「ご入学、おめでとーございます!」
校門をくぐると、すぐ右手から出てきた小さな女子生徒が私たちに祝福の言葉を送ってくれた。
その隣には黄色い作業着の様なツナギを着た太めの男子生徒もいる。制服は着ていないが、きっとこの士官学院の上級生なのだろう。
私とリィンがそれぞれ軽くお辞儀をしながらお礼を返すと、小さな先輩は嬉しそうに、うんうんと頷きながら話に入った。
「君たちが最後みたいだね。リィン・シュバルツァー君と……エレナ・アゼリアーノさんでいいんだよね?」
「は、はい。――どうも初めまして」
「は、はい。はじめましてっ」
(そういえば何が最後なのだろう?)
と不思議に思って私が口に出そうとする前に、リィンが全く同じ事を聞いていた。
しかし、先輩は笑いながら、「今はあんまり気にしないで?」と、はぐらかす。
「それが申請した品かい? いったん預からせてもらうよ」
リィンの紫色の東方風の刀袋を預かる、作業着姿の先輩。
刀袋を担ぐと、次は君の番だと目配せで伝えてくれる。
「あ、ちょっと待ってくださいね」
ボストンバッグの中身を開くと、朝乱雑に詰め込んだパジャマと入学案内書が中から覗かせて後悔する。
慌ててバッグを自分の左隣に置いて、自分以外の三人からバッグの中身が見えないよう、少し中腰にしゃがむ。
そして一番奥にある、重量感のある百科事典程度の大きさの灰色のケースを取り出して彼に渡した。
「確かに――」
ケースに刻印されたラインフォルト社のロゴと軍の紋章を見て、彼は少し神妙な面持ちで丁重に受け取る。
そして、ちゃんと後で返されるとは思うから心配はしないでくれ、と付け加えた。
「あ、エレナちゃん。お荷物は私がお預かりするよ。ちゃんと責任もって学生寮に運んどくね」
ボストンバッグを両手を広げて体も使って受け取る小さな先輩に、私は少し罪悪感を感じる。
バッグが予想より重かったのか、小さな先輩は少しよろめいて私とリィンを心配させるが、彼女は笑いながら私達に早く入学式が行われる左手の講堂に向かう様に促した。
荷物を預かってくれた先輩にしっかりとお礼をし、左手奥の飾り付けられた講堂へ足を向けると、あ、そうそう――と何か忘れていたかの様に呼び止められた。
「二人とも《トールズ士官学院》へようこそ!」
・・・
「お二人共先輩なのかな?」
講堂の方へ少し進み、他の新入生と話す二人の先輩の声が聞こえなくなった頃、リィンは少し不思議そうに私に話しかけた。
「女子の方はちょっと年上には見えなかったけど……」と続ける。
「……いまのはさっきの先輩の前で言っちゃダメだと思う」
「え?」
「ほら、女の子って結構、色々コンプレックス、持ってるから」
私は自分でそんな事を言っておきながら、中々威力を持ったブーメランを投げ付けたものだと後悔した。
目の前の彼を弧を描くように避けて自分に戻ってきた目に見えないブーメランが、グサグサと心に刺さってゆくのを感じる。
そう結構、色々コンプレックスとは持っているものなのだ。
「そういうものなのか……結局、俺達が最後ってどういうことだろうな。まだ校門の方に新入生はいるみたいだけど……」
校門の方へ目を向けて、自分達が新入生の最後ではない事を確認するリィン。
何か納得のいかないような顔だ。
「なんなんだろうね?」
私も先輩に聞こうと思ってたぐらいには気になる。結局、リィンに先を越されてしまったが。
しかし、仮に私が聞いていたとしても、あの小さな先輩の対応は変わらないだろう。
「まぁ、そんなに考えてもしょうがないか」
そろそろ時間も余裕はないし、講堂の中に入ろう――とリィンは続けた。
・・・
私は教会が苦手だ。毎週のミサは勿論の事、去年まで通っていた日曜学校だって苦手で苦手でしょうがなかったぐらいだ。
流石にある程度の歳になってからは真面目に授業を受ける様に心がけてはいたものの、子供の頃に途中で逃げたりサボってシスターに怒られた回数は数えたくもない。
きっと育ててくれた祖母から怒られた回数より遥かに多い事だろう。
長い時間ずっと同じ姿勢で座り慣れていないというのもあるのだが、単純に人の話を長々と聞き続けるのも苦手なのだ。
それは勿論、入学式などの式典でも同じことが言える。
ヴァンダイク学院長――帝国の英雄でもあるヴァンダイク元帥の話は父から聞いたことがあり、とても誇らしげに語っていたのを覚えている。
トールズ士官学院への入学が決まった時、出来るものならば自分が元帥閣下のお言葉をお聞きしたかった、と娘の試験の合格への祝福より先に手紙の文面に書いていた程だった。
しかし、そんな親の尊敬の念もあまり娘には届かなかった様で、私といえばうたた寝から覚める度に父と元帥に心の中でとりあえず謝りながら、過ごす有様であった。
「『若者よ――世の礎たれ』」
(ふぁっ)
いきなり元帥の声が大きくなったので少し驚いて、壇上の元帥を見る。
「”世”という言葉をどう捉えるのか。何をもって”礎”たる資格を持つのか。これからの2年間で自分なりに考え、切磋琢磨する手がかりにしてほしい。――ワシの方からは以上である」
(『世の礎たれ』かぁ……)
難しい事を仰っていたが、学院長の話が終わったという事はもうそろそろ入学式も終わりだという事だ。
そう思うと、ついさき程まで無性に眠かったのが嘘の様に目が冴えてくる。
「ふむ、帝国の学校とは中々難しい事を求められるようだな」
隣の席に座るガイウスという長身で褐色の肌の青年が呟く。
入学式がはじめる直前、同じ色の制服を着ている者同士ということでお互い自己紹介はしたのだが、すぐに式は始まってしまったので私は彼については名前しか知らない。
ちなみに入学式で座る椅子は自由ではなく指定で決まっていた様で、この講堂まで一緒に来たリィンはというと三列ほど前の椅子に座っているのが見える。
どうやら隣に座っている赤毛の男の子と話している様子だ。
「……あはは、なんだかんだいってここは名門の学校だから――って、やっぱり帝国の人じゃないの?」
「ああ、オレは帝国人ではない。北東の地、ノルドの出身だ」
「ノルド高原……大帝の挙兵した地かぁ。私は帝国の南の端の出身かな」
すごい辺鄙な所だけど海が綺麗な街なんだよ、と続けた私に、海か……と呟き考え込むガイウス。
どうやらガイウスには帝国の地理は難しかったのだろうか、彼の様子を窺いながらそんな事を考える。
私は彼とは仲良くなれそうだと確信していた。というより、同じ田舎出身の同志を見つけたというのが正しいのかも知れない。
こうやって周りを見渡すせば、嫌でも目に入る前列付近の白い制服を着た貴族の生徒達は皆お洒落に気を使っている様で、流石と言わざるを得ない。
貴族生徒以外の多くの生徒も雑誌等で見る都会っ子という感じの髪型も多く、女子のアクセサリ等も帝都での流行物だったりするので、帝都や主要都市出身なのだろうと思う。私にはあまり似合わなそうだし、まず高価過ぎて手が届かない様なものだけど。
やはり彼とは仲良くならなければと再確認した時、ガイウスが何か閃いた様に話し掛けてきた。
「……確か教会の神父に帝国の南にはリベールという海沿いの国があると教えられた。帝国の端というとその国に近いのか?」
「そうそう、近くの大きな帝国の街に出るより、リベールの方が近いぐらいかな」
私が親近感を感じたように、彼も感じてくれているのだろうか。
ガイウスは少し嬉しそうに、『お互い随分遠くからやって来たのだな』と優しく呟いた。
「以上でトールズ士官学院、第215回入学式を終了します。以降は入学案内書に従い、指定されたクラスへ移動すること。学院におけるカリキュラムや規則の説明はその場で行います。以上――解散」
見るからに貴族風の初老の男性がマイクで入学式の終了を伝えた。
「ふぅー、やっと終わった!」
両腕を天井に向けて挙げて伸びをする。
やはり同じ体勢で座り続けるというのは慣れない。
「ふふ、余程退屈だったようだな」
私に苦笑いしてからガイウスは、一通り周りを見渡す。
「しかし、指定のクラスか……そんな項目は無かった様に思うが……」
と、不思議そうな様子だ。
「確かに私も――」
分からない、と続けようとした所で、聞き覚えのある声が聞こえた。
「指定されたクラスって……送られてきた入学案内書にそんなの書いてあったっけ?」
「いや、無かったはずだ。てっきりこの場で発表されると思っていたんだが……」
数列前に座っていた同じ制服の赤毛の男の子とリィンが話している。
あちらもクラスについては分からない様子だ。
「はいはーい。赤い制服の子達は注目~!」
向かう場所が判らないので未だに講堂内の座席近くから離れられない赤い制服の生徒達の前に、赤紫色の髪の女性が現れた。
式の間、ステージ下左手の教官の並ぶ列の中にいた為、この学院の教官なのだろう。
「どうやらクラスが分からなくて戸惑っているみたいね。実は、ちょっと事情があってね。君たちにはこれから”特別オリエンテーリング”に参加してもらいます」
「へ……?」
「特別オリエンテーリング……」
「ふむ……」
私と同じ赤い制服の生徒が、各々様々な反応をする。
そりゃあそうだろう、入学案内書にはクラスの事は何も書かれておらず、自分達だけ制服の色が違い、そして今から他の生徒達とは異なった事をするのだと言うのだから。
そして、何を行うのか全く想像の付かない”特別オリエンテーリング”。
まぁ、深緑色の髪に眼鏡を掛けた知的そうな男子生徒がその旨を聞いて真っ先に間の抜けた声を上げたのには、イメージに似合わず笑いが漏れそうになってしまったのだが。
「え、えっと……」
眼鏡を掛けて長い髪を一本の三つ編みにしている大人びた女子生徒が戸惑っている。
顔は中々の美人さんなのだが、私の視線は彼女の顔ではなく胸に注いでしまっていた。
比べるように自らの体の控え目な部分に視線を落とせば、思わず大きな溜息が出る。
私は彼女がどうやら普通の子ではないと、確信した。
「……どうかしたのか?」
私の大きな溜息を聞いていたのか、隣に立つガイウスが訝しげに聞いてくる。
「うんん、なんでもない。うん」
流石に同じ制服の女子生徒の胸と自分のそれを見比べて落ち込んでいました、なんて同じ年頃の男子に言える訳がない。
すぐに話題を今一番重要なことに切り替えて、彼にどうするのか尋ねてみる。
「とりあえず、行くしかなさそうだ」
ガイウスは意外と肯定的に受け止めているのか、そこまで戸惑っている様子ではなかった。
件の教官といえば、自分に着いてくる様に指示すると鼻歌を歌いながら、さっさと先に講堂を出て行ってしまっており、早く追い掛けないと見失う可能性もある。
だからこそ、本来は私への返事だったガイウスの意思表示は、周りの皆の行動のきっかけとなった。
「……やれやれだな」、という言葉と共に貴族風の金髪の男子生徒が歩きだし、次々と赤い制服を着た生徒が講堂を出て行く。
私もガイウスや他の生徒たちに付いていくが、まだ留まっているリィンと赤毛の生徒を見つけて、講堂内に並んでいる椅子の最後尾近くまで駆け戻った。
「リィン! 早くしないと置いてかれるよ!」
声を上げる私に、ああ――と頷いてリィンは応え、赤毛の少年と共にこちらへ向かって来た。
「すまない、いま向かおうとしていた所だったんだ」
「あはは、心配させちゃったみたいだね」
(なんだ、要らぬお節介だったのかぁ)
空振りしたみたいで少し残念な気持ちになる。
講堂の出口には赤い制服の生徒見当たらず、先を急いだ方が良さそうだった。
赤紫色の髪の女性教官に引率された士官学校の敷地内を進む赤い制服の集団、その後ろを目指して少し小走りで追いかける。
左手に大きなグラウンドが望めた頃に追いつき、一息置いてから赤毛の少年がリィンに話しかけた。
「そういえばリィン、彼女とは知り合いだったりするの?」
「ああ、彼女はエレナ。朝、トリスタの駅で出会ったんだ」
「へぇ、そっかぁ。僕はエリオット。エリオット・クレイグだよ」
リィンの答えを聞いて、目の前の男の子はニコッと笑いながら、私に自己紹介をする。
『クレイグ』という姓が何故か微妙に引っかかたが、それよりも私は彼の同じ年頃の男子とは思えない愛嬌に驚いていた。
(もしかしたら、私よりかわいいんじゃ……)
「エレナ・アゼリアーノ。よろしくね」
リィン相手の時に緊張して失敗しているので、今回は失敗しないように気を入れ過ぎたら、今度は少し素っ気無い感じになってしまった。
第一印象が悪くならないだろうか、フォローした方がいいのではないだろうか等の考えが脳裏にちらつく。
しかし、目の前のエリオット君は気にした素振りを見せずに「こちらこそよろしくね」と、再び笑いかけてくる。
私は気恥ずかしさに少し顔が熱くなるのを感じた。
こんにちは、rairaです。
先ずはお気に入り登録して頂いた方、感想を下さった方ありがとうございます。
拙い文章ではありますが、楽しんで頂けましたら幸いです。