光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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第5章
8月21日 先輩と生徒会長


 私の部屋の日めくりカレンダーは未だ月初めの日付で止まっているけど、もう既に八月も後半に差し掛かる頃。

 暦上ではそろそろ夏の終わりを意識させる頃合いではあるものの、今年のお日様はずいぶんとお仕事熱心であるのか、相変わらず蒸し暑い日々が続いていた。

 

 軽やかにチョークを黒板に走らせて、丁寧で整った文字を連ねてゆくナイトハルト教官の背中。

 遅れないようにノートに書き写してゆくが、写す側の生徒の必然として追いつく事は出来ない。私のペンが丁度最後から二つ目の項目に差し掛かった途中で、ひと通り板書を終えた教官がチョークを置いてこちらに身体を向けた。

 

「戦略上重要な地点を守る為に築かれる防御施設は数あるが、その中でも大規模かつ恒久的な施設を”要塞”と呼ぶ。導力化による軍の近代化と共に中世時代に築かれた多くの”城”はその役割を終えたが――幾つかは現在も継続して拠点として使用されている。最も有名であるのはガレリア要塞だろう」

 

 私にとってはお父さんの任地である帝国一有名な要塞の名前に、思わずペンを止める。

 

 お父さんは元気だろうか。

 

 ナイトハルト教官の解説に耳だけ傾けながら、もう数年位会っていないお父さんの顔を思い浮かべる。

 手紙は半年に一回あるか無いか、以前帰って来た時のその前なんてもう正確に思い出せない程だ。うちの店をお祖母ちゃん一人にずっと任せっきりにして顔を見せないので、村の人の間では親不孝者とお父さんの評判はすこぶる悪い。評判の悪い理由はこれ以外にも色々とあるのだけど、今でも評判の良い死んだお母さんとは雲泥の差だ。まあ、それでお祖母ちゃんと私が苦労しているかと言えば全くなのだけど。

 

 私の記憶にあるのは無愛想で真面目で――でも、軍服姿の時とは違ってどこか寂しそうに佇むお父さんの姿。

 

 お父さんは村に帰るのがあまり好きではないのだろう。色々な理由からそれを子供心に分かっていた私は、昔から別れ際に泣いたり引き止めたりすることもなく、寂しいと思いながらも『会いたい』とか『帰ってきて』等の帰郷を意識させる言葉をいつからか意識的に手紙には書かなかった。

 

 本当に我ながら父親想いの良く出来た娘だと思いたい所だが――実は私も大きくなるにつれて、お父さんとの接し方が分からなくなってしまっていた。だから、私も私でとってもお父さんがあまり帰って来ないのは気楽であったのだ。

 

 そういえば、ナイトハルト教官はお父さんと知り合いだという。教官の所属する第四機甲師団はエリオット君によると東部国境方面に配備されているらしいし、もしかしたら教官に聞けばお父さんの近況が分かるかもしれない。

 

 そんな事を考えていた時、ナイトハルト教官の授業の声に少々不快にも思えるイビキが混じった。

 

「古来より東の守りとして帝国本土を守ってきたガレリア要塞が築城されたのは暗黒時代初頭まで遡る。時の皇帝――」

 

 まただ。

 

 数日前から授業中には必ずと言っていい程毎回聞こえるこのイビキ。犯人は勿論、私の左隣の銀髪バンダナだ。

 一限のトマス教官の帝国史の授業はともかく、ナイトハルト教官の授業で寝るなんて大胆不敵すぎだ。入学から数か月――私とフィーが何度注意されたことか。

 

 ガレリア要塞の解説を続けるナイトハルト教官を一旦見て、まだ気付いていない事を確認してから、私はもう一度このダメダメな先輩へと視線を戻す。

 

「クロウ先輩……寝ちゃダメですよ……」

 

 そして、机に突っ伏している銀髪バンダナ先輩に教官にはバレないように小声で声を掛けた。

 頭を隠すように立てられている軍事学の分厚い教科書はあまり意味がある様には思えないし、大体その内側重ねて開かれた肌色分の多い雑誌は何なんだ。

 クロウ先輩の銀髪の頭の端から覗かせるのは、太ももから膝の部分。多分、先輩の頭の影になる所では大股を開いて見せつけるような大胆なポーズを雑誌の見開きで取っていて――。

 

 昼間っから何読んでるんだ、この人は……もうっ!

 それにちょっと、私の方に微妙に見えるようになっているのも偶然じゃない筈……本当にこの人は!!

 

 そのバンダナを巻いた頭をぶっ叩いてやろうと、手を伸ばしたその時。

 

「アゼリアーノ……授業に集中しないか」

 

 頭の上から響いた声に、私はクロウ先輩に手を伸ばした変な格好のまま思わず首だけ恐る恐る動かす。案の定、最悪な事にナイトハルト教官が腕を組んで冷ややかな視線を上から投げかけてきていた。

 

「アームブラスト」

「へいっ」

 

 予想外の返事に驚いて隣を見ると、ビシッと姿勢を正してペンを握るクロウ先輩がいた。机の上には軍事学の教科書とノートのみが開かれ、先程の如何わしい雑誌は見る影もない。

 まるで、先程の机に突っ伏して居眠りをする彼の姿は幻で、私の勘違いだったのかもしれないと考えこんでしまいそうになるが、幸いな事にナイトハルト教官の私に向けられたものより冷ややかな視線がそれを否定していた。

 

「ガレリア要塞が国防戦略上の最重要拠点である理由を述べよ」

「共和国との緩衝地帯であるクロスベルと帝国を結ぶ交易路のルート上にあって、険しい山脈が連なる東部国境で唯一行軍に可能な地形であることであります」

 

 教科書にも書かれていないナイトハルト教官の問への答えをスラスラと述べるクロウ先輩に私は驚きを隠せなかった。

 今の授業で習っているのはあくまで防衛戦のさわりであり、ナイトハルト教官のガレリア要塞の話は参考の話だ。その上いきなり国防戦略なんていう話まで飛躍しており、授業を聞いていても答えられない問題を先輩はいとも簡単にサラッと答えてしまったのだ。

 予習云々で答えられることではない知識にこの隣の男が二年生の先輩であるということを思い出すが、それを加味してもナイトハルト教官の攻撃を物ともしない姿を見ると、こんなエロ本バンダナ先輩でも少しは格好良く思えてしまうから不思議なものである。

 

「……正解だ。だが、この教室にいる以上は授業はしっかり聞け。分かったな?」

「ハッ」

 

 まるで軍人かと思いたくなる威勢の良い返事を返すクロウ先輩。なんというか……要領がいいというか。ナイトハルト教官も拍子抜け――。

 

「アゼリアーノ」

 

 うっ……。

 

 頭の上からの視線が辛い。ナイトハルト教官から見れば私も同罪なのだろう。とても納得はいかないけど。

 

「はい……」

 

 だけど、ナイトハルト教官のこの視線の前には文句を言う気にはなれずに、渋々だけど返事をするしかなかった。

 最近、頑張ってたのにこんな事で注意されるなんて……この隣の銀髪バンダナのせいなのに!

 

 くるりとその場で私達から背中を向けたナイトハルト教官の背中に恨めしげな視線を送る。

 

「クラウゼル、お前もだ……全く」

 

 その後ろ姿が肩を竦め、頭を左右に力なく振る。

 そして、深い溜息の音が静かな教室に響いた。

 

 私も落ち込みたいですよ……。

 

 

・・・

 

 

「だー! なんで、私まで怒られなきゃいけないんですか! もう!」

 

 お昼ご飯の後、少々不本意ながら銀髪バンダナ先輩を伴って教官室前の廊下を歩いていると、本当にタイミング悪くナイトハルト教官に出くわした。

 そして、私達を見るやいなや今日の午前中の授業の事をチクリと釘を差されたのだ。

 

 私はこの授業中エロ本先輩を起こそうと思ってただけなのに。

 

「またナイトハルト教官に呼び出し食らったら、クロウ先輩に責任とってもらいますからね! とりあえず、机の中の雑誌のことは絶対言います!」

 

 ナイトハルト教官は知る人ぞ知る呼び出し好きな一面がある。そして、私はうちのお父さんが教官と知り合いという理由もあって特別目を付けられているのか、今まで二度程、教官室でチクチクと耳が痛くなるお説教を受けたことがある。特にペナルティがある訳ではないけど、怒るというより冷静に痛い所を確実に突いて来るお説教をされるので終わった後の落ち込みは尋常じゃないのだ。まぁ、生徒指導室で無いだけ全然マシなんだけども。

 

「わりぃわりぃ、あれは仕方ねーだろ」

「仕方無くないですよ! 私、クロウ先輩来るまではちゃんと真面目に授業受けてたのに!」

 

 隣でヘラヘラと笑う反省の色の見えない銀髪バンダナに、思いっ切り言い返す。

 帝都の特別実習から戻って来て以来、目標の為に頑張るという気持ちを強く持って授業中の居眠りはしなくなった。エマやアリサの手こそ借りているけど、忙しい中もちゃんと予習や復習までしっかりやっているし、先々週位からは各教科の小テストも軒並み点数が伸びていた。

 

「クク、その割にはお前さんの机、落書きだらけじゃねーか」

 

 痛いところを突かれた。

 確かに目標が出来て以前より勉強に力を入れるようにはなったけど、興味の沸かない授業はどうしても集中力が持たずに、気付けばノートではなく机にペン先がいっている事も多い。

 

 どうしたら、真面目に勉強に打ち込めるのだろうか。エマやマキアス、ユーシス――というか、Ⅶ組のみんなみたいに。勿論、この先輩とフィーを除いて、だけど。

 

 

 校舎から中庭に出て眩しい夏の陽射しが剥き出しの手足の肌に突き刺さる。校舎内も暑くて少し汗をかいてしまっていたけど、いざ直射日光の下に晒されればアレでも大分マシに思える程だ。

 そして、夏になってから常々感じている事だが、帝都近郊の気候は湿気が多いのか故郷のサザーラントよりも蒸し暑い。だから、すぐシャツや特に下着が汗ばんでしまうのが本当に嫌だ。これには私も中々慣れそうにない。

 

「大体、クロウ先輩は留年なのに……」

 

 エマやラウラに見られたらはしたないとか言われるかもしれないけど、我慢できずにシャツの襟を持ってパタパタとささやかな風を身体に直に送り込む。焼け石に水だと分かっていても、この暑さの前では少しでも涼みが欲しかった。

 

「おいおい、まだ決まってねーっての」

「まだ、ってことは予定はあるんですね?っていうか学年の降格って留年より酷いんじゃないですか?」

 

 三か月間Ⅶ組の特別カリキュラムをこなせばクロウ先輩が二年生のクラスへ戻れるという話は知ってはいるので、これはあくまで冗談だけど、からかいがいのある事には変わりは無い。さっきのお返しも兼ねて、少しずつ弄ってやりたい気分だ。

 

「……お前さん、段々オレへの扱いがぞんざいになってねぇか?」

「いまでも先輩って呼んであげてますよ。同じ”一年”Ⅶ組なのに――」

 

 やっと辿り着いた学生会館の前で足を止めて、これでもかってくらい笑みを作って隣のクロウ先輩を見上げてやった。

 だけど、そんな私のからかいは予想外の返しを受けることとなる。

 

「おう、ついでにタメ口でもいいんだぜ」

「え」

「ほら、ク・ロ・ウ――ってな」

 

 クロウ先輩の唇が、ゆっくりと先輩の名前通りに動き、私に促した。

 

「……ク、クロウ――……」

 

 気恥ずかしさから目を逸らして口にしてから、隣の先輩を窺うと、急に自らの頬が熱を帯びてゆく。

 

「……せんぱい」

 

 いくらなんでもこうも突然タメ口にしろなんて無理な話だ。こんなダメな先輩でも、一応は後輩としてそれなりにちゃんと先輩だと思っているのだから。

 

「ま、今後の努力に期待ってとこだな」

 

 ニンマリ意地の悪い笑みを浮かべて、クロウ……先輩は学生会館の扉を開けてくれた。

 

 

 お昼時ということもあって学院生でごった返す学生会館一階の食堂。何人か見知った顔もいるが、特に声は掛けずに二階へと続く階段へと足を向ける。

 

「んま、これでもそれなりに頑張るからよ。去年はトワやゼリカやジョルジュ達と試験導入にも付き合ってる――特別実習では割りと使い物にはなるぜ」

「なんか特別実習以外では使い物にならないみたいな言い方ですよね、それ。多分ですけど、リィンは明日の旧校舎の探索、先輩に頼むと思いますよ」

 

 憎まれ口を叩いて苦笑いしながらも、クロウ先輩が特別実習では役に立たないとは全く思わない。私でもそれぐらいはこの先輩のことを知っているつもりだ。

 リィンから聞いたことではあるが、先輩の二丁拳銃はかなりの腕前らしい。魔獣等との戦いは勿論のこと、試験導入での特別実習の経験者というのもまた、課題関連ではとても頼もしい。

 

「お前さんは探索には参加しないのか?」

「明日の午後は学院祭実行委員の会合なんです。その後は、トワ会長の所にいって……お昼は用事で学院にいないんです」

「なんというか、あのリィンに匹敵しそうな位頑張ってんなぁ。色々と自主練もこなしてる辺りもそうだが……そんなに真面目なキャラだったか?」

 

 失礼な。と言いたい所だけど、自分でも柄に合わない事は重々承知だ。でも、私は頑張らなくてはいけない。

 この階段を一段一段昇って行く様に、前に、そして、上へと進まなくてはいけないのだ。

 

「私はもっと頑張らなきゃいけないんです。それなのに、クロウ先輩のせいで……」

 

 自分でもしつこい様な気もしながらも恨めしげな視線を送ってやると、先輩は両手を広げながら何とも仕方なさげな顔を左右に振った。

 

「お前さん、案外根に持つタイプなんだなぁ……まあ、お詫びと言っちゃなんだが、自主練なら俺も使ってくれて構わないぜ?一応それなりに銃なら使うからな」

 

 根に持つタイプで悪かったですね。ええ、根に持つタイプですよ―だ。

 

 失礼な物言いに頬が膨れそうになるのを感じながら、内心あまり期待は出来ないけど一応の感謝だけは伝える。

 

「おう! 先輩の胸を貸してやるからよ、どーんと来やがれ!」

「どーんと……」

 

 このまま体当たりしてやろうか。

 

 一階へと続く階段に目をやって、そんな事を考えさせられた。

 

 

・・・

 

 

「あれ? クロウ君、エレナちゃん、どうしたの?」

 

 生徒会室に入った私達を迎えたのはトワ会長だ。

 私が昨日の忘れ物を取りに来たと伝えると、しっかりそれも把握していたみたいで「後で届けようと思ってたんだよ」という言葉と一緒に実行委員のノートを渡される。

 

「トワ会長、お昼休みもお仕事なんですか?」

「うん、どうしても今日までに終わらしておきたい仕事があって」

 

 それにしても、昼休みも仕事なんて……ちゃんとお昼ご飯は食べたのかな、なんて心配になってしまう。

 

 学院祭実行委員としてお手伝いをする内に分かってきた事だが、トワ会長は途轍もなく多忙だ。

 いままで全然知らなかったことだが、学院生に大幅な自治が任されているこの士官学院の生徒会長は元々かなり仕事が多い。その中でも最も時間を取られるのが各種会合で、毎週行われている生徒会の役員達の定例会は勿論の頃、委員会や部活の部長達の集まる会合や、私もその一員である学院祭実行委員の会合にも生徒会のトップとして出席しなくてはいけないのだ。

 

 一昨日の放課後には学級委員会、Ⅶ組からもエマとマキアスが揃って出席している。昨日は委員会と部活動の部長全員が集まる中央委員会、今日は役員定例会――そして、明日の午後からは私も出なきゃいけない学院祭実行委員会――と言った風に会合だけでもスケジュール帳が埋まってしまいそうな勢いだ。

 これに付け加えて、生徒会長として様々な許可や裁量を行うという事務作業があるのに、更に生徒会に寄せられる相談や依頼の処理やⅦ組の特別実習に関わる仕事まで引き受けているのだから、本来は多忙なんて言葉じゃ済まされないぐらいである。

 

 取り敢えず、サラ教官はサボらないで仕事してあげて欲しいと切実に思う。

 

「えっと……これは要望、というか依頼ですか?」

「ということは、もしかするとな?」

「うん、明日の自由行動日にリィン君にやって貰いたい依頼かな」

 

 そして、リィンが任される依頼を選定するのもトワ会長の仕事の内なのだ。

 

「えへへ、本当に助けられてばっかりだよ。リィン君に依頼すればすぐに解決してくれるけど、こんな簡単な依頼でも生徒会で処理しようと思ったら、色々と面倒くさい事務作業も増えちゃうし、何より今は人手不足過ぎて」

 

 特に貴族生徒の多くが”領地運営を実家で学ぶ”という名目での夏季休暇で居ない今の時期、生徒会の人員は三分の二程度にまで減っている事も拍車を掛けていた。

 嬉しそうに微笑むトワ会長は見てて可愛らしいけど、私も生徒会の一員として彼女の役に立ててるのだろうかと考えると自信はない。やっぱり、リィンは凄いなぁ。

 

「うちのリィンならもっとこき使ってやってもいいんですよ。あ、でも女の子が絡む依頼はダメですけど」

「ハハ、違いねぇ。違うトラブルが起きちまうからなぁ」

 

 自然と私とクロウ先輩から笑いが零れ、トワ会長は苦笑いを漏らす。

 

そんなタイミングで、扉を叩く音が後ろから聞こえた。

 

「あ、アンちゃん、おかえり!」

「やぁ、賑やかだと思ったら君達も来てたんだね。フフ、相変わらず鼻の効く男だな」

「鼻の効く?」

「クク、楽しみにしてたぜ」

 

 

 アンゼリカ先輩が持って来たのは沢山のお菓子だった。

 帝都の高級菓子店に並んでそうな外装の缶だけで、そこら辺のお菓子の値段を超えてしまいそうなお菓子達。先輩達のありがたいお誘いを受けて、私も一緒に生徒会室での食後のティータイムと洒落込む事となった。

 

「それはそうと、結局あの件はどうするつもりなんだい?」

 

 お菓子についての話題が一区切り付いた時、アンゼリカ先輩がトワ会長にそんなことを訊ねた。

 

「あの件だぁ?」

「あの件、ですか?」

 

 私と隣のクロウ先輩の声がぴったりと被って、思わずお互いの顔を向き合ってしまい、それを見た向かい側の二人の先輩が笑った。

 なんというか、バツが悪い。

 

「そういえば、クロウ君とエレナちゃんには言ってなかったね」

「なんだなんだぁ、ラブレターでも貰ったか? 遂にトワにも彼氏が――……いや、ねーな」

 

 途中で明らかに調子を落とすクロウ先輩の口調。

 

「ああ、そんなふざけたことは私が許さないから安心したまえ。やましい手紙で私のトワを唆そうとする輩には指一本触れさせんよ」

「へいへい、そーですか……」

「もう、アンちゃん! クロウ君も納得しないで! エレナちゃんも笑わないで!」

 

 と言われても、これで笑うなという方が無理難題だ。どうしても頬が緩んでしまう。

 トワ会長の彼氏かぁ……いまはそういう人は居ないみたいだけど、いずれはそんな人も出来るだろう――一体、どんな人がトワ会長の恋人になるんだろう。ちょっと想像しにくい事だけど、ある意味それはそれで楽しみに思える。

 

「んで、あの件ってのはなんだ?」

「うん。今月末に《西ゼムリア通商会議》っていう国際会議が開かれるのはもう二人共知ってると思うけど……私も帝国政府代表団のお手伝いとして通商会議のあるクロスベルに行くことになったんだ」

「……クロスベルに、ですか?」

 

 トワ会長の言葉を理解するのに数秒かかった。それ程、私には縁遠い話だったからだ。

 

「それって研修みたいな感じで……あれ、トワ会長って帝国政府を進路にしてるんですか?」

「帝国政府の省庁や機関からいくつかお誘いは受けてるんだけど、卒業後の進路はまだ決めてはいないかな。でも、大陸初の国際会議には私も興味はあるし、官僚さん達がどんなお仕事をしているか実際に傍で見てみたいと思って。私は役には立たないとは思うけど……」

 

 流石はトワ会長だ。確かに彼女の生徒会での仕事っぷりを見れば、如何にその能力が高いかは良く分かる。本人は謙遜しているけど、どんな場所でも彼女が役に立っていない姿なんて私には想像出来なかった。

 

 私も……鉄道憲兵隊からお誘いなんて来ないかなぁ、いや、来ないか。

 まだまだ私は頑張らなくてはいけないし。

 

 そこまで考えてから、いつもなら真っ先に何かしらの反応をする筈の銀髪バンダナ先輩が静かな事に気付いた。

 ティーカップを手に持ったまま、唖然と言うか、呆然というか、口を小さく開けたまま動きを止めている。

 

「……クロウ先輩?」

「おいおい、どうしたんだい、クロウ?」

「あれじゃないですか、一年生に降格になってる自分とトワ会長の差に言葉も出ないっていう」

 

 いや、それはないかな。あんまり、気にしなさそうだし。

 

「……ハハ、流石俺達のトワは一味違うと思ってよ――」

 

 いつもと違って少し元気のない笑いを浮かべて口を開く先輩の姿は、どこか違和感があった。私の冗談を突っ込まずにスルーしたのもなんか変だし……割と本気で落ち込んじゃった?

 

 クロウ先輩もなんだかんだ言って年上の男だし、進路とか実は色々考えてて悩んでいたりとかするのだかも?

 地雷を踏んでしまった可能性を考えると、私も少し申し訳なく感じてくる。

 

「――っていうことはアレか、あの噂の大陸一の高さの超高層ビルディングっていう奴に登れるのか」

「うん、そうだね。四十階建ての建物なんて初めてだから、それも楽しみかも。きっと凄い景色なんだろうね」

「そうかよ」

 

 クロウ先輩のあまり熱の篭もらない相槌に、生徒会室が嫌に静かに感じられた。

 

「あはは、でも、これはクロウ君のお陰でもあるんだよ?」

 

 トワ会長のフォローに言葉無く驚く先輩。

 

 まただ、またさっきと同じ――いつもなら絶対、オレ様のお陰とかいってそうなのに。

 

「先月あった帝都夏至祭のテロ……トワの避難誘導の的確さが帝国政府のお偉いさんの目に止まったらしくてね」

「先日、帝国政府からの特別感謝状を受け取りに行ったっていう話は聞きましたけど……」

「うん、その時に誘われちゃって。学院の事もあるから少し迷ってたんだけど、生徒会の皆も頑張ってくれてるし、いい機会だから思い切ってお受けすることにしたの」

「わぁ……やっぱりトワ会長は凄いなぁ!」

「ああ、流石は私のトワだ」

 

 遠くの大都市であるクロスベルまで行けるというのは少し羨ましいけど、それ以上に同じトールズの学院生としてトワ会長が誇らしかった。私より頭ひとつ分小さくても頑張り屋で――でも、仕事をしている時は人一倍格好良い、私達の生徒会長。

 

 彼女もやっぱり私の憧れの人の一人だ。

 

 

「さって、んじゃ俺はちょいとジョルジュに差し入れでも持って行ってやるとするか」

 

 アンゼリカ先輩がトワ会長を腕に抱こうとし、身体を逸らして逃げる会長。そんな二人のじゃれ合いが一段落した頃、クロウ先輩が徐ろにソファーを立った。

 ちなみにジョルジュ先輩は今日は技術棟で一日中バイクを弄っていると先程、アンゼリカ先輩が話していた。詳しくは分からないが、明日の準備があるらしい。

 

「午後の授業、サボっちゃダメですよ、先輩」

「わーってるって。なんかお前さん、最近トワに似てきたぞ?」

「もう、一言多いよ! クロウ君!」

 

 頬を膨らませて怒るトワ会長がちょっと可愛い。私としては、トワ会長に似てるって褒め言葉なんだけどなー。トワ会長みたいに有能になりたいし、会長みたいに可愛くなりたいと結構切実に思ってる。

 

「……でも、本当に解ってるんでしょうか?」

「まぁ、アレでも最近はマシになった方だよ。一時期はそれはもう毎日のようにトワが心配してね――」

 

 瞼を伏せて懐かしそうに話すアンゼリカ先輩に、トワ会長が苦笑いを浮かべる。

 

「それにしても……まさか、クロウ先輩がⅦ組に来るなんて、今でもちょっと信じられないです」

「あはは……そうだよね」

「フフ、話を聞いた時は、また突拍子のない事をしでかしてくれると思ったものだよ。まあ、私の愛しの後輩達に迷惑を掛けていないか些か心配ではあるがね」

 

 その心配、当たってます。迷惑かけられてます。

直前の授業の事を思い出すと乾いた笑いしか出ないが、この場でクロウ先輩の授業態度を暴露するのは気が引けた。いくら授業中エロ本先輩といってもチクるのはなんか悪口を言っているようで嫌だし、仮に話せばトワ会長も結構怒りそうに思えたから。

 

 それになんか、今日のクロウ先輩は少し変だった様な気もするから。

 

「そういえば、とびきり可愛い子も新しく入っていたじゃないか」

「二人もクラスに増えちゃったので、結構賑やかですよ。特にミリアムは」

 

 流石は可愛い女の子に目がないと公言するアンゼリカ先輩なだけあって、とっくにチェック済みなのだろう。先輩曰く”とびきり可愛い子”こともう一人の編入生であるミリアム・オライオンは休み時間もさることながら、授業中も元気ハツラツでよく発言したりと彼女が来てから本当に教室は賑やかになった。無邪気な振る舞いから幼く思えるものの、私よりも頭が良かったりもする。小テストで見せ付けられた彼女の実力に、私は結構ショックを受けたものだ。多分、フィーも。

 

 それに対して、クロウ先輩は授業中はイビキを除けば至って静かだ。まあ、意識がどこか他の場所に行っている事が多いので、主な活動時間は休み時間である。ちなみに、新入り同士で気が合うのか、この二人も数日であっという間に仲良くなっていた。

 もっとも、ミリアムは誰にでも遠慮無く懐きそうだし、先輩は先輩で誰に対してもあんな感じだから自然な結果ではあるけど。

 

「うーむ……エレナ君は勿論のこと、アリサ君やフィー君もいる事だし、クロウの代わりに私がⅦ組に参加したい位だが……むむ」

「ア、アンちゃん……?」

「ああ、トワ、そんな寂しがらないでくれ。だが、可愛い女の子達で溢れる桃源郷を逃す訳にも……ううむ、そうか! 私と一緒にトワもⅦ組に参加してしまえばいいんじゃないか!」

 

 満面の笑みで自らの理想を高らかに提案するアンゼリカ先輩に、私とトワ会長は盛大に肩を落とすのであった。




こんばんは、rairaです。
いつの間にか今年も十二月、気付けばこの作品を書く始めてから一年以上経っていた事に驚かされました。月日の流れというものは本当に速いものです。

さて、遂にこのお話から第五章の日常パートの始まりとなります。
8月21日土曜日の午前中、今回はサブタイトルにある通り、クロウ先輩とトワ会長がメインとなっております。

《C》としての顔も持つ彼にとって、Ⅰ・Ⅱ通して最も衝撃だったのは、この場面ではないかと思います。この後の彼の行動も本当に……。

クロウ先輩のⅦ組入りの理由は色々な考察がありますが、この作品では単なるカモフラージュ説を採用しております。

この作品にトワ会長が登場するのは本当に久し振りで、私も何故彼女の出番がこんなに少なかったのか今更ながら考え込んでしまった程でした。

次回は8月21日の夜、ミリアムに焦点が当たられる予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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