行きも帰りもやはり地獄である。
戦闘中は幸い滑って転ぶような悲劇は起こらなかったが、気が抜けた瞬間ジャックに襲い掛かる惨劇は依然終わりそうになかった。
ツルンッ! ベチャッ!!
「……もう六回目ニャね。どんだけ転べば気が済むのニャ」
「うるせぇよ!俺だって好きで転んでる訳じゃねぇっつってんだろ!…ああ、寒い……」
行きで一度転んだのを足したら、ジャックは合計七回泥水まみれになったことになる。
いくら滑りやすい地形だとて、一回のクエストでここまで転べるハンターも中々居ないだろう。
ナルガは呆れ果てて三回目あたりから爆笑しなくなり、白い眼で見るようになっていた。
今、二人はエリア7に居る。
滅多に来る機会が無いこの水没林という地で採れる素材は二人にとって希少である。つまり、今ジャックとナルガは採集活動に勤しんでいるのだ。
水没林の特産物と言えば水辺にあるデプスライト鉱石なのだが、生憎ピッケルは持ち合わせて居なかった。
転び転び進むジャックを置いて、今ナルガは滝の隣の大きな岩の前で佇んでいる。
「どうしたものかニャァ……」
拾った石ころでは当然のごとく意味が無かった。
岩を削るどころか、石ころ自体が表面から削れて罅が入り、最終的に砕けるのだ。
躍起になって無謀にも自分の爪で引っかいて掘り出そうとした結果、爪が折れた。
一人岩の前で手を押さえて悶絶する猫は中々拝めないだろう。奇妙な光景だ。
しかし、滅多に無い機会だ。
この、岩からほんの1cmほど顔を出す綺麗な桃色の宝石はどんな手を使ってでも手に入れたいところである。
どうしたものか、とナルガがぶつぶつ言いながら試行錯誤を繰り返していると、やっとこさジャックが追いついてきた。
「どうしたよ。何で念仏唱えてんの? 」
「ちょっと黙ってるニャ。こっちは色々考えてるニャ」
ふとナルガの顔を覗き込むと、何やら真剣な表情だ。
なんだぁ?とジャックは頭に疑問符を浮かべていると、目の前の岩が眼に入る。
ちょっと眺めてみると、ああなるほど、と合点がいった。
そしてちょっとナルガから離れて水浸しの地面に座り込むと、おもむろにポーチに手を突っ込んだ。
――取り出したのは、見るからに硬そうな拳大の石と、真ん中から120°に曲がったプラスチック製の道具だった。
分かりやすく言えば、砥石とブーメランである。
武器のように両手にそれを握って、チラッとナルガを見てから、ジャックは作業に取り掛かる。
……といっても、本当に雑で荒っぽい作業なのである。
ものの一分で完成した代物は、お世辞にも“本物”に似てるとは言い難く、素人丸出しの出来だった。
「……ま、これでいいか……」
その声に反応してナルガは振り向き、一拍おいて溜息をついた。
「旦那……」
しかし今のところ“まがいもの”に頼るしか手段が無いので、ナルガは岩から離れて場所をジャックに空け渡した。
「任せとけって!! 」
――ジャックが握っているのは、一応『ピッケル』と呼べるものだった。
ブーメランの先端部分に荒縄で尖った砥石を縛り付けただけの、およそ使い物にならなそうな頼りないボロピッケルである。
ブーメランは折れる可能性があるし、硬いとはいえ砥石も壊れるかもしれない。
流石に爪で引っかくよりは効果があるだろうが、期待はしない方がいいと思うナルガだった。
ジャックは、ピッケルの“まがいもの”を大袈裟に振りかざした。
そして、鉱石の埋め込まれた岩石に力一杯叩きつける。
耳を劈く金属音に、思わずナルガも仰け反った。
しかし当のジャックは気にもせず、二発目を食らわそうとしていた。何とかボロピッケルは壊れずにすんでいるようだ。
「……ニャ、調合材料があるって言ってくれればボクが作ったのに……そうすればもうちょっとマシなものが……」
呟きは再度響き渡る金属音にかき消された。
ジャックが奇声(恐らく歓声)をあげているところを見ると、ちょっと鉱石付近の岩が崩れたとか、そんなもんだろう。
成果が上がればナルガも文句は無いのだが。
そして、ピッケルのまがいものはまたしても岩に叩きつけられた。
━ ━ ━
「……」
「……」
「……」
「……すんませんっしたぁ!!! 」
ジャックがナルガに向かって頭を下げる。
ナルガの視線の先にあるのは、苦心して手に入れたデプスライト鉱石が沈んでるであろう滝の中。
――この状況を説明してみると、こうだ。
ジャックがピッケルらしきもので幾度となく岩を叩き付けたが、あと少しというところで柄の部分……ブーメランが真ん中から真っ二つに折れたのだ。
汗水垂らして苦心して叩きまくって、あとちょっとのところで敗れるという結果に満足できなかったジャックは、とうとうタブーに出たのだ。
――そう、ハンマーだ。アオアシラの蒼い槌で、岩を叩くという手段に出たのだ。
ナルガが何度も引きとめたにも関わらず、ジャックはハンマーを渾身の力で振り下ろした。
当然、対モンスター用に設計された『武器』は手加減ができず、岩を真っ二つに砕いたのだった。
衝撃で破片がいたるところに吹っ飛び、デプスライトのピンク色の破片は滝の方向に消えたのである。
「すんませんっしたぁ!! 」
「……」
もうずっとこの調子である。
ここまで謝られても機嫌を直さないナルガも何というか、子供っぽい。
仕方が無いと言えなくもない。何度も言うがデプスライトは希少素材なのだ。
強硬手段でもせめて岩ごと持って帰るとか、そういうことにして貰いたかったというのが本音だ。
「すんませんっしたぁ!! 」
「……」
「……」
「……」
「……ぐっ! 」
「…ッ!? なっ!!? 」
とうとう沈黙に耐え切れなくなったジャックは、無謀にも……滝に飛び込んだ。
何とかデプスライトを中から拾ってこようということらしい。
ナルガが遅れて引きとめようとするが、その時にはもうジャックは水中だった。
事前にナルガが確認していたのだが、滝の奥深く、流れ落ちる水で見えなくなったところには、恐ろしく大きな川がある。
その川は水没林エリア全域に通じており、水中には時折大型モンスターも顔を出すという。
流石にジャックとは言え水中の戦闘は出来ない筈だ。
今すぐにでも水に飛び込んで引きとめたいところだが――やはり、怖い。
ナルガはアイルーだ。水は苦手だ。泳ぎも得意では無い。
下手したら溺れて死ぬ可能性もある。
――くだらないことで旦那を滝に飛び込むまで追い込んだ自分がたまらなく憎い。
そして、それを引きとめることすらできない自分がもっと憎い。
しかし、非情にもジャックはすでに遠くへ行ってしまったようである。
デプスライトは滝に水流で遠くまで流されてしまったようだ。
「…………ごめん、ニャ……」
まともに言葉も出ない。
水に入れないナルガは、どうやら祈ることしか出来ないらしいと悟った。
もしものことがあれば、自分はどうやって償えばいいのだろう――
━ ━ ━
一方、ジャックはというと。
カエダ村の農場には湖がある。水練も幾度となくやった経験がある。
それほど心配はしていなかった。
入った瞬間は思いのほか冷たい水とぼんやりした視界に恐怖を感じたが、慣れれば大して辛くも無い。
すぐに擽るような水の感触を楽しむ余裕まで出来た。
デプスライトは桃色に輝く。水中でもそれなりに目立つことだろう。
滝の底の方にそれらしき影は発見できなかったので、今まさに滝奥の洞窟のような場所を泳いでいる。
ちらほらと魚も居て、意外と水も澄んでいる。
時折小さな牙をもつモンスターのようなのも居たが、こちらから手を出さないと襲ってこない。牙ありの草食竜だろうか。
洞窟の壁は、触らなくてもヌメヌメとしていることが分かるくらい怪しく光っていた。
ああいう感触を好むようなモンスターも居るのかね……と、そうこうしているうちに水中に光が差し込んできた。どうやら洞窟もここで終了らしい。
僅かに感じる水流もジャックが進む方向と同じなので、デプスライトがこちらに流れ着いているのはほぼ確実と考えていいだろう。
そろそろ息苦しくなってきた頃だし、丁度良い。
「んん……んっ……ぶはぁッ!!! 」
上昇し、水面から勢いよく顔を出した。
と同時に、違和感を感じた。
視界に入るのは太陽が輝く青い空……と予想していたのだが、外れた。
洞窟の壁と同じ、ヌメヌメとした丸い天井だった。
耳に響くのは鳥の声……と予想していたのだが、これも外れた。
響く人間のものらしい短い吐息と、怪物のものと思われる荒く零れる吐息の音。
鼻腔を通るのは水没林特有の独特の匂い……と予想していたのだが、また外れた。
腐った植物のような、咽てしまうようなおぞましい臭気。
それらを感じて、理解した。
ここが、まだ洞窟の中だということ。
更に、ここで『狩人と怪物の闘争が行われていること』。
鼓動が急速に速くなり、ジャックは戦闘が行われているであろう場所を見れずに、馬鹿みたいに上を向いたまま。
間違いなく、大型モンスター。そして、
この禍々しい殺気。存在感。いるだけで威圧されて気絶してしまいそうである。
ジャックの中で恐怖が渦巻いた。
気づかれただろうか?
今、戦っている相手がやられたら自分が相手になるのだろうか?
勝てるのだろうか?
さっさと引き返すべきか?
何を思ったか、ジャックは視線を一気に下ろした。
不思議と、一番最初に目に飛び込んできたのは、桃色の輝きだった。
水に濡れた地面に転がった、デプスライト鉱石だ。
しかし、その奥はやはり恐ろしい戦闘が繰り広げられていた。
蒼く厚い鱗に覆われた横にも縦にも巨大な体駆。太く短い四本の足。
自分がこれまで対峙してきた熊とか、猪とかじゃない。
まるっきり、竜。翼は無い。しかし、短くも輝く二本の黄色い角がある。
恐らく、あの目と自分の目を合わせたら、自分は気絶してしまう。
それだけ恐ろしい目。瞳孔が開いている。
そして、その怪物の周囲を飛び回る狩人を見て、ジャックは目を丸くした。
S字の薙刀のようなものを握った――“少女”だった。