異世界シヴィライゼーション ~長命種だからデキる未来にきらめく文明改革~ 作:さきばめ
夜明け
――それは一種の
事実それを嗅ぐまでは忘れていたし、思い出したくもないモノであった。
「まったく……」
犬耳メイド――と言っても今や
本能に訴えかけられたそれは、肉体と精神に刻まれた忌まわしき記憶――
ゲイル・オーラムのに救われる前に、
100人近い獣人奴隷からたった6人にまで選別された、ありとあらゆる汚いことを請け負った暗部。
獣人種ゆえに可能な
侯爵家そのものはゲイル・オーラムの手によって、お
その時に部隊も解散したハズであった――しかし、である。
「過去の亡霊とでも言えばいいのでしょうか」
なんらかの形で部隊そのものが生きている。あるいは
彼女にとってはもはや関わり合いたいシロモノではなかったが、気付いてしまえばそうはいかない。
主戦域外で騎獣民族に見つからずに動き回っている面倒な連中を、このまま放置するのは
クロアーネの大腿筋が躍動し、大地を跳ねるように進んでいく。
風下を確保しながら動向を
迷うということはなかった。そうした多くが、無駄で無為であると経験で知っている。
同時に直接的な
「――ッぐ!?」
敵部隊の数は20人ほど。その内の一人が、叫びを一つ残して息絶える。
首に刺したダガーナイフの柄頭から伸びたワイヤーで、クロアーネは手元まで戻す。
――と、部隊はすぐに陣を組むと厳戒態勢を取った。
キョロキョロと部隊が見回している中で、一人の男が前へ出て来るのが見える。
もう一度会いたいとは
同じ犬人族であり、かつて部隊の長を務めていた苛烈で冷徹な男。
幾度も同じ任務をこなした男は死体を一嗅ぎした後に、真っ直ぐクロアーネの方向を見据えて喋りかける。
「殺した武器を回収したのか、血が
クロアーネはゆっくりと、部隊の前に姿を現す。
フードを被り、ローブの内側にいくつもの暗器を隠したまま……。
即応できるように備えつつ、こんな形で再会などしたくなかった男へと。
「何者だ」
「匂いでわかりませんか、
クロアーネはゆっくりとフードを取ってみせる。
「嗅いだ記憶はないが……身覚えはある――クロアーネ」
「……
姿を
好感を
「……いきなり攻撃してきたということは、おまえはインメル領軍の手先か」
「そうですね、一応はそういうことになります」
元隊長は目を鋭く睨み付ける。一方でクロアーネは感情の見える視線で受け止めた。
「そうか、おまえも使われる身か。ならばこちらへ裏切れ」
「私が任務を失敗した時に見捨てたというのに、いまさらですか?」
「それは部隊の規律だった。本意ではないが仕方がなかったことはおまえも理解できよう」
「……たった今あなたの部下を殺した私に、裏切れと?」
「おまえの持っている情報は
「私が代わりになれ、などと――部隊の者は納得しないでしょう」
「こいつらにはそういった感情はない、ただ任務をこなすだけだ」
「――……魔術契約済みというわけですか」
視線を移して目を凝らしてみれば、誰も彼もが空虚の色を瞳に宿している。
「詳しくは言えないのだが……王国に属する、さる人物との共同作品とでも言えばいいのかな。
"強制契約魔術"で心を限界寸前まであえて壊し、薬物と手ずから徹底的な
すると思考と経験を維持しながらも、
「かつての隊員はいないようですが……貴方だけですか」
「最初の頃は、"選別"も難航したものだ」
クロアーネは大きく溜息を吐いてから、呆れるように言い放つ。
「貴方は未だに
「なにを言う、こいつらは言わば我々の後輩であり完成された部隊。それを統率するのがおれだ」
「完成された部隊? その割にはあっさりと私に殺されたようですが」
「そいつができそこないだっただけだ。それにこいつらも全員、今後さらに
「哀れな……」
そう口からついて出た。かつて感情なく任務をこなしていた頃の己と重ね合わせるように……。
しかし彼らは感情を殺しているのではなく、もはや精神そのものが崩壊しているのだ。
"進化"という言葉1つとっても、こうも違う感じ方になるものかと。
「哀れなものか。おれたちの頃と違い、痛苦から解放されているのだから」
「――そんな操り人形に私にもなれと言うのですか」
「拷問の末に死ぬよりはマシだろう?」
そう信じてやまぬ言葉を紡ぐ男に対し、クロアーネはわずかに波立っていた心身を落ち着ける。
頭の中では……学園の風景と見知った顔とが、いくつも浮かんでくる。
「貴方は最初、"私の匂いがわからない"と言った……とても喜ばしいことです」
「……なんだと?」
「それは
昔の自分とは違うということ、それは賛辞にも思える言葉。
「知ったことか……。四号、五号、六号、"奴の手足を潰せ"」
隊長は明確にそう命令を下すと、部隊員は即座に動き出す。
囲むように迫る敵に対し、クロアーネは山刀を即座に抜いて回転した。
ほんの一瞬の交錯で、3人の部隊員の命にまで到達し――それでおしまい。
今度は不意討ちではなく正真正銘、正面から背後を含めて一刀に断ち切った。
「っ……馬鹿なッ!?」
「貴方がたとは、
「は? なにを……言っている……?」
「気高き精神は、強靭な肉体に宿る。その資本となるのが、洗練された料理ということです」
言い切った瞬間にクロアーネの両袖から飛び出たダガーが、隊長であった男へと放たれた。
ワイヤーを通じて"有線誘導"の魔術によって操作される、
クロアーネ自身が嗅覚から得た情報と
ワイヤーの先に括り付けられたダガーナイフが、獲物をを捕捉して隙間を縫うように飛んだ。
刃は標的の前に立ちはだかった2人の部隊員によって、強引に体ごと
即座に軌道を変えた白刃は、2つの心臓を貫いていた。
「よくやった七号・九号、"
「ッ――!?」
その命令に忠実に、血液を噴出した状態で間合を詰めてきた隊員に対し、クロアーネは驚愕をなんとか呑み込む。
有線誘導ダガーの結界を踏み越えて白兵距離まで迫り来るものの、次は振るわれた山刀で刈り払った。
「七号、"
心臓に加えて横っ腹から内臓の半分ほどまで切り裂かれながらも、9号と呼ばれた部隊員が振り下ろした剣を弾き返す。
同時に
それ以上の命令がない死体は、そのまま地面へと沈むように倒れ込む。
「チッ……」
投げ放たれた短剣が、しかし少しだけかすってしまったことにクロアーネは舌打ちする。
絶命しながらも、直近の命令に従って動き続けたほどの
命令よりほんのわずかばかり先に、首を落とし切れなかったことが悔やまれた。
左脇腹の痛みと、鼻腔に届く血が滲む匂いからすれば――大した傷ではない。
しかし問題は"もう1つ"の
「終わりだな」
「かつて部隊が使っていた"毒"……。私たちが耐性を持っていたことすら忘れているようですね」
刃に塗られていた毒は、匂いで気付いていた。それゆえにかすり傷でも負うつもりはなかったが……。
敵が完全な致命傷を喰らっていようと、襲い掛かって来られては
「フンッそれは死なないというだけの話であって、肉体と感覚がひどく
はたしてそれは事実であり、虚勢とまでは言わぬが状態を見抜かれていた。
血液を通して駆け巡る毒はクロアーネの体を
「まったくやってくれたな、だがどうだ? 死んでも動き続ける部隊とは実に厄介なものだろう。"相互契約"程度では成し得ん」
「私を殺すには、ほど遠いことです」
「なあに、おまえが死ぬのはこれからだ。」
「こいつらと同じように……
クロアーネはあえて会話を続けながら、肉体の状態を確認しつつ気を静めていく。
「もう
部隊長はそう答えて命令を下すと、部隊員の1人が霧を発生させる魔術を使う。
(厄介ですね)
かつて部隊を共にしていた時を思い出す――苛烈で冷徹なそれを。
先刻までは付け入る隙が見られたものの、もはや言葉通りこちらを確実に殺しに掛かってきている。
霧の発生と同時に立ち込めていく臭気は、連絡合図用のものを撒き散らしているようだった。
(視界を
こちらも相手をよくよく知っているが、相手もこちらを知っているがゆえの戦法。
敵部隊も正確な捕捉はできまいが、数に
犠牲を承知の上で圧殺するという、ただただ対処しにくい
(毒を喰らってしまった時点で……戦術的撤退も困難)
しかし昔ならばいざ知らず、今の己は諦めることはない。
「美食を求めるという私の夢を、
はっきりと口に出して、視覚と嗅覚が機能しない中でも集中する。
状況を打開する最大効率のやり方――隊長を殺すこと。
命令で動く部隊ゆえに、その司令塔は絶対の弱点となる。
次なる継戦命令よりも前に先んじて、最速で殺すべく動くその瞬間であった。
霧を晴らす