――ジャックが閉じられた瞼を開けるまでにどれだけの時間がかかったかは定かでない。
しかし以前と変わらず燦々と渓流を照りつける太陽のおかげで、馬竜が
爽やかな風や水の流れる澄んだ音、どこか遠くから聞こえてくる小鳥の声。枯葉が落ちる音。
目を開けなければ、雄大な自然の穏やかな息吹を感じ取ることが出来た。
それこそ、今までのことを忘れてしまう程に温かく。
しかし、現実はジャックを苛める。
立ち上がってみれば、折れているであろう肋骨からの激しい痛みと疲労に襲われる。
クラクラする頭を押さえつつ周りを見渡してみれば、惨劇が嫌でも目に入る。
地面には幾多の抉り跡や乾いた血だまり。エリア隅の大樹は太い枝が無残に折られ、破片と共に地面に転がっている。
そして、赤に濡れた地面の一箇所に丸まった戦友が倒れていた。
ジャックはハッとしてナルガに駆け寄った。思わず最悪の事態を想定してしまい、動悸が激しくなる。
恐る恐る手を伸ばし、紫色の艶やかな毛に触れてナルガを仰向けにする。
顔に触れてみると――――温かい。
ジャックは胸を撫で下ろした。
「おい……ナルガ」
小柄な体を揺すぶる。
抱えてる脇腹に違和感を感じた。ジャックは、ナルガが地上15mから地面に叩きつけられた光景を思い出し、息苦しくなった。
再び動悸が激しくなりそうなのを懸命に抑えつつ、少し強めに揺すぶる。
すると、大きな目が微妙に動き、瞼が開きかけた。
「ナルガ!! 」
もう一押し、とジャックが声をかけると、ナルガは驚いたようにパッチリと両眼を開いた。
「旦那!! 生きてたのかニャ!! 」
「死んだと思ってたのかよ……見ての通りだ、順調に呼吸してるぜ」
先程のジャックと同じ動きで、ナルガは胸を撫で下ろした。心底安心しているようだ。
が、すぐに表情が険しくなった。片手が腹を押さえた。
「取り敢えず、回復薬飲め」
「言われなくてもそうするニャ」
ナルガは自分の
その様子を、ジャックがニヤニヤしながら眺めている。
すぐに、ナルガはポーチを閉めた。
「あったか? 」
「意地が悪いニャ。さっさと渡せ」
ナルガが不機嫌に言う。
今度はジャックが少し大きめのポーチを漁ると、すぐにビン状の透明な器が手に収まった。
中の緑色の液体が透けてみる。見るからに不味そうである。
回復薬、携帯食料の運搬係はジャックである。ナルガのポーチをいくら漁っても出てくることは無い。
ナルガはまだ不機嫌そうな表情で、ジャックの手から親指程の大きさのビンを奪い取った。
ジャックもジャックで回復薬を二本持ち、一気に二本とも喉を鳴らして飲み干した。無味無臭である。
すぐに効果が現れて、疲労が少し飛び、痛みもある程度消えた。
ナルガにも同じ反応が出たようで、少し顔色が良くなったようだ。
ジャックは空のビンをポーチに仕舞いつつ、立ち上がった。
「さて…………」
「どうするニャ? 」
ナルガも立ち上がり、ジャックを見上げる。
「どうするも何も、すぐに奴さんを探すしか無いだろ」
「そうじゃなくて、作戦とか考えたりしないのかニャ? 」
「あぁー……」
ジャックは顎を掻いた。
目を閉じてちょっと考え込むような仕草を見せてから、こともなげに言う。
「……頑張ろう! 」
「……」
ナルガは聞き終わる前にジャックを置いてエリア6に向かって駆けた。
「おぉい! !ごめん!!! 真面目に考えるからッ!! ちょ――待ってェェ!!!! 」
━ ━ ━
― ―エリア7。エリアの大半を湖が占めている為、水辺を好むモンスターが集まりやすい場所だ。
大人しい性格の丸鳥は攻撃を仕掛けてこないので、無視していい。
問題は虫達である。彼等は大型モンスターと戦っている狩人を空中から特殊な体液で襲ったり、地面を這って近寄って足を刺したりする地味にイラつくモンスター達だ。
まずは大型の前に奴等から仕留めるのが定石である。
しかし、それも今回は中々に大変な様子であった。
ドスガアマである。
エリア中央を闊歩する血塗れの馬竜のせいで、迂闊に音を出せない。
渓流全体を巡り巡って遂に再開した彼に邪魔されると面倒だ。
どうにかして虫を一掃したい。
ジャックは茂みに隠れて、隣のナルガに呟いた。
「よし……気づかれて無い。いいか? 」
ナルガはひっそりと頷く。
「……行って来い」
その声を合図に、ナルガが茂みから派手に飛び出した。
途端にエリア内がざわつき、馬竜が乱入者を振り返った。
「ウンニャアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ!!!! 」
ナルガは狂ったようにボウガンを振り回し、引き金を引きまくった。
照準なんて合ってやしないのだが、次々と甲高い声を出して粉々になる虫達。
秘密は、放たれる弾丸である。
“散弾レベル2”は、発砲と同時に空中で拡散し、広範囲に欠片を飛ばす。
一つ一つの威力は通常弾にすら劣るものの、虫程度を殺すには充分だったようだ。
一目で己の体を切り刻んだ輩だと気づいた馬竜は、弾丸の欠片を物ともせず、ゆっくりと突進の体勢に入った。
ナルガはそれに気づいているが、乱射をやめない。
ドスガアマが走り出すと同時に、エリア7にいた虫の全てが姿を消した。
ナルガがボウガンを下ろした時には、5mの距離を挟んでドスガアマが疾走していた。
「今だァァァ!!!! 跳べナルガァァァァ!!!! 」
ジャックが茂みから飛び出すと同時にナルガが高くジャンプした。
アイルーの驚くべき跳躍はドスガアマを飛び越え、着地。
地面に落ちる音と重なって、『カチッ』という音がナルガの耳に届いた。
すでにドスガアマがジャックにあと一歩の距離にいた。
一歩の距離をもって、ジャックはドスガアマに手を振り、不敵な笑みを浮かべた。
馬竜が仕掛けに気づいた時――――ドスガアマの体は激しく痙攣し、その場から動けなくなっていた。
シビレ罠は、雷光虫と呼ばれる電気器官を有する昆虫を使った対大型モンスター用トラップである。
鉄板形をしたそれの中央にあるピンを引きぬけば瞬く間に麻痺性の神経毒が流れ、それに触れたモンスターは激しく痺れて動けなくなるのだ。
ドスガアマは白目を剥いて体を硬直させている。
シビレ罠の効果は約30秒しかもたない。ジャックは急いで小脇に抱えた折り畳み式のタルを広げてドスガアマの体に沿って置いた。
もう片方の脇に抱えた火薬を袋ごと突っ込むと、全速力でそこから離れた。
走りながら叫んだ。
「撃てエェェェェェェェ!!!!! 」
――刹那、発砲音に続いて途轍もない爆音が渓流に響き渡った。
ギリギリ爆風で倒れない位置に居たジャックは、砂塵に目をやられないように瞼を閉じた。
爆心地から地面の土が吹っ飛び、木やら湖やらを土色に染める。
モクモクと煙が天に向かって立ち昇り、チラチラと真紅の火種が地面に残る。
爆音の余韻が無くなると同時に煙が晴れた。
黒こげの肢体の中に、一箇所だけ燃えるように紅いものがあった。
その恐ろしげな様に、またしてもジャックは恐怖してしまった。
身構える前に、馬竜から『ゴキゴキッ』という聞き覚えのある音がした。
「くそッ! 」
すぐに二本の凶器が飛んでくる。
胸あたりを狙ったそれをジャックはブリッジの体勢になってかわした。
歯を受け流すと、手をバネのようにしてバク転、馬竜から距離をとって地に足をついた。
しかし、目の前には純白の角。折角作った『距離』など何の助けにもなってはくれない。
ジャックは冷静に角の先端を見据え、腕を曲げて攻撃を避ける。
もう片方の手で背中から槌を引き抜き、力一杯ドスガアマに叩きつける。
後頭部を強打しても、ドスガアマはフラつくことも無しにその場で回転する。
ジャックは急いでハンマーを逆手に持ち替え、体の横で構えた。
直後、勢いをもった馬竜の下半身がハンマーに激突。
まともに喰らったその一撃の威力はこれまでで最も強力だった。
片手では到底押さえきれない、ともう片方の手でハンマーを支えるも、それでも衝撃に勝てなかった。
ジャックは槌ごと吹っ飛ばされ、茂みに突っ込んだ。
草はクッション代わりだった。背中を地面に打ち付けることなく、すぐに立ち上がることが出来た。
左腕がまだ痺れている。ジャックは右手に槌を持ち替え、ナルガに応戦している馬竜に突っ込んだ。
ナルガの頭部スレスレにドスガアマの前左足の蹄が横切る。
しゃがんだナルガの汗に混じり、火炎弾が馬竜の胸元に突き刺さり、一瞬で燃え尽きる。
しかし、ドスガアマはその程度では怯みもせず、自慢の角を振り下ろす。
「させるかァァァァァァァッ!! 」
ナルガに角が激突する直前、水溜りを吹っ飛ばしてジャックが突っ込んだ。
黄金に、美しく輝くハンマーを両手で振るい、剛角に打ちつける。
同時にジャックの体そのものをドスガアマに体当たりさせ、不意打ちでドスガアマは吹っ飛んだ。
攻撃態勢に復帰したナルガが、空中のドスガアマに照準を合わせた。
「――
銃口から勢いよく飛び出した薄紫色の弾丸が馬竜の
弾は角にめり込み、自身の粉末と角の粉末を飛ばしながら地面に落ちた。
ドスガアマはそのたった一発の弾丸によって更に軌道を変えられ、回転しながら湖に落ちた。
ジャックは半ば呆然としてナルガを見詰めた。
「……何だ今の? 」
「旦那のおかげで作れた弾ニャ。感謝しとくニャ」
ナルガが何故か目元を隠しながら言った。
「俺のおかげ? 」
ジャックは益々訳が判らない。
ナルガは、少し微笑みながら答えた。
「水没林で旦那に採ってきてもらったカラグライト鉱石。アレと……ボクのコネで手に入れたモノでつくった弾が、今の
「……んだそりゃ……すげェな……ってか怒り状態の奴に効くって何でだよ」
「知らん」
ドスファンゴ四頭狩猟と帰りに滝の中をバシャバシャやってカラグライト鉱石を拾ってきたのはジャックだ。
それがこんな形で使われるとは思っていなかった。
今更ながら、いいことをしたなと思った。
それにしても、ナルガのコネとは何だろうか。猛烈に気になる。
ジャックが感嘆の溜息を上げていると、ドスガアマが湖からノッソリと上がってきた。
水滴の光るその剛角には、確かに怒弾のめり込んだ丸い痕と、そこから広がる罅があった。
ドスガアマは、誇りを傷つけられた怒りの炎に目を滾らせていた。
「ナルガ。離れろ」
「勿論ニャ。接近戦は旦那専門ニャから」
ナルガがジャックから距離をとると同時に、ドスガアマが迫ってきた。
蹄が怪しく輝いたのを見て取り、ジャックは横に跳んで攻撃をかわす。
体勢を立て直してハンマーを握りなおし、隙だらけの背中目掛けて振り下ろす。
しかし、その一撃は空振りに終わった。
恐るべき俊敏さでドスガアマは足で地面を弾き、ジャック渾身の一撃を回避していたのだ。
ジャックはめげずにハンマーを横殴りに振るう。
脇腹を狙ったつもりだったが、馬竜が鬣を振るったせいで視界が悪く、角に打ち付けてしまった。
思いがけず、角から粉末が飛ぶ。
「……効いてるじゃねぇか」
よろめいた馬竜を前に、不敵に笑うジャック。
ハンマーを一回転させて……走り出す。
ドスガアマの目が光った。
――次の瞬間、両者の激しい乱舞が始まった。
めちゃくちゃに槌を振り回し、同時に飛んでくる蹄や角をかわす。
めちゃくちゃに角や蹄を振り回し、同時に飛んでくる槌をかわす。
壮絶なスピードでそれが繰り返され、目にも留まらぬ攻防が巻き上がった。
両者の足元からは絶えず砂煙が立ち昇り、視界を曇らせる。
煙に紛れてガギッガガッゴキッという打撃の音が激しく響く。
ジャックの頬を蹄がかすめ、同時にドスガアマの胸をハンマーが掠める。血が舞った。
その一瞬だけ、ジャックの目にはスローモーションで見えた。
飛んでくる角に反応が遅れたジャックは、まともに右腕に打撃を喰らってしまった。
骨がジンジンと痺れる。痛みに顔を引き攣らせながらも、素早く槌を振り上げる。
一息に振り下ろすが、前足の蹄で押さえられた。
すぐにハンマーを弾いて体勢を取り戻そうとした時、更に別の蹄が飛んで来た。ギョッとした。
ガッキィィィンッ!!! という一際大きな音が轟き、ジャックのハンマーが宙に舞った。
ドスガアマの口元が、心なしか笑みに歪んだ気がした。
ジャックは飛んでいくハンマーを見向きもせず、右足を勢いよく伸ばした。
一瞬油断したドスガアマの後ろ足を見事に蹴り上げ、ドスガアマは前のめりに――――ジャックに向かって、倒れかけた。
ジャックが呟いた。
「今度は砕けない。今度は――砕くッ」
狩人の拳が、倒れ掛かるドスガアマの
ジャックには、その瞬間の音が聞こえなかった。
ただただ、腕を振り上げ、拳を振りぬいた。
バキッベキベキッ!! ――――バッキィィィィィィィィン!!!!!
一足先に地に落ちたジャックの