ベットから起きた日の翌日は小春日和だった。この国では珍しい、冬とは思えないカラッと晴れた青空は、まるでビルを天国に迎える為のよう。
そう今日はビルの葬儀の日だ。
風邪をひいた私の側にいたらしいアシュトンに風邪が移っているのではないかという不安は、晴れた青空の下で綺麗に積もった雪の上を楽しそうに駆け回るアシュトンによって払拭された。
楽しそうに駆け回るアシュトンの姿も、晴れているのにまだ雪が溶けていない事も、まるで夢の中のようだ。
真っ白に光る雪原でアシュトンが真っ黒な服を着て蜂蜜のように輝く髪を揺らしている。違和感のある、それでいて均衡のとれた不思議な光景。
「アシュトン!モニカ!そろそろ行くよ!」
「はーい。」
お父さんからの声に返事をして家に戻ると、用意を終えた両親が玄関先で待っていた。
***
キンと冷えた空気に牧師さんの説教が響く。それほど多くない参列者がビルの棺を囲み、祈りを捧げる。
__どうか、安らかにお眠り下さい。__
この祈りが本当に届くのかも分からなかったが、すんなりと頭に祈りの言葉が響いた。
子供の参列者は私とアシュトンだけだった。もともと葬儀は身内だけでひっそりと行うものらしく、隣人である私達家族が呼ばれるのは珍しいらしい。
この国でも輪廻転生の概念があるらしく、ビルには生まれ変わっても、生き返ってもいいように
ビルの両親がじっとビルの眠る棺を見つめているのが目に入り、胸を締め付けられた。涙を流してはいないが、涙を堪えているのがひしひしと伝わってくる。
__この国でも死んだ子供に親の涙が熱湯になって降りかかるのだろうか。__
ずっと昔に聞いた事のある話を思い出す。親より先に死ぬというのは何よりも親不孝なことで、その罰としてあの世では親の流す涙がその身を焼くという。
つまりは親より先に死ぬなということだ。
温かい日差しに雪が溶け、掘った穴の淵は雪と土との境目が曖昧になっている。
牧師さんの説教が終わると参列者が一言添えながら棺の上に花を供え始めた。いろいろな趣向を凝らした花はとても鮮やかで、華やかに棺の上を彩っていく。
お父さんが腕に抱えたお花のリースをそっと棺の上に乗せ、祈りと私達兄妹と仲良くしてくれたことへのお礼をビルに述べる。
ビルのお母さんが私達家族にお礼を言うのを、まるでよそ事のように聞いていた。
棺ごと穴の中へ沈み、土に溺れていくビルをじっと見つめていると、
「モニカちゃん、アシュトンくん。
あれをビルの上に植えてくれないかしら?」
ビルのお母さんから指し示されたのは木の苗だ。根元を藁で包んだ苗は私の背丈を少し超えるぐらいの大きさをしている。
「これ…?」
「これは木の赤ちゃんなの。これから土の中に眠ったビルがこの木を育ててくれるのよ。」
ビルのお母さんが見えなくなった棺の上にぽっかり空いた穴を指しながら言った。
ビルのお父さんとお母さんが苗の根元から藁を外して穴の中に置く。その苗の折れそうな位細い幹に手を触れる。手のひらの中の命に動物のような温かさはない。
アシュトンと一緒に土をかけ、苗を植えていると忘れていた涙がぽつんと落ちた。
塩分に富んだ涙も、防腐加工の施されたビルの体も、この木の養分にはなれないかもしれない。でもビルの代わりに何年も、何十年も生きて欲しい。
気がつけば止まらなくなっていた涙を、どうやって止めれば良いかが分からなかった。
**
その夜、不思議な夢を見た。
梅に桜に向日葵、コスモスに彼岸花に寒椿。あらゆる季節の花が一斉に咲き乱れる季節のない場所。
底が見える位に澄んだ、風による波一つ立たない河の畔で、私は石を積み上げている。
周りに咲く綺麗な花々を愛でる事なく、ただひたすらに平たい石を上へ上へと積み上げていると、手元に暗い影が差し込むのだ。
不思議に思って見上げると、とても怖い顔をした何かが私を見下ろしていて、私はその恐ろしい何かから石の塔を守ろうとする。
子供である非力な私になす術はなく、石の塔は崩され、ついでに頭からぐつぐつ煮えたぎる熱湯がかけられる。
熱くて、苦しくて、痛くて。
でもその熱湯がしょっぱい事を知っているから、私はその場に蹲り目を閉じて足元の石を握りしめながら耐える。
熱湯の量は増えることはあれど、減ることはなく。
私はただ繰り返される時間を甘んじて受けるのだ。
***
ビルの家族は立ち直った。
もともと明るい気質の家族だったからしんみりするのは苦手なのだと思う。
でもやはり根っこの所ではビルの事を引きずっているので、立ち直ったのは表向きだけの話だ。
私達が楽しそうに遊んでいるのを寂しそうに、羨ましそうに、悲しそうに見つめる瞳が完全に立ち直っているとは思えない。何をするでもなくぽつんとビルのお墓の前に立つ姿もだ。
ただ悲しんでいるだけでは前に進めないと本能的に分かっているあの一家は、幸せそうに振る舞う。
だからそういうビルの家族を見て自称情報通の奥様方が、
「子供が死んだってのに笑ってるのよ。信じられる?」
だとか、
「子供に対する愛情が無かったんじゃないの?」
だとか言っているのを聞くと腹が立って仕方ないのだ。
終いには、
「子供が死んだ時に側にいたんですってね。私なら自分が死んででも子供を助けるわ。」
なんて言い出す人さえいる。
ビルのお母さんだってそれができたらそうしていたに違いない。
もしメソメソしていたら、
「いつまで悲しんでいるつもりなのかしら?」
とか 言い出すに決まっている。
影でこそこそと言っているから聞こえていないとでも思っているのだろうか?ビルの家族はそういう誹謗中傷を耐え、見逃しているだけだ。
ビルが死んでから私達の家族とお隣さんの家族の仲が微妙になった。以前は家族ぐるみで付き合いがあったが、ビルと言う繋がりを無くしてしまってからは少し離れてしまっている。
お母さんはあの日、ビルのお母さんに私達を預けてしまったことを後悔しているようだった。私達を自分がみて、ビルをビルのお母さんがみていたなら違う結果になったに違いないと思っているみたいだ。
過ぎた事を言っても仕方ない。後悔に意味はないと思っていても自分を責めずにはいられない。
でも私から言わせてみればお母さんにもビルのお母さんにも罪はない。あるとすれば、あの日ボールを追いかけられず転んでしまった私にだろう。
__私があのまま追いかけていれば、きっと違った結果に繋がった。__
そうしたらビルの家族は心から笑っていたに違いない。
****
手に持っていたハードカバーを閉じると、パタンと小粋良い音がした。
耳を澄ますとそよそよと風が木の葉を揺らす。遠くをカップルが楽しそうに話をしながら、手を繋いて歩いているのが見えた。
まだ細い木に背中を預け、目を閉じる。
「見つけた。」
ゆっくりと目を開けると、呆れた顔をした兄弟がいた。
「ごめん。探した?」
「ぜんぜん。モニカのいるところくらい直ぐに分かるし。」
何言ってるの?って声が聞こえてきそうだ。
「何でこんなところにいるの?」
私の隣に座りながらアシュトンが尋ねる。
「静かだから?」
「静かな所がいいなら図書館に行けばいいのに。直射日光が目に悪いって知らない訳じゃないでしょ?
ここはそれ程静かでも無いし。」
太陽の下で本を読んでいたことを諭すように言う。
アシュトンの言葉を裏付けるように子供達が目の前の通りを駆けていく。
「月命日だし。」
「ツキメイニチ?何それ。意味わかんない。」
ここは仏教が主流じゃないから分からなくて当たり前だ。
なんて言うべきか困っていると、
「別に困らせたくて聞いたわけじゃないから。」
アシュトンは立ち上がりながらそう言った。
「ん。」
と差し出された手を取って立ち上がる。私が立ち上がったのを見届けるとアシュトンの手が離れていった。
__昔はこのまま家まで繋いで帰ったのに。__
嬉しいやら寂しいやら、アシュトンはお年頃の難しい時期に入っている。
お尻についた土を払いもう一度ビルに手を合わせ、
「お待たせ。帰ろうか。」
隣で併設する教会に十字を切ったアシュトンに声をかけた。
この国で墓地は家族や恋人、友達との憩いの場である。日本のように薄気味悪がる場所では無い。これが私とその他の人の違い。
神に祈りを捧げるアシュトンと、故人に手を合わせる私では決定的に何かが違うのだ。
今年はお話を見て頂きありがとうございます。
来年からは私事により不定期更新となりますのでご了承下さい。
どうぞ皆様、良い年の瀬をお過ごしください。