光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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6月28日 大人と子供と答えの一つ

 昨日の北島での活動で散々な目にあった私達B班。

 朝はまだ風と波の強さが危険だったとの事でアルマン軍曹が船で私達を助けに来てくれたのは、もう日も高く昇っていた頃だったりする数時間前。それでも、あの嵐が一晩で島を過ぎ去ったのは不幸中の幸いではあった。仮にあのまま洞窟で二、三日も過ごすなんて色々な意味でもう目も当てられない。

 

 やっとの思いで灯台に戻ったは良いものの、私達は一夜越しの活動によって完全に満身創痍になってしまっており、昨晩の戦闘の功労者でもあるラウラとフィーの二人は、戻って来て間もなくそのまま眠りに落ちてしまった。流石に体力の限界が来たのだろうと思う。

 マキアスは少しフラフラしながらも何とか頑張っている、クマは結構酷いけど。

 

「悪天候で活動に支障が出たのはそれなりに加味されるだろうと思う」と、マキアスは評価の予想について語ったが、それはどちらかと言えば願望に近いのは私もエリオット君も良く分かる。言っているマキアス自身がそんな顔をしているのだから。

 嵐の後ということもあって、北島の川は釣りが出来るような状態では無く、昨日の釣りの課題も出来ていない。今日一日このまま過ごせば私達はたった一件の課題達成でトリスタに帰らなくてはならないのだ。

 いくら嵐の件が加味されても良い評価を貰える筈が無い。精々、平均的でしたといった「B-」か「C」位といった所。

 

 だから残った動ける三人で話し合い、実習地であるこのブリオニア島について纏めたレポートを詳しく書くことにしたのだ。

 まあ、主にマキアスの発案で、彼の強く必死な、半ば強引な推しによるものであったのだけど。やはりエマと学年主席の座を争う彼としては、四月の特別実習程では無いものの低い評価は許容できないのかも知れない。

 

 こうして昼下がりの午後、ブリオニアの集落に繰り出した私達三人は目抜き通り沿いの食料品店を覗いていた。一応、看板には「Grocery」とあったので食品が主ではあるものの、大体田舎のお店の例に漏れず色んな物を手広く扱っている。

 生鮮品もあれば加工食品、調味料用の香辛料、茶葉やお酒に煙草。そして、文房具に新聞や書籍、挙句の果てには何やら銃の弾の様な物まで置いている。

 

「うわぁ、結構高いね」

 

 高いと口にしたエリオット君が見ていたのは、これまた色んな種類の缶詰が置かれた棚だった。

 主に魚やランチョンミートの缶詰が多いが中には果物なんかのもある。丁度目についたトマトの缶詰なんて商品名自体に”サザーラント”という地名すら入っており、私の故郷の土地産の野菜が缶詰になって遥々ここまで来た事を物語っている。

 今更気付いた事ではあるが、この島に来てから生のトマトを見ていない。食文化の違いか、それともトマトが育たない土地なのかも知れない。そう考えるとこの高い値段も納得できるものなのかもしれないが、それにしても他の缶詰達の値段も総じて高いのは一体どういう訳なのだろうか。

 

「そうだな……まるでヴァンクール大通りのデパートの値段だ」

「確かに少し高めだよね……」

 

 二人の反応から、帝都のデパートも結構物価は高い、という役に立つか分からない情報を得ながらも店内を見渡す。

 何となく想像は付いていた事だが、魚やじゃがいも等の一部の野菜以外は結構な物価の高さである。これは……。

 

「やっぱり、船で本土から持って来ている物が高いのかな?」

 

 エリオット君の言う通りそれもあるだろう。輸送コストというのはかなり仕入れ値に影響するものであり、私の村でもこれは重く伸し掛かっていた。

 だが、この島においてはそれだけではない。

 

「うん、でも……多分これは――」

「なるほど……確かにこの島はラマール州――カイエン公爵領だったな」

「そっか、ケルディックの時に言ってた……」

 

 商取引税率を二倍以上に引き上げ、所得や資産に対する課税も強化。同時に導力車や贅沢品に対する税も新たに導入する事が定められた臨時増税法。それはここ、西の最果ての島にも確実に影響を与えていた。

 

「よっ!」

 

 レポートに書く内容を頭の中で整理している私達の背後から大きな声を掛けられる。

 振り向いた先には金髪の少し無造作なショートカットの女の人、アルマン軍曹の幼馴染のロミーさんがニカッと笑顔を浮かべていた。そういえばこの食料雑貨店の隣は彼女の働く酒場だ。

 

「あれ、暗い顔してどうしたのさ? まだお疲れさんかい?」

 

 昨日は災難だったね、話は聞いたよ――と暗い顔の理由を勘違いして続ける彼女に、昨晩の心配をかけた件について謝る私達三人。

 

「それはそうと、三人でどうしたのさ? ちょっと遅めの昼飯?今から作んの?」

 

 立て続けに聞いてくる彼女は私の二倍近く生きている大人の人とは俄に思えない。なんというか、同級生と話している様な感覚に陥りそうになるのだ。彼女のこのテンションが、どうにもヴィヴィっぽい。

 

「いえ……その……」

 

 厳しいと予想される評価を少しでも嵩上げする為に、島のレポートを書こうとしている事を簡潔かつ少し柔めに伝えると、その場で大声で笑いだしてしまった。

 

「ははっ! 学生だねぇ。日曜学校の夏休みの宿題を思い出したよ」

「日曜学校位簡単な物であれば良かったのですけど……」

 

(あ。めっちゃわかる……)

 

「うーん……その課題ってやつは、この島の人間が依頼したらそれでいいの?」

「一応、どんな依頼でも評価対象ではあるのですけど……もしかして?」

「じゃあ話は早いね。うちの店、手伝ってくれよ!」

 

 ここに買い物に来たのだろうと思われるロミーさんは、本来の目的を忘れてしまったのか足早に雑貨店の外に出てしきりに、隣の自らの店を指差す。その屈託の無い笑顔は女の私から見てもとても可愛らしいもので、多分普通の男であればイチコロで手伝いに行ってしまう様な気がする。うん、多分リィンならイチコロかも知れない、だって胸、大きいし。

 

「いやさー、朝波高くて漁で出なかったジジイ共が昼間っから溜まりやがって大忙しなんでさぁ」

 

 両手で少し大袈裟なジェスチャーを交えて説明するロミーさん。うん、やっぱり大人っぽくない。

 

「とりあえず、君なんでもいいから料理作れる?」

「えっとー……」

 

 料理……?

 

「りょ、料理ならっ……」

 

 決して出来ない訳ではない。これでもそこそこは大丈夫、でもいくら何でもお店の料理は無理。私はチラッと隣の紅茶色の髪の少年を覗う――そして、心の中で一言、ごめん、と謝った。

 

「エリオット君が上手いです!」

「えぇ!?」

 

 予想もしてなかった突然の振りに彼は驚く。

 

「確かにエリオットの玉子料理は格別だからな……ああ、その方が良いかもしれないな。確かに」

 

 待った。マキアス、何故私の方を一瞥したのか。なんで『確かに』って二度言ったのか。取り敢えずこの場を乗り切ったら、詳しく聞かせて貰おう。

 

「へぇ……玉子料理か……まぁ、男衆ならなんでもイケるだろうし、帝都風の料理を食べる機会も珍しいからな……よし、今すぐキッチン入れ!」

「ええええ!?」

「頑張れ、エリオット君!」

「ああ、エリオット期待しているぞ!僕達の活路を開いてくれ!」

 

 私達の評価の為に!という本音がだだ漏れなのは仕方が無い。

 それ程、切羽詰まっているのは確かなのである。

 

「じゃあ、私達は……バロンの所に――」

「ああ、そうだな。早めに報告の方も――」

「おい、何行こうとしてんだ。メガネ君は皿洗い、そっちの子は接客だかんな。おっし、入った入った!」

 

 少し瞳に光るものを浮かべながらマキアスと私の名前を呟いていたエリオット君の顔がぱっと明るくなる。

 

「な、何だと……!?」

「え、えっと、私たちは……」

 

 酒場のウェイトレス――酔っぱらいの相手ではないか。故郷では何度か酒場もお手伝いした事があるけども、大方顔を赤くしたオッサン達が下品な下ネタでからかってくる。やれ、小さくて色気ないだの、アイツとどこまで進んだだの――大体、学院でも深夜に帰ってくるサラ教官が面倒臭いのなんの。

 

 しかし、残念ながらこの場を上手く乗り切る方法は思いつけなさそうだった。

 

 

 ・・・

 

 

 マキアスが倒れた。いや、正しくは流しに突っ伏して寝ていた。とても安らかに、そして、満足そうに。

 まったく、だからあれ程、休むようにみんな言っていたのに。いざ、スイッチが入ってしまうとマキアスも直向きに一直線に頑張ってしまうのだ。

 

 心の中で自業自得だと思いながらも、気持ちは分からなくもない――今回の特別実習は皆それぞれ思う部分はあるのだろう。そんな事を考えながら、人通りの少ない夕方の通りを私は港の方向へと歩いていた。

 

 何はともあれ午後七時を回る頃には、漁師の早い明日の為か客入りも少なくなるという漁村独特の光景を見て、お手伝いも終わりとなった。

 

 ロミーさんからはお礼として晩ご飯に食べれそうな物を報酬として貰い――実は私は何気に結構な額のチップを酔っ払いのおじさん達から貰っていたりもしたが――マキアスはフラフラしながらもエリオット君に支えられて灯台へ戻り、私は一人でバロンの元に昨日の件の報告へ向かっている。本当は三人でする筈だったのだが、まあ、流石に仕方無い。

 

 小さな港の端のこれまた小さな桟橋に、老人が一人佇み釣り竿を垂らしている。

 なんて分り易いのだろうと、少し内心で笑いながら木板で作られた桟橋へと足を向けた。

 

「やぁ、お嬢さん」

 

 老紳士の背中まで後数アージュというところで足元の木が軋み、彼がこちらを振り向く。

 少しの緊張を抱えて、私は少し形式張った挨拶を返した。

 

「……モルゲンさん。すみません、頂いた依頼なんですが、結局――」

「何、気にすること無い。女神様の気まぐれであれば仕方があるまい?」

「ですが……」

 

 アルマン軍曹から聞かされた話では、三日目の課題はモルゲンさんの一存で全て取り消しとなり、封筒すら渡されなかったのだ。

 

「君達が無事に戻って来たことが、私にとってもウォルフにとっても、この島の皆にとっても一番の事なのだよ」

「そう言って頂けるだけで……」

「ふふ……だがまあ、釣りは今からでも遅くは無いのだよ?」

 

 桟橋に腰掛ける老人は自らの釣り竿をそっと上げた。

 

 

 いつの間にか穏やかになった海の波に糸が規則正しく揺らされる。日はまた少し傾いてはいるが、まだまだ沈むのには時間がかかりそうだ。

 

「ともあれ、本当に良かった。君達も中々難儀なものを抱えている様子だったからね」

「やはり、分かってしまいますか」

 

 たった昨日の昼の一度しか会ったことの無いのにも関わらず、私達B班が上手くいっていない事を察してたなんて凄い人だ。

 

「勿論、君の事もだ」

「……私は……ちょっと疲れてしまいました……」

 

 勿論、昨晩の事や酒場のお手伝いといった肉体的な疲れもあるが、そちらではない方だ。何事も一筋縄では行かない、自分の事ですらよく分からず手一杯、それなのに人は他人の事やもっと大きな事も考えなくてはならない。いくら考えても、悩んでも、答えが出ない内に思考の中で迷子の様になってしまう。そして、迷子は歩き疲れてしまった。

 

「そういう時は、羽を休めるといい。そこの鴎のように」

 

 後ろを振り向くモルゲンさんに倣って振り返ると、桟橋の端に一羽の鴎が止まって、その嘴で何やら羽の手入れをしている。毛繕いといった所だろうか。

 

「今、私も休ませてもらっています」

「それは結構」

 

 老紳士の笑顔につられて、思わず私も笑ってしまう。

 小さく二人で笑いあった後に、モルゲンさんは目を細めて何処か遠くを眺めながら口を開いた。

 

「この歳になってくるとね、ふと思うのだよ。どんなに歳を重ねても、大人になるまでの時間が人生の中で一番長かったと」

「え……?」

 

 少なくとも私の数倍――六十をとうに過ぎたと思える老紳士からそんな言葉を聞くとは思わなかった。私が彼の歳に追い付くためには後半世紀は必要だというのに。

 

「それだけ、青春時代とは人を形作り、色褪せても輝き続けるものなのだ。そこからは本質的な進歩なんて早々ある訳でもなく…………ただ、大人という言葉に縛られて外面だけを取り繕う臆病者になるだけだからね」

 

 もう君もほんの少しは分かる年頃かも知れないね、とモルゲンさんは小さな微笑みを向けた。

 外面だけを取り繕う臆病者――何となく分かるかもしれない。

 

「答えなど出なくても良い。ただ、若き日にそうして苦しんだ事、悩んだ事、迷った事――それはいつか君達にとって大きな財産となる。だから、大切にしなさい?」

 

 優しい顔で私を諭す老紳士に、私はしっかりと深く頷いた。

 

 その後、モルゲンさんとの間には殆ど他愛もない話題が続いた。士官学院の話もあればリィンや他の仲間の話――そんな、本来何の為に此処にいるか忘れ去った頃、突然、私は腕を引かれた。

 

「……あっ……!」

 

 不意に引かれた為にバランスを崩して思わず一気に海へ体を持っていかれそうになり、咄嗟に立ち上がって踏ん張る。

 流石にまだずぶ濡れになるのは勘弁だ。

 

「これ、どうすればいいんですか!?」

 

 ちゃんと立っていれば何とか問題は無いが、得物の力が弱い訳では無い。むしろかなりの勢いで引きこまれており、動き回る竿先は引っ張られて私も必死になって釣り竿を握っているのがやっとだ。

 

「お嬢さん、宜しいかな?」

 

 我ながら全くの余裕の無さに何度も頷いて助けを請うと、私の背中に回ったモルゲンさんが私の手に彼の大きな手を添えた。

 

「まず、深呼吸を。落ち着きなさい」

 

 言われた通りに息を深く吸い、吐き出すと不思議と少し落ち着く。

 背中からの指示に従ってゆっくりと、確実にリールを巻き、そして――

 

「…………今だ!」

 

 海面に魚の影が見えた時、合図と共に私の手に添えられたモルゲンさんの手が動き、私も負けじと釣り竿を引き上げる。

 

「わぁっ!」

 

 水飛沫と共に海から引き上がったのは、どこかで見覚えのある銀色の鱗を輝かせた大きな魚だった。

 

「サモーナ!」

「ほぉ……これは立派だ」

「大きいですよね、私もこんな大きいの初めて見ます……!」

 

 釣り針の先で激しく跳ねる釣り上げたサモーナをモルゲンさんが両手で掴み、彼が取り出した小さなメジャーで体長を測る。

 

「八十リジュ超えは大物だとも。ふむ……素晴らしい」

 

 そして、老紳士に彼にあまり似つかわない子供のような笑顔を私に向けた。

 

「どうだね、釣りは? ――私は君のそんな笑顔が釣りを通して大陸中の人に広がればと思っているのだ」

 

 

 ・・・

 

 

「マキアスは大丈夫ですか?」

 

 ああ、と応えるアルマン軍曹は、直ぐに「ソファーで爆睡中」と今の状態を簡潔に教えてくれた。

 

「まったく……あれ程無理するなっていったんだけどね」

「私やエリオット君とは違って、マキアスは寝て無いですからね……」

 

 まぁ、マキアスの気持ちも分からなくはないのだ。成績云々は置いておいて、ラウラとフィーが居ないからこそ彼は無理を承知で頑張りたかったのだろう。

 それは副委員長としての立場がそうさせるのか、起きた後のラウラとフィーに無用な気後れをさせない為か。

 

「そういえば、灯台のお手伝いはまだですか?」

 

 この後、本日の温情依頼の三つ目が控えていたりする。これはさっきエリオット君から聞かされたのだが、酒場の手伝いの話をしたら灯台でも、ということになったんだとか。

 

「日没まではまだ結構時間があるからね。あと一時間位かな」

「そうですか……」

 

 腕時計を見たアルマン軍曹がそう呟くのを聞いて、私は眼前の風景に目を向ける。

 灯台の踊り場から遠くの水平線を望めば、昨夜が嘘の様に穏やかになった海と遠くまで澄み切った夕空。

 私の背中にはガラス張りの燈籠があり、この中に灯台で一番重要な部分、夜の闇を照らす大きな導力投光機があるのだ。

 眼下に目を落とせば、先程まで私達が居たブリオニア島の集落。モルゲンさんと一緒に釣りをした小さな桟橋も何となく分かる。

 

「街が、気になるのかい?」

「はい……静かだなぁ……って」

「なるほど、ね……」

「ブリオニア島って避暑地として開拓された島なのに、もう貴族様達は全然来てないんですよね?」

「ああ、ここ二十年位はずっとバロンだけみたいだ」

「だから村に人か少ないんですか?」

 

 今日一日見て回って私が一番感じた事は人の少なさだった。ブリオニア島の集落はリフージョの村よりも大きいが、空き家がよく目につく程多く、人口三百人程度の集落にしては大き過ぎる目抜き通りや教会もある。これらはかつてこの島にもっと多くの住民が暮らしていたことを物語っていた。

 私の疑問に、他人事のように「まあ、そういう事にもなるかもね」と夕日に照らされた外洋を望みながらアルマン軍曹は応える。

 

「じゃあ……このままじゃ……」

「そうだね、いずれ島に住む人は居なくなるかも知れない」

 

 まさかの即答に、私は次の言葉が出なかった。

 少なからず狼狽える私とは違って、確信は持てないが対照的に平然としているアルマン軍曹に自分とは違う”何か”を感じた。これが”大人”なのだろうか。

 

「でも、僕はそれでもいいと思う」

「え?」

 

 その次に彼の口から出た言葉は更に意外なものだった。

 

「もう貴族様にとってあまり魅力の無いこの島に無理に来て貰うこともない。かといって観光地の様になるのも僕達は望まない。自分達が自分達の好きな様に暮らしていけば良い、それだけの話さ」

 

 彼はどうしてこんな事を受け入れれるのだろう。やはり私より大人だから?

 

「確かに、カイエン公の大増税は痛かった。あれ以来、オルディスからの品物の物価は三割増しさ」

 

 昼間の食料雑貨店の値札を思い出す。トリスタでは値札の貼り間違いを疑う位のまず考えられない値段、リフージョに比べてもかなり高かった。

 

「だけど、今度は皆で狩りに行く機会が増えたし、新しい畑を耕したりもし始めた。それに暇があれば釣りに精を出したりね。人はそうやって、暮らしていくんだよ」

 

 それは帝都近郊に出た私がいつの間にか忘れ去ってしまっていた、故郷のもう一つの姿だったかもしれない。

 

「この島は殆ど導力化されていない。明かりは未だランプだし、暖は薪でとる。銃も火薬式も多くて、通信機なんてありゃしない。この灯台と船位じゃないかな、導力器を使ってるのは。多分、五十年、いや百年前と比べても大して生活自体は変わってない――それに、これからも何かが劇的に変わるという事も無いと思う」

 

 そう続けたアルマン軍曹の横顔は優しかった。

 

「それが、この島の人の答えさ」

 

 それは今までの言葉が彼だけの考えではない事を私に理解させるのに十分だった。ブリオニア島の人々は今を、今後をもう考えて、そして、受け入れているのだ。

 故郷のリフージョの人々も、こんなことを考えていたのだろうか。しかし、外の世界をつい数か月前に士官学院に行くまで殆ど知らず、危機感も何も無かった私にはそれは分からない。

 だが、思い当たる節はあるのだ。四月の初めての特別実習から帰って来て、勢いのまま私がお祖母ちゃんに出した手紙への返事。その手紙の文面でのお祖母ちゃんは、いつも通りだった。

 

「私は……私の故郷はブリオニア島よりずっと南の辺境です……でも、すごく此処に似ているんです」

「パルムの近くってルカ隊長が言ってた。とっても良い場所なんだろうね」

 

 私は彼の言葉に頷いて続ける。

 

「でも……人はどんどん減っていっちゃって……」

 

 私が知っているだけで、両手両足の指の数より多くの人がこの三年で村を出た。実家の店の売上は今の所は緩やかではあるものの二十年以上右肩下がり。

 

「私は、故郷がいつか無くなってしまうなんて嫌です」

「君も大概わがままな子なんだね」

 

 言葉は厳しいが、でも声色は柔らかかった。冗談っぽいけど、私の心には十分だ。

 

「確かに……そうですね……私だって村から出て行っているのに……」

「でも、そうやって故郷を離れてもその土地の事をちゃんと考えてくれている人が居るってだけで、君の故郷はきっと幸せな場所なんだと思うよ」

 

「僕なんて本土に出て兵隊になったらそれっきりだったから」、そう続けるアルマン軍曹は自嘲的で、何故か私は少し哀しかった。

 

「若い時はこの島は嫌いだったんだよ。毎日毎日代わり映えのないど田舎の辺境の日常――」

 

 確かに思ったことがないとは言えない。私はあの故郷の村が大好きだけど、それでも都会への憧れはやっぱりあるものである。出来ればパルム市や帝都に生まれたかったなんて思ったことも一度や二度ではない。

 

「でもね、色々あって……もう最後はこの島に帰るしかなかったんだけど……そんな僕でも皆は暖かく迎えてくれた」

 

 話しながら踊り場の手摺にもたれ掛かり、島の集落を眺めていた彼が、この灯台に併設された彼の住む建物に目を落とす。

 

「だから、僕にとってはどんなに人が減っても故郷はこの島だけなんだ」

 

 幸せそうな横顔というのは、今の彼の様な表情を言うのだと思う。

 今日この場所で、私はこの年上の元兵士から色々な事を学ばされた。だけど、今は何故かそれを素直に認める事も、受け入れる事もしたくなくて、気になっていた”あの人”の事に突っ込む事で逃げた。

 

「……それに、ロミーさんも居ますしね」

「あ、あれ?あはは……酒場で聞いた?」

「……実際、バレバレですよ。歯ブラシ位仕舞っておいて下さい」

 

 最初にこの灯台に入った時から微妙に気にはなっていたのだ。一人で住んでいるにしては妙に家具や生活用品が多く、使われてそうな寝室が二つあった。

 まあ、今日の酒場の手伝いでやっと完全な確証を得たのも確かでもあるのだけど、それを認めるのも癪過ぎる。

 

「……でも、二人はその、恋人ではないんですよね?」

 

 昨日の朝は友達以上恋人未満と思っていたのだが、実際確信は持てない。恋人や夫婦なら一緒のベッドで寝るだろうし、仮にそうでなくても寝室が別というのは中々寂しいような気がする。

 やはり、この灯台で一緒に暮らしているが、恋人との同棲というより友達と一緒に住んでいるという方がしっくり来そうな感じだ。

 

「そうだね。小さい頃から知ってる幼馴染……って所かな」

「告白しないんですか?」

 

 口にしてから少し後悔したのは、告白の有無という問題なのか一概に分からなかったからだ。そういう発想に行くこと自体が私が”子供”な証拠が気がする。

 

「いや……そのさ、ずっと一緒だとなんかそういうタイミングが分からなくてさ」

「ロミーさんはずっと待っているんだと思いますよ。だって幼馴染なんですよね?」

 

 幼馴染とはこと恋愛においては厄介な関係だった。彼の言う理由も良く分かる。タイミングなんて分かりっこなかったし、いい雰囲気なんて滅多に無かった。

 そして、仮にここだと確信できる時、どうしてもその関係を壊れることへの恐怖に、その先に進めなくしてしまうのだ。ぶっちゃけ、それは相手もお互いに一緒かも知れないけど――ただ私も待っていた側だったからこそ、ロミーさんに肩入れしたくなってしまうのだ。彼女からしたら、余計なお世話と思われるかもしれないけど。

 

「……でもさ、エレナちゃんのような若い子と違って……その、もういい大人なこんな歳になると結婚とか考えない訳にはいかないんだ。そう思うと、僕なんかよりもっと良い人とじゃないと後々大変になって後悔――」

「多分、ロミーさんがそんな事で後悔する人だったら、もうとっくに違う人と一緒になってます」

 

 私ですら故郷に居た時は、『フレール坊やが居なかったら嫁の貰い手が居なかった』なんて真顔で言われていたりしたのだ。二十五歳のサラ教官があれだけ気にしているのも考えると正直、三十歳まで独り身でいたら周りからの圧力は半端な物ではないのではないかと思う。

 

「……私はこの歳でも結婚したかったですよ。幾ら大人になっても大好きな人と一緒になりたい気持ちって、変わるものですか?」

 

 今はあんまり出てきて欲しくないのに、脳裏には笑ったフレールお兄ちゃんが浮かぶ。よく考えたら……私、本当に嫁の貰い手が無くなったんじゃ……。

 いやいやいや、まだ十六歳なのに何を心配しているんだ。結婚なんてまだまだ先の話だ。

 

「だから――私達が帰った後……伝えてあげて下さいね」

 

 この二人は一緒に住んでるぐらいだし、その内成り行きで結ばれそうだったけどね。

 それでも、一瞬だけ、とても良い事をした気分になる。とても独り善がりな気持ち。

 

「はは……エレナちゃんといい、ルカ隊長といい……君たち父娘には本当にお世話になりっぱなしだ」

 

 最初の笑いは少し乾いていたかの様に思える

 

「君のお父さんには本当にお世話になったんだよ」

「軍で、ですか?」

「まあ、部隊でもお世話になったんだけど……一番助けられたのは戦争が終わった後かな」

 

 そこからアルマン軍曹が紡いでいった話は、私にとって衝撃的な話であった。

 予想外の敗戦が帝国の内外に激震を走らせたのは、日曜学校に行っていなくても誰もが知ることだ。だが、過ぎ去った過去として最近ではもう話題になることも少ない戦争。その戦後の帝国の姿は、私が知っているこの国の姿ではなかった。

 

 責任追求という名の血の大粛清の嵐の吹き荒れる傍ら、無様な敗戦に打ちひしがれ自暴自棄に陥った市民が通りという通りに溢れる浮浪者と化した帰還兵に罵声を浴びせる――十二年前の冬の帝都。

 

 アルマン軍曹は右腕右脚に傷を負った戦傷兵だった。だが、当時の世間の目は本来帝国の為に戦い負傷した傷痍軍人にも厳しく、その当時は碌な規定された見舞金も出る事無く除隊することになったのだという。

 彼はかなり慎重に言葉を選んでいた様だが、それでも途方も無い苦労を冬の帝都でして来た位は分かった。

 

「そんな時だよ、偶然ルカ隊長と会ってさ。話を聞いてくれて、励ましてくれた。あの時、真っ暗だった僕に光が差した様な気がしたんだ」

 

 懐かしそうだが、本当に真剣な瞳だった。まるで話だけを聞けば、お父さんがとんでもなく偉大な人みたいではないか。十二年前と言えばお父さんもまだまだ結構若く、当時十代後半のアルマン軍曹ともそれ程歳が離れている訳でもないのに。

 

「本当に凄い人さ。今思えば奥さんを亡くして大変な時期だっただろうと思うのに……」

「……あ……そうですね……。私は小さかったのでよく覚えてはないんですけど……」

「……そっか。でも本当に……本当に哀しい事だったと僕も思ってる」

 

 目を伏せ、深く哀しみを噛みしめるようなアルマン軍曹。その反応は実の娘である私でも少しオーバー過ぎる気がした。十二年も昔の事だったこともあり、私自身が当時の事をよく覚えていないというのもあるが、今となっては特に気にしていない。いつの間にか、お母さんの姿は優しくて暖かい漠然とした物に変わり、実はもう思い出せないぐらいだ。

 仮にもう少し大きかったら、お母さんを放ったらかして従軍したお父さんを憎んだだろうか。いや、それも無い。お母さんはきっと笑顔でお父さんを送り出した筈だから。

 それに私もお母さんの死に立ち会うことは出来なかったのだから。

 

「そんな、アルマン軍曹がそこまで気にすること無いですよ。母は重い病気でしたし、父もそれは分かって戦地に向かったのだと思います」

「……え?」

 

 隣で胡座をかいて座っていたアルマン軍曹が目を見開いて、私を見る。

 

「どうかしましたか?」

「……あ、いや……なんでもないんだ」

 

 そして、直ぐに「そうだ」と話題を変えた事に、少し強引過ぎるように感じた。

 

「ルカ隊長って今でも正規軍に居るんだよね?いい機会だから久しぶりに手紙を送ってみたいんだ。お父さんの部隊とか、分かる?」

「えっと、ガレリア要塞に居ることは知っているんですけど……ちょっと待って下さいね」

「東部国境か……正規軍の最精鋭じゃん」

「そんなにですか?」

 

 詳しくは覚えていないお父さんの所属する部隊名等の連絡先の書き留めてある学生手帳のページを開いて彼に手渡した。

 

「実は私、お父さんの事あまり知らないんですよね」

 

 私のお父さん、ルカ・アゼリアーノはお世辞にも娘の私にとって良き父親なのかどうかは分からない。帝国正規軍の軍人として立派な職に就いている事は娘として誇らしいけど、家には殆ど帰って来ないし、手紙を寄越す事も半年に一回あれば良い方。

 私が最後にお父さんと会ったのは、まだ村にフレールお兄ちゃんが居た頃だからもう三年以上も前の事だったりする。その時もたった二、三日しか家には居なかった。

 どうして私の周りの男共はこうも自分勝手なのだろう、と頭を抱えたくもなる。

 

 ――訂正、私は実はお父さんの事を何も知らないのかも知れない。実の父親なのにも関わらず。

 隣で胡座をかいて座る軍曹を横目に、私はそんな気持ちを抱いた。




こんばんは、rairaです。

前回の真夜中の戦闘で完全に疲弊してしまったB班、今回はブリオニア島のオリジナルキャラクター達とエレナの会話が主となります。

複雑な悩みと迷いを抱えるラウラとフィー、そしてエレナへの言葉は人生の大先輩であるバロン・レイクロードに語って頂きました。
Ⅶ組は本当に青春という感じがしますね。ええ…私も、もうなんというかもう戻れない過去の事を思い出して懐かしいぐらいの。

一章のケルディック、二章のバリアハートで取り上げた”増税”と”故郷”のお話の一つの答えがアルマン軍曹の語るブリオニア島の進む道です。
全てを受け入れるというのは、”大人”の答えなのでしょうが…ただ一つ言えることは、この問題は現実でも正解はあり得ないということでしょうね。ある意味では、現実を一番直視した答えとも言えますが。

次回はおまけ編でもある三章最終話となります

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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