【hunter’s bible 《紅鷹の槌》】   作:紅鷹R

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第二十話 【妖咆哮】

 それにしても、農場兼修行場というのは奇妙な場所である。

ジャックはしみじみ思った。

今正に若き狩人は切り立ってゴツゴツとした崖を登る修行をしている。

地面からおよそ30mといったところか。

背中に飛ばされる声も若干弱くなってきている。

 

「ゴォォラァァ!!! しっかりやれやジャックやろォォォォォォォ!! 」

 

 ――と、キュウクウの化け物じみた咆哮も小さくなりつつある訳だ。

登り始めの頃はそれはもう思い出すだけで寒気がする程鼓膜を揺さぶられ、それだけで落ちて腰を抜かすかと思った。

今は体全体が震える程度の声量しか感じない。平和なものである。

 

 ふと、首から上だけを地面の方に向けてみる。

粗野なる農場管理人は豆粒程……とまではいかないが、大福レベルまでは小さくなっている。

視界を広げてみれば、その目に映るは清清しい黄緑色の絨毯である。

こちらが何度も死の恐怖で冷や汗を流しているというのに、尊敬すべき我がオトモアイルーは芝生の中で転がりまわっている。甚だ羨ましい。

猫の他にも、水練用の湖には魚が居るし、農場を囲う大木の枝の中では小鳥も囀っている。

因みに今現在朝の4時なので、鳥がしきりに囀るのも無理は無い。

村長と思しき影はしゃがんでアオキノコを採取している。何と和やかな。

 

「……うおあっ!!? 」

 

 頭を崖の方に向ける一瞬、窪みに引っかかっている右手が滑った。

咄嗟に左手に右手にかかっていた分の力を加えて体勢を立て直し、冷や汗をかきながら溜息をついた――途端、左手の掛かる窪みが崖から外れた。

声も上げられないまま、ジャックの上半身は後ろ向きに倒れ掛かる。

何とか両足首に絶妙な力を加えて奈落に落ちないように体勢を変えた。

我ながら素晴らしい反射神経である。

が、上半身は完全海老反り宙ぶらりん状態となってしまう。

一瞬で空は彼の下についた。

……そろそろか、とジャックが思った丁度その時、獣の声が上から飛んで来た。

 

「オラァァァァァ!!! 何してんだこのヘタレがァァァァ!! そんなんで馬に勝てるかァァァァァァ!!! 」

 

 当然、“馬”とはドスガアマのことである。ジャックが馬竜のリベンジに燃えていることは、何故か村全体が知っていることだ。

 

 ジャックは今日二度目の溜息をつくと、背筋(はいきん)に力を入れて、空を元の位置に戻した。

両手を先程と違う窪みにかけて上を見上げれば、崖が終わるまであと10mはある様子。

癖で顎を掻きたかったが、この状況でそれを行ったらまず命が危ないので、妄想の中で存分に掻いてから、ジャックは手を更に高みへ伸ばした。

 

 

━ ━ ━

 

 

 時は過ぎて午後7時。

南国ではこの時間帯でもまだ空にはうっすらとオレンジが差している。

薄明るく、やや気温も落ちて湿気も減り、最も過ごしやすい環境となった。

 

 そんな中ジャックは扇風機の風で山吹色の髪を揺らしながら、窓からぼんやりと外を眺めていた。

月も無く太陽も中途半端に顔を出した状態なので、さして美しい景色でも無い。

耳に入るのは、未だ仕事中の加工屋の鉄槌の音と、隣のナルガの部屋からの爆発音だけ。妙な感覚だ。

しかし、ジャックはひたすらに無心である。

自分の血を吸いたがる蚊を払いのけもせずに、外の景色を見ている。

とても落ち着く。激しい場所を職場とする狩人にとってこういう平穏な環境は中々経験できるものでも無く、貴重な体験なのだ。多少なり爆発音が響いていても、ギリギリ“平穏”のうちに入るというもの。

 

 ――――しかし、暫くすると何か違和感を感じ始めた。

唐突に現れたのでは無かった。何となく、さりげなく、いつの間にか……“何か”を感じるようになった。

本能的に、穏やかでないことが解る。

どこかに、霧のようにもやもやしたものが浮かんでいるような感覚。

物凄い遠い距離。知らない場所から感じる何か……

これは――――視線?視線か?何かに……監視されているのか?

殺意は感じない。それは、少ないながらも場数を踏んできたジャックの本能的なものだ。

監視するものは、ジャックに対してあからさまな敵意を持っていない……気がする。

さっきまでの自分と同じ、無心。

喜びも感じない。怒りも感じない。悲哀も感じない。敵意も感じない。

これは、無心だ。無心で監視されている――ような感覚。

 

 椅子から立ち上がって、グルリと部屋を見渡してみる。

――――が、自分が動いた途端、違和感は消えた。

 

「一体……? 」

 

 

 

━ ━ ━

 

 

 

 丁度今の外と同じような明るさの照明が灯っている。

部屋は――否、小屋は狭い。ちょっと見では何かの物置と解釈できそうだ。

木造の壁、床、低い天井。丸い机が一つ。それを囲うように木の椅子が四つ。

そのうちの一つに、人間が座っていた。

暗い紫のマントが全身を覆っている。その隙間からうっすらと黄緑色の金属の輝きが漏れ出ている。

黒い手袋をした両手を膝の上で組んでいた。

顔は見えない。鉄製の覆面をしている。顔の左と右に一本ずつ、縦に伸びた暗い穴がある。空気穴だろうか。そこから、微かにシゥゥ……という音が聞こえる。

両目の位置には気づかない程小さな穴があり、視界はそこから開けているようだ。

 

 男は動かない。しかし、死んでいないことは微妙な音から判断できる。

暗い部屋の中で、重々しい、しかしそれでいて神々しい雰囲気が流れている。

覆面の目の位置にある穴の奥深くの輝きは、何を見据えているのか。

何を感じているのか。何を聞いているのか。

 

 ――突然、男が椅子から立ち上がった。

鋼のように見える二つの靴から、一斉に「カツンッ」という音が響く。

立ち上がった体勢で止まり、顔だけを天井に向ける。

次の瞬間部屋に響いたのは、ほんの微かな、哀しみを帯びた重い声だった。

 

 

「奴の次の獲物は…………ファヴァジン・クラージャ、か……」

 

 

 小屋の外で、巨大な咆哮が轟いた。

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