光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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8月21日 《鉄血の子供達》

 放課後、私は厚い冊子を胸に抱えながら、生徒会館の隣にある無骨なプレハブ小屋へと向かっていた。

 技術棟――学院の一部活である導力技術部の部室扱いになっている建物であり、専ら技術部部長のジョルジュ先輩が導力製品の修理や整備の依頼を受け付けている場所でもある。主に学院生は個人用の戦術導力器の調整や私物の導力製品の修理で訪れることが多く、メーカーに出せば間違いなく少なくない額のミラが掛かる筈の修理も学院生であれば無料で引き受けてくれるという素晴らしい場所として知られている。

 

 だけど、技術棟の凄い所はそれだけではない。私達の扱う最新鋭の戦術オーブメントである《ARCUS》の調節や対応するクォーツの作成、アンゼリカ先輩の導力バイクの組み上げ等でも分かる通り、部活動用としては考えられない程の最新設備が導入されていたりするのだ。

 これはトワ会長から聞いた話だが、技術棟の設備は《ARCUS》や《魔導杖》等の試験導入に伴ってラインフォルト社から譲渡されたものも多く、それに加えて『導力化時代を先取りする人材を育成する』という名目で帝国政府から多大な支援が行われているのだという。

 だからこそ、先月旧校舎の地下に出たという巨大な甲冑の調査などの本格的な事も出来たりもするのだ。ただ、流石にあの甲冑はもっと精密に調査するために帝都にある関係機関に送られたらしいが。

 

 まあ、実はかなり凄い技術棟ではあるけど、私にとってはあくまで先輩達の溜まり場といった印象が一番強い。

 今日も今日とて、私が時々訪れる時の様に先輩達がまったりと放課後を過ごしている事だろう。

 

 そして、きっとジョルジュ部長が買ってきたお菓子を分けてくれるのである――実行委員の仕事は今日はこれで終わりであるし、珍しくこの後は何も予定がない。

 私も混ぜて貰ってゆっくりするのも悪くない――で、食後の運動って言う訳じゃないけど、クロウ先輩には昼間に彼が言ってたように自主練に付き合って貰おうかな。

 

 うんうん、そうしよう。

 

 甘く美味しい妄想に思いを馳せたお陰か、思いの外足取りが軽くなった。この重くて厚い冊子の事を忘れそうになるぐらいで、このままスキップ出来てしまいそうだ。

 

 もうすぐそこに迫った、あの技術棟の鉄製の扉の向こうにあるであろう幸せな時間。そこに私が手を伸ばした時、何処かで聞いたことのある小さな悲鳴と、これまた聞き覚えのある不思議な音が聞こえた。

 

 その直後。

 

「うわあっ!?」

 

 突然、目の前の鉄製の扉が勢い良く迫り、思わず私はその場から飛び退いた。

 

「あっ、ゴメンねー」

 

 技術棟から走り出てきたのは水色の髪の少女――私達Ⅶ組の新しい編入生の一人ミリアム・オライオンだった。

 私を見上げて謝ってきたが、あの特徴的で甲高い声には全く反省の色は無い。こっちはあと十リジュで腕を吹き飛ばされる所だっていうのに、この子はなんて気楽そうなんだ。これは私、少しは怒っても良い筈。

 

「危ないでしょ――」

「待ちなさい! ミリアム!」

 

 私の注意を遮ったのは技術棟の鉄製の扉越しの怒声。うん、聞き覚えのある声だ。一時期は毎朝似たようなお怒りの声を聞いていたし、他にも何度となく怒らせたことがある私だからこそ分かることだが、彼女のこの声は多分――。

 

「ア、アリサ、そんなに動かれると……」

「きゃっ! ど、どこ触ってるのよっ!?」

「リィンさん、アリサさん、早く追いかけないと……!」

 

 技術棟の中にはアリサの他にリィンとエマがいるらしい。そして、今のだけで中の状況が何となく分かってしまった。

 これがクロウ先輩やⅦ組外の一部男子の中ではリィンの『才能』と言われているものなのだろうか。確かに頻度は多い気はするけど――私は被害にあってないからなぁ。

 

「ミリアム?」

 

 私の隣にいるミリアムに視線を向けると、彼女はわざとらしく口笛を吹く真似をしてから続けた。

 

「ってワケで簡単に捕まる訳にはいかないんだよねー」

 

 そう言うが否や、「じゃ、またね、エレナ!」、とさっさと走り去ってしまうミリアムを唖然としながらその背中を見送る。

 身体が小さいからか、見事な逃げ足である。あっという間に彼女の姿は校舎の影へと消えていった。

 しかし、そう簡単にリィンから逃げ切れるのだろうか。多種多様の様々な依頼で鍛えられたリィンはある意味人探しのプロでもあるのに――いや、向こうも向こうで本当のプロか――。

 

「こらー!」

 

 そこで、盛大に再び扉が開く音と共にアリサの怒声が響いた。

 犯人から遅れること数十秒、やっとミリアム追跡隊は態勢をというか体勢を立て直したようだ。

 アリサの頬はまだほんのりと赤く染められており、想像通り中々の出来事がこの建物中で繰り広げられた事を伺わせていた。

 

 

「いやぁ、アレは少々けしからんね。うむ、とても羨ましい事この上ないじゃないか」

 

 なんでも技術棟を訪れて先輩達と談笑していたミリアムと、サラ教官からミリアムを寮に連れ戻して欲しいと頼まれたリィン達が鉢合わせしたらしい。リィン達に寮に連れて帰られそうになったミリアムは、なんとあの銀色の傀儡こと《ガーちゃん》を出現させて、アリサの背中をリィンに向けて押させたのだという。

 

「クッ、なんで私の方に押してくれなかったんだ。私がアリサ君をこの胸に抱き止めたら、彼女の身体を堪能する迄離さなかったのに……!」

 

 と、本音をだらだだと垂れ流すアンゼリカ先輩。

 その後の話は進まないが、まぁ先輩に教えてもらわなくても外に漏れていたアリサの声で私にも何となくは分かる。

 

 どうせ、アリサを支えようとしたリィンが足でも滑らせて、『あららー』な状態になったのだろう。入学式の日のオリエンテーリングの時の様に。

 リィンの頬に紅葉が咲かなかっただけ、アリサも成長した――いや、意外と内心ではちゃんと守ってくれた事にちょっとは喜んでたりして。

 

 今晩、聞いてみよう。うん、めっちゃ気になる。

 

「それにしても、あれが《ガーちゃん》か。うーん、もう少しじっくり見せて貰いたかったね」

 

 また来てくれないかなぁ、とジョルジュ先輩が零す。

 自己流のアリサの愛で方を未だに語るアンゼリカ先輩といい、なんというか、この二人の先輩のブレの無さには逆に感心してしまうほどだ。

 

 

「学院祭かぁ。そういえば今年もそんな時期だったね」

「フッ、懐かしいね」

 

 分厚い冊子を捲りながら、ジョルジュ先輩は少し懐かしそうに口にし、アンゼリカ先輩がそれに頷く。

 私が技術棟に来たのは学院祭実行委員の用事である。既に後二か月と少しを残すばかりとなった学院祭に向けて用意しなくてはいけない機材や大掛かりな飾り等の大まかな目録を技術部に提出する為だった。

 

「でも、まさか八月中に目録が完成するなんて今年の実行委員は気合が入ってるね」

 

 感心するジョルジュ部長に私は苦笑いしながら、それがトワ会長の指示である事を告げる。

 その理由は他のクラスからの依頼が集まるピークとなる学院祭の十月を避けるため。今、目録を提出しておけば、九月中に技術部がその作業を終わらせることができ、負担軽減になるだろうという計らいからだった。

 

「はは、トワには感謝しとかないとね」

「各方面への配慮も忘れないでしっかり舵取りしているなんて、流石はトワだね」

 

 アンゼリカ先輩の言葉に全面的に同意して頷く。

 流石は帝国政府に国際会議のスタッフとしてお誘いを受けるだけのことはある――今もきっと生徒会室で開かれている役員会でしっかり舵取りしながら、今後の学院についての様々な議題を話し合っているのだろう。

 

 そうか、昼間に比べて少し寂しいのはトワ会長と――あ、クロウ先輩も居ない。

 

「そういえば、今日クロウ先輩は居ないんですね?」

「おや、クロウの奴に用だったのかい?」

「用って訳では無いんですけど、いないのが珍しいなぁって」

 

 放課後や休みの日は技術棟にいけば高確率でクロウ先輩がいるのに、今日はアテが外れてしまったらしい。

 

「まぁ、僕らも毎日一緒な訳じゃないからね」

「寮まで一緒な君達Ⅶ組が少し羨ましいね。私も第二学生寮に住めるのであれば、毎晩トワを愛でてあげれるのだが」

 

 アンゼリカ先輩の全く冗談に聞こえない冗談にジョルジュ部長と共に苦笑いを浮かべながら、私は昼間の少し気掛かりな事を思い出していた。

 

 

・・・

 

 

 夕日に染まるトリスタの商店街。

 

 こうして一人で寮への帰り道を歩くのも、思えば久し振りだ。

 ここ最近の放課後は大抵実行委員の仕事等で生徒会室にいるか、またはサラ教官に何かの面倒な手伝いを頼まれたりする。それが無ければフィーと一緒にギムナジウムの地下で自主練に励んでいるか、エリオット君の部活が終わるのを待っているかの二択だ。

 

 こんなに暇になってしまうのだったら、リィンやアリサ達と一緒にミリアムを追いかければ良かったかも知れない。まぁ、今からそれを思い出しても遅いけど、リィン達がミリアムをしっかり捕まえられたかどうかは気になる所だ。

 

 汽笛と共に列車が動き出す音。そして、商店街の先、トリスタ駅の駅舎から沢山の人が街へと出てくる。

 その人混みが散る中、走り去る列車が来た方角から差し込む西日の中で一人佇む見知った人影を見つけた。

 黄昏ている――そんな格好良い言葉が似合う男の姿に、少しドキッとして息を呑んでしまう。

 

 その横顔は、私がいままで見たことのない表情。西日に照らされた銀色の髪はまるで炎の様な緋色で――ただただ東へと続く街道に向けられる彼の瞳。

 

 そこだけ、まるで絵になったかのように静止していた。男の周りだけ、私には触れることの出来ない雰囲気を醸し出す。それはまさに、哀愁だった。

 

 一体、何を見ているのだろうか。

 

 声を掛けようにも、声が出ない。近付こうとしても、足が言うことを聞かない。

 

 

 その雰囲気を壊したのは子供の賑やかな声だった。

 しきりに私のよく知る名前を呼ぶまだ声変わり前の男の子の声に、銀髪の男がまるで子供のような笑顔を浮かべる。

 

 駅舎の前で黄昏れる銀髪の男はもうそこにおらず、あの銀髪バンダナのクロウ先輩だと私にもはっきりと分かった。

 留年を回避するためにⅦ組に来て、教室の席は私の隣――そんな当然の事なのにもかかわらず、何故か別人の様に感じていた私は胸を撫で下ろす。

 

 一体、なんだったのだろう。

 

 不意に過るそんな一抹の不安を打ち消したくて、私はまだまだ遠くなのにも拘らず、声を張り上げて先輩の名前を呼んだ。

 

「クロウ先輩……!」

 

 先輩が、カイが、ルーディが、私に顔を向ける。

 

「なんだ、エレナのねーちゃんかよ。脅かすなよなー」

 

 先輩の傍らにいたカイが呑気な声で文句を付けてきた。邪魔されたと思ったのか私を見上げるその顔は少々不満気だ。

 

「おっ、今帰りか? 結構早いな」

 

 その声を聞けて安心した。

 良かった。いつものクロウ先輩じゃないか。

 

 張り詰めた糸が緩んだのに溜息を付いてから、口を開く。

 

「先輩こそ」

 

 もう一度、クロウ先輩の瞳に目を合わせて続けた。

 

「お昼の宣言通りに自主練に付き合ってもらおうと思ったら学院にいないんですもん」

 

 期待こそあまりしてはいなかったけど。

 

「わりぃわりぃ、ちょっと野暮用でな」

「……野暮用、ですか?」

 

 クロウ先輩が黄昏れていたこの場所はトリスタ駅の駅舎の前だ。授業が終わってから二時間も経ってないので、流石に列車に乗って何処かに行ってきたという訳では無いだろうが、ホームルーム後すぐに教室から居なくなっていたし、いつもは技術棟で先輩達で集まって駄弁っているのに今日は学院の中でも見なかったので少し気になる所ではある。

 

「男には男にしかわからねぇ大切な用事があるんだよ。な、お前ら?」

「お、おう?」

「へ?」

 

 カイの肩に手を置いて同意を求める先輩の姿は、一歩間違えば不良が子供に悪い事を唆している場面にも見えなくはない。

 もっともカイはあんまり意味がわかって無さそうだし、ルーディに至ってはちんぷんかんぷんといった様子で頭の上にクエスチョンマークを浮かべているのだが。

 

「わざわざ子供に振るなんてサイテーですね……」

 

 まぁ、二人共よく分かってないのが幸いだけど。なんというか、そろそろ興味の出てくる年頃だし、クロウ先輩のような人が近くにいることは悪影響になりかねない気がする。それとも、それが健全って奴なのだろうか。

 

「なぁ、クロウのにーちゃん、オンナなんて置いといて遊ぼうぜー」

「じゃ、邪魔しちゃダメだよ、カイ……!」

「……全然邪魔じゃないってば……」

 

 一瞬、変に心臓が跳ね上がったが、噂になればティゼル辺りが食いつきそうなので、あくまで平静に否定する。

 一体何を勘違いしているのか、ルーディは。どこをどう見たらそう見えるのか、子供じゃなかったらたっぷりと問い質してやりたい気分だ。

 流石に、私は誰でも良いって訳じゃないんだよ?

 

「じゃあ、先輩、私は寮に帰るのでここで――」

「オレも付いてくぜ」

「……え?」

「ってワケだ。お前ら、わりぃが今日のトコは勘弁してくれよな」

 

 思わず聞き違えを疑い、クロウ先輩の顔を凝視する。

 だが、カイの不満気な声がそれをすぐに否定した。

 

「んじゃま、行くとするか」

「いや、先輩、その……ちょっと今日は困るっていうか……流石に……」

 

 日頃から部屋を綺麗にしていないが故の問題ではあるが、それを口にするのも恥ずかしい。

 足元の道路のタイルの繋ぎ目に目を落としながら精一杯に理由を紡ぐ。だが、何も反応が無い事に気付いて、顔を上げるとそこには誰もおらず、慌てて背後を振り返る。

 

 第三学生寮へと至る街道。夕焼けの逆光の中、少し小さくなった後ろ姿がこちらに左の手を振る。

 

「……って、先行かないでくださいよっ!」

 

 ほんの十数アージュという短い距離を全力疾走で走り、第三学生寮の玄関前でクロウ先輩の前に回りこむ。

 そして、両腕を前に伸ばしてこの先への先輩の侵入を拒む。

 

「……その、私の部屋汚いですし、来られるのはちょっと無理というか……! いや、先輩の事が嫌だとかいうんじゃないんですよ!? ただ、流石に人はいれれないっていう……!」

 

 ある程度は綺麗になっているだろう。脱ぎ散らかしたパジャマや下着とベッドに関しては管理人シャロンさんが片付けてくれていたり、ベッドメイキングをそれはもう完璧にをしてくれているに違いない。だけど、机の上の私物とかに関してはまた別問題なのだ。

 

 私にとっての今のこの場所――第三学生寮の玄関は、例えるならば帝国におけるガレリア要塞だ。アリサやⅦ組の女子以外に、あの状態の部屋の中に入られるのは絶対に避けなくてはいけない。

 でも、そんな私の必死の気持ちを知ってか知らぬか、目の前のクロウ先輩は私の期待する返事の替わりに、ニヤついた意地悪い笑みを浮かべるだけ。

 

 やはり、下で待ってもらって速攻で部屋の片付けを――いや、この先輩がちゃんと待ってくれるだろうか。リィンとかと違って分かってて、意地悪しそうなのがこの先輩の悪い性質なのだ。そうだ、鍵を掛けよう。そうすれば――。

 

「あら、エレナ様、クロウ様」

 

 突然開かれた背後の玄関の扉を振り返ると、菫色の髪を揺らして小さく驚くシャロンさんが居た。

 

「よっ、シャロンさん」

「ふふ、お帰りなさいませ」

 

 彼女は私の顔と、そして、気の良い挨拶をする先輩の顔へと視線を移した。

 私に”おかえり”は分かるけど、なんでクロウ先輩まで――。

 

 微笑みながら私達二人に寮の中へ入る様に促すシャロンさん。彼女の顔から何か読み取ろうと見上げるけど、勿論何も書いておらず私の疑問は深まるばかり。

 そんな混乱気味の私の横を通り中へと足を進めたクロウ先輩が小さく笑い、こちらを徐ろに振り向いた。

 

「クク、今日から俺もこっちなんだわ。ヨロシクな」

 

 してやったりといった感じのウインクするクロウ先輩に、私はやっと自分が嵌められていたことに気付いた。

 

 

・・・

 

 

「今日の放課後は学院探検だなんて大はしゃぎしちゃってたらしくて、寮に連れて帰ろうとしたリィンやアリサが学院中振り回されたって言ってました」

 

 ギムナジウムのプールに二階から飛び込んだ、乗馬中のユーシスの後ろに飛び乗った等、晩ご飯の席で聞いた今日の放課後の新しいクラスメートの行動を話す。こうして話しているだけで、彼女に振り回されるリィン達の様子が想像出来てしまって思い出し笑いしてしまう。

 自分が巻き込まれたらと思うとアレだけど、話を聞く分にはこの上なく面白い。それに、自らの武勇伝の事を楽しそうに話す彼女は何だかんだ言っても微笑ましい。

 

<――まったく……仕方の無い子ですね。今度、私の方からもきつく言い聞か――>

 

 《ARCUS》から発せられた少し呆れた声が真剣さの混じった物に変わった時、私はベッドから飛び起きて思わず首を左右に振って、今は帝都にいるであろう話相手にそれが不要であることを必死に伝える。

 

<――ですが……――>

「注意ならリィンやみんながしっかりしていますから。ほら、特にリィンなんかお節介さんですし」

<――リィンさんが……今度、会う機会があればお礼しなくてはいけませんね――>

 

 まったく、クレア大尉は真面目なんだから、と内心ではちょっとだけ苦笑いする。

 

「……少し幼い気もしますけど、無邪気で微笑ましいですよね。ミリアムを見てると私がお姉さんなんだなぁ、って自覚しちゃいます」

<――ふふ、そうですね。私もよく思います。……少々心配していたのですが、ミリアムちゃんが士官学院の環境に馴染めている様子で私も安心しました――>

 

 でも、そこが大尉の良い所だ。真面目で優しくて……。

 

 

 《ARCUS》を机に置きながら、自らの憧れでもある鉄道憲兵隊の将校の顔を思い浮かべる。

 

 先月の帝都での特別実習を終えて学院に戻ってからの夏季休暇の初日、私はクレア大尉から貰った《ARCUS》の番号に通信をかけた。大尉との初めての通信という緊張もあって、その日は鉄道憲兵隊を志望する事をⅦ組のみんなとサラ教官に打ち明けた事を話した他には挨拶程度の話しか出来なかったけど、数日後に大尉が私に通信が掛けてきてくれた事をきっかけに、それからは数日おきにお互いに連絡を取り合うようになっていた。

 

 今の状況を考えればクレア大尉も忙しい筈なのに、こうして定期的に親身になって相談に乗ってくれる。その事が嬉しくて長話をしてしまう内に、私も色んな事を話してしまい、学業や武術の話題や鉄道憲兵隊に入る為に必要な事柄に関してのアドバイス等の当初の話題に加えて、今では世間話やⅦ組のみんなや学院の話、お洒落の話等混じるようになっていた。

 

 少しは打ち解けれているとは思う。

 だけど、どうしても聞けないこともいくつかあった。その一つに大いに関わるのが、先ほどの話で話題になった少女。

 

 ベットに背中を預けて、思いっ切り息を吐き出す。

 

 訊ねても答えてはくれないだろう。そんな質問をして気不味くなってしまうのは避けたいから、気にはなるけど聞かないでいる。

 

 もう一度、天井に向けて溜息を付いた時、ノックと共にアリサの声がお風呂が空いたことを私に伝えた。

 

 

・・・

 

 

 部屋への帰る途中、二階に立ち寄った私は202号室の扉の前で足を止める。

 明日、礼拝堂での演奏会を控えるエリオット君に一言声を掛けようと思ったのだ。

 

 まだ少し濡れた前髪を何度も手櫛で整えて、少しは可愛く見えるようにしてから彼の部屋のドアを叩こうとした時、微かなバイオリンの音色が耳に届いた。

 それは、明日の為にここ最近ずっと彼が練習している曲。

 扉を叩こうとしていた右手を戻してから、私はゆっくりと物音を立てないように背中をドアに預けた。

 

 でも、漏れた音色に耳を澄ませるぐらいはいいよね。

 

 この曲は何度も聞いたことがある。音楽室やエリオット君の部屋でも。題名を聞いた時から好みだった。昔から星空を眺めるのが好きだったせいか、星という言葉にどうも弱い気はするけど、とても良い旋律の曲だとおもう。

 

 目を閉じれば、千万の星々が瞼の裏側に映るのだ。色も大きさも、まるで人の様に様々に違う夜空の星が、それぞれの光という声で合唱歌うように瞬き輝いている姿が――。

 

「何しているんだ? エレナ」

「リ、リ、リィン……っ!?」

 

 綺麗なバイオリンの音色に満ちた夜空のお星様の世界から一気に引き戻された私が見たのは、不思議そうな表情でこちらを窺うリィン。

 

 くっつきそうなぐらい近い距離にあるリィンの顔に思わず飛び退く。

 そして、言い訳を並べて彼から文字通り逃げるように三階への階段を踊り場まで駆け上がった私は、そこで肩を落とした。

 

 その理由は、『エリオット君の部屋を訪ねていた』という、かなり聞き苦しい言い訳、というか嘘を付いてしてしまったこと。ちなみに、リィンは私が逃げた後にエリオット君の部屋に入っていったと思う。

 咄嗟に口から出てしまったこととはいえ、我ながら本当に酷い。かといって正直に話してもそれはそれで恥ずかしい。

 

 明日の朝、エリオット君とリィンに会った時の事を考えると気が重い。

 

 どうせバレるんだったら……もっとあの曲を聞いていたかったなぁ。

 

 今日何度目か分からない溜息を吐き出しながら、階段をとぼとぼゆっくり昇り、やっと三階にたどり着いた時ーー。

 

「えーいっ!」

「わぁぁっ!?」

 

 今の私とは正反対に元気の良い声と伴って、何者かが私の背中に思いっきりぶつかって来た。いや、こんな元気なのはⅦ組で一人だけだ。

 

「ミリアム……」

「ニシシ、エレナ、驚き過ぎー!」

「……もう……心臓が止まるかと思った」

 

 背後を振り返って私の背中に腕を回して抱き着く少女を見ると、私と同じ様に髪が少し濡れていた。私の前はアリサが入っていたのだろうし、ミリアムがお風呂に入ったのは少なくとも一時間以上は前だろう。まったくこの子は……まさか全く髪を乾かさなかったのだろうか。

 

「廊下であんまり騒ぐとみんなに迷惑になっちゃうよ」

 

 なんてお姉さんぶって注意しながら、前にエマとアリサに全く同じ注意をされた事を思い出す。あの時は、フィーと一緒に廊下ではしゃいで怒られたんだっけ。

 「はーい」と返事をするミリアムを見ていると、まるであの時の私みたいに思えてしまう。

 ……私、注意される側だったのになぁ。

 

「っていうか、夕方も大暴れしたみたいだし……」

「タンケンだよ、タンケン!」

 

 階段近くにある小さな談話スペース、そのソファーに腰掛けたミリアムが頬を膨らませて反論し、私は苦笑いしつつ彼女の隣に座る。

 

「まぁ……気持ちは分からなくはないけど……っていうか、そんなに目立つことしていいの?」

 

 私の隣にいる少女の素性は、正規軍の諜報機関である帝国軍情報局のエージェント。本人も大して隠すつもりもない様で、初日にその件を訊ねたら「そうだよー」なんて呑気な声で肯定してくれた。

 本来、諜報機関の人間というのは目立つべきでは無いのがセオリーなのではないか、と素人ながらに考えてしまうが、ミリアムはⅦ組のメンバーには情報局職員であることを公然にしており、学院内でも目立つことばかりしているので、今やある意味有名人である。

 

「フフーン、諜報戦っていうのは色々な種類があるんだよ。敢えて目立つ事をやって反応を窺うのも手法の一つ――」

 

 自慢気に話すミリアムの言葉に、私は背中に冷たいものを感じた。

 

「――ってレクターも言ってたし」

「……レクター?」

 

 その名前は私には聞き覚えのないものだった。

 

「あ、そっか。あの時、エレナはノルド高原にいなかったんだった」

「……リィン達の言ってたノルド高原に来た軍情報局の将校さんのこと?」

「そうそうー」

 

 《鉄血の子供達》。その言葉を私が初めて聞いたのは先々月末に特別実習から帰ってきた後の発表会だった。ノルド高原にある帝国と共和国双方の軍事施設が攻撃を受け、両軍による武力衝突の一歩手前まで陥った状況の解決に動いた帝国軍情報局の情報将校、今のミリアムとの話で、”レクター”という名であるらしい彼をゼンダー門を守備する第三機甲師団のゼクス中将が《鉄血の子供達》と呼んだのだそうだ。

 

 その名の通り、《鉄血宰相》ことギリアス・オズボーン宰相直属の部下の事を指してそう言うらしい。

 

 私にとっては憧れの人の一人であり、最近はよく《ARCUS》で通信する鉄道憲兵隊のクレア大尉も《鉄血の子供達》の一人だろう。ケルディックで初めて彼女と会ったあの時、領邦軍の隊長は彼女を《氷の乙女》という二つ名で呼び、『鉄血の子飼い』と罵った。

 

 

 ――私としても、ささやかながら更なる協力をさせて貰うつもりだ。まあ、楽しみにしていたまえ――

 

 先月末、特別実習の最後の日の宰相閣下のあの言葉が、まるで昨日の事のように鮮明に脳裏に木霊した。

 私の隣にいるミリアムも”そう”なのだろう。

 

「……その、レクターさんっていうのがミリアムの上官さん、なの?」

「うーん……ボクの上官っていうより、一緒にお仕事するナカマみたいなものかなぁー?」

 

 仲間、か……。

 

 私を含めたⅦ組のみんながよく使っている”仲間”という言葉。

 この言葉がⅦ組のみんなの存在を最もよく表した言葉であると私も思っている。他には”家族”とかが近いと思うけど、これは普段使いはちょっと少し重いかもと思ってしまう。もっとも私にとっては、もうみんなは家族同然だと思ってるけど。

 

 だからこそ、軍情報局という表舞台に顔を出さない諜報機関の人間の口から、聞くことになるとは思わなかった言葉でもある。

 

「……どんな人なの?」

「レクター? すっごく面白いよ! うーん、イロイロあり過ぎて一言では言えないけど、アソビビトってカンジかなー。ボクが士官学院に来る前に久し振りにみんな集まれた時も、チョー楽しかったし!」

 

 ミリアムが”みんなで集まれた日”の事を続けて話してゆく。まるで子供が楽しかった事を自慢するかのように、夢中で喋りまくる彼女はやはり情報局のエージェントという身分には思えない。

 

 でも、この子は正真正銘の情報局員なんだよね……。

 

 彼女の話の中では”レクター”は少し悪い事も教えてくれる悪戯好きのお兄さんで、クレア大尉は真面目であまり融通が利かないけど優しいお姉さん――話だけ聞いていれば、歳が離れた本当の兄弟のようだった。

 

『ミリアムちゃんをどうかよろしくお願いしますね』

『あはは、君のコトはクレアから聞いてるよ。ボクとも仲良くしてねー』

 

 《鉄血の子供達》か……。

 

 もう一度、声に出さないで呟く。

 

 帝国軍情報局の情報将校、レクター。鉄道憲兵隊の《氷の乙女》クレア大尉。そして、今私の隣でパジャマ姿でソファーに身を沈めているミリアム。

 《鉄血の子供達》、彼らにも強い仲間意識があるのを感じさせた。

 

「……あれ、でも……うーん?」

 

 手足をバタバタさせていたミリアムの動きが不意に止まる。

 

「ボクはそこで初めてクレアからエレナの事を聞いたんだけど……その時にレクターが『色気はねぇし俺のタイプじゃねーなァ』って言ってんだよね」

 

 ……はぁ?

 

 納得がいかないのか唸るミリアムを横目に、”レクター”という名の男への印象が一気に落ちる。というか納得がいかないのはこっちの方だ。写真を見たか知らないけど、直接会ったことも無いのに『色気が無い』とはどういうことだ。

 

 自らの身体に顔を落とし、足の爪先から胸元まで一通り視線を流してから、心の中で付け加える。

 

 ……まぁ、確かに無いかもしれないけど……。

 

「おっかしいなー……うーん……?」

「……そんな失礼な人、私知らない。多分、直接会ってたら覚えてる筈」

「確かにそうだよねー。レクターを忘れる人なんて中々居なさそうだし、うーん、やっぱり不思議だなー」

 

 首を傾げて考えこむミリアムだが、時折その口からぶつぶつと「任務」や「作戦」等の言葉が小さく漏れる。

 

 そこに私はある事を問いかけた。

 私がクレア大尉に聞けなくて、ミリアム本人にもまだ聞いていない事を。

 

「……やっぱりさ、ミリアムは情報局のお仕事でⅦ組に来てるんだよね」

「まあ、そういうことになるのかな」

「……目的は何?オズボーン宰相からどんな命令を受けているの?」

 

 私の問いにミリアムの顔が変わる。彼女は困ったように眉尻を下げ、「あはは、単刀直入だね」と小さく笑った。

 

「うーん……やっぱり怪しまれちゃうよねー。ユーシスなんかも結構露骨だし」

 

 残念そうな表情を浮かべて苦笑いするミリアムに、私は自分より一回りも歳下の子を傷つけてしまったのではないかと感じた。だから、これ以上本当の事を突き付けれず、彼女の言葉を否定する。

 もう彼女の存在を受け入れているⅦ組のみんなと違って、私は未だ色々と気にしているのにも拘らず。

 

「みんなもミリアムと仲良くなれればって思ってるし……それに、私はクレア大尉からも『どうかよろしくお願いします』って言われてるし……」

「……あはは、優しいんだねー。クレアが言ってた通りかも」

 

 笑うミリアムだけど、その熟れたレモンを思い出させる色の瞳に、私は見透かされたような気がした。仮にも情報局のエージェント、読心術とはいかなくても話している相手が嘘を付いている位は判断出来てもおかしくはない。

 

 そして、ミリアムが口にした言葉は案の定であった。

 

「ボクの任務の内容は情報局の機密事項だから、エレナには言えないんだ」

「……そっか」

「これでもボクは情報局の人間だからね」

 

 まあ、明かしてくれる事を期待していた訳ではない。彼女と私の立場を考えれば、こうなることは分かっていたのだ。

 逆にある意味では『言えない』と明確に言ってくれた所にミリアムの誠意すら感じた。仮に彼女がその気であれば、ここで偽の任務をでっち上げて私に教える事も出来たのだから。

それにどれ程の効果があるかはわからないが。

 

「でも――士官学院はすっごく楽しいよ。クレアから聞いてた通りエレナやⅦ組のみんなは優しいし、センパイ達や他のクラスの人も良い人ばっかりなんだもん」

 

 もっと早く来たかったなぁ、とミリアムは笑いながら続けた。

 

「どうしたの? ボケっとしちゃってさぁ」

「安心した……ううん、少し嬉しかったのかな」

 

 私の言葉に「変なのー」と笑うミリアム。

 

 この子とは、ちゃんと”仲間”になれそうな気がしたのだ。




こんばんは、rairaです。

今回は8月21日土曜日の放課後から夜、今回は前のお話の後書きで触れた通り、Ⅶ組のもう一人の編入生であるミリアムに焦点を当てたお話となっております。

次回は8月22日の午前中、五章の自由行動日の前編の予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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