灯台の光が少しだけぼんやりと明るい東の水平線上を走る。
この島から対岸の大陸まで約300セルジュ――あの向こうに帝国の北西領土がある。私が初めて帝国の地を踏んだ場所もそこから比較的近く、生まれた場所もそう遠くは無いだろう。
私がまだ生まれる前の話――今から約二十年前、帝国の北西にあった一つの自治州で火種が燻った。経済危機や難民問題が主な原因として上げられるが、帝国の辺境地域の一部となって平穏を取り戻した今となってはその辺りの暗い過去の事情が深く語られることも無い。だが、その火種こそが、今日では北西動乱と呼ばれる、十年以上も続いた一連の紛争の幕開けであった。
第一次北西動乱では内紛が泥沼の状況に陥った自治州政府からの要請を受けて、帝国は軍事介入に踏み切った。
私のお父さんは、その第一次北西動乱に正規軍兵士として従軍した一人で、戦地で人助けをしていたリベール人のお母さんと出会ったらしい。
自治州の全域が帝国軍の占領下に置かれて内戦が沈静化した後、自治州との協議の結果、帝国は治安維持の為に軍の駐留を五年間継続した。
お父さんとお母さんはそんな間に恋をして、結婚をして、私を生んだのだろう。
十六年前に自治州の首都で生まれた私は、帝国正規軍の撤退によってお父さんの実家のある帝国南部サザーラント州のリフージョへと家族と共に移り住んだ。
それが、始まり。
ただただ灰色で寒くて曇り空の多い記憶が、暖かくて色鮮やかで楽しくて――私の中の幸せな時間の記憶に変わる瞬間。
ふと、空を仰ぐ。
ほんの少し前までは、星空を見ることが好きだった。
故郷に居た頃と比べると色々と変わってしまった私の世界。でも、星だけはいつ見ても変わらなかったから。
同じ星空を通して大切な、大好きな人達と繋がっていれていると思えば、辛い時でも頑張れたから。
それがどうだろう。
もう泣かないと決めた日を境に、私は星を見る度に夜の闇に飲み込まれるかの様に暗い気持ちに沈んでいく。寝る前に窓枠に頬杖を付いて眺めていた日々は、今思えば細い糸に縋るように繋がりを欲した虚しい思い込み。
私はある事に気付いていた。
あんなに辛かった胸の痛みが、気付けばとても軽くなっていた事。もう失った痛みには慣れてしまったのだろうか。
ああ――そういうことなんだ。
あの日、どん底に叩き落とされたと思った後も、現実的に私の周りで何かが変わった訳ではないのだ。
寂しくてどうしようもない夜に彼が傍に居ないのはいつもの話で――私と彼は今も昔もただの幼馴染で――結局、表面上は何も変わってない。
大好きだった彼を他の女に奪われたと思っても、彼が私の物だった訳ではない。恋人だった訳でも、結婚していた訳でも無いから。
私の十三年間は意味を失った。
諦めが大切というではないか。嫌な事は忘れることが良薬と言うではないか。
私は、忘れたいんだ。
そう考えると、心が軽くなったような気がした。
「はは……そうゆうことなんだ……」
抱えた両膝に顔を埋めて、わざと声に出して呟いた。
悲しさでいっぱいで張り裂けそうだった胸には、いつの間にかぽっかりと穴が空いていて――痛みはどうしようもない空虚感と孤独感に取って代わられていた。
そんな寂しさを埋めてくれるように丁度良く声を掛けられたのだから、不覚にも嬉しさは隠しきれなかった。
つい先程まで私とエリオット君はアルマン軍曹の指導という見守りの元、灯台に光を灯す作業を課題としてこなしていた。
二人で分厚いマニュアルを読んでもなお、導力圧の調整に苦しんでしまったり、日頃聞き慣れない”スタビライザー強度”などという導力関連の専門用語が分からなかったり。何とか日没前に灯台にお仕事をさせてあげることが出来たのだが、こういう時にマキアスの知識があればと少し恨んだ位だ。
アルマン軍曹といえば、軍に居た頃に灯台の操作を教わったお爺さんに怒られた、なんて椅子で寛ぎながら昔話を話すだけだし。まあ、お父さんの話も少しあったので興味はあったのだけど。
そんな課題の話をしたり、今この場に居ない三人の話をしたりしていた時――
「あっ……! 流れ星……」
「どこ?」
エリオット君の声に反応して、私も咄嗟に夜空を仰ぐ。
そこにあるのは満点の星空だが、残念ながら彼が見た流れ星は見つけれなかった。
「お願い事、した?」
「はは……ちょっとだけね。三回は言えなかったから、叶わないと思うけど……」
「どんなこと……?」
苦笑いするエリオット君を見て少し迷ったが、私は”願い事”を尋ねた。
「うーん、難しいけど……なりたい自分になれたら……かな」
「なりたい自分……」
繰り返すように私の口から溢れる。エリオット君の”なりたい自分”の姿は、一体何なのだろうか。そして、私自身の事も考えてしまう。
少し深めに思案してしまっていた私を引き出したのは、何故か目を合わせてくれないエリオット君の遠慮がちな声だった。
「エレナは……その、やっぱり軍に進むんだよね?」
「うん、多分ね」
「親の後を継ぐのを期待されて……だったりするの?」
先程まで逸れていた彼の碧翠色の瞳が、真剣な色を帯びて私に注がれる。不思議と私は否定的に思われていると感じ、あんなに優しそうで女子みたいな彼がこんな目を出来るのかと内心驚いた。
「期待されてるのかなぁ……私も別に後を継ぎたいって訳じゃないんだけど……。まあ、皆がそうしてるからっていうのは……ダメだよね……?」
私が軍を志望する理由はこれといって無い。
ただ、帝国において正規軍・領邦軍問わず、軍人の子供が親の後を継いで軍へと進むのは至極当然で誇るべき事と思われている。
だから、それに倣って私もお父さんの後を継ぐという事にしておけば、周りからの受けも良いので、何度となく都合の良い理由として使っていた。
実際、他に自分がなりたい職業がある訳でも無い。実家のお店を継ぐのも良いだろうが、それでは何の為に士官学院を卒業したのだという話になってしまう。そして、私のなりたかった本当の将来の希望だった道は光を失った。
自分の事なのにはっきりと答える事が出来ずに、逃げるように冗談に走っても反応してくれず固い顔を続けるエリオット君。私はどうすれば良いか分からなかった。
「確かにちょっと前までは、他の事も、ちゃんとした夢だってあったんだけど……不思議だね……」
「……諦めちゃったの?」
小さく頷いた私に向けられていた彼の瞳が揺れた気がした。
士官学院を無事卒業出来れば、自ら拒否しない限りは確実に軍の士官として任官を受ける事が出来る。自分でも必ず進める道を選んでおきたい私は、既に敷かれたこのレールを走る列車にしっかりと乗り、進行方向をだけを見ていれば良い。もう後ろを振り返る必要もない、ちゃんと順調に走れているのだから。
自分探し――初めての特別実習の夕食の席で、リィンは彼の入学動機を語った。その気持ちは良く分かるけども、私にそんな事を考えて口にする勇気は無い。
「エリオット君は……なりたい自分はもう諦めちゃった?」
「……やっぱり、結構難しいかな」
苦笑いを浮かべるエリオット君。
「残念だけど、夢を叶えれる人は一握りだと思うし、こればっかりは仕方無い事だって……どこかで妥協しなきゃいけないんじゃないかって、今は思ってるよ」
私と彼の”なりたい自分”は違うだろうが、その彼の言葉には同意せざるを得なかった。
でも、私には彼が諦めている様には思えなかった。
だって本当に諦めてたら、私の様に”なりたかった自分”になる筈だから。
「私は……エリオット君なら大丈夫だと思うよ」
「あはは……僕一人の問題だったら良かったんだけどね……」
「…………ごめん……」
気にしてない風に笑って流してくれるエリオット君に感謝する。
今のはかなり迂闊で、私の言葉は無責任過ぎた。
少し気まずい空気が流れた間が過ぎた後、彼は話題を変えた。私としては少し落ち込む。
折角、彼は灯台からこの海岸まで降りてきてくれたのに。
「そういえば……ラウラとフィー、やっぱり難しそうだね」
それは午前中の北島での事だろう。戦いを終えた後、彼女達は二人の間では一言も言葉を交わさなかったのだ。
「色々と抱えてるから……二人共」
「でも、それはエレナも……じゃない?」
「……そうだね」
否定はできない。ここ一週間で立て続けに起きた事に、もう疲れているのは確かだった。
「やっぱり、Ⅰ組のハイアームズ家の人に言われた事を気にしてるの?」
「それは――」
「あんな酷い事言われたんだもの、気にして当たり前だよ。でも――」
「私、別にパトリック様に言われたこと、それ程気にしている訳じゃないんだよ」
エリオット君の言葉を私は遮った。
「実際、本当の事だから。外地の北西生まれだし、お母さんは外国人。それに実家は最辺境」
驚いた様なエリオット君の顔。あの後、私に何があったかを知らない彼にとっては、それ程意外だったのだろう。
ちょっと笑ってしまう。優しい彼の事だ、もしかして私を慰めてくれるつもりだったのだろうか。仮にそうだとしたら、慰め甲斐の無い女で少し申し訳ないと思う半分、可愛いだなんて思っていた私は、彼が次に見せた顔に驚かされた。
先程、将来の話をしていた時に一瞬見えたのと同じ真剣な表情。しかし、今度は否定的な色は感じさせず――まるで、私に全てを話すように促していた。
今、心にある想いを言葉にして出してしまえば、私は認めることとなる。もう目を背けることも出来なくなり、現実のものとして私は受け入れ、背負っていかなければならなくなる。
ね、そんな顔されたら、私、頼っちゃうよ。甘えるよ?
碧翠色の瞳から視線を動かせない、まるで吸い込まれる様に――引き込まれるように。
彼は小さく頷いた。言葉は交わしてないのに、まるで私の中の不安を察してくれたかのように。
「私さ――」
少しの間だけど、こんな私をお願いします。
「――失恋しちゃったんだ」
もう早く忘れてしまいたいのに、忘れたくない甘くて幸せな思い出達が呼び起こされ、慣れた筈だった激しい痛みと哀しみと共に脳裏を走馬灯の様に走る。
私の抱える”今”と”望んだ未来”が恐ろしい速度で、”過ぎた過去”へと変わってゆく。
「休んだ日、あれ、体調不良でも何でもなくてサボりなの。あの日、前の晩にお祖母ちゃんから手紙が来てね」
あの日を思い返し、胸がズキリと痛む。本当によく泣いた日だった。まだ赤ちゃんの方が泣いてないと思うぐらい、私は夜通しで泣いた。あんな辛い思いは人生で初めてだったと思う。
再び、胸が痛む――まるで突き刺された氷の槍で抉られる様に。だけど、ここで辞めるわけには、もういかない。
「大好きな人がいて、ずーっと好きだったんだけど、結婚するんだって」
ああ、もうそんなに思い出させないでよ。フレールお兄ちゃん、あなたは私じゃない違う人のものなんだから――頭の中に浮かぶ幼馴染に文句をぶつける。
「まあ、私みたいな子供をずっと相手にしてくれるとも思ってなかったし……そりゃあ、男の人から見たらもっと美人さんの方がいいだろうし……誰かを恨んでるわけじゃないの。もう分かってたから……自分でそれを認めたくなかっただけで……」
こんなに辛いなんて。いざ言葉にすると、こんなに”過去”の思い出の一つ一つが痛いなんて。目頭が熱い、泣かないなんて決めたけど、どうしたら耐えれるんだろう。
どうして、私がこんな思いをしなきゃいけないんだろう。もう……早く忘れたい。
ね、エリオット君。もう、私、泣きそうだよ。
私はずるい。
隣に座るエリオット君に優しい言葉をかけて欲しくて話すのだから。
口に出して認めることで全てが現実のものになってしまう、それに対して優しく包み込んでくれる言葉を期待して。
惨めな負け犬の姿を晒せば、彼はきっと無下には扱わない――なんて打算的で、ズルいんだろう。
私は縋るように彼と再び目を合わせる。早く……。
「――エレナはよく頑張ったんだと思うよ」
静かにそう言ってくれた言葉はとても優しくて、認められた様で嬉しくて、でも、その言葉は身を委ねるには甘すぎた。
「頑張ってなんかないよ……。私はとっくの昔に諦めてたんだから……今すっごく感じてるのはね、認めることってこんなに辛い事なんだなって……こんなのだったらやっぱり忘れちゃったほうが何倍も楽だったんだって……」
私は分かっていた。あの涙は悲しさからの涙である以上に、悔しさの涙だった。
彼と結ばれるどこの誰だかわからない人。彼女と私は同じ土俵にいたと思い込んでいただけで、実際は違う。とっくの昔に、私は土俵から降りていた――いや、土俵には一度たりとも上がれていなかった。
私はずっと前から悟っていたのだ。いつかこの日が来ると。
五年前のあの日からか、それとも三年前に彼が村を出た時か、それとも最後に会った3月30日か――いずれにしろ、私の心の片隅には常に諦めという感情が居座っていた。だから少しでも長く彼との心地良い時間が欲しくて、幼馴染という特別な関係に固執してしまっていたのではないか。今ではそう思える。
「それでも、好きだったっていう気持ちには嘘を付くべきじゃないと思うよ。だって――忘れたくないんでしょ?」
「――!」
どうしてここ迄心強いのだろうか。
まだ次の一歩を躊躇する私という迷子の背中をそっと押してくれていた。
全ての思い出をしっかりと大切な過去にして、前を向いて歩いて行く。過去の蓋を閉じてしまう訳でもなく、縋るわけでもない一番辛い道を選ぶ。
私がエリオット君から顔を背けて、一体どれくらいの時間が経ったのだろう。
その間、私も彼も一言も言葉を発すること無く、つい先程まではあまり気にならなかった波の規則的な音だけが真夜中の海岸に響く。
「ずっと元気無さそうだったから。やっぱり心配だったんだよね」
「心配かけてた事は……知ってた」
でも、この事に関してはどうしようも無かったのだ。それを、言葉にしたら失恋を現実に認めてしまう事になるから。
「でも、話してもらった僕はエレナを支えるよ。だってほら、仲間でしょ?」
その言葉は前に彼から貰ったクインシー・ベルのミルクチョコレートより甘くて優しかった。
そして、まるで心を見透かされたような言葉に、恥ずかしさから頬が一気に熱せられる。
「……もーぅ、エリオット君は優しすぎるよ……」
思わず照れ隠しが混じる。夜の海風はとても涼しいのに、火照った私を冷ましてはくれない。
私から人一人分ぐらいの間を開けて座るエリオット君にはにかむと、丁度視線が合ってしまう。
ぴったりと瞳を釘付けにされて、もう一つ自覚する。私は人肌恋しいという感情を今まで過小評価していた事を。
今、私がエリオット君に抱き付いたら、きっと彼は受け入れてくれる。彼は優しいから。
きっと優しく抱きとめてくれると思う。
アリサもそうだ、リィンもきっとそう――そして、私の隣にいるエリオット君も。Ⅶ組のみんなは本当に優しい、だから甘えたくなってしまう。
もしかしたら一昨日の晩、フィーに抱き付いてしまったのは寂しさからなのかもしれない。今だって、私はエリオット君を相手にそんな衝動が生まれるのだ。フレールお兄ちゃんを失って独りになってしまったのを暖めて欲しくて。
「えっと……一つ忠告。失恋した女の子にあんまり優しい言葉を掛けないこと。私じゃなかったら、都合の良いように勘違いされちゃうよ?」
自分で言っていて、本当におかしい。優しい言葉をかけて欲しくてエリオット君の前で本当のことを告げたのに、いざ彼の優しさに触れたら恥ずかし過ぎて――。これは同時に私自身への警告だ。
それでも、自分が特別扱いされてるって思いたくなってしまうのだから、やっぱり私は本当に身勝手な寂しがり屋なのだと思う。
・・・
遠く離れた高原で、同じ夜空を見上げる少女がいた。
思い返せば昨晩と全く同じ状況だが、彼女の纏う雰囲気は少し違う。
俯いているか、見上げているか、たったその程度の違いで、こうも受ける印象が変わることにリィンは少なからず意外に思っていた。
昨日の様に何かを抱え込む姿とは異なる形で、夜の月明かりが彼女を引き立てている。
「アリサ、今日はお疲れ様」
「ふふ、貴方も。それにしても……どうしたの?こんな所に」
リィンに声を掛けられたアリサは、小さく笑いながら振り返る。そして、一人で自らの所に来てくれたリィンに少しの期待を抱きながら訊ねた。
アリサの記憶が正しければ、テントの中でガイウス達と楽しげに話を弾ませていた筈だった。つまり、そこからわざわざ抜け出して来てくれた事になるのだから。
「ああ……サラ教官に少し聞きたいことがあったんだが……アリサは見ていないか?」
共和国軍との交渉の件、ギデオンと名乗った首謀者の事、リィンは今日の件で色々と彼女に聞いておきたかった。
なんともタイミング良く、夕飯前にシャロンさんを連れたってノルドの集落に来た時は驚いたが、大方深刻な事態を受けて学院から急行してくれたのだろう。お陰で帰ってからと思っていた話が今出来る。
そんなリィンの考えなんて知ったことじゃないアリサは、小さな溜息をついてから応えた。
「……サラ教官?見てないわね……」
「そうか……」
周りを見渡すリィンを横目に見ながら、仄かに抱いてしまった期待を中々捨てれないアリサは一つの提案をした。
「その……一緒に探す?」
「いや、いいさ。シャロンさんとグエンさんも居ないみたいだから、もしかしたら三人とも一緒に居るのかもしれないしな」
「……そっ……」
提案を断られ、少しぶっきらぼうな返事をしてしまうアリサ。ただ、彼女としては実際それ程乗り気ではない提案だったので、内心としては微妙だ。
そんな、彼女自身でもよく分からない複雑かつ微妙な心境を変えたのは、少しの沈黙の後にリィンが発した一言であった。
「星を見てたのか?」
「ええ、ずっと見てても飽きない位素敵なんだもの。……それに……」
見上げた方が良いって貴方に言われたし、続けようした言葉に途中から恥ずかしくなり、次第に声を小さく言葉も不明瞭にしてしまうアリサ。
勿論、密着している訳でもないリィンにはそんな小さな声が聞こえる筈が無いのだが、不思議なことに見る側を変えれば、彼が鈍感で受け取ってくれなかったという扱いになる。
だから、ただ頷いて同意しただけの彼にアリサは肩を落とした。
「もう特別実習も終わりだけど……B班の方は、ちゃんと上手くいってるのかしら」
「ラウラとフィーか……」
「それに、エレナもあんな感じだったから……」
ノルドでの特別実習や仲間との会話を通して、アリサは確実に前に進めた気がしていた。色々な悩みや戸惑いといった自らが抱えるもの――まだ答えは出せなくても、道筋は確かに今、見えている。だからこそ、未だに迷う今此処こに居ない仲間達の事が気になるのかも知れない。
そうでなくてもアリサは、実技テストの日から色々と頭から離れないのだ。彼女がシャロンから新型のアサルトライフルを受け取っていた時は、ガイウスのお陰もあってかそれ程引き摺っている様子は無かった。なのにも関わらず、あの出発前日の金曜日の朝のエレナは明らかに尋常ではなかった。
「エレナか……やっぱり、アリサも何も聞いてないのか?」
「ええ、『もう少し待って』の一点張りだったわ。無理に聞くのもどうかと思うし……あの子、一人で抱え込んじゃうから心配なのよ」
「……そうだな」
リィンは、アリサも同じだから俺も心配だ、という言葉を飲み込む。アリサが真剣に心配しているこの場に冗談はそぐわないし、仮に口に出したとしても昨晩の様に同じ言葉で返されるのが目に見えていた。
「アリサはエレナの事、ちゃんとよく見ているんだな」
面倒見の良いアリサの事だ、この特別実習の間も頭の片隅ではずっと心配していたのだろう。本気で心配する彼女の姿は、リィンから見ればまるで妹を心配する姉の様にも思えた。
まあ、そんな彼女もつい三十分程前にはこれでもかという位にシャロンに良いように弄ばれており、それと対照的な姿に少し可笑しくも思うのは内緒だ。
「まあ、あれだけ一緒に居ればね」
はにかむアリサ。
確かにリィンから見ても二人は入学当初から仲が良い。どちらかと言うと、アリサが懐かれてるという表現が正しいような気もするが。
「でも、私が心配しているのはエレナだけじゃないのよ?」
「……ラウラとフィーの事か?」
「まったく……」
私の事を分かっていない――そう心の中でぼやきながら、アリサは今日一番の深い溜息を付く。そして、その綺麗な紅輝石をジト目にしてリィンへと向けた。
リィンには、いつもの様にアリサを不機嫌にしてしまったのかと脳裏に過る。
「――私は貴方の事も心配してるのよ?」
アリサの表情は呆れ半分ながらも柔らかく、その瞳はとても優しかった。
自分の事に関しては鈍感なんだから、と続ける彼女。
「……その、なんだ……」
リィンは一瞬、言葉が詰まった。
「エレナもそうだけど、リィン、貴方も……」
「ハハ……だけど、俺もこの実習で気が晴れたよ」
「確かに昼間はすごく頼もしかったわ。リーダーさん?」
少し冗談っぽくからかうようなトーンのアリサに、頭を掻いてからリィンは夜の高原のスカイラインを望む。
「照れくさいからよしてくれ……。俺だけの力じゃない――ガイウスとユーシス、委員長……それにアリサの、此処を絶対に守ろうと思う皆の力が合わさったから、ノルド高原……ガイウスの故郷を守れたんだ」
「私達、守ったのね……」
仮に共和国軍との国境紛争ともなれば今、此処は戦場となっていただろう。この雄大な大地は燻り、美しい星空は煙に巻かれていたかも知れない。ガイウスの一族の遊牧民達は避難しなくてはならないだろうし、帝国軍や共和国軍からは更に多くの血が流れたことだろう。
これもⅦ組を信頼して時間稼ぎをしてくれたゼクス中将、手助けしてくれた小さな女の子――そして、赤毛の情報将校の力があってによるものも事実だが、それでも彼らの役に立てた自分達が今は少し誇らしかった。
「この星空とも明日でお別れね。ふふ、そう考えると名残惜しくなるわ」
「そうだな……また、いつか皆で来れるといいな」
ええ、と同意するアリサ。
「少しずつだけど、俺も前に進めているんだって、今はちゃんと思えるよ」
良かった、と零して微笑むアリサに、リィンは自らがどれだけ彼女に心配をかけていたのかに気付いた。
思えば実技テストの日の夜遅くに彼女が部屋を訪ねて来て以降、よく傍に居てくれるとリィンは感じていた。一緒に登校をするお誘いともいい、それだけ心配をさせてしまったのだろうと。
「昨日の夜、こんな風に話してなければ、俺はまだ迷ったままだったかも知れない――」
リィンはそこで一回、瞼を閉じた。そして、隣に居る少女を向く。
「――そう考えると、アリサのお陰だな。俺からも、ありがとう。」
最初、頬を少し赤くしたアリサは、小さく笑った。
――どういたしまして――
アリサはそんな言葉と共に、昨晩と同じ胸の高鳴りを覚えた。
仲間とは別に、リィンの助けになれて嬉しい。今の二人っきりのこの時間がとても心地良い――名前だけは知っていても、初めての自分にはよく分からなかったこの気持ち。それを、アリサは初めて強く意識した。
その夜は、遅くまで眠れなかった位に。
こんばんは、rairaです。
新しい執行者が出るんですね。何やら相当強そうなヴィジュアルと…その胸板がなんか…いえ、なんでもありません。ただ、レーヴェ…と思ってしまったのは私だけでは無い筈。苦笑
さて今回は三章ブリオニア編の最終話となります。
エレナが外国生まれの理由と帝国へ移り住んだのはこういった理由でした。
その後はまたもや一人で迷い、やっとエリオットに背中を押して貰った形になります。いつもの事ながら面倒臭い子ですね。
エリオットって可愛い系と思えば、何気にイケメンさんですよね。四章のエピソードは大好きです。
今回のお話を書くに辺り、とある読者様のご感想から頂いたアイデアを使わせて頂きました。ありがとうございます。
個人的には、やっとアリサとリィンが書けて嬉しかったです。次回からのことを思うと本当にワクワクしてしまったり。ええ、色々と書きたいことが沢山あったりします。
次回からは四章の帝都編となります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。