ハリー・ポッターと魔法の天災   作:すー/とーふ

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第九話

 グリフィンドールの談話室は静まり返っていた。突如響いた身の毛もよだつ悲鳴に全員が耳を塞ぎ、ゴボゴボと沸き立つインクから目を逸らせずにいる。その状況が混乱に拍車を掛け、訳が分からなかった。

 渦中にいる筈のアリィやハーマイオニーでさえそうなのだ。インクに塗れる一匹の蛇。そして壁に寄りかかり崩れ落ちそうになるジニーに、二人は暫し呆気にとられ、放心から抜け出せずにいた。

 けれども頭が真っ白になろうとも事態は進む。カーペットの上に投げ出された壊れ逝く日記が闇のように黒いインクを吐き終わるまで、彼等の時間が進む事は無かった。

 

「ちょ、なにやってんの伝次郎!?」

「ジニー!?」

 

 静寂を打ち破ったのは二人の言葉。アリィはジニーを心配そうに見つめた後、黒く汚れてオロオロしている伝次郎に注意を向ける。ハーマイオニーは壁に寄り掛かりぐったりしているジニーの元へ走り寄り、必死に呼びかけていた。

 

『ご、ごめんっ! 僕、こんなつもりは……』

 

 そして皆が例外無く混乱している中、一番慌てているのは伝次郎だろう。声に混乱と謝意が宿る。態とではない。彼にとっても予想外な出来事である事を、蛇語を理解するアリィだけが察していた。

 故に彼は『分かってるから大丈夫』と力一杯頷くのだ。

 

(なんとかしなくちゃ!)

 

 神妙な面持ちで袖の中から紫壇の杖を引き抜くアリィ。

 家族の尻拭いを決意する少年は、今までに無いほど真剣に呪文を紡ぐ。

 

「スコージファイ! レパロ!」

 

 変化は劇的だった。洗浄呪文でベタベタになるほど浸っていたカーペットの黒い染みは溶ける様に消え去り、黒一色だった伝次郎の顔も綺麗な暗緑色の光沢を取り戻す。修復呪文で傷口が捲れ上がっていた日記の穴も塞がった。

 しかし、それだけだ。

 

「あぁ、やっぱりダメか」

 

 手に持つ日記は牛革カバーの見た目通りずっしりと重い。見た目だけなら元通りだが、それでも少年の表情は暗かった。

 外見や状態は直せても魔法的なモノまでは直せない事を去年のクリスマスに学んでいるからだ。

 

「ジニー! 大丈夫なの!?」

「ジニー!?」

 

 獅子寮生に囲まれる中、完全修復の方法を必死に模索しているアリィの意識に二人の声が潜り込む。一人は当然ハーマイオニー。もう一人は大事な妹の異変に駆け付けたロンだ。

 ハーマイオニーは正面から俯くジニーに声を掛け、同じくロンも心配そうに肩を揺らす。

 すると、ジニーはゆっくりと顔を上げた。焦点の合っていない瞳にも次第にだが光が灯る。

 談話室内が安堵の声に包まれた。

 

「だ、大丈夫……ちょっと立ち眩みが……」

 

 額に手をやり、頭を振りながらゆっくりと立ち上がるジニー。ロンの手を借りて周囲を見渡す彼女は、何故自分が皆に囲まれているのかと疑問に思い、そして真正面で項垂れるアリィの手を見て全てを思い出す。

 ジニーの表情が先程とは違う意味で青褪めた。

 

「……トム? そうだわっ、トムは!?」

 

 ヒステッリクに叫ぶジニーは周囲が見えていないようだった。ロンの静止も無視してアリィに詰め寄ると日記を奪い取ったのだから。普段の彼女なら、こんな荒々しい行動に出る筈もない。つまり彼女はそれほど動揺しているという事で。何度もトムと連呼する姿からは悲壮感が込み上げた。

 

「ご……ごめんジニー……大事な本を……ごめんなさい」

『ごめんなさい』

 

 頭を下げるアリィは痛々しく思えるほど小さくなっている。その姿に周囲の野次馬は衝撃を受けた。

 あの天災が真摯に謝罪している。

 そのこと自体は意外でもなんでもない。彼の性格を考えれば当然だろう。

 しかし守護神に叱られるギャグめいたいつもの展開とは掛け離れた光景に、皆はあてられたのだ。

 

 頭を下げ続けて微動だにしない天災と蛇。心配そうに囲む野次馬。その野次馬を掻き分けてテーブルに近付き、そこにあった羽ペンで一心不乱に日記へ文字を走らせるジニー。眉間に皺を寄せ、考えに集中するハーマイオニー。

 故に彼等の中で行動に移せるのは、一人しかいない。

 

「ジニー、いったい何がどうなってるんだ? 僕にも分かるように説明してくれ」

 

 ある意味関係者でもあるロンは誰かに呼び掛けている妹へ遠慮しがちに声を掛けた。

 思わず躊躇ってしまうほど鬼気迫る表情だったジニーは、ロンの問いに魂の抜けた調子でゆっくりとだが説明し始めた。

 

 夏季休暇の頃から日記に宿る人格と筆談していたこと。

 彼がとても優しく、聴き上手で話上手だったこと。

 最近、調子を崩すだけでなく記憶障害に陥っていたこと。

 夢遊病者の様に意識の無い状態で徘徊していた形跡があったこと。

 そして、その原因が日記にあるのではないかとアリィ達が考察していたと話した時点で、ロンの怒りが爆発した。

 

「なっ、何を考えてるんだよジニー!? パパが僕達に口を酸っぱくしていつも言っていただろ!? そういった何処に脳みそがあるのか分からないのに意識を持っている道具が一番危険なんだって!」

 

 父親の職業柄ウィーズリー家は魔法具について造詣が深い。その利便性だけでなく危険性も教育されているロンにとって、ジニーの行動は信じられないものだったのだ。

 妹の迂闊さにロンは憤る。そしてジニーは、それで黙っていられるほど大人しい少女ではない。一方的に責め立てる兄にジニーも直ぐに反発した。

 

「でも、トムはあたしに優しくしてくれたわ! 友達だったのよ!」

「優しく!? そんなの、お前をどうにかするための懐柔策に決まってる! 悪魔は甘い言葉で獲物をおびき寄せるんだ!」

「え、ロン! 悪魔って実在するの!?」

『アリィ、今は自重して!?』

「ごめんなさいっ!」

 

 再び頭を下げる天災には目もくれない。衆人環視で兄妹喧嘩を繰り広げる二人を止める者はいなかった。

 ただ一人、学校が誇る秀才を除いて。

 

「でも、ジニーはその日記が原因で体調を崩していたのよね?」

「……え?」

 

 ジニーだけでなく皆の視線が集中する。今まで沈黙しながら考察を続けていたハーマイオニーの目を見れば、その考えに絶対の自信がある事を全員が悟った。

 そしてこの学校には彼女の意見を蔑ろにする者など存在しない。彼女の意見は全て傾聴し、意識に留めておく価値があると認識している。それは、ハーマイオニーが多くの人から信頼されている証だった。

 

 第三者からの介入に兄妹の勢いは一先ず沈静化。ロンはバツが悪そうに、しかし舌打ちをするほど不機嫌になりながら顔を逸らし、逆にジニーはハーマイオニーから目を逸らせずにいる。

 冷静になってきた妹分を刺激しないよう、ハーマイオニーは優しく語りかけた。

 

「ジニー、自分自身の事に気付いていないの? あなた、立ち眩みの前よりも顔色が良くなっているのよ。身体の調子も良くなっているんじゃないかしら」

「そういえば……」

 

 今までの体調だったのならここまで大声を張り上げて口喧嘩など出来はしない。一度倒れかけてからは心がやけにすっきりし、身体が軽い事に漸く気付く。鉛を飲んだような倦怠感は既に無く、この晴れ渡るような爽快感は、まるで浸食していた汚染が綺麗に消え去った様で――、

 

 これでは、日記が原因だったのだと言っている様ではないか。

 

(そんな、まさか本当に)

 

 愕然とするジニーだが、再度掛けられた言葉に、知らぬ間に俯いていた顔を上げた。

 

「自覚はあるのね。なら、その本が原因の可能性は高いと思うわ」

「でも……っ!」

「もちろん、そのトムという人物が話通りの人格者であるという可能性も否定出来ないわ」

 

 ハーマイオニーはジニーの主張も認めた上で、しかしそんな事はありえないと目で訴えながら反論を封殺した。

 そして、ジニーも本当は気付いていた。

 少なくともハーマイオニーの考えは筋が通っている。否定する要素は何処にもない。ただ、認めたくないだけだったのだ。

 あの青年との楽しいひと時は、確かに存在したのだから。

 

「……アリィ」

 

 しかし、そんな矢先。

 ジニーは未だに頭を下げているアリィを見て、心が締め付けられた。

 彼の天災は見ていて痛々しいほど罪悪感を覚えている。

 彼をこのままにしておいて良いのか。もしかすれば命の恩人かもしれない人物をこのままにしておくのか。

 大事な友人より、よく考えれば人間味の無いほど完璧で妖しい人物/物を、犯人の可能性が濃厚な方を優先する必要があるのか。

 そんなこと、無いに決まっていた。

 

「アリィ、お願いだから顔を上げて」

 

 優しい穏やかな声に、アリィは頭を下げたまま腰を九十度も折って謝罪する。

 

「ジニー、ごめんなさい! 伝次郎も反省してるから許してください!」

「許すも何も怒ってないわ」

 

 ここで初めて、アリィは伝次郎と一緒に頭を上げ、優しい目をして微笑を浮かべるジニーを見上げた。友人の妹の浮かべる笑みはどこまでも清らかで、悪夢から醒めたように晴れ渡っている。しかし同時に儚げな雰囲気を見せるのは、きっと自分の馬鹿さ加減に呆れている自嘲の表れなのだろう。

 

 ジニーの声は、先程までとは違う意味で震えている。

 

「ハーマイオニーの言う通りよ。あたしの体調が良くなったのは事実だし……記憶が無いのも、身体中が汚れていたのも……トムがやった可能性が高いって、あたしでも分かるもの。きっと、あたしの身体をトムが操っていたんだわ」

「でもトムはジニーの友達だったんでしょ!? もしかしたら良い人だったのかもしれないじゃん!」

 

 ここまできて犯人の可能性が濃厚な人物を庇うのがジニーではなくアリィなのは皮肉かもしれない。基本的に人を疑う事をせず、誰にでも善い部分があると信じてやまないアリィだけが日記の無実を主張した。

 なにか証明できるものがほしいと、アリィは切に願う。

 彼も九割以上の確率で有罪だと考えているが、その残りの可能性をどうしても切り捨てられずにいた。

 縋る様に周囲を見渡し、何人かには視線を外されながらも頭を働かせた結果、

 

「アリィ?」

「おい、どうしたんだ。いったい」

 

 急に虚空を見つめて動きを止めたアリィに、ハーマイオニーとロンは心配そうに声を掛けた。

 ブツブツと呟く姿に恐怖を覚えながら近寄り、肩を叩く。

 そして、それを合図にアリィは行動を開始する。

 今までの暗い雰囲気は一切感じられない。光明を見出したと笑顔で示すアリィは、机にあった日記を勢い良く引ったくると大事に抱え込んだ。

 

(きっとあの人ならやってくれる!)

 

 そう、自分でどうにも出来ないのなら、他の人を頼れば良いのだ。

 幸いにもこの学校には自分よりも博識な人物がいるのだから。

 

「待ってて! ダンブルドアなら本を直せるかもしれないし、何か分かるかもしんない! ちょっと訊いてくる!」

『アリィ!? ちょっと待ってよ!』

 

 人垣を掻き分けて入口へ向かうアリィに伝次郎は大急ぎで追走した。

 幸いにも入口を潜る寸前で追い付き、ローブの裾から身体に入って胴体に巻きつく。

 そしてその時、アリィが飛び出すのと同時に入室しようとしていた一団が存在した。

 

「うわっ、……え、アリィ!?」

 

 アリィと衝突しかけたのはハリーだった。

 箒を片手に真紅のユニフォームに身を包んだハリーは遠ざかる小さな背中を目撃し、暫しその場で立ち止まる。アリィの表情。そして談話室から響く友人達の声から只ならぬ経緯を察した。

 

「あ、おいハリー!」

「どこに行くんだオイ!?」

 

 だからハリーはチームメイトの双子を無視してアリィを追うのだ。これも幼馴染としての責任感が生じた結果。

 とりあえず理由は分からないがアリィを追うハリーは、途中で肖像画や生徒達の目撃情報を頼りに追跡を開始する。

 幸いにも、アリィは直ぐに発見出来た。

 

「蛙チョコレート! フィフィ・フィズビー! ハエ型ヌガー! ハッカキャンディー! あー、もう! 合言葉が分かんないっ!」

「アリィ、いったい何があったの!?」

 

 なにやらガーゴイル像に対して菓子名を連呼するアリィへ詰め寄るハリーは、途切れ途切れの説明を繋ぎ合せ、なんとか現状を理解する事に成功する。

 とはいえ分かった事は噂のペットがジニーの大事な物を破壊したこと。それが良い物の可能性もあるし悪い物であるかもしれない。という二点についてのみだが。

 それでも大まかな経緯を知るには充分だ。

 

「だからダンブルドアに会わないといけないんだ。誰か、誰か合言葉を知ってる人……」

 

 校長室への入室を諦めたアリィは周囲を隈なく見渡すが、そう都合良く合言葉を知る教員やゴーストが通る筈も無い。

 覚悟を決めたアリィは、ベルトとポーチからそれぞれ一品ずつ引き抜いた。

 

「こうなったら像を破壊してでも――」

「ストップ! それは流石にまずいよアリィ! というより閃光弾やタバスコ銃でどうやって破壊するのさ!?」

 

 爆発魔法や粉砕魔法ではないだけ平和的かもしれないが、右手に拳銃、左手に手榴弾を持つ姿は激しく物騒である。箒を廊下に放りだして暴れる身体を後ろから羽交い締めにするハリーの手付きは手慣れたものだった。

 そして仮に今の光景を他の人が見ても『ハハ、またやってるよ』で済まされるに違いない。

 誰も廊下を通らないのを良い事に二人は騒ぐ。その騒動が止まったのは五分後だ。

 

「――ふむ、流石に破壊するのはご遠慮願いたいのう」

 

 その声に二人は振り返る。

 そして、

 

「こんばんは、二人とも」

 

 二人の背後には、気分転換の散歩から戻ってきたダンブルドアが立っていた。

 

 ◇◇

 

 そこは校内で最も高価で不思議な物が溢れる部屋だった。

 壁には歴代の校長先生の肖像画が並び、黄金の秤や古い本が卓上に並ぶ。周囲には用途が分からないまでも一目で稀少な物だと分かる魔法具が置かれ、止まり木にいる老不死鳥が小さく鳴きながら前方を――椅子に座る飼い主に説明を続ける生徒二人を眺めていた。

 

「――てな訳なんだ。これがその日記」

 

 説明には長い時間を要した。

 その間、ダンブルドアは無言を貫き、話し終えた今も視線は卓上の日記に注がれている。背表紙を撫で、ゆっくりとページを捲る老人をアリィは期待を込めた目で、ハリーは心配しながら見つめた。

 しかし日記を調べてからしばらく経ってもダンブルドアは眉間に皺を寄せたまま動かない。だから焦れて答えを求めてしまうのは当然だろう。

 

「どう? 何か分かる……あー、分かりますです?」

「アリィ、もうちょっと敬語を勉強しよう」

 

 後で最低限の礼儀を叩きこもうと決意し……そして無理だと諦めるまで五秒と掛からない。例えハーマイオニーに頼んでも無理だろうと、ハリーは胸中で溜息を吐いた。

 

「幾つか確認したいのじゃが」

 

 明後日の方向に向きかけていた意識は老人の一言で元に戻る。

 ダンブルドアはいつも柔和な笑みを忘れなかった。思慮深い瞳は幾重もの未来を見通し、その微笑みは見る者を安心させる。賢者の石の時でさえ医務室を訪れたダンブルドアは微笑んでいた。

 だからだろう。そのダンブルドアの真剣な――恐怖を覚えるほどの鋭い眼差しに、ハリーが畏縮してしまったのは。

 

「ミス・ジニー・ウィーズリーは、確かに『トム』という青年と話をしていたと言ったのじゃな? 日記に文字を書けば、直ぐにその返事が返ってきたと」

「うん」

「そして体調を崩し頻繁に記憶障害に陥っていたと。その間、彼女自身は何処かを徘徊していた痕跡がある」

「そう言ってた。排水溝を通ったみたいに身体中が汚れてたんだって」

「最後の確認じゃ。この日記を破壊した途端、彼女の体調が――」

「回復した」

 

 確認し終えたダンブルドアの吐く息は重かった。疲れたのか深く長い吐息を零し、脱力した身体はゆっくりと背もたれに掛かった。

 

「あの、ダンブルドア先生。先生は、何かお分かりになりましたか?」

 

 半月型の眼鏡の奥。疲労に満ちた表情で、しかしその瞳が笑ったように見えたのはハリーの気の所為なのだろうか。不幸中の幸い。偶然にも貴重な情報を得たと笑ったように見え、戸惑いながら訊ねてしまう。

 しかしダンブルドアはハリーの問いには答えず、日記を二人に差し出した。

 

「二人とも、最初のページは確認したかね」

 

 視線で促され、アリィが卓上の日記を手に取った。彼の肩越しに手元を覗くハリーも最初のページを目にする。古びたページに書かれていたのは、一人のサインであった。

 

「T・M・リドル?」

「あれ、この人って五十年前に『特別功労賞』を貰った人じゃん。トム・リドルでしょ?」

 

 アリィにはこの名前に見覚えがあった。

 去年とある事情から探し出し、そしてホグワーツの卒業生名簿で見つけた名前だった。

 トム・リドル。彼はダンブルドアとそう変わらない成績を残して卒業している。類まれなる優秀な生徒であった。それはもう、その記録を閲覧したアリィすらも呆れる成績だ。

 品行方正。誰からも尊敬され、その期待に応えた優等生。

 だから後に続くダンブルドアの発言は、雷撃にも似た衝撃を齎した。

 

「さよう。名はトム・マールヴォロ・リドル――ヴォルデモート卿の本名でもある」

 

 凍り付く二人に、ダンブルドアは言葉を続ける。

 

「彼は学校創設以来の天才じゃった。ああ、もちろん過去形じゃ。今は、彼よりも優秀な生徒が居るでの」

 

 アリィを見るダンブルドアの目は温かい光のようだった。

 その自分自身を抜いての評価にハリーは一言告げたくなったが、ダンブルドアが謙虚なのは今に始まった事でもなければ、話の腰を折るのも気が引ける。

 少なくとも、お茶目に微笑む老人のお陰で空気が柔らかくなったのは確かだった。

 

「見事なものじゃ。おそらく在学中に残した日記じゃろうて」

「先生、日記が意思を持つ事なんてありえるのですか?」

「魂が宿ってるってこと? それとも記憶?」

「アリィ、後者が正解じゃろう。おそらく、としか言えぬのが口惜しいがのう」

 

 記憶を抜き出す技術は存在する。例えば『憂いの篩』と呼ばれる道具は対象者の記憶を抜き出し保存する事が出来る。

 今回のものはその応用。引き出した記憶をベースに当時の人格――もう一人の自分を創造する。

 訊いた事も無い技術だが不可能ではないとダンブルドアは語り、その難易度は別としてアリィも肯定することで、ハリーはダンブルドアの推測を信じる事にした。

 

 

 

 ――本当はダンブルドアにはもう一つ仮説があり、そちらの方が本命なのだが、知るには時期尚早だと隠す事にした。

 

 

 

「……彼が深い闇にどっぷりと嵌まってしまったことは、まこと残念でならぬ」

 

 誤魔化すように呟くが、それはダンブルドアの本音であった。

 あれほどの才能を余すこと無く正義と世のために使われたのなら、どれだけの人が幸せになっただろう。少なくとも沢山の人は殺されず、今も家族と共に生を謳歌している筈だ。

 そう思うと残念でならない。

 

(……いかんな)

 

 ダンブルドアは少しセンチな気持ちになった所で叶わなかった願望を断ち切った。

 今は前を向き、来るべき未来に備えなくてはならない。

 悪を滅し、未来を担う子供たちを守るために。

 

「――ジニーは、その日記に操られていた可能性が高い。おそらく魔力や魂を糧にその日記は会話を行ない、彼女を操っておったのじゃ」

 

 ダンブルドアの調べた限り、この日記自体に魔力を生み出す仕掛けは見受けられなかった。記憶と共に破壊された可能性があるので断言は出来ないが、そう的外れな推理でも無い筈だ。

 ダンブルドアは二人の前で便箋を広げると不死鳥の羽ペンで文字を書き、杖を振るう。手紙は直ぐに閉じられ、魔法で蝋付けされた個所にはホグワーツの校章が浮かび上がった。

 

「ハリー、今すぐ彼女を医務室に連れていくのじゃ。そしてマダム・ポンフリーにこの手紙を渡して欲しい。後で儂も訪れよう」

「はい。分かりました。……それで、この事は――」

「ふむ。ご家族と、それにミス・ハーマイオニー・グレンジャーには話しても良かろう。ああ、ご両親には儂から手紙を書くのでな」

 

 僅かだが禁句さんに取り憑かれていた可能性があるのだ。誰も大げさな処置だと侮る者はいない。精密検査と同時に日記の入手経路も探らなければならないだろう。

 急いで退室するハリーにアリィは続くが、ドアを出る寸前で待ったが掛かり、天災は足を止めた。

 

「すまぬが、アリィはまだ残ってくれるかのう。一つ、訊ねたい事があるのじゃ」

 

 直ぐにジニーの調子を見たかったアリィは眉を潜めるが、その有無を言わさない視線に負けを認めて嘆息。視線で先に行けとハリーに伝え、出かかっていた身体を戻して扉を閉めた。

 そしてテーブルの前に音も無く出現した椅子に腰かけ、ダンブルドアと向き合った。

 両手を組み、顎を乗せる老人の目は、一片たりとも笑っていない。

 

「さて、アリィや。その日記を破壊した蛇というのが、いったい何者であるのかを話してくれるとありがたい」

 

 強力な闇の道具の核を破壊した蛇が、ただの蛇である筈が無い。

 身体に巻き付く伝次郎がビクッと震える。ローブ越しに大丈夫だと撫でるアリィだが、この老人を相手に誤魔化せる筈もない。

 故にアリィは、正直に話して印象を良くする事にした。

 

「あー、しょーがないか」

 

 この呟きで伝次郎も覚悟を決める。

 観念し、身動き一つしなかった伝次郎は首元から姿を現し、卓上でとぐろを巻いた。

 

『…………こんばんは。その、お騒がせしました』

「うむ。しかし、君が壊してくれたからこそ、彼女は闇の呪縛から解き放たれたとも言える。むしろ、こちらが礼を言うべきじゃろう」

 

 平然と言葉を返すダンブルドアに、一人と一匹は声を失った。

 それほどダンブルドアが行なった事は驚くべき事だったのだ。

 

「え、ダンブルドアも伝次郎の言葉が分かるの!?」

「さよう。儂は蛇語を理解する事が出来る。……まさか、アリィもそうだとは思わなんだが」

 

 吃驚して目を丸くしているダンブルドア以上の衝撃がアリィを襲った。

 世間では闇の魔法使いの証とされている蛇語使いは、あまり知られていないのだが厳密には二つに分類される。

 即ち血筋や何かで先天的に話せる者と、術者や古い文献から直接学び、後天的に習得する者だ。

 アリィや禁句さんは先天的。そしてダンブルドアは後天的である。

 蛇語が努力次第で学べる言語である事を多くの人が知らない。

 パーセルマウスが少ないという理由もあるが、蛇語使い=闇の魔法使いという風潮が、蛇語を習得している善人達の口を閉ざすのだ。

 誰だって闇の魔法使いの嫌疑を掛けられたくないのだから当然である。

 

 ダンブルドアには驚かされたが、そのまま驚いている訳にはいかない。

 今世紀最大の魔法使いの鋭い視線に生唾を飲み込んでから、アリィは伝次郎の秘密を明かし始めた。

 話すにつれ、うっすらとダンブルドアの額に汗が浮かび上がるのが印象的だ。

 流石のダンブルドアもバジリスクの登場は予測出来なかったらしい。

 

「――それで、まあ、そんな訳で伝次郎は森で見つけたんだ。種族はバジリスク」

『僕が瞳に魔力を込めなくちゃ即死の魔眼は発動しません。だから安心してください』

「……なるほどのう。確かにバジリスクの毒ならば、この日記の機能を破壊出来るやもしれん」

 

 この日記の具体的な力はダンブルドアにも分からない。知る機会は破壊と共に永遠に失われた。しかしバジリスクの強力な呪毒なら、若かりし頃の禁句さんの記憶――もしくは魂の一部が宿っていたとしても、問題無く殺しきれるだろうと確信する。

 

 そしてその情報は、ダンブルドアにとって充分過ぎるほど益のあるものだった。何故ならこれで、彼は禁句さんを完全に葬り去る切り札の一つを得たも同然なのだから。

 

 顎に携えた立派な髭を梳く傍らで、ダンブルドアは正義のためにあらゆる事を画策する。その思案する様を伝次郎の処置を考えているのだと勘違いしたアリィは、オドオドしながらダンブルドアを見上げた。

 

「でさ、その……伝次郎を部屋に置いても良いでしょ?」

「ならぬ」

 

 思わぬ即答。

 意味を理解するのに十秒を要したアリィは、肖像画の校長たちが耳を塞ぐ程の大絶叫を響かせた。

 

「えー!? 何でさ!? 魔眼はしっかりコントロール出来るのに!」

「しかし、毒を操るのは無理なのであろう?」

 

 その指摘に絶叫が止む。

 固まるアリィに降り注ぐ言葉は、幼子を宥める様に穏やかだった。

 

「万が一、という事があるのじゃよ、アリィ。この場合、最も危険なのはルームメイトであるミスター・マルフォイじゃ」

「うぐっ」

 

 魔眼と違い、伝次郎が噛んだ物には例外無く猛毒が注入される。それがコントロール出来ないのは今回の件が証明してしまった。

 

 もし、撫でる際に牙が皮膚を掠めたら。

 もし、寝ぼけて誰かを甘噛みしてしまったら。

 

 唯一の解毒剤である不死鳥の涙はいくらでも提供出来るが、毎回処置が間に合うとも限らない。解毒剤を使う状況に陥る可能性自体を減らさなくてはならないのだ。

 

「それにのう、アリィ。学校で認めておるペットに蛇は入っておらぬのじゃ」

「今さらそんな事言うの!?」

 

 危険性以外の事を今さら出されて面を食らうアリィ。珍しくツッコミを入れる側に入った少年を見て笑みを浮かべるダンブルドア。

 本当は多くの学生から『アリィだけ犬とか連れて不公平だ!』という陳情が幾つも届けられたのでクリスマス休暇辺りからペットの規則を変更する予定なのだが、お茶目な老人はしばらく黙っておく事にした。

 この老人には愉快犯な部分もあるのだ。

 

「伝次郎が温厚である事は分かったのじゃが、すまぬのう。その代わり、ハグリットに話は付けておこう」

 

 

 

 ――ダンブルドアに伝次郎を排除する気は毛頭無かった。

 制御可能なバジリスクなど来るべき決戦に備えたとしても、学校の防衛面で考えても切り札になり得るのだから。利用しない手立ては無い。

 

 ダンブルドアはハグリットを信頼しているし、それはあの森番も同じ。バジリスクという事を驚くだろうが、きっと受け入れてくれるだろう。寝床や餌の面倒も見てくれる。放課後に会いに行けば良い。

 そう告げるダンブルドアにアリィは渋面を作る。

 仕方無いと分かっていても、離れ離れになるのは寂しいのだ。

 

『良いよ、アリィ。校長先生、許可してくださってありがとうございます』

「分かってもらえて何よりじゃ」

 

 不満たらたらのアリィと違い、伝次郎は心の底から安堵していた。追放だけならまだしも、下手したら処分されると考えていたのだ。寮部屋に住めないことなど問題ではない。

 弱点である雄鶏の件もあの木箱があれば余裕でクリアだ。

 話の分かるダンブルドアに最大の感謝を表してから、伝次郎は嬉しそうにローブの中へと戻っていった。

 

「さあ、お主から訊きたいのはここまでじゃ。共に医務室へ行くとするかのう」

 

 

 

 ――そして今後も日記に関する調査を続け、その結果をアリィにも伝えると約束したところ事で、秘密の会話は終わりを迎えた。

 

 促されるように退室し、共に医務室へ向かう傍ら。

 アリィは一つの事を決意する。

 

(絶対に安全面をクリアして一緒に住んでやる)

 

 

 

 ハロウィンのイベントも忘れ、アリィの頭の中はそれ一色となるのだった。

 

 

 

 




ダンブルドアが蛇語使いなのは公式設定みたいです。

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