クロウ先輩の口にした”妥協に使える要素”は結局のところ、”成績”であった。
士官学院の一年生の中で、座学では上から数えて片手の指に入るエマ、マキアス、ユーシスだが、Ⅶ組の生徒である以上総合成績ではこの特別実習の評価のウェイトも大きい。
一か月に一回、学院祭のある10月と学年末の3月は特別実習の予定は無いので一年生の間では十回。
先月の特別実習をE評定で事実上の落第判定を受けている先月のB班メンバーは、今回において挽回せずに前回の二の舞となると十回中の二回を完全に落とすこととなり、この時点で特別実習というカリキュラムの年間での最高評定の可能性が消滅する。
そして今回のA班がわざわざ人数比を整えずに6人となった為、評価において人数の多さを考慮され必然的に高評価へのハードルが厳しくなる可能性もある。
これが、クロウ先輩の曰く『そういう状況に追い込まれつつある』ということだった。
そして、更に単純なものとなるが――勝ち負けとプライドだ。
先月は成績という面で最高評定を得たA班に対して最低の評定、この間の実技テストでは戦術殻相手にもサラ教官相手にも散々な目に遭ったマキアスとユーシスへ当人も分かっているであろう事の再確認だった。
今回のB班は前回最高評定のA班の4人+ガイウスであり、前回成功したノウハウをもって今月も最高評点を目指すだろう。
この状況を再確認させる事が、主席卒業を狙うマキアスには効果覿面であったのは言うまでも無い。
リィンが彼にあまり似合わない露骨さを見せて『”友人”ではなくB班に負けない為の”仲間”だ。』と言い切った事が切り札となり、遂にマキアスの口から発せられた事実上の妥協宣言となる『一時休戦』なる言葉を引き出すことに成功した。
今回は少なくとも班としての行動をとる事が可能という安堵の空気の中、私達はバリアハートの地を踏み、バリアハート駅で出迎えられたユーシスのお兄さんのルーファスさんによって、今晩の寝床となる市内のホテルまでリムジンで送って頂いて今に至る。
私はこの目で見た事も無い程の高級ホテルのエントランスで、気づけば目の前の金髪碧眼の貴族の男性に目を注いでいた。
ルーファス・アルバレア――帝国の大貴族の中の大貴族であり、その権力は皇帝の次ぐとも謂われる東の公爵、アルバレア公爵家の跡継ぎ。
新聞や雑誌などでは貴族派きっての貴公子とされており、現に駅で出迎えられた時から今まで彼と皆の会話から私の感じた印象はとても好意的なものだった。
「帝都へ……飛行船で行かれるのですか?」
意外そうな表情でルーファスさんに尋ねたのは彼の弟のユーシス。
バリアハートに着いてからというものの、兄ルーファスのお陰で今までのユーシスが学院での日常では見せなかった顔を色々と私達に晒していた。
「父上の名代でね」
ルーファス・アルバレアはクロイツェン州を治める公爵家の跡継ぎとして、父親であるアルバレア公に代わって多くの政務をこなしている事は、帝国時報を読んでいない私でも知っている事柄だ。
複雑な表情を浮かべる目の前の弟にルーファスさんは冗談を飛ばした。
「フフ、この兄がいないのがそれほどまでに寂しいのかな?」
「ふう……ご冗談を」
まるで強がりの様に、ぶっきらぼうに否定するユーシス。
傍から見たらそれはバレバレであり、その姿がまるでフレールお兄ちゃんに対する自分に被ったことで私はユーシスに親近感を覚えた。
彼の場合は寂しいとは違うだろうが、何かしら兄に期待していたことがあるのかも知れない。
「ハハ、無愛想な弟だがよろしくやって欲しい」
そんな言葉を爽やかな笑顔と共に残したルーファスさんがリムジンに乗り込み、目の前から走り去ってゆくのを見送る私達。
皆がルーファス・アルバレアという人物に対する感想を各々口にする中、フィーがユーシスについて触れる。
「ユーシス、なんだか弟っぽかった」
フィーの意見にはユーシス以外の全員が同意だろう。
人間そう簡単に自分の育った環境から形成される性格や気質を隠す事は難しく、それを知る近しい人の前では隠すことは出来ない。
私も血こそ繋がっていないが物心付いた頃からフレールお兄ちゃんの妹分扱いされていた内に、そういった気質になっている様に。
ちなみに私の予想では、Ⅶ組ではリィンとガイウス、ラウラは兄姉系でユーシスをはじめとしてアリサ、エリオット君は弟妹系だと思う。
マキアスとエマ、フィーはよく分からないが……なんとなくマキアスは弟妹系な気もしなくは無い。
「……フン。妙なところを見られたな」
そんなユーシスは何やら想定外であったような言葉を続けて漏らすが、その意味までは明かさなかった。
そして私達は七耀石の一、翠耀石の名を冠した高級ホテル《ホテル・エスメラルダ》へと足を踏み入れる。
・・・
《ホテル・エスメラルダ》は当初全員に個室が用意する過度な待遇を用意しており、それはあまりにも実習にそぐわないものだった。
この待遇にユーシスがリシュリュー支配人に食ってかかる程の強い要望でホテルの部屋の問題は解決され、最低ランクの部屋を二つ用意する運びとなる。
もっとも最低ランクの部屋といっても《ホテル・エスメラルダ》は貴族階級御用達の帝国最高峰の高級ホテルであり、平民が宿泊する為には前もって予約が必要という敷居の高い場所である。実際の部屋は常日頃から放漫な生活をおくっている大貴族の客も満足して利用出来る配慮なのか、私の想像上の貴族のお屋敷より遥かに贅を凝らしたものとなっていた。
もっともそんな部屋を堪能することはなく、特別実習の課題内容の確認が終わり部屋に荷物を置くとすぐさま街へと繰り出し、まずは一日目の必須課題の一つを依頼してきた、職人通りにある宝飾店を目指して歩いている最中だ。
「うわぁ……!」
先程はルーファスさんも乗るリムジンで移動していたということもあり、あまり街の風景を見ていなかったが、こうしていざバリアハート市内中心部を見渡すとその光景に圧倒されてしまっていた。
《翡翠の公都》の別名に相応しく、この場から見える建物はその全てが白い壁面と深緑色の屋根であり、中世時代の古風な建築様式で統一されている。
上を見れば数多くの尖った深緑色の屋根の尖塔が優雅に空に聳えており、足元に目を落とせば美しく磨かれた石で舗装された路面。
長い歴史を持つ古い城砦都市でもある為に堀として水路が整備されており、同時に街区を区切る様に築かれた高い城壁には、バリアハートを統治するアルバレア公爵家の紋章の旗が至るところに掲げられている。
「まるでおとぎ話に出てくる国の街みたいだね!」
昔、絵本にでてきた建物や街のイメージとバリアハートはそれこそ瓜二つだった。きっとこの美しい街をモデルに描かれた絵であったのだろう。
「ふふ……本当に綺麗な街並みですね」
「ふんっ……規模は帝都の方が遥かに上だがな……」
水を挿すように白ける事を口にするマキアスだが、この《翡翠の公都》の街並みに夢中になっていた私は特に気にはならなかった。
そんな彼へツッコミを入れたのは、苦笑いするリィンの横にいたフィーである。
「マキアス、張り合ってるの?」
「は……張り合って等……コホン……事実を言ったまでだ」
フィーの言葉にバツの悪そうに咳払いするマキアス。
確かに都市の規模としては帝都ヘイムダルは人口80万人を超える大陸最大の大都市であり、人口30万人のバリアハート市を大きく上回っている。
しかし、人口という観点では私の故郷のリフージョの村は人口300人足らずの小村であり、近隣で最も栄えているパルム市も数万人の地方都市――それと比べてしまえば、バリアハートや帝都はもはや別格すぎる。
「帝都には帝都のいい所があるのにー」
そう、バリアハートにはバリアハートの、帝都には帝都の。
帝国広しといっても皇宮である《バルフレイム宮》は帝都にしかなく、あの赤煉瓦で統一された背の高いビルの立ち並ぶヴァンクール大通りは世界中探しても帝都にしか無い。
「ああ、そうだな。帝都の重厚な街並みも威厳があって凄いと思うな」
帝都は乗換えでしか立ち寄った事が無いから写真で見る限りだが、と一言付け加えるがリィンも私の言葉に同意してくれた。
「そ、そうか? うん、そうだな」
「フン……」
私とリィンにフォローを入れられて機嫌を戻したマキアスへ、ユーシスは勝ち誇ったような視線を投げつける。
(また気付かれたら面倒な事を……)
「あの像、ナニ?」
そんなユーシスにフィーがあるものを指差して訊ねた。
その指の先には、市内の広場の中央、バリアハート大聖堂の正面に位置する噴水に設置された石像がある。
「聖女ヴェロニカの像、みたいですね」
「ほう……詳しいな」
しかし、その質問にユーシスが答えるより早くにエマの口が開き、ユーシスは感心したような素振りを見せた。
「ふーん」
「聖女ってことは……教会の聖人なの?」
帝国人ならば”聖女”と聞けば真っ先に《槍の聖女》リアンヌ・サンドロットが思い浮かぶ。私もその例に漏れず、この噴水の聖女も《槍の聖女》と同じく七耀教会の聖人なのかが気になった。
「ええ、そんなところです。大いなる昔に天変地異が起きた時に祈りでバリアハートの街を守ったという言い伝えで……確か――聖遺物として大聖堂の聖櫃に収められていると聞きます」
聖遺物とは信仰の対象となる聖人の遺骸や遺品。聖櫃とは棺、つまり聖女ヴェロニカの遺体は目の前の大聖堂の地下に安置されているということだろう。
しかし、私には”天変地異”という言葉が不思議と耳についた。
昨年、身をもって経験したある出来事に重なるのだ。
「天変地異……かぁ……」
「どうしたの? エレナ」
「あ、そのちょっと前の事を――」
「ふふ、エレナさん。聖女が救ったのは《大災厄》や暗黒時代の時のお話ですよ」
エマは勘違いしたのか少し困ったように笑うので、私は誤解を解くために説明する。
「そ、それは知ってるんだけどね……去年、私の村の導力器が全部使えなくなって、大変な事になったのを思い出して」
「「《リベールの異変》か」」
ユーシスとフィーの声が重なり、お互いに顔を向ける。
普通の人ならここで双方苦笑いなのだろうが、ユーシスがバツが悪そうに少し目を細めるだけで、フィーに至っては無表情だ。そんな二人の様子に私とエマから笑いが零れ、リィンも頬を緩ませている。マキアスだけは仏頂面だが。
「……そういえば、サザーラントの国境沿いの出身だったか」
ユーシスの言葉に、生まれは違うんだけどね、と一言置いてから肯定して私は話を続けた。
「数日でまた使えるようになったんだけど……あれが世界中一斉に起きたらそれこそ天変地異だったんだろうなぁ、って思ったの」
「あの時、リベールは大混乱だった様ですしね……」
現にリフージョの村も漁船や導力車といった移動手段を失い、昔使用していた馬車を使わざるを得なくなる等、事実上孤立した三日間であった。
特に導力灯の無い夜は非常に暗く、恐怖を刺激するには十分過ぎた事を今でも鮮明に覚えている。
導力器が少ないリフージョでさえこの有様なのだ、世界中で導力停止現象が発生すればどの様な事態になるのかは想像するのは容易い
「そういえばあの時、帝都ではもっぱら異変はリベール軍の新兵器で《百日戦役》の復讐をリベールが企んでいる――といった品の無い噂が流れていたそうだな」
棘のある言葉と共に、マキアスへ含みのある視線を向けるユーシス。
「確かにそういった噂話はあったが……何も支援の動きを起こさない《貴族派》と違って帝国政府は共に不戦条約を結んだ同盟国として事態解決の為に協力すべく、正規軍から支援部隊をリベールへ派遣しようとしていたぞ」
結局、異変の解決の方が早く南部国境方面に集まった師団規模の救援部隊は撤退したみたいだが、貴族の動きは全く覚えていないな――と言葉を続けたマキアスの顔をフィーがジッと見つめていた。
「……何か変な事を言ったか?」
「ふーん。……ま、そゆことになってるのか」
まるで独り言のように静かに呟くフィー。
「そんな事になってたのかぁ。私の村はただ大慌てするだったからなぁ。それにしてもアレが新兵器って噂になるのも凄いね」
「まあ大方、新兵器云々は帝都の下劣なタブロイド紙の流した虚報だろう。リベールへ視察に出向かれていたオリヴァルト殿下の凱旋以来、そういう類の噂は聞かなくなったからな」
ユーシスが先程の報復か、わざとマキアスに目線を走らせる。
しかし、帝都ではそんな騒ぎになっていたとは驚きだ。
そして、そんな噂が流れていたのにも拘らず『同盟国として救援部隊を派遣しようとしていた』事に自らの母国である帝国が少し誇らしかった。
『不幸な誤解から生じた過ち』によって両国の間で戦端が開かれてしまった《百日戦役》。その終戦から十二年の時が流れ、帝国とリベールの間柄は不戦条約という絆に結ばれた同盟国となっている。
それは私にとっては特別な意味を持っていた。何故ならお父さんと私の生まれ育った帝国と――私のお母さんの母国であるリベールの事なのだから。
・・・
出身地であり土地勘のあるユーシスの先導を受けて、私達はバリアハート市内の南側に位置する職人通りへと足を運んでいた。
職人通りは都市の中にしては険しい勾配のある下り坂に平民店主の小さな建物が密集して立ち並んでおり、優雅な市内中心部とは一線を画していた。しかし、それでも《翡翠の公都》である事は変わらず、相変わらず美しく舗装された路面と深緑色の屋根で統一されている。
ユーシス曰く、元々バリアハートは丘陵地帯であった為、領主の居城が丘の上に、町民が集まる下町がその麓に築かれたのが始まりで、時代の流れと共に街の規模を大きくし、それぞれ公爵家城館を中心とする貴族街に、もう一つはいま私達が歩く職人通りをはじめとする平民の集まる下町となったのだと言う。
坂を歩いていたユーシスが足止める。
彼が目を向ける看板には《ターナー宝飾店》と記されていた。
ここが特別実習の必須課題の依頼を出してくれたお店の様だ。
《ターナー宝飾店》店主の息子のブルックさんからの依頼は、少し手のかかりそうなものであった。
内容を要約すると、『近く結婚する旅行者の客の結婚指輪に使う石を探してきて欲しい』といったもの。
但し七耀石や宝石ではなく、半貴石という価値としては一段落ちるが見た目は変わらない石である《樹精の涙(ドリヤード・ティア)》を求めるのだという。
私ははじめて聞く名前の石だが、固体化しやすい樹の樹液が固まった物である事から、どうやら琥珀のような物らしい。北クロイツェン街道の森林地帯でよく採れる石の様だ。
ただ問題は、半貴石であっても貴重なものには変わらず、それをすぐに見つけることは難しいと思われる事。今日の依頼は他にまだ二つもあり、その依頼の報告には市外のオーロックス砦に向かわなければならない。つまり、探す作業にあまり時間を割くことはできない。
「なるほど……少々骨が折れるかもしれないな」
「いや――そんなことはない」
初っ端から中々難しい依頼をぶつけられた事にリィンがそう呟くと、突然後ろからそれを否定する言葉が飛んできた。
「君達がこれから探そうという無垢なる木霊の涙……それを先程、この目で見たといったら?」
「って――あなたは……!」
後ろを振り向けば、全身白一色に所々薄青色の装飾が施された衣服に身を包んだ男性が立っていた。
(店に入ったときには居なかった様な気がするのに……)
数か月前、士官学院へ発つ時にパルムの駅で会った人――そういえばあの時、彼は私が列車の音に注意を逸らした合間にいつの間にか姿を消していた。
名前、聞いた様な気がする……しかしあれだけ強烈な印象にも関わらず思い出せない。
「知り合いなのか?」
「エレナ、この変なオジサン知り合い?」
二人とも目の前の男に胡散臭そうな顔はしながら、リィンとフィーがそれぞれ私に尋ねてくる。
それと気のせいだろうか、『オジサン』とフィーが口にした時、一瞬目の前の白装束の男の表情が歪んだ気がする。
「知り合い……っていうか、前に一度……」
「おお、覚えてくれていた様で光栄だ。アゼリア海の可憐なお嬢さん」
「か、か、可憐なって!」
16歳の庶民の小娘に過ぎない私に対して、今までの人生で一度として言われたことも無いような、まるで皇室や貴族に対する様なオーバーな言葉に慌てる。
「ふふ……この再会に我が心も躍ってしまっていてね。そう、これは運命――」
「エレナ、口説かれてる?」
フィーがジト目で私と目の前の男を交互に見る。
「いやいやいや! だって、あなたとはパルムの駅で偶然会っただけじゃないですか!?」
「あの、すみません。とりあえず、その……」
大体の状況を把握したリィンが私と男の間に割り込む。正直、助かった気分だ。この人の相手は私には難しすぎる様な気がする。
「フフ――私としたことが少々順番が狂ってしまったか。エレナ嬢以外の諸君にはお初にお目にかかる――私の名はブルブラン男爵」
こんばんは、rairaです。
「閃の軌跡」の続編のタイトル名が「閃の軌跡Ⅱ」で決定しましたね。私は「緋の軌跡」等を予想していたので、普通にⅡとナンバリングされるだけだったタイトル名に意外感を感じましたが、タイトルロゴを見てみると銀と黒で格好良く案外と気に入っています。皆様はどうでしょうか。
ただこれで「英雄伝説」としてのナンバリングが完全に死んでしまったのかなぁ、とは思ってます。
さて今回は第2章の特別実習のバリアハート市内の話となります。
リィンによるマキアスとユーシスの説得、ルーファスとの会話は殆ど飛ばして《ホテル・エスメラルダ》前からスタートとなります。
一時休戦とはいえ休戦は休戦、舌戦は相変わらずです。これから長い間の休戦を経てⅦ組の双璧となる二人はまだ序盤ですね。
聖女ヴェロニカについては何かの伏線なんでしょうかね…エマに関わる人物なのでしょうか。
至宝関係か魔女関係のどちらかなのでは無いかと睨んでます。
「空の軌跡SC」のリベル=アーク出現後の帝国軍侵攻は帝国国内ではこういうスタンスとして処理されたという捏造を入れてみました。
《百日戦役》で蹂躙されたリベール側の事情なんて縁も無いⅦ組のメンバーは知る由も無いですし、”同盟国の救援”という軍動員の薄っぺらい建前を簡単に信じてしまいそうです。
さて次回はオーロックス砦への道となります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。