――劇的な出会いとは裏腹に、別れは実に呆気なかった。
あれから少女とは二言三言しか言葉を交わさず、ジャックの前から去っていった。
リン・クラージャ。それが彼女の名前だそうだ。
世間知らずのジャックはその名前に全く聞き覚えが無かったが、実力はこの目でしかと見ている。
あの防具に、あの薙刀。それだけでも充分な大物だということが分かる。
相対していた恐ろしい
あの殺気を固体化したような双眸は思い出すだけで背筋に悪寒が走る。
よく“あんなもの”に睨まれながら殴りつけたものだ、とジャックは自分自身の度胸に驚いた。
リン・クラージャ。海竜ラギアクルス。
二人の戦闘が瞼の裏に張り付いて離れない。恐らく、一生忘れないだろう。
自分が初めて見た――いや、体験した“本物の狩り”というものだ。
いずれ自分もあんな敵と一戦交える機会が来るのか、と思うと恐怖と興奮で体が熱くなった。待ち遠しいと思った。口元が緩むのを感じた。
大きく深呼吸をして、ジャックは立ち上がった。
改めて周りを見渡すと、見るからに激しい戦闘の跡の様子が視界を覆っている。
虚ろな目をした怪物の死体、血まみれの岩壁、地面。
自分も一応狩人なので背筋が寒くなったり吐きそうになったりなんてことはしないが、やはり嫌悪感は感じるようで、無意識に顔を顰めた。
ふと、ナルガを待たせていることを思い出して、川の方に目を向けた。
嫌でも視界に入る蒼い死体を避けて通った時、あることに気づいた。
「そういえば、リンって人はこいつから何も剥ぎ取っていかなかったな……」
死体から鱗が削がれた形跡も無いし、砕けた角や切断された尻尾も無造作に地面に転がっている。
一瞬、頂戴していこうかという泥棒めいた考えが浮かんだ。
ラギアクルスは、リンが倒したモンスターである。
自分は一撃与えただけであり、間違っても自分の獲物では無い。
大きな素材を取って行くのは少し気が引けた。
しかし、強固で美しく、自分が手に入れられる筈もないレアなものが目の前にあると考えると、堪えきれない誘惑が溢れ出てしまった。
ジャックは、傷ついて剥がれかけた一枚の美しい鱗に触れた。
艶がかっていて、洞窟の光を受けてキラリと輝く。指でちょっと押してみると、恐ろしい強度を誇っているのが分かり、海の王の威厳すら感じられた。
元々剥がれかかっていたその蒼い鱗は、少し引っ張っただけでいとも容易く本体から分離して、ジャックの左手に収まった。広げた掌から少しはみ出るくらいの大きさだった。
腰に提げた
しかし自分も少しは貢献したことだし、一枚くらい構わないと寂しげに言い訳して、死体の傍を離れた。
いざ川に入ろうと言う時、視界の隅に何かが写った。
ジャックは慌ててそれに向かって駆け、拾い上げてからまた川に浸かった。
満足気に笑みを浮かべながら。
━ ━ ━
カエダ村に帰るまでのナルガの世話は骨が折れた。
洞窟から出てきた時は何故だか泣きながら飛びついてきて、もんどりうって転がって腰を痛め、水没林から出てからは洞窟内の出来事を何度も話させられ喉を痛め、それから訳の判らんことをギャーギャー騒ぎ出して耳を痛め、最終的に眠りだして背負うはめになり、全体的に疲れた。
それでも寝顔を見ると別にどうでもいいと思ってしまうのである。可愛いは罪だ。
此処はカエダ村のジャック宅。
クエストクリアで村人から手厚い祝福(九割は
因みにナルガは村の女の子達に抱きしめられる世にも羨ましい祝福を受けても尚目を覚まさなかったので、男子達の嫉妬の視線を背中に受けつつ退散し、今現在リビング(と呼んでいる汚い空間)のソファーで寝息を立てている。今回のクエストはご主人様顔負けの働きだったので疲労が溜まっていたのだろう。
「リン・クラージャ……」
先程からジャックはぶつぶつと可憐なる女狩人の名前を呟いている。
何も知らない人が聞けば「こいつストーカーか……」とか誤解しそうなものだが、本人は無心で呟き続けている為、気づかない。
リン・クラージャという名前は歴戦の勇士である村長に聞いてみても知らないそうだ。
案外有名じゃないようである。村長の答え方からしても、親が有名な狩人であるとか、そういう線も無いらしい。
あの実力で全く無名であると言うのなら、有名になるような狩人はどんな戦い方をするのか、と思う。
上には上があるとは言っても、ジャックに言わせれば彼女の跳躍力が人間の限界であり、彼女の走力が人間の限界である。あれ以上は全く想像が付かないということだ。
上の上の上の上の……ループはどこまで続くのだろうか。
ジャックは頂点の戦闘を拝んでみたいと思った。
ベッドの上で寝返りを打つ。
移り変わった視線の先に、壁に立て掛けられた自分の槌があった。
凄く汚れていた。ラギアクルスの血を浴びてから異臭を放っていたので軽く洗ったが、全然汚れは落ちなかった。
血痕、固まった泥。元々の色はもう殆ど見えない。
自分がハンターを続けていく限り、いくら槌を代えようとずっとそれは変わらない。そう願いたい。
返り血を浴びて汚れた槌じゃないと、美しくないような気がした。
強者の血を浴びたハンマーを背負うことは、この上ない程に誇らしく、格好良いものだ。
知らない薄汚れた防具を着て、知らない薄汚れた槌を背負って、多くの傷を体に刻んだ、汚れきった自分を思い浮かべた。
“こいつ”を目指す、絶対に超える。最後はこいつを超えてやる。
微笑を浮かべてちょっと顎を掻き、目を瞑った。
ジャックが本当に寝息をたて始めたのは、十分後のことだった。