最近の私のお気に入りはクリスマスに貰ったよくわからない物をただひたすら磨きつつ、これが一体何なのか、一体どういう経路であの店に辿り着いたのかを空想する事だ。
刻まれている文字が綺麗な草書体で書かれている事から『これは中国で作られた物では無く日本のものだ。』と思い、半分を失った十二支を見て『やはり日本のものではないのか。』と考える。ただそれだけの行為で気がつけば何時間も時間が過ぎていたりするのだ。
私がこれに感けている間、どうやらアシュトンが少し不機嫌になるらしい。らしいというのは私がその間周囲の状況を把握出来ていないからだ。私が構わないからアシュトンが不機嫌になるのかと自惚れてみたが、どうやらそうでも無いらしい。
私は何かに夢中になると周りが見えなくなる質らしく、絵本を読んでいる時でも周りの様子は分かっていないのだが、その時にアシュトンが不機嫌になることはないとお母さんが言っていた。
「一番を取られたみたいで寂しいのよ。」
とはお母さんの談だが、何があろうとアシュトンは私の一番だとだけ言っておいた。
***
__寒い。__
首筋を冷たい風が渡っていく。
手がかじかんで、少しばかり感覚がなくなって来た。
私の首を温めていたマフラーはもはや定位置になったアシュトンのの首元を包み、手を包んでいた温もりは早々にビルに奪われた。
元気に動けばそのうち暖まるだろうが、そのうちがまだ訪れない。
ただいま雪の薄っすら積もる公園でサッカーをしています。とはいえサッカーなど幼児が三人で出来るはずもないので、キャッチボールならぬ、キックボールだ。
ビルがサンタさんから貰った新品のサッカーボールを抱えて、約束通りにアシュトンを誘いに来たので、近くにある公園に__日本の集合住宅の周りにあるような小さなものではなく、森林公園といった感じの公園だ。__サッカーをしに来ている。
公園の奥の方は人目に付きにくく、度々不審者が目撃されていることから公園の入り口近くの人の多いところで遊んでいる。
付き添いとして来てくれたビルのお母さんがご近所の奥様方に捕まっているのが見えた。
こちらに転がってきたボールをアシュトンかビルに蹴り飛ばす、まるでピンボールのような行為を繰り返していると、
「あっ。」
私の蹴ったボールがアシュトンとビルの丁度間辺りを結構なスピードで駆け抜けていった。
__こう言う時に限ってなんでこんなに転がるのか。__
追いかける私たちから逃げるようにコロコロとボールは転がって行く。
ボールが急に止まった。足に踏み付けられたからだ。目線を上にあげるとそこには10歳かそこらの男の子達が居た。
__止めてくれたのか。__
「ありが「良いもの持ってるな。ちょっと貸してくれよ。」
男の子達はお礼の言葉を遮り、そう一言言うと持ち主であるビルの了承を得ずにサッカーボールで遊び始める。
こうなっては仕方ない。体格的にも、身体能力的にもあちらの方が格段に上だ。大人にとっての一年は小さな差異だが、子どもにとっての一年の差は大きい。
「待っていよう?」
アシュトンとビルに言うと、アシュトンもビルも小さくこくんと頷いた。
***
__さむい…。__
ボールを追いかけることもボールを蹴ることもせず、ただひたすら立ち尽くすのはとても退屈で、しかも寒さの助長する行為だった。
目の前の男の子達は楽しそうにサッカーをしているが、こちらはしんみりとしている。
「あら?ビル。サッカーボールはどうしたの?」
私たちが戻ってこないのを心配したビルのお母さんが奥様方の包囲網から抜け出して寄ってきた。
ビルが無言で指を指す先には楽しそうにサッカーをする男の子達。
私たちが大人に相談しているのが分かったのだろう。先ほどまで私たちの存在を無視するように遊んでいた男の子達が、
「貸してくれてありがとな!」
と言い、こちらにシュートを放った。パスではなくシュートをだ。
私たちの取れる技量を超えた速度のボールはぐんぐんと伸びて行く。
「こら!」
ビルのお母さんが男の子達を叱るのが聞こえて来た。
__追いかけなきゃ。__
こうなったのも元はと言えば私の蹴ったボールが男の子達の所に転がってしまったからだ。
急に身体がぐわんと揺れて、気がつけば視界いっぱいに広がる黒色。身体のあちこちがジンジンと痛む。対して高くもない鼻と、重たい頭をしこたま打ったらしく、鼻と頭がヒリヒリとする。
__つめたい。__
雪と土がドロドロに溶け合った地面に転がっている所為だ。地面と接しているところからジワジワとと冷たさが広がっていく。
「モニカ!だいじょうぶか?!
ボールはおれがとってくるからここでまってろ!」
走りながら話しているのだろう。ビルの声がだんだんと離れて行った。
「だいじょうぶ?」
地面に突っ伏している私にアシュトンがぼんやりとした声で問いかけてくる。
私は顔だけ上げてにへっと笑い、
「大丈夫。」
と返事をした。
完全に地面に寝そべるまで、自分が転びそうになっていることにも、転んでいることにも全然気がつかなかった。
ヒリヒリジンジンとした痛みとジワジワとした冷たさだけが今の私に分かることだ。
どうやら寒さで脚が縺れたみたいだ。縺れた脚で重たい頭を支えきれず転倒したのだろう。
__びっくりした。__
水を吸って重くなった身体を起き上がらせる。一生懸命踏ん張っていると、転んだ私に気づいたビルのお母さんが私を立ち上がらせてくれた。
「ありがとうございます。」
一先ずビルのお母さんにお礼を言ってから、自分の身体を確認すると全身ドロドロになっていた。
__マフラーと手袋を貸しておいてよかった。__
おかげで洗濯物が少し減った。
服についた泥を払っていると、
…__キキィ__ッツ!!__…
不意に耳を劈く音がする。
__何の音だろう?__
問いかけようとアシュトンに目をやると、目の前のアシュトンが真っ青な顔をしていた。
「どうしたのアシュトン?!何かあっ「モニカ、モニカ!!しなないで!いやだ!いやだ!モニカぁ!」
捻り出したような悲痛な叫び。空を見つめたアシュトンの頬を大粒の涙が伝う。
「大丈夫、大丈夫だよ。死んだりしないから。」
こんなに感情を出したアシュトンは初めてだ。
「ほんとう?ほんとうに?いたくない?いなくならない?」
__何があったのかは分からないけど、アシュトンが混乱している。__
「大丈夫だよ、大丈夫。どこも痛くないし、どこにも行ったりしないから。」
***
「どうしたの?アシュトン。」
私たちのやり取りを見ていたビルのお母さんが不思議そうな顔をする。
「アシュトンは私が転んだからびっくりしただけなんです。」
アシュトンが何かをいう前に、それらしい事を言って誤魔化す。
ビルのお母さんは悪い人ではないけれど、それでも『アシュトン?あの子は少し変わった子よね。』なんて言われたりしたら、アシュトンに不利になる。私も先程まで平然としていたアシュトンが急に泣き出した事を不思議に思っているのだ。
だからビルのお母さんには、アシュトンのこの感情の変化を子ども特有の不安定な感情からきたものであると思われなければならない。
「そうなの?」
ビルのお母さんがアシュトンに目線を合わせて問いかける。
アシュトンが口を開こうとしたその時、
「奥さん!!ビルが、ビルが!!」
「早く、速く!急いで!」
ご近所の奥様方が血相を変えて走って来て、そのままビルのお母さんの腕を掴み何処かへ連れ去ろうとする。
奥様方の雰囲気から何かあった事を察したビルのお母さんは、奥様方に連れられて走って行く。
__ビル?ビルがどうしたの?__
未だほろほろと涙を流すアシュトンと手を繋ぎ、ビルのお母さんを追いかけた。
***
公園の入り口には車が止まっていた。忘れ去られたようにぽつんと転がるサッカーボールも見える。左側には何かを囲むような形で佇む何人かの大人の姿。
何人かが一斉に早口で話しているせいで何を言っているのかがよく分からない。
__ビルのお母さんはどこへ行ったの?__
ビルのお母さんについて来たはずなのに。視線を巡らせていると、大人の塊の中から一人の奥さんがこちらにやって来た。
たしか幼稚園の友達のお母さんだ。
「あら、来てしまったの。
二人とも家に帰りなさい。」
しゃがんで目を合わせた奥さんは困った顔をしながら私たちの頭を撫でる。
「私たちビルとビルのママと一緒に来たの。」
だから二人では帰れない。
「二人は一緒に帰れないの。送ってあげるわ。」
「でも…。」
「さ、行きましょう。」
奥さんは泣いているアシュトンを抱き上げ、私の手を繋ぐと住宅地の方向に歩き出した。
後ろ髪を引かれるように歩いている私に、
「嘘よ…嘘。ビル、ビル、ウィリアム!起きなさい!…起きてよ。…お願い…。
神様、神様ぁ!私が一体何をしたと言うの?!
嫌よ!いやぁああぁあぁ!!」
身を割くような悲痛な声が届いた。
__知らない。しらない。__
私の知っているあの人は誰かを恨んだような声を出す人じゃない。
__分からない。解らない。__
何故あの人があれほどまでに悲しんでいるのか。
泣き叫んだアシュトンも
神を怨むあの人も
姿を見せないあの子も
そう、きっと、何もかも悪い夢なんだ。