微妙に重い
横薙ぎに振るった一撃がオークの腕を切り飛ばし、シルバーバックの目を抉る。
なけなしの魔力で放った斧は、リリの元へ向かおうと崖を登るハードアーマードの固い鱗を突き破りそのモンスターを灰に変える。
返り血を吸った服が鉛のように重い。
骨が折れて呼吸しにくい。
魔力が、体力が底を付き、槍を振るい続けた腕が悲鳴を上げる。
既に辺りには僕の血とモンスターの血とが咲き乱れ、白い階層で異彩を放っている。
しかし、周囲には依然として大量のモンスターの姿が僕を殺そうと殺到していた。
後何体いるのだろうか。後何体、倒せるのだろうか。
朦朧とする意識の中。僕の脳裏には絶望に染まったリリの顔だけが浮かぶのだった。
「ベル様、どうしてっ!? 何で逃げないんですか?!」
崖の下。そこで既に1時間以上戦闘を続ける少年に、リリはフードを握りしめながら叫ぶ。
止むことなく集まり続けるモンスター。その際限のなさはまるでダンジョンが少年を殺さんと牙を剥いているようで……。
歯を食いしばり、力一杯握りしめたフードがびりびりと音を立てて破れる。
双眸に溜まった大粒の雫は乾いた地面へと吸い込まれていく。
頭ではわかっていた。彼があそこから逃げないのは、背後にいる私を守るためだと。
心ではわかっていた。彼を殺すのは
血だらけで戦う彼は、死に体で戦う彼は、愚かにも私のために戦っている。
冒険者の言いなりとなって彼を陥れたのは他ならぬ私だと言うのに。
彼女は知っている。彼がお人好しだという事を。
彼女は知っている。あの撒き餌はあと1時間は持つ事を。
彼女は知っている。彼の戦闘スタイルが魔力に依存しているという事を。
故に……
彼女は知らない。彼が
彼女は知らない。少年の覚悟を
彼女は知らない。彼が何のために戦っているのかを…
「流石ロキファミリアってか? バケモンかよ」
突然背後から聞えた声に、リリの内に憎悪の炎が煮えたぎる。
鋭い目で背後を睨めば、そこにはなんの悪びれもなくへらへらと笑う冒険者二人がボウガンを肩で遊ばせながらこちらへ近づいてきていた。
「何の用ですか」
憎悪を隠しきれないリリはつっけんどんな口調でそう尋ねる。
彼女の態度が気に入らなかったのか、冒険者は一瞬無表情になると苛立ちげに顔を歪めてリリに詰め寄る。
「なんだおめぇ? 何様のつもりだぁ?」
「……」
「ッこのクソガキが!!」
冒険者はそう叫びながらリリを蹴飛ばす。
その蹴りはリリの横腹を捉え、鈍い音と共に彼女を1メートルほど吹き飛ばした。
「あぐぅっっ……ぅぅ」
お腹を押さえて蹲るリリ。そんなリリに冒険者は尚も鬱憤を晴らすため彼女をサンドバックのように蹴る。
ドスドスと蹴られるリリは、しかし悲鳴を堪え呻きを噛み殺す。
これ以上少年に心配をかけてはならない。
これ以上自分が苦しむことは許されない。
彼は自分の事をより一層気に掛けるだろうから。
自分は彼を死地に追いやったのだから。
「っ…ぐ…ぁぅっ」
「チッ。生意気なクソガキが! お前のせいであの小僧は死ぬんだぜ! お前が殺したんだ! ほら! 何とか言えよ!!」
頭を踏み躙り、腹を蹴り上げ、髪の毛を引っ張ってリリを無理矢理起こす。
ボロボロで、すり傷だらけの少女は————
初めはただお金が目当てだった。
あの日、大通りを歩く白髪の少年を見つけたのは偶然で、数日前に助けられのもあって、彼の腕を――何より気弱そうな彼を見込んで声をかけた。
彼は思った以上にバカだったが、「千の妖精」とパーティを組んでいたのは嬉しい誤算だった。
そんな彼らは、私の予想を裏切って破格の報酬をくれた。
何かの罠か、あとで請求されるのではと暫く手を付けずにいたが、数日でそんな勘繰りも杞憂だったと理解した。
彼等はお人好しだ。それも反吐が出るほど。
人の気も知らず、人の真意も知らず。ただ己が良心を信じて屈託のない笑みを浮かべている。
彼が笑いかけるたびに頬が引きつった。彼女が優しいまなざしを向けるたびに虫唾が走った…。
彼等は馬鹿だ。私が呆れるくらい。
ソーマファミリアに良い噂がないことぐらい知っているだろうに。かのファミリアの主神なら噂の真相ぐらい知っていそうなものだが、彼らの態度が変わることはなかった。
ある時、何処かの冒険者が言った。
『冒険者は自らの願いを叶える職業だ』と。
それを聞いたとき、私は願った。
金が欲しい。と
食べ物が欲しい。と
強くなりたい。と…
そして冒険者になった時、私は呪った。
なぜ、この身では強くなれないのか。
なぜ、今日食べる物さえ買う金がないのか。
何故、何故、何故。
世界は平等じゃない。才の有無が人生を決定づける。
神は平等じゃない。こんな役に立たない身体を授けたから。
だから私は――――
自らの頭を掴むその手を、リリは掴む。
「く……え、です」
「あん?」
擦れた声。彼女の呟きに冒険者は苛立ちげに反応する。
そんな冒険者を前に、リリは――――――――口を歪めた。
「くそくらえ、です」
へらり、と薄嗤うリリ。
「ッこんの!!!」
そんな彼女に激怒した冒険者は彼女を地面へ投げ捨て、彼女の両腕を踏み躙る。
少女は必死に腕を動かそうとするが、すでに遅かった。
冒険者は自身の力の限り足を踏み込み……ゴギリ…と鈍い音が響いた。
「いぎっぃいぃぃっっ!!!」
両腕に走る激痛に遂に悲鳴を上げるリリ。
しかしそこで冒険者は更に足を踏み込み、捻る。
ゴギゴギィ、と生々しい音がして彼女の腕が明後日の方向へ捩れた。
「ぐぅぅっ……はっはっはっっ」
「けッ。生意気な餓鬼が。此処で殺してやっても良かったんだ。精々長生きしてあの餓鬼と一緒に死ぬんだな。はははははは!!!」
足元へ蹲る少女へ唾を吐きかけ、そう言って冒険者は去っていく。
耳で遠ざかっていく足音を聞きながら、リリは嗤う。
ざまあみろ。神の思い通りなんてならないですから!!
ガンガンと頭を殴る激痛を紛らわそうとリリは悲痛に歪んだ顔で嗤う。
「ざ、まあ、みろです。り、りは…りり、は………」
嗤う。哂う。わらう……
「りり、は嗤って、やった。ぼうけん、しゃなん、かになった…やつらを」
これまでの憂さを晴らすように、これまでの恨みを晴らすように………
あぁ、なのになぜ
「わらう、わらいたい、はずなのにっ」
どうして
「どうしてっ」
「べるさまは、たたかうんですか」
痛みを我慢して首を捻れば、眼下には未だ戦い続ける少年の姿がある。
「なんで、べるさまがっ、しにかけてるんですかっ」
なんで、頭に浮かぶのは私を馬鹿にしてきた連中じゃなくて、私に笑いかけてくれた彼等なんですか。
彼の笑顔が脳裏をよぎるたび、腕の痛みなんかどうでもいいぐらい、心臓が引き裂かれるような激痛に目頭が熱くなる。
どうか、どうか神様――――どうか
冒険者が下卑た笑い声が耳に張り付き、少年の叫び声が心臓を穿つ。
「べるさま、にげて………いきて、くださいよぉっ」
血だらけの少年にかすれた声は届かない。この想いは届かない
這ってでも彼の元に行きたいのに、折れた両腕がそれを赦さない。
どうか神様。虫のいい話なのは分かってます。散々恨んできた私だけど、最後に一つだけ……一つだけ
「べるさま、べるさまぁ」
どうか、私の命で足りるのなら、
冒険者なんか死ねばいいのに。
ミンチに成っちゃえよ