光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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5月29日 涙の後

 目の前のクラスメートの顔は私の涙で歪んでいる。

 心配そうなエマや驚きを隠さないリィン、複雑そうな顔をするマキアスとユーシス、フィーは無表情を貫いている。

 しかし、少なくとも笑って受け入れてくれる様な雰囲気ではないことは確かで、いきなり立ち上がり一人で喚き立て泣き始めた私に困惑を隠せてはいないしてい。

 

 やってしまった。例え”仲間”や”友達”等といった言葉で飾っても、実際ここにいる面子は数か月前までは見ず知らずの間柄なのだ。そんな彼らの前で自分の言いたい事を喚き散らせば、嫌われてしまうかもしれない。

 そんな最悪の可能性も脳裏に過る。

 

 ここで何かしら私の言葉でこの状況を打開するべきなのは分かるが、果たしてどうすればいいのか、何を言えばいいのか、全く思いつかないのだ。

 クラスメートからテーブルの空いた皿へと視線を落としながら、この場から逃げ出す事に考えが及んでいる事に気付いた時、私の後ろから予想外の助け舟が出された。

 

「おお、青春の悩みとはかくも美しく尊いものか――」

 

 今日の昼間にも聞いたことのある声。私の後ろにいるであろう、その声の主へと皆の視線が集まる。

 そして、私も後ろを振り返った。

 

「……ブルブラン……男爵」

 

 ちゃんと言えたかどうかは分からない。

 

「……君のその激情に身を任せる姿も、故郷の苦難に思いを馳せるあまりの儚い涙も美しいが――可愛らしい顔が台無しだ。これで拭いたまえ」

 

 ブルブラン男爵がそっと私の右手を手に取り、彼の衣服と同じ色の高級そうなハンカチをそっと掴ませてくれた。

 

「ありがとうございます……」

 

 ちゃんと聞こえただろうか、と少し不安になり目の前のブルブラン男爵を見上げると、彼は私が予想もしなかった行動に出た。

 彼の右手が私の上に伸び、そのまま頭にぽんっと置かれたのだ。

 

(な、な、撫でられてる!?)

 

「士官学校の諸君も無事に一日目を終えたようだな」

 

 頭を撫でられるという非日常の出来事に驚きの余り声の出ない私を横目に、ブルブラン男爵はテーブルを囲むⅦ組の皆へ声を掛け、それに対してフィーが彼にバリアハートでの成果を尋ねる。

 

「生憎、エレナ嬢以外との運命的な出会いには未だ巡りあえてなくてね。美とはかくも難しい……だからこそ尊いとも言えるのだが……これも私が貪欲すぎるのだろうかな」

 

 ゆっくりと優しく頭の上で前後していた掌が私から離れてゆき、彼の端正な顔が私に微笑みかけた。

 

「まあ、その調子で滞在を楽しんでいただければ幸いだ」

 

 公爵家の人間として、旅人の貴族にそう声を掛けるのはあくまで社交辞令の一環だろう。

 若干、ユーシスの表情が引いていたのも確かだが。

 

 しかし、目の前のブルブラン男爵は何を思ったのか悪趣味かつ不謹慎な冗談を飛ばす。

 このバリアハートの主である《四大名門》アルバレア公爵家の人間であるユーシスの前であるのにも関わらず、だ。

 

 ブルブラン男爵の不謹慎過ぎる言葉にはエマやマキアスからも批難の言葉が出る程で、彼はこれに対して心の篭もらない謝罪をする一方、意味深な言葉を残して去って行ってしまった。

 

 その去り際、彼は私に近づき、耳元で一言囁く。

 

「――君はどうやって乗り越える?」

 

 

 ・・・

 

 

「さっきはあんなに、その……怒鳴って……みんな、ごめんね」

 

 正体不明のブルブラン男爵の話題が一段落し、お会計も終った頃、そろそろホテルに帰る雰囲気になるのを感じた私はやっとの思いで先程の事について謝っていた。

 間違った事を言ったつもりは毛頭ないが、少なくとも喚き散らした事には代わりは無いのだから。

 

「ああ、俺は気にしてないよ。それに少し新鮮だったかな」

「ええ、確かにそうですね」

 

 改めてⅦ組に色んな人が集まっているという事が良く分かった、と纏めてくれたのはリィンとエマ。

 私としては救われた気分だが、どちらかといえば大きな問題は彼らではない。

 

 マキアスとユーシス。それぞれ代弁者という訳ではないが《革新派》と《貴族派》の主張を色濃く受けている二人。

 私も二人の話の流れの中、どうしても止まれなくなってしまったのだ。

 

 左隣に座るマキアスを見ると、彼は少しわざとらしく咳払いをしてから言葉を紡いだ。

 

「……君がさっき言ったことも正しいのだろう。悔しいが、僕は帝都という街からしか問題を見ていなかったのも確かだしな」

 

 そこまで言ったマキアスは対面に座る、ユーシスへと目配せする。そんな彼の優しさが少し嬉しかった。

 

「俺も増税に関しては同意見だ。増税は長期的に見れば確実に領主としての貴族の力を削ぎ落とす。……《鉄血宰相》の思う壺だな」

 

 《革新派》への対抗する軍備増強の為の大増税によって大きな打撃を受けるのは、他ならぬ《四大名門》の各州の貴族領邦なのだ。

 対照的に帝都を始めとする帝国政府の直轄地は貴族領邦より低税率となり、産業の移転やそれに伴う更なる人口の移動も見込めることによって、帝国内での勢力が強化される事となる。

 

「……あるいはもう既に近い内に――」

 

 独り言のようにそう続けたユーシスは、すぐに首を横に振る。

 

「いや、これ以上仮定でこの話題を続けても仕方ないな」

 

 ユーシスは自分に言い聞かせるように会話を終わらせると、リィンが席を立った。

 少し早すぎる気もしたが、レポートもまだ残している私達はそろそろホテルに戻りたい時間なのも確かだ。

 

「ねえ、ユーシス?」

 

 私はこのレストランのテーブルについた時から気になっていた事を、彼に直接聞くべく呼び止めていた。

 本当は店の人に聞くのが一番なのだろうが、こんな高級レストランのウェイターに自ら話しかけれる程私は自分に自信が有るわけではない。

 

「どうした?」

「このお塩って昼間の峡谷のお塩?」

 

 私はテーブルの上に置いてある調味料の小瓶に入る薄ピンク色の塩を手にとって彼に訊ねた。

 

「ああ、そうだが」

 

 それがどうした?、とでも言いたそうな不思議そうな顔をするユーシス。

 

「へえ、やっぱりそうなんだ」

 

 俺達も戻るぞ、とだけ言うと彼は店の前で待っている皆の元にスタスタ先に行ってしまう。

 そんな彼の後を追いながら、私はどうしてユーシスがあのピンクソルトの場所を知っていたのか、少し不思議に思っていた。

 

 

 ・・・

 

 

 常夜灯の決して明るくない室内の天井をぼんやりと見つめていた。

 体を預けているベッドは柔らかくこの身を包んでくれる。

 

 ちょうど今、エマとフィーはあの大きなお風呂に入っている。たまにエマの悩ましい声がするのはフィーの悪戯だろうか、まあ彼女がお風呂を楽しんでくれているのならば何よりだ。

 もっとも、三人で入るのは遠慮しておいて正解だったかも知れないが。

 

 あれだけ喚き散らした私を、Ⅶ組のみんながいつも通りに接してくれたのには感謝してもしきれない。

 直後は確かに皆戸惑っているようではあったが、ブルブラン男爵が去った後には普段通りだった。そういう意味ではブルブラン男爵にも感謝すべきなのだろう。あの場を取り持ってくれたと言っても過言ではなく、彼が来てくれなければ私はあの場から逃げ出していたかも知れない。

 

 ――君はどうやって乗り越える?――

 

 ブルブラン男爵の囁く声が今でも脳裏に木霊する。

 彼は大きな問いを残していってくれていた。私が喚き散らした事が問題ならば、その解と解き方を問われたのだ。

 

「そんなのわからないよ……」

 

 このままではリフージョの村は遠くない未来に地図から消える。

 増税は《貴族派》が《革新派》に対抗する為に軍備を整備する資金を必要としてのことであり、両者の対立関係が根本的に解消されなければ撤回は難しいだろう。

 領民の事を考えていない様な増税をする《貴族派》が悪いのか、それともユーシスの言うように元々の対立の原因を作った《革新派》が悪いのか、そもそもの根幹にあるのは何なのだろうか。

 バリアハートの貴族の人は苦手だ。そればかりか、いま思い出すだけでも嫌悪感さえ感じる。貴族の人が皆、リィンやラウラや……ルーファスさんの様な人であればいいのに。それと同時に、私の頭の中には領主である貴族に従って当然という”常識”もあるのだ。

 《貴族派》が悪いの?それとも《革新派》が悪いの?

 今、私にこの疑問の答えは出せなかった。

 

 高そうな備え付けのクッションを力を込めて抱き締める。

 

「ねぇ……教えてよ。フレールお兄ちゃん……」

 

 私は勉学以外の人生において必要な事の半分は家族から学んだ。そして、残るもう半分はフレールお兄ちゃんから教わったといっても過言ではないだろう。

 しかし、それだけの時を共に過ごしてきた相手は既に隣におらず、目を瞑ってもそこには彼の姿はなかった。

 

 

 次に私が気付いた時、明かりが消された暗闇の部屋だった。

 あのまま眠りに落ちてしまったのだろう、腕の中で少し形の変わったクッションに目を落としながら思う。

 ちゃんと布団が体に掛けられていたのはエマがやってくれたのだろうか。

 

 上体を起こして窓の外を伺うが、日の出の気配は無い。つまり未だ深夜であり、起きるには早すぎることは間違い無さそうだ。

 

「どうしたの?」

 

 隣から突然声をかけられた。

 フィーが布団の中から頭だけを出し、顔をこちらに向けている。

 

「ご、ごめん。起こしちゃった?少し目が覚めちゃって」

 

 そんな物音を立てた訳でもないのだけど、起こしてしまったのなら一応謝るべきなのだろう。

 

「ん。まだ夜が明けるまで結構時間あるし、ちゃんと寝とかないと辛くなるよ」

「そ、そうだね……」

 

 至極当然のことを指摘され、私は再び布団の中へと体を埋める。

 

「寝ないの?」

「そ、そんなにすぐには寝れないよ……」

「そんなものか」

 

 寝ようと思ってすぐ寝れるのならば苦労はしない。今の様に目が冴えてしまった時は、特にだ。学院にいる時の朝はあんなに起きるのが苦痛で、二度寝は甘い誘惑なのに不思議なものである。

 

「じゃあ、一つ聞いていい?」

「うん?」

「あの変なオジサンと、どんな関係?」

 

 一瞬、”変なオジサン”について頭の中にクエスチョンマークが溢れるが、それも一瞬。

 少なくともフィーと私が共通して知っている”変なオジサン”は一人しかいない――そう、ブルブラン男爵。

 

「ど、どんな関係って……そんな、変な、いかがわしい事じゃ!」

 

 私が年上好きである事は認めざるを得ないが、あそこまで歳が離れている人は流石に難しいし、あんな変な人は出来れば対象外としたい。

 そりゃあまあ、後々考えると髪が崩れるので勘弁して頂きたかったが、先程は頭撫でられたりと多少は心を許してしまった感はある。

 しかし、あの状況で突然あんな事をされれば拒否することも難しいと思う。相手は少なくとも自称疑惑はあるが、貴族様かも知れないのだし。

 

「……そういう関係じゃなくて。間柄っていうの?」

 

 明らかな呆れ顔を浮かべるフィー。

 

「あはは……一応、昼間に言った通り、士官学院の入学式の前に一回会っただけなんだけど……」

 

 誰がどう言おうと、私はブルブラン男爵に会ったのは3月30日のパルム駅の待合室と今日だけだ。

 その他で会っていたとするなら、あんな強烈な印象の人を忘れていたことになるのだ。自分がそれ程頭の良い部類でない事には納得出来るが、あの人を忘れるほど頭の性能が悪いとは流石に信じがたい。

 

「ふーん」

 

 フィーの瞳に多少疑いの色が混ざっている気がする。

 

「あの人、すごく怪しい。冷たい目をしている」

 

 確かに思い出すと少し怖い瞳をしていた様な気もしなくもない、黄色の瞳。

 

「戦場でよく見る目に近いけど、どこか違うかも」

「せ、戦場って……」

 

 サラッと彼女は私には縁遠い言葉を口に出す。

 しかし、私がこの言葉を聞くのは今日二回目だ。いや、もう日付を回ってしまっているので、”昨日も聞いた”になるのだろうか。

 彼女もクロウ先輩も通じるものが有る気がする。勿論、二人共銀髪だとか容姿の話をしているのではなく――こう、何故かその言葉が似合う様に感じてしまうのだ。

 

「でもあの人、エレナにだけは違う目をしてる」

「え……」

 

 意外な彼女の言葉に驚く。同時に、こうなると否が応でも本気でブルブラン男爵の正体と私だけ特別扱いの理由が気になる。

 最初にあった時、彼は青春がうんたらかんたらと言っていたような……。

 

「ま、変なのに気に入られただけかもね」

 

 私が記憶を手繰り寄せて思考の渦に入り込もうとしてたのを察したのか、フィーが適当にこの話題を打ち切り、ここで会話が止まった。

 もうブルブラン男爵の事は置いておこう、あんまり想い人以外の男の人の事を深く考えるのも気が引ける。それに、なんとなく近い内にまた会うような気もするのだ。多少、複雑だが。

 

 フィーは既にこちらには背中を向けてしまっていたが、私はなんとなくここで会話を止めるのは勿体無いと思ったのだ。

 そんな思いから、私は今までの疑問を少しフィーにぶつけてみることにした。

 

「ねえ、フィーってやっぱり外国から来たの?」

 

 入学したての頃から思っていたのだが、今日のお風呂の件といい彼女は少し帝国人離れしている所がある。

 

「まあ、そうなるかな」

「どこの国から?」

 

 この質問をした時、私は自分の浅はかさに軽く後悔した。

 何故なら私の外国に関する知識は大したことはなく、一般人レベルとしか言えない程度だ。東にカルバードがあって南にリベールがあると言うぐらいしか知らない。知らない国の名前を告げられたらどうしようかと悩む私に返って来た答えは、それとはまた違う意味で困るものだった。

 

「そう聞かれると難しいかも」

「え?」

 

 どこの国、と聞かれると難しい?

 国じゃないところから来たのだろうか等と考えていると、察してくれたのか直ぐに彼女はその疑問に答えてくれた。

 

「小さい頃から大陸中を飛び回ってたから」

 

 どう答えればいいのだろうか。

 人には色々と事情があるのは分かるのだが、流石に想定外過ぎだ。

 大陸中を飛び回るというのは何なのだろうか、親が行商人や船乗り?いや、しかし家族も一緒に飛び回るというのは中々無い様な気もする。

 

「……家庭の事情……とか?」

 

 少しの間を開けて、ある意味わかりきったような月並みな事しか言えない自分が情けなくなる。

 私の方から話を振ったというのに。

 こんなこと言うぐらいならば、内容こそ無くても「すごい!」とか「羨ましい!」等の方がまだ良かったのではないだろうか。

 

「ん。そんなとこ」

 

 彼女がそう答えたっきり、私は気が向いた言葉を続けることが出来なかった。

 

 

 ・・・

 

 

「――レナさん……エレナさん……」

「んぁ……」

 

 何者かに肩を揺さぶられ、私の口から言葉にならないと惚けた声が漏れる。

 

「もう起きないといけない時間ですよ」

 

 そんな声と共に私の体が仰向けにされ、陽の光が顔に直接当たり始める。

 目をつぶっていても感じる眩しさに、枕を抱き締めていた腕を上げ、未だ満足に開かない重たい瞼を擦りながら惰眠を妨害する声の主の顔を見た。

 後光が差す中に浮かぶのは、古風な丸眼鏡を掛けている私達の委員長であるエマ。

 

「ほら、エレナさん。早く起きてください」

 

 隣ではフィーだって未だ寝ているではないか――いや、前言撤回。彼女は制服に着替え、用意を済ませてから寝転がっている様だ。

 つまり、この時点で着替えを済ませていなくて、まだ寝間着でベッドに篭っているのは私だけということになる。

 

「あと……5分……」

 

 エマにモラトリアムを一方的に主張しながら、掛け布団を引っ張り顔をその中へと隠す。

 慣れとは凄いもので、先月まで文句無しにⅦ組で一番早起きだった私も早起きの必要が無くなった為か、今では二度寝の眠り姫と化してしまっている。

 寮では誰かしらが起こしてくれるので遅刻こそしていないが、何かの拍子に忘れられる様な事があれば確実に寝坊する事は間違いない。

 

 結局、「起きないと私が着替えさせますよ?」という恐ろしい最後通牒に屈し、いそいそとベッドから体を起こして着替えにかかることとなる。

 いくら女子同士であっても、この歳でクラスメートに着替えさせらたりするのは、羞恥心どころの騒ぎではなく自らの尊厳に関わる一大事だ。

 

 着替えを済ませた後、浴室の洗面台の前で歯ブラシを咥えながら、私は大きな鏡に映る自らの姿を確認する。

 肩に掛かるくらいの茶髪が寝癖でミョンミョンとハネている。まさに無造作ヘアやボサボサヘア、とでも言うべきだろうか。

 そういえば昨晩はお風呂から出た後、ちゃんと髪を乾かさずにそのままベッドに寝転がったのだっけ。

 

 リィン達男子には間違っても見せれない姿をした鏡の中私が、大きな溜息をついた。

 




こんばんは、rairaです。

仮面さんの再登場です。気まずい雰囲気に陥ったエレナに助け舟を出したのは他でもない彼でした。
この物語内では良い人面を多少なりとも強調している彼ですが…実際、「閃の軌跡」原作では何の為にⅦ組をストーキングしていたのでしょうね?
その理由次第では続編で大きな出番があるのかと勘繰ってみたり。…クエストの対象物がマップに出るシステムになった以上、彼の迷惑度も劇的に下がりましたしね。

次回は5月30日、特別実習二日目となる予定です。
段々と2章も終わりが見えてきましたね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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