扉を開けると教室中の視線が集まった。何だかよくわかないがよくない視線である事だけは確かの様だ。
特に気にせずに席に座ると、周りからヒソヒソと声が聞こえる。
前に座った男の子が私の頬をみて何か言いたげな様子を見せたが、教室に先生が入ってくるのが見えて直ぐに体勢を整えた。
先生が教卓で咳払いをするとレイチェルの周りにいた女の子達が思い出した様に席に座る。
授業中は特に何の問題も無く過ぎて行き、休み時間になった。いつも呼びにくるレイチェルは来ない。
本を開き、本の中に没入する。
背中に刺さる視線なんて気にする必要もない。
めくるめく世界から浮上すると、丁度休み時間が終わりを告げる。
__図書館に新しい本を借りにいかなきゃな。__
いつもより速いペースで読み終えた本の背表紙を見つめた。
***
「モニカ!」
厳しい声を発するアシュトン。口元に人差し指を当てて静かにする様に示す。アシュトンはハッと気づいたように口を噤んでから私の左の席に座った。
咄嗟に出た行動はどうしても前世に引きずられるのだ。この国でこのジェスチャーが何を意味するのかは分かっていないが、アシュトンに伝わったのならそれでいい。
ここは図書室なのだ。静かに本を読む所である。
「なに?」
アシュトンが隣に座ったのを見届けて、囁くように問いかけた。
「モニカが怪我をしたって聞いた。」
「怪我?何の事?」
心当たりがまるで無い。
「頬が赤くなってたって…。」
「あぁ。」
__その事。そんな話題がアシュトンのクラスにまで届いているのか。__
痛みも無くなったし、血も出ていないから怪我ってイメージじゃなかった。
「何があった?」
私の目を覗き込むアシュトン。
「別に何も…。」
左のポケットの中に入れようとしていた左手がアシュトンに阻まれ、握り締められる。
「なにも?」
強い口調での問いかけに、
「分からない。」
本音がぽろりと零れ落ちた。
そう、未だに何があったのかが分からない。わかっているのは私の読書時間が戻ってきた事だけだ。
「そう、分かったら教えて。
…帰ろう。その本借りるんでしょ。」
アシュトンはそれ以上言及する事はなかったが、手を離すこともなかった。
***
「モニカ。」
返ってきたはずの読書時間に声がかけられる。レイチェルの取り巻きの女の子の一人だ。
「何?」
「レイチェルに謝ったら?」
私の問いかけに対して簡潔に話を進めてくるが、私は何を言っているのかがよくわからない。
__一方的に叩かれた私が謝る理由が分からない。__
「何を?」
分からないから問い返したのに、
「モニカがそんな子だとは思わなかったわ。本当に最低ね。」
彼女は吐き捨てる様に言って去って行った。
「モニカ、帰ろう。」
「うん。」
いつもの様に迎えに来たアシュトンに声をかけられると、本をしまい鞄にいれる。
上着を羽織ってから、上着の左ポケットの中にお守りを入れようとスカートのポケットに手を入れるが、いつもの感触がない。
__嘘でしょ。__
ポケットからお守りが落ちるとは考えづらい。でもいつもの定位置にはお守りがない。
「どうした?」
「お守りがない。」
全てのポケットを探るが指先に当たる布に包まれた硬質な感触がない。机に鞄の中身を一式広げるが、鞄の中にも鞄の底にも見当たらない。机の引き出しを覗き込んでも見当たらず、席の周りにも落ちていない。
ポケット中に手を入れるが、底が抜けているなんてこともない。前世で携帯さえ不携帯だった私が、今世で一度も忘れずに持ち歩いているのに。
__何でスカートなんて履いたんだろう。__
ズボンならきっと無くしたりしなかったはずだ。
__思い出せ。__
朝起きて着替えた後に枕の下からスカートのポケットに移した。
__この時はまだあった。それから?__
ご飯を食べて、身支度を整えてから上着にお守りを移した。
__この時もまだあった。__
学校に着いて、上着からスカートのポケットに移した。
でもこの後から今まで一度も確認していない。
__学校にはあるはずだ。__
今日通った道を辿って、心当たりを全て見て回ろう。
「アシュトン。先に帰ってて。」
先ずは落し物として届けられていないかどうかだ。なかったら図書室と今日使った教室。
急がなくてもお守りは逃げない。けれど、気がつけば走り出していた。
***
跪いて足元を探していると、目線の先に足が現れた。見上げると眩しくてよく見えないが、どうやらアシュトンのようだ。
「まだ帰ってなかったの?
早く帰りなよ。」
窓の外は日が傾いて夕焼け空だ。
__もう。そんな時間か。__
「モニカをおいて、帰れない。
…大丈夫だ。きっと直ぐに見つかる。
ほら、帰ろう。」
アシュトンは手を差し出しながら言った。
反対側の手には私が中身を広げたままで放置していた鞄がしっかりと握られている。
__もうしばらく探していたい。__
「鞄、ありがとう。」
差し出された手の反対側の鞄に手を伸ばしながら言うと、アシュトンは少し屈んで手をとって私を立たせた。
「…帰り道にあるかもしれない。
だから今日はもう帰ろう。」
「学校にあるのは間違いないよ。
学校で確認したから覚えてる。」
「絶対見つかるから、今日はもう帰ろう。」
アシュトンが言い募る私の言葉に被せる様に言う。
__アシュトンが絶対なんて言葉を使うのは初めてだ。__
「絶対?」
「うん。絶対。」
「…かえる。」
根拠なんて分からないけど、アシュトンの"絶対"は信じていい気がした。
***
結果からいくと帰り道でお守りを見つけることは出来なかった。
でもアシュトンの絶対は見つかるということにかかっているだろうから大丈夫だ。
いつもより遅い時間に帰って来た私たちをお母さんがぎゅっと抱きしめた。心配していたそうだ。
『何があったの?』と私たちを抱きしめながら問うお母さんに、アシュトンは『何でもない。』と素っ気ない態度をとってお母さんの手から逃れ、部屋に入って行った。
私もアシュトンに続いて自分の部屋へ戻り、お守りを探す。
あるはずないと思っているのに、本当に見つからなくてガックリしてしまった。
__眠れない。__
日課になっているお守りを磨きが出来ないことで、調子が狂ってしまったのだろうか?
__眠れない。__
それとも、枕の下にお守りがないから眠れない?
「…ホットミルクでも飲もう。」
眠れない時はホットミルクがいいと聞いたのは前世だっただろうか?
昔の記憶と前世の記憶がだんだん混じって来て、この頃は記憶がどちらのものだったか分からないことがあった。
忍び足でキッチンに入り、ミルクパンに一人分の牛乳を開ける。
蓋をしてからコンロに火を付け、ふとコンロから少し離れた窓のカーテンを開けた。
部屋の電気を付けていないので、外が見える。満月ではないが、それに近い月が夜を照らして人口の灯りがなくても明るい。
パチッという音がしたかと思うと、いきなり目が眩んだ。目の前の硝子には眩しさで目を眇める自分の姿が映り込む。
「何してるの?」
反射した硝子越しに、部屋のドアの付近に立つアシュトンの姿が見えた。どうやら電気をつけたのはアシュトンのようだ。
カーテンを閉めながら、
「ホットミルクを飲もうと思って。」
キッチン降りている理由を述べると、アシュトンが軽く息を吐いて先にコンロへ行き、火を消した。
私がマグカップを用意してミルクパンの蓋を開けると、アシュトンが火を消したにも関わらず、中の牛乳がグツグツと沸騰している。
よく見ると湯葉の様な膜まで張っていた。
__これは冷まさないと飲めないな。__
猫舌というわけではないが、直前まで沸騰していたものを飲めるほど熱さに強くもない。
「俺も飲む。」
アシュトンはそう言うと、冷蔵庫から牛乳を取り出して沸騰していた牛乳に加える。続いてマグカップを用意すると私の用意したマグカップになみなみと注ぎ、残った中途半端な量の牛乳を自分のマグカップに注いだ。
「飲むんじゃないの?」
私の用意したマグと自分のマグをテーブルまで運ぶと、不思議そうにこちらを見る。
ボーッとアシュトンの動きを見ていた私は思い出した様に、膜が張り付いたミルクパンを洗面台に持って行き水道水を注いで、牛乳を冷蔵庫にしまってから席につく。
マグを手で囲む様に持つととじんわりと指先が温かい。
一口含んで飲み込むと、ミルクは私を焼く事なく温かさを伝えてきた。
ほぅっと息を吐くと目の前のアシュトンが私から目を離して、ミルクを飲む。こくんこくんと動く喉に合わせて、いつからかある喉仏が上下する。丸くて柔らかくてふっくりしていた手は、今やゴツゴツとした大きな手だ。
__大きくなったんだな。__
ここに来てからそれ位の年月が経ったという事なんだろう。
「なに?」
不思議そうに問いかけるアシュトン。
「ううん。アシュトンの手は大きいなと思って。」
自分の手を見ながらぐっぱぐっぱしていると、アシュトンが手を取って合わせてきた。
__大きくなったと思っていたけど、ここまでとは。__
アシュトンの第一関節にギリギリ届く大きさ。まるで自分が小さくなったみたいだ。
***
結局夜は眠れなかった。少し微睡み始めたアシュトンを部屋に追いやって、自分も部屋に戻りぼおっと窓の外を眺めていたら、気がつくと朝になっていた。
不思議とあまりお腹も空いておらずけれど食べないのも体に悪いので、口の中に押し込み。(お母さんに作ってもらった美味しいご飯なのに味が全然しなかった。)
何かを言いたそうにしているお父さんとお母さんの目線を避けながら家を出た。
休み時間をお守り探しの為に潰し、それでも見つけられなかったので放課後に突入した。
校舎裏にお守りをいれていた袋を発見したが、肝心のお守りは未だ見つける事が出来ない。
アシュトンも合流し二人でお守りを探していた。
__もう他に探す所もない。やっぱり教室を探すか。__
一番私がよくいる場所はやっぱり教室だ。
「もう一度教室を探してみる。」
アシュトンに振り返ってそういうと、アシュトンはこっくりと頷く。
教室の閉じたドアを開けようとして、中から話し声が聞こえて来るのに気がついた。
「あの子の顔見た?隈なんて作っちゃって見苦しいったらないわ。」
「本当よね。
それにこれは何?いつも大事に持っているから大事な人からもらったアクセサリーかと思ったら。」
「こんな汚らしいモノよく持って歩けるわよね。恥ずかしくないのかしら?」
「全くだわ。これどうするの?」
「暖炉にでも棄ててくる?」
「それもいいかもしれないわね。」
クスクスとした笑い声。頭の芯がカッと熱くなる。
急に腕を引かれ、ドアを開けようとしていた手も行く手を阻まれる。
「何を!」
腕を引いてドアを開けるのを邪魔したアシュトンを見ると、アシュトンが厳しい顔をしていた。
アシュトンは私の頭をぽんぽんと叩いて、
「俺が行く。」
と言うとドアを開けて素早く中に入り、直ぐにドアを閉めてしまった。
「アシュトン?!」
「何を隠した?」
悲鳴に近い女の子達の驚いた様な声に、低い落ち着いた声が重なる。
「なにも隠してなんかないわ!」
「そう。俺には見せてくれないんだ。」
なおも隠し通そうとする女の子達に、さみしそうな声で訴えるアシュトン。
何も聞こえてこない少しの間があって、
「きゃっ!」
という短い悲鳴を聞いた。
「これは?」
何かを尋ねるアシュトンに対して、
「違うのよ!違うの!」
「私たちは悪くないわ!」
言い訳の様な声が重なる。
「違うのよ。私はただ…。
…そう、そうよ、これが落ちてたのを見つけたからモニカに届けてあげようと思って。」
レイチェルの声だ。
私にお守りを届けようとしていたらしい。
「モニカに?…よくそれがモニカのだって分かったね。」
「だってモニカに見せてもらったもの。」
言い募るレイチェルだが、生憎とレイチェルにお守りを見せた事はない。中身はもちろんのこと、外の袋ですらまともに見た事は無いはずだ。
「へぇ。じゃあこれは何?」
アシュトンの面白そうな意地の悪い声が耳に届く。
それが何かなんて私にも分かっていないのに、レイチェルに分かるわけない。便宜上お守りと呼んでいるだけだ。
「モニカはなんて言ってレイチェルに見せたの?」
黙りこくったレイチェルに痺れを切らしたアシュトンが続けて言う。
「大切なものって言ってたわ。」
「そう。その大切なものを焼却炉に棄てるんだ。」
扉越しにでも唾を飲み込んだ音がした。
「いつから聞いていたの?」
「さあ?いつからかな?
…モニカ、返してもらったよ。」
アシュトンの呼びかけに、扉を開けて中に入る。
女の子達からの厳しい視線が刺さるような気がするが、今さら気にする事も無い。私を呼んだアシュトンに近寄ると、アシュトンの手の中に鈍色に光るものが見えた。