光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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第4章
7月17日 お調子乗りの悪戯心


「人工呼吸もそうだけど……」

 

 サラ教官が何か良くないこと事を考えているのはすぐに分かった。

 

「まずは、リィンとアリサあたりで試してもらおうかしら?」

 

 その瞬間、アリサの背中が魚の様に跳ねる。

 

「サ、サラ教官っ!」

「あのですね……」

 

 私からは後ろ姿しか分からないが、この二人の反応の差は何なのだろう。

 リィンは本当に鈍感というか……もう少し慌ててみてもいいのに。ちょっと、私の悪戯心に火が付いた。

 

「いけーアリサー! キー……」

「うっさい!」

 

 最後までは言わさないという明確な意思が、これでもかという位大声になってプールに大きく響く。ほんのちょっとだけ振り向いた顔は、よく熟した食べ頃の林檎の様に真っ赤っ赤だったけど。

 

「冗談よ、冗談。見学も煽らないの」

 

 先程とは声のトーンがまったくと言って良い程違った。なんというか、呆れというかそんな感じだろうか。まあ、二十五歳彼氏なしのサラ教官としては、無茶振りしてみたはいいけど、実際はあんまり面白く無い物だったのかもしれない。

 

「でも、やり方だけは教えておくからいざという時は躊躇わないように。異性同士でも同性同士だったとしてもね」

 

 異性でリィンが、同性でアリサが思い浮かぶ。

 人工呼吸なんて言い方はするけど、実際は、その、キス……とも考えれるのだろうし……。

 ……果たしてどっちがハードルが高いのだろうか。私は曇った一面のガラス窓を眺めて考え込んだ。

 

 いやいやいや、なんで私はこんな事を考えているんだろう。少しやましい妄想に入りそうになって、慌てて思考を現実に引き戻した。

 

 いつの間にか月は変わり、早いもので早二週間が経った。

 七月に入ってからは夏日も続くようになって制服も夏服の生徒が多くなったし、水泳の授業――士官学院であるため軍事水練という名前ではあるが――も今日から始まっている。

 まあ、私といえば初日から見学なんだけど。

 

 

 ・・・

 

 

「エリオット君、がんばれーっ!」

 

 プールサイドの終点側から私は声援を送っていた。

 青色の水を必死に掻いてこちらを目指して泳ぐ彼からは聞こえないかもしれないけど、それでも運動は苦手なのにちゃんと頑張るのは偉いと思う。

 私なんて水着を忘れた事に気付いた時には、ヤバいと思うより先に喜んだ位なのに。

 

 既にストップウォッチの文字盤は四十秒を経過しており――この時点でついさっきタイムを測ったアリサよりも遅く、リィンの二倍弱程掛かっている。

 

 もしタイムの数字だけ見れば、私は内心少し馬鹿にするかもしれない。でも、頑張って泳いでるエリオット君はちょっと格好良く思えた。

 だから、少しでも正確な時間を測ってあげたくて、私はプールに身を乗り出す。多少の水飛沫が顔に飛ぶのを少し我慢しながら、エリオット君が端に手を付けたのと同時にボタンを押した。

 

「はい、52秒50。お疲れ様っ」

「うぇーっ……ちょっと情けないなぁ……」

 

 流石に疲れたのか、荒い息遣いで肩を上下させるエリオット君に労いの言葉をかける。

 

「ううん、頑張った頑張ったっ」

「はぁ……泳ぐのは本当に苦手なんだよね……」

 

 苦笑いを浮かべるエリオット君がプールサイドに上がってくる中、私は彼の身体に気を取られていた。気付かれないように、あくまで横目で。

 ついさっきコースを泳いだリィンの時はチラチラとしか見れなかったが、明らかにリィンとエリオット君が違うのは分かる。色が白いなぁとか、線が細いなぁとか、可愛いかもとか。

 

「……あはは、私も苦手だよ。仲間だね?」

 

「へぇ」と少し嬉しそうな顔をしてくれたエリオット君の言葉を遮って、「次、ガイウス」というサラ教官の声が反対側から飛ぶ。

 慌ててストップウォッチを巻き戻して、何とかギリギリ笛と共にボタンを押した。

 

「だからね、タイムなんて――」

 

 そこで私は、さっきまで隣に居たエリオット君の姿が無いことに気付いた。慌てて辺りを見渡すと右手の大分離れた場所、アリサとリィンの居る方へと向かっていってしまっている彼の背中。

 

 むぅ……サラ教官のせいでちょっとしか喋れなかった。もっと話したかったのに。

 

 先月末からエリオット君とはよく話すようになった。元々、彼とは気があっていた事もあって仲が良かったけど、あの弱味を見せて優しくしてもらった二人だけの秘密の夜以来、一緒に過ごす機会は何かと増えた。

 

 これも彼が何かと気に掛けてくれているからだろう。エリオット君は私が一人で居たら結構な頻度で話しかけてくれる位に気を配ってくれている。私も私で今でも相当彼に甘えきってしまっているのだけど、彼が私の事を特別扱いしてくれるのが嬉しくって、もっともっとずっと話していたいし一緒に居たくなってしまう。

 

 とにかく、今の私にとってエリオット君はスイーツを食べているような甘い時間をくれる存在だった。

 

 だんだん大きくなる水音、私はエリオット君の白い背中からプールへと顔を戻して、カウントを止めた。

 水から上がるガイウスに気を取られる。分かり切ってたことだけど、大きい。

 

「……どうかしたのか?」

「……あ、いや……なんでもないの……ガイウス、22秒40ね」

 

 何もしていないのに何故か悪い事をした気分になってしまい、顔を隠す様に俯きながら名簿のボードにガイウスのタイムを手早く記入した。

 

「ああ、感謝する」

 

 反対側で飛び込む準備するエマの姿を見つけ、笛の音と共にカウントを始める。そして、私はプールから三人に視線を向けた。

 

「り、理解しなくていいの! ていうか、女の子の水着姿をジロジロ見るんじゃないわよっ!」

「……いや……凝視したわけじゃ……」

 

 アリサがなんか怒ってる。どうせリィンがいらんことを言ったか、やったかだろうけど。

 ただ、なんだろう……楽しそうに話してる三人を見るとちょっと疎外感――いやいや、何を私は寂しいとか思ってるんだろうか。私は今タイム係の仕事があるから、エリオット君は気を遣ってくれたんだろうに――。

 

 溜息を付いてから、泳ぎ切ったエマにタイムを伝えて、抱えたボードにペンを走らせる。

 エマのプロポーションはやっぱり羨ましい。そりゃあ、リィンやエロ本先輩ことクロウ先輩も釘付けになるよね。

 再び笛の音と共にカウントを始める。タイム係にも大分慣れてきたのか、余所見していても仕事はこなせそうだ。

 

 少し大きくプール内に響いたエリオット君の声に釣られて、右手を見てしまう。

 どうしたのかなぁ、なんて気になる。

 

「あはは、みんなスタイルが良くて目のやり場に困っちゃうよね」

 

 エリオット君の笑い声の次に聞こえたそんな言葉に、私は自らの身体に視線を落とす。見られてたかな、なんて思うと自身が無さ過ぎて恥ずかしい――水着は着てないけど。

 エマやアリサみたいなスタイルがあればこんな不安になる事も無いのだけど、やっぱり男子はそういう子の方が好きなんだよね。リィンみたいに。

 そこから私は三人の会話に耳を凝らした。プール内でかなり反響しているので、声が聞き取れないことは無い。

 

 が、良い所で邪魔が入ってしまった。いや、邪魔というのは本当に嫌な言い方だけど、スパイごっこさながらに聞き耳を立てていた私にとって泳いできたマキアスは邪魔以外何物でもなかった。タイムだけ伝えてさっさとご退散願う。ボードへの記入も紙を見ること無く、適当にペンも走らせるだけ。

 

「エリオットは……うーん、変に鍛えない方がいいとおもうわよ?」

「えーっ?」

 

 あれ?そういう話だったんだっけ?

 女子のスタイルの話からいきなり、違う方向に変わる話題に少し耳を疑った。

 でも、エリオット君はアリサを見ている訳ではなくて、確実にリィンを見ているのは此処からでも分かる。

 

「……いいなぁ。男の身体って感じがするよ」

「うーん、そういうもんか?」

 

 エリオット君が強さに憧れがあるのは知っている。憧れ、というよりコンプレックス的な感じに近いけど。ただ、外見はともかく、私からすればエリオット君は十分強いと思うんだ。

 

「だから、貴方には似合わないから諦めなさいって」

 

 そうそう、可愛いエリオット君じゃなくなっちゃうじゃない。格好良いエリオット君もそれはそれで興味があるけど――不意にドキッとしてしまう。

 

「おい」

「うん?」

 

 そこに居たのは仁王立ちするユーシス様。

 

「タイムを聞きたいのだが?」

「あ、ごめん。ご――」

 

 ストップウォッチの針が5秒を過ぎた所に、今6秒に――あれ、動いてる?

 サッと顔から血が引くのを感じた。背中に嫌な汗が出る。困った。

 

「どうかしたのか?」

 

 怪訝そうに訊ねてくるユーシスから、咄嗟にストップウォッチをハーフパンツのポケットに隠す。

 

「……に、25秒50――」

 

 そして、顔を隠すように皆のタイムを記入する名簿に目を落とし、私はユーシスの一つ前の泳者のタイムを口にした。

 

 

 ・・・

 

 

 いつの間にか結構濡れていた体操服を脱いで、制服へと着替える。見学の私は皆と違ってシャワーを浴びることもないので早い。

 

「何で、貴女はまだ此処に居るのかしら?」

「え、だって……一人で教室に戻るのもその……つまらないし……」

「まあ、いいけど。あんまりこっち見るんじゃないわよ」

 

 可愛いピンク色の柄もののラップタオルに身を包んだアリサ。タオルも可愛いけど、中身も本当に可愛いと思う。

 何でリィンはこんな可愛い子からあんなに好意を向けられて気付かないのだろう。

 

「何?ジロジロみないでよ」

「タオルで隠してるくせにー」

「ふ、普通そんな堂々と着替えないでしょうが」

 

 アリサの顔に照れと同時に警戒の色が浮かぶ。最近、悪戯ばっかりしているせいで、私の前では隙を見せてくれなくなってしまった。

 タオル捲ろうかと思ったのに。

 

「お先」

「私も失礼する」

 

 そんな私達を横目に堂々と着替えた二人はさっさと更衣室から出て行ってしまう。

 もっとも間には結構な距離を感じたが。

 

「……相変わらずね」

「……そうですね」

 

 私以外の二人が音を立てて閉まる更衣室の扉を見つめながら口にする。

 

「ラウラには少し言った方がいいかしら……」

 

 真剣な顔をしているアリサではあるが、ラップタオル姿のギャップから考えると少し笑えてしまう。

 

「それにしても……あんな感じで、よく特別実習こなせたわね?」

「大分温情評価が入ってると思うから。私も結構ダメダメだったし……マキアスとエリオット君が頑張ってくれたよ」

 

 長椅子に寝っ転がる。

 

「道理でね。戻って来た後、あの二人の事痩せたと思ったもの」

「あはは……私も少し責任は感じてる」

 

 マキアスの事は分からないが、エリオット君からは体重が減ったという話は聞いていた。ただ、その話題で私にとって重要だったのは、聞いた彼の体重と私の体重に大差が無かった事なのだけど。

 身長は私の方がほんのちょっとだけ高いので、確かに不思議では無いのだけど……ショックの大きさにその次の日の朝ご飯は本当に食が進まなかった。

 

「まあ、レポートの方は充実してたし良かったと思うわよ」

「そうですね。色々と考えさせられてしまう題材でしたし、授業で学んだ事を絡めて書かれていた考察はとても説得力のあるものでした」

 

 そう言われると私もちょっと鼻が高いけど――あれを最後に纏めて形にしたのはマキアスで、実はトリスタに帰って来てから徹夜で頑張ってくれたんだよね。

 だから、やっぱり手柄としてはマキアスなんだと思う。

 

「考察はマキアスだから……実際、S評価のA班には全然勝てないよ」

 

 ブリオニア島を訪れた私達B班は課題中に悪天候に見舞われて無人島で孤立した上に、更に異形の魔物との連戦で一夜を明かす事となり疲弊。特別実習三日目に動けるメンバーで努力した甲斐もあって、ギリギリAの評価を手にすることが出来た。

 どうやら、課題自体には無かったが悪天候下のブリオニア北島で孤立した際の対応や、その後の異形の怪物達の戦い。そして、島の現状について纏めたレポートは高く評価された。

 

 対してガイウスの故郷であるノルド高原に向かったA班の方は、帝国と共和国の軍事施設が襲撃を受け両軍の衝突危機という重大な危機に直面するも、その一触即発の事態を回避する為に自発的に動き、結果的に犯人である武装集団を確保する活躍をこなした。

 文句なしの評価Sを手にしており――やっぱり、凄いなぁと思う。

 

 

「お待たせ」

 

 天井の導力灯を眺めてぼーっとしていた私を覗きこむアリサの顔。お風呂あがりを連想させる濡れた髪も、やっぱり可愛い。

 女の私から見てもアリサは本当に魅力的な子だ。綺麗な艶のある金色の髪、まるで紅輝石の様な大きな瞳、胸だって十分以上に大きいし――あまりにも整いすぎている気がする。あ、顔は私とおんなじ位に童顔かもしれないけど。

 

 そんな彼女がぐてっと寝っ転がっていた私に差し出した手を見て、思わず小さな笑いがこみ上げてしまった。

 

「出た。お揃い手袋」

 

 アリサの左手だけにはめられた黒色のフィンガーレスの手袋。あの手袋は所謂ペアアクセやお揃いものという奴で――片割れはリィンの右手にある。

 まるで恋人同士でやるようなことを良く恥ずかしげも無く出来る、とは思ってしまうのだが、最近のアリサとリィンが二人で居たらまず間違いなく恋仲に見えると思う。ただ、実際には何も無い。

 

「そ、そんなんじゃな……」

「違うの?」

「違うんですか?」

 

 エマの援護射撃まで貰って分かり切ったことを聞く。

 

「い、一応、その……同じだけど……そ、そう言う意味じゃないんだから!」

「えー、どういう意味なんですかぁ?教えてくださぁぃ。二人の愛の印ですかぁ」

「お、怒るわよ!」

 

 彼女との間で数日に一回は繰り返されるやり取り。毎回初々しい反応をするアリサの姿は中々飽きないものであり、私も私で自覚してる程しつこい。

 しかし、アリサもアリサでいい加減慣れて欲しいものでもある。

 

「それにしても、アリサさんもリィンさんも毎日欠かさずにしてますよね」

「そ……そうかしら……」

 

 顔を逸らして明後日の方向もとい、更衣室のロッカーに視線を泳がすアリサ。

「でも、そういう約束だし……当然……」等、ロッカーの扉に向けてぶつぶつ呟く彼女の行動はちょっと不審人物に近い。

 

「ふふ、そうですね……やっぱり――」

「『でも、そう言えるってことは何か掴めたってことでしょう?』」

 

 ここ数週間、『リィン兄様』以来の私のマイブーム言葉。偶にユーシスも乗ってくれたりもする。最初はリィンも結構反応してくれたっけ。

 

「こ、こら! 本当にしつこいわよっ!」

「だってー、面白いんだもん」

「もう、まったく……」

 

 更衣室の扉のノブに手を掛けるアリサは、まだ少し赤みを帯びた頬。

 

「ねえ、アリサ。ホントにリィンとは何もなかったの?」

「なにもないわよ! 大体、何かって……」

 

 再びアリサの顔が真っ赤な林檎になる。あ、想像しちゃったかな?

 

「ほら、キスとかハグとか……色々」

 

 ジェスチャーを交えて口にしながら、私も顔に血が集まる感覚を感じる。色々、なんて言うんじゃなかった。アリサみたいに私も午前中から変なことを考えかける所だったから。

 

「だ、大体そんなのある訳ないでしょ!? 私達まだ学生だし……その……そういうのは……」

「そ、そうですね……」

 

 想像は付いていたけど、この二人はやっぱり初心だった。大体、学生でもカップルは居るし。

 まあ、ここは恋の先輩として少しアドバイス、なんてちょっといい気になって自慢してみようかな。

 

「私、キスして貰ったことあるよ」

「ええっ!?」

 

 即座に目を大きく見開いて声を上げるアリサ。その隣でエマも口に両手を当てて、頬を赤くしている。

 二人の中々オーバーな反応に少し驚きながら、自分からしたことは無いけど、と心の中で付け加えた。そんな勇気があれば、もう少し今は変わっていたかも知れない。

 

「そ、それって――あ……ご、ごめんなさい……その……」

「いいのいいの! もう、気にしてなーいっ。だから、アリサも――」

 

 きっと相手やシュチュエーションについて聞こうとして、彼女は気付いたのだろう。

 大丈夫、もう気にしていない。私は気にしていない。まるで自分を言い聞かせるように二度心の中で呟く。

 

「わ、私は――あっ……」

 

 私を遮ってまた照れ臭そうに視線を逸らしたアリサの横顔が変わる。それに釣られて私が見たのは白い制服に身を包む金髪の貴族生徒だった。

 

 ――黙れ!辺境の下民が! 外地生まれの混血雑種の分際で――!

 

 あの言葉が木霊し、身体が強張るのを感じる。

 話し声が大きかったのだろうか、彼の視線はまっすぐ私達に注がれていた。いや、目が合うと言う事は――私にだ。

 

「……」

「……」

 

 何故か私はそのまま視線をぶつけていた。ここで引く訳にはいかない。大好きなⅦ組の皆をあれだけ口汚く酷く罵った彼から。何故か今なら負けない気がしたのだ。それ程、パトリック様の瞳に強さが見えなかったから。

 そんな平民離れした感情に気付いた時、私は咄嗟に目を逸らした。そして、止まっていた足を先程よりも早く動かす。

 その場で立ち止まったままの彼の隣を抜けて、逃げるようにギムナジウムを後にした。

 

「はぁ……」

「……エレナ?」

 

 その言葉に込められた意味合いは、分かり切っている。最近はずっとそうだ。

 エマも何も言わないが、アリサの隣から私に視線を送っている。

 

「ううん、大丈夫。なんでもない」

 

 私はあんまりうまく笑えなかったのだろうと思う。なぜなら、二人の顔にあまり変化がなかったから。

 

「じゃあ、私、購買寄ってくからっ!」

 

 アリサとエマへのアピールと自らの気持ちの切り替えの為に、わざと大きくて元気そうに聞こえそうな声を出して、この場から逃げることを選択する。

 どの道、購買にはノートを買う為に寄ろうと思っていた所だ。それはアリサにも前もって言ってあるので不自然では無い筈。

 

「分かったわ。遅れないようにね?」

「授業までは後十分ですから、急いで下さいね」

 

 小さく手を振って二人とは中庭の前で別れた。

 本当にアリサとエマは私の事を出来の悪い妹か何かだと思っているのではないか――最近、本当にそんな気がする。まあ、それが優しさなんだろうけど……あんまり子供扱いされるのも好きじゃない。

 

 

 

「……暑っ……」

 

 見上げれば濃い青色の空に大きな入道雲が――眩しい太陽に向けて手をかざす。

 夏至祭は終わり季節は夏へ、今年も夏が来た。士官学院に入ってからの忙しい日々のお陰か、とてもあっという間だった気がする。

 

 こうやってすぐに夏も終わって秋が来るのだろうか――いつの間にか早くなった時間の流れを感じると、少し寂しく思う。

 

 それにしても暑い。

 学生会館迄の短くて長い道のりを、下を向きながらだらだらと歩く。

 陽射しに肌を焼かれると同時に、汗が吹き出してゆくのを感じる。見学の私もシャワーだけ浴びれば良かったかも知れない。

 

「はぁ……」

「可愛い子がそんな溜息をするものじゃないな。幸せが逃げてしまうよ」

 

 そんな声の方向に顔を上げると、技術棟を背に立つ黒いライダースーツに身を包んだ先輩の姿があった。

 

「アンゼリカ先輩……」

「まあ、そう物憂げな顔をしているのも可愛らしいがね」

 

 アンゼリカ先輩の”お世辞”は軽くスルーする。可愛いと言われるべきなのはアリサみたいな子なのだ。私みたいにお洒落もあまり出来ない子に相応しい言葉では無いと思う。

 

「幸せって何なんでしょうね。……今の私が幸せなのか、私には分かりません」

 

 私は恵まれているのだろう。

 だが、幸せかと問われれば、それはまた違う問題に思えた。

 

「ふむ……難しい質問だな。私としても色々と考えさせられるね」

 

 腕を組みながら思案するアンゼリカ先輩。

 

「だがまぁ、私は自分の好きなように生きるのが幸せだと思うね」

「好きなように……っていうのも難しいですね」

 

 声を上げて笑いだす目の前の先輩に私は戸惑う。今のはそんなに笑う所だろうか。

 私が懐疑的な視線を送っていることに先輩も気付いたのかもしれない。彼女は小さく息を吐いてから「そうだとも」と呟いて、私から背を向ける。

 

 そして、技術棟の小脇に停められた”導力バイク”と何時ぞやに聞いた乗り物のハンドルを両手で押した。

 

「だから、今を楽しむのさ」

 

 丁度、私の隣で先輩は導力バイクを押すのを止めて、そう言い放った。

 

「……アンゼリカ先輩、まだお昼までには二限の授業がありますよ?」

 

 笑顔で「ああ、まだ腹は減らないね」と同意してくれる。もっとも、私の言葉の意味合いをちゃんと分かっていたら、一五分しか無い休み時間に導力バイクに乗ろうとはしないのだけど。それに残り時間まではもう十分を切っている筈。

 

「……サボるんですか?」

「ああ、ちょっとばかしツーリングにね」

 

 クロウ先輩といいアンゼリカ先輩といい、私に関わりのある先輩はダメな先輩が特に際立っている。あの、トワ会長の真面目さすらこの二人の前では霞みそうだ。

 

「そうだな、君も一緒にどうだい?」




こんばんは、rairaです。
やっと日常パートということで何を書こうか色々と迷ってしまいましたが、まずは水練の授業からでしょうか。私的には外せないイベントが多かったです。

さて今回から四章帝都編のお話となります。
取り敢えず近い所では自由行動日にエリゼさんの訪問とリィンの覚醒…実習ではブルブランにオリビエ&アルフィン登場、そして、帝都でのテロ大事件などイベントが目白押しですね。ちゃんと考えて書かないと三章以上に長くなってしまいそうです。

主人公エレナ個人にとっては、劇的な変化を強いられた三章から立ち直り、最終的に一歩進む形になるのが四章となります。
彼女の抱える色々な事に決着が付くことになるでしょう。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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