私の朝はアリサの少し怒った顔とお説教から始まった。
寝起きであった事と起こされた時からずっと続く頭の鈍痛と体に気怠さの所為で、彼女の言葉は半分も頭の中には入って来なかったが、かなり怒らせてしまった事は充分すぎる程分かった。
そして、それが私を心配しての事だということも。
頭の重さと昨日の罪悪感も入り混じった憂鬱な気分でシャワーを浴びて部屋に戻ると、彼女はご丁寧にも扉の前で待っててくれていた。逃げないように監視されている様にもほんの少しだけ思えたけど。
前を歩く彼女の少し下着の透ける背中を眺めて階段を降りながら、朝ご飯の席でもみんなに言われるんだろうなぁ、と考える私を待ち受けていたのは、案の定の皆だった。
「まったく、お前は本当に心配を掛けさせる」
とは、ユーシス様の言葉。もっとも、その言葉の前には結構厳しめにお説教をされたのだけど。
因みに私が一番怒られたのはマキアス。なんでも四限のハインリッヒ教頭の授業では日直である副委員長の彼がグチグチと言われた様だ。
流石に、「寝ててもいいから授業には出てくれ」と彼らしくもない言葉で力なく話を締めたマキアスには申し訳なく、私も何度も謝った。
エリオット君とガイウスとエマは結構心配してくれていたみたいだ。エリオット君には帝都の話をしたかったけど、それはまた今度の機会、今日の夜とかが良さそうだ。ここはちゃんと大人しく反省しておくべき所なのは私でもちゃんと分かっている。
ただ一人、フィーだけが「私も一緒にサボりたかった」なんて言ってくれたが、その直後にはエマとリィンに窘めらていたり。
一番面倒くさそうだと思っていたサラ教官は昨晩遅かった様でまだ部屋で寝ているらしい。まあ、後で絶対何か言われるのは確かだが。
今度の罰はお手伝い何日だろう、それともお酌と話し相手だろうか。中々収まらない頭痛の中、嫌な事しか思いつかない。
そんなちょっと居心地の悪い朝食の後、リィンをたどたどしく買い物に誘うアリサを横目に、私は後片付け中のシャロンさんに声を掛けてお薬を頼んだ。
部屋に戻ればリュックの中には薬はあるけど、この場で飲んでおきたかったのだ。
症状について尋ねられた事に私は簡単に答えると、シャロンさんはまるで小さい子供の悪戯を見つけてしまったような顔で「あらあら、エレナ様は悪い子ですわ」と小さく笑う。
そして、その言葉でやっと私はこの気分の悪さと重い頭痛の原因を把握することとなる。
所謂、これが二日酔いという奴らしい。
あまり記憶が定かでは無いのだが、昨晩は遅くまでカジノ《アリーチェ》の最上階でアンゼリカ先輩に勧められるがままにお酒を飲んでしまっていた。
どのぐらい飲んだかまでは覚えてはいないが、実家にはまず置いていない高級ワインのボトルがグラスに注がれて行く光景は不鮮明な記憶の中において、今でも鮮明に脳裏に残っている。
アゼリア・ロゼ、グランシャリネ、帝国北部の蒸留酒ベースのカクテル、三杯を数えた所で、私は再び襲って来た鈍痛に階段を上る脚を止めた。
そして、瞼を閉じて深呼吸をする。
私は多分、お酒は強くないのだろう。二日酔いといえばサラ教官が苦しんでいるのをよく見るが、流石に昨晩の私はいつもの彼女の様に浴びる程飲んだわけでは無い……筈。酒屋の娘としてこんなことを考えてしまうのはどうかと思うが、もう当分の間はお酒は飲まないでおいておこうと心に誓った。
って、学生なんだから、それは当たり前か――思わず頭の中で自嘲的にぼやく。
なんといっても記憶が不鮮明というか半分無いのだ。アンゼリカ先輩と話してたと思えば、先程のアリサの怒った顔まで飛ぶ。いつの間にかドレスも脱いで寝間着に着替えていたし……ということは、覚えていない間にアンゼリカ先輩に私は身を委ねていたと言うことになるのだろうか……。
頭痛なんかどうでも良くなる位の悪寒に、自らの身体を両腕で抱いた。
まさか……流石のアンゼリカ先輩でも、無防備な状態なら何もしないだろう。
うん、少なくとも昨日はとっても優しい先輩だった。
・・・
一度部屋に戻ってから、私は学院の技術棟を訪れていた。自由行動日の今日、この場所で済ませておきたい用事が二つ程あったりする。
一つ目は私の使用する二つの導力銃をジョルジュ先輩にメンテナンスして貰うこと。先日、私と同じく銃を使う銀髪バンダナことクロウ先輩にちょっとした悩みとしてボヤいたら、ジョルジュ先輩に頼むと良いと薦められたのが理由だ。
皆の話によると、今週に実技テスト、週末は特別実習というスケジュールらしい。丁度、今日は旧校舎の探索に久し振りに参加する大仕事もあるので、しっかりと整えておきたい。
本当は帝都のラインフォルト直営店に持ち込んだ方が良かったのだろうけど、昨日の今日で再び帝都に行くのは流石に億劫過ぎる。……アンゼリカ先輩に頼めば喜んで連れて行ってくれそうではあるけど。私が嫌だ。
二つ目は《ARCUS》のクオーツを揃える為。セピスはしっかりと前もって皆の了解を得てリィンから貰っている。
そんな事情で私は技術棟でジョルジュ先輩の作業風景を頬杖を付いて眺めていた。
先輩の作業している姿は特別実習の出発前によく見るのだが、今日は少し違った。いつもはマイペースで優しい雰囲気の溢れるジョルジュ先輩だが、なんというかテンションが高い。鼻歌を歌うのも、甘い物を頬張るのも忘れて、ノリノリでライフルを調整してくれている。
メンテナンスして貰っている側なので贅沢は言えないけど、こうしてぼんやりと待っているのも少し退屈だ。
食べないなら、そのドーナツ、欲しいなぁ。
目の前にある学食のパン屋のドーナツ袋。それに目を囚われて危うく手を伸ばしたその時、突然のドアの開く音に慌てて手を引っ込めた。
「おっす、ジョルジュ」
振り向かなくても分かるけど、一応会釈だけはしておく。なんだかんだ言っても、気軽に話せる良い先輩なのだ。いや、悪い先輩か。
「おっ、噂の後輩ちゃんじゃねーか」
ニンマリと笑って私の隣の椅子に豪快に腰掛けたクロウ先輩が、そのまま朝早くから私が此処にいる理由を訊ねてくる。
「ちょっと今日はジョルジュ先輩に銃のメンテナンスを頼んでて――って、噂の……って何ですか?」
「ド派手にサボりやがったんだろ? 朝からちょっとした噂になってたぜ?」
「そういうクロウ先輩だっていっつもサボってるじゃないですか…」
「お前さんは一緒にサボる相手が悪かったな」
そう言われて、とてつもなく嫌な予感がした。
「……ちなみに、どんなお噂で?」
「あの憎っくき男の敵、アンゼリカ・ログナーがまた一人、それも一年を喰ったと」
「食われてませんから!」
クロウ先輩が真顔で口にした噂の内容を私は即座に否定した。
「これで俺達の希望がまた一人……クッソ……言ってて泣けてくるぜ……なぁ、ジョルジュ?」
ジョルジュ先輩は「ごめん、クロウ。今忙しいんだ」と華麗にクロウ先輩の振りをスルーする。
ふん、いい気味だ。私の否定を無視し続けるからだ。その、わざとらしすぎる泣き真似もさっさとやめるんだね。
「んで、ゼリカと『昨晩はお楽しみでしたね』って所だったのか?」
「……どういう意味ですか?」
意味合いは分かるけど、すぐ否定すれば、そういう事を私がすぐに思い浮かべたということになる。かといって肯定するのは論外である。
「健全な思春期男子の思考じゃ、昼間から帝都に連れ出されて朝帰りとか、もうあんなことや――」
「いわなくていいです! 全然、健全じゃないじゃないですか!」
「それが健全なんだっつーの」
何をもって”健全”とするのか。少なくとも私とこの先輩は相容れることは出来ないだろう事に深い溜息を付く。
まあ、彼の言わんとしている事を私がしっかり分かるだけ、実際の所は先輩に分があるのかもしれない。
「……私、全然覚えてないんですよね」
一応、お酒を飲まされて酔わされたことは伏せておく。
「お前……それって……」
クロウ先輩の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
「ち、違いますからね?」
今朝シャワー浴びた時に鏡でちゃんと確認している。
『マジか?』『マジです!』
私とクロウ先輩の視線が交わり、お互いに瞳で問答を繰り広げる。
全力の否定の甲斐があってクロウ先輩の真紅の瞳が追求を少し弱めた時、隣から邪魔が入った。
「いやぁ、これは凄いね。付属の取扱説明書も読ませて貰ったけど、流石はラインフォルト社の技術の粋を集めて作られただけの事はあるよ。カタログスペック上は世界最高のアサルトライフルなんじゃないかな! 本当に一日中触っていたい位だよ」
全く我関せずなジョルジュ先輩だが、私にとっては助け舟だったようだ。
・・・
大きなアンティーク調の時計が九時半を差す。
旧校舎の探索まで何も予定は無く暇で退屈だったこともあって、今日も生徒会の依頼に奔走するであろうリィンの手伝いを私は自ら買って出た。
悪い事をした後の罪滅ぼしにはならないと思うけど、自分なりに反省して頑張ってみる意味合いも込めて。授業じゃなくてもちょっとはこの心意気を、ボランティア精神ってやつを評価してくれる事も期待して……という多少邪な考えがあったのは否定しないけど。
ただ、リィンから見せてもらった依頼の内容を見て、気が変わった。俄然、やる気が湧くというのはこの事だと感じる位だ。
リィンのポストに入れられたトワ会長からの依頼、正確には生徒会に届いた依頼の中でトワ会長が彼向けに選別した依頼――女子からの『幼馴染の本心が知りたい』なんて、十中八九は色恋沙汰に繋がる……と思う。それをわざわざ、朴念仁唐変木以下多数の鈍感帝王たる称号を持つリィンに任せるなんて。会長が一体何を考えているのか不安になった位だ。
それに依頼主のブリジットさんは私もそれなりに話した事もある子であり、個人的に出来れば力になってあげたかった。
まだ多少は頭は痛いが、これは頑張るしかない。頭痛なんて別によくある事だが、この依頼は今日しかないのだから。そう思って「リィンだけには任せれないからね」と、偽らざる本心を言葉にして此処に来た訳だが――。
第一学生寮は落ち着かない。昨晩の帝都の会員制カジノと比べるのはアレではあるが、庶民的なアパートメントを改装しただけの第三学生寮と比べれば内装はかなりの隔たりを感じる。だが、一番の原因はそこではない。
待合室としても利用される寮の一階だが、午前中のこの時間は外出する生徒の人通りも多く、私にとっては辺りを白服の貴族生徒が通る度に少し敏感になってしまうのだ。
見知らぬ貴族生徒というだけで緊張してしまうのに、二名程会いたくない人が此処に住んでいるのが拍車をかけている。ふかふかのソファーの座り心地とは正反対に、何とも居心地の悪い場所だった。
「――あの……」
目の前に腰掛ける依頼主のブリジットさんに私は顔を戻した。
「エレナさんはどう思うかしら?」
彼女はそれなりに平静を装っているつもりだろうが、それは私でも容易く見破れる程の出来の悪い仮面に過ぎず、リィンがアラン君の所へ向かって私と二人っきりになって以降、彼女は不安そうな顔を浮かべてはそれに気付いて私に苦笑いを浮かべるという流れが二、三回続いていた。
「うーん……リィン待ち、かな」
私の答えは決して彼女の求めている言葉ではない。
リィンがこの場を離れてから三十分程。彼はブリジットさんから事情を聞くやいなや、『男同士で話してみる』と言って学院に居るであろうアラン君から直接聞き出しに向かった。勿論、男同士ということなので、私も此処第一学生寮の一階で事の進展を待つ羽目になるのだが…。
今思えば、遠くから見ているだけだったとしても学院に行った方が良かったかも知れないとも思う。
「ほら、憶測で話すのもどうかと思うし」
顔を暗くする彼女に慌てて言い訳の様に続けた。
「アラン君はそういう人じゃ無いと思うし……だ、大丈夫だよ!」
推測を意味する語尾を外せないのは、私がアラン君をあまり知らないからに他ならない。
「私も昔みたいに気兼ねなく話せるようになりたいのに……エリオット君とエレナさんが羨ましいわ」
ブリオニア島から帰って来てから三週間。エリオット君にべったり甘えきっている私は、バイトがない日の放課後は音楽室の外で吹奏楽部の活動が終わるのを待っている事が多かった。だから、吹奏楽部の部員の人ともそれなりに面識があるし、偶に部外者なのにも関わらず休憩中には音楽室の中に招き入れてくれる位だ。
ブリジットさんが少し気落ちしていたのは私も知っているけど、私達に向けられていた眼差しがそんな意味合いの物だとは思いもよらなかった。もしかしたら私はとんでもなく無神経だったのではないか。
「あ、あはは……あれはエリオット君が優しいから」
これではブリジットさんに対してアラン君は優しくない、とでも言っている様なものじゃないか。もっともっと気の利いた、いや、励ませる言葉を――。
必死に次の言葉を探す私を現実に引き戻したのは、ポケットの《ARCUS》から発せられた電子音だった。
「もしもし、リィン?」
ブリジットさんに断りを入れてその場から離れた私は、階段脇の適当な壁際で導力波を通じた向こう側に居るであろう彼の名前を呼ぶ。
<――ああ、今からアランがそっちに行くと思う――>
「って、リィン、アラン君にっ!?」
思わず声を上げてしまい、恐る恐るソファーに座るブリジットさんに目を走らせるが、幸いな事に気付いている様子は無い。
「……言ったの?」
<――その方が、お互いに良いかと思ってさ。ブリジットさんには悪いけど――>
《ARCUS》の通信が切れた後、頭を抱えたくなるのを抑えながら、こちらに不安げな視線を送るブリジットさんの様子を覗う。
「私はどう伝えればいいのよ……」
彼女になんて言えばいいのだろうか。うちのリィンが全部バラしました、ごめんなさい――いや、違う。
この場は全て私任せにされたといっても何ら過言では無いのだが、彼がその方が良いと思うのならば間違いではないのだろう。重要なのは、それをどう伝えるかである。
席に戻った私に、ブリジットさんは期待と不安の混じる眼差しを向けて来た。
「……どうかしたの?」
「えっとね、ブリジットさん。落ち着いて聞いて欲しいんだけど……実は――」
私はしっかりと、そして、注意を引かないように静かに第一学生寮の扉を閉める。
事情の説明を手短に終えて、逃げるように私は第一学生寮を飛び出した。
アラン君が来るという明確なタイムリミットがあるのもさることながら、何やら上の方から聞き覚えのある名前を呼ぶ黄色い声が聞こえたからである。そして、それに受け答えするハスキーな声も。
緊張か外気の暑さの為かは分からないが、いつの間にか額を濡らしていた汗を手の甲で拭い、リィンとの合流場所へ向かおうと体を階段へと向けた時。
「「――あ……」」
私が降りようとした階段を、逆に走って登ってきた生徒と目が合った。ブリジットさんの幼馴染、Ⅳ組のアラン君だ。
この暑さの中を必死に走って来たのだろう。彼は髪を濡らす程までに汗だくだが、その真っ直ぐさはとても好感が持てた。
「……一番奥の席だよ。安心させてあげてね」
すれ違い様に立ち止まり、彼に伝える。
意思を感じさせるしっかりとした答えを聞いて、私は満足して階段に脚を進めた。
ブリジットさんは幸せ者だ。
きっとすぐに私を羨むことなんて無くなるだろう。
・・・
危うくアンゼリカ先輩とニアミスをしかけた所を間一髪で逃げ出した私は、学生会館の一階でリィンと合流していた。着いた時には彼は学食の喫茶スペースでユーシスとお茶をしており、私もそこに混ざるような形で少しばかり小休憩。
その後、ユーシスは図書館に向かうとのことで席を立ち、私達も次の依頼の為に学生会館を出たのだが…どうもおかしい。
次の依頼の件について聞くとリィンは歯切れの悪い返事しか返して来ない。そればかりか、「ジョルジュ先輩の所には行かなくていいのか?」なんてあからさまに私が居ると都合が悪いとでも言いたそうだ。
先程の話の中で、リィンはユーシスとお茶をする前にトワ会長と会っていたらしいのだが、その件についてもはぐらかされる。
「何を隠してるの?」
「い、いや……」
「トワ会長と何かあったの?」
「そういう事じゃないんだが……」
「わかった」
途端にその顔に安堵を浮かべるリィン。
でも、ここで引き下がるつもりは毛頭無い。
「言ってくれないと私、あの事アリサに話しちゃおっかなぁー」
「なっ……」
今度は一気に驚愕と焦りの表情に変わる。
うんうん唸りながら悩むリィンを横目に、そんなにやましい事があるのかと激しく突っ込みたくもなるのを我慢して待っていると、意を決した様に彼は仕方無くといった様子で口を開いた。
「女子の盗撮写真!?」
「す、すまない……」
いや、なんでそこでリィンが謝るのだろうか。
「出来れば写真部のフィデリオ先輩の依頼通りにここは穏便に進めたいんだ。だから女子にはあまり知られたくなくて――」
「へぇ、リィンは盗撮魔の肩、持つんだ……」
「い、いや、違うんだぞ……?」
慌てて、この件がトワ会長からも出来れば穏便かつ内密にという指示があった事を続けた。
「――わかってる。怖い子多いもんね。バレたら火炙り八つ裂きで済むか……」
「あ、ああ……被疑者の安全の為にも、出来れば依頼者と俺達だけで内密に処理したい」
妙に犯人に優し過ぎる気はするが、事が大きくなれば大問題となるのは確実だ。全校の女子生徒の怒りが爆発するのは想像するに容易く、そうなればおのずと教官達の知る所となるだろう。最悪は盗撮犯ことレックス君には退学も視野に入る厳しい処分が下る可能性すら出て来る。だからこそ、この件を生徒会で全面的に調査せずにトワ会長はリィンを頼ったという話だ。
それにしても、生徒会でも一握りの人しか知らせずに内密に処理を望むなんてトワ会長はなんて寛大なんだろうか。レックス君は取り敢えず天使の様なトワ会長に土下座して感謝すべきだ。
「だからこそ、早急に取引現場を摘発して身柄を確保する必要があるんだ」
うん? そういえば、盗撮って、もしかしたら――……
「その為には――って、エレナ?」
「……わ、私も撮られてたりするのかなぁ……?」
少しの怖さに寒気を感じると同時に、拳にぎゅっと力が入るのを感じた。
・・・
「しまった……逃げられた!」
私達二人だけしか居ない旧校舎前にリィンの声が虚しくこだました。
ちなみに、つい十分程前も体育倉庫裏でも全く同じ言葉を聞いていたりする。
「もう……! だから、私の作戦でいけば良かったのに!」
突入前に私が提案した作戦は、リィンが盗撮写真の購入希望者を装うという囮捜査の鉄板的なもの。
だが、彼はその話には乗ってくれずに二人で無策に突入し、結果はレックス君と取引相手と思われる男子を二人共取り逃がしてしまった。そればかりか、私達の顔も割れてしまったという体たらくっぷりだ。
それも”水着姿のアリサ”なんてありえもしない嘘に騙されるなんて! 我ながら迂闊だった。
「その作戦だと俺が誰か女子の名前を出さなきゃいけないじゃないか……それに、この場で捕まえずに、もっと沢山欲しいと要求して罠に嵌め込むんだろう?」
「そこはアリサとか言っておけばいいじゃない!」
「何でそこでアリサなんだ……仮にもし俺がアリサの……その……写真を見たら不味いだろう?」
顔を赤らめて何を想像したんだろうか、全く……。でも、やはり盗撮写真ということはそういう写真もあるのだろうか……。
一抹の不安に駆られる。やはり、内容次第によっては到底許すことの出来ない問題だ。
「リィンだったらアリサも大丈夫! ……照れ隠しに引っ叩かれる位はあるかもだけど」
「流石に勘弁してくれ……」
入学式の日のオリエンテーリングを思い出したのだろうか、手を頬にやり項垂れるリィン。アレ、意外とトラウマだったりするのかな?
「それに大丈夫な訳ないだろう? それにアリサだと逆に物凄い勢いで怒られそうだ」
多少同情してたのにこの唐変木め。
「後はここだけか……」
「でも、講堂って鍵……」
うん、どういう手段で鍵を手に入れたのかは分からないが、南京鍵は解錠されている。
「それにしても……って、それを取りに技術棟に行ってたのか……?」
「こんだけ学院中を走らされたんだからね。今度逃げたら、多少痛めつけてでも……引っ捕らえてやる」
弾が込められたマガジンを押し込み、スライドを引く。やる気の出る心地の良い音と共に、私の愛銃ラインフォルト・スティンガーに初弾が装填された。
うん、やれる。
「しかし、武器を使うのは流石に不味いと思うんだが……」
「大丈夫、訓練用の弾だし出力も最低だから」
至近距離で当たりどころが悪ければ気絶位はするかもだけど。まあ、それは当然の報いだろうし、抵抗するのが悪い。
「いや、そういう問題じゃ……」
まだ盗撮犯に情けをかけようとするリィンを視線で黙らせて、私達は講堂の中へと足を踏み入れた。
明かりがついていない講堂は薄暗いが、ここから見える所には人影は無い。となれば……。
私はリィンの方を見た。
「左側から気配がする……二人だ」
私は小さく頷く。
「俺が舞台から行く、エレナはドアから頼めるか。俺に続いて突入してくれ」
「了解っ」
二人だけしか聞こえない小声のやり取りを終えて、私は足音を殺してゆっくりと舞台横の部屋の扉を目指す。
つま先から、慎重に踵を床に下ろして距離を詰めてゆく。これは隠密作戦。少しでも音を立てれば、私達の作戦の成否は危うくなる。『慎重に、そして確実に』だ。
サラ教官がよく口にする言葉を思い出して、私はドア横の壁に背中を付けた。
何やら、話し声が聞こえる。
いる、この中に標的が。
私は早くなる鼓動の中、その時を待った。
永遠にも思える様な短い時間が過ぎ、舞台からの激しい足音。
リィンが突入した音と共に、私はドアノブを引き、扉を勢い良く脚で蹴飛ばして舞台裏の中に飛び込んだ。
中には三人、被疑者、客、リィン。すかさず導力拳銃の照準をニット帽に合わせて、私は声を上げた。
「手を上げろ!」
・・・
「さあ、レックス。君の隠し撮りした写真を全て出してもらうよ」
勿論、それらを撮った感光クオーツも全てだ、と厳しい口調で続けるフィデリオ先輩。
それはもう、出てくる出てくる。上着のポケットから出てきた写真でさえ十枚を超えた。
馬に乗っているのは馬術部の一年生、確かⅤ組のポーラさん。
シスター服を着たロジーヌさん。
キャンパスに絵を描いている姿の、悪戯大好き娘ヴィヴィのお姉ちゃんこと遊び道具、リンデ。
そして、ラクロス部のユニフォームのアリサ!
「アリサ、かっわいいー……って、ラウラは水着じゃない! この変態! リィン見るな!」
次の写真のラウラは水着姿だった。
「あ、ああ……」
「うわぁ……こっちはエマに膝枕してもらってるフィーだ……」
Ⅶ組の女子もしっかり被害を受けている。それにしても……あれ?
アリサ、ラウラ、エマ、フィー……ときて、私だけ無いんじゃ……。
「これはまた……ずいぶんシチュエーションが豊富だね……」
「しかし……こう見ると、どれもいい写真ばかりですね……」
比較的好意的な反応を見せるフィデリオ先輩とリィンを見て、レックス君は得意気に顔を輝かせる。
こいつは反省する気があるのだろうか。そして、リィン達といったら……。
「そういえば、エレナ以外の他のⅦ組の皆は撮られてるんだな……」
リィンは本当に余計な事に気付くんだから! そんな事に気付くぐらいなら、アリサの気持ちにさっさと気付け!
盗撮されなかったのは良かったことなのだけど、なんだろう、こう、自分だけ助かったという安堵よりも、コイツに私が撮る価値も無かったと思われたんじゃないかと思うと、超腹が立つ。
「あ、アンタも撮ったぜ」
「え、まじ? どこどこ? 見せてよ」
恐ろしく食いつきの良い自分に我ながら驚きだ。まあ、それ程腹が立っていたのも事実なのだけど。
「これ……まさかカタログか?」
呆気にとられるリィンの傍ら、レックス君が大きなメッセンジャーバッグから取り出したアルバムを開く。沢山の女子の写真が入っている中身を彼は手際良くめくってゆき、後ろの方の頁で手を止めて、一枚の写真を取り出して私に差し出した。
「って、これミントにブリジットさん……あっ……」
天真爛漫な笑顔でミントがお菓子をブリジットさんに勧めている後ろ――笑い合っている私とエリオット君が居る。もっとも、後ろで結った髪が見切れているが。
この写真は吹奏楽部の休憩中に音楽室にお邪魔させて貰った時のだろう。丁度、このお菓子は数日前にメアリー教官が持って来た物だ。それにしても、あの時撮られていたなんて――どうやって撮ったのだろうか。恐ろしい。
「ちょっと! 私、少し見切れてるじゃん!」
「ああ、悪い。主役じゃなかったからな」
コイツ、今すぐ職員室――いや、《ARCUS》で皆に連絡とって裁いてやりたい、いや、捌いてやりたい。
「ちなみに……その写真を使って何か取引してたみたいだけど……」
リィンの追求にレックス君が差し出したのは、不本意ながらも私にとってはもうすっかりお馴染みとなってしまった類の本だった。
「あ、エロ本……ってゆうかコレは……」
「エレナ、知ってるのか……?」
リィンが変な顔でこちらを見てくる。
「多分、私が売った奴っぽい」
「え!?」
「あれ、アンタと取引したっけ……?」
目を丸くして驚く二人と不思議そうに考えこむレックス君。
取引って、そんな訳ないでしょーが……私が誰の写真を買うっていうんだ。いや、まぁ、アリサの写真はちょっと悪戯に使えそうではあったけど。
「多分、先週バンダナ……クロウ先輩が大口買いしてった中の一冊かな」
「……クロウ先輩か……」
「……クロウ君か……」
大きな溜息が二つ。流石、クロウ先輩の名前の威力は凄まじい。一瞬で、失礼な勘違いしていた二人に納得していただけたらしい。
「まあ、色んな意味で安心したよ」
「……ええ、ミラじゃなくて安心しました」
破られる写真。陽の光に晒される感光クオーツ。
「あ、ああ~っ……うう、オレの血と汗と涙の結晶が……」
「はは……教官たちに見つかるより何倍もマシな処分だと思うけど……」
「そうだそうだー。処分をこっちに一任してくれたトワ会長に感謝しろー」
私からすれば色々とムカつくから教官に報告でも一向に構わないのだけど。
まあ、そういう訳にもならない。
反省し始めたレックス君をフィデリオ先輩が許すやり取りを、少し冷めた気持ちで眺めるのも飽きて、私は手元の写真に目を落とした。
これ、どうしようかな……。
ぱっと見ればミントが可愛いことをしている写真。でも、その後ろでは写真の中の私がとても楽しそうに笑っている。だから、ちょっと捨てられるのには抵抗感があった。
それに、嬉しそうな自分の隣にはエリオット君も居るから。
誰も私の方を見ていない事を確認してから、私はそっとスカートのポケットに写真を隠した。
こんばんは、rairaです。
お盆ということもあり、一週更新をお休みしました。近い内にどこかで挽回したいものです。
さて、今回は7月18日の自由行動日となります。
しっかりとⅦ組にお説教を受け(本人はあんまり反省していなさそうですが)、リィンと共に自由行動日の依頼に走るお話です。
アランとブリジットの『幼馴染の本心』と盗撮魔レックスの『隠し撮り写真の摘発』という原作でも屈指のサブクエストが揃う四章。本当はナイトハルトの水練特訓も書きたかったのですが、あの状況でエレナが入る余地を見出せませんでした。
ちなみにリィンはこの後にアリサとお買い物となります。そして、水練の特訓…旧校舎…でしょうか。本当にハードなスケジュールですね。
次回は後半部でエリゼ登場となる予定です。
最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。