光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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7月26日 帝都繚乱・前編

 強烈な閃光、頭を揺るがす衝撃、鼓膜を貫いた爆音。

 

 激しい耳鳴りと背中に痛みを感じつつも、少なくとも私は自分の身体が無事である事を把握した。

 未だ閃光の焼き付きが残る視界に映ったのは、士官学院のネクタイ。これは男子の夏服――ユーシス!?

 

「……ユ、ユーシス!? 大丈夫!?」

 

 必死に私は、まるで私を守る様に覆い被さった彼の名前を呼んだ。

 

「……煩い喚くな。俺は問題無い」

 

 彼の不機嫌そうな顔を見て、私は安堵すると共に一気に現実に引き戻される。激しい耳鳴りが響く中、辺りに満ちていたのは歓声ではなく悲鳴。辺りに立ち籠める濃い煙霧と煤塵。

 

 ああ、私達は守れなかった――テロは、恐れていた凶行がこの場で起きてしまった。

 

 観衆の悲鳴と慌ただしい足音が聞こえる度に私の中で何かが崩れてゆく気がした。そして、その度に煙の所為ではない涙が頬を伝う。

 

「クッ……状況を確認する。お前は殿下の所へ急げ」

 

 ユーシスが立ち上がり、私からは見えない観客席のスタンドに目を向ける。

 彼のその声には小さな揺らぎ、そして、震えがあった。

 

 状況――この帝都競馬場で、爆発が起きた。

 爆発――私は確かに見た。馬達が駆けていた中、コースから――ガイウス!

 

「ねぇ、ユーシス!? ガイウスは……ガイウスは!? ねぇ!?」

「それを確認してくると言っている!」

「私も行く!」

 

 未だに床に膝どころか腰を付いたままで、目の前の彼の様に立ち上がってすらないのに、その言葉は即座に出た。考えるまでもなく、気付けば出ていた。

 ガイウスが、私達の仲間があの中にいたのだ。あの――悲鳴に満ちた煙霧の中に。

 

「阿呆! お前は殿下の下へ向かえ!」

「でも!」

「行けといっている!」

 

 ユーシスは剣を手に取り、私に背を向ける。

 

「ま、待って……! ユーシス!」

 

 精一杯の力でユーシスの腕を私は掴んだ。

 

「ガイウスが……ガイウスが……!」

 

 観客席は先程の爆煙が未だ立ち篭めており、その様子をこの場から把握する事は出来ない。しかし、観衆がこちら側に逃げるように押し寄せて来ている事からその状況は嫌でも想像出来た。

 ガイウスはコース側に向けて巡回していたのだ。あの爆発の中に、彼は……!

 

「……アゼリアーノ」

 

 ユーシスが私の手を掴んで、自らの腕から離す。そして、私の両肩に彼の手が置かれた。

 

「俺たちは何故今ここにいる」

「それは……」

 

 テロ対策、その警備の為。鉄道憲兵隊や帝都憲兵隊と共に、テロの脅威からこの夏至祭を守る為。

 しかし、テロは起きてしまった。悲鳴と恐怖に満ちたあの爆煙の中では何百人、いや何千人もの人々が――。

 

「全てが混乱しているこの状況下、俺達には士官学院生として、Ⅶ組の一員としてまず為すべき事があるだろう!」

 

 ユーシスの真剣な空色の瞳が向けられる。

 

「……その為に、お前はここに居る。違うか?」

 

 その時、彼の瞳が揺れている事に私は気付いた。

 ユーシスでさえ、動揺しているのだ。

 

「……ごめん」

「……分かったのならば良い」

 

 再びユーシスは背を向けて、続けた。

 

「それに、あの男がそう簡単に果てる筈が無かろう。……殿下の安全の確認が取れ次第、連絡を寄越せ。三人で合流するぞ」

 

 そう言い残し、彼の背中は観客の流れに逆らって黒い煙霧の中へ駆けて行った。

 

 

 ケースから乱暴にライフルを取り出しスリングを肩に掛け、手早くマガジンを一つだけ取り出して装着する。

 そして、いつでも撃てる状態にする為に、弾丸を送り込むレバーに触れた。

 まさか、この場所でこのアサルトライフルを構える事になるなんて――未だに煙霧で視界が悪いスタンド方面に目を向ける。

 

 近くではやっと対応を始めた帝都憲兵が混乱する観客を制止しようとしているが、一万人を超える観衆の前では憲兵も多勢に無勢だ。このままでは混乱する場内で二次災害の群集事故が起こりかねない。

 

 ちくしょう――テロリストの野郎ども――私は、許さない。絶対に――。

 

 力を込めて、レバーを一気に引いた。

 

 

 私は競馬場の建物の最上階を目指していた。三階への一番大きな階段は溢れ出す観客とそれを抑える帝都憲兵で大混乱に陥っていたが、屋内は帝都憲兵側の努力もあってスタンド程の状況では無かった。私はその傍らを、小さな非常階段を使って四階へと突進する。

 

――ガイウス……いや、彼は大丈夫だ。私は信じている。

 

 オリヴァルト殿下――とても気さくで、面白い方だった。まるで皇族の方だというのが嘘の様に思えた位。もっと違う形で……昨日は突然過ぎたが、もっともっとよくお話を聞きたい方であった。……どうか、どうか、ご無事でいて下さい。

 

 勢い良く非常階段の扉を開いて私は四階の貴賓エリアへと飛び込む。

 この音で警備の鉄道憲兵隊の兵士は何者かが四階に入ったことを気付くだろうし、この近くに兵士もいる筈だ。彼らに殿下の安否を訊ねれば私の任務は成功だ。

 

 私はふと辺りを見渡す。扉を内装も装飾も三階や二階とは打って変わって豪華になり、私はバリアハートの《ホテル・エスメラルダ》を思い出した。

 だが、一つだけ異常があった。

 

 どうして?

 

 ここはおかしい。いや、見渡す限り四階のこの大通路全てが明らかに異様だ。こんな筈は無いのに。

 

 静か過ぎる。

 

 四階にいる筈の鉄道憲兵隊の兵士が誰一人も居ないのだ。鉄道憲兵隊の一個中隊約150名によって警備されていた筈なのに。そういえば、三階でも観客の混乱を抑えようとしていたのは藍色の軍服の帝都憲兵隊の兵士だけ。灰色の軍服の兵士は一人も見なかった――まさか……いや、もし仮にそうだとしたら、痕跡が残る筈である。銃弾や……遺体なり。それが無いという事は、もうオリヴァルト殿下は鉄道憲兵隊と共にこの場を離れられたのだろうか。

 

 不安と安堵が入り混じる思考の中、私は大通路をまっしぐらに走り、貴賓室へと向かう。

 大聖堂で鉄道憲兵隊の女性将校さんから貰った帝都競馬場の見取り図の記憶が正しければ、この大通路の真ん中、あの装飾過多で帝国国章の黄金の軍馬の彫刻のホールの奥の扉の向こうが皇室専用の貴賓室である。

 

 私はそのままその扉に体当りした。

 

「皇子殿下! ご無事ですか!」

 

 

・・・

 

 

「止まれ。何者だ」

 

 貴賓室に飛び込んだ迎えたのは、低く冷たい声。そして、私の目の前をその大きな身体で遮る帝国正規軍の将校。

 上から凄まじく鋭い眼光が私を貫く。

 彼は剣など構えていないはずなのに、その眼だけで私なんて今すぐ斬り裂かれてしまいそうな程恐ろしい威圧感を漂わせていた。

 私はまるで金縛りにあったように、その場から一歩も動けなかった。いや、金縛りじゃない。喉元にまるで巨大な剣が添えられている様な――まるで死刑執行台に今まさに乗っているような――。

 

「おや? 君は――ハハッ、これは驚いたね」

 

 圧倒的な強者の気を当たられて極限の状態にあったその場の空気を崩したのは、場違いな程軽い声。

 黒髪で長身の帝国軍将校が立ち塞がった数アージュ後ろで、昨日会ったオリヴァルト殿下が私を振り返った。

 

「お、皇子殿下! ……ご無事でしたか!」

「ああ、無事だとも。親友のお陰でね。うーん、これも愛のなせる技だね」

「おい」

 

 どこから突っ込んでいいのか、と考えたのも一瞬。殿下を将校が睨みつけた。正直、さっきより怖い。

 

「親友……え、ええっと……帝国正規軍の将校の方とお見受けしますが、オリヴァルト殿下の、その、凄腕の護衛の方というのは……」

「ああ、彼の事だよ。ホラ、ミュラー。ちゃんと自己紹介しないと」

 

 殿下を再びひと睨みしてから、咳払いしてから長身の将校は私を向いた。

 

「帝国正規軍第七機甲師団所属ミュラー・ヴァンダール少佐だ」

「ト、トールズ士官学院1年Ⅶ組所属エレナ・アゼリアーノと申します! しょ、少佐殿!」

 

 まさか、こんなにお若いのに少佐だなんて。やはり、殿下の護衛を任される程の凄腕と言われるだけあって、階級も高かった。

 

「オリビエ、彼女は――」

「――ああ、《Ⅶ組》の子さ。前に書類は見せただろう? どうだい?」

「ふむ……」

 

 再び上から浴びせられる視線に鼓動が早くなる。

 

「それはそうと、昨日振りだね。また会えて嬉しいよ」

「お、殿下にそう言って頂けて……その、こ、光栄です……」

 

 それは、殿下の優しいお言葉にもう一段階早くなり、顔が熱くなる。

 やばいやばい! こんな事言う前に、私には報告しなくてはいけないことが――。

 

「あ、あの! 実は……殿下! 鉄道憲兵隊の警備が……!」

 

 居ないのだ。一人も。さっきは皇子殿下と共に既にこの場を離れたのかと思ったが、皇子殿下はこの貴賓室で私の目の前にいるのに。

 かといって二階のスタンド裏では灰色の軍服を着た兵士の姿は見ていない。

 

「ああ、彼らはもうここには居ないよ」

 

 あっけらかんとした様子で言い放った殿下に、私は思わず拍子抜けした。

 

「僕から頼んで他に行って貰ったんだ。こっちはフェイントだったみたいだからね。彼らの優秀な司令官の読み通り、元々この場所にはそれ程人手も割かれていなかったみたいだけど」

「フェイント……ですか?」

 

 殿下の言葉の意味を理解するのに、私は少しばかりの時間を要した。

 フェイント――つまり、あの爆発が陽動だというのだろうか。そんな馬鹿な。

 

「僕を狙うにしても、観客を狙うにしても、わざわざコースの中に爆弾を仕掛けたりしないだろうからね」

「で、ですが……!」

「仮に先程の爆発が被害を与える事を目的とした物ならば、今頃観客席は見るも無惨な状況である筈だ。音と衝撃で戦闘能力を喪失させる事に重きを置いた非殺傷爆弾――煙は大方発煙筒だろう」

 

 恐れ多い私の殿下への言葉を、ミュラー少佐が的確かつ反論を許さない口調で遮って更に続ける。

 

「大方ここに居る観客を混乱に陥らせたまま、市中に解き放つ算段だったのだろう。市中で混乱が爆発的に広がれば鉄道憲兵隊も機動的に動けなくなるからな」

「そういう事さ。説明ご苦労、ミュラー君」

 

 その時だった。この皇室専用の貴賓室のテラスの向こうに竜巻――いや、純粋な空気の渦が見えたのは。

 

 私達三人は、テラスの柵へと駆け寄りそれを見上げる。

 大きな空気の渦は七耀の風属性の導力を象徴する緑色の光を帯び、眼下の観客席のスタンドに立ち籠めていた煙を瞬く間に吸い込み、遥か上空へと吐き出してゆく。

 

「……ほお……」

 

その空気の渦に感嘆の溜息を漏らす殿下。

 

「……狼狽えるな……! ……虚仮威しに過ぎん……!」

 

 確かに私は今、声を聞いた。ここからでは微かだが、間違いなくこれでもかという位の大声での叫び声だ。

 ユーシスとガイウスの声。その声の主の姿を探し出そうと、私はテラスの柵から身を乗り出す。

 

 いた――!

 

 観客席の中央辺りで声を上げているユーシス。導力魔法の空気の渦に吸い取られながらも、未だ煙を吐き出し続ける発煙筒を帝都憲兵と共に処理しようとしているガイウス。

 

 彼を見つけることが出来た時、私は感極まって目尻が熱くなった。

 そして、何度も胸を撫で下ろした。

 

 

「先を越されてしまったが、僕も一仕事させて貰おうかな」

 

 そう一言残して、テラスの観戦席の傍らに置かれた黒い筒の様な導力器を手にした。

 

<――ああ、そうだとも。観客諸君――>

 

 殿下のお声が、導力器を通じて場内に響いた。

 

 

・・・

 

 

 オリヴァルト殿下直々の観客への言葉というパフォーマンスで、それなりに落ち着きを取り戻した観客の殿下への歓声が続く中、私の《ARCUS》にユーシスから通信が入った。

 

<――こちらでも殿下を確認した――>

「……うん、こっちもユーシスとガイウスの声は聞いた、ちゃんと見たよ……」

<――そうか。すぐにでも合流と行きたい所だが、話が変わった――>

<――まず、殿下にお伝えして欲しい事がある。競馬場周辺でいくつかの水道管が破裂し、道路が冠水している。恐らく導力車での避難は難しいだろう――>

 

 ユーシスは帝都憲兵からの確かな情報である事を続けた。私は彼に一旦待って貰って、そのまま皇子殿下に伝える。

 

「――なるほど。冠水か。それは面倒な事になったね。仕方無いから、このまま――っていうのは無いだろうし……やれやれ、大人しく皇城に戻らせて貰おうか」

 

 途中、またミュラー少佐に睨まれた殿下が態度を百八十度反転させた。

 「これ以上僕がここに居ても現場に後々迷惑事が増えるだろうからね」、と首を左右に振りながら付け加える殿下。

 

「どうするつもりだ? まさか歩いて避難と言うのではあるまいな?」

「あ、歩いて、ですか!?」

「それも楽しそうなんだけどねぇ――ミュラー君、目が怖いよ?」

「……」

「まあ、元よりこの状況下だ。最初から導力車で自由に移動出来るとは思っていなかったさ」

 

 ミュラー少佐の怖い目という無言の圧力が効いたようだ。

 

「と言う訳で君達《Ⅶ組》にも協力して貰いたいんだが――いいかな?」

「は、はい! 勿論です!」

 

 私を含めてⅦ組の三人は殿下のご命令であれば、何でもするだろう。

 

「オリビエ、何をするつもりだ?」

「ハハッ――簡単なクイズだよ。今、僕達がいるのはどんな場所だい?」

 

 殿下が笑いながら出された簡単過ぎるクイズに、私とミュラー少佐は思わず三十リジュの身長差を乗り越えて顔を向き合わせた。

 

 

・・・

 

 

 オリヴァルト殿下の正直突拍子も無い発案に驚いたのは、私だけではない。ユーシスに《ARCUS》を通じて殿下のご提案を伝え、それに伴う準備を彼とガイウスに頼んだ時は、もう一度聞き返された位だ。

 ただ一人、ミュラー少佐は驚きというより呆れて物も言えないというような顔をしていた。手を頭にやって俯く彼がため息混じりに漏らした一言に、私はこの長身の正規軍の少佐が苦労人である事を悟ると共に、やはり、皇子殿下と彼の間柄は単なる皇子と護衛ではないという事を再確認した。

 

 殿下が最初に言った”親友”という言葉が本当なのだろう。それにしても、『いつもいつも』こんな破天荒な発想が浮かぶなんて殿下は本当に自由人というか……。

 私の中でオリヴァルト皇子殿下のイメージがどんどん崩れていくのを感じた。パルムで最初にお目にかかった時は、超イケメンで格好良い殿下の横顔に騒いだっていうのに。

 

 

 今、私は殿下とミュラー少佐を伴って三人は狭い非常階段を下りていた。先程ここを通った時は無我夢中過ぎて特に気付かなかったが、この階段は大分横幅が狭い。私は勿論、殿下もギリギリ問題ないが、肩幅のある少佐は結構大変そうだ。

 だからこそ、私は自分から申し出て先鋒を務めていた。それに、ミュラー少佐は皇子殿下の専属の護衛である以上、何よりも殿下の背中を守らなくてはならないから。

 

「いやぁ、君達が居てくれて本当に助かったよ」

「そ、そういって頂けて光栄です……私も殿下がご無事で本当に……」

 

 やばい、殿下のお声が近すぎて、うなじにかかる吐息がくすぐったい。こんなことなら、髪を下ろしておけば良かった。

 

「安心するのはまだ早い。陽動があったという事は、違う場所が敵の目標となったという事だ」

「……あ……」

 

 大聖堂前で手を振って下さったセドリック皇太子殿下、そして、昨日の夕方のお茶会で私に笑いかけて下さったアルフィン皇女殿下の笑顔が立て続けに脳裏を過る。

 ここが陽動であれば、もしかしたらどちらかが狙われている事になる。

 

「まあ、そういう事だね。ここで爆発が起きてから約十五分弱……そろそろかもしれない」

 

 殿下の言葉に私は唾を飲み込んだ。

 思わず振り返った私は、暗い非常階段の中沢山の想いを押さえ込んだ殿下の表情を見て、何も口にすることは出来なかった。

 

 

 程なく私はこの階段の一番下、地下一階に辿り着く。ミュラー少佐によると地下には通路がありコースの内側に出れるのだという。ちなみに、ユーシスとガイウスとはそこで落ち合う予定だ。

 

 競馬場内にはテロリストは既にいないだろうとは思う。だが、もし潜伏や逃亡中であれば地下道というのははおあつらえ向きでは無いだろうか。

 仮にこの扉の向こうに彼らが居たとすれば――……ぎゅっと、ライフルのグリップに力が篭もる。

 

「……私が扉を開きます」

 

 後ろの殿下と少佐が頷くのを確認した私は、ノアノブをゆっくりと回す。

 そして、思いっ切り扉を蹴り飛ばし、銃口を向けた。

 

 誰も居ない。

 

 天井に埋め込まれている導力灯はいくつかが切れており、通路は薄暗いが特に問題が有るわけではない。

 扉や人が隠れれる障害物などがあれば警戒しなくてはいけないが、そういった場所も無く、出口は外からの光が差し込んでいるので一目瞭然だ。

 

 私は緊張の糸が少し解れて、溜息が漏れた。私は薄暗い地下通路へと足を踏み入れる。

 

「……あっ……」

 

 冷たい。雨の日に思わずぬかるみに足を突っ込んでしまった感覚。いや、それ以上だ――くるぶし辺りまで水が一気に染みこんでくる冷たさを感じる。

 

「大丈夫かい?」

「水か……それ程の深さではないが――こんな所にまで浸水してきているとはな……。行けるか?」

 

 思わず声を出してしまった私を殿下と少佐は心配してくれたようだ。

 

「……大丈夫です。このまま先行します」

「頼もしいねぇ。うーん、こうしているとなんだか二年前を思い出すよ」

 

 護身用と思われる金の装飾が施されたラインフォルト製の導力拳銃を手する殿下が楽しそうに口にされた。殿下、なんだか慣れているような……気のせいだろうか。流石に皇族の方が導力銃に慣れている訳は無いか。

 

「二年前……ですか?」

「ああ、二年前、僕がリベールを旅行した時の事さ。そういえば、あの時の彼女は丁度今の君と同い年だったかな――フフッ、これは偶然の一致とは思えないね。君もそう思わないかい、ミュラー?」

 

 殿下の振りに、「さてな……」と興味なさげに呟いたミュラー少佐。しかし、何となく口元が緩んでいるような気がした。

 

「えっと……その、彼女、ですか?」

「フフ、気になるかい? だが、続きはまた今度の機会としようか。どうやらお迎えのようだ――」

「皇子殿下!」

 

 私が殿下に聞き返すのを遮るように、出口側から聞き覚えのある声が殿下を呼んだ。

 薄暗い地下通路に人影が二つ。それは私のよく知る二人だった。

 

「ユーシス……! ガイウス!」

 

 私はそのまま水浸しの床を、二人に向けて駆けていった。

 

 

・・・

 

 

「まさか、お前……」

 

 馬上からのユーシスの視線が痛い。

 

 薄々感じていた私の不安は本当の事となった。

 目の前にはオリヴァルト殿下の頼みでユーシスとガイウスが用意した馬達――それもサラブレッドという逞しい競走馬の前で私は立ち尽くす。

 馬に乗っていないのは私一人。ガイウスとユーシスは勿論、殿下とミュラー少佐もしっかりと騎乗されている。だからこそ、頭の上からの視線が辛い。

 

「私、馬乗れないんだけど!」

 

 お察しの通り、私は馬なんか乗れない。

 田舎育ちの癖にと思われそうだが、残念ながら乗れない。第一、故郷の村にいた馬は大体ポニーだ。こんな競走馬なんてまず絶対無理なのだ。

 

「ってゆうか、ユーシス、知ってたよね!?」

「そうなのか?」

 

 目一杯反論をユーシスにぶつけると、私からは目を逸しやがった。ガイウスに訊ねられて、バツの悪そうな顔をしている。ああ、これはきっと忘れてたのだろう。

 

「チッ……」

「ほぉ……? じゃあ、僕と一緒というのはどうだい? ちゃんとこの腕の中に抱きとめて皇城まで――」

 

 舌打ちと共に嫌そうな顔をしたユーシスが私に向き直った時、後ろからとんでも無い誘いが飛んできた。

 

「うぇぇえぇっ!? で、殿下!?」

 

 自分でも驚く程素っ頓狂な声が喉から飛び出した。というか、心臓まで飛び出なかったのが不思議なぐらいだ。違う意味で爆弾テロよりも驚いたかもしれない。

 

 あの、オリヴァルト殿下と一緒に――って、皇子様と一緒って、まるで、私がお姫様みたいじゃないか――おあつらえ向きに、殿下のお乗りになっている馬は白毛の馬だし――。

 私の気のせいか、殿下は少々頬を赤らめられてられている。照れて居らっしゃるのだろうか……私も沸騰しそうな位に熱いけど。

 

「い・い・加・減・に・し・ろ」

「……ハイ」

 

 私の場違いな妄想混じりの世界に終止符を打ったのは、ミュラー少佐のお怒りの声。打って変わって怒られた子供の様に殿下はシュンとなされている。少佐、恐るべし。

 

 とにかく、殿下とご一緒だなんて冗談でもあり得ない。殿下も冗談だろうし、本当だったら私……死んじゃう。

 

 ガイウスは――……槍を持つ以上、私も乗せてと言うのは無理だろう。少佐に頼むのは論外過ぎる。今度は私が怒られそうだ。となると消去法で――くっ、その『乗せてやらんこともない』といった顔がとても気に食わない。

 しかし、流石に殿下をこれ以上待たせる訳にもいかなかった。これが背に腹は代えられないという奴なのだろう。

 

「……ユーシス。……お願い。乗せて」

「フン、不本意な事この上ないが、まあいいだろう。馬への負担も考えれば致し方有るまい」

 

 相当ぶっきらぼうに私はユーシスに頼んだ。

 なんか色々と言いたいことはあるが、向こうも向こうで理由が必要なみたいだった。

 

 

 ユーシスの《ARCUS》の着信音が鳴ったのは、丁度私が彼の後ろに乗った所だった。殿下と少佐も見守る中、ユーシスは多分B班のリーダー的存在であるアリサと現在状況について話すのだが、どうやら内容は悪い知らせのようだ。

 彼の背中に居る私からでは顔は見ることは出来なかったが、その声色で重大な事が起きたこと位は充分把握出来た。

 

「……了解した、アリサ、お前達も最善を尽くせ」

「ユ、ユーシス……」

「その様子だと悪いニュースの様だね?」

「ええ――残念ながら……殿下の仰る通りです」

 

 ユーシスは皇太子殿下の居られるヘイムダル大聖堂が襲撃を受けた事を告げた。

 大聖堂至近に突如として現れた数十人のテロリスト集団と警備の鉄道憲兵隊が、今まさに交戦中だという。そして、競馬場周辺と同様に帝都内各所で水道管が破裂し、道路と路面鉄道共に交通網に甚大な混乱が生じているという情報もアリサ経由で届いた。

 

「――そうか」

「殿下……」

 

 先程まで私に冗談を飛ばしていた殿下が目を伏せた。

 今危険な目に遭われている皇太子殿下は、他ならぬ殿下の肉親なのだ。

 

「ハハ、気にならないといえば嘘になるけどね。兎に角、僕達はまずここを離れるのが先決だろう」

「皇城までお供致します。殿下」

「先鋒は引き受けさせて貰おう」

 

 ユーシスとガイウスの言葉に、私は二人がまるで殿下を守る騎士になったように感じさせた。無言で頷くミュラー少佐の貫禄に決して負けてはいない。

 

「ノルドの勇士が先鋒か、これは参ったね。生憎、僕はそういう器では無いんだけどねぇ」

 

 三叉槍を片手に前に馬をゆっくりと移動させるガイウスの頼もしい背中に、殿下が小さく笑いながらぼやいた。

 

 

・・・

 

 

 ヴァンクール大通りの景色がもの凄い速さで流れてゆく――通り沿いでは帝都市民が驚きの声を上げるが、それも一瞬。次の瞬間には遥か後方へと流れて行ってしまう。

 私達の乗る四騎の馬は、オリヴァルト殿下を守るべく楔型の陣形で帝都を南北に駆け抜けていた。

 

 言葉通り先鋒を務め、私達の前を走るのがガイウス。オリヴァルト殿下を中心にミュラー少佐が右翼、私とユーシスの乗る馬が左翼だ。

 

 馬に誰かと乗るのは初めてじゃない。

 流石に主流という訳ではないが、帝都と違って故郷ではまだ馬車も使われていたりするので、馬はそれなりに乗り物として利用されていたりする。

 それでも、ユーシスの背中に嫌々ながらも必死にしがみつきながら、私は競走馬の速さという明確な違いを感じ取っていた。

 こんな時に言う物では無いけど、乗り心地の悪さはアンゼリカ先輩のバイクの比じゃないかも知れない。

 

 私達に思わぬ幸運となったのは、帝都憲兵隊の交通規制によって大通りには障害物となる導力車は少なかったこと。だからこそ、馬達は導力車に負けず劣らずのこんな速さで走ることが出来、ものの数分で既に皇宮《バルフレイム宮》迄の道程の半分を既に走り切っていた。

 

 あとちょっとで、皇宮に着く。そうすれば私達は襲撃を受けた大聖堂方面に向かえる。この馬達であればそれ程時間も掛からずに辿り着けるだろう。

 

 しがみつくのに必死でユーシスの背中に左頬を密着させているような状態の私だが、こんな激しく揺れる中でも右隣に憧れのオリヴァルト殿下がいらっしゃると思えば気が気でなかった。陣形を組んで走りだしてから度々殿下の様子が気になってチラチラと見ていたけど、遂にそれがバレてしまった。

 

 殿下が私の視線に気付かれて、笑いかけて下さったのだ。もうすっごく恥ずかしくて顔が真っ赤になりそうだったけど、それ以上に嬉しい。こんな時にも拘らず胸の中でもう一人の自分が黄色い悲鳴を上げている。

 

 しかし、別れは突然だった。

 

 殿下に笑いかけて貰った余韻が尾を引く私の前で、殿下が右翼のミュラー少佐に目配せをしたのだ。少佐はそれに小さく頷いて応えると共に、私達がここまで維持していた陣形が横に伸びていく。少佐の騎が私達から離れた。

 

「殿下、何を――!?」

 

 それに気付いたのだろう。しがみついている背中越しにユーシスの叫び声が響く。

 

「フッ、ここでお別れさ! 君達は次の道を西に抜けて大聖堂へ向かいたまえ!」

「そういう事だ。後は任せておけ」

「殿下、少佐!」

 

 殿下と少佐の馬が速度を増して私達から離れてゆく。最後に、離れ行く殿下が振り向いて私達に叫んだ。

 

「女神の加護を――どうかセドリックを、我が弟を頼んだよ。Ⅶ組の諸君!」




こんばんは、rairaです。
DLCのマキアスの私服に笑ってしまいました。トリスタ放送のTシャツはともかく…サングラスってマッキー。笑
あ、トワ会長は相変わらずの天使さんですね…流石です。

さて、今回は第四章の特別実習の三日目、帝都競馬場でのお話となります。
B班の三人、特にガイウスとユーシスは「混乱を治める」という意味で大きな活躍をした形となりました。もっとも、空のチェインの時な感じで「トリはいただき!」と良いところはオリビエに持っていかれてしまいましたが。まぁ、Ⅶ組らしいといえばⅦ組らしいですね。

主人公エレナにとっては、このお話が初めてオリビエとまともに話せた後々重要な意味を持つお話となります。

それにしてもオリビエとミュラーを書くのは本当に楽しいです…これで出番が終わりなんて…。本当はこの二人を一緒の馬にしようとか思っていました。

次回はヘイムダル大聖堂、アリサ嬢とエマさんと合流する予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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