第十二~十四話の同時更新です。
お気に入りから飛んできた方はご注意ください。
一定のリズムでページをめくる音と、カリカリという羽根ペンを走らせる音が室内を満たしていた。
そしてう~んと唸る声に、ハァという溜め息も勉強音に混じって聞こえている。
期末試験の範囲が膨大なため、数週間前から余裕を持って取り組まないと好成績を望めないのだ。
だからドラコは夕食を食べて直ぐに自室へ引き篭もり、こうして魔法史の年表と睨めっこをしつつ人物名の書き取りを行っている。
魔法史の授業は言ってしまえば退屈と眠気との戦い。講師であるゴーストのピンズ先生は延々と教科書を一定の速さで読んでいくだけなので凄くつまらないのだ。それこそ歴史マニアでなければ魔法史に興味を抱く者などいないと断言でき、そんな歴史が好きな生徒でも下手をすればサジを投げるレベル。
そのような授業をまともに受けているはずも無く。ドラコも一部の例外を除いた大多数の生徒と同じ、魔法史の授業を睡眠に充てている生徒の一人だった。
だからこうして早い時期から試験勉強を始めていても、全く頭に入らず四苦八苦している訳だ。
人間、興味や楽しみを見出せなければ知識を蓄えるのは難しい。
しかし彼はまだ幸運の部類に入る。彼のルームメイトは、その退屈な教科書を暗唱出来る生きたデータバンクなのだから。
「アリィ、魔女狩りから魔法族を守るために率先して活動した――」
「やりすぎヘドウィグ。防御呪文が使えない子供を保護しようとしたのは偉いけど、子供を長期間拉致監禁した変態。逮捕されたのは1322年9月20日。それに――」
自身が読み進めている『卒業生名簿』から目を逸らさず、そしてベッドの上で体育座りをしながら質問事項を先読みして答えるアリィ。
その姿は心ここにあらずと言った風で。しかしスラスラとその魔女についての博識ぶりを見せるのは流石の一言に尽きた。
まるで脳を直接ネットに繋いで検索しているかのような博識ぶりと記憶術を見せられれば、この天災に知らないことは何一つ無いという、そういうありえないことを考えてしまうのはドラコだけでは無いはずだ。
しかし当然、彼にも知らないことはある。
そうでなければ、わざわざ第一期の卒業生名簿から数日をかけて目的の人物を探す必要など無いのだから。
歴史の教科書を片っ端から読破したアリィは、どうも探している人物がいるらしく、情報が無いのなら次は身近な所からとホグワーツの関係者を手当たり次第に探していた。
これで駄目なら他国の歴史。それでも駄目なら伝手と知識をフル導入して片っ端から調べ尽くすだろう。
テスト勉強に勤しむ友人達の協力を蹴り、アリィは一人でトム・リドルを探していた。
「そうか、そんな名前だったか」
「そう、ハリーのフクロウと同じ名前。ハリーも何で変態の名前を付けたんだろ。センス無いったらありゃしない」
視線を一向に本から離さないからこそ、アリィはテーブルに齧り付いて勉強しているドラコの『お前が言うな』という半眼のジト目に気付かない。
そして無意識にそのまま、まるでついでと言わんばかりにアリィのベッド脇に作られた無人の寝床に視線を移し、ドラコの口から思わず舌打ちが漏れてしまう。
あの主人に忠実で喧しく直ぐに人の顔をベトベトになるまで舐め回す三頭犬は、よく事情は知らないが数週間前から姿を消している。
それ事態は実に喜ばしいはずなのに、胸にぽっかりと穴が空いたかのような物足りない気持ちは何なのだろうか。
(くだらないっ、何を考えているんだ)
ほんの一瞬だけ自問し、直ぐに回答を得て再度の舌打ちを零す。
ドラコはこの僅かばかりの寂寥感を胸の奥へと押し込んだ。どうしても、このもどかしい気持ちを認めるのが癪だったからだ。
「そうだドラコ。訊きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
小さく『ここにも無い』と呟いてから、愛犬の寝床とは反対のベッド脇に積み重ねられた名簿の山に八十年前の名簿を置いて、漸くアリィは視線をドラコに移す。その瞳に、懐疑と不満の意思を乗せながら。
「ドラコさぁ、何か隠しごとしてない?」
悪戯を仕掛けてニヤついているような子悪魔的な笑みではなく、どこか不機嫌にぶすっとしたしかめっ面を見せるアリィの問いは、一振りの刃のような鋭さを見せてドラコの心に切り込みを入れる。
何故そのような結論に至ったのかは皆目検討も付かない。それでもドラコが言えることは、自分は今、とても窮地に立たされているという点のみ。
なんとかして誤魔化さなければ。この言葉が脳内を駆け巡った。
「いったい急にどうしたんだい?」
心底訳が分からないといった風に首を傾けるドラコには、何か隠しごとをしている空気は一ミリたりとも感じられない。それでもアリィは直感的にドラコの嘘を見抜き、まるで詰め将棋のように外堀から攻めていく。
「なんか数日前から変。やけにハリー達に絡んでるから」
「それのどこが変なんだ」
ドラコが一部の例外を除いてグリフィンドール生を、特にハリーを嫌悪しているのは周知の事実だ。
当然アリィも知っているし、そのことを咎められたことも記憶に無い。人の考え方や主張に対し、この天災が何かを強制した例は無かった。
ドラコの選民思想や差別を否定していないとこから見ても分かる通り、それに理解を示すかは別として、どんな主義主張も認める懐の広さを彼は持っているのだ。
だからジト目を向けられるドラコは、これが幼馴染のために行う意趣返しとは考えていなかった。
「だってドラコ、今まで俺の前でハリー達に喧嘩を仕掛けてなかったじゃん。それにさ、流石にハリーが自分から何度も喧嘩を吹っかけるってのも変」
影で愚痴を言うことはあれ、あの真夜中に行おうとした決闘の時以来、ドラコがハリーに向って喧嘩を吹っかけたことは無かった。そしてそれはハリーにも同じことが言える。
それが一回だけならまだしも喧嘩の回数が一日一回にまで膨れ上がったら、それはもう変だとしか言えなかった。
時には食事時に。時には廊下で擦れ違うたびに。ドラコとハリーは互いにいちゃもんを突きつけ合って度々衝突している。
まるで自分達の仲が悪いことを周囲に見せ付け、あえて強調するかのように、その苛烈さは日に日に増していった。
「それにロンも手を犬に噛まれて医務室に入院中だし、絶対に変。ハリー達と一緒に何か面白そうな生き物でも飼ってんじゃないの?」
牙に毒がある犬などホグワーツ周辺には存在しないはずなのに、そういった生き物に噛まれたという信じられない事実。
ハリーとドラコの共謀を周囲に悟らせないように――引いては二人と仲の良いトラブルメーカーに悟らせないようにするような、自然ながらも不自然な喧嘩。
普通なら疑問にも思わない素振りから、動物めいた直感と閃きで何かを隠していると判断したのだ。
「あ、そうだ。それに俺とロンがチェスをやってた時だってドラコとハ――」
「ふんっ、何でこの僕がポッター達なんかと……そういえば、あの駄犬はいつ戻ってくるんだ?」
内心でアリィの動物的な直感に罵詈雑言をぶつけながらも話題転換を図るドラコ。アリィの唐突な発言や行動に肝を冷やすのは一度や二度ではないが、それでも今日このタイミングはあんまりだと思う気持ちが溢れてしまう。
これから大仕事が待っているのに、何でこうも厄介なんだと。
「ああ、そうなんだよ! それが新学期になんないと帰って来ないんだよっ!」
しかし上手く話を逸らすことが出来たみたいだ。
愛犬がいない寂しさを思い出したのか、アリィは先程まで抱いていた不満や不信感も忘れて愛犬の不在を嘆き、そしてそれは一向に見付からない探し人に対する愚痴にも繋がっていく。
試験勉強や今まで行っていた実験もそっちのけで人探しに没頭していることはドラコも知っている。魔法史や偉人達の名前を漁っても見付からず、一縷の望みを込めてホグワーツ生の名前を探し始め、その根気のいる作業に段々と飽きていることにも気付いている。
むしろ膨大で長い歴史を漁って直ぐに生徒名簿を過去から遡って閲覧していることを考えれば、よくここまで気力が持ったと褒めるべきだ。
そしてドラコはアリィが誰を探しているのか知らない。一度は断られたが、もし頼まれた際は人探しを手伝う気前の良さくらい持ち合わせている。
延々と続く愚痴に相槌を打ちつつ、そろそろ勉強に戻ろうと考えていた矢先、その発言が耳に飛び込んできた。
「ああ、早くポチ太郎に会いたい! 伝次郎はまだ寝てるからつまらない!」
「伝次郎とはいったい誰のことだ!? なんだか凄く不吉な気がしてならないぞ!?」
クリスマス休暇が明けて数ヶ月経ち、初めて耳にした新ワード。
明らかに人名でありながら生徒ではなさそうな名前にドラコが戸惑う。知らぬ間に面倒事が身近にやってきていたことに、やっと彼は気付くことが出来たのだ。
まあ、誰も進んでベッドの下など漁らないので無理は無いが。
「伝次郎は蛇だよ。見る?」
新しい家族を紹介するのが嬉しいのか。にこやかな笑顔を振り撒いてベッドの下に上半身を突っ込んだアリィは、とても大きな木箱をゆっくりと引き摺り出す。
中で寝ている蛇を気遣う姿からは、ペットに対する並々ならぬ愛が感じられた。
本来なら微笑ましい光景なのに、ドラコの目には危険物を取り扱うような仕草に見えて仕方が無い。
「…………蛇とか言いつつ『ヒュドラ』や『ラミア』の子供というオチでは無いだろうな?」
ドラコの発想は非常に良い線をいっていた。ニアピンと言って良い。段々とアリィに毒されてきている証拠だ。
しかし経験不足が祟り、ドラコの脳が導き出した最悪の結果というのが、先ほど挙げた二種類の怪物達の存在だった。
まだまだ青いが、まさかドラコも木箱の中身が千年を生きるバジリスクだとは思うまい。
「そんなギリシャにしか生息しない貴重な怪物がホグワーツにいる訳ないって。伝次郎は休暇中に学校近辺で見つけたんだ」
そのギリシャにしか生息しないどころか魔法界でも数匹しか個体を確認されていない毒蛇の王をペット化した者とは思えない発言だ。色々と狂っている。
「いや、冬眠中ならわざわざ起こさなくて良い」
初お披露目を逃したことに対する残念な気持ちと、ドラコの言うことも尤もだという気遣いに感謝するアリィの手により、再び伝次郎はベッドの下へと戻っていく。
元々の性格や気質の性もあるのだろうが、もう春も過ぎようとしているのに毒蛇の王は起きる兆しを一向に見せない。
それはそれでドラコにとって幸せなことなのだろう。けれどもアリィにしてみれば心底残念な気持ちで一杯だ。
「それで、その伝次郎というのはソイツのフルネームなのかい?」
「伝次郎・ザ・ダークボンバーってカッコイイ名前がちゃんとある」
「改名するんだ今すぐにっ!」
グレートポチ太郎という前例があるだけに問いかけてみれば案の定。その破滅的なネーミングに物申せずにはいられない。まだ見ぬ蛇に同情を禁じえなかった。
「ええー!? カッコイイでしょダークボンバーって名前! 伝次郎だって喜ぶに決まってる!」
「いい加減、君のセンスが壊滅的であることに気付いてくれっ!」
以前製作した新作箒みたいなモノとは違い、生き物には心がある。
なら生涯を通して付き合っていくことになる名前を好きになれるよう、男にとってカッコイイと思える名前を付けるのは飼い主の務め。
そうして考えに考え抜いた結果どこか迷走してしまい『双子座』とは気合の入れ方が違う名前が生まれてしまった。
とある理由からグレートポチ太郎と名付けたことを失敗したと考えている手前、同じ過ちは犯さないという意気込みが命名行為に隠されている。
それでも三頭犬の命名に関して後悔はしていないのがアリィらしい。
そして改名希望と現状維持の話は平行の道を辿る事になった。
「あ、そうだ。ねえ、今更だけど伝次郎をここで飼っても良いでしょ?」
「……………………ああ」
本当に今更な質問を吟味し、長い思考の末に決断を下す。姿を見ていないことに不安を残すも、結局は学校周辺で見つけたという言葉が決め手になったのだ。
「まあ、蛇は僕も嫌いではない。だけどアリィ、頼むからこれ以上ペットは増やさないでくれ」
「サンキュー、ドラコ! 話が分かるルームメイトで助かるよ本当に!」
それに、この輝かんばかりの気色に溢れたルームメイトの笑顔が見られるのなら、蛇の一匹くらい許してやろうという気持ちになってくる。宣言通り蛇は好きだし、なによりアリィの曇り顔なんて見たくないのだから。
無論、何かあった時は容赦無く不満を言うつもりだが。
「あれ、どこ行くの?」
「パンジーとこれから約束があるんだ」
ある意味新たな厄介事を抱えてしまった気がするも、時間が近付いてしまったためドラコは部屋の出入り口へと歩いていく。
このルームメイトが要らぬ気遣いを掛けてくるのは予測出来るため、こう嘘を吐けば追って来ないという核心があった。
(パンジーとも話を合わせなければ……今度スネイプ先生から胃薬を貰っておこう)
何だかんだ言って上手く話を逸らし、アリィの追求から逃れることが出来たドラコ・マルフォイ。
それでもそのために払った対価は大きかった。
精神負荷という形で対価は重く圧し掛かり、ドラコの胃が危険域に達するのも秒読み段階まで入っているのかもしれない。
◇◇
四月の下旬とはいえ夜間は未だ肌寒い。夜の帳が下りきった深夜に近い時間帯では春の麗らかな空気を感じることも出来ず、吹き抜けの一階廊下に吹き込む突風に身体の芯まで凍りつかせる。
――そう、本来なら二人もそうなるはずだった。
「くそっ、何でこの僕がこんなことを……っ!」
「愚痴はいらないからもっと力を入れてよ! 午前零時まであと少しなんだ!」
しかし二人は重たくて大きな木箱を二人掛かりで運んでいるため全身汗だく。汗が頬を伝って地面に垂れ、点々と水滴の軌跡を生み出しながらも、彼等は決して歩みを止めない。
汗でベトベトになった制服が身体に張り付く不快感にも耐え、木箱の重さに堪えた腕が疲労でプルプル震えだしても、苦労に耐えながら二人は健気に頑張っていた。
「僕に命令するなポッター! くそっ、どれもこれも、あの木偶の坊がドラゴンの卵なんて貰ってくるからだ!」
「……それについては全面的に賛成するけど、ハグリットを木偶の坊だなんて呼ぶなマルフォイ」
ハリー・ポッターとドラコ・マルフォイ。不倶戴天の敵同士であるはずの二人が協力し合い、ハグリットが手に入れてしまったドラゴンを学校内から連れ出すために行動している。
――何故よりにもよって犬猿の仲で知られる二人が一致団結しているのか、全ては数週間前に遡った。
◇◇
ドラコがハリーとハーマイオニーに呼び出されたのは放課後のことだった。
その日は珍しくアリィも問題を起こさなかった穏やかな一日で、最後の授業である魔法薬学が終了しようとしたその時、魔法薬キットの片づけをしているドラコの足下にくしゃくしゃに丸められた手紙が投げ込まれた。
パートナーであるアリィはクラッブとゴイルの下僕コンビのサポートに回り、スネイプはパンジー達のグループの採点を行っている。誰にも気付かれない絶妙なタイミングだった。
そして十分後、誰もいない部屋で三人が会合を果たす。
「ふんっ、わざわざこんな所まで呼び出して、一体何のようなんだ」
「話があるんだ」
もはや秘密の会合場所と化しているトロフィー室に呼び出されたドラコは、神妙な面持ちをしているハリーとハーマイオニーを見て勝ち誇った笑みを浮かべている。呼び出される心当たりがあったからだ。それこそドラコはこの展開を望んでいた節さえある。
数日前の晩にハリー達の弱みを握り、ドラコはいつにも増して上機嫌だった。
「へえ、いったい何についてだい? もしかして、あのウスノロが飼っている大きな爬虫類のことかな? ああ、デカブツが逮捕される件についてかもしれないな!」
あの晩にドラコが見た光景とは、飼育が禁止されているドラゴンの雛がハグリットの小屋で孵化する瞬間だった。
危険な生物として認知されているドラゴンは気性が荒い個体が多く、それでいて生半可な魔法が効かない強力な魔法耐性を持つことで有名だ。
そんな生物が魔法使いとしては半人前達が大勢いる学校で暴れ回ったら、いったいどれだけの被害が出てくるか。考えるだけでも恐ろしい。重大な責任問題に発展するだろう。
そもそも隠して飼育出来る類の生物ではなく、一人で飼育するのは不可能な生き物。三頭犬とは違い、例え『動物好かれ』でも完璧に調教することが出来ない強力な生物。それがドラゴンだ。
「ふんっ、これであの森番はオシマイだ。仮にも学校の職員、それも森番が授業にも使えない危険な生物を飼うなんて前代未聞も良い所だ」
ハグリットはホグワーツの鍵と領地を守る番人だが、その性質上、領地内である禁じられた森の簡単な管理・監視も仕事に含まれている。
危険な森から――つまり森の中にいる危険な生物達を監視し、その脅威から生徒達を守る立場にある者が、あろうことか危険生物を学校へ解き放つ危険を犯している。
これは絶対にあってはならない由々しき事態。弁解の余地も無い、ドラコによる完全無欠な正論。現にハリー達も、その件に関しては全くの同意件だ。
悔しそうにするハリーに気を良くしたドラコは、実に心地良さそうに鼻を鳴らした。
「まあ、ポッターやウィーズリーの態度次第では黙ってあげてもいい」
こう言ってはいるが、ドラコは何もハリー達の退学やハグリットの退職を望んでいる訳ではない。
もし学校から彼らがいなくなれば、自分のルームメイトはきっと悲しむ。それに何より、ハリーやハーマイオニーといった天災を御せる可能性を持つ最大戦力が学校からいなくなるのは、生徒職員に対する致命傷に成りかねないと考えている。
ドラコはただハリー達の弱みを握り、強者として君臨し、屈服させたいだけなのだ。
――そしてハリー達は、ドラコの考えをほぼ正確に察している。
「僕達はただ忠告しに来ただけだ。ドラゴンのことを教師に告発するのは止めた方が良いってね」
正直言えば、今回ばかりはドラコに賛同するところだ。それでもハリーは、あえてこの言葉を口にする。
彼に弱みを握られるのは絶対に回避しなくてはならないことであり、ハグリットを援護するためにも対立する道を選ばなくてはならないのだから。
慎重に言葉を選び冷静に対応するハリーと違い、絶対的優位に立ち感情が昂っている所為か、ドラコはどこか感情的だった。
「はっ、そんな手には乗らないぞポッター! ドラゴンについて告げ口して、僕にデメリットがある訳ない!」
「デメリットならある。分からないのかい? ――アリィだよ」
往生際の悪さに嘲笑を浮かべていたドラコは、ハリーの言葉で混乱の淵に叩き落された。
「……どういうことだ?」
もう彼に強者としての姿は無い。憑き物が落ちたかのように、今では少し不安げな表情を見せてさえいる。未だに理解が追い付いて来ない。何故そこで天災の名が出るのか。
懸命に思考の糸を紡いでも、それは解答に辿り着く前に解れ、霧散してしまう。そんな迷える者に、ハリーは丁寧に説明し始める。
「もし君が先生の誰かにドラゴンのことを告げ口したら、そのあとはどうなると思う?」
「あの森番が処分されて、ドラゴンは学校からいなくなる」
実際には厳重注意や罰金、謹慎の類で、ハグリットがホグワーツからいなくなる可能性はゼロに近いだろう。
ダンブルドアはハグリットを残すよう尽力を注ぐだろうし、それに彼は多くの生徒達に慕われているのだから。
生徒に犠牲者が出れば監獄生きになる可能性があるも、やはり被害が出る前に対処されるのが大きい。
そのドラコが述べた可能性を肯定しつつも、ハリー達は他の展開も予知していた。
「それだけじゃない。たぶん、この話はホグワーツ中で噂になる」
ドラゴンが学校内にいたなど格好の話のタネ。話題性充分なドラゴンネタに学校の生徒が食い付く可能性は高い。
それにホグワーツ生は噂に関して非常に敏感な所がある。以上のことから、噂が生徒達に広まってしまうのは確定事項だ。
しかし、だからどうした。噛み付くようなドラコの視線はそう語っている。そしてハリーはついに核心を突いてドラコの論破に踏み切った。
「その噂の中に、もし君がドラゴンについて告発したって内容があれば、アリィはどんな反応をすると思う?」
「どんなだって? それは……」
《よくもまぁドラゴンがいるだなんて面白そうなことを黙ってたなっ!? ドラコの馬鹿!》
アリィの罵声が鮮明に再現される。容易に憤慨している友のビジョンが思い浮かんだ。
「一つ言っておくけど、本気で怒って癇癪を起こすアリィは……とにかく酷い」
口許を引き攣らせているドラコに追い討ちをかけるハリー。それに伴いハリーの表情も昔を思い出して暗さを帯びていく。
職員室占拠事件と校庭クレーター事件を思い出し、知らずの内に背中が冷や汗で濡れていた。
「なら、アリィにドラゴンのことを事前に話せば……ッ!」
「正気なのマルフォイ!? あのアリィとドラゴンを引き合わせてごらんなさい。きっと予想が付かない程の酷い事態になるわよ」
今まで交渉をハリーに任せていたハーマイオニーが咄嗟に反論するが、その判断はおそらく正しい。それこそホグワーツが半壊したり、下手したら閉鎖、なんて不測の事態に陥っても不思議ではない。
どんな最悪な結末を想像しても、その斜め上の事態を引き起こすのが天災だ。天災とドラゴンのタッグは実に千差万別な最大級のバッドエンドを迎える可能性を孕んでいる。
無数に枝分かれし、しかもその先の枝がぶつ切りにされて未来が閉ざされているかのような、とてもとても酷い結末。
アリィにドラゴンの存在を悟られるのは最大の悪手なのだ。
「だからマルフォイ。お願いだから先生に告げるのは止めて。アリィに悟らせてもダメよ」
「僕達は近い内にドラゴンをロンのお兄さんに引き渡すつもりでいる。ルーマニアでドラゴンの研究をしているんだ。だから邪魔しないでくれ」
ここには顔を出していないロンは、現在必死になってアリィを足止めしている。大広間でチェス勝負している頃合だろうが、アリィの弱さを考えればそろそろ決着が付いてもおかしくないほど時間が過ぎていた。
だからハリー達は早足に決断を迫る。
危険を覚悟してまで優位に立つか。平穏を祈りつつ黙認するか。選択を迫られ、熟考していたドラコは後者を選ぶという苦渋の決断を下す。
これが、ドラコとハリー達が不可侵条約を結び、アリィに知られないという点で協力することを約束した瞬間だった。
――そして、時はドラゴンを運び出す土曜の夜へと戻っていく。
◇◇
「ハァ、ハァ……絶対にこのツケはいつか払ってもらうぞ」
ホグワーツで一番高い塔の頂上までドラゴンを運び、ロンの兄の仲間にドラゴンの入った木箱を渡す。その作業を手伝っているドラコは階段を上りながら恨めしそうな視線をハリーにぶつける。
そんな視線に応えることすら億劫に感じるほど疲弊しているため、同じく荒い息を吐くハリーの口調はどこか投げやりだ。
「ロンが怪我をしたんだから仕方が無いだろう? それに、ハーマイオニーみたいな女の子に力仕事なんてさせられないよ」
そう、本来なら運搬作業にドラコを関わらせるつもりは無かった。
それでもこうしてアリィが側にいない隙を狙って助力を請い、協力してもらっている理由の背景には、運び手であるロンの負傷という不足の事態があった。
もし万が一、ドラゴンを運ぶのが間に合わず約束の午前零時を過ぎてしまった時、その場に誰もいなかったら色々と問題が生じるかもしれない。念のため頂上に一人は置きたいし、当然ながらドラゴンの子供を一人で運ぶなど不可能だ。ハリーとハーマイオニーだけでは人手が足りなかった。
箱と運搬者を透明マントで隠さなければならい以上、身体の大きいハグリットは当てにならない。
「ならロングボトムに任せれば良いだろう! 絶対に僕より力があるぞっ!」
「ネビルだと透明マントに入りきらないかもしれない。この箱も一緒に隠すとなると多分無理だよ」
ちなみにネビルが現在ハーマイオニーと一緒に塔の頂上で待機しているのには訳がある。
今から二時間前。この秘密の作業についての段取りを談話室で話し合っている時に、うっかりネビルに聞かせてしまったのだ。
端の方でコソコソしている二人にネビルが関心を持ってしまい、その接近に気付かなかった二人の落ち度だった。結局、人手は多い方が良いからと事情を知って協力を申し出てくれたネビルのことをドラコに伝える時間と方法も無く、ドラコがネビルの参加を知ったのは校庭と城を繋ぐ渡り廊下で合流を果たした時だった。
「止まって……っ!」
午前零時を間近に迎え、漸く長い階段を昇りきってハーマイオニー達の待つ塔のテラスまでもう少しという所で、二人の耳に聞きたくない声が入ってくる。テラス付近の銅像の影に身を伏せ、ジッとし始めた二人の目は、月明かに照らされた大人の横顔をはっきりと目撃出来た。
「ピーブスに言われて来てみれば、こんな晩くに何をしているのですか!?」
「先生……その、私達は、天文学の予習をしようと思ってここに……」
顔面蒼白。
恐怖で身を縮ませている二人に怒鳴るのはマクゴナガルだった。
話し振りから察すると夜の見回り中にピーブスに告げ口され、普段から人気の無いこの塔まで念のため足を運んでみた、という所だろう。いらんことをしてくれたポルターガイストに対する腹いせとして、今度アリィをピーブスにけし掛けてやろうと画策する二人だった。
「予習ですか、教科書等も持たずに?」
「それは……僕達、つい忘れてしまって……」
生憎と予習云々はハーマイオニーが咄嗟に吐いた嘘なため、そこまで用意周到に準備していたはずが無い。
きっと誰も来ないという希望的観測がこの事態を生んだのだ。念入りに計画を立てていたハリー達の、唯一にして致命的なミス。
視線を迷わせ、閉口してしまった二人を見るマクゴナガルの表情は、怒りと共に落胆の色を見せていた。
「……ハァ、ミス・グレンジャー、貴女には失望しました。どんな理由があろうとも、それが夜中に出歩いても良い理由にはなりません。例えそれが勉強のためでもですよ、ミスター・ロングボトム」
一瞬だけ不純異性交遊の可能性に至るも、この二人に限ってそれは無いと判断したマクゴナガルは、二人の処遇を決めるために彼女達を連れ立って研究室へと向う。三
人の姿が階段に消え、二人は銅像の影からひっそりと身体を出した。とは言っても、当然ながら透明マンとは羽織ったままだ。
「二人とも。見捨ててゴメン」
「グレンジャーには運が無かったみたいだな」
マグル出身者の中でも別格扱いし、尊敬の念すら僅かに抱いているミス・ストッパーだけを哀れんでいる当たり、ドラコのグリフィンドール生嫌いが見て取れた。
そして、その数分後にロンの兄――チャーリーの仲間だという人達がテラスに降り立ち、箒で木箱を運んで飛び去っていく。
二人を見捨てるのは心苦しいが、ここでマクゴナガルの下に行っても自ら出頭するに等しい愚行なので素早く自寮に戻ろうと踵を返す直前、
「ほう、これは珍しい組み合わせだ」
――背後から、フィルチの声が聞こえてきた。
「こんばんは、規則破りのお二人さん」
意地の悪い目で呆然と佇むハリーとドラコを眺め、卑屈そうな笑みを浮かべるフィルチ。見付かったことを嘆くべきか。それともギリギリ受け渡しを終わらせる事が出来たのを喜ぶべきか。
腹の中で渦巻く複雑な感情しか二人は持てなかった。
◇◇
「まったく、一晩に四人もの生徒が夜中に校内をうろつくなど前代未聞です! いったい何を考えているのですか!?」
深夜の研究室でマクゴナガルの怒声が飛んだ。
二人だけだと思っていたのに、更に二人も規則破りが追加されたのだ。
マクゴナガルは今まで見た事が無いほど激昂している。研究室に向う途中に偶然出会ったフィルチに事の次第を伝え、念のためテラスへ向うよう進言したが、まさか本当にこれ以上規則破りがいるとは思わなかったに違いない。
「それで、いったいどうして貴方達は出歩いていたのですか?」
その問い質す視線は主にハリーとドラコに向けられている。寮間の確執が取り払われてきているとはいえ、獅子寮と蛇寮の生徒が深夜に行動を共にしていたのは、どう贔屓目に見ても異質に思えて仕方が無かったのだ。それが教師陣の中でも有名な犬猿の仲で知られる二人なら尚更のこと。
「ドラゴンです! 僕達ドラゴンを運んでいたんです!」
罰則や寮の失点とアリィの怒り。どちらを取るか天秤に掛けた結果、ドラコはアリィの怒りを買う選択を取る。
正直に話せば失点等が無くなるかもしれない。そう淡い期待を込めたドラコの主張に、放課後のやり取りを知らないネビルも勢い良く頷いた。
その二人の反応に舌打ちをかましたいハリーとハーマイオニーだが、ハグリットや自分達よりも自寮へ掛ける迷惑を気にするのは仕方が無いと、無理やり納得して気持ちを自制してみせる。巻き込まれた二人にとって、これは当然の選択なのだ。
それに冷静に考えてみれば、もうドラゴンは引き渡した。つまり作戦は成功した。
ハグリットの性格を考えれば善意の協力者が自分のせいで罰則を食らえば減刑のために自首することくらい簡単に予測出来る。
故に見つかってしまった時点でドラゴンの事を話しても問題ないはず。
ここまで二人は瞬時に計算して見せた。しかし、
「下手な嘘はおよしなさい、ミスター・マルフォイ。もし仮に、本当にドラゴンがいたのなら、何故この場にミスター・グリフィンドールの姿が無いのです?」
『うぐっ』
――グゥの音が出ないほどの完璧な反論。
そう、もし本当にドラゴンが居たのなら、この四人と仲の良い彼の天災がこの場にいないのは可笑しい。彼の性格を考えれば、何が何でも首を突っ込むはずだからだ。客観的に物事を見れば当然の理屈に、ハリー達は反論の術を失ってしまう。もし自分達がマクゴナガルの立場なら、アリィがいない次点で絶対に信じない。
しかし、それでもハリーは言わずにはいられなかった。信じてもらえないのが我慢ならなかった。
「マクゴナガル先生! お言葉ですがよく考えてください! アリィとド
ラゴンを引き合わせたらどうなるかぐらい、先生ならお分かりになるはずです!」
「うぐっ!?」
今度はマクゴナガルが喉を引き攣せる番だった。思わず納得しかけて罪を帳消しにしかけるが、しかし最後の理性がストップをかける。
「…………なるほど、確かに納得です。ええ、むしろ英断だといえるでしょう」
「それじゃあ」
「しかし、校則を破っ確かに事には変わりありません」
マクゴナガルは情け容赦なく四人を奈落に突き落とす。本当にドラゴンがいた可能性が浮上してきたが、だからこそ罰則の手を緩める訳にはいかない。いや、それ所かより厳しく処断しなくてはならないだろう。
「全員、一人ずつ五十点減点。それに処罰します」
――後にハグリットはハリー達が捕まったことを知りマクゴナガルの下へ出頭して事の顛末を説明するも、ハリー達に課せられた罰則は覆されなかった。
それは夜間を出歩いていたことに対する罰ではなく。教師達を頼らず自分達だけでなんとかしようとした蛮勇を咎められてのこと。ドラゴン――それも今回運搬したノルウェー・リッジバック種は、牙に猛毒を持つ事からも分かる通り非常に危険な生物だからだ。
いくら赤子でもその危険性を無視出来ない程に彼等は危険。
もうこんな危険な行為をさせないためにも、そして教師陣を信頼して頼らせるためにも、教師達はハリー達の優しさを評価するも心を鬼にして罰則を下す。
ハリー達への罰則は禁じられた森の見回りを命じられ、ハグリットは数日間の謹慎処分と数ヶ月の減俸に、ドラゴンの卵を違法で所持した咎で罰金。
これが、散々頑張った挙句に引き起こしてしまった、ハリー達の報われない成果だった。