異世界シヴィライゼーション ~長命種だからデキる未来にきらめく文明改革~ 作:さきばめ
青白い巨躯のトロルを、ジェーンは眼前に捉える。
背後では雷音を轟かせながら、キャシーがオークを優先的に処理していた。
そんな中でも……波紋一つなき水面のように集中を維持する――
戦技部にとって基本的な教養である魔物の生態は、頭の中に入っている。
トロルとてそれは例外ではない。だからこそ組み立て得た……。
自分だけが可能な、極限環境生物を機能不全に追い込む為の戦法。
「我に
詠唱の後にジェーンは跳躍する。
一度だけ空中に瞬間的な氷の足場を作りさらに高く――
トロルを覆い囲む氷の檻……筋肉の塊である巨体を捕えるには心許ない。
しかし胃酸カッターをワンテンポ遅らせ、次の魔術へと繋げる僅かな時間が稼げれば十分であった。
ジェーンはトロルを飛び越えるように裏回る。
視界から外されたトロルが気付くよりも先に、早く魔術を完遂させた。
「我いと"
その魔術は未完成。さらには魔力の消費も過多である。
しかしそれでも、その魔術だけがトロルを唯一戦闘不能に追い込めるものだった。
直接触れている手の平を通じて、トロルの体温が急速に下がっていく。
囲った氷が引き
切らせばそこで終わってしまう――それゆえに崩さない、崩れない。
その魔術は――"絶対零度"をもたらす水属魔術。
熱を奪って物質の温度を下げ、分子の運動を抑制し、原子を完全停止させる。
極まればその状態を固定するに至るだろう、魔導領域のほんの僅かな一端。
今はまだ熱を奪う程度に留まるが、封殺するにはそれで十分であった。
トロルは再生の
丸まって筋肉を固着させ皮膚を超硬化させる。肉体の代謝機能を下げて、眠ってしまう。
即ち"乾眠"状態に入り、より強固な防護状態となって極限環境をやり過ごすのである。
「はっ……ふぅ……」
己の実力で可能な限界まで温度を下げたジェーンは、停止したトロルの肩から飛び降りる。
呼吸をすることも忘れていたほどの集中力。だが……未熟なれども扱えた。
こうなればもはや外から炎を浴びせ掛けようが、溶けることはない。
トロル自身の硬質化した皮肉に阻まれ、熱を通すことも傷をつけることもできないのである。
少なくとも戦争が継続している
「キャシー!!」
仲間の名を呼んで、二人で敵陣を抜けて距離を取る。
すると一定以上離れた時点で、ゴブリンらがこちらを追ってくることはなかった。
何がしかの方法で味方を識別し、特定範囲にいる味方以外の生物を単調に襲う。
ゴブリンやオークが連係は取らず、しかし組織だっていて、トロルも混じっている。
三方に軍を分け、さらに波状攻撃かのように突っ込ませる。
他に村へも襲撃部隊を送ったりと、作為的なものがあるのは火を見るより明らか。
「さすがに疲れた?」
ジェーンは肩で息をするキャシーに、心配とからかいを含んで問い掛ける。
なにせキャシーだけは、殆ど休みなしで動いてるようなものであった。
「っはぁ……まあ、否定はしない」
身体的にも精神的にも魔力的にも、その消耗は圧倒的と言えよう。
それでも戦闘狂な一面が彼女を掻き立て、駆り立てている。
「これから敵指揮官を討ち取ろうと思うんだけど……くるよね?」
「ほー場所わかんのか?」
「なんとなく、ね」
軍団長として、あらゆる情報を取得する立場にあるからこそ導ける。
元々の想定されていた配置と戦略構想、戦場立地と敵の陣容、その進行速度。
全体を把握するのであれば……仮に指示を出すならば、どの位置が最適であるのか――
魔物を操っている元凶を絶ってしまえば、自然と魔物の軍勢は全滅するかも知れない。
情報で得ていた位置とはかけ離れて、本来戦場とする予定のない場所までやってきている。
つまりはゾンビ化にあかせた、飲まず食わずの超強行軍。
生体としてはずっと以前から、とうに死んでいる可能性は非常に高いと見る。
もしも支配が解けてゾンビを維持する能力を失うのであれば、それでこの戦争はほぼ終わる。
極限環境生物たるトロルだけは、その程度じゃ死ぬことはないものの……。
しかし支配がなくなれば、よほど村が近くない限りは襲うような可能性は低くなる。
「っはは! そうこなくっちゃな」
口角をあげたキャシーにより先に、ジェーン笑みを浮かべていた。
努力した強さを発揮し実感する喜びは、大なり小なり誰もが持ち得るもの。
抑えようにも、律しようにも、解放する快感には容易に抗えない。
何より優位に戦況を展開させる施策。それもまた軍団長としての責務。
大地を滑走し、大地を駆け抜ける。
二人は荒野を踏破し、森へと入り速度を緩めながらも止めることはない。
しかし唐突に降ってきた無数の飛来物によって、行足を止められてしまった。
樹上にて折りたたんでいた巨翼を広げて、滞空し始める"キマイラ"の姿がそこにあった。
「コイツはアタシに任せて先に行けよ」
「キャシー……?」
ジェーンは"珍しい"と、素直にそう思った。
強い敵と、より強い敵がいるのならば――後者を狙う。
より大物を喰らいにいく性格だが、トロルを譲ったことといい……。
ただ猪突だけだった最初の頃とは、いささか心境にも変化が出ているように思える。
「アレには一回、斥候拠点でスカされてっからな。丁度いい」
ジェーンはキャシーの言葉に頷くと、水属魔術を詠唱する。
「満たしゆけ小さき水よ……世界を覆い、我が姿を隠したもう――"
魔術によって周囲に霧が立ち込め始めると、ジェーンは滑走して消えていく。
キマイラは地上に張られた霧幕によって標的を見失い、キャシーは帯電を開始する。
(今は譲ってやるさ……)
トロルとは斥候陣地から戻る時に一戦交えて、
それに連戦続きで諸々がきつい、ここがぼちぼち限界点といったところだ。
自身を知ること、他者を知ること。フリーマギエンスに入らされて――最も強く学んだこと。
ベイリルが言うところの、某氏曰く――"無知の知"。
知らないことを知って、知ろうとあがき続ける。
薄氷のような
向こう見ずなままでは……いつまで経ったってダメなんだ。
それじゃあベイリルにも、フラウにも、ジェーンにも、勝てはしない。
加えてヘリオも、リーティアも――1年近く関わってきて知った。
あいつらはモノが違う。最初から積み上げてきた前提が違うのだ。
(今に見てやがれってーの)
だが今は違う。フリーマギエンスの恩恵を享受し、我ながら成長を実感している。
アイツらも当然学び、成長し続けるだろうが関係ない。
「覚悟しとけ……アタシの全力疾走は、すっげぇ速いんだからな――」