光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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8月29日 港街の来訪者たち

 翌朝、ジュライ特区での特別実習の二日目は、案の定とも言うべきアリサの怒鳴り声から始まった。

 日付が回った後も遅くまで起きていたせいか、無意識下ではフィーと一緒にベッドで大分抵抗していたみたいだけど、そこはアリサである。入学以降、度々私を遅刻の危機から救ってくれた年上の親友の起こし方は一流だ。

 ただ、エマに比べて多少乱暴なのが玉に瑕なのだけど。

 

 東から昇るお日様の眩しさに重たい瞼を擦りながら、二日目の最初の課題『街道の早朝見回り兼手配魔獣の討伐』に取り組むこととなる。

 依頼主はまさかの帝国正規軍・北西駐留軍。なんでも今日のお昼過ぎから二日間、特区の東――北西準州内で正規軍の大規模な軍事演習があり、午前中にはこの演習に召致された≪第七機甲師団≫が、パレードを兼ねて特区の港から街道を通って準州へと向かうらしい。その為のチェック兼露払いという意味があるみたいだ。

 

 私達が倒せるような魔獣なんて、正規軍ご自慢の戦車の主砲で一撃じゃないか。ある意味じゃ実戦なんだし、良い演習になると思うんだけど。なんて思っても、課題がなくなる訳ではない。

 それにしても、今回の実習は人遣いが荒過ぎだ。昨日は夜九時過ぎまで警邏させといて、翌朝五時から街道を見回れだなんて、かなりのスパルタだ。八月のB班はハズレかも知れない。

 レグラムに行ったA班なんてラウラの故郷でもあるし、きっと、ラウラの、貴族様のお屋敷で美味しいものをいっぱい食べてるんだろうなぁ。めっちゃ羨ましい。

 

 

 ほんのついさっき、大通りと同じ様に舗装された街道を少し逸れた、特区と準州の境となる小川のほとりで、私達は手配されていた”魔獣らしきもの”と遭遇した。その何か魔獣とは違うような外見に戸惑いつつも、討伐に取り掛かったのだが……。

 元からボロボロだったのか、機械っぽい魔獣は皆の集中砲火の前に数分と掛からずに、あっさり倒す、というか壊す事が出来てしまい、今に至っている。

 

 アリサ達が不思議そうに爆散した魔獣の残骸を調べている一方で、私は小川の向こう岸を眺めていた。

 

 対岸には高い鉄条網が張り巡らせれており、所々に赤い標識が取り付けられている。

 さっきフィーが教えてくれたけど、あれは地雷の警告らしい。つまり、あの鉄条網を勝手に越えるとドカンという訳だ。

 鉄条網の先は、放棄された農場とおぼしき廃墟がいくつか見えるだけで何もない。ただ、異様に凹凸の多い草原の丘陵と薄暗く曇る空。

 

 小川の上流側に目を向けると、特区から私達が歩いてきた街道の続き、鉄材で大幅に補強された古い石橋に併設される対岸の検問所。

 

 あの先が、北西準州――”アンブルテール(アンブル人の土地)”と呼ばれていた、私の生まれた場所。

 

「見に行きたいのか」

 

 いつ間にか私の隣にいたクロウ先輩が、そう問いかけてくる。

 

「生まれ故郷なんだろ」

「……」

 

 何と言えば良いのか、少しの間よく分からなかった。手放しに懐かしいというだけじゃないこの気持ち。

 

「……今回の実習の活動範囲は特区内だけですもの」

 

 課題書類にあった但し書き。残念に思う一方で、どこか安堵したのも確かだ。

 

「気にはなりますけど……あまり良い思い出ばかりではないので」

 

 私の生まれた街も、育った場所も。いまどうなっているのかは想像すら付かない。ジュライ特区の様に帝国の統治の元、見違える様に発展しているのかもしれない。

 

「……そうか」

 

 先輩が小さく呟き、目を伏せた。無理に言わなくて良いとばかりに、私に何も聞いてこない先輩に少しだけ感謝する。

 

 ただ、あの曇り空だけは、小さかった頃の記憶と何ら変わらなかった。

 

 

 ・・・

 

 

 私達が市街地に戻って来た時、盛大な行進曲と共に機甲師団の戦車隊が≪インペリアル大通り≫を騎行していた。沿道に集まる市民達の中、正規軍の戦車が二両ずつ並んで走る光景に、街道が大通りと同じ様な幅と舗装だった理由に気付かされる。ああ、この大通りと同じ様にあの街道も、帝国が軍隊の為に作ったのだと。

 

 クロウ先輩が何かとしつこいので、朝ご飯は仕方なく旧市街の小さなカジノバー兼カフェに行く事となった。軽い朝食を済ませた後、カジノの開店に後ろ髪を引かれまくる予想通りの先輩を引っ張って、次の課題の場所である新港地区のジュライ国際空港へ向かう事になるのだけど。

 カジノバーから結構離れたからか、恨み節をグダグダ並べていた先輩がやっと諦めが付いた頃、突然、私達は後ろから声を掛けられた。

 

「おぉ! その制服、君たちはトールズの……!」

「誰?」

 

 と目を細めるフィーだが、その返事は帰って来ない。声の主の高級そうな生地のスーツ姿の男は、私やフィーなんか眼中にないと言わんばかりに足早に通り過ぎ、私達の先頭を歩いていた金髪の少女の前に回り込む。

 

「なんと! アリサお嬢様! これはこれは! トールズにご入学なされたとお聞きしておりましたが!」

「って、取締役!?」

 

 腰を低くして彼女の手をとる男に、目を見開いて驚くアリサ。

 なんか面識はあるみたい。知らないオッサンだったらどうしようかと思ったよ。

 

「君、早くカメラの用意を」

「ハッ」

 

 とはいっても、手を握られているアリサは明らかにたじろいでおり、なんとなくヤな感じだ。そんな中、真っ黒のスーツに身を包み、サングラスを掛けた屈強な男が、すぐ近くに停まる導力車の中からカメラを持ってくる。

 

「ささ、アリサお嬢様。あぁ、君はレーグニッツ知事閣下の息子さんだね。君もこちらへ来てくれたまえ」

 

 身なりの良い男はアリサを自分の右腕の前に、マキアスをその反対側に立たせる。

 

「ささ、君たちはその辺に」

 

 にこやかに笑いながら指示してくるけど、ここまでやられたら私も分かる。

 この人は、アリサとマキアスと一緒に写真が撮りたいだけだ。うちのクラスの可愛いアリサなら分かるけどマキアスってどーゆーことだし。

 なんなの、この人。

 

 カメラが似合わない黒服の男が、更に似合わないカウントをしてくれた後、フラッシュの眩い光に思わず目を瞑ってしまう。

 ……まぁ、いっか。フィーなんてカメラの方すら向かないで、へっちょ向いてるし。

 

「取締役、これは一体……」

「なに、こんな場所で偶然お会いしたのです! これも旅の記念というやつですよ! ははは、良い巡り会わせに女神に感謝しませんとな!」

 

 爽やかな笑顔を浮かべる男とは正反対に、アリサの顔は微妙なものだ。

 

「そういえば、取締役……ヘルマン氏のその後のご消息は……」

「いえ、未だ何も――兄の件ではグループには勿論のこと、イリーナ会長にも、本当に、多大なご迷惑をお掛けしました……このヨーゼフ……このご恩を一生――!」

「議員、そろそろ空港に向かいませんと副総督の飛行艇が出発――」

「戦争ごっこなんかより重要な話なのだ……!」

 

 小声で言ったつもりだと思うけど、結構聞こえちゃってますよ。

 

「あぁ、そうです! どうやら、ノルティア州にて増税の動きが進んでいるようですが、無論、私は反対の意を議会で示させて頂きますぞ! 帝国経済の先頭に立つ我々の成長を妨げる等言語道断――して、アリサお嬢様からもイリーナ会長にどうかお伝え頂けると……」

「はぁ……わかりました」

 

 あ、私でもこれは分かる。アリサのお母さん、ラインフォルト社の会長に取り入ろうとしているんだ。

 だから、アリサはため息混じりだし、うんざりな顔をしてるのか。

 

「おぉ、感謝いたします! それでは、お嬢様、何卒お気を付けくださいませ!」

 

 言いたい事はさっきのお話の様で、聞きたい返事も聞けたらしい『取締役』と言われていた男は、そう言うがいなやさっさと導力車に乗り込んでしまう。

 それにしても、なんかアリサに対してだけ腰の低い所が、シャロンさんより使用人っぽいのだが。

 

「なんだありゃあ?」

 

 まるで変な嵐の様に、過ぎ去っていった男。慌ただしく走り去ってゆく導力車の後ろ姿に、クロウ先輩がぼやく。

 

「コンラート議員。帝国議会の平民院議員よ」

「……ふぅん」

「議員さんだったんだね」

「平民院という事は、大方≪革新派≫の議員か……なるほどな」

 

 盛大な溜息の後、アリサの告げた男の素性に、各々驚きを交えた反応を見せる。マキアスは写真を撮られた時の意味が分かったのか、げんなりとした顔だ。

 そういえば、周りの黒服の男にそう言われてたっけ。異様に体躯が良かったので秘書さんには見えなかったけど、ボディガードかな。

 それにしても、あれが帝国議会の議員先生……。

 

「……そして、ラインフォルト・グループ傘下の企業、コンラート社の社長でグループの取締役の一人よ」

 

 少し言いたく無さげな間が開いた後、アリサは議員のもう一つの肩書を明かした。

 

「どっかで聞いた事があると思ったけど……あのコンラート社か」

「フィー、知ってるの?」

 

 納得がいったように小さく頷くフィーに、エリオット君が訊ねる。

 

「武器商人。猟兵団や傭兵の間じゃかなり有名」

「……どう有名なのかは聞かない方がよさそうだな」

「そだね。それがいいかも」

 

 マキアスの言葉にフィーは頷いた。

 ちらっとこっちを見たような気がしたのは、気のせいだろうか。

 

「ま、ラインフォルトの所謂、裏口って奴だな」

「裏口?」

 

 クロウ先輩の意味深そうな暗喩を聞き返す。

 

「大っぴらに武器を売り付けると印象が悪い相手専門ってことよ。ラインフォルトにも国際的企業の体裁っていうのがあるからな」

「……恥ずかしい限りだけど、そういう事ね」

 

 余計なことをと言わんばかりに、大きなため息を吐いたアリサが、先輩の言葉を肯定した。

 あぁ、だから猟兵団や傭兵に有名なんだ。そう考えると、確かに心象は悪い。

 

「そういえば、さっき消息がとか言ってたけど」

「去年の秋頃、コンラート社を創業以来引っ張って来たヘルマン元社長が突然失踪して、今は弟のヨーゼフ氏が政治家を兼ねて社長と取締役になってるのよ」

「ふーん」

「失踪とはまた穏やかじゃないな?」

 

 フィーの質問に答えたアリサだけど、質問した本人は至って興味無さげで、今度はマキアスが続いて訊ねた。

 

「……正直、状況だけなら自殺の方が近いわ。なんたって高度数千アージュを飛行中の≪ルシタニア号≫から飛び降りたんですもの」

「そりゃ……」

「まず生きてないと思うけど」

「そうね。去年就航したばかりの≪ルシタニア号≫の悪評が立つと困る、ってウチの誰かが思ったのでしょうね……」

 

 そこまで言って、アリサは何とも言えない顔で深い溜息をついた。

 

「じゃあ、あの人、ついこの間お兄さんを……」

 

 亡くしてるんだ。

 それなのに、政治家として社長として働かなくちゃいけないし、笑わなきゃいけない。そう思うと、とても哀しい。誰だって、肉親を失って悲しくない人なんていないだろうから。

 

「ヘルマン氏より人当たりは良いし、話しやすい御方なのだけど、商才の方はからっきしみたいで……今年に入ってから大きな契約をいくつも落として、コンラート社の業績も見通しは悪いみたい」

「出来のいい兄貴の操り人形……ってとこか」

 

 歯に衣着せずに辛口な先輩。ちょっと最近、毒舌が過ぎると思うんだけど。

 

「それでも相変わらず、猟兵団はお得意様みたいだね」

 

 先程、議員先生達が出てきた大分汚れた古い石造りの建物。その玄関の上の青く錆びた銅製の文字列をフィーは見上げた。

 

「ノーザンブリア……」

「ノーザンブリア自治州領事館だと?」

 

 不思議そうなマキアスの声。

 

 あれ? 違う?

 

 そう思ってマキアスの方に目を向けると、門構えの方に木板で安っぽい看板があった。

 という事は私が見た建物の方は直されていないのだろう、”在ジュライ市国ノーザンブリア大公国大使館”ってなっていたから。

 それにしても、大理石と思われる石造りの建物はとても立派なのに、あまり整備が行き届いてないのか見窄らしくなってしまっている。その壁面は酷い罵りの落書きまでされている汚さで、使われていないのか窓ガラスが割れている部屋まである。 大災害で大変だから、修繕するお金もないという事なのだろうか。

 

「なるほど。そういうことかよ」

「だね」

 

 先輩が納得したように頷く。

 

「え? どういうこと?」

「ノーザンブリアは大陸最大規模の猟兵団≪北の猟兵≫の本拠地」

「その自治州の領事館から出てくる傭兵専門の武器商人の親玉――クク、建物と違ってミラの匂いがプンプンするな」

「……まったく」

 

 エリオット君に応えるフィーに付け加える形で悪い推測をする先輩に、アリサが白い眼を向ける。ミラには鼻が利くって奴だろうか。もっとも、悪そうな顔を浮かべる先輩の財布は、相変わらずミラにモテてはいないんだろうけど。

 

 それにしても、北の猟兵か……。 この建物の、昔は白かっただろうと思われる壁に落書きされた、”バルムント”という人物を罵る言葉。この人物は、猟兵なのだろうか。

 

「それこそ、北西動乱じゃ大暴れした所だよ」

 

 そんな気はした。ノーザンブリアはここからそう遠くはないのだし。大陸最大規模なら尚更だろう。

 

「元々あそこら辺は大公国時代の勢力圏内だった地域だったみてぇだからなぁ。そう易々と帝国に主導権を握られるのも我慢ならなかったんかねぇ」

「……」

 

 やれやれ、とぼやきながらクロウ先輩は止まっていた足を進め、アリサとマキアスも、それに続く。

 フィーだけが一人、その場から動かず薄汚い領事館を再び見上げていた。

 

「どうかしたの?」

「うんん。思い過ごしならいいんだけど」

「?」

「いくらノーザンブリア自治州と関係が深くても、≪北の猟兵≫程の大きな猟兵団が、そんなミラにならないプライドで動くのかなと思って」

 

 

 ・・・

 

 

 私達の昼間の課題は新港に併設される『空港警備の補佐』。警邏とか警備とか、今回の特別実習の課題は本当に軍の補助的なものが多い。まぁ、三つ目の課題は少し違うっぽいけど。

 

 新港地区の一角にあるジュライ国際空港。そのターミナルビルの屋上にある展望台で、私達三人はサンドイッチ片手に休憩時間を過ごしていた。 昨晩と同様、この課題でも班を割る事になってしまっており、今回はアリサとマキアスと私だ。それにしても、このB班のリーダー格で引締め役の二人揃ってこっちに居ていいのだろうか。向こうのチームの面子を考えると、色々と激しく心配である。 やっぱり、クロウ先輩のブレードくじって、不味いんじゃないだろうか。

 

 三階建てと、それ程高い建物ではないが、この屋上からは倉庫やクレーンといった港湾施設が建ち並ぶ新港は勿論、港から駅前まで綺麗に一直線な大通りも一望できる。景色も良いし、北海からの海風は昼間でも涼しいので、確かに休憩場所にはもってこいだった。この場所を教えてくれた職員の人には感謝しないと。

 

「施設は立派なものだが、まぁヘイムダル港と比べると船の出入りは大分少ないな」

「演習のせいかも知れないけど、泊まっている船も軍艦ばかりね」

 

 マキアスとアリサの抱いた新港の感想には私も同意だ。帝都の東側を流れるアノール河の港の事は知らないけど、アゼリア湾ではもっと大小様々な沢山の船が水平線を横切っていたものだ。

 

「昔はもっと栄えてたんだけどね。いまは帝国国内は鉄道輸送が主役だし、飛行船もあるからね」

 

 思いもよらない声にマキアスが慌てる。誰もいないと思って遠慮せずに帝都と比べるからだよ。

 

 私達の感想に答えたのは、新港とそれに付属する空港の責任者で、この課題における私達の一応の監督役でもある港長。丁度、昨晩の居酒屋の店主より少し年上の、そろそろ中年から初老へと差し掛かる歳に見えるオジサンである。

 彼は昔、帝国のオルディス市で働いた経験を持つジュライ市民で、いくつかの話を聞かせてくれた。

 

 新港の収益の殆どは帝国軍から支払われる施設使用料という今の港湾の現状の話もあれば、ノーザンブリア大公国の崩壊が海運が低迷した原因という昔の出来事の話もあって――私にとって特に興味深かった話題は、併合前のこの街と≪紺碧の海都≫オルディス市――その主であるカイエン公との関係についてだ。

 

「ああ、ジュライとの特許状が失効してね」

 

 あー、そういえば中間試験の時にユーシスに教えて貰った気がする。

 昔の皇帝陛下からオルディスのカイエン公爵家に与えられた外国との海上貿易の独占権を認める特許状。

 この特許状のお陰で、東方貿易と北方貿易を独占したカイエン公爵家は中世に莫大な富を蓄え、その権勢は≪四大名門≫最大の財力として現在まで至る。

 ラマール州が豊かなのも、オルディス市が帝国で二番目に大きい大都市なのも、海上貿易のこういう歴史と密接な関係があるのだ。

 

 時代の流れと共に、主要国との特許状の多くは歴代の皇帝に更新されずに喪失していたが、地理的な理由から競合する港が無く、ラマール州と”特別な関係”にあった自由都市ジュライ市国相手の特許状は、数百年もの間、カイエン公爵家に脈々と受け継がれ、守られていたらしい。

 特許状はジュライにとっても有益なもので、代々の市長はカイエン公爵家の当主に協力する形で隣国との交易を進め、市国は北方諸国とオルディス市の中継貿易の拠点として発展した。

 

「なるほど、ジュライ特区が帝国領になった事で、ラマール州との間の海運は”外国貿易”から”国内流通”になったのか……」

「昔からオルディスとは関係の深い街だったものだから、港にとっては大きな痛手になってしまってね」

 

 数百年の間、伝統の様に続いた北海貿易の仕組みだが、それは呆気なく終わりを迎えた。

 ジュライの帝国への併合という形で、帝国政府はカイエン公爵家に残る最後の、そして、特別な”特許状”を潰してしまったのだ。

 

「カイエン公がオズボーン宰相と対立する筆頭格なのはそこら辺の事情もあるのね」

「しかし、そうはいっても貿易の独占権の特許状なんて……時代錯誤も甚だしいぞ」

 

≪貴族派≫と≪革新派≫の対立の一頁に、少なからず同情的なアリサと反発気味のマキアス。貴族領邦であるノルティア州出身で、アンゼリカ先輩を始め貴族との付き合いもあるアリサと、帝都の下町で育ったマキアスではこの話への感じ方も違う事だろう。

 

 私もここだけの話を聞けば、少し同情の余地はあるのかなとも思ってしまう。

 

 だって、帝国政府の併合は偶然なんかじゃないから。鉄道を開通させて海上貿易の衰退を決定的なものとし、結果的にオルディスに集まる富を減らす。独占していた貿易がなくなる以上に、その貿易に関わっていた多くの人が職を失い、オルディス市の貿易港としての地位も落ちた事だろう。

 その上、ラマール州と関係の深かった小国を帝国政府の直轄領とする――もうこれ以上なってぐらいの、一石二鳥以上の嫌がらせに思える。

 目的は勿論、≪四大名門≫の一角であるカイエン公の懐を痛め、貴族勢力の力を削ぐことだ。

 

「出来ればオルディスとの関係も昔みたいに良い関係にして貰いたいんだけどね」

 

 先程の話の中で少し出たが、昔は旧市街のさらに西側の高台にある高級別荘街にカイエン公の別荘屋敷があって、毎年夏場の避暑地として利用していたんだとか。流石に、併合後は全く来ていないらしいが。

 

「……あの副総督閣下だとそれは無理そうね」

 

 マキアスが以前のまんま大人になったら、あんな感じで貴族を嫌ってたのだろうか。

 もしかしてあの貴族嫌いな将軍が北西の副総督に任命されたのも、ラマール州のカイエン公とあえて対立させるのが目的なのではないかと感じてしまう。

 

「だが、将軍閣下のお陰で海運もちょっとは明るい未来が見えて来たかな」

 

 なんでも外国との地方間の協定が結ばれ、その国と帝国を結ぶ主要航路の帝国側の拠点がジュライ特区になるのだとか。

 でも、これってオルディス市から更に海上貿易を奪うってことだよね。

 

 そして、朝見たあの検問所の向こう――大通りを行軍した戦車隊の向かう先の北西準州でそろそろ始まる正規軍の演習は、ラマール州、しいては≪貴族連合≫への圧力なのだろう。

 

 私の頭の中で、あらゆる事柄がどんどんと糸で繋がってゆく。

 

 港長が去った後も、私は黙ってこの港を見つめてしまっていた。

 

 あまり出来の良くない私の頭には難しいけれど、この街が帝国に取り込まれてしまった理由が何となくわかって来ていた。

 北西という天秤の上で平衡を保ってきた歴史ある小国は、天秤の片方に乗る一つの国の崩壊によって安定を失い、もう片方に乗る大国を二分する勢力の争いの煽り受けてしまう。

 烈火の前に一枚の葉が無力であるように、呆気なく炎へと飲まれてしまい、その小国は長い歴史に幕を閉じたのだ。

 

 

 ・・・

 

 

「これが……」

 

 長い螺旋階段を登り切った先に広がっていたのは、先程までいた屋上より遥か高く、遠くまで見渡せる眺望。窓からはこのジュライ国際空港の大きな二つの発着場が手に取る様に分かる。

 

 窓際には何に使うのか私には分からない沢山の導力機械類で埋め尽くされており、それらを操作する職員は空と機械を交互に見ながら、忙しなく通信で指示らしきものを出していた。

 

 港長が私達の所に来てくれたのは、お話をするためではなく、この後の予定変更を伝える為だった。本来は夕方までずっと警備だった私達に『プレゼント』を用意してくれたらしい。

 その内容は来てからのお楽しみという事で教えては貰えなかったが、指定された集合場所に聳える高い塔を見て、自ずと察してしまう以上に驚かされた。

 

 そう、ここは空港の心臓部である管制塔。この空の港を発着する飛行船が、安全に航海を出来る様に航海に関わる様々な指示を出す場所なのだ。

 

 そんな場所を私達は、あるお客人の”ついで”として見学させてもらえる事になったのである。

 

「なるほど、中央工房製の機器をラインフォルトが改修しているのか」

「この発着場は元々は貴国の技術援助で建設されたものですからな」

「ふむ……」

 

 そして、この『プレゼント』を私達にくれた港長と一緒に居たのは――

 

「……おや、君たちは……」

「あ……」

 

――そこにいたのは、行きの列車で会った紳士。そして、昨日の夜にホテルで副総督閣下と立ち話をしていた外国の偉い人だった。

 

「トールズ士官学院の者です。ご迷惑とは思いますが、ご一緒に見学させて頂きます」

「ああ、閣下からお話は伺っているよ。勿論構わないとも」

 

 みんなを代表して挨拶したのはマキアスに、人の良さそうな笑みを浮かべて紳士は応える。もうすっかりこの役がマキアスに定着してしまっている。

 

「自己紹介が遅れて申し訳ない。私はリベール王国ルーアン市の市長を務めているノーマンというものだ」

 

 ”リベール王国”、その国の名前が出た時、クロウ先輩を除いたB班みんなの視線が私に集まった。

 やっぱり……リベールの人だったんだ。

 

――それに、もうエレボニアは敵ではないよ――

 

 列車で初めて言葉を交した後に聞いてしまった一言と、なんとなく帝国人とは違う穏やかそうな雰囲気から予想は出来ていた。ただ、私があまり考えたくはなかっただけ。

 

「……リベールの……」

 

 思わず私の口から零れた一言に、ノーマン市長の表情が少し揺らいだ。それは、まるで身構えるような硬さを帯びていた様に、私には思えた。

 何も言わず、私を促すように見る市長さん。

 

「……私のお母さん……いえ、母がリベール人で……」

「ほう……」

 

 市長さんが私の打ち明けた言葉に目を見開いて驚く。

 

「それも、ルーアン出身なんです」

 

 お母さんの故郷、絵と写真でしか見たことがない白い港町――ルーアン市。

 誰かは、パルム市よりも遥かに大きくて立派な都会で、沢山の人と船が集まる華やかな街だと言っていた。その市長さんが私の目の前に居る。

 

「……なるほど。王国より遥か遠いこの街で、リベールに、それも私が預かるルーアンに所縁のある方にお会い出来るとは思わなかったよ」

 

 これも女神のお導きということなのかな、そう続けた市長さんは嬉しそうに微笑んでくれた。

 

……よかった。

 

 

 軍用船の管制は軍の基地で行われている様だが、特区のすぐ隣で演習が行われている関係で、今この空域には結構な数の軍に所属する船が飛んでいるらしい。先程から導力通信で交わされる交信は、やたら軍相手が多くて、管制官達も民間船の航路や針路に気を遣っているみたいだ。

 

「二番発着場はウチの建て方ね」

「発着場にそんな違いがあるの?」

 

 うんうん、と頷きながらどこか満足気なアリサに尋ねるのはエリオット君だ。

 

「リベールのZCF(ツァイス中央工房)式は、発着場が緩やかな坂になっているのが特徴ね。初期の導力飛翔機関はまだ出力が弱かったから、離陸を助けるためにあの坂に設置されてる導力式の離陸補助装置が必要だったのよ。今は流石に使われていないけどね」

 

 おー、流石は導力学学年一位。導力器の帝国における総本山、ラインフォルト社のご令嬢は伊達じゃない。パルム市にある飛行場もあんな坂があったような気がするから、リベールに建てて貰ったのかな。パルムにとっては、帝国で一番近くの街より、リベールの方が近いのだし。

 

「あとは搭乗デッキが石造で堅牢に造られてたりするわね。ほら見て、二番発着場は乗客が乗降りする所がトラス構造の鉄骨組みでしょ?」

 

 アリサはそう言って、ついさっき帝都から到着した中型の飛行客船が泊まっている発着場を指差す。

 

「でも、工期短縮の為の手抜きって訳じゃなくて、あれは飛行船の将来的な大型化を想定して発着場に必要な施設拡張性を持たせる必要があったから、あえて簡易型にしてるのよ。だから、帝国内の空港は≪ルシタニア号≫みたいな次世代の大型飛行客船の登場に難なく対応――」

 

 エリオット君達は理解出来ているのか少し怪しそうな顔をしてるけど、アリサはそれには気付いていないのか、もうなんとも楽しそうに話しちゃって。昨日からほんの少し元気がなさそうだった様に感じたのは、私の杞憂だったみたい。

 それにしても、ここまで機械の話が大好きな女子も少ないだろう。空港職員の人も、目を丸くしてアリサの解説には驚いているし、ノーマン市長に空港の事を説明しているらしい港長も、何度かアリサに視線を向けている位だ。

 

 そんなアリサの飛行船話を止めたのは、一人の空港職員の一声だった。

 

「君達、今から珍しい船が着陸するよ」

 

 職員はお茶目にも唇に指を立てながら、すぐ近くの管制官を指さす。

 

「≪エルフェンテック・ワン≫、ジュライ・タワー、一番発着場への着陸を許可する。風は150度から5アージュ、針路はそのままを維持、規定着陸コースに入られたし」

 

 小さな雲が疎らに浮かぶ空に、太陽の光に照らされて輝く点が見えた。それが段々と大きくなって来て、初めてこちらに接近してくる飛行船だと分かる。

 白色の船体に所々、青色の意匠が施されたきれいな飛行船。

 

「……何よあの船!」

「キレイな船だね」

「見たこと無い飛行船」

 

 まるでとても凄い物を見たかのように、アリサが窓に食らいつく。そんなに珍しいのかな、あの船は。

 

「あの船はまさか……去年、オリヴァルト皇子が凱旋されたリベールの船に少し似ているような……いや、違うか?」

 

 マキアスが言うように、あの衝撃的な出来事の新聞記事で写っていた飛行船も確かに白かった。だけど、なんとなく違ったような気がする。ちょっと、向こう側にいる市長さんに聞いてみたいけど……。流石に港長との話を邪魔する訳にはいかない。

 

「レミフェリアの公都アーデントから来た公国船籍の≪エインセル号≫という試験船らしい。今回は旅客や貨物輸送ではなく、国外への慣熟飛行が目的みたいだね」

 

 飛行情報が記されているらしき一枚の紙を見て、職員さんがあの飛行船の正体を教えてくれた。

 私にとってはあまり馴染みの無い国だ。北国なのにお金持ちの国という漠然としたイメージの他には、あまり知っている事は少ない。一応、海を隔てた先の隣国の一つなのかも知れないけど、何分帝国は広いのでサザーラント出身の私にとっては一万セルジュ以上離れた国だ。この街の人であれば、多少知っているのかも知れないけど。

 

「レミフェリアの試験船……ノーマークだったけど、あんな船どこが造ったのかしら……それに、試験って一体……むむむ……」

 

 唸るアリサは少しだけ悔しそうな顔を、眼下で静かに発着場へと入る飛行船へと向ける。ラインフォルトのご令嬢としては色々と複雑な気持ちなのだろうか。

 そんな事を考えながら、発着場に着陸した白い飛行船の船体に目を落とした時だった。私の視界を蒼い何かが過り、その一瞬の影を追う様に空を見上げる。しかし、その先には何の姿も形もなく、ただ薄暗い東の曇り空が広がるだけだ。

 

 それは、翼がある鳥の様な気がした。まるで、おとぎ話に出てくる幸せの象徴のような。

 

 

 ・・・

 

 

「ところで、君もルーアン出身なのかな?」

 

 見学が終わって管制塔から地上へと戻って来た後、私はノーマン市長にそう訊ねられた。

 

「いえ、私は帝国の生まれです」

「ふむ……ルーアンを訪れた事は?」

「……いいえ。……その……」

 

 行きたかったけど行けなかった、と伝えたい所だが、リベールの人の前で戦争の事を口には出せなかった。お父さんもちゃんと帰って来てくれて実害は無かった私に比べ、目の前の市長があの戦争でどんな悲しい思いをしているか分からないから。

 

「……申し訳無い。私の配慮が足らなかったようだ」

「いえ……そんなこと……」

 

 結局、逆に市長さんには気を遣わせてしまう結果となり、空港の正門に気まずい雰囲気が漂う。みんなも様子を窺うように静かなままだ。こういう時、クロウ先輩のおちゃらけてても上手い話術が本当に恋しくなる――でも、先輩は一足早く管制塔から降りて、どっかに行ってしまっているのだ。

 

「ふむ……」

 

 先程から、ずっと何か思案しているノーマン市長が顎をしゃくる。だが、市長も中々、口を開こうとはしない。折角、私と会えたことを喜んでくれた市長さんなのに、こんな別れ方はしたくない。

 あまりにも静かすぎて、頭上を飛ぶカモメの鳴き声や海風が運ぶ港の喧騒が、嫌に煩く感じられた。

 

「お嬢さん。今後、旅行のご予定はあるかな?」

 

 え?

 あれでもない、これでもないと悩む私への市長からの問いかけは、あまりに予想外のものだった。

 

「ないのであれば、リベールのルーアン地方はどうだろうか。とても美しい街並みと素晴らしい料理――紺碧のアゼリア湾を望むルーアン市は勿論、白き花の舞うマノリア村、瀑布の関所エア=レッテン、王国随一の学府ジェニス王立学園――地方全体の名所旧跡を巡る観光ツアーもご用意させて頂こう」

 

 唐突に行商人の営業の様なな話し方をするノーマン市長に、どう反応すればよいのか戸惑ってしまう。

 

「こう見えても、私はルーアン市で旅行会社と幾つかのホテルを経営していてね。君がルーアンを訪れる事があれば、最大級のおもてなしをしようじゃないか。勿論、その時はサービスもさせて貰おう――勿論、ご学友の皆様もご一緒に」

 

 そんな事、言われたって私達は士官学院生だし、特別実習という旅行もあるし、誰も……。

 

「いいね。リベールは行ったことないし」

「うんうん、国外旅行も行ってみたいね」

 

 思っていたのと全く違う、フィーとエリオット君の反応に、驚きのあまり後ろを振り向く。

 

「そうね。サービスついでに、ツァイスも行けたりしないかしら」

「ふむ、リベールの王立学園も興味があるな」

 

 仕方ないわね、とでも言いたそうな優しい笑みを湛えたアリサとマキアスが続いた。

 みんなの顔を見て、私はやっと気付かされる。決してルーアン旅行を現実的に考えている訳ではない。ただ、私の背中を押してくれようとしているのだ。 そして、ノーマン市長のあの問い掛けは、もっと違う意味合いが籠められたものだった。

 

「……でも、私、帝国の人間なんですよ?」

「ルーアンは港湾都市であると共に観光都市だ。諸外国から多くの観光客が来られて、旅の一時を楽しんで頂いているよ」

 

 でも……でも、まだ私はリベールの人が――

 

「――怖いのかな」

 

 私の心の中を見透かしたかのように、市長は私の胸の言葉と重ねた。

 一見すると、穏やかな顔だった。でも、私にはその表情に様々な想いが混じった複雑さも滲んでいたように感じた。まるで、市長も私と同じだと言わんばかりの。

 

「……もはや、リベールも戦後ではない。エレボニアの皇子殿下があの≪異変≫を視察され、その解決にお力添え頂いた様に、今の両国は不戦条約を共に結んだ同盟国として協力関係を築いてゆく道程にあると、私は信じている」

 

 その為に私はこの街に来たのだから、と付け加える市長。その語尾は強く、まるで言い聞かせる様にも聞こえた。

 

 そっか、この人は、信じたいんだ。

 

「それを、君には自らの目で見て欲しい」

 

 その言葉は何よりも、私に響く。両国の人々が、もっとお互いの事を知る事で――お互いに敬意を払う事で――。

 上手く言葉が紡げなくて返事は出来なかったけど、私は小さく、でも、強く頷いた。

 

「先程も言った通り、是非とも皆様も一度、訪れて貰いたいものだ。きっと我が国を気に入って頂けると思うよ」

 

 丁度、そのタイミングで市長のお迎えの車と思われる導力車が、空港の正門に見えた。

 

「最後に、お名前を頂戴しても宜しいかな?」

「エレナ……サザーラント州リフージョ村、リーベの娘エレナ・アゼリアーノです」

「とても良い名だ」

 

 そう柔和な口元を浮かべて言ってくれた後、市長が咳払いをした。その咳払いは少し下手な芝居がかったもので、慣れてない事を感じさせた。

 

「エレナ・アゼリアーノ殿。ルーアン市長として、君の来訪を遠くリベールの地でお待ちしている。その際は、是非とも市長邸にも顔を出して欲しい」

 

 引締められた表情に、暖かなアゼリア海を思い出させる優しい頬笑みが戻る。

 

「近い将来、君がお母様の故郷を訪れる事が出来る様、私も一人のルーアン市民として願っているよ」

 

 ノーマン市長のその言葉は、私の耳にずっと残り続けた。




こんばんは、rairaです。
今回は8月29日、第五章の特別実習の二日目の朝~昼過ぎのお話でした。
さて、今回のお話は全体を通じて『ジュライ併合の経緯と思惑』をメインテーマとしております。

前半部は、ジュライ衰退の原因となったノーザンブリアを語る為には外せない、≪北の猟兵≫絡みのお話でした。「空3rd」序章のお話にもちょっとだけ触れられていたりします。
第三章でちらっと触れたカイエン公についても、ジュライと絡めて事情や動機の一つを掘り下げる形となっています。また、13歳という若さでジュライを離れたクロウが、3年程度で大貴族中の大貴族である公爵をスポンサーとした≪帝国解放戦線≫を結成できた理由への、私なりの一つの答えだったりします。

後半部はこの作品恒例のリベール成分なお話でした。「空SC」の≪異変≫では対応が後手後手に回って市民を失望させていた市長ですが、市政の為には元敵国にも飛び込む…そんな、軌跡世界に生きる一人のキャラクターの物語の一ページを描いてみました。

次回は同日の夕方~夜、特別実習ジュライ編・最終話の予定です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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