わったところで、難しい顔をした矢部が質問する。

 

 

「あんな? 聞きたいんやけど」

 

「なんですか矢部さん?」

 

「むっちゃスルーしてたけど、なんでこいつワシらが未来人っての知っとんねん?」

 

 

 その問いに対し、梨花は「にぱー☆」と笑ってはぐらかした。

 

 

 

 

 直後、階段を降りる誰かの足音が鳴り、暫くして寝ぼけ眼の沙都子が襖を開けて現れた。眠りが浅かったようだ。

 

 

「あ。沙都子……」

 

「うぅん……梨花、まだ起きていらっしゃったの──」

 

 

 

 

 まだぼんやりしていた彼女の頭は山田の姿を捉えた途端に一気に醒め、驚きから彼女の名前を叫ぶ。

 

 

「山田さんっ!?!?」

 

「は、はい!? 本人です!!」

 

「電話の受け答えかい」

 

「山田さぁぁーーんっ!!」

 

 

 次に飛び込むように居間へ入り、飛び込むように山田へ抱き付いた。

 

 

「うおっ!?」

 

「うわあぁぁーーん! 無事で良かったですわーーっ!!」

 

 

 殺されたかもしれないと不安に思っていただけに、山田が無事と分かった際の反応も大きい。強く彼女を抱きしめながら、沙都子は泣きじゃくる。

 あまりにも激しい感情をぶつけられ、山田は「どうしたら良い?」と困り果て、矢部と梨花へ視線を送る。矢部は「知らんがな」と口パクで伝えた。

 

 

「てっきり殺されたかもしれないって、私……私……!」

 

「えーと……ま、まぁ、色々ありましたんで、はい……」

 

「とっても心配したんですからぁ!! もうっ! どこ行ってましたのっ!?」

 

「あのぉ……ええと、ど、どこまで言えば……」

 

 

 しどろもどろな山田に呆れ果て、仕方なく梨花が助け舟を出してやった。

 

 

「勝手に祭具殿に入ったからケーサツに怒られてただけなのです! ほら。そこのおじさん見覚えありませんか?」

 

「え?…………あ。頭のおかしい方……」

 

「どんな印象持たれとんねんワシ!?…………頭おかしいてどっちの意味で言うとる?」

 

 

 そう言って髪を押さえる矢部。

 とりあえず山田は祭具殿の件で警察に連行された後、刑事である矢部がここへ帰しに来た、と言う事で辻褄を合わせた。

 

 

「上田さんと富竹さんはその、園崎さんの所でお説教受けてますけど……明日には戻ると思いますよ。多分」

 

「あぁ、良かったですわ……! 皆さま無事で……!」

 

「でも……あの、鷹野さんは……残念ですけど……」

 

「…………そうでしたわね……」

 

 

 安堵に満ちていた沙都子の表情に影が出来る。何度も診療所で世話になった鷹野も、沙都子にとっては大事な人であった。山田らの無事が喜ばしいと共に、喪失感も辛いほどに湧く。

 

 抱きしめていた山田から腕を離すと、泣き腫れた目を拭う。

 

 

「朝になったら監督にもお会いしないといけませんわ。一番辛いのは多分、監督でしょうし……」

 

「それはボクたちがやるのです。多分、今日は学校がお休みになると思いますから、沙都子はゆっくりすると良いのですよ〜」

 

「…………うん」

 

 

 気持ちの整理が付いていない彼女を、梨花は宥めてやる。

 差し出されたティッシュで涙を拭っている時に、ふと山田はおずおずと尋ねる、

 

 

「あ、あのぉ……祭具殿に勝手に入ったのはマズかったですよね? やっぱり……」

 

「駄目なのです! 訴えたら間違いなくボクが勝つのです!」

 

「いやでも鍵開けて勝手に入ったのは上田とかで、私は勝手に開いていた扉を見て『もしや空き巣か!?』と思って、祭具殿を守る為に見に入っただけですから寧ろ褒められた事やったと思うんですよ」

 

「喋り方ひろゆきなってもうとるやんけ」

 

 

 彼女が何と言おうと祭具殿に不法侵入した事は紛れもない事実で、鬼隠しと共に村中へ既に知れ渡った大事件だ。

 だが現在の管理者である梨花は存外に、入った事に関して寛大でいてくれた。

 

 

「反省したなら許してあげるのですよ。ごめんなさいするのです」

 

「ごめんなさい」

 

「オーケーなのです!」

 

 

 横から矢部が口を出す。

 

 

「それでええんかいなぁ? オヤシロ様は怒っとるんちゃうんか?」

 

「あの……オヤシロ様は怒ってない、みたいですわ」

 

 

 そう答えたのは沙都子だったので、意外そうな表情となった山田と矢部。

 沙都子は「ですわよね?」と梨花に確認を取ると、彼女はこくりと首肯する。

 

 

「勝手に入った事は駄目なのですが、山田も上田も、富竹も……鷹野は分からなくなっちゃったのですけど、みんな反省していると思うますのです。ならもう良いのですよ」

 

「ホントに良いんですか?」

 

「盗みをした訳じゃないのですし……そもそも祭具殿の鍵を簡単な物に変えたのはボクなのです。前の鍵は大きくて重かったのですから……だから落ち度はボクにもあるのです」

 

「そ、そうだったんですか」

 

 

 梨花はそのまま、「なので」と続けた。

 

 

 

 

「もう勝手に入った事、オヤシロ様は許してくれますのです。にぱーっ☆」

 

 

 いつも見せる屈託のない笑顔で以て、話を締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜明けを迎えて朝となり、野宿している部下を放ったままこの家で一泊した矢部が、大あくびをしながら居間に入る。

 山田は修理中のテレビの前で、髪を乱してうつ伏せになって眠っていた。

 

 

「貞子かこいつ」

 

 

 矢部の後ろからひょっこりと、同じく起床した梨花が顔を出す。

 

 

「そのテレビもちょっと邪魔なのです……上田に悪いけど、しゅーり屋さんに頼むのですよ」

 

「デカいテレビやなぁ〜。子ども一人入るんちゃう?」

 

 

 そう言いながら矢部はまだ眠っている山田の頭をベシッと叩いて起こす。瞬時に彼女はガバッと顔を上げた。

 

 

「ふぉっ!? わ、私は伽倻子じゃなくて貞子ですっ!!」

 

「どんな夢見とってん」

 

「僕のジュース半分あげるっ!!」

 

「そりゃサダヲや」

 

 

 

 

 

 

 朝食を終えるとすぐに神社を出て、入江診療所へ向かう。先ほど先生からの連絡網で、鬼隠しの犯人が潜んでいる事を考慮して明日明後日まで休校する旨が伝えられた。なので休日となった梨花も、山田と矢部に同行する。

 

 山田はふとそんな彼女に、昨夜した祭具殿辺りの話の事を尋ねる。

 

 

「……なんだか、アレなんですね。村の人と梨花さんとじゃ、オヤシロ様への考え方に差があるんですね……?」

 

「祭具殿にある物は怖い物ばかりなのです。怪我しちゃうかもですから入っちゃ駄目なのです。それだけの話なのです」

 

「昨日なんか私、殺されるんじゃないかってぐらい村の人に詰め寄られましたけど……」

 

 

 今だって通りがかりの村人にギロリと睨まれ、小声でぶつぶつと呪詛を呟かれた。

 

 

「貧乳めが……」

 

「ナイチチめ……」

 

「!?」

 

 

 それを隣にいた矢部が面白がる。

 

 

「だははは! 言われとんな山田ぁ?」

 

「偽物め……」

 

「!?」

 

 

 次に小言を言った村人に、矢部は頭を押さえながら反応する。

 そんな彼らを悲しい目で見送った後に、梨花は話を続ける。

 

 

「オヤシロ様は……怖い神様じゃないのです。祭具殿の道具が使われていたのも、昔の村人が勝手にやっちゃった事なのです」

 

「えぇメーワクやなぁホンマ。信者が過激っちゅーんはどの世界でも同じなんかぁ?」

 

「…………」

 

 

 梨花と矢部の言葉を聞いて、ただ山田の脳裏に流れるは数々の霊能力者たちの所業と、何も知らず慕う者たちの痛ましい姿。何度も霊能力者と対決を繰り広げて来た山田だが、真に大変で恐ろしかったのは、信者をけしかけられた時だった。ジオ・ウエキの一件もそうだった。

 

 

 そして何より、「とある村」での出来事がどうも雛見沢村の様子と被って見えた。

 あの時は霊能力者が、と言うよりも村のしきたりと神への信仰に狂った村人たちがとても恐ろしかった。

 

 

「……何だか……『糸節村(イトフシムラ)』を思い出しますね、矢部さん」

 

「トイレツマルか?」

 

「あの時も……神の為なら人殺しも厭わない、そんな村の人たちとの戦いでした」

 

「お前があの村の奴ら騙しとったんが悪いんやろ」

 

「矢部! 偽物っ!」

 

 

 矢部は真顔で髪を押さえて沈黙した。

 ずっと隣で静聴していた梨花だが、山田のその話に関しては首を振る。

 

 

「……確かに行き過ぎなところはあるのです。でも……確実に村には『新しい風』が吹き始めているのです」

 

「……新しい風?」

 

「村の因習に抗おうとする、変えようとする……次の世代が、この村にもいるのです」

 

 

 広大な自然に囲まれて、合掌造りの古めかしい家々が残っている。朝風に吹かれて切れた青草が、オニヤンマと共に青空へ舞った。雛見沢村のそんな原風景は、昨夜の騒動などなかったかのように、とても長閑で素朴で、綺麗だ。

 

 電信柱が連なる道の真ん中、アメンボが波紋を作る田んぼに挟まれた道で、梨花は訴える。

 

 

 

 

「まだ時間が足りないだけ……だからこそボクは……みんなと一緒に、『新しい雛見沢』を迎えたいのです」

 

 

 それだけ言うと梨花はくるっと背を向け、走り出した。

 山田と矢部は困惑気味に目を合わせた後、その背を追いかけるように駆けた。

 

 

 

 

 

 

 診療所はまだ開いてはいなかったが、先に着いた梨花が必死に呼びかけた事で、入江が中からふらりと現れた。

 鷹野が死亡した件がかなり堪えたようで、たった一晩で見るからに窶れている。

 

 

「あ、あぁ……梨花さん、丁度良かった……私も是非、あなたとお話ししなければと思っていたところで…………」

 

 

 目を擦って頭を上げた際に、山田の姿を見て「あっ!?」と驚き声をあげた。

 

 

「や、山田さん!? 良かった……あなたは生きていらしたのですね……!」

 

「お、おはようございます……あの、鷹野さんの事……守れずに、何て言うべきか……」

 

「……いえ。山田さんは良くやってくださりました……警察に便宜をはかって貰えましたし、こちらも山狗に要請もしましたし……これだけやって無理だったのならもう、仕方ないですよ……」

 

 

 疲れ切ったようにそう呟くと、彼は診療所の中に入るよう促す。

 山田と梨花が先に入り、最後に矢部が続こうとする際に入江へ耳打ちした。

 

 

「あのぉ……」

 

「はい?」

 

「ここって……その。いや、ワシの事やないですけどねぇ? その、知り合いに〜、困っっ、とる奴がいましてぇ」

 

「は、はい……」

 

「ワシの事やないんですけどね? ここって……薄毛治療ぉ〜……とか、やってはるんですかねぇ?」

 

「薄毛治療?………………あぁ、なるほど」

 

「どこ見てそんな納得したような事言いはりました? ワシの事やないって言いましたよねぇ?」

 

 

 ともあれ四人は診療所の中の、誰にも聞かれないよう入江の執務室で話し合う事になった。

 山田は包み隠さず、昨夜の出来事を全て話す。次いで東京の事、雛見沢症候群の兵器化の事も。

 

 

「……何回この話する必要あるんだ。矢部さんと梨花さんにそれぞれ二回はやったぞこの流れ」

 

「つべこべ言わんと全部もっかい話さんかい!」

 

「まぁ、その……そう言う事です。兵器の事とか、梨花さんも知らない事情もあるみたいですけど……?」

 

 

 途端に入江の顔から色がなくなり、頻りに梨花の顔色を伺うようになる。それから観念したように肩を落とすと、まずは頭を下げて謝罪する。

 

 

「……申し訳ありません。物騒な話ですし、軍事運用の件は極秘だと言う前提で研究が認められていましたので……」

 

「……そのヘーキは、もう出来ちゃったのですか?」

 

「……残念ながら。出資者の要望には逆らえませんので……」

 

「それはここにあるんですか?」

 

 

 山田の問いに、入江は首を振る。

 

 

「いえ。研究の凍結が言い渡された際に、軍事研究に纏わる資料や試薬の破棄も命じられましたので……今はどこにもないハズです。一度当局の監査も入りましたから、見落としはないかと……」

 

「じゃあ……今は何の研究をしていますです?」

 

「治療法の確立に重点を置いてます。これで雛見沢症候群を撲滅し、病気自体を無かった事にしろとお達しを受けていましたので」

 

 

 それを聞いた矢部は安堵したように息を吐く。

 

 

「それやったらええやんけ? 兵器開発してないっちゅーならもう、健全な研究やんなぁ山田ぁ?」

 

「……じゃあ尚更、なんでこの村消されるのか分からなくなったじゃないですか」

 

「え? け、消される?」

 

 

 思わずポロッと未来の出来事を言ってしまい、咄嗟に矢部が山田の口を塞ぐ。

 真っ青な顔になる未来人二人に飽き飽きしながらも、梨花が話題を変えて有耶無耶にしてやる。

 

 

「ボクを護衛している、『山狗』たちはどうなっていますか? 鷹野の護衛にも当たっていたハズなのです」

 

「確か、梨花さん親衛隊でしたっけ」

 

「アイドルの追っかけか?」

 

 

 初めて聞いた矢部だけ困惑している。

 そもそも梨花には山狗と言う部隊が護衛に付いており、彼女が殺されて集団発症が起こると言う事態を防いでくれているハズだ。

 

 しかし当日はその目を掻い潜って殺害され、それ以前に鷹野の死もみすみす引き起こしている。梨花が彼らの仕事ぶりに不信感を持つのも無理はないだろう。

 山狗について、入江は困ったような顔で話した。

 

 

「あちらも、鷹野さんの死を受けて大変混乱しておりまして……当局から責任問題を糾弾されている最中です。もしかすれば、研究凍結に先立って任務終了となる可能性もあるかと……」

 

 

 それを聞いて梨花は顔を顰めるだけに留める。

 

 

 

 

 あらかた入江らの立場について聞き終えた。山田は「本題だ」と言わんばかり、彼へ鬼隠しの件を切り出す。

 

 

「入江さん……もしかしたら今後、梨花さんが殺されるかもしれない……って、話だったじゃないですか」

 

「え? え、えぇ……していましたね。まだ半信半疑ですが……」

 

「私、梨花さんを狙っている人間がいるとすれば……鬼隠しに糸口があるように思えるんです」

 

 

 途端に入江は苦しそうな顔となる。

 彼のその気持ちは重々承知だ。そもそも彼が山田らに鬼隠しの再調査をしないよう言ったのは、一年目の事件の犯人は沙都子かもしれない可能性を隠す為だ。

 

 

「……一年目の事件、犯人は沙都子さんじゃないかもしれませんよ」

 

「……えっ!?!?」

 

 

 故に山田のその言葉は、入江の意表を突いた。

 山田は続けて、北条家で見つかったガリウムやボロボロの柵と言った調査結果を伝え、唖然としている入江に対し一つの推理を提示する。

 

 

「そのガリウムは、沙都子さんのお母さんしか開けられない絡繰箪笥の中にありました。しかも彼女は現在、行方不明……もしかすれば、犯行は彼女の手によるものだったかもしれません」

 

「そんな……!」

 

「……やはりあなた、沙都子さんの犯行だと思って……捜査の停止を私たちに……」

 

 

 ちらりと彼は梨花に目配せする。そして真剣な表情の彼女を見て、決心したように口を開いた。

 

 

「事件後、沙都子ちゃんは……雛見沢症候群の末期症状を、発症しておりました」

 

「ボクが入江たちに協力して、何とか治療薬を作れたのです」

 

「そして大石刑事から、沙都子さんの供述についての話を聞かされ……間違いなく彼女は雛見沢症候群の症状で以てご両親を突き落としてしまったかと……」

 

「やっとんなぁ目暮警部」

 

 

 同業者である矢部は感心しているものの、調書の話を彼にもしたのかと山田は忌々しげに顔を歪めていた。入江が再調査を止めたがった原因がまさか大石だとはと、ただただ気分としては悪い。

 

 

「……事件後、警察には圧力がかかっていたそうですけど……それは、あなたたち『東京』としての力、だったんですね」

 

「……はい。それしか方法が思い付かなかったんです……」

 

 

 謝罪するように入江は深く深く、また頭を下げた。傷んだ髪がパランと弱々しく垂れる様はどこか哀愁があった。

 

 

「……沙都子ちゃんのお母さんは、村八分の事を受けて大変気を病んでおられました。自分もそうですが、やはり二人の子どもが冷たい扱いを受けている事を、大変憂慮されておりまして……カウンセラーの心得のある鷹野さんに、何度か心理カウンセリングを……」

 

「ほんならソレで発症してもうたんやろか?」

 

「……鬱病は、治りかけの時期が一番危ういと言います。なまじ活力を取り戻したばかりに、自殺をはかってしまうとか……もう少し根気強く寄り添っていれば……」

 

 

 後悔と嘆きを滲ませて声を震わせる入江を前に、もはや山田はこれ以上問い詰める気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 診療所の開業時間となり、山田らは暑くなり出した外を歩いていた。

 こっそり髪を持ち上げて、その下を手で扇ぐ矢部の前で、山田は梨花に聞く。

 

 

「……どう思われましたか、梨花さん? 入江さんは……私たちの味方でしょうか?」

 

「……ボクは……入江は全面的に信用しても良いと思うますのです」

 

「ですよね……あれが全部演技だったらもう役者やれってレベルですもんねー……」

 

 

 それほどまでに入江の挙動一つ一つに、真摯さがあった。沙都子を守ろうとした姿も、山田たちが無事で安堵した姿も、嘘臭さが全くなかった。

 

 

「と言うか沙都子さん、末期症状まで行ってたんですね……あ。もしかして、アルバイトって言って打ってた注射……」

 

「その通りなのです。アレは、雛見沢症候群の症状を抑える薬なのです。沙都子に気付かれずに病気を治療して、かつお金の支援も出来る……とっても賢いやり方なのです」

 

「はぁ〜……何だか色々、分かって来ましたね」

 

「いや分からん事の方が増えてもうたやんけ!」

 

 

 矢部がツッコむ。

 

 

「結局、コレ殺すんは東京なんか東京やないんか分からんくなってもうたわぁ!」

 

「コレって言うんじゃないのです」

 

「東京の方から、三年で治療法見つけて治せ言うてたんやろ? ほんなら、村消す必要あらへんやんか!」

 

 

 色々と知れたと同時に、梨花殺害の黒幕について一層分からなくなった。治療法の確立を命じた東京に、梨花を殺して村を消すような動機はない。

 推理はまた振り出しに戻ってしまい、釈然としない様子で悔しそうに山田は口を曲げる。

 

 

「……一体誰が、梨花さんを……」

 

「案外こいつ、誰かの個人的な恨み買っとっただけちゃうか?」

 

「そんな事ないのですっ! もうカツラは黙るのです!」

 

「誰がカツラやぁッ!?!? いらっしゃぁぁあーーーーいッ!!!!」

 

 

 まだ情報が足りないのかと項垂れる山田。

 だが入江から聞いた話を何度も頭の中で反芻する内に、妙な事に気が付いた。

 

 

 

 

「…………アレ? ん?『軍事研究の資料と試薬は全部破棄した』……?」

 

 

 確か入江はそう言っていた。試薬と言う事は、兵器は何か液体の薬剤型なのだろうか。

 ふと山田が想起したのは、上田が首から注入されかけたと言う注射の話。そして本来ならば、雛見沢症候群の末期症状を引き起こし、首を掻きむしって死んでいた富竹の運命。

 

 

「…………もしかして……」

 

「山田? どうしたのですか?」

 

 

 雰囲気の変わった彼女が気になり、梨花が尋ねる。

 顔を向けた山田の表情は、緊迫感に満ちていた。

 

 

「……入江さんが破棄したって言っていた、雛見沢症候群を使った『兵器』……それが誰かの手に渡っているかもしれません」

 

「……え?」

 

「どう言う事や山田?」

 

 

 焦った様子で彼女は来た道を戻ろうと、振り返る。

 

 

「す、すぐに入江さんに言わないと──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「入江先生の所に何か、あるんですかぁ?」

 

 

 突然現れたもう一人の声を聞き、山田は足を止めた。

 心底嫌そうな顔で天を仰いだ後、恐る恐るまた振り返る。

 

 

 

 

「おやおやぁ。何だか、面白い組み合わせですねぇ?」

 

 

 恰幅の良い風貌と、人を馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いを浮かべた老刑事。一番会いたくない人物が今、すぐそこに立っていた。

 彼を見て、矢部は驚きと一緒にその名を叫ぶ。

 

 

 

 

「バスタードソードマンやんけ!?」

 

蔵人(クラウド)ですって!!」

 

 

 遠く入道雲が立つ青空の下、黒いシャツの大石が立ちはだかる。

 彼と最初に会った時もこんな空だったなと、不意に山田は思い出していた。


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