早いものでもう一週間が経った。
月曜日の朝、私達はエリゼちゃんをお見送りした。昨晩は疲労困憊状態だったリィンも身体の調子をそれなりに戻した様で、朝の短い時間ではあったがエリゼちゃんともよく話せたようだ。それは私と二人でベッドに座って話した日曜日の夜とは打って変わって明るくなった彼女の様子からもよく分かった。
エリゼちゃん、リィンに頭撫でられて嬉しそうだったなぁ。
もう五日程前になる出来事を思い浮かべながら、私は列車の車窓から帝都近郊の開けた風景が望んでいた。
そろそろ帝都に近くなってきたのだろうか、ずっと森林や農耕地が続いていた線路と街道沿いには小じんまりとした街並みを見かける事も多くなってきている。何より一番の変化は、道路を行き交う導力車が次第に増えていっている事だ。
今日は7月24日。7月の特別実習の一日目となる。
私達がこの列車に乗って目指すのは帝都ヘイムダル。
これまでの三か月、A班とB班は共に異なる地方の実習地であったが、今回は初めて両班とも同じ都市の中での実習となる。
ただ、実習地については特に問題は無いのだが、班分けは少し微妙だ。というか、先月の実習から私とリィンが入れ替わっただけの班なのだ。
未だ対立を続けるラウラとフィーには、バリアハートの時と同じ様にリィンがあてがわれることになり、彼は今もA班の面々が座る隣のボックス席で頑張っている。まあ、その為に私がビリヤードの玉の様にA班からから弾き出されたという訳だ。
私個人としてはエリオット君と班が別れてしまったのは残念だが、こればっかりは仕方ないから我慢するしかないと思うしかない。ちなみに私の隣に座るアリサも、リィンと別になってしまって班の発表の後はちょっと気落ちしていた。
班は別になってしまったけどA班もB班も同じ宿泊場所だったら、なんていう期待はしているのだが、これも現地に行ってみないと分からない。だけど、今回は実習地も一緒である以上はその可能性も十分あり得る筈。
そんな期待をを抱きながら、私はA班の皆の座る隣のボックス席の通路側に座るエリオット君に顔を向ける。
相変わらずのラウラとフィーの間で苦笑いする彼は私の視線に気付くや否や、すぐに笑顔を向けてくれた。
彼がこっちを見て笑ってくれたのが嬉しくて、自分の頬が緩むのを感じた。
「――おい、聞いてるのか?」
「あ、へい?」
そんな幸せな気分に浸ってた私を邪魔する不機嫌そうな声。
振り向いた先にはムスッとしたユーシスの顔。そして、近い。
「まったく……傍から見たら気持ち悪いぞ。まるで不審者だ」
「き、きもっ!? ふ、ふしん!?」
なんて酷い言い草だ。『だから、貴族っていうのは嫌いなんだ!』というマキアスっぽい言葉を心の中で叫ぶ。そういや、何時ぞやのユーシス様と一緒に料理を作った時も同じ事を思ったっけ。
「ぼさっとしているのは構わんが……先日の実技テストの時の様な無様な失態で足を引っ張られるのは御免被るぞ」
「あ、あの時はアリサが……!」
水曜日に行われた今月の実技テストは、サラ教官の指定した二人のペア同士で時間制限付きの模擬戦を二戦をする内容だった。
私はユーシスと組まされて、エマとマキアスのペアに勝ち、リィンとアリサのペアに負けた、一勝一敗の成績。力量で上回るラウラとフィーのペアを下しただけあって、リィンとアリサは戦い方がとても巧かった。
アリサのアーツによる私に対する嫌がらせが、ほんっと容赦無いんだから。あれが恋の力だなんて私は認める気はさらさら無いけど。
「まあまあ、ユーシスさん」
苦笑いするエマ。彼女はこの間の実技テストでは苦労した側だ。エマとマキアスの秀才コンビは試合内容こそ悪くないものの、最後の決定力に欠けて二戦とも判定敗北だった。
ちなみにその一戦目の相手は私とユーシスペアなのだが。
「でも、あなた達は手強かったわよ。リィンも『ユーシスに肉薄された時は不味いと思った』って言ってたし」
「フン……まさかあの場で俺だけを取り込む様に正確にアーツを使うとはな。後衛がビビって援護が無い俺が距離を作られれば何も出来ん」
ビビって援護をしない後衛とは勿論私の事だ。
「ビ、ビビってない!」
「腰を抜かしてただろうが」
「あれはアリサがその後も嫌がらせばっかしてくるから立てなかっただけで……!」
サラ教官の掛け声と共に始まった模擬戦では、真っ先にユーシスとリィンが剣を打ち合った。私とアリサは彼らの支援――というのがセオリー的な戦いの流れな訳なのだけど、戦闘教本通りに進めれば確実に私達は負ける。
何故なら私とアリサではより支援向きに適性があるのはアリサだし、ユーシスはリィン程剣のみでの近接戦闘に特化していない。
だから、私はライフルでアリサに”ちょっかい”を出そうとしたのだが、残念ながら、それはアリサに読まれていた。彼女にライフルを向けてトリガーを引いた直後、私は初めて見るアーツに襲われたのだ。
地獄からの響くような恐ろしい唸り声の様な音と、禍々しい邪悪なオーラを纏って地面から浮き上がるように顕在した巨大な骸骨。
目の前にそんなものが突然現れ、恐怖のあまりに力が抜けてその場でへたり込んでしまった。
それが幻属性の攻撃アーツ、それも身体能力を一時的に低下させる妨害効果を持つ《ファントムフォビア》だと知ったのは模擬戦が終わった後。まだ立てない私をユーシスが介抱してくれてた時に、アリサから聞かされた。
ちなみに、《ファントムフォビア》でへたり込んだ私に追い打ちを掛けるように《クロノブレイク》という身体の時間の流れに作用する時属性のアーツが二回程、最後に効果範囲の中心に吸い込む空属性の《ダークマター》でユーシスと共に吸い寄せられる羽目となる。それで私達は二人仲良くごっつんこし、その隙にユーシスにリィンの剣が突き付けられて、敗北が決まった。
「嫌がらせとは心外ね。作戦勝ちよ」
不満気ながらも、得意気なアリサ。大好きなリィンと一緒に勝利を収めれたのが嬉しくて仕方が無いのは、試合後のハイタッチを交わして喜んでる姿からよく分かったが、その余韻は今も尚続いている様だ。
「でも、見ていた側からしてもあのアーツはちょっと怖かったですね……」
「ああ、禍々しさは尋常ではなかったな。悪しき物を感じた位だ」
「まあ……あの髑髏がこっち側を向いていたらと思うと確かに怖いわね」
エリオット君も心臓が飛び上がる程怖かったと言ってた。だから、私は悪くない、きっと。
大体、こっちはその日は寝る前にあの髑髏を思い出してしまって、次の日に寝不足になる位のトラウマになっている位なのだから。
「フン……だが、お前はそれ以外にも前科がある事を忘れたか?」
「あ、あれは――」
二ヶ月前だっけ、ユーシスを誤射しかけたのは。ほんと間一髪、スレスレの所を私の放った銃弾が飛んでいったらしい。
「兎に角、気を付けろということだ。お前は抜けている所があるからな」
「……えっと、私の事、心配してくれてるの?」
やっと今日のユーシス様語が翻訳できて来た。なんというか、口ではああ言っていても、しっかり心配してくれているっていうのは嬉しいものがある。それと同時に、こういう言い方しか出来ない、又はしてくれない彼の事をちょっと不器用だなぁ、なんて思って少し口元が綻ぶ。
「迷惑を掛けられるのは俺達だからな。先日の実行委員の件といい、本当にお前で大丈夫なのかを考えるとおちおち眠ることも出来ん」
「……もう。別に私がなりたくてなった訳じゃないのに、そうやって馬鹿にするんだから」
実行委員――略さなければ、学院祭実行委員。10月下旬に予定されている今年で第127回となる士官学院祭の準備を進める生徒会の委員会だ。色々な経緯を経て私は今、下っ端ではあるものの生徒会の一員となっていた。
実技テストのあった水曜日の放課後、学院長室に呼び出しを受けた私は特別指導の処分内容が決定した事を伝えられた。
学院長とサラ教官が見守る中での教頭説論なんていう名前のハインリッヒ教頭からのありがたい嫌味なお説教、翌日までに書いてくるようにと言われた反省文――そして、三か月間の奉仕活動という処分。
これまで見聞きした話だと概ね学院内の清掃活動や教官の助手というのが奉仕活動の内容なのだが、私の場合は期間も長い為か少々事情が異った。
ハインリッヒ教頭によるお説教が終わった後に、学院長室に入ってきたのはなんとトワ会長。
彼女に『一緒に学院祭を盛り上げていこう?』なんてキラキラした顔で言われた時には何かの間違いかと思ったけど、詳しく話を聞けば、前々からリィンと一緒によく生徒会からの依頼を手伝っていた事を評価してくれていて、今回かなり長期の処分を受けるであろう私を、『ある人の推薦もあって』逆にスカウトしに来たというのだ。
タキシードが似合う何者かが糸を引いている気がそこはかとなく感じたが、実質的に拒否権の無い私はこうしてトワ会長に拾われて、特例的に生徒会の学院祭実行委員となる事となったのだ。
ただ、サラ教官も奉仕活動という名目で私を小間使いとして利用する気満々であり、今後三か月は忙しくなりそうな嫌な予感しかしないのだけど――実際、罰なのだしどうしようもない。バイトも当分はがっつり入ることは難しそうだった。
・・・
帝都ヘイムダル中央駅で私達を迎えてくれたのは、ケルディックでお世話になったあの鉄道憲兵隊のクレア大尉。
三ヶ月ぶりの再会に彼女と言葉を交わしていると、少し遅れてやって来たのがまさかのカール・レーグニッツ帝都知事閣下だった。そう、マキアスのお父さん。
帝国時報を読んでなくても知らない人は居ない位の超大物の政治家の一人、革新派のナンバーツーと云われる帝都知事の予想外の登場に、皆驚きの声を上げていた。
その後、帝都駅の奥まった場所にある鉄道憲兵隊詰所の会議室に場所を移して、今回の特別実習についての説明を受けることになった。
途中、レーグニッツ知事が士官学院の常任理事であることを明かした時には、やっぱりと思ったけど。なんとなく、駅で出迎えてきてくれた時にそんな気がしたのだ。
前にルーファスさんが仰った士官学院の三人の常任理事もこれで全員分かった事となる。勿論、最初の一人はユーシスのお兄さんで、アルバレア公爵家の跡継ぎでもあるルーファスさん。もう一人は直接お会いした事は無いのだけどアサルトライフルの件で多分お世話になったアリサのお母さん、確かイリーナさん。そして、マキアスのお父さん、レーグニッツ知事。流石の私でも『カールさん』とは心の中でも言えない。閣下の敬称が付く人を名前呼びなんて恐れ多過ぎる。
それにしても、こう考えるとⅦ組は本当に凄いクラスだと再確認させられた気がした。
特別実習の日程は本日から三日間。明後日、夏至祭初日の7月26日迄の予定だ。その間、ヴァンクール大通りを境にA班は帝都の東半分、私達B班は西半分で活動することとなると伝えられ、いつもの課題の記された書類の入る封筒と何やら手書きで住所の書かれた紙と鍵をそれぞれ受け取った。
「アルト通り……僕の実家がある地区だ」
アルト通りって……確か、この間アンゼリカ先輩と一緒にサボって帝都に来た時にお昼を食べた喫茶店のあった場所だ。あのピアノを弾いてくれた綺麗なお姉さんもエリオット君の知り合いだったり――うーん、なんだろう。何か引っかかる。
「うん、でもこの住所にはちょっと見覚えがないけど……」
「……父さん、もしかして?」
「ああ、帝都滞在中のお前たちの宿泊場所とその鍵だ。A班B班それぞれ用意してあるから、まずはその住所を探し当ててみたまえ」
ふふ、ちょっとしたオリエンテーリングといった所かな。と愉快な笑みを私達に向けるレーグニッツ知事ことマキアスパパ。なんというか、マキアスのお父さんっぽくない。まあ、私もお父さんには似ていないので人の事は言えないけど。
そんな彼の笑みとは反対に、私はA班と泊まる場所が別だったことに少し落ち込んだ。同じ実習地ということで少しは期待していたから、ちょっぴり残念で寂しい。こんなのだったら期待しなければ良かった。
「課題の方は帝都庁に市民から寄せられた要望を私の方で選んだものだ。勿論、課題の進行に関しては君達の判断に任せるが――」
そこでレーグニッツ知事は一拍置いた。
「――先に言った通り、今回の特別実習における君達の課題は帝都庁に寄せられた市民の要望――本来は帝都庁の担当部局が処理する業務を君達が代行する形となる。それを念頭に置いて行動して欲しい」
続けて知事は、何らかの証明を求められた時の為に帝都庁からの正式な業務委託書も封筒の中に入っているとの事も付け加える。
「つまり、帝都市民から見れば俺達は帝都庁の職員と同じ――ということでしょうか?」
「ああ、そういうことだ。無論、職務中――課題の遂行を行っている時に限るがね」
リィンの質問に頷いて肯定するレーグニッツ知事。
私は唾を飲み込んだ。今回の特別実習では、私達は遊撃士の真似事をしながら実習地について学ぶ士官学院生ではなく、公務員である帝都庁職員に準じた立場であり、課題という名の”職務”に当たる事となるのだ。
今までとは違うという、重要な責任がある”課題”に少なからず緊張する。それはみんなも同じだったようで、会議室はしんと静まり返っていた。
そこに陽気な笑いが響く。この場で笑えるなんて、一人だけ。私は長卓の奥に座るレーグニッツ知事に顔を向けた。
「そんな気負いしなくてもいい。今までの実習のレポートを読ませて貰った上で、君達になら任せられると私が帝都知事として判断した。だから、君達はいつも通りに活動して欲しい」
そう言われると少しホッとするけど、まだ見ぬ課題が楽なものになる訳でも、プレッシャーが特別軽くなる訳ではない。
「三日後に夏至祭を控えている今、帝都庁は猫の手すら借りたい位に人手が足りなくてね。もっと今年度の採用人数を増やす様に人事委員会に働きかければ良かったと今更だけど後悔しているよ」
「フン……景気の良い話だ」
「ユ、ユーシスさん……」
流石はユーシス様といった所か、いつも通りではあるものの、この場で、帝都知事によくそんな事を言えたものだ。その隣のエマが小さな声ではあるものの慌てて止めようとしているじゃないか。
「ハハ、確かにそう言われても仕方はないね。つい先日も貴族院ではそういう話も出たみたいだ。耳が痛い限りだよ。だが――ふむ……」
そこで少し考え始めた知事の。
「ここで簡単なクイズといこう。君達は帝都の人口が何人か知っているかな?」
80万人――今日の行きの列車の中でマキアスが教えてくれていた。本当に凄い数だと思う。
「――80万人だろ?父さん」
知事のクイズに答えたのもマキアスだった。何を簡単な問題を出しているんだ、とでも言いたそうだ。
「ああ、正解だ。一昨年の年度末の戸籍人口だね。正確には、先月の推計人口は85万5000人といった所かな」
「5万人も増えてる……」
思わず私は声に出してしまっていた。たった二年前で5万人――故郷のリフージョの村の250個分もの人が増えたのだ。
「三十年前、私が帝都庁に入庁した時、帝都の人口は40万人足らずだった。それが今や85万人。五年後には100万人を超える勢いで今、この瞬間も増え続けている。その帝都に住まう膨大な人々の全てに、安全かつ豊かで質の高い生活を実現し、更により質の高いものへと日々向上させてゆくのが私達行政の仕事である以上、どうしても毎年仕事量が増えてゆく一方になりがちでね」
そこで、レーグニッツ知事は眉尻を下げて苦笑いを浮かべた。
「ふふ、君達と同じく成長期真っ盛りの帝都を支える手伝いを頼むよ。私からは以上だ」
・・・
帝都駅の駅舎の中を私達はクレア大尉の先導を受けて外に向かっている。
みんなと一緒に出口に向かって歩きながらも、私はずっとある事を考えながら機会を伺っていたのだが、どうしてもあと一歩足を踏み出せないでいた。
鉄道憲兵隊の兵士以外に人通りのない通路を数分程歩くと、武装した兵士に厳重に警備されたゲートを経て、巨大で立派な造りの帝都駅のホールに出る。そこにはいくつもの待合所や売店があり、沢山の人で溢れていた。列車のチケットを販売しているカウンターに並ぶ大勢の人の列の向こうに出口のドアが見えた時、もう時間的猶予が殆ど無くなっている事に気付いた。私は慌てて、考えることを辞めて、ずっと視界の真ん中に収めていた彼の名前を呼んだ。
「エ、エリオット君……!」
前を歩くエリオット君に私は早歩きをして近づく。
「どうしたの?エレナ?」
立ち止まって振り返ってくれるエリオット君。丁度私が追い付いた所で、彼は足を再び動かし始めた。こんな所でみんなから置いて行かれる訳にもいかない。
「あ……あのね……」
ちょっと不安だ。嫌だって言われたら、どうしよう。一瞬だけそんな事に迷って言葉に詰まるが、すぐに意を決して口にした。エリオット君は多分、そんな事を言わないから。それに、時間もない。
「マキアスのお父さんが、帝都は《ARCUS》通信機能が使えるって言ってたじゃん?だからね……その……」
自分でも分かるほど声が小さくなっていっている。そして、物凄く照れくさい。
別に今までも偶に消灯時間まで二人で話したりしていた事もあるじゃないか。ただ、寮じゃなくて……実習中で二人で一緒じゃなくて……《ARCUS》の導力通信越しでってだけで……。
エリオット君の顔を見ているのが恥ずかしくなって、私は視線を少しだけ逸らした。
「夜とか……話したくなったら、掛けていいかな……?」
そう言い切った後は、途端に彼の反応が気になってチラチラと見てしまう。
エリオット君は少し驚いたような顔をしていた。
だけど、すぐに私の大好きな微笑みと共に「うん、いいよ」と快諾してくれた。
「やった……!ありがとうっ!」
ああでもないこうでもないと、さっき迄悩んでいたのが嘘のよう。Ⅶ組のみんなや帝都駅を行き交う沢山の人が居るのでやらないが、二人っきりなら飛び上がって喜んだに違いなかった。
離れていても彼と一緒の時間を過ごせられるというのは、それ程嬉しかった。
・・・
帝都駅の前でA班の面々と別れた私達B班は、大きな駅前広場の西口にある導力トラムという路面鉄道の乗り場にいた。
「9時20分ってことは……後6分ね」
「ええ、そうですね」
少し錆びた鉄製の停留所の標識の向こう側で、アリサとエマが《ARCUS》を片手に時刻表を見ている。
「少々時間があるな」
「一応、お金の準備だけしといた方がいいよ。一人50ミラ。コインのみだよ」
入学式前日に導力トラムに乗った時に、お札を出したら断られた事を思い出して、みんなに言った。なんとなくだけど、B班の五人の中で導力トラムを乗った経験があるのは私だけな気がしたから。
「ふむ……しかし、街の中にも鉄道が走っているとは驚きだな」
「まあ、これぞ帝都って感じよね。乗ったことは無いのだけど」
「帝都は何度か訪れているが、実際に乗るのは俺も初めてだな」
ユーシスとアリサはきっとどうせ、迎えのリムジンやらがあったに違いない。片や《四大名門》の東の公爵家と名高いアルバレア公爵家の御曹司、もう片や帝国最大の総合導力メーカーのラインフォルト社のご令嬢なのだから。
「この西回りのトラムだと、ヴェスタ通りまでは15分位の様です」
「マキアスの話では庶民的で賑やかな場所という話だったが……ここよりも賑やかな場所なのだろうか?」
帝都駅前の広場を見渡してガイウスがそう呟いた。広場には駅舎のエントランスを起点に沢山の人が行き交う流れが出来ていた。あの中には私達のように帝都を訪れる人も居れば、これから帝都を発ち帝国内の各地や外国へ向かう人も居る事だろう。あの巨大な帝都駅で働いている人も居るかもしれない。それにしても駅の中も外も凄い数の人だ。
「その通りには出向いた事は無いからわからんな」
「ええ、そうね……ラインフォルトのお店がある事は知ってるけど……ごめんなさい」
確かによく考えてみれば、ヴェスタ通りは今までの二人にはもしかしたら縁遠い場所なのかもしれない。
「大通りなのに駅の中みたいな感じだったよ」
「それは……凄いな」
私がつい先程出くわした人集りを例にして伝えると、あのガイウスが目を見開いて驚く。
「そういえばお前は帝都に来たんだったな?」
「うん、ヴェスタ通りでアンゼリカ先輩と服屋さんで買い物したんだ」
買い物したのは庶民的な大型の衣料品店《ルッカ》。あそこで買った薄手の生地のパーカーは、サマーセーターの代わりに今日も腰に巻いている位に重宝していた。それとは正反対に、アンゼリカ先輩が買ってくれた大きなリボンの付いたヘアバンドは一回も使ってないけど。やっぱりリボンは恥ずかしいのだ。
「ふむ……ならばここはお前に任せる」
「はい?」
「サボりとはいえ色々な場所を回ったのだろう。少しは俺達の役に立ってみせろ」
「ええっ!?」
ユーシスが私を頼った!?
まさかの大事件に私は驚きを隠すこと無く叫んだ。
・・・
導力トラムに揺られること二十分程、週末ということで人通りで賑わっている帝都の西の大通りに私達は居た。
「へぇ、楽しそうな通りじゃない」
導力トラムを降りたアリサが真っ先にそう口にした。確かにぱっと見でもこの間入った《ルッカ》ともう一つの洋服屋さん、それに加えて靴屋さんや化粧品専門店。観光客向けのグッズやアクセサリーを売ってる露店も目につく。このままショッピングに洒落こんでしまえば半日は確実に楽しめそうだ。
でも、残念ながら今回はショッピングに来た訳ではない。取り敢えず、宿泊場所を探し当てるのが先決だ。ショッピングは――時間があったら、いきたいなぁ。
それにしても、一緒に行く人というのは結構重要である事を感じる。アンゼリカ先輩の時は何故かショッピングなんてあまり考えなかったのに。
「ヴェスタ通り5-26-126かぁ……」
「わかるか?」
辺りを見渡した私に、声を掛けてきたユーシス。
「まさか」
私は即答した。
「私、自慢じゃないけど、今までこんなに数字の並ぶ住所なんて見たこと無いよ」
5-26-126って数字が六つもある。5番地っていうんだっけ、いや、最後が126番地になるのかな。ってことは、最初は5番街?
きっとユーシスには「使えない奴だ」だの言われると思ったが仕方が無い。だって全くもって分からないのだから。ちんぷんかんぷんだ。
「フン、奇遇だな。俺もだ」
「ええ……私もです」
「オレもだな」
珍しくユーシス様と私の意見が一致したばかりか、エマとガイウスも続いて同意してくれた。
「あなた達ねぇ……実家とかの住所どうしてるのよ」
それに対しての呆れ顔のアリサ。
「だって、実家はアゼリアーノ酒店・リフージョ・サザーラント州で届くし。住所なんて書いたこともないよ」
通りの名前も番地も書いたこともないし、ぶっちゃけ分からない。故郷のリフージョの村には”アゼリアーノ酒屋”は一つしか無いし、郵便の配達員のおじさんも一人だけで、それも常連客だ。
きっとアリサやエリオット君なんか長ったらしい住所を手紙に書いてきたんだろうなぁ。そう考えると、少し得した気分になる。これぞ辺境の田舎者の勝利だ。
「オレも同じようなものだな。父の名前とノルド宛である事を書いておけば問題無く届く」
「トーマ君が郵便を運んでいるんですよね」
トーマ君っていうのはガイウスの弟、なんでもシャルちゃんっていう国境門に住んでいる帝国人の女の子と仲が良いらしい。先月の特別実習から帰って来た後にアリサとエマから可愛らしい話を沢山聞いた。
「……で、ユーシスは?」
アリサの視線がユーシスに向けられる。そして、彼の口から出た言葉は、衝撃の一言だった。
「手紙なんぞ公爵家の印璽のみで届く」
「凄っ!?」
本当に上には上がいるという事を痛感させられる。
ちょっと得意気になっていた私の鼻を、ガイウスとユーシスは丁寧かつ即座に折ってくれた。
私が”店・村・州”と書くところをガイウスは”名前・ノルド”、ユーシスは印璽のみ。
「……まあ、なんとなく想像は付いたけど」
アリサが呆れるような仕草をする。
「仕方無いです。ここはアリサさんが……」
「そうだよー、この五人の中で都会育ちはアリサだけなんだから」
「うっ……」
アリサは意を突かれた表情の顔を、少し赤くして逸らす。
「……住所なんて分かるわけ無いでしょ……私だって……」
そこから先は声がフェードアウトしていって聞き取れなかったが、なんとなくは分かる。
この子は生粋のお嬢様なのだ。
「フン……大方そんな所だと思っていたが」
「え……私達、迷子?」
「と、とりあえず、人に聞けば分かるかもしれませんし……!」
帝都出身者のマキアスとエリオット君の居ない私達B班は早くも前途多難であった。ユーシスはハンデを与えてやったなんてマキアスに豪語したけど、これはちょっとばかり大きすぎるハンデな気がした。
こんばんは、rairaです。
さて、今回は7月24日、第四章の特別実習の一日目の午前中となります。
学院長の処分によって、奉仕活動の一部という名目でまさかの生徒会入りを果たしてしまいました。トワ会長のお仕事をちょっとでも…って、エレナの場合は増やしそうですね。
原作をプレイしていてよく思うのが、特別実習のアンバランスな班割りです。ゲーム的都合なので仕方無いとは思うんですけどね!
本当は九人揃って行動したいんですよね。旧校舎の方も人数制限があるし…うーん。
次回は同じく7月24日の午後、特別実習の課題のお話です。とある人物と再会する予定です。
最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。