彼――いや、彼等は窮地に立たされていた。
元々分が悪い賭けであることは彼等にも自覚がある。それでいて尚、目的のために緻密な計画を積み重ね、幾重もの修羅場を潜り抜け、漸くここまで辿り着いた。
彼とその主人が是が非でも手に入れようとしているものはホグワーツに存在する。その物を守るのは各教師であり、それぞれが強力な魔法なし罠を仕掛けて厳重に守護しているが、彼も教師の一人なため情報を集めるのは容易い。
その中で唯一情報を入手出来なかったのが第一の関門であり、扉を守る何か(怪物)についてだった。
(何がアレを守っているかを調べるつもりだったが、何がペットだ! まだ三頭犬の方がマシだ、くそッ!)
あのイレギュラーの所為で難易度が跳ね上がってしまった。怪物について調べるのと罠について調べるのでは勝手が大分違う。
後者の方が遥かに時間が掛かり、それでいて見た目から判断出来ないため対抗策を練るのが難しいからだ。
しかも罠を仕掛けたのはホグワーツ史上一の天才と名高いあの少年。魔法と科学に精通する麒麟児。
どのような罠か想像も出来なかった。
(それでも……やるしかない)
既に賽は投げられた。今更後戻りは出来ないし、するつもりも無い。
全てはご主人様のために。
全てはご主人様から絶対の信頼を得るために。
彼はご主人様と共に計画発動日を待つ。
おそらく今世紀最大の天才が作る、最凶最悪の罠の詳細を調べるために。
◇◇
ホグワーツの新学期が始まってから一ヶ月が経ち、新入生も学校に慣れ親しんできた頃だ。
時間によって動く階段も、ある一定の行動を取らなければ開かない扉も、最初は戸惑ったが今はもう熟知している。
そんな新入生の一人であるアルフィー・グリフィンドールは、真っ暗闇の夜にポツポツと窓を打ちつける雨音をBGMに、ベッドの上で大量の羊皮紙を見比べている。
「ハロウィンまであと数週間。それまでに最適な調合比率を見つけなくちゃ」
それに調合場所を確保するのも容易ではない。
誰にも見付からずそれなりのスペースを確保出来る場所。教室のように誰かが訪れるような場所ではなく、普通なら決して近付かない最適な空間。
以前ゴースト捕獲用の網をゲットした部屋が候補に上がるが、あれ以降部屋が開くことは無かったので諦めるしかない。
作業開始は夢の作業場を見つけてから。それまではこうしてデータや計算式と睨めっこの日々だ。
「あ、そっか。この分量だともう少し多くした方が良いかも。そうなると――」
「アリィ! ブツブツ言ってないでコイツをなんとかしろ!」
スリザリン寮の自室にいるのはアリィとドラコ。そして、数日前に同居人となったとある生き物。
校長と取引を交わし、ハグリットと交渉を終えて手に入れた、魔法界でも稀有な存在。
三つの頭を持つ黒犬。地獄の番犬と異名を持つ強力な魔法生物――ケルベロスのグレートポチ太郎は、ドラコに飛び掛って尻尾を振っていた。
「良かったなぁポチ太郎。ドラコが遊んでくれて」
「お・そ・わ・れ・て・い・る・ん・だっ!」
十メートルの巨体もアリィの掛けた収縮魔法の力により今はその体長を十分の一にまで縮めている。
ドラゴンと同じで強い対魔法力を持つケルベロスに長期効果の及ぶ魔法を掛けたアリィの力は、もはや並みの魔法使いの腕を凌駕していた。
「んなオーバーな」
ケラケラ笑う幼い発明家を見上げるドラコの目は必死だ。
顔中を涎でベトベトにしながら不満の声を漏らそうとした彼は、再び飛び掛ってきた三匹の波状攻撃に屈服せざるを得ない。
「ほら、じゃれてるだけだって。襲われてたら今頃ドラコは肉片だよ、肉片」
「それは笑顔で言うことじゃないっ!?」
事実、世にも珍しい三頭犬はドラコに懐いて構ってもらいたいだけだった。それは鋭い牙で噛み付くこともせず、尻尾を限界まで振り続けている様からも窺える。
今アリィは動物除けのアクセサリーを身に付けていない。『動物好かれ』のアリィは現在、ホグワーツ一の魔法生物調教師なのだ。
本来なら性格の荒い三頭犬も今は主人が大好きな大型犬に過ぎず、主人の嫌いなことをポチ太郎がするはずもない。また事前に行っていたハグリットの調教により命令が無い限り生徒を襲わないよう教育を受けていたポチ太郎がドラコを襲う可能性はゼロに近かった。
その事を知らないドラコの心労は如何程のものなのだろうか。
「きっと選抜に落ちたドラコを慰めようとしてるんだって」
「蒸し返すのは止めてくれないかっ!? ……しかし、僕に実力が無いって訳ではない。今回はたまたま、そうたまたま調子が悪かっただけだ! そうに違いない!」
クィディッチ代表選手に一年を加えると言ってもそれで弱くなっては本末転倒。必要なのは先輩方を差し置いて力を発揮出来る猛者であり、それ以外は必要無い。
結局スリザリンでは選抜試験の結果、一年を登用することは無かった。
「常に実力を発揮出来なくちゃ意味が無いんじゃない?」
「うるさいぞアリィ。クソッ、ポッターの奴が選ばれて。僕が選ばれないだなんて……っ!」
どうもハリー・ポッターは選抜試験抜きでマクゴナガルの推薦で登用された、という噂が生徒間で持ち切りになっている。
今年から制度が変更されたのも、一年のハリーを代表選手に入れたいがためにマクゴナガルが無理やり校長を説得し、制度を捻じ曲げたという専らの噂だ。
「ふんっ、しかしこれはグリフィンドールの選手層が薄い証拠だ。何故なら、ポッターを採用するくらい奴等は切羽詰って……うわっ!? こら、止めろ、この駄犬っ!」
「しょーがないな。大人しくしてなさいポチ太郎。『スコージファイ 清めよ』」
仕方が無いので三頭犬を招き寄せるアリィ。尻尾を振りながら形見のペンダントにじゃれ付く犬をやんわりと宥め、頭を順番に撫でてから杖を一振り。ドラコの顔を綺麗に清める。
飼い主と飼い犬のじゃれ合いを見詰めるドラコの目は徒労に満ちていた。犬を飼いたいというアリィのお願いを受け入れた昔の自分を笑ってやりたい。……まあ、犬=三頭犬の構図を見抜ける奴は早々いないので、ドラコに非が無いのは明白だが。
「アルフィー」
ふいに部屋の扉が開く。
深く、それでいて重い印象を受ける男性の声。
スリザリン寮の寮監セブルス・スネイプが生徒の部屋を訪れることなど過去に無く、ドラコは緊張で背筋をピンッと直立させた。
「はいはい、どしたの寮監」
構って欲しそうにクゥ~ンと鳴く愛犬に後ろ髪を引かれつつ、扉に近寄るアリィの声は軽い。あのスネイプに友人のような調子で声を掛ける生徒など彼一人に違いない。
その馴れ馴れしい態度にスネイプは眉根を寄せた。
「言葉遣いを改めろと何度も言ったはずだぞアルフィー」
「はーい。それで、どうしたでありますかスネイプ先生?」
軍人のように敬礼するアリィに内心で溜め息を吐き、彼は場所を変えようと進言してから部屋を出る。アリィが彼の後を追い、辿り着いたのはスネイプの研究室だった。
壁に並ぶ無数の棚には様々な魔法薬が並び、薬草棚にはぎっしりと薬草が詰め込まれている。
小さなキッチンの近くにポットとティーカップを発見し、椅子に着席する前にアリィはポットを手に取った 。
「先生紅茶は?」
「……貰おう」
まるで自室のような気軽さでティータイムの準備を進める彼を、スネイプは冷静に分析する。
常人とは違う思考回路を持っている稀代の天災。生徒からある意味恐れられている自分に気後れすることなく、どこまでも地を往くマイペースな少年。
そのぶれない心は、時として何物よりも強き力となることをスネイプは知っている。
彼の闇の帝王でさえ、彼を篭絡することも惑わすことも出来ないに違いない。
少年の在り方は、まるで太陽。闇に堕ちた住人さえも照らす善の光。あの生き残った男の子と同じで闇の帝王の対極に位置する存在。
喜々として紅茶を淹れる彼の無邪気さは、スネイプにとっても眩しく映る。
故にスネイプは授業態度やトラブルメーカー振りを抜きにしてアリィのことが苦手だった。自分とは決して相容れない存在なのだから。
湯気と香りの立つカップを運んできた所で、重要な話が切り出された。
「アルフィー、校長は君が閉心術を学ぶことを望んでおられる」
「閉心術って、あの?」
閉心術とはその名の通り心を閉じる魔法だ。相手の心を暴き、記憶を覗く『開心術』に対抗する唯一の手段。
「君は大変危険で重大な秘密に首を突っ込んだ。あの罠の詳細を知るのは君と校長のみだが、それを君から奪おうとする輩が出るかもしれない」
「だから閉心術か。りょーかい」
それは当然の処置だった。盗人にとって一番の難問はどう考えても最初の関門に他ならない。
もし守っている物を盗もうとするのなら、盗人は必ず罠を仕掛けた本人に接触する。校長と生徒では、圧倒的に後者から情報を抜くことの方が容易なのだから。
「じゃあ今から図書室行って勉強か。しょーがないけどやることが増えちゃったなぁ」
「その必要は無い。我輩自ら閉心術を伝授してやろう」
スネイプは魔法界でも数少ない『開心術士』であり『閉心術士』。教えを請うならこれ以上のカードは無いだろう。
早速、個人レッスンが開始される。
「今から我輩が開心術を使い心を暴こうとする。それを君は全力で防ぎたまえ」
「方法は?」
閉心術には呪文が存在しない。そして閉心術を成功させる上で一番大事なのは確固たる意思を持つこと。
絶対に心を覗かせない。心を開いてたまるかという強い意思。心を閉じるイメージを持ち、相手に自分を曝け出さないと強く想う。
その意思が強ければ強いほど、術者の魔力と潜在的な能力が高ければ高いほど、閉心術は強く作用する。
マグル風に言うなら一種の自己暗示だ。
「方法は問わない。盾の呪文を唱えるも良し。強く願うも良し。とにかく、我輩を心に侵入させないことだ」
「アイサー。いつでもどうぞ」
席から立ち、杖を構えるアリィはどこまでも自然体。失敗すれば身の内を曝け出すというのに、少年は心を揺らさない。
「いくぞ。三、二、一……『レジリメンス 開心』」
杖から放出された不可視の力が心を侵す。
少年の過去――その昔、かの偉大な発明家が幼い孫に杖を向ける姿がスネイプの脳内に投影される、その寸前――、
「嫌だッ!」
少年の意志が言葉と共に放出され、過去が暴かれる前に心を閉ざすことに成功した。
果たして、この過去が明るみにならなかったのが正しいことだったのか。一つ言えることは、少年は自らの知らない記憶を知る唯一の機会を失ったという点のみ。
「ふぅ。これで良いの?」
「……ああ、見事だ」
まさか一発で成功させるとは。しかし、彼の常人離れした魔法素質を考えれば、これは必然なのかもしれない。
難解な閉心術を一度で完璧にやり遂げた少年を、スネイプは畏怖にも似た念を込めて見下ろしていた。
スネイプ先生の楽しい閉心術講座~これで君も閉心術士だ!~
開始三分で卒業。
◇◇
「よし、完成!」
「何なのそれは?」
ハロウィンを明後日に控えた今日。授業後のトイレで聞こえるのは二人の会話。
一方は普段使われていない女子トイレに胡坐をかき、先程から魔法薬の調合を行っていたアルフィー・グリフィンドール。
もう一人は彼の後ろから覗き込む銀色の霞。この女子トイレに住む眼鏡少女のゴースト『嘆きのマートル』だ。
ゴースト捕獲事件でアリィを恐れている一人であったマートルも、当初は逃げ出していたが彼が無害と分かるや否や、こうして積極的に話をするようになっている。誰も訪れない女子トイレに住む彼女としては、話し相手が現れるのは喜ばしいことだったからだ。
「これ? 俺お手製オリジナル魔法薬第一号」
得意気に鍋の中身をお玉ですくい、ガラス瓶に満たされたのは緑色の液体だった。
しかしそれは不快感や喜色悪さを煽る類の暗いドロドロとした色ではなく、若草のように瑞々しい薄い緑。
「あとはこれをお菓子に混ぜるだけ。明後日が楽しみ楽しみ」
嬉しそうに小瓶を揺らす彼の周囲には様々な調合機材や材料が乱雑に置かれている。
マートルがいるこの女子トイレを訪れる者はいない。だからこそ、ここは秘密の実験場であり、機材や材料の保管場所であった。
そんな幼い発明家の簡易実験場に訪れる者達が現れる。数は三。何れもアリィと志を同じとする彼の同志達。
「「アリィ!」」
「来たぞ同志よ!」
鞄を両手に持つ双子とリーが、楽しそうな笑みを浮かべてアリィの側まで歩み寄った。共に作業を進めるためだ。
三人の参戦に満足そうに頷いて、アリィ(計画立案者)は大仰に立ち上がる。三人を見る目に乗せるのは、絶対の信頼。
「じゃあ俺は今から試作品を作ってくるから。調合表はそれね」
「オーケー。量産は任せろ兄弟」
フレッドが親指を立て、残りの二人は早速作業に取り掛かっている。
持ってきた乾燥薬草の類を刻み、擂り潰し、慎重に秤で測るのを一瞥し、アリィは出口へと足を進める。
しかし、それも背後からの声に立ち止まることになったが。
「っと、悪いアリィ。ちょっと見てもらいたいブツがあるんだ」
そう言ってジョージが懐から取り出したのは古ぼけた羊皮紙だった。何重にも折り畳まれて黄ばんだ様子から、それが少なくとも十年単位の年月を経ている事が分かる。
一見ただの羊皮紙であり、アリィは首を傾げた。
「何それ」
「以前フィルチからパクったんだ。多分なんかの道具だと思うんだけどよ、いっくら調べても用途が分かんなくて困ってんだ」
「そっちが調べて分かんなかったのを俺が分かる訳ないじゃん」
確かにアリィは天才発明家だが、それはまだ未来のこと。魔法界入りを果たしたばかりのアリィは知識が偏っており、オールマイティーに物事に精通しているとは言い難い。
理論の構築と理解、発想力は現時点でも優れているが、機械やカラクリとは勝手の違う魔法具の分析に関してはまだ双子達に一日の長があった。
「本当に何も分からなかったん?」
「ああ。一度文字が出てきたんだけどよ、何故か『経験が足りない』って叱責されちまった」
「……今度ドラゴン退治にでも行く?」
「命が幾つあっても足りないってーの」
結局、経験不足の意味は分からず仕舞い。そしてフィルチの戸棚から拝借した羊皮紙の素晴らしさを知る事になるのは、来年になってからだった。
◇◇
待ちに待った十月三十一日。
この日は夜にハロウィンパーティーが開かれるため生徒達は浮き足立っている。それは各教員にも言えることなのだから、どれだけの人が夜を楽しみにしているかが窺えるだろう。
そしてこの日の授業は全て半ドン。つまり、金曜と同じで午後は全部休講を意味する。
夜を楽しみにし、早くパーティーが始まれば良いと願っている者に混じり、一人の少年は厨房付近の絵画の下に座っていた。
この絵画の住人は『双子の花屋』。ハッフルパフ寮の入り口を守る門番だ。
「……そっか、こうやれば良かったんだ」
「あら、何か思い付いたのかしら?」
「うん。インスピレーションが沸いた。ありがとね二人とも」
「「どういたしまして」」
新たな発明品のアイデアが思い浮かび、アリィは双子の女性に微笑ましく見られながら一心不乱に手帳に書き込む。
本来の目的も忘れ、それはもう手が霞む勢いで手帳にペンを走らせた。
それを見守るのは双子の絵と、そして、
「ほら、やっぱりあの子よ」
「ホントだ。噂の天災君が誰かを待ってるのか?」
「アリィっ!?」
いつの間にかハッフルパフ生が集まっており、その中の一人の声に反応し、アリィが顔を上げる。数人の友人と共にどこからか帰ってきたらしい友人に、アリィはニカッというと擬音が聞こえてきそうな顔で笑いかけた。
「はい、セドリック」
「や、やぁ、アリィ……いったいどうしたんだ?」
アリィが笑いかけ、そして半歩下がって顔を引き摺らせている男子生徒の名前はセドリック・ディゴリー。
アリィより二学年上の、灰色の瞳を持つハンサムな青年だ。
いつもは寡黙で冷静な彼がここまで狼狽するのを見たことが無く、友人達は揃って首を傾げている。
「待ってたよセドリック。誰かに呼んでもらう手間も省けて良かった」
「そ、そうか」
とても血色の良い肌を見せるアリィとは対照的にセドリックの顔は青白い。
アリィがセドリック・ディゴリーと出会ったのは夏休みのダイアゴン横丁。その時のことを思い出し、セドリックの身体は小刻みに震えだす。
親切心からアリィを助け、そしてトラブルに巻き込まれ、尻拭いまでされた彼。
あの夏の出来事は、辛いことばかりでは無かったもののしっかりとトラウマとして脳裏に刻み込まれていた。
彼の眼に、アリィは天使ではなく悪魔のように映っていることだろう。
「さて問題です。今日は何の日でしょう?」
「…………………………ハロウィン、であってるよな?」
警戒心剥き出しで答え、「正解!」と拍手を貰うセドリック。一挙一動が子供っぽく、その姿を見て癒されている友人達のように振舞えればどんなに良かったことか。
彼は初めて出会った時の、まるで世話の掛かる弟を見るような目は、もう一生出来ないに違いない。
「ということで、はい。お菓子をあげよう。寮の皆で食べて」
手渡されたのはバスケット一杯のカップケーキだった。
一口サイズでふんわりとした生地から匂うのは柑橘類の香り。
彼の料理の腕前は蛇寮や獅子寮から彼らにも伝わっており、友人達は美味しそうなカップケーキを宝物を見る目で、そしてセドリックは起爆三秒前の爆弾を見るような目で胡散臭そうに眺めていた。
「……………………ありがとう」
どんなに怪しくても受け取ってしまうのは彼が心優しいハッフルパフ生である所以。
渡すものも渡し、アリィは直ぐさま走り去ってしまう。
獅子寮と鷲寮は双子とリーが、蛇寮と穴熊寮はアリィが担当。
十月三十一日午後十四時。こうして全ての種はばら撒かれた。あとは悪戯という名のゲームが芽を出すのを待つばかり。