光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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8月22日 晩夏の夜の幻

「げっ、リィン」

 

 お菓子のお代を払って、今まさにお店を出ようとしてた時に扉が開いた。

 ついでに、開けたのは私にとっては今日一番の気まずい相手、不可抗力の鬼リィン・シュバルツァーである。

 

 店に入って私の顔を見るなり、周りの視線なんてお構いなしに唐突に頭を下げて来たリィンのせいで恥ずかしかったというのもあるが、正直に言うと私も大分頭が冷えた。ヴィヴィの怪談のお陰だろうか。

 

「……はぁ。怒ってはないから、謝らないで。ただね、ああゆうの私は初めてだったから、簡単に”不可抗力”とかで納得したくなかったの」

 

 それに、『小さくて気付かなかった』、とか超余計な事いうし。アレで頭に血が上ったのは間違いない。あと、ロジーヌさんとの相合傘とか言いたいことはあるけど、それは私じゃなくてアリサの仕事だ。節操無しという評価は当分変わりそうにはないけど。

 

 でもまあ、私は自らを仕方なかったのだと納得させた。女子七人と男子一人の組み合わせでプール鬼ごっこ、それもその一人のリィンを鬼にするというのが、そもそも間違っていたのだ。鬼の使命を果たす為か、変に真面目に追い掛け回すリィンもリィンだけど、やっぱりあの場にリィンを呼んだサラ教官に問題がある。鬼ごっこを提案したミリアムにも文句を言いたい気分ではあるけど、あの子の無邪気さを考えれば楽しい事をしたかっただけだろうし、まぁ許せる。

 

「お詫びって訳じゃないけど、少し頼みたいことがあるんだけどいい?」

「ああ……だが、あんまり高い物は困るぞ?」

「私、そんな物強請る様な子に見える……?」

 

 言い換えれば、ある程度の物だったらお詫びを用意します、と言外に示している様なもので、個人的にはとっても心外である。

 

「『赤い月のロゼ』って小説、リィン集めてたでしょ?」

「ああ、そうだが」

「もう読んだとこまででいいから、貸してくれない?」

 

 私の頼みをリィンは快諾してくれた。ちょっと怖そうだが、面白いと評判で最近のベストセラー小説となっている『赤い月のロゼ』。私も、ちょっと読んでみたい。

 

「じゃあ、一緒に戻ろう。寮に戻ったらすぐ渡すよ」

「うん、はやく――」

「どうしたんだ?」

「――ごめん、先行ってて、まだ買うものあるの忘れちゃってた」

 

 

 肩を小さく揺すられて、初めて気付く。

 

「……エレナさん……エレナさん……」

 

 少女の声が私の名前を呼んでいた。

 

「……どうしたんですか?」

 

 向き直れば、まだまだ幼さが残る顔だちの少女が、不思議の中に心配が混じった表情で私を見上げていた。

 いつもは二つに結っているツツジ色の髪は下されていて、少し大人っぽくなった印象を受けるのは、このお店の店主の娘で日曜学校に通うティゼルちゃんだ。

 

「……えっと……」

 

 言葉が詰まる。

 

 ……うーん?

 

 眠くないのに、まるで寝起きの様に空っぽな頭。起きたら露と消えてしまった夢みたいだ。

 目の前には籠に入って陳列されてるじゃが芋に玉ねぎ。それぞれ、ほっくりポテト、しゃっきり玉ねぎ、と可愛らしい字で書かれた値札が付けられている。

 そう、ここはトリスタの食料雑貨店、ブランドン商店だ。

 

 なにしてたんだっけ?

 

「もうお会計は済んでますよね?」

 

 さっき買ったお菓子が入る私の右手の紙袋に目線を落とし、不思議そうにティゼルは首を傾げた。それに対して、私は頷いて肯定する。はっきりと、彼女のお父さんにお金は払ったのは覚えている。

 

「もうそろそろ閉店ですけど……」

「……えっ!?」

「私がお店に来てから、ずっとぼーっとしてたので……本当に大丈夫ですか?」

 

 俄かに信じがたかった。ついさっきまで、リィンと一緒に居た筈なのに。だけど、お店のカウンターの奥にある導力時計は、彼女の言葉が正しいと伝える。

 立ったまま寝てた……のだろうか。俄かに信じがたいけど、そうでもないと説明できないこの状況。正直、年下の子に恥ずかしい所を見られてしまったのは間違いない。

 

「きっと疲れてるんですよ。Ⅶ組の皆さんは頑張りすぎですから……そういう時は早く寝ちゃうに限りますよ?」

 

 心配するティゼルになんて返せばいいのか考えていたら、情けない事に先にフォローされてしまった。日曜学校に通ってる子供に気を遣われるなんて……逆に、無碍に出来ない。

 

「……うん、そうだね。長居で迷惑かけちゃってごめんね?」

 

 「全然平気です」と、ティゼルは笑いかけてくれる。なんていい子なんだ。そりゃぁ、ブランドンさんも親バカになる訳だ。

 

「ありがと、ティゼルもお手伝い偉いぞーっ」

「わぁ!?」

 

 立ち寝という恥ずかしい姿を見られた照れ隠しも兼ねて、気付けば彼女の頭をくしゃくしゃするほど撫でていた。

 それに、私が実家で店番してた時よりもずっと偉い彼女を見ていると、どうしても店番の”先輩”として褒めてあげたくなってしまったのである。

 

 

 立ったまま居眠りするほど疲れていたとは思えない位軽い体を走らせ、急いで寮へと戻ったら丁度晩ご飯の用意が終わった頃であった。

 

 今晩はミリアムとクロウ先輩の歓迎会も兼ねて、シャロンさんが腕によりをかけて作った豪華な食卓で、さながらパーティや夕食会といったレパートリー。もしかしたら、晩餐会でもいいかも知れない程だ。

 ミリアムは相変わらず有り余る元気で、リスみたいに頬を膨らましながら食べるし、クロウ先輩はクロウ先輩で、こんな豪勢な食事は久しぶりらしく、涙を流しながらガツガツ胃袋にかき込んでいた。

 なんでも『食い溜めしないと勿体無い』、というのが本人の弁である。

 

 絵に描いたような暴飲暴食を見せてくれた二人を中心に、みんなで今日の出来事を振り返る――そんな日曜日の晩ご飯だった。

 

 

 晩ご飯の後、プールの塩素臭い髪の毛からやっと解放された私に、リィンが部屋まで『赤い月のロゼ』を届けてくれた。取りに行くって言ってたのに、こういう所がやっぱり彼らしい。そして、さらっと例のラジオに誘う、所謂《アーベントタイム》戦法をかましてくる辺りも、本当に彼らしい。

 プールでも私を含め散々みんなにリィンらしさを発揮してくれたし、相合傘の件なんてもうほんとリィンだ。ちなみに晩ご飯の時、そのシスター・ロジーヌ相合傘事件で自ら墓穴を掘って、白い視線を浴びることになったのだが、更に夕方に何やら女絡みの出来事があった事を匂わせてくれていた。

 お陰様で、今晩はアリサがまたまた不機嫌ぷんぷんになってしまっている。

 

 でも、偶に思うのだ。入学前に、どんな形であれ、私がフレールへの想いを諦めていたら。

 間違いなく、私もアリサと同じようにリィンを――。

 そこまで考えてから、頭の中に浮かんだものをどっかに振り払ってしまおうと、首をこれでもかという位強く振った。

 

 確かにリィンは十分過ぎるほど素敵な人だと思うけど、私の好みとは少し違う。現実は現実、仮定は仮定だ。

 後はもうちょっとだけ、彼は自分に向けられる想いに気付いてあげて、少しでも気にかけてあげれれば、とアリサを近くで見守っていると思うけど、それはまだまだ難しそう。

 

 まったく進展しない仲間たちの恋模様には、未だ処方箋は見つからない。

 

 ひと纏まりすらない考えを終えると共に、鉛筆を置いて教科書を閉じた。明日あるハインリッヒ教頭の政治経済の授業の予習だが――ティゼルの言う通り疲れているのかも、全く進まない。もう授業前の休み時間に読むことにしよう、そうしよう。

 

 ベッドにうつ伏せに転がり、リィンが持ってきてくれた九冊もある小説の一冊目を手に取る。さっき彼から聞いたのだが、この九冊は買った訳じゃなくて全部貰い物なのだとか。なんというか、本当にリィンらしい。

 ”Red Moon Rose”――伝統的な書体が特徴的な表紙、『赤い月のロゼ』――吸血鬼との戦いを描いたファンタジー小説だ。

 おあつらえ向きに月の様に丸いクッキーを咥えて、その表紙を開いた私は、物語の世界へと足を踏み入れた。

 

 物語の時代は《獅子戦役》を終結させたドライケルス大帝の没後十数年、舞台は帝都ヘイムダル。先月の特別実習で訪れた、煉瓦造りの建物がずらりと並ぶ緋色の大都市の情景が浮かぶ。

 

 主人公アルフォンスは帝都を守る軍人さん。いまでいうところの帝都憲兵さんだ。

 

 ルッカちゃんかっわいいなぁ……つい最近まで年上の幼馴染が好きだった私としては、いろんな意味で自分自身を重ねてしまいそうになる。自分の料理を食べて貰えるのは嬉しいけど自信はなかったり、話題に困って無理やり作ったり――。そのどれもが、以前の私が一回はやって来たことで、まるで自分の軌跡を描かれている様で恥ずかしく、微笑ましい。もっとも、私は物語の中の彼女の様に可愛かったかどうかには疑問符が付くが。

 南部風っぽい名前、栗色の髪という容姿、年上の幼馴染への想い――びっくりする程私自身との共通点があり過ぎる事もあって、その想いが報われて欲しい、なんて考えてしまう、応援してあげたくなる子だった。

 

 気付けばあっという間に一巻を読み終わり、二冊目とついでに何枚目か分からないクッキーを手に取る。文字も大きくてあんまり難しい言葉も無くて、私でもスラスラ読めてしまう。やっぱり、流行りの小説なだけはあった。

 

 屍人という怪物に襲われて窮地に陥った主人公アルフォンスを救った、吸血鬼狩りのロゼ――彼女の名前は、この物語のタイトルでもある。きっともう一人の主人公で……悔しいかな、たぶんヒロインだ。

 

 わっ、ロゼかっこいい……。

 

 でも、活字から呼び起される彼女の戦いは手に汗握るもので、描かれたその堂々とした強さは、私の憧れの人達を思い出させた。

 アルフォンスとロゼ、二人での調査――そして、姿を現した吸血鬼との戦い。

 

 とにかく、ルッカちゃんが助かった事だけは本当に良かった。

 

 四巻をベッドの脇に置いて、五冊目を手に取ったとろうとした時。そこで、目に入ってしまったのだ。同じくベッドの脇に置いてある目覚まし時計の文字盤が。

 

 え……まじで?

 

 長針と短針がきっちりと綺麗な”L”を形どっている。流石に日が昇っている訳はないので、日付を回って三時間ということだろう。

 

 明日――いや今日の授業がやばい。

 また、また、ナイトハルト教官に怒られるかも知れないし、何よりも月曜日はハインリッヒ教頭の政治・経済の授業もあるし、トマス教官の文学も――。

 

 考えてる暇なんてない。導力灯のランプを消して、さっさと寝てしまうに限る。

 寝れるのは大体三時間ぐらい。四時間寝たら朝ご飯ギリギリで、多分、パジャマで朝ご飯になる。五時間寝たらもう遅刻ギリギリ、間違いなくアリサにどやされる。

 

 うー、それにしてもまったく気付かなかったなんて。

 

 でも、不思議と後悔する気は起きない。没頭しすぎたのは私の失敗だけど、それ以上に『赤い月のロゼ』が面白かったから。物語で時間を忘れる程のめり込んでしまったのはいつ振りだろう。かの『カーネリア』や、リベールから持ち込まれた帝国では発禁の小説でも、私はここまで心を奪われなかった筈だ。

 

 灯りの落ちた部屋の天井に別れを告げると、瞼の裏にさっきまでいたアルフォンスの物語の世界が描かれる。

 

 正直、また明かりをつけて、続きの五冊目を読みたい。この後、アルフォンスとロゼはどうやって吸血鬼と戦っていくのだろう――あの嫌な軍人はどうなるんだろう――ルッカちゃんは――。

 そんな、物語の中の世界の傍ら、徹夜のメリットとデメリット、そして、リスクが頭の中でぐるぐると回る。

 

 んっ……。

 

 少しかいてしまった汗が冷えたのか、それとも、晩ご飯の後に飲んだマキアスおすすめの食後ブレンドの珈琲のせいか。

 さすがに、この歳で……とは思うけど、万が一が起きたら取り返しが付かない。というか、冗談じゃなく人生破滅レベルである。

 

 とりあえず、さっさと行って、さっさと寝ないと本当に明日がやばい。月曜から居眠りしようものなら、ハインリッヒ教頭に何言われるかわからない。

 

 寝ているみんなを起こさないように、音を立てないように気を付けながら扉を開けて通路に出て、またそっと扉を閉じる。

 廊下の導力灯もすべて消灯されて真っ暗になった廊下を、一歩一歩慎重に足を進める。こんな時間に部屋から出るのは初めてだ。

 

 その時、階段の方に一瞬光が差した。

 

「……っ!?」

 

 閃光に遅れること数秒――轟音が響き渡る。

 小説に夢中で全然気づかなかったが、外は雨の様だ。そして、最悪なことに今しがたから雷も鳴っている。

 

 雷が怖いんじゃない。

 どうしても、真夜中の大きい音は苦手なのだ。この歳になっても、昔の嫌な事を思い出してしまう。

 

 ぶるっ。

 

 夏なのに身体が一層冷えるような気がして、身震いと共に下腹部がきゅんとする。ちょっとやばい。

 やっと暗さに目が慣れてきた私が階段にたどり着いた時、再び窓が強烈な光に瞬いた。

 

「ひぃぃっ……!?」

 

 思わず、声が零れた。

 

 一瞬、大きな、それは大きな、黒い影が窓に映ったのだ。

 それはまるで大きなコウモリの様で――。

 

 『Ⅶ組の第三学生寮って――出るらしいわよ?』、もう既に昨日となった夕方の、ヴィヴィの言葉が脳裏に過る。

 

 まさか、そんな――頭の中に浮かんだ信じがたい可能性は振り払えない。

 

 再びの落雷。

 先程より近づいたのか、大きな轟音を伴う強烈な雷鳴。

 

「ひっいっ……ま、まったく……こわくない……こわくない……」

 

 吸血鬼なんておとぎ話だ。アルフォンスも言ってたじゃないか。

 

 だーっ! アルフォンスはおとぎ話っていってたけど、実際いたんだった!? えっ、じゃあ、現実にいるってことで――火の無い所には煙は立たないって言うし――!

 

 考えないようにしよう、考えないように。心を無心にして、足早に階段を駆け下りる。

 

 さっさと下に降りて、トイレ行って、部屋に戻って、ベッドに潜ろう。こんな嫌な雷雨の夜は、さっさと寝ちゃうのが吉だ。

 

 寮の一階のロビー、当然ながらもうシャロンさんも寝ているので、誰もいないし真っ暗だ。

 

 階段を降りきって足早にトイレへと向かおうとしていた私は、思わず足を止めていた。雨音ではない小さな物音、そして、言葉では言い表せない違和感。

 

 不気味な音と共に、玄関の扉が動く。

 そして、目の前に信じられない光景を見た。

 

 再び眩い雷光がロビーを照らし、雷鳴が轟く――逆光となった一瞬の閃光の中、開いた扉と大きな人影――。

 

「き、きゃぁぁぁぁぁっ!?」

 

 恐怖で身体が固まり、逃げることも出来ない。足腰から力が抜け、その場で視界が下に落ちる。

 近づく大きな陰に、私は身を守るように首を縮こまらせ、腕の中に顔を埋めた。

 足音が、水音に湿らせた足音が、ゆっくり近づいてくる。

 

 もうダメだ。私は終わりだ。吸血鬼はいたんだ。もうすぐ、鋭い牙で私は首を咬まれて――血を抜かれて、屍人にされてしまう。

 足音が、止まった。気配はすぐそこにある。

 ぎゅっと目をつむる――咬まれる瞬間と、その後の死への恐怖。

 

 女神様――。

 

「おいおい……?」

 

 死の瞬間を待つ時間は、聞き覚えがある声に掻き消され、唐突に終わった。

 ゆっくりと頭を上げたすぐ先には、濡れる視界の中に困惑したような表情をするよく見知った顔。少し濡れた綺麗な銀髪で、相変わらずの白いバンダナで、アリサみたいに深い赤色の瞳で、意外にも整った顔で、緑色の士官学院の制服に身を包んだ――。

 

「……ク、クロウ……せん、ぱい?」

 

 かすれきった自分のものとは到底思えない声が零れた。

 

「おう。……どしたんだ? そんなとこで縮こまっちまって」

「……ぁ……あっ……はぁぁぁぁっー……」

 

 恐怖が、安堵へと取って代わる。

 立ち上がろうとしても今度は安堵から力が入らず、情けなく再びその場にへたり込んでしまっていた。

 

「大丈夫か? 立てるか?」

 

 先輩が優しく差し出してくれた手を取った時、大切なことを思い出して、一気に全身から血の気が引いてゆく。

 血の気が引くのと同時に噴き出す冷や汗。女神様に祈りながら、恐る恐る足元に目を落とし無事なのを確認して、今度こそ本当に胸を撫で下ろす。

 

「……どうした?」

 

 ……恥ずかしくっていえるか。でも、もうそろそろ限界……。

 

 再び光が床を照らし、直後の轟音に身体が無意識に震える。

 

「……あの、先輩……お願いがあるんですけど……」

 

 未だに状況を掴めてないだろう先輩だが、既にもう恥ずかしい醜態を見られている事には変わらないのだ。ここまで来れば、もう一緒――ではないけど、正直、今の状態で一人は怖い。死んでも嫌だ。

 

「……そ、その……耳をふさいで……そこに、いてくれます……?」

「はぁ……?」

 

 ロビーのソファーを指差した私。

 首を傾げる先輩を横目に、返事も聞かずにさっさとトイレに入って扉を閉める。

 

「……耳、ふさいでてくださいね」

「あいよ」

 

 少々、呆れ様子な声。普通に考えれば無理もないだろうけど。

 すわり込んでから、最後の確認をした。

 

「……先輩?」

「なんだ?」

「ふさいでくださいってば!」

 

 不安である。不安だけど、この際、背に腹は代えられない。

 

「はぁ……」

 

 一体全体、真夜中に私は何してるんだろ。

 

 

「……あの、ありがとうございます……」

「お、出し終わったか」

「だっ、だし……」

 

 色々と、超気まずいけど、ちゃんとソファーに居てくれたクロウ先輩にお礼をすると、いつも通りの軽快な声で迎えてくれた。

 そのノリは気遣いなのかもしれないけど、もうちょっとオブラートに包んでくれても良いのに! デリカシーがないんだから……って言えるほど、私がまともじゃなかったのは確かだ。

 

 真っ赤になっているだろう熱い顔を見られたくなくて、わざと俯いて近く。そして、クロウ先輩の隣に、少し離れて座った。

 

「にしても、お前さん、雷が怖いって……」

 

 ちらっと見ると、『やれやれ』と顔に書いてある位呆れ半分の先輩。

 

「……雷が怖かったってわけじゃなくて、その……夜の突然の大きな音は苦手っていうか……」

「それにしても、腰抜かすほど怖かったんだろ?」

「それは……」

 

 少々、口にするのは憚られるが、あの醜態やあんな赤っ恥を見られてしまった以上、もうどうでもいっか……。

 

「……今日、この寮に”出る”ってきいちゃって……」

「出る?」

「……その……”吸血鬼”が……」

 

 自分でも口にするのが恥ずかしくて、先輩から目を逸らす。

 一瞬、キョトンと目を丸くした先輩だが、幾秒後には大笑いし始めた。

 

「もう……笑わないで下さいよ……! 先輩が、変なタイミングで玄関開けるから……!」

 

 さっきからずっとヒィヒィと笑う、先輩に文句の一つでも言ってやりたくなる。

 

 あんなタイミングで扉が開いたら誰でも勘違いするでしょ! っていうのが、無理な言い訳なのは私が一番よく知っている。

 

「ほんとにやばかったんですからぁ……」

「ははーん?」 

「……お前さん、ちびったな?」

「そ、そんな訳ないじゃないですか!?」

「まー、そういう事にしておくか」

 

 必死に否定するも、ニヤニヤとした笑みを浮かべたまま。

 「Ⅶ組の奴らに知られたくないもんなぁ」、とこれでもかというくらい弄ってくる。さっきの気遣いは私の勘違いだったのだろうか。

 

「違いますってば! 漏らしてないですからね!?」

 

 この誤解は私の尊厳に関わる一大事だ。お願いだから”吸血鬼”の件と併せて、みんなには言わないでっていうか、そのまま墓場まで秘密を持っていって欲しい。

 

「……本当の所は?」

「……まじでちびるかとは思いましたけど……」

 

 というか、実際は半ば絶望した位だけど。

 吸血鬼がクロウ先輩だと気付いた時は本気で焦った。

 太ももがぐっちょりと濡れる感覚が、頭で再現されたくらいだ。ちゃんと確認するまで、正直気が気でなかった。

 

「はぁ……それにしても、先輩はまた夜遊びですか?」

 

 さっさとこの恥ずかしい話を終わらせてしまいたい一心で、クロウ先輩のこの門限破りの深夜外出に突っ込む。

 

「――ま、そんなとこよ。旦那達とな、こないだの課題と来週の戦略について熱く語り合ってたら盛り上がっちまってよ」

 

 少し自嘲的で、ちょっと哀愁が漂うような、微妙にカッコよさげな顔で何を言い出すかと思えば、競馬かよ。思わずソファーから滑り落ちるかと思った。

 旦那達ってことは大方、《キルシェ》のフレッドさんと質屋のミュヒトさんの二人だろうか。どっちも毎週末は競馬新聞片手に、帝都競馬のラジオ中継に一喜一憂させてる競馬好きだ。

 

 それにしても、この先輩は相変わらず懲りない人だ。みんなには馬券を買ってないとか言ってるけど、絶対買ってるって私は知ってるんだから。

 パルム競馬に毎週熱くなっていた幼馴染と同じノリなのだ。絶対、コイツはミラを賭けてる。大体、競馬誌の懸賞ごときでここまで熱くなれるものか。

 

 あと、お酒の臭いはしないけど、日付回ってこんな時間までってことは、きっとお酒を口にしたに違いない。なんて不良だ。

 

「はぁ、クロウ先輩もアンゼリカ先輩もまったく……」

 

 もう一人の方の先輩を思い出して、また溜め息が出る。帝都のカジノに連れて行ってもらった――いや、連れて行かれたのも先月のこのぐらいの時期だ。あの時、私はお酒を何杯も飲んで――いや、飲まされて二日酔いになるわ、ハインリッヒ教頭に捕まってこっぴどく怒られて泣かされるわ、それはもう大変な思いをした。

 

 トワ会長の気苦労がちょっとは分かった気がする。

 

「ゼリカの奴と一緒にすんなよな」

「どっちもどっちです」

 

 話題転換にも成功したからか、私の頬に帯びた熱も大分引く。やっと先輩の顔を直視できる位に話せるようになったと感じたのと時を同じくして、階段を降りてくる足音に気付いた。

 

「むにゃ……クレア―……トイレ―……」

 

 突然の来訪者の声に心臓が跳ね上がり、床に座り込む様な形で頭を低くして、私はソファーの陰へと隠れた。

 それは、隣に座っていた先輩も同じだったみたいで――二人でこんな隠れ方をすると、不本意にもお互いに身体が密着したような感じになってしまい、私は先輩の耳元の小声で文句をぶつけた。

 

「……ちょっと……先輩っ……」

「悪ぃな」

「……汗臭いです」

「……悪ぃな」

 

 男臭いとでいうのか、フレールの領邦軍のヘルメットの様な、少し蒸れた様な臭い。絶対このバンダナ洗ってないんだ、もう先輩きったないんだからぁ……!

 

 瞼を手で擦るミリアムの後ろ姿が扉の向こうへと消え、そこから導力灯の明かりが洩れる。

 私はそのタイミングで、クロウ先輩の両耳を両手で塞いだ。これでもかという位強く力を込めて。そして、その――気まずい水音が静かなロビーに小さく響き始める。

 

 クロウ先輩の事は信じてるけど、つい先程の自分の事を考えると、顔が熱くなる。それに、先輩の耳を塞ぐ為とはいえ、今まさに至近距離で見つめ合うような体勢になってるのも、とても恥ずかしいし、照れくさい。

 というか、なんで私は隠れてしまったんだろう。先輩の方は、もうそろそろ朝帰りという、門限破りの発覚を恐れたのだろうか。

 

 一際、大きい感じられた水音の後、扉が開いた。

 

「……えへへ……オジサン……トイレ出来たよー……ほめてほめてー……?」

「ぶっ……!」

 

 ミリアムの衝撃的過ぎた寝言に、盛大に噴き出してしまう。私のすぐ目の前にはクロウ先輩がいるのに。

 

「おい……!」

「だ、だってっ……んー!?」

 

 私が先輩の耳を塞いだお返しか、今度は私が口を塞がれる。

 

 ちょっ、やだっ!? ヨダレ垂れてるってか、鼻息荒いとか思われちゃうじゃん!

 

 でも、想像できるだろうか。「トイレ出来たよー、褒めてー」、ってミリアムに言われているのだ。あの、あの、《鉄血宰相》、ギリアス・オズボーン宰相が。

 

「んー……?」

 

 ミリアムがこっちに近づいてくる小さな足音。そして、すぐに彼女はソファーの陰に隠れた私達を見下ろした。

 

「クロウと……エレナ?」

「よ、よぅ、チビ助」

「んー! んー!」

 

 多分、私達二人の顔は引きつっていたと思う。

 

「そんなところでナニしてるのー?」

 

 二人して、ミリアムのその素朴な疑問に答えることは出来なかった。

 

「……まさか――……」

 

 私達を見下ろすミリアムの半眼が嫌に鋭く感じられる。

 

「みんなに隠れて、ナイショの密会……トカ? そーゆー仲だったの?」

「なっ、なっ、なにいってんのミリアム!? 違うからね!? ですよね、先輩!?」

 

 立ち上がって必死に全否定する。ただ、さっきまでの状態を考えると、ミリアムがそう考えるのも不思議でないのかも知れない。

 耳を塞いでた筈の私の両手は先輩の肩にあったし、私は相変わらず喋るなと言わんばかりに口を塞がれてた。片や抱き付こうとしているようにも見えなくもなく、片やまったく意味不明である。

 

「お、おう……」

「もっと、否定してくださいよっ!?」

「んー……アヤシイ……ふぁぁ……」

 

 悪戯っぽく頬杖つく仕草をしながら大きなあくびを出すミリアムに、私たちはここぞとばかりに歩調を合わせる。

 

「ま、時間も時間だしお子様はさっさと寝ようぜ? な?」

「そ、そうですね! さっ、ミリアム、一緒に戻ろ?」

「お子様いうなー……」

 

 苦し紛れに撤退の方向へ誘導し、ロビーを離れる。

 

「んー……?」

 

 まだ寝惚け眼ながら神妙な顔をするミリアム。そんな彼女の背中を必死に押して、しっかりと部屋に送り届ける。

 願わくば、今晩の出来事はミリアムの夢の出来事とならんことを。そう、祈って自分の部屋へと戻った私を待っていたのは、非情過ぎる時刻を示す時計の文字盤であった。




こんばんは、rairaです。
今回は8月22日の日曜日、五章自由行動日の夜の『夏の日常』編の後編のお話です。

「閃の軌跡」本編では、丁度前半部がリィンのお使いに、後半部はルナリア自然公園における《帝国解放戦線》の集合後の時間軸となります。それぞれのパートで《深淵の魔女》と同志《C》という、終わりゆく日常の影をうっすらと顔を出してきていたりします。

また、この作品の五章は特別実習がB班ということもあり、日常パートよりしつこい位にクロウ先輩の動向にフォーカスしていたりします。もはや先輩編ですね。

ミリアムに関しては、北米版「閃II」のEDでの追加イメージから妄想してみました。まだ無知なミリアムを宰相と子供達で育てたなんてエピソードがあったら…いいなぁっ!

次回は8月28日の朝、五章の特別実習ジュライ特区編となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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