そこは、穏やかな風が吹き抜ける静かな入り江だった。
昼は強い日差しに照らされ、夜は静寂と宝石を散りばめたかのような星空に覆われる。
海には色とりどりの珊瑚と魚、森には新緑の木々と鮮やかな鳥たち。
そして真珠のような艶を放つ砂浜。
その入り江にひとつの影がある。
烏の濡羽を連想させるかのような美しいローブをまとった男だ。
日差しによって虹色を帯びる白い長髪。
満足気に前方を見つめる唐紅の瞳。
男はとある戦争が終結したばかりの国を後にしてシンドリアの外れにあるこの場所へと戻ってきた。
伝統ある魔法学校の教師を務めた魔術師だったが、全てを見届けた直後、周囲の引き止めの言を全て受け流し姿を消した薄情者。
名を『リアン・ファルク』という。
リアンは軽やかに砂浜を歩いていく。
入り江の末端に近づけばそこには質素ながらも最上級の材質で建てられた小さな小屋があった。
慣れた手つきで錠を開け扉をくぐる。
途端、小屋の外見からは考えられないほど広々とした空間が広がる。小屋をしつらえた者が気を利かせて建物自体に魔法をかけてくれたのだ。
リアンは書斎に行き、部屋の中央に置いてある揺り椅子に腰をかける。視線を上に向けるとそこには宙に浮かぶ本があった。
『――――――の物語』
題名の一部が空白になっている本。
それには記憶を物語として綴る機能がある。
見聞きしたものを物語にし、蒐集する……いつしかそれはリアンの生命事由となった。
彼が最も好ましいと感じる……すなわち若者たちが己の力で未来を切り開く物語を紡ぐために行動してはいるが、そこに一個人への特別な思い入れはない。
だから物語のために多くの生に干渉してきた。
感謝、愛情、嫉み、怒り、恨み……結果多くの感情を向けられることとなったが、彼にとっては全て瑣末なことであった。
リアンは己が記憶を整理して、宙に浮かぶ本を手に取り回の物語はどこから始めるべきかを思案する。
そうだ。今回の物語の主役とも呼ぶべくハリー・ポッターと出会った日がいい――
彼と出会ったのはホグワーツ入学前、ダイアゴン横丁を訪れていた時だった。
ふと視線の端に写ったのは頭からすっぽりとフードを被り、全身を黒いローブで覆った姿。
ダイアゴン横丁では特に珍しくもない格好だがフードから見え隠れする白い髪は妙に目を引いた。
「どうかしたのかハリー……ってあれはリアンのやつじゃねえか」
「ハグリッドの知り合い?」
「ああ、あいつはホグワーツの教師だ。丁度いい、紹介してやろう。おーい!リアン」
ハグリッドの声音はどことなく弾んでいる。そして、声をかけられた本人は嬉しそうに近づいてくるから仲が良いのだろうということは察したよ。
「やあ、ハグリッド。君も新学期の準備かい?」
「まあな。それよりも、おまえさんに紹介したいやつがいるんだ。今年入学する……」
この時は説明の途中で勢いよく背中を押されて衝撃によろめきながら前へ出たっけ……ちなみに彼の第一印象は“優しそうな人”。
「ハリー・ポッターだ。情勢に疎いおまえさんでも名前ぐらいは聞いたことくらいあるだろう?」
自慢気に言っていたけど、このとき僕の気分はあまり良くなかった。押された背中は痛いし、ここにくるまで色々な人に熱烈な歓迎と覚えのない尊敬の念を受けて少し疲れていた。
またあんな歓迎を受けると思うと少し気が重い。悪気はないのは分かっているけど、少しは気持ちを汲んでくれてもいいのに、
とその時は思っていたが……
「ハリー?ええと、聞き覚えはあるのだけれど……ごめん、誰だったかな……?」
まさかのハリー・ポッターを知らないという反応を返された。
「まぁ、これから知っていけばいいか…はじめましてハリー、私はリアン・ファルク。
ホグワーツでルフ魔法の講師をしているんだ」
しかもマイペースに自己紹介を始めるものだから若干面食らった。彼の立場を考えれば僕のことを知らなくても不思議はなかったのだけれど。
「ルフ魔法というのはどんなことが出来るんですか?」
「簡単に説明すると様々な自然現象を操ることが出来る魔法だよ。元々は一部の国と地域独自のものだったのだけれど、文化交流の一環として数年前からホグワーツで教えるようになったんだ」
今思えば、嘘は一切ついていないけど色々と重要なことを省いた本当に簡単な説明だった……おそらく詳細を説明するのが面倒くさかったのだと思う。
「そうだ、少し早いけれどもここで会えたのも何かの縁だし、これを渡しておこう」
表紙に『ルフ魔法の基礎』と書かれた1冊の本を差し出される。
「私の授業で使う教科書だよ。興味があるなら読んでおくと良い」
「い、良いんですか?」
「ああ。どのみち1週間後には新入生全員の手元に届くし、ルフ魔法は知識よりも体力の方が大事だからね。入学後の1カ月間はブートキャンプだし」
「…………え?」
さらっととんでもないことを言われた気がして思わず彼の顔をじっと見た。
相変わらず笑顔ではあったけれど、どこか胡散臭さを感じさせるものだった。
「学校が始まる前に可能な限り身体を鍛えておくといいよ。私の授業を受けるのなら絶対に後悔しないからね」
彼の言葉は紛れもない真実だということをホグワーツ入学直後に知る。
いま思うとあの時に出会っておいて本当に良かったよ。