遊戯王BV~摩天楼の四方山話~   作:久本誠一

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ここでさらに1話焦らすやつ(今回デュエルなしです)。
いや違うんです本当は私もちゃんと最終決戦したかったんです、なんかAパート書いてたら伏線回収したり最低限の前置きしてるだけでガンガン伸びに伸びて…。
削っても削っても収集付かないから諦めてこなしたかったイベント詰め込んだら普通に1話分として出せる分量まで長くなって…。

前回のあらすじ:老獪なおきつねさまとの、最大最後の化かしあい。


ターン38 パラダイムシフト

「ヒーローバリア!」

 

 低く凛とした声が、その時響いた。その熱量と光量からその場にいた人間すべての視界を白く染め、爆発的な勢いで広まろうとしていた炎が、ちっぽけな人体を飲み込む寸前に突如として実体化された1枚のカード、高速回転するプロペラのような壁に阻まれる。

 

「なにっ!?」

「こ、これは……」

 

 押し寄せる炎からもっとも近い場所にいた糸巻と巴が、ほぼ同時に困惑の声を上げる。そして、彼女らは見た。床を壁を未練がましく舐めては一定の位置から不可視の壁に阻まれる炎の向こう側に、1人の人影が立っているところを。メラメラと荒ぶる照り返しが、その顔をくっきりと照らす。

 

「爺さん?」

「ご老体……?」

 

 その男の事は、この場にいた全員が知っていた。いや、むしろかつてそこにあった栄光の時代……デュエルモンスターズが栄え、政界や財界と並びカードゲーム界が世界を構成する概念として存在し、かつての糸巻や巴がそこにいた世界を知るものであれば、彼を知らぬものなどいないだろう。13年の歳月はその風貌にきっちりと刻まれているが、確固たる意志の力は依然として衰えていない。

 単なるカードゲームに過ぎなかったデュエルモンスターズを、ゲームを超えて世界を支配する概念にまでのし上げた伝説の男。生ける伝説、プロデュエリストという職業の原点にして頂点。

 

「『グランドファザー』……」

「……七宝時、守」

 

 ここにいるはずのない、すでに現役を退いて久しい元プロデュエリスト。今では一介のカードショップ店長でしかないはずの彼が、なぜこの地図にもない海上プラントに平然と来ているのか。

 

「……いや、聞くだけ野暮だったな。助かったぜ、爺さん」

 

 諦めたように、糸巻が首を振る。裏の顔として情報屋も営むこの地獄耳の老人なら、何を知っていても不思議はない。そして炎の中を平然と歩いてきた七宝寺が、急き立てるように身振りで促す。

 

「ひひっ、妙なところでの思わぬ再会だが、話は後にしようとも。今の爆発は、まだまだ小規模……このまま放置していたら、比べ物にならないぐらいにここ一帯が吹き飛ぶよ」

「どういう意味です、ご老体」

「巴の、この施設に随分無茶させたみたいだねえ。ここを乗っ取ったばかりのアンタには理解できてなかったみたいだが、そもそもここはまだ未完成もいいところだったのさ。冷却施設がまともに機能してないところをフル稼働させたうえに、こう何度も何度も短期間でカード実体化の繰り返しだ。侵入者退治でドンパチやってる間に、中央部はもうオーバーヒート通り過ぎて融解寸前まできてるんだよ」

「なんですって……!?」

「底抜けのアホ」

 

 突然の通告に言葉を失う巴に、ここぞとばかりに間髪入れず駄目押しの嘲笑を浴びせかける糸巻。しかし彼女にとっては残念なことに、そこで悪戯をした子供を叱りつけるような目つきでじろりと睨みつけられたため、続く煽りの言葉は口の中で消えていった。やはり、この老人には頭が上がらない。

 

「さあ糸巻の、それに巴の。話は終わりだ、アンタらはそこの若いのや途中で倒れてる奴らを連れて、もしものことが起きる前にここを抜け出しな」

「おいちょっと待て爺さん、アンタはどうする気なんだ?」

「私かい?ひひっ、私はここで、次の大爆発をどうにか抑えられないか試してみるよ。なに、最悪の場合でも私だけならどうにかする手はあるから待ってなくていいからね」

「な……!」

「さあ、行った行った。機械も碌にいじれない脳筋と、いっぱしの技術者面してるくせに自爆寸前まで不調に気づかないようなのに残られてもやらせられることはないよ」

 

 

 

 

 

「……結局、これで終わりなんすかね」

「そうあって欲しいもんだ。そら、無駄口叩いてると舌噛むぞ」

 

 不規則に電灯がついたり消えたりする階段を鳥居と清明、そして糸巻の手首から延びる手錠に繋がれた巴が駆け降りる。それぞれの背にはいまだ気を失ったままの巴がここに配置していたデュエリストたちがおぶされているためスピード自体はあまり出ているとは言い難いが、それでも懸命に足を動かしていた。

 彼女たちの目的地は無論、糸巻がここに乗り込んできた際に使用したモーターボートである。爆発の規模はまるで読めず、一番このプラントの構造に詳しい巴は先ほどの指摘が、というよりもむしろそんな事態に気づくことができなかったことがよほど堪えたのか、いつもの嫌味な饒舌さも影をひそめて黙ったまま足を動かしているだけで話を聞こうにも頼りになりそうにもない。

 その巴が、久方ぶりにぽつりとつぶやいた。

 

「……やはり、おかしい」

「あー?いきなり喋るんじゃねえ、アンタの声聞いてると耳が腐る」

「誘爆はまあいいでしょう、確かにコザッキーの自爆装置の実体化の影響で多少の被害が出ること自体はあり得なくもない。だが、融解?オーバーヒート?そんな事態が起きていて、この私が気づかないうちにそこまで進行していた?どう考えても不自然すぎる」

「よーやく口開いたかと思えば自己保身か?言い訳なら独房の壁にやってくれ、気が済むまでな」

 

 そう切り捨てて先を急ぎながらも、鳥居の目は糸巻の表情が一瞬だけ揺らいだことを見逃さなかった。

 彼女は知っている。この男は、こんな場面で無意味な保身に走るような性格ではない。だが、それを聞き入れるということはすなわち、七宝寺の言葉とその判断に異を唱えるということだ。あの爺さんが判断を間違えるなどとはもっと考えづらい、そう感じるだけの信頼と信用の積み重ねがあの老人にはあった。

 

「……行くぞ」

 

 だから一抹の不安を感じつつも、結局はまた前に進もうとする。その判断に何も言わず、また足を速める鳥居。しかしそこに待ったをかけたのが、ほかならぬ遊野清明だった。そして結果的に、この異邦人の一言が世界の運命を大きく動かすことになる。

 

「ごめん、ちょっとだけ待って。どうしたのスライム、竹丸ちゃんのところにいたんじゃ……はあ!?」

 

 半分警戒、半分「また電波が始まった」という視線も意に介さず、虚空に耳を傾ける清明。のほほんとした表情が一変してみるみる真剣な顔つきになっていく。ややあって小さく舌打ちし、半ば詰め寄るように糸巻へと向き直る。

 

「糸巻さん、どうなってんのこれ!?ついさっき家紋町で、七宝寺さんが竹丸ちゃん達……鼓さんと笹竜胆さんをデュエルでぼっこぼこにしてこっちに来たって……!?」

「はあ!?ちょ、ちょっと待てお前!本気で何言ってんだ?」

「僕もわかんないよ。でも、今言った通りのことが起きてるって……」

「大体、鼓はフランスだろ?笹竜胆の奴もどこで何してんのかわかったもんじゃないがこの辺の出じゃないし、なんで家紋町にいるんだよ」

「信じがたい話ですが、あながち出鱈目とは言い難いですね」

 

 お互いに突然飛んできた情報に混乱しながらの言い合いをじっと耳を澄まして聴いていた巴が、そこで冷酷に切り込んだ。

 

「この際ですから、正直に明かしましょう。まず鼓千輪、笹竜胆千利。この両者を家紋町に呼び付けたのは、私です。これは先ほども言った通りですが、私はあの子供を巻き込むことについては否定的でした。貴女との殺し合いは、より純粋なものであるべきですから。なので何があっても対応してもらえるよう、あの子供と縁の深いあの両者が適当なタイミングで間に合うように計算しました」

「そんなわけわからんことやってたのか……男の妄執は怖い、通り越して気持ち悪いぞ」

「そこの貴方がどうしてあの両者の名前を出したのか、まあ聞かないでおきましょう。ですがその名前を出した時点で、彼女たちが今この時に家紋町にいるという事実をどうやってか知っているということに他ならない。当てずっぽうで出るはずのないその事実を知ることのできる情報網を持っているという時点で、今の話には信憑性が感じられます」

「……」

「糸巻さん……」

 

 気に入らないという表情を隠そうともせずにぐっと押し黙る糸巻。何か言いかけた鳥居も、その心中でさまざまに巡る思考を察して結局何も言えずに1歩下がる。ややあって、その口が開いた。

 

「……わかった。爺さんのことはアタシが見て来よう。それと……」

 

 言いさしてポケットから1本の鍵を取り出し、自分と巴の手首を繋いでいた手錠を開く。意外そうな顔で自由になった手首を折り曲げる巴に、地獄の底から差し込むような鋭い視線を投げつけた。

 

「アンタは、融解寸前とかいうその中心部の確認。どうせ気になってんだろ?」

「おや、よろしいのですか?私を自由にしても」

「はっ、そんな気もねえくせによく言うぜ。少なくともアンタの性格なら、嫌だっつってもそれが終わるまでは逃げる気なんてなかっただろ?お高くとまった研究者として、無意味にバカ高いそのプライドが許さねえだろうからな」

「ふむ。愚問、でしたね。貴女の指示でこの私が動くというのは吐き気が出そうな事実ですが、私の生涯の汚点として残しておくに留めておきますよ。それと、そういうことでしたらそこの貴方。『BV』を使わずにカードを実体化するその能力、役に立つやも知れません。彼は借りていきますよ」

 

 そう言って清明を指さすと、そう言われることは想定内だったのかあっさり頷く糸巻。言われた本人も特に不満はないらしく、はいはいと気軽に了承して巴の後をついていくのを確認し、残る1人に向き直る。

 

「それと、鳥居。アンタはこの辺の人間かき集めて、最悪お前だけでもすぐ逃げられるようにアタシの乗ってきたボートで待機しとけ。いつでも出せるようにしておけよ……いいな、頼んだぞ」

 

 そして、糸巻は元来た道を走りだす。いつも通り、ひとりぼっちの戦場へと赴くために。その姿を呆然と見送った鳥居の背で、彼の背負っていた男がかすかな呻き声と共に身じろぎした。

 

「う……」

 

 

 

 

 

「爺さん、いるか……?」

 

 糸巻が再び中央の広間に戻った時、まだ先ほど彼女自身が巻き起こした炎はごうごうと燃えていた。幸いにも空調が全力で空気を循環させているためか、それでも息苦しさは感じない。天井のスプリンクラーが水を吐き出してはいるものの、鎮火にはまだしばらくかかりそうだ。

 

「いや、空調止めた方が早いんじゃないか?酸素送ってどうすんだよ」

「ひひひっ、もうしばらくは消えてもらうと困るのでな」

 

 1人佇んで背を向けていた老人の背中に、呆れ声を掛ける。広間に足を踏み入れてから1度も振り返りこそしなかったものの彼女の存在自体には気が付いていたらしく、別段驚いた様子もない声が帰ってきた。

 

「……そうか。あー、それでな、爺さん」

「なぁに、皆まで言うことはないさね。なあ、糸巻の。アンタがここまで戻ってきたってことは、つまり、気づいたんだろう?それとも存外、まだ嫌な予感止まりかい?」

「……」

 

 ただそれだけで、彼女には理解できた。理解、できてしまった。清明の与太話のような言葉は、巴の覚えた違和感は、決して間違ってはいなかったのだと。間違っていたのは、そこから目を逸らそうとしていた彼女自身なのだと。

 悠長に会話している場合ではない。それはわかっていた。でもどうしても、聞かざるを得なかった。13年前のあの時よりも前、黄金の時代を作り上げた男の言葉を。隠居の身となってなお、デュエルポリスに情報を提供し彼女をサポートしてくれた、この老人の言葉を。

 

「どうしてなんだ、爺さん?なんでアンタが、こんなことを?」

「なんだ、そこからかい?違う違う、そうじゃない。アンタが私に聞くべきは、私が何をやろうとしているのか。なぜ、ではなく何、だ。そうだろう?」

 

 心底愉快そうにひひひっと笑い、両手を広げる。糸巻にはその姿が、かつて彼自身がプロデュエリストの大舞台で大観衆を前におどけてみせた時の記憶と重なって見えた。

 

「実のところ糸巻の、私が付いた嘘はほんの1部だ。この施設がまだ未完成なのは本当だし、大分中枢があったまってきているのも本当だよ。ただ、だからといって今すぐ融解するほどじゃない。そもそもこのプラントの情報をどこから手に入れて、なんでそんなことまで知っているのか……聞きたそうな顔だけど、まさかにそんなつまらないこと、今更口にはしないだろうね?私の情報源に口を出さない、そこは今まで通りやっていこうじゃないか」

「……」

「さて、それじゃあ話を戻そうか。なんでそんな手の込んだことをしたかというと、『BV』発生装置のある特性に用があったからさ。これはデュエルポリス、テロリスト側双方でもかなりの上層部にしか知らせていないたぐいの機密なんだがね、この装置の出力は安定状態にあるほど低く、限界を迎えるほどに分子固定や物質操作、常識改編の力が強まるのさ。まして、このプラントのサイズだ。もしそれがオーバーヒート寸前の状態になったとすると、そのエネルギー量はどうなると思う?」

 

 さもクイズのように問いかけるが、はじめから糸巻の答えは求めていないのだろう。口を開く様子のない彼女にもなんら反応することなく、またしても楽しそうに笑う。

 そしてその笑顔に、彼女はふと引っかかるものを感じた。今、この老人は何と言っただろう。上層部にしか「知らせていない」?その物言いでは、まるで……。

 

「それこそ、世界を変えるほどの力がある。ブレイクビジョン……デュエルの常識を打ち破り、ワンランク上に世界を引き上げる力。私がかつて望み、そして辿り着いた力」

「ちょっと待てよ、爺さ……」

「ブレイクビジョン・システムの生みの親は、私だよ。私が研究し、産み出した」

 

 それは頭を棍棒で殴りつけられた、糸巻にとってはそう錯覚するような衝撃だった。

 どこからともなく情報を手に入れる、常に何でも知っている老人。昔も今も世話になり続けてきた、頭の上がらない生ける伝説。そして過ぎたこととして半ば諦めてはいたものの憎んでも憎み切れない、自分のいた世界全てを、デュエルモンスターズを落ちぶれさせた大戦犯。呪いの技術である「BV」の生みの親。2つの人物が突如として同一のものだと明かされ、床が抜け落ちていくかのような感覚を感じる。確かに固い床を踏みしめているはずの両足が、ひどく頼りないものに感じられた。

 

「意外かい?だがね、ひひっ。ほんの少しでもいい、考えてもみるといいさ。デュエルモンスターズがいくら優れていると言っても、所詮カードはカード。なぜ、世界はそれにあそこまで熱狂できた?なぜ一介のゲームに過ぎないものが、世界情勢を左右するほどの一大ムーブメントになった?仮にデュエルモンスターズそのものにそれだけのポテンシャルがあったとして、ではなぜこの私が表舞台に立つまでそうはならなかった?遥か昔に、私がそう願ったからさ。あらゆる不可能を可能とする錬金術のカード、賢者の石-サバティエルを実体化させて、ね」

「嘘だ!」

 

 自分のいる世界全ての前提が、絶対に手出しされないはずの部分から根こそぎぼろぼろと崩れ落ちていく。そしてそれを、糸巻にはどうすることもできなかった。

 

「残念だがね糸巻の、嘘じゃないよ。あの時、デュエルモンスターズを歴史の中枢に潜り込ませるという願いを叶えた際、サバティエルの実体化の膨大な負荷に耐えきれずに最初の『BV』は完全に消滅し、あの技術の再現には長い時間がかかった。何年もプロデュエリストとして資金を稼ぎ、そのほとんどを研究に充て、また失敗し。ようやく不完全な再現に成功した13年前のあの時、私はそれを世界に公表した。あるいは私の思いもよらなかった進化がデュエルモンスターズに起きるかもしれないとの願いを込めて、ね。そうさね、私は見誤っていた……まさか、あんな馬鹿げたことが起きるとは。テロリストの出現を読めなかったのは、紛れもなく私の失態さ。糸巻の、アンタらにはこの13年間、本当に苦労を掛けたね。こんな言葉じゃあ、何の足しにもならないだろうが……」

 

 すまなかった。深々と頭を下げてそう告げた老人の顔には、積み重ねてきた年月と苦労の重みが深く刻まれている。それは、この荒唐無稽な与太話がまぎれもない真実であると告げていた。

 

「だけど、それもここで終わる。今からこのプラントに極度の負荷をかけ、本当に融解させる。糸巻の、アンタの部下が持ち込んできたあれだけの爆発物のカードを一斉に実体化させたうえで直接起爆させれば、火力としちゃ申し分ないだろうさ。ひひっ、いい花火だろう?そして完全にメルトダウンを起こす最期の瞬間に、このカードを世界規模で実体化させるのさ」

 

 馬鹿げている。だがそうは口にさせない気迫が、もはや妄執と言っても過言ではないほどの異様な力がその言葉にはこもっていた。見知った老人、怪しくはあるが善人だと思っていた好々爺。彼はその心の内に、ずっとこの狂気を飼っていたのだろうか。告白の衝撃も相まって口をきくことすら敵わない糸巻の目線が、自然とその引っ張り出したカードに向けられる。

 

「タイム・ストリーム……?」

「本来このカードは、化石モンスターの専用サポートでしかない。だがね、考えても見るといい。なにせ新生代を中生代に、中生代を古生代にするカードだ。効力を拡大解釈すれば、これは時間を巻き戻すカードに他ならない。これで、世界をあの時に戻すのさ。13年前のあの時に。私が犯した、最大の失敗をやり直すために」

 

 やっとの思いで口を開くも、糸巻の口からは乾いた息が漏れる音しかしなかった。あまりにも多すぎる情報量に、いかに百戦錬磨な赤髪の夜叉といえども情報量が追い付かない。そもそも、口には出さねど彼女がプロデビューしたその時からずっと信じてきた男の正体の告白すらもまだ受け止め切れていないのだ。

 何も口に出せない彼女に疲れたように笑いかけ、老人がゆっくりと背を向ける。

 

「それじゃあね、糸巻の。万事がうまくいったら13年前、もう一度あの栄光の時代でまた会おうじゃないか」

「ま、待てよ」

 

 やっと声が出た。ひどく乾いた、力のない声だった。足を止めて怪訝そうな顔で振り返る老人に、必死になって問いかける。

 

「そんなこと……そんなこと、できると思ってるのか、爺さん」

「ひひっ、不安かい?らしくないね。でも確かに、成功率は高くはない。理論的には間違いないが、本当にメルトダウンする直前のコンマ数秒しか必要な出力を確保できる猶予はないからね。仮にそこを突破したとしても、うまく『BV』の効力が世界全体に広がらなければ意味がない。無論、私の理論が間違っている可能性だってある。なにせ、お試しや実験なんて余裕はなかったからね。正直、不確定要素でいっぱいさね。だから糸巻の、私はね。逃げな、と言ってるのさ」

「なら、なんで……」

「これは私の贖罪さね、糸巻の。プロデュエリストの、そしてそこに関わった様々な人々の人生を狂わせ、挙句全てを奪い去った、ね」

 

 そう言ってもう1度歩き出したその小さな背中には、絶対にやり遂げて見せるという覚悟と妄執が満ちていた。その重みに圧倒されかかっていた糸巻だったが、それでも必死に言葉を繋ぐ。

 

「……なら!アタシは聞いたぜ、鼓や笹竜胆の話!ありゃ一体、どう説明付けるんだ!」

「あの2人には、悪いことをしたね。だけどあの場にいられた以上、知らぬ存ぜぬじゃすまないだろう?下手に勘繰られて色々首を突っ込まれるよりは、いっそことが終わるまで静かに眠ってもらう方がいいと踏んだのさ」

 

 言外にあの元プロデュエリスト2人、それも片方は今も現役のデュエルポリスフランス支部長をまとめて実力で下したという事実を突きつけられてやや怯むも、すぐに納得する。なるほどこの老人にいまだ全盛期の腕前があると仮定すれば、それもさほど難しい話でもないだろうからだ。

 

「だったら、八卦ちゃんはどうなんだ?爺さん言ってたよな、あの子は筋がいいって。それも全部なかったことにするんじゃ、なんのためにデュエル教えてたんだよ!それに爺さんが失敗したら、あの子は一体どうするってんだ!」

「悪いね、糸巻の。でも、私は可能性に賭けたいんだ。全部うまくいった世界で、あの子がもう1度それを望む……そんな、全てが都合よくいった夢を見たいんだよ」

「くっ!」

 

 糸巻自身にも、なぜこれだけ自分が必死になっているのかはわからなかった。この老人の言葉通りに事が進むのならば、それは彼女も望んだ世界の再来となるはずだ。デュエリストが虐げられ、すべてが転落したあの時代以前の姿。とうに諦めそれでも焦がれ、望郷の念を煙草の煙と共に吐き出し、ニコチンで必死にもみ消してきたかつての記憶。分が悪い、そんなことは問題ではないはずだ。例えほんのわずかにでも可能性があるのならば、そこに賭けて最後まで勝利を掴み取りに行くのがデュエリストなのだから。

 だが、それでも。

 

「……っ!」

 

 左腕を真横に伸ばし、デュエルディスクを起動させる。燃え盛る炎によって決して無音とは言い難いはずの広間に、その起動音がひどく大きく響いたような気がした。前を行く背中がぴたりと止まり、まるで初めて糸巻の存在に気づいたかのような目でゆっくりと彼女へと向き直る。

 

「……なるほど、糸巻の。君は私を止めるんだね?その理由が、私には理解しがたいがね」

「アタシにも分かんねえよ、んなもん。なんでなんだろうな、ほんと」

 

 首を振りつつ吐き捨て、デュエルディスクを構える。自分のしていることが正しいかどうか、彼女自身にも分からなかった。しかし、少なくとも間違っているとも思わなかった。

 

「でもな、爺さん。やっぱり、そりゃ無法が過ぎるってもんだぜ。13年の歳月は、いくらなんでも重すぎる。これはもう、爺さんひとりが自由にいじくっていい話じゃない。過ぎたことを否定するのは、13年間のアタシの、八卦ちゃんの、鳥居の……それに爺さん、アンタ自身の全てを否定するってことなんだ」

「少なくとも私の13年は、今日という日のこの瞬間のためだけに費やしてきたものだよ。それを否定するのなら、それこそ私の全てを否定することに他ならないさね」

「とぼけやがって、ならもう1回聞かせてもらうぜ。だったらどうしてアンタは、どうせなかったことになると思ってたくせに八卦ちゃんにデュエルを教えたんだ?」

「言っただろう?私は私の夢を追うのさ。あの子を仕込んでおけば、なんだかんだと面倒見がよくて人肌恋しい赤髪の間抜けはそっちにかかりきりになってくれるからね。おかげで、私も一番大事な詰めの時期に自由に動くことができた。これだけ強大な出力を持つ『BV』電波塔の建設なんて、糸巻の。アンタみたいに勘の鋭いデュエルポリスが暇してる目と鼻の先で動き回っていたら、さすがの私も隠し通すのは骨が折れたろうからね」

「そんな理由で、八卦ちゃんに……?」

 

 愕然とする糸巻を鼻で笑い、なんてことないように口にする。

 

「糸巻の、アンタは気持ちいいぐらい素直に動いてくれたよ。私のことなんて気にしなくなるぐらい、たくさんあの子に構ってくれた。なに、あの子についてはやり直した世界で、またゆっくりと教え直すさね。あの子に天性のセンスがあるのは、本当だよ」

「ちっ……」

 

 悲しいことに、糸巻はよく理解していた。嫌でも思い出さざるを得なかった、といった方が正確かもしれない。喋りながらデュエルディスクを構えた老人の姿が、まるで2倍にも3倍にも大きく見える。

 無論、それは目の錯覚だ。全身からゆらりと立ち昇る闘気が、視線だけで人を射殺せそうなほどに鋭くなった眼光が、格の違いを戦う前から彼女の全身に嫌というほど叩きつけている。ふと気が付けば、彼女自身も意識しないうちにその両足は今にも倒れ込みそうなほどに震えていた。

 普段の糸巻ならばそんな自分の無様さを、心のどこかで歓迎さえしていたかもしれない。これでようやくアタシは負けられる、精いっぱい戦って、それでも力及ばず負けることができる。そうすれば、この13年間の苦しみから解放されるんだと。だが、それは今の彼女にはできない相談だった。この戦いは、負けるわけにはいかなかった。たとえ世界が滅びようが知ったことではないが、全てを否定することはそれ以下の冒涜に他ならない。

 だから、彼女は息を吸う。自分1人では、運命は変えられない。ならば、どうする?答えは決まっている。どんな手を使ってでも、彼女はここで勝たねばならない。この13年間の世界の歩みがどれだけデュエルモンスターズへの侮辱と恥辱にまみれたものだとしても、その果てである今には一筋の光が生まれていることを証明するために。世界の歴史は、断じて間違っていないんだと証明するために。

 だから、彼女はその名を叫ぶ。この13年間の彼女の象徴たる肩書き、デュエルポリスとして迷いなく。

 

「鳥居ーっ!!いるんだろうが、とっとと出てこいこの野郎!」

「ここに。つーか糸巻さん、いつから気づいてたんすか?」

 

 そして鳥居浄瑠が、デュエルポリス糸巻太夫いちの部下が、何食わぬ顔してその隣に現れる。呼びかけに応え突如として現れた男にふんと小さく鼻を鳴らし、その背中を平手で無造作に叩く。

 

「最初からだ、馬鹿。おおかた引戸の……マネージャーの差し金だろ?」

「……バレてましたか。あの人、糸巻さんが出てってすぐに目を覚ましまして。脱出準備は俺がやっておくから、だそうです。それと、ひとつ伝言っすよ」

「伝言?アタシに?」

「俺は裏方、お前は表舞台。昔と何も変わらないだろう、まさかミスなんてするわけないよな?だそうで」

「はっ、あの野郎。マネージャーの分際でアタシをこき使おうたぁ、随分『赤髪の夜叉』も舐められたもんだ。あーだこーだと口やかましくて、妙なとこだけ小賢しい。奴もアンタも、そういうところは本当そっくりだよ」

 

 口ではそう言いつつも、表情の方はくすくすと小さく笑う。気が付けば、足の震えは止まってた。

 

「……なるほどねえ、糸巻の。彼が、この13年間で得たもののひとつかい?」

「まあな。情けない話だが、タイマンでアンタに勝てるとはアタシも思わねえよ。だから、使えるもんは使わせてもらう。行くぜ、鳥居。ヘマすんじゃねえぞ」

 

 行けるか?ではなく、行くぞ。いまだ鳥居は先ほどのデュエルのダメージが抜けきれていないことは、糸巻もよく承知している。だがそれでもなおその言葉は勧誘や要請ではなくぶっきらぼうで彼女らしい、鼓舞だった。わかっているのだ、彼もまた彼女と同じ気持ちでここに立っていると。そしてこの場で栄光の過去ではなく傷だらけの未来を掴むため、堂々と戦うことを選んでみせると。

 だから鳥居もまた、その無条件の信頼に応えてみせる。なんのかんのと減らず口を叩こうと、たとえ一時は心離れていても、それでも彼らはパートナーだった。

 

「『さあさあそれではお立会い、今宵の舞台は世界を救う大公演!この戦場に立ち残るものが、世界の行方を左右する!大スペクタクルエンターテイメント、これより開演のお時間です!』」

「……已むをえまい。なに、痛いのはほんの1瞬さね」

 

 短時間に2人もの反対を受け、さすがに悲しげな眼をしてデュエルディスクを構える。しかし老人に、ここで退くなどという選択肢は残されていない。世界をあるべき姿に戻すため、よりよい未来を掴み直すため。これこそが、その唯一の道だと信じて。




余談ですが私はアークファイブ視聴時のアカデミア突入編、次元統合計画の理由を知ってからは結構大真面目に赤馬零王のほうを応援してました。
今でもあれはあの人の方に理があると思うのよね、結果的に使い捨てみたいなもんだからしゃーないとはいえ融合次元のアカデミア連中には何一つ伝えてなかったからあの有様になっちゃったけど。

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